ジュリアン・ラージ・トリオ。インコグニート・ウィズ・アンプ・フィドラー
2018年12月11日 音楽 1987年生まれで、かつては神童奏者としてならす。そして、若手で現在トップ級に今のジャズ・ギタリストとしての視点を抱え、またちゃんと評価を受けていると思われるジュリアン・ラージ(2005年8月21日、2009年6月24日、2011年7月20日、2017年2月1日)、2017年11月13日)のトリオ公演を見る。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。彼の今年の新作は前作につづいて、シンガー・ソングライターのジェシー・ハリス(2002年12 月21日、2005年9月7日、2006年1月23日、2006年4月22日、2007年3月11日、2009年3月31日、2010年10月10日、2011年8月6日、2012年7月16日、2013年5月26日、2016年4月27日、2016年9月8日、2017年6月10日)のプロデュース。その際のリズム・セクションは縦ベースのスコット・コリー(2012年3月15日、2012年6月4日、2015年9月27日)とドラムのケニー・ウォルセン(2000年7月21日、2005年9月7日、2009年5月8日)だったが、ベーシストは勝手知ったるホルヘ・ローデル(2011年7月20日、2016年6月11日、2017年2月1日、2017年9月3日、2017年9月6日)が同行した。
おお。今回のラージはアグレッシヴ。例の情景描写的淡々路線の上にごんごん翔んだフレーズを乗っけてくる。それをエフェクターに頼らずにやるのだが、前々から一部にジョン・スコフィールド(1999年5月11日、2001年1月11日、2002年1月24日、2004年3月11日、2006年3月1日、2007年5月10日、2008年10月8日、2009年9月5日、2012年10月10日、2013年10月21日、2015年5月26日、2018年9月2日)好きなのと思わす音を入れるときがあったのだが、今回は1/3ぐらいはかなりスコフィールドだった!
なんにせよ、年齢相応に(?)激しく突き進むラージも魅力的。まあ、彼が録音参加しているザ・ネルス・クライン(2010年1月9日、2010年4月23日、2013年4月13日、2014年8月14日、2015年6月2日、2017年5月13日)4の『Currents, Constellations』(Blue Note,2018年)やジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)の『Insurrection』(Tzadik、2018年)での演奏もキレキレで、彼が今そういうモードにあるのだろう。とにかく、そのオイラ乗りにノってまんねんオーラは接していて頼もしかった。ネルス・クラインがウィルコに入ったように、ラージもビッグで冒険心を持つ大人のロック・バンドに入らないかな。とともに、彼が描く風景(かつてやったインタヴューで、架空の土地の地図を書いていく感じで曲やサウンド設定をすると言っていた)の一部に新たな色が加えられたとも感じた。
話は飛ぶが、彼のデビュー作『サウンディング・ポイント』(エマーシー、2009年)は静謐にしてとても高尚な仕上がり。1作目で、しかも外野から口出しされそうなメジャー盤で、よくぞこんなことやりましたねと思わずにはいられない。改めて聞いたら、孤高とも言えるその独自の聞き味に驚くしかない。それに比すと、今は本当に分かりやすいことをするようになったよなー。だからこその、ジェシー・ハリスの制作者起用でもあるのだろうけど。ラージはその『サウンディング・ポイント』でクリス・シーリー(2016年8月4日)やベラ・フレック(2000年8月12日、2007年10月1日)というマンドリン奏者やバンジョー奏者を録音に呼んでいたが、そのあとのワーキング・バンドでは意識的にホルヘ・ローデルら南米出身者で陣容を固めたりもして、本当に興味深すぎます。
▶過去の、ジュリアン・ラージ
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
http://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
https://43142.diarynote.jp/201711141337544172/
▶過去の、ジェシー・ハリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/200509130315380000/
http://43142.diarynote.jp/200601271859050000/
http://43142.diarynote.jp/200604251252010000/
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http://43142.diarynote.jp/201305280925006733/
http://43142.diarynote.jp/201605141103337291/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160908
https://43142.diarynote.jp/201706111121479426/
▶過去の、スコット・コリー
http://43142.diarynote.jp/201203161146266803/
http://43142.diarynote.jp/201206110916017268/
https://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
▶︎過去の、ケニー・ウォルセン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm ビル・フリゼール
https://43142.diarynote.jp/200509130315380000/
https://43142.diarynote.jp/200905101005501321/
▶︎過去の、ホルヘ・ローデル
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
▶過去の、ジョン・スコフィールド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live2.htm 5.11
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm 1.11
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm 1.24
http://43142.diarynote.jp/200403111821250000/
http://43142.diarynote.jp/200603011148430000/
http://43142.diarynote.jp/200705181809270000/
http://43142.diarynote.jp/200810111558046727/
http://43142.diarynote.jp/?day=20090905
http://43142.diarynote.jp/201210111837516874/
http://43142.diarynote.jp/201310210730403296/
http://43142.diarynote.jp/201505271549266046/
https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶過去の、ネルス・クライン
http://43142.diarynote.jp/?day=20100109 田村/藤井ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201304150854159566/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201408161131356136/ チボ・マット
http://43142.diarynote.jp/201506070750376864/ ネルス・クライン・シンガーズ
https://43142.diarynote.jp/201705140938439184/ スコット・アメンドラ
▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
▶過去の、クリス・シーリー/パンチ・ブラザース
http://43142.diarynote.jp/?day=20160804
▶過去の、ベラ・フレック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/
その後は、ジャン“ブルーイ”モウニック(2002年12月20日、2006年9月3日、2011年3月31日、2013年6月17日、2015年7月9日、2015年9月27日)率いる長寿の温故知新指針を巧みに取る英国ジャジー・ソウル・バンドを見る。南青山・ブルーノート東京。
モーリシャス出身のブルーイをサポートするのは、おなじみの面々。歌のジョイ・ローズ(ジャマイカ)とイマーニ(スリランカ)とモー・ブランディス(ドイツ)、キーボードのマット・クーパー(英国)、ベースのフランシス・ヒルトン(ジャマイカ)、ドラムのフランチェスコ・メンドリア(イタリア)、打楽器のジョアン・カエターノ(ブラジル)、ギターのフランシスコ・サレス(ポルトガル)、菅は3人でトランペットのシド・ゴウルドとテナー・サックスのパトリック・クラハーとトロンボーンのアリステア・ホワイト(彼らは英国人主体で、トランペッターだかはスコットランド出身と紹介されたっけ? トランペットとトロンボーンのソロがキャリアありそうな風体と裏腹に上手じゃなく、セクション音だけを出せば男を下げずにいられるのにと思った)。ファミリアなヴァイブが横溢しているが、見事に多国籍なメンバー構成なんだな。
今回のショウの売りは、P-ファンク出身の辣腕キーボード奏者であるアンプ・フィドラー(2004年9月25日、2005年7月30日、2012年12月9日、2015年9月27日、2016年11月29日、2017年2月9日、2018年8月11日)がゲストで入るというもの。P-ファンク的なこともやるのかと思ったら、なんとフォドラーはあまりキーボードは弾かず、ショウの1/3にリード・シンガーとして関わる。専任の歌手じゃないのでプロに囲まれると不具合なところもちょいあるが、ぼくは彼の大ファンなのでウッキぃ〜とそれを受け止めた。
途中でヴォーカル陣がさがり、インストで攻めるパートもあり。「オールウェイズ・ゼア」ほか代表曲はほぼやり、フィドラーが加わった部分以外は従来の彼らのショウ。バチバチと強固に重なる打楽器とドラムのデュオ演奏の部分はこの8月のブルーイの別プロジェクトであるシトラス・サンのときと全く同じ。また、最後にブルーイが愛と平和と音楽が地球を救うみたいなよどみのない語りをし、「ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ。ピース! ワン・ラヴ」と言って、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」再演曲を流しながら、面々が退出するのもまた長年続くならわしなり。そろそろ違う構成もアリかと思うが、本当にブルーイはそれが似合う慈愛の御仁だからなあ。バンドの散った属性も、“ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ”であり“ワン・ラヴ”の率直な表れと理解したほうが自然だろう。ブルーイの奥さんは日本人(なはず)だが、彼のインコグニートに日本人歌手や奏者がメンバーとして加入する日は来るだろうか?
▶過去の、インコグニート/ブルーイ
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▶︎過去の、アンプ・フィドラー
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<2年前の、アンプ・フィドラー>
以下の質疑は、彼が2016年11月下旬にジョージ・クリントンのパーラメント/ファンカデリック公演に同行した際、CDジャーナルの記事用に取ったものである。
—新作『モーター・シティ・ブーツィ』を出しましたね。
「特別こうしようということはなかった。録音は結構していたんだけど、実は2012年に姉が亡くなり、その前に2006年に母が、2009年に息子が亡くなってしまい、そんなわけで茫然自失の日々が続いていた。そんなおり、(UKダンス音楽制作チームの)ヤム・フー?と話をして、幾つか曲があるんだけどと言ったら、じゃちょっとエディットをして作ってみようという話になった。最初はJBの曲をやってみて、どんどんファンキーな曲を作っていった」
——ヤム・フー?とはどうして知り合ったのでしょう?
「ヤム・フー?とは、彼が住むロンドンで会った。リミックスをやってもらったのがきっかけで結構大親友になって、それでロンドンに行くことになって実際に会ったんだ。そして、その後一緒に曲を書いたりするようになった」
——データーの交換でやっているんですか。
「うん。ほぼこっちで作ったものを送って、それにドラムを入れてきたり。返してもらったものに、僕がベース・シンセサイザーを入れたりとか、そういうやりとりをしている。あと、自分が一人でやってしまったものもある」
——『モーター・シティ・ブーツィ』。どうして、そういうタイトルにしたんですか。
「あははは。それ、ヤム・フー?のアイデアなんだ。最初は『モーター・シティ・ブーツィ・シェイキン』だった。でも、英国では“シェイキン”はいらない、それなしでも意味は通じるからと言われてそうした。ブーツィという言葉がファンキーだからと、ム・フー?は言っておった」
——デトロイトにずっとお住まいですよね。これを聞くと、やはりデトロイト産と感じます。
「俺もそう思う。本当、“モーター・シティ”のレコードだよね。そこここに、モータウンの精髄があると思っている。実際には、モータウンと関わったことはないけどね」
——いろんなところに行っているでしょうけど、やはり住むのはデトロイトですか?
「いや、アムステルダムも好きなんだよ(笑)。ドラッグとは関係なくね。運河が流れていて、車がそんなに走っておらず、自転車が多くて、花が多い風景もいいしね」
——あら、意外なことを言いますね。では、音楽を離れると、どんなことに興味を持っています?
「あー、でも音楽になってしまうかな。フィットネス、スポーツは好き。それから、ドイツ出身の85歳の人から、ピアノのリストアを教わっている。それは、僕が今新たにやっていることだよね。(携帯電話の写真をいろいろ見せながら)これは全部の弦の張り替えをしているところで、僕の家で撮ったものなんだ。こっちの写真はスタジオだね」
——これの延長で、アコースティック・ピアノのアルバムを作りたいとかはあります?
「イエス! オルガン・トリオの様式をピアノで作ってみたい。実は昨日もブラックバード(2012年5月31日、2016年11月29日、2017年4月8日。やはり、今回同行したギタリスト)とその話をした。でも、アルバムでやるのはもうちょっと練習が必要にはなるな。ハービー・ハンコックは僕の一番好きなピアニストの一人だよなあ。ジャズ・アルバムと言えば、ニコレットという女性シンガーと一緒に作ったりもしている」
——プリンス作(1990年の『Graffiti Bridge』や1992年の『The Love Symbol Album』、2016年作『4Ever』など)にはどういう形で入ったんでしょう。
「最初、ジョージ(・クリントン)に紹介してもらったのさ」
——大昔彼のP-ファンクに入った時は、やりぃみたいな感じでした?
「(両手を挙げて)まさしく、わーいだったねえ。ジョージとは出会って長いよねー」
——あなたはデトロイト・ハウスにも、またJ・ディラとも関わりを持っています。もう滅茶苦茶幅広いですが、自分でもよくやるわと思ったりしません(笑い)?
「ハハ。でも、いろんなことをやってこそが俺のパッションだし、それが好きだからやっている。自分が全ての点でベストであるとは感じていない、だけどいろんな事ができるということで、俺は頂点にいるかもしれない。なんだかんだ、俺をハウスの人と見るやつもいるよね。ま、実際、ハウス・ミュージックも好きなんだよなあ。今度、セオ・パリッシュとのレコードも出るぜ」
——やはり、その広さはデトロイトに住むからこそのものなんでしょうね。
「みんな友達だからねえ。まさに、デトロイト・コネクション」
——かつてリオン・ウェアと日本に来たのも、デトロイト・コネクションですか?
「うん。ブルーノート東京に出たよね。リオンはジョージと同じぐらいの俺のヒーローなんだ。まさに、師匠。そして、今はもう一人師匠がいて、それはのピアノのリストアの先生だね」
——そもそも古いピアノの徹底修繕に興味を持つきっかけは?
「その人もジョージというんだけど、長年俺ん家のピアノの調律をしてくれているんだ。で、最近暇していた時に、リストアをしているのは知っていたので、その様子を見せてくれないかと頼んだ。そしたら、ハマっちゃった。一方では、シンセサイザーも大好きなんだけどねえ。実は兄(エレクトラから1990年にミスター・フィドラー名義で『ウィズ・リスペクト』をフィドラー兄弟は出しているが、その1/2のバブス・フィドラーのことだろう)も今年亡くなってしまい、3年ごとに大切な人に先立たれて、辛い時期だったこともリストアに興味を持った理由かもしれない。ジョージもそんな打ちひしがれている俺を見てツアーを一緒にやらんかいと引っ張り出してくれている。それについては、すごく助かっている。忙しくしたり、曲を書いたりすのるが、心の支えになってしているからね」
——活力に満ち、また快活に見えるあなたですが、そんな悲しいことが裏にあるとは……。
「(笑顔で)このアルバムは兄がなくなる前に完成していたけどネ」
——スライ&ロビーとはどういう経緯で、双頭アルバム(2008年作『Inspiration Information Vo.1』)を作ることになったんですか。
「前の俺のマネージャーの流れで、スライ&ロビーのマネージャーとつながった。スライ&ロビーがアメリカ人と組んでレコードを作りたがっていたのがその端緒。でも、彼らは俺のことは知らなくて、音を聞かせたらこれはいいとなったみたいだな」
——ぼくはあのレコードが好きで、あれを聞くとあなたはスライ・ストーンも好きなんだなと分かります。
「おう。あれはレゲエ版スライ・ストーンみたいな仕上がりだよね。実は俺の親父はトリニダード・ドバゴの出身で、そんなこともあり俺もアイランド・ガイな血が流れているんだ。カリプソやレゲエはずっと聞いてきていて、そういうバンドに入っていたこともあったんだよ。そういう意味では、あの機会は運命だったかなとも思う」
——(イケてる格好をしているので)お洒落は好きですか?
「好き。見て分かるように色使いもヴィヴィッドで、こういうのを“ファンキー・ガイ・スタイル”って言うんだよ。ああ、服は好きだね。子供の頃の話だけど、母はファッション・デザイナーだったんだ。俺は、髪型も変であれと思っているぜ!」
ーーところで、あなたはちゃんと音楽は学んでいるんですよね。
「活躍する多くの人たちほどは習っていない。ピアノを4、5歳から始めているような人のなか、俺が始めたのは高校3年生のときだ。そして、大学に入るとツアー活動を始めてしまったので、実はピアノについて勉強はしていないんだ」
▶︎過去の、デュエイン・ブラックバード・マックナイト
https://43142.diarynote.jp/201612011925201175/
https://43142.diarynote.jp/201206011834355756/
この後、彼はコンテンポラリーな2017年作『Amp Dog Knights』と、デトロイトの広角型ファンク・グループのウィル・セッションズとの連名による2018年作『The One』をリリースしている。
おお。今回のラージはアグレッシヴ。例の情景描写的淡々路線の上にごんごん翔んだフレーズを乗っけてくる。それをエフェクターに頼らずにやるのだが、前々から一部にジョン・スコフィールド(1999年5月11日、2001年1月11日、2002年1月24日、2004年3月11日、2006年3月1日、2007年5月10日、2008年10月8日、2009年9月5日、2012年10月10日、2013年10月21日、2015年5月26日、2018年9月2日)好きなのと思わす音を入れるときがあったのだが、今回は1/3ぐらいはかなりスコフィールドだった!
なんにせよ、年齢相応に(?)激しく突き進むラージも魅力的。まあ、彼が録音参加しているザ・ネルス・クライン(2010年1月9日、2010年4月23日、2013年4月13日、2014年8月14日、2015年6月2日、2017年5月13日)4の『Currents, Constellations』(Blue Note,2018年)やジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日)の『Insurrection』(Tzadik、2018年)での演奏もキレキレで、彼が今そういうモードにあるのだろう。とにかく、そのオイラ乗りにノってまんねんオーラは接していて頼もしかった。ネルス・クラインがウィルコに入ったように、ラージもビッグで冒険心を持つ大人のロック・バンドに入らないかな。とともに、彼が描く風景(かつてやったインタヴューで、架空の土地の地図を書いていく感じで曲やサウンド設定をすると言っていた)の一部に新たな色が加えられたとも感じた。
話は飛ぶが、彼のデビュー作『サウンディング・ポイント』(エマーシー、2009年)は静謐にしてとても高尚な仕上がり。1作目で、しかも外野から口出しされそうなメジャー盤で、よくぞこんなことやりましたねと思わずにはいられない。改めて聞いたら、孤高とも言えるその独自の聞き味に驚くしかない。それに比すと、今は本当に分かりやすいことをするようになったよなー。だからこその、ジェシー・ハリスの制作者起用でもあるのだろうけど。ラージはその『サウンディング・ポイント』でクリス・シーリー(2016年8月4日)やベラ・フレック(2000年8月12日、2007年10月1日)というマンドリン奏者やバンジョー奏者を録音に呼んでいたが、そのあとのワーキング・バンドでは意識的にホルヘ・ローデルら南米出身者で陣容を固めたりもして、本当に興味深すぎます。
▶過去の、ジュリアン・ラージ
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/200906300951327850/
http://43142.diarynote.jp/201107230819362417/
http://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
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▶過去の、ジェシー・ハリス
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▶過去の、スコット・コリー
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▶︎過去の、ケニー・ウォルセン
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▶︎過去の、ホルヘ・ローデル
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▶過去の、ジョン・スコフィールド
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https://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
▶過去の、ネルス・クライン
http://43142.diarynote.jp/?day=20100109 田村/藤井ファースト・ミーティング
http://43142.diarynote.jp/201004250658039897/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201304150854159566/ ウィルコ
http://43142.diarynote.jp/201408161131356136/ チボ・マット
http://43142.diarynote.jp/201506070750376864/ ネルス・クライン・シンガーズ
https://43142.diarynote.jp/201705140938439184/ スコット・アメンドラ
▶︎過去の、ジョン・ゾーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200601271857530000/
▶過去の、クリス・シーリー/パンチ・ブラザース
http://43142.diarynote.jp/?day=20160804
▶過去の、ベラ・フレック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livezanmai.htm
http://43142.diarynote.jp/200710121726160000/
その後は、ジャン“ブルーイ”モウニック(2002年12月20日、2006年9月3日、2011年3月31日、2013年6月17日、2015年7月9日、2015年9月27日)率いる長寿の温故知新指針を巧みに取る英国ジャジー・ソウル・バンドを見る。南青山・ブルーノート東京。
モーリシャス出身のブルーイをサポートするのは、おなじみの面々。歌のジョイ・ローズ(ジャマイカ)とイマーニ(スリランカ)とモー・ブランディス(ドイツ)、キーボードのマット・クーパー(英国)、ベースのフランシス・ヒルトン(ジャマイカ)、ドラムのフランチェスコ・メンドリア(イタリア)、打楽器のジョアン・カエターノ(ブラジル)、ギターのフランシスコ・サレス(ポルトガル)、菅は3人でトランペットのシド・ゴウルドとテナー・サックスのパトリック・クラハーとトロンボーンのアリステア・ホワイト(彼らは英国人主体で、トランペッターだかはスコットランド出身と紹介されたっけ? トランペットとトロンボーンのソロがキャリアありそうな風体と裏腹に上手じゃなく、セクション音だけを出せば男を下げずにいられるのにと思った)。ファミリアなヴァイブが横溢しているが、見事に多国籍なメンバー構成なんだな。
今回のショウの売りは、P-ファンク出身の辣腕キーボード奏者であるアンプ・フィドラー(2004年9月25日、2005年7月30日、2012年12月9日、2015年9月27日、2016年11月29日、2017年2月9日、2018年8月11日)がゲストで入るというもの。P-ファンク的なこともやるのかと思ったら、なんとフォドラーはあまりキーボードは弾かず、ショウの1/3にリード・シンガーとして関わる。専任の歌手じゃないのでプロに囲まれると不具合なところもちょいあるが、ぼくは彼の大ファンなのでウッキぃ〜とそれを受け止めた。
途中でヴォーカル陣がさがり、インストで攻めるパートもあり。「オールウェイズ・ゼア」ほか代表曲はほぼやり、フィドラーが加わった部分以外は従来の彼らのショウ。バチバチと強固に重なる打楽器とドラムのデュオ演奏の部分はこの8月のブルーイの別プロジェクトであるシトラス・サンのときと全く同じ。また、最後にブルーイが愛と平和と音楽が地球を救うみたいなよどみのない語りをし、「ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ。ピース! ワン・ラヴ」と言って、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」再演曲を流しながら、面々が退出するのもまた長年続くならわしなり。そろそろ違う構成もアリかと思うが、本当にブルーイはそれが似合う慈愛の御仁だからなあ。バンドの散った属性も、“ワン・ネーション・アンダー・ア・グルーヴ”であり“ワン・ラヴ”の率直な表れと理解したほうが自然だろう。ブルーイの奥さんは日本人(なはず)だが、彼のインコグニートに日本人歌手や奏者がメンバーとして加入する日は来るだろうか?
▶過去の、インコグニート/ブルーイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20060903
http://43142.diarynote.jp/201104041101072561/
http://43142.diarynote.jp/201306190743528192/
http://43142.diarynote.jp/201507110856518338/
https://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
https://43142.diarynote.jp/201808120917002515/
▶︎過去の、アンプ・フィドラー
http://43142.diarynote.jp/200409280745560000/
http://43142.diarynote.jp/200508060616450000/
http://43142.diarynote.jp/201212140959573710/
http://43142.diarynote.jp/?day=20161129
https://43142.diarynote.jp/201702100924466798/
<2年前の、アンプ・フィドラー>
以下の質疑は、彼が2016年11月下旬にジョージ・クリントンのパーラメント/ファンカデリック公演に同行した際、CDジャーナルの記事用に取ったものである。
—新作『モーター・シティ・ブーツィ』を出しましたね。
「特別こうしようということはなかった。録音は結構していたんだけど、実は2012年に姉が亡くなり、その前に2006年に母が、2009年に息子が亡くなってしまい、そんなわけで茫然自失の日々が続いていた。そんなおり、(UKダンス音楽制作チームの)ヤム・フー?と話をして、幾つか曲があるんだけどと言ったら、じゃちょっとエディットをして作ってみようという話になった。最初はJBの曲をやってみて、どんどんファンキーな曲を作っていった」
——ヤム・フー?とはどうして知り合ったのでしょう?
「ヤム・フー?とは、彼が住むロンドンで会った。リミックスをやってもらったのがきっかけで結構大親友になって、それでロンドンに行くことになって実際に会ったんだ。そして、その後一緒に曲を書いたりするようになった」
——データーの交換でやっているんですか。
「うん。ほぼこっちで作ったものを送って、それにドラムを入れてきたり。返してもらったものに、僕がベース・シンセサイザーを入れたりとか、そういうやりとりをしている。あと、自分が一人でやってしまったものもある」
——『モーター・シティ・ブーツィ』。どうして、そういうタイトルにしたんですか。
「あははは。それ、ヤム・フー?のアイデアなんだ。最初は『モーター・シティ・ブーツィ・シェイキン』だった。でも、英国では“シェイキン”はいらない、それなしでも意味は通じるからと言われてそうした。ブーツィという言葉がファンキーだからと、ム・フー?は言っておった」
——デトロイトにずっとお住まいですよね。これを聞くと、やはりデトロイト産と感じます。
「俺もそう思う。本当、“モーター・シティ”のレコードだよね。そこここに、モータウンの精髄があると思っている。実際には、モータウンと関わったことはないけどね」
——いろんなところに行っているでしょうけど、やはり住むのはデトロイトですか?
「いや、アムステルダムも好きなんだよ(笑)。ドラッグとは関係なくね。運河が流れていて、車がそんなに走っておらず、自転車が多くて、花が多い風景もいいしね」
——あら、意外なことを言いますね。では、音楽を離れると、どんなことに興味を持っています?
「あー、でも音楽になってしまうかな。フィットネス、スポーツは好き。それから、ドイツ出身の85歳の人から、ピアノのリストアを教わっている。それは、僕が今新たにやっていることだよね。(携帯電話の写真をいろいろ見せながら)これは全部の弦の張り替えをしているところで、僕の家で撮ったものなんだ。こっちの写真はスタジオだね」
——これの延長で、アコースティック・ピアノのアルバムを作りたいとかはあります?
「イエス! オルガン・トリオの様式をピアノで作ってみたい。実は昨日もブラックバード(2012年5月31日、2016年11月29日、2017年4月8日。やはり、今回同行したギタリスト)とその話をした。でも、アルバムでやるのはもうちょっと練習が必要にはなるな。ハービー・ハンコックは僕の一番好きなピアニストの一人だよなあ。ジャズ・アルバムと言えば、ニコレットという女性シンガーと一緒に作ったりもしている」
——プリンス作(1990年の『Graffiti Bridge』や1992年の『The Love Symbol Album』、2016年作『4Ever』など)にはどういう形で入ったんでしょう。
「最初、ジョージ(・クリントン)に紹介してもらったのさ」
——大昔彼のP-ファンクに入った時は、やりぃみたいな感じでした?
「(両手を挙げて)まさしく、わーいだったねえ。ジョージとは出会って長いよねー」
——あなたはデトロイト・ハウスにも、またJ・ディラとも関わりを持っています。もう滅茶苦茶幅広いですが、自分でもよくやるわと思ったりしません(笑い)?
「ハハ。でも、いろんなことをやってこそが俺のパッションだし、それが好きだからやっている。自分が全ての点でベストであるとは感じていない、だけどいろんな事ができるということで、俺は頂点にいるかもしれない。なんだかんだ、俺をハウスの人と見るやつもいるよね。ま、実際、ハウス・ミュージックも好きなんだよなあ。今度、セオ・パリッシュとのレコードも出るぜ」
——やはり、その広さはデトロイトに住むからこそのものなんでしょうね。
「みんな友達だからねえ。まさに、デトロイト・コネクション」
——かつてリオン・ウェアと日本に来たのも、デトロイト・コネクションですか?
「うん。ブルーノート東京に出たよね。リオンはジョージと同じぐらいの俺のヒーローなんだ。まさに、師匠。そして、今はもう一人師匠がいて、それはのピアノのリストアの先生だね」
——そもそも古いピアノの徹底修繕に興味を持つきっかけは?
「その人もジョージというんだけど、長年俺ん家のピアノの調律をしてくれているんだ。で、最近暇していた時に、リストアをしているのは知っていたので、その様子を見せてくれないかと頼んだ。そしたら、ハマっちゃった。一方では、シンセサイザーも大好きなんだけどねえ。実は兄(エレクトラから1990年にミスター・フィドラー名義で『ウィズ・リスペクト』をフィドラー兄弟は出しているが、その1/2のバブス・フィドラーのことだろう)も今年亡くなってしまい、3年ごとに大切な人に先立たれて、辛い時期だったこともリストアに興味を持った理由かもしれない。ジョージもそんな打ちひしがれている俺を見てツアーを一緒にやらんかいと引っ張り出してくれている。それについては、すごく助かっている。忙しくしたり、曲を書いたりすのるが、心の支えになってしているからね」
——活力に満ち、また快活に見えるあなたですが、そんな悲しいことが裏にあるとは……。
「(笑顔で)このアルバムは兄がなくなる前に完成していたけどネ」
——スライ&ロビーとはどういう経緯で、双頭アルバム(2008年作『Inspiration Information Vo.1』)を作ることになったんですか。
「前の俺のマネージャーの流れで、スライ&ロビーのマネージャーとつながった。スライ&ロビーがアメリカ人と組んでレコードを作りたがっていたのがその端緒。でも、彼らは俺のことは知らなくて、音を聞かせたらこれはいいとなったみたいだな」
——ぼくはあのレコードが好きで、あれを聞くとあなたはスライ・ストーンも好きなんだなと分かります。
「おう。あれはレゲエ版スライ・ストーンみたいな仕上がりだよね。実は俺の親父はトリニダード・ドバゴの出身で、そんなこともあり俺もアイランド・ガイな血が流れているんだ。カリプソやレゲエはずっと聞いてきていて、そういうバンドに入っていたこともあったんだよ。そういう意味では、あの機会は運命だったかなとも思う」
——(イケてる格好をしているので)お洒落は好きですか?
「好き。見て分かるように色使いもヴィヴィッドで、こういうのを“ファンキー・ガイ・スタイル”って言うんだよ。ああ、服は好きだね。子供の頃の話だけど、母はファッション・デザイナーだったんだ。俺は、髪型も変であれと思っているぜ!」
ーーところで、あなたはちゃんと音楽は学んでいるんですよね。
「活躍する多くの人たちほどは習っていない。ピアノを4、5歳から始めているような人のなか、俺が始めたのは高校3年生のときだ。そして、大学に入るとツアー活動を始めてしまったので、実はピアノについて勉強はしていないんだ」
▶︎過去の、デュエイン・ブラックバード・マックナイト
https://43142.diarynote.jp/201612011925201175/
https://43142.diarynote.jp/201206011834355756/
この後、彼はコンテンポラリーな2017年作『Amp Dog Knights』と、デトロイトの広角型ファンク・グループのウィル・セッションズとの連名による2018年作『The One』をリリースしている。