へええ。こんなん。その生理的にとっても開かれたパフォーマンスに接しながら、頷きつつ、少し驚きもした。六番町・セルバンテス文化センター。
ドゥア・デ・ペルはソニア・メヒアスとエバ・ギジャモンからなるスペイン人女性2人組なのだが、まずゆったりさばけたした風情がなんかよい。それは心の広い、しなやかな世界観から来るものではないかと思わせるから。そんな二人の表現は、自在にハモるヴォーカルの重なりが核にある。声量がそんなにあるわけではないが、その絡みは自在にしてきっちりと一つのテイストを持っていて、この二人が思うまま歌えばどんなメロディでもそれなりの訴求力と個性を持つはずとも思えた。
アカペラのときも一部あったし、手拍子やボディ・パーカッションを使いながら歌う場合もあるし、四角いパンデイロと紹介されたスペインの地方の伝統打楽器(それを縦に持ち、右手はバチで叩き、左手は手で叩く)やリュートを手にして歌い合う曲もある。簡単に要約すれば、わりとシンプルな打楽器的な音にめくるめく歌声が乗るという方策が、ドゥア・デ・ペル表現の基本と説明できるはず。彼女たちは、自由にキッチン用品を打楽器として用いたりもする。
事前に、米国ジュリアード音楽院に呼ばれてクラシックとフォークロアの関係を語るパフォーマンスを行ったというような説明も関係者からあり。そして、最初はトラッドを清新に今に持ってきているようにも思え、超然としつつも耳新しいその魅惑的な聞き味に、仏コルシカ島のア・フィレッタ(2010年8月25日、2010年9月4日)、仏マルセイユのルー・クワール・デ・ラ・プラーノ(2014年2月27日)、ブルガリアン・ヴォイス・アンジェリーテ(2019年9月29日)、ミャーク・ソング・ブック(2019年10月19日)らの表現をふと思い出す。だが、その後も接していると、彼女たちの言葉やピカソの詩を自らふくらませた歌詞の曲などオリジナルと説明されるものが続き、イラン(だったよな?)の民謡からインスパイアされたと説明した曲もあるなど、彼女たちはもっと参照する世界が広いし、どうやら言葉や歌詞に重きも置いているよう。なかには、スペイン語以外で歌われるものもあったのではないだろうか。歌唱にはホーミー的なそれや、ピグミー族のコーラスも聞いているんだろうなと思わせる部分もあった。
プログラムには入っていませんが、急に私たちの歌詞を披露したくなったのでやりますと言い、歌詞なしの詠唱(そのさい、ずいずいすっころばしのような所作のもと手拍子音を出す)を披露する場面もあった。サバけた、ユーーモア感覚も随所にありあり。で、つきるところ、スリッツの大人真面目版とか、そういう感想も少し生まれてきてしまう。くわえて、ぼくはシルヴィア・ペレス・クルス(2018年5月11日、2019年10月10日、2019年10月11日)との連続戦もしっかり感じてしまった。
▶︎過去の、ア・フィレッタ
https://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
https://43142.diarynote.jp/201009151537076176/
▶︎過去の、ルー・クワール・デ・ラ・プラーノ
https://43142.diarynote.jp/201402281014573444/
▶︎過去の、ブルガリアン・ヴォイス・アンジェリーテ
https://43142.diarynote.jp/201909300820035963/
▶︎過去の、ミャーク・ソング・ブック
https://43142.diarynote.jp/201910200819159611/
▶︎過去の、シルビア・ペレス・クルス
https://43142.diarynote.jp/201805121754429711/
https://43142.diarynote.jp/201910131402485845/
https://43142.diarynote.jp/201910140916407770/
<今日の、流れ>
スペインが運営する六番町・セルバンテス文化センターのビルには、スペイン料理屋がある。やっぱ、本国基準のレストランなのかな。が、その近くのもっと安そうなバルに行く。泡、白、赤、牡蠣、野菜、鰯、豚などいろいろ堪能。麹町で飲食するの、いつ以来だろう? お店のトイレに、コルトレーン、マイルズ、スティーヴィー、ナラ・レオンのジャケットの部分写真が額いりで飾ってある。ナラ・レオンの部分ジャケ写真がわからず、店主に誰のですかと聞くと、初めて訊かれたという。『キー・オブ・ライヴ』のジャケが一番大きいのは、店主が生まれた年である1976年盤だからだそう。……やっぱり、その後に渋谷下車。
ドゥア・デ・ペルはソニア・メヒアスとエバ・ギジャモンからなるスペイン人女性2人組なのだが、まずゆったりさばけたした風情がなんかよい。それは心の広い、しなやかな世界観から来るものではないかと思わせるから。そんな二人の表現は、自在にハモるヴォーカルの重なりが核にある。声量がそんなにあるわけではないが、その絡みは自在にしてきっちりと一つのテイストを持っていて、この二人が思うまま歌えばどんなメロディでもそれなりの訴求力と個性を持つはずとも思えた。
アカペラのときも一部あったし、手拍子やボディ・パーカッションを使いながら歌う場合もあるし、四角いパンデイロと紹介されたスペインの地方の伝統打楽器(それを縦に持ち、右手はバチで叩き、左手は手で叩く)やリュートを手にして歌い合う曲もある。簡単に要約すれば、わりとシンプルな打楽器的な音にめくるめく歌声が乗るという方策が、ドゥア・デ・ペル表現の基本と説明できるはず。彼女たちは、自由にキッチン用品を打楽器として用いたりもする。
事前に、米国ジュリアード音楽院に呼ばれてクラシックとフォークロアの関係を語るパフォーマンスを行ったというような説明も関係者からあり。そして、最初はトラッドを清新に今に持ってきているようにも思え、超然としつつも耳新しいその魅惑的な聞き味に、仏コルシカ島のア・フィレッタ(2010年8月25日、2010年9月4日)、仏マルセイユのルー・クワール・デ・ラ・プラーノ(2014年2月27日)、ブルガリアン・ヴォイス・アンジェリーテ(2019年9月29日)、ミャーク・ソング・ブック(2019年10月19日)らの表現をふと思い出す。だが、その後も接していると、彼女たちの言葉やピカソの詩を自らふくらませた歌詞の曲などオリジナルと説明されるものが続き、イラン(だったよな?)の民謡からインスパイアされたと説明した曲もあるなど、彼女たちはもっと参照する世界が広いし、どうやら言葉や歌詞に重きも置いているよう。なかには、スペイン語以外で歌われるものもあったのではないだろうか。歌唱にはホーミー的なそれや、ピグミー族のコーラスも聞いているんだろうなと思わせる部分もあった。
プログラムには入っていませんが、急に私たちの歌詞を披露したくなったのでやりますと言い、歌詞なしの詠唱(そのさい、ずいずいすっころばしのような所作のもと手拍子音を出す)を披露する場面もあった。サバけた、ユーーモア感覚も随所にありあり。で、つきるところ、スリッツの大人真面目版とか、そういう感想も少し生まれてきてしまう。くわえて、ぼくはシルヴィア・ペレス・クルス(2018年5月11日、2019年10月10日、2019年10月11日)との連続戦もしっかり感じてしまった。
▶︎過去の、ア・フィレッタ
https://43142.diarynote.jp/201008270912512078/
https://43142.diarynote.jp/201009151537076176/
▶︎過去の、ルー・クワール・デ・ラ・プラーノ
https://43142.diarynote.jp/201402281014573444/
▶︎過去の、ブルガリアン・ヴォイス・アンジェリーテ
https://43142.diarynote.jp/201909300820035963/
▶︎過去の、ミャーク・ソング・ブック
https://43142.diarynote.jp/201910200819159611/
▶︎過去の、シルビア・ペレス・クルス
https://43142.diarynote.jp/201805121754429711/
https://43142.diarynote.jp/201910131402485845/
https://43142.diarynote.jp/201910140916407770/
<今日の、流れ>
スペインが運営する六番町・セルバンテス文化センターのビルには、スペイン料理屋がある。やっぱ、本国基準のレストランなのかな。が、その近くのもっと安そうなバルに行く。泡、白、赤、牡蠣、野菜、鰯、豚などいろいろ堪能。麹町で飲食するの、いつ以来だろう? お店のトイレに、コルトレーン、マイルズ、スティーヴィー、ナラ・レオンのジャケットの部分写真が額いりで飾ってある。ナラ・レオンの部分ジャケ写真がわからず、店主に誰のですかと聞くと、初めて訊かれたという。『キー・オブ・ライヴ』のジャケが一番大きいのは、店主が生まれた年である1976年盤だからだそう。……やっぱり、その後に渋谷下車。