いやあ、久しぶりにモッシュ&ダイブを見たなー。下北沢・ガーデン、満員。毎度それをするアンジェロをはじめ、メンバーも2、3人はダイブ。
現在7人編成、オリジナル・メンバーはアンジェロ・ムーア(歌、テナー・サックス、テルミン)、ノーウッド・フィッシャー(ベース。滅茶、ぐつぐつ言っていた!)、また戻って来ているウォルター・キルビーⅢ(歌、ポケット・トランペット)の3人、前回来日の項(2011年8月8日)でも書いているように、出入りの多かった一時から比すと少し顔ぶれが固定されている感じもあって、今のラインアップはいい感じにあるのではないかな。中盤以降初期の曲が多くなり、うれC。やはり、EP『Crazy Gule』(DC-Jam、2011年)をはじめ、新世紀以後の彼らの曲はの“立ち”という観点では少し残念に感じるところもあるから。また、EPを作る予定もあるようだ。
ともあれ、がちんこで、心意気山ほどの混合ビート表現を送り出す。とにかく、1985年リリースのセルフ・タイトルのミニ・アルバムにヤラれていらい、彼らは、“ぼくのバンド”であり続ける! ただ、管楽器のピッチがそろっていなくて、曲によっては三管のアンサンブルがどういうメロディを吹いているのか不明になる場合も。別に細かいピッチなんかと思うぼくでも、それには少しエーン。ま、これも今に始まった場合ではないが。
<今日の、アンジェロ>
公演前に取材する。ソトコト誌の取材であったため、音楽以外のこともいろいろ。16歳の1人娘との話はなかなか涙ぐましい。フィッシュボーンは静岡県のフェス“頂”にも出演したが、そこで見た渋さ知らズ(2013年5月19日、他)にはおおいに共感したそう。実はソロ活動でやりたいことと渋さはかなり重なるよう。じゃあ、この際一緒になんかを作ってしまうというのはどうか? 彼はオバマをずっと信頼していて、彼が就任してはっきりしたのは(オバマのやりたい事を邪魔する)ホワイト・アメリカのヤバさであるという。そんなアンジェロ(2009年11月25日)はバンドが帰ったあとも、単独で東京に滞在。6月11日の渋谷・Gladで持たれる“SKAHOLIC”というイヴェントにも出るという。あ、それからフィッシュボーンのドキュメンタリー映画「Everyday Sunshine~Story of Fishbone」も作られている。完成は2011年のようだが、この初夏にも本国でもポツリポツリ上映されることになっている。それは、レヴ・アンダーソンとクリス・メツラーという同映画を監督している2人から、話がもたらされたものであるそうな。
現在7人編成、オリジナル・メンバーはアンジェロ・ムーア(歌、テナー・サックス、テルミン)、ノーウッド・フィッシャー(ベース。滅茶、ぐつぐつ言っていた!)、また戻って来ているウォルター・キルビーⅢ(歌、ポケット・トランペット)の3人、前回来日の項(2011年8月8日)でも書いているように、出入りの多かった一時から比すと少し顔ぶれが固定されている感じもあって、今のラインアップはいい感じにあるのではないかな。中盤以降初期の曲が多くなり、うれC。やはり、EP『Crazy Gule』(DC-Jam、2011年)をはじめ、新世紀以後の彼らの曲はの“立ち”という観点では少し残念に感じるところもあるから。また、EPを作る予定もあるようだ。
ともあれ、がちんこで、心意気山ほどの混合ビート表現を送り出す。とにかく、1985年リリースのセルフ・タイトルのミニ・アルバムにヤラれていらい、彼らは、“ぼくのバンド”であり続ける! ただ、管楽器のピッチがそろっていなくて、曲によっては三管のアンサンブルがどういうメロディを吹いているのか不明になる場合も。別に細かいピッチなんかと思うぼくでも、それには少しエーン。ま、これも今に始まった場合ではないが。
<今日の、アンジェロ>
公演前に取材する。ソトコト誌の取材であったため、音楽以外のこともいろいろ。16歳の1人娘との話はなかなか涙ぐましい。フィッシュボーンは静岡県のフェス“頂”にも出演したが、そこで見た渋さ知らズ(2013年5月19日、他)にはおおいに共感したそう。実はソロ活動でやりたいことと渋さはかなり重なるよう。じゃあ、この際一緒になんかを作ってしまうというのはどうか? 彼はオバマをずっと信頼していて、彼が就任してはっきりしたのは(オバマのやりたい事を邪魔する)ホワイト・アメリカのヤバさであるという。そんなアンジェロ(2009年11月25日)はバンドが帰ったあとも、単独で東京に滞在。6月11日の渋谷・Gladで持たれる“SKAHOLIC”というイヴェントにも出るという。あ、それからフィッシュボーンのドキュメンタリー映画「Everyday Sunshine~Story of Fishbone」も作られている。完成は2011年のようだが、この初夏にも本国でもポツリポツリ上映されることになっている。それは、レヴ・アンダーソンとクリス・メツラーという同映画を監督している2人から、話がもたらされたものであるそうな。
ジェイムス・ブレイク。エリマージ
2013年6月4日 音楽 新木場・スタジオコースト。キーボードを弾きながら歌う本人に、ギターや鍵盤担当者とドラム担当者という布陣(ステージに立つ配置も)は昨年の初来日公演(2011年10月12日)と同じ。進め方も基本、同様。それについては、アタマのほう、少しがっかりしたところもあった。才気あふれまくる人、同傾向とはいえ間に新作リリースを挟んでいるわけだし、なんか異なるお膳立てのもと(ステージに出てくる陣容を変えるだけでも、印象は大きく変わる)、自分の世界を開くのもアリだと思えたから。だけど、まったくもって、そのパフォーマンスは訴求力と示唆する力に富み、ぼくはすぐにひきつけられ、頷きまくった。
聞き手の琴線に入り込む力を持つメロディアス美曲のもと、機械仕掛け現代サウンドと電化エフェクトがほどこされたヴァーカルが絡み合うサイバー・ソウル表現が90分送り出された。ああ、なんてメロウで、不思議な光彩や広がりや蠢きの感覚を持つのか。サウンドは前に見たときよりもっと立派、質感が太くなり(ときに、ぼくはビュークのそれを思い出した)、ヴォーカルもより堂々、神々しさと言うと大げさになるけど、より悠然とした感覚を帯びる。そして、おお俺は最良の現代ソウル〜ゴスペルを聞いているという多大な達成感を得てしまう。
満場の観客は息を飲むように、彼の一挙一動に集中。その様に、当人も日本はやっぱいいナと感じたのではないか。MCの声はかなり太い声質を持つが、そのうち生声で歌う、ピアノ弾き語りアルバムを聞いてみたい。本来、それが成り立つ才を持ちつつ、それに飽き足らず、電化サウンド/効果をまとった人間的機微や息遣いを持つ表出進行形表現を求める……その姿勢を最大限に評価しつつも。昨日、ときどき行く渋谷の飲み屋に彼が来店したようだが、背がとても高い人なので、横に座っていたら奇妙な感じを受けるのかな。
その後は、丸の内・コットンクラブで、新進ジャズ・ドラマーのジャマイア・ウィリアムズが中心となる、NYの複合的現代ジャズ・マンが集まったカルテットを見る。
ドラムやヴォーカル(2曲)を担当するジャマイア・ウィリアムズ(2013年4月1日、他)、エスペランサ・スポルディング(2012年9月9日、他)やクリスチャン・スコット(2011年12月17日、他)の新作に参加してもいるトロンボーンや電気ピアノや歌(1曲)を担当するコーリー・キング(2013年2月15日)、ベン・ウィリアムズ(2013年5月21日、他)やクリスチャン・スコットやザ・ネクスト・コレクティヴのアルバムに参加している白人ギタリストのマシュー・スティーヴンス(2009年1月31日)、電気ベースをぐつぐつとサム・ピック多用で弾くヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日、2009年4月13日、2010年7月24日)、という陣容。いや、それぞれに妙味を持つ奏者たちであり、それがある種の窓を見据えて音を出し合う様にゃほのかな発汗を覚える。面々、イケてたナ。
根暗なムードとエッジを併せ持つ楽曲を活きたビートにのせ、ソロをのせる。約3分の1で採用されていたヴォーカルはテーマ部を担うような感じで歌われるが、詠唱的なそれはR&B的と言うよりはロック的。もっと踏み込んで言えば、サウンドののりと相まって、レディオヘッド(2008年10月4日、他)愛好の痕をどこかに感じさせる。本当に、NY在住の30絡みジャズ・ミュージシャンにレイディオヘッドは人気だな。なんにせよ、あのブレイクの圧巻のショウの後、またぐぐいと引きつける実演をやっていたのだから、ウイリアムズたちは立派と言うしかない。ベン・ウィリアムズとのリズム・セクションのコンビで何度も来日している(ジェイソン・モランとか渡辺貞夫とか。昨年のジャワ・ジャズのパット・メセニー・トリオのリズム隊もこの2人が担った)ジャマイア・ウィリアムズだが、さすが高校時代に1年先輩のケンドリック・スコットをビビらせただけある(2013年2月2日、参照)ナと思わせられました。この後、彼らは豪州ツアーに入るよう。
<今日の、青色>
午後4ぐらいから外にでていたのだが、日暮れに向かい、サッカーの日本代表のユニホームを見た人がどんどん目につくようになる。W杯予選のヤマとなる対オーストラリア戦の日。ま、気にならなくはないが、平常心。でも、知人の試合報告メールはツカえた。
聞き手の琴線に入り込む力を持つメロディアス美曲のもと、機械仕掛け現代サウンドと電化エフェクトがほどこされたヴァーカルが絡み合うサイバー・ソウル表現が90分送り出された。ああ、なんてメロウで、不思議な光彩や広がりや蠢きの感覚を持つのか。サウンドは前に見たときよりもっと立派、質感が太くなり(ときに、ぼくはビュークのそれを思い出した)、ヴォーカルもより堂々、神々しさと言うと大げさになるけど、より悠然とした感覚を帯びる。そして、おお俺は最良の現代ソウル〜ゴスペルを聞いているという多大な達成感を得てしまう。
満場の観客は息を飲むように、彼の一挙一動に集中。その様に、当人も日本はやっぱいいナと感じたのではないか。MCの声はかなり太い声質を持つが、そのうち生声で歌う、ピアノ弾き語りアルバムを聞いてみたい。本来、それが成り立つ才を持ちつつ、それに飽き足らず、電化サウンド/効果をまとった人間的機微や息遣いを持つ表出進行形表現を求める……その姿勢を最大限に評価しつつも。昨日、ときどき行く渋谷の飲み屋に彼が来店したようだが、背がとても高い人なので、横に座っていたら奇妙な感じを受けるのかな。
その後は、丸の内・コットンクラブで、新進ジャズ・ドラマーのジャマイア・ウィリアムズが中心となる、NYの複合的現代ジャズ・マンが集まったカルテットを見る。
ドラムやヴォーカル(2曲)を担当するジャマイア・ウィリアムズ(2013年4月1日、他)、エスペランサ・スポルディング(2012年9月9日、他)やクリスチャン・スコット(2011年12月17日、他)の新作に参加してもいるトロンボーンや電気ピアノや歌(1曲)を担当するコーリー・キング(2013年2月15日)、ベン・ウィリアムズ(2013年5月21日、他)やクリスチャン・スコットやザ・ネクスト・コレクティヴのアルバムに参加している白人ギタリストのマシュー・スティーヴンス(2009年1月31日)、電気ベースをぐつぐつとサム・ピック多用で弾くヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日、2009年4月13日、2010年7月24日)、という陣容。いや、それぞれに妙味を持つ奏者たちであり、それがある種の窓を見据えて音を出し合う様にゃほのかな発汗を覚える。面々、イケてたナ。
根暗なムードとエッジを併せ持つ楽曲を活きたビートにのせ、ソロをのせる。約3分の1で採用されていたヴォーカルはテーマ部を担うような感じで歌われるが、詠唱的なそれはR&B的と言うよりはロック的。もっと踏み込んで言えば、サウンドののりと相まって、レディオヘッド(2008年10月4日、他)愛好の痕をどこかに感じさせる。本当に、NY在住の30絡みジャズ・ミュージシャンにレイディオヘッドは人気だな。なんにせよ、あのブレイクの圧巻のショウの後、またぐぐいと引きつける実演をやっていたのだから、ウイリアムズたちは立派と言うしかない。ベン・ウィリアムズとのリズム・セクションのコンビで何度も来日している(ジェイソン・モランとか渡辺貞夫とか。昨年のジャワ・ジャズのパット・メセニー・トリオのリズム隊もこの2人が担った)ジャマイア・ウィリアムズだが、さすが高校時代に1年先輩のケンドリック・スコットをビビらせただけある(2013年2月2日、参照)ナと思わせられました。この後、彼らは豪州ツアーに入るよう。
<今日の、青色>
午後4ぐらいから外にでていたのだが、日暮れに向かい、サッカーの日本代表のユニホームを見た人がどんどん目につくようになる。W杯予選のヤマとなる対オーストラリア戦の日。ま、気にならなくはないが、平常心。でも、知人の試合報告メールはツカえた。
同じ時間から始まる公演をはしご。どっちか集中して見ればいいちゃん。そう感じる人もいるに違いない。だよね。でも、ハンパになろうとも両方、チェックしておきたかった。ともに、1時間ぐらい見た。
まず、渋谷wwwで、埼玉県の二管を擁するファンク・インスト・バンドを見る。近年はサックス奏者とベース奏者が固定できなかったようだが、今回のライヴからきっちりメンバー6人になったのだとか。なんかバンドで行こうみたいな心意気の強そうなバンドだけに、片肺編成の時は辛かったのかな?
途中で、1970年初頭に活動をしたザ・ブラックバーズ(クラブ系リスナーからの支持は高いようだが、ぼくのなかでは甘めなフュージョン・グループで、あまり好みではない)の曲をやるが、それはアフロ・ビートっぽい感じを増していて本家よりいい感じ。また、管の2人が下がって、4人でやったところは、なぜかブッカー・T&ザ・MGズ(2008年11月24日)みたいだなと少し思えた。なんでも、彼らは休憩なしで2時間半やったらしい。
代官山・晴れたら空に豆まいて では、アルゼンチンと日本の感覚派のお手合わせ。前回のカブサッキ×七尾のさしのギグ(2011年4月16日)のノリに、カブサッキとは旧知の勝井祐二(2013年2月11日、他)が加わるという感じのパフォーマンス。七尾はもう一つメロディ楽器が入るぶん、ギターを持たず肉声のみで行く時間が増えていたか。やはり、あの持ち味、すごいナ。前回のギグの面白さ/凄さや勝井の異化&美化作用能力を知っている身としては、今回は仰天(前回は、それに近い感じあり)という感じではなかったが、でもほほうと楽しめた。やっぱ、<物事の正解は一つじゃない>的な何かがあふれる実演はうれしいよな。
しかし、前回のカブサッキ×七尾のそれは震災後1ケ月ちょいのときあったんだよな。あのときの、暗い心持ちを思い出す。過去の傷にしちゃいけないんだよなー。
<今日の、ナミダ>
光通信のTVチャンネル受像機につないでいた録画ハード・ディスクが2ヶ月もしないで壊れる。アイ・オー・データ社製。意外に録画モノを見ていたことに気付き、すこし唖然。ちっ。初期化できねえ。
まず、渋谷wwwで、埼玉県の二管を擁するファンク・インスト・バンドを見る。近年はサックス奏者とベース奏者が固定できなかったようだが、今回のライヴからきっちりメンバー6人になったのだとか。なんかバンドで行こうみたいな心意気の強そうなバンドだけに、片肺編成の時は辛かったのかな?
途中で、1970年初頭に活動をしたザ・ブラックバーズ(クラブ系リスナーからの支持は高いようだが、ぼくのなかでは甘めなフュージョン・グループで、あまり好みではない)の曲をやるが、それはアフロ・ビートっぽい感じを増していて本家よりいい感じ。また、管の2人が下がって、4人でやったところは、なぜかブッカー・T&ザ・MGズ(2008年11月24日)みたいだなと少し思えた。なんでも、彼らは休憩なしで2時間半やったらしい。
代官山・晴れたら空に豆まいて では、アルゼンチンと日本の感覚派のお手合わせ。前回のカブサッキ×七尾のさしのギグ(2011年4月16日)のノリに、カブサッキとは旧知の勝井祐二(2013年2月11日、他)が加わるという感じのパフォーマンス。七尾はもう一つメロディ楽器が入るぶん、ギターを持たず肉声のみで行く時間が増えていたか。やはり、あの持ち味、すごいナ。前回のギグの面白さ/凄さや勝井の異化&美化作用能力を知っている身としては、今回は仰天(前回は、それに近い感じあり)という感じではなかったが、でもほほうと楽しめた。やっぱ、<物事の正解は一つじゃない>的な何かがあふれる実演はうれしいよな。
しかし、前回のカブサッキ×七尾のそれは震災後1ケ月ちょいのときあったんだよな。あのときの、暗い心持ちを思い出す。過去の傷にしちゃいけないんだよなー。
<今日の、ナミダ>
光通信のTVチャンネル受像機につないでいた録画ハード・ディスクが2ヶ月もしないで壊れる。アイ・オー・データ社製。意外に録画モノを見ていたことに気付き、すこし唖然。ちっ。初期化できねえ。
ルイス・ナッシュ・トリオ
2013年6月11日 音楽 ルイス・ナッシュ(ドラム)をリーダーに、リニー・ロスネス(ピアノ)とピーター・ワシントン(ドラム)からなる、トリオの公演。この3人はちょうどこの時期に全国各所で持たれた富士通コンコード・ジャズ・フェスティヴァルのハウス・バンドを務めたらしい。丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。
1曲目、ナッシュのドラム・ソロ。おお、ど頭からかいっ。終わった後、「フリーダム・ジャズ・ダンス」だか、有名曲の名前を出したっけ。それは、ついぞ分らなかったなー。2曲目から3人によるパフォーマンスで、筆運びの奇麗な純ジャズ演奏をとんとんとんとんっと披露していく。レギュラー・グリップで丹精に叩くナッシュの演奏を聞くと、ジャズのグルーヴとR&Bのグルーヴはかなり別だなと思わせられる。かつて女流俊英奏者として鳴らしたこともあったロスネスは多少押さえて弾いていたのかな。時々、フレイズの尻尾が奇麗だった。
<今日の、傘>
雨天、でした。今年は、6月になる前に梅雨入りしたんだっけ? そんなに雨の日が続いている印象はまだないが、湿度の高さはけっこう感じる。それで、1ヶ月半後の真夏の様に思いは飛び、もうぼくは少し暗くなっている。ところで、今日のハコみたいな会場の場合はちゃんと鍵付きの傘置きがあるからいいけど、スタンディング系音楽会場の場合は場内に持って入らずに、デカいバケツに傘を入れろとか乱暴に言われる場合もあり。それ、抵抗感を覚える。別に立派な傘を持っていかなくても。ちなみに、今日持っていた傘は紫色でアルミ取っ手のそれ。誰かが家に来た時、忘れていったものだな。
1曲目、ナッシュのドラム・ソロ。おお、ど頭からかいっ。終わった後、「フリーダム・ジャズ・ダンス」だか、有名曲の名前を出したっけ。それは、ついぞ分らなかったなー。2曲目から3人によるパフォーマンスで、筆運びの奇麗な純ジャズ演奏をとんとんとんとんっと披露していく。レギュラー・グリップで丹精に叩くナッシュの演奏を聞くと、ジャズのグルーヴとR&Bのグルーヴはかなり別だなと思わせられる。かつて女流俊英奏者として鳴らしたこともあったロスネスは多少押さえて弾いていたのかな。時々、フレイズの尻尾が奇麗だった。
<今日の、傘>
雨天、でした。今年は、6月になる前に梅雨入りしたんだっけ? そんなに雨の日が続いている印象はまだないが、湿度の高さはけっこう感じる。それで、1ヶ月半後の真夏の様に思いは飛び、もうぼくは少し暗くなっている。ところで、今日のハコみたいな会場の場合はちゃんと鍵付きの傘置きがあるからいいけど、スタンディング系音楽会場の場合は場内に持って入らずに、デカいバケツに傘を入れろとか乱暴に言われる場合もあり。それ、抵抗感を覚える。別に立派な傘を持っていかなくても。ちなみに、今日持っていた傘は紫色でアルミ取っ手のそれ。誰かが家に来た時、忘れていったものだな。
ザ・D.O.T.。チキンシャック
2013年6月13日 音楽 まず、恵比寿・リキッドルームで、UK2人組ユニットのザ・D.O.T.を見る。ザ・ミュージック(2008年5月1日)のフロント・マンのロブ・ハーヴェイがリード・ヴォーカルを取り(ギターを聞きながら歌う曲もあり)、ザ・ストリーツという個人ユニットをやりケヴィン・デヴァイン(2009年2月16日)他のプロデュースをしていたりもするマイク・スキナーが電気音の音出しをする。たまにバックグランド・ヴォーカルを取る彼は1曲リードも取った。全面的にエレクトロ音が採用された、どこかじめっとしたUKポップ。サウンドの音があまりクリアーでないのはわざとなのだろうか。それには、ぼくは興をそがれた。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、1980年代下半期に鋭意活動していたソウル味フュージョン・バンドであるチキンシャックの再結成公演を見る。ギターの山岸潤史(2012年9月8日、他)、アルトやソプラノ・サックスの土岐英史(2009年5月30日、他)、キーボードの続木徹のオリジナル・メンバーに、再結成作でも多くの曲に参加していたベースのウォーネル・ジョーンズとドラムの鶴谷智生(2008年9月11日、他)という編成でパフォーマンス。ジョニー・ギター・ワトソンに捧げた土岐曲で山岸はギンギンにイケてるソロを取るとともに、ワトソンの変則的なギターの肩掛けで弾いてみせる。それが、ぼくにとってのこの日の演奏のハイライト。
<今日の、ウォーネルさん>
実は、今回のチキンシャック公演は、ベーシストのウォーネル・ジョーンズがまず一番のぼくの目当てであったか。彼は黒人ながら、長年ニルス・ロフグレン(1970年代中期からコンスタントにリーダー作を出している、シカゴ生まれのロッカー。ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』や『トゥナイト・ザ・ナイト』、ブルース・スプリングスティーンの1980年代下半期のアルバムに関与していたりも)のバンドに入っていて、その10枚ほどのアルバムに名前が見られる人。そのロフグレン・バンドには一時、リオン・ラッセル(2005年11月24日)の黄金期(3枚組『リオン・ライヴ』のころ)を支えたピアニストのパトリック・ヘンダーソン牧師も入っていた(彼の1996年のリーダー作はゴスペル・アルバム)。そして、ウォーネル・ジョーンズも、リオン・ラッセルとは親交があったはず。そんな彼が現在東京に住んでいてサポートでベースを弾いているのは知っていたが、やっとその勇士を見れてうれC。彼は5弦の電気ベースをぐいぐい弾き(スラッピングもする)、ときに歌ってくれた。歌はあまりうまくなかったが、その様にもグっと来たワタシ。スリムな体形の彼は現役感にあふれており、それもぼくにはうれしかった。ワシントン・ゴー・ゴー曲(チャック・ブラウン〜2010年3月18日〜の「バスティン・ルーズ」?)もうれしそうにやったが、彼ってD.C.出身なのか。その際、わざとかもしれないが、ドラムのリズムがぜんぜんゴー・ゴーじゃないのがとっても悲しかった。深夜帰宅後、ニルス・ログフレンの1977年2枚組ライヴ盤を聞こうとしたが、見つからず(2分ほどで断念)。1976年作『クライ・タフ』を聞く。それが、ロフグレンで一番有名なアルバムだが、アル・クーパー(2007年12月10日)のプロデュースであったのか。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、1980年代下半期に鋭意活動していたソウル味フュージョン・バンドであるチキンシャックの再結成公演を見る。ギターの山岸潤史(2012年9月8日、他)、アルトやソプラノ・サックスの土岐英史(2009年5月30日、他)、キーボードの続木徹のオリジナル・メンバーに、再結成作でも多くの曲に参加していたベースのウォーネル・ジョーンズとドラムの鶴谷智生(2008年9月11日、他)という編成でパフォーマンス。ジョニー・ギター・ワトソンに捧げた土岐曲で山岸はギンギンにイケてるソロを取るとともに、ワトソンの変則的なギターの肩掛けで弾いてみせる。それが、ぼくにとってのこの日の演奏のハイライト。
<今日の、ウォーネルさん>
実は、今回のチキンシャック公演は、ベーシストのウォーネル・ジョーンズがまず一番のぼくの目当てであったか。彼は黒人ながら、長年ニルス・ロフグレン(1970年代中期からコンスタントにリーダー作を出している、シカゴ生まれのロッカー。ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』や『トゥナイト・ザ・ナイト』、ブルース・スプリングスティーンの1980年代下半期のアルバムに関与していたりも)のバンドに入っていて、その10枚ほどのアルバムに名前が見られる人。そのロフグレン・バンドには一時、リオン・ラッセル(2005年11月24日)の黄金期(3枚組『リオン・ライヴ』のころ)を支えたピアニストのパトリック・ヘンダーソン牧師も入っていた(彼の1996年のリーダー作はゴスペル・アルバム)。そして、ウォーネル・ジョーンズも、リオン・ラッセルとは親交があったはず。そんな彼が現在東京に住んでいてサポートでベースを弾いているのは知っていたが、やっとその勇士を見れてうれC。彼は5弦の電気ベースをぐいぐい弾き(スラッピングもする)、ときに歌ってくれた。歌はあまりうまくなかったが、その様にもグっと来たワタシ。スリムな体形の彼は現役感にあふれており、それもぼくにはうれしかった。ワシントン・ゴー・ゴー曲(チャック・ブラウン〜2010年3月18日〜の「バスティン・ルーズ」?)もうれしそうにやったが、彼ってD.C.出身なのか。その際、わざとかもしれないが、ドラムのリズムがぜんぜんゴー・ゴーじゃないのがとっても悲しかった。深夜帰宅後、ニルス・ログフレンの1977年2枚組ライヴ盤を聞こうとしたが、見つからず(2分ほどで断念)。1976年作『クライ・タフ』を聞く。それが、ロフグレンで一番有名なアルバムだが、アル・クーパー(2007年12月10日)のプロデュースであったのか。
インコグニート(2011年3月31日、他)を率いるギタリストであるジャン・ポール“ブルーイ“モーニックのソロ名義の出し物、南青山・ブルーノート東京/ファースト・ショウ。今年出た彼が歌ってもいる自己名義作収録曲披露と、今年2月に亡くなったジャズ/フュージョン・トランペッターのドナルド・バードへのトリビュートを名目におくもの。前者だけにするには、歌の自信がなかったのかな?
まず、一人で出て来て自己作新曲をギター弾き語り。訥々とした歌は、アルバムよりうまく聞こえるかも。その後は、キーボード、ギター、ベース、ドラム、打楽器、バックグラウンド歌手が出てきて、バンドでパフォーマンス。演奏者の多くは近年のインコグニート関与者であり、ブルーイ制作関与のマリオ・ビオンディの新作参加者とも重なりますね。それにしても、ギター奏者を別に連れてくるとはびっくり。ブルーイは元々目立つ演奏をする人出はないが、ソロなど表に出るギター演奏は過去ヘイミッシュ・スチュアート(2006年3月8日)やテリー・キャリア(2007年3月8日、他)の来日公演に同行しているUK大御所フュージョン・ギタリストのジム・マレンにまかせていた。また、シンガーは元ガリアーノで、トゥ・バンクス・オブ・フォーのヴェレリー・エティエンヌ(2004年1月16日、2008年5月9日)。これは、うれしい。2曲目、ブルーイはギターをおいてシンガーに専念した。
5曲目ぐらいからやはりインコグニートのレコーディングに参加するとともに、英国ロック/ポップ作にもいろいろ入っているトランペッターのドミニク・グローヴァーが加わり、ドナルド・バード曲(とくに、1975年作『プレイシス・アンド・スペイシス』の曲を連発したのかな)を次々に繰り出す。こちらのほうは、エティエンヌをフィーチャーする曲も。奏者たち腕がたち、かなりいい感じのバンド音を出す。シンガーや管奏者が少ないこともあり、インコグニートととの違いもちゃんと出していた。
<今日の、認知>
ここのところ、最寄り駅の改札口横にある売店がいつも閉まっていた。そしたら、<営業時間6時30分〜11時>という掲示がされているのを、今日知った。わーいつのまにか、すごい変則的な営業時間になっている。朝に職場や学校へ向かう人は何かと使ったりもするが、午後の駅利用者はあまり売店を使わないのか。なんか、田舎の駅みたいだなー。しかし、そういう割り切った指針の取り方、ぼくは嫌いじゃないかも。駅直通のビルにコンビニがここ2年ほどでできたのは、それに関係しているか。
まず、一人で出て来て自己作新曲をギター弾き語り。訥々とした歌は、アルバムよりうまく聞こえるかも。その後は、キーボード、ギター、ベース、ドラム、打楽器、バックグラウンド歌手が出てきて、バンドでパフォーマンス。演奏者の多くは近年のインコグニート関与者であり、ブルーイ制作関与のマリオ・ビオンディの新作参加者とも重なりますね。それにしても、ギター奏者を別に連れてくるとはびっくり。ブルーイは元々目立つ演奏をする人出はないが、ソロなど表に出るギター演奏は過去ヘイミッシュ・スチュアート(2006年3月8日)やテリー・キャリア(2007年3月8日、他)の来日公演に同行しているUK大御所フュージョン・ギタリストのジム・マレンにまかせていた。また、シンガーは元ガリアーノで、トゥ・バンクス・オブ・フォーのヴェレリー・エティエンヌ(2004年1月16日、2008年5月9日)。これは、うれしい。2曲目、ブルーイはギターをおいてシンガーに専念した。
5曲目ぐらいからやはりインコグニートのレコーディングに参加するとともに、英国ロック/ポップ作にもいろいろ入っているトランペッターのドミニク・グローヴァーが加わり、ドナルド・バード曲(とくに、1975年作『プレイシス・アンド・スペイシス』の曲を連発したのかな)を次々に繰り出す。こちらのほうは、エティエンヌをフィーチャーする曲も。奏者たち腕がたち、かなりいい感じのバンド音を出す。シンガーや管奏者が少ないこともあり、インコグニートととの違いもちゃんと出していた。
<今日の、認知>
ここのところ、最寄り駅の改札口横にある売店がいつも閉まっていた。そしたら、<営業時間6時30分〜11時>という掲示がされているのを、今日知った。わーいつのまにか、すごい変則的な営業時間になっている。朝に職場や学校へ向かう人は何かと使ったりもするが、午後の駅利用者はあまり売店を使わないのか。なんか、田舎の駅みたいだなー。しかし、そういう割り切った指針の取り方、ぼくは嫌いじゃないかも。駅直通のビルにコンビニがここ2年ほどでできたのは、それに関係しているか。
渋谷・クラブクアトロで、スコットランドのトラッド・ビヨンドの3人組であるラウー(2010年12月11日、他)を見る。
いや、なかなか新鮮にして、驚いた。前回見たときもほめてはいるが、受けた感興はけっこう違う。乱暴に言えば、今回のほうがずっとずっとコンテンポラリー。ケルト系トラッドを特徴づける反復系フレーズの繰り返しがでてきたのは最後のほうの3曲のみで、あとはフィドル、ギター、アコーディオンというトラッド表現と繋がる楽器で、スケールの大きな、ぜんぜん痒くないランドスケープ的表現を紡いで行くという感じであったもの。そうでありつつ、どこかで過去の手作り表現と太いパイプを持つことも察させるのだから、これは深くうなづかずにはいられない。みんな足元にエフェクター類を置き、アコーディオン奏者はアコーディオンの中央に小さな電気鍵盤をさらに貼付けていたりもしていた。時に入る澄んだヴォーカルも効果的、ぼくが生で触れた中で一番プログレッシヴなUK/アイルランドのトラッド系グループと言えるのか。なーんてことも、ぼくは彼らを見ながら思った。キーラ(2006年9月24日、他)も革新派だが、位相をさくっと変えちゃうような鮮やかさは、若いラウーのほうが上だろう。タブラでユザーンが加わった曲もあった。
<今日の、プラットホーム>
インタヴューの場に向かうために駅に入ったら、昼間なのに、回送の電車が通り過ぎる。車両の側面ディスプレイには<回送>とともに、<not in service>とも表示されている。なるほど、英語ではそうなるのか。回送という言葉が日本独自の言い回し単語であるのを認知する。我々は、回送という言葉にとってもしっくり来るものな。そういえば、元の英語にならうなら、プラットホームはプラットフォームと表記すべきなんだよな。
いや、なかなか新鮮にして、驚いた。前回見たときもほめてはいるが、受けた感興はけっこう違う。乱暴に言えば、今回のほうがずっとずっとコンテンポラリー。ケルト系トラッドを特徴づける反復系フレーズの繰り返しがでてきたのは最後のほうの3曲のみで、あとはフィドル、ギター、アコーディオンというトラッド表現と繋がる楽器で、スケールの大きな、ぜんぜん痒くないランドスケープ的表現を紡いで行くという感じであったもの。そうでありつつ、どこかで過去の手作り表現と太いパイプを持つことも察させるのだから、これは深くうなづかずにはいられない。みんな足元にエフェクター類を置き、アコーディオン奏者はアコーディオンの中央に小さな電気鍵盤をさらに貼付けていたりもしていた。時に入る澄んだヴォーカルも効果的、ぼくが生で触れた中で一番プログレッシヴなUK/アイルランドのトラッド系グループと言えるのか。なーんてことも、ぼくは彼らを見ながら思った。キーラ(2006年9月24日、他)も革新派だが、位相をさくっと変えちゃうような鮮やかさは、若いラウーのほうが上だろう。タブラでユザーンが加わった曲もあった。
<今日の、プラットホーム>
インタヴューの場に向かうために駅に入ったら、昼間なのに、回送の電車が通り過ぎる。車両の側面ディスプレイには<回送>とともに、<not in service>とも表示されている。なるほど、英語ではそうなるのか。回送という言葉が日本独自の言い回し単語であるのを認知する。我々は、回送という言葉にとってもしっくり来るものな。そういえば、元の英語にならうなら、プラットホームはプラットフォームと表記すべきなんだよな。
英国の愛すべき変わり者ミュージシャンがサム・リー。現在33歳の彼は大学では美術を学んだものの、音楽の経験はなし。であるのに、彼は20代半ばにしてトラヴェラーズと呼ばれるブリティッシュ・ジプシー(という言い方もリーはしていた)がコミュニティ内で歌い継いでいる歌に感動し、その移動コミューン内に入り伝承歌(それは無伴奏によるもののよう)やそれを支える考え方や生活様式を学んだ末に、自分の響くフォーキー・ミュージックとして送り出し直している。青山・CAY。
口琴やインド式ハーモニウムも扱う時に扱うシンガーのリーに加え、トランペットやコルネット奏者、琴やウクレレ奏者、チェロ奏者(女性)の3人がサポートでつく。普段、一緒にやっている人たちであるようだ。アルバム以上に生だともっと隙間があり、よりナュラル。謙虚(それは、めっぽうナイス・ガイさも導く)という形容もそれは導き、ひいては彼のトレヴェラーズ文化に対する真面目な思慕も、なんの知識もない者にも感じさせるだろう。原典を素直に開きつつ、リーの好奇心や個性がそこには無理なく張り込み、瑞々しい素朴歌唱表現として結晶していた。タブラなどで、ASA-CHANGが無理なく加わった曲もあり。
<今日の記憶>
トラヴェラーズと呼ばれる移動する人々が英国に存在するという事実を、ぼくがおぼろげに認知したのは1990年代初頭のこと。当時、日本のポニーキャニオンがレヴェラーズという英国バンドのアルバムを何枚も出し、彼らはトラヴェラーズの大人気バンドというような紹介のされ方もされたのだった。プロテスト意識も高いビート・バンド〜フォーキー・バンド(トラッドぽい要素も入る)という感じの音楽性を持っていた彼らはオリジナルをやっており、その音楽性から、ぼくはヒッピー憧憬を持ちつつ自由を求める若い世代たちによるムーヴメントというように、それを了解をしていた。当時、ザ・ポーグス(2005年7月29日)と似ているという声もあったと記憶するし、マヌ・チャオ(2010年10月4日、他)がソロになったときにはスペイン語圏のレヴェラーズという形容もできるかと、ぼくはほんの少し思ったこともあった。だが、サム・リーの音楽や情報にふれるにつけ、トラヴェラーズはすごい歴史を重ねて来ているもので、ぼくが想像していたものとは違うのだろうなという気になった。それとも、英国のジプシーにもいろいろあって、一緒くたにトラヴェラーズと括られているのだろうか。なお、レヴェラーズは今も元気に活動しているようで、けっこうコンスタントにアルバムをリリースし続けている。
口琴やインド式ハーモニウムも扱う時に扱うシンガーのリーに加え、トランペットやコルネット奏者、琴やウクレレ奏者、チェロ奏者(女性)の3人がサポートでつく。普段、一緒にやっている人たちであるようだ。アルバム以上に生だともっと隙間があり、よりナュラル。謙虚(それは、めっぽうナイス・ガイさも導く)という形容もそれは導き、ひいては彼のトレヴェラーズ文化に対する真面目な思慕も、なんの知識もない者にも感じさせるだろう。原典を素直に開きつつ、リーの好奇心や個性がそこには無理なく張り込み、瑞々しい素朴歌唱表現として結晶していた。タブラなどで、ASA-CHANGが無理なく加わった曲もあり。
<今日の記憶>
トラヴェラーズと呼ばれる移動する人々が英国に存在するという事実を、ぼくがおぼろげに認知したのは1990年代初頭のこと。当時、日本のポニーキャニオンがレヴェラーズという英国バンドのアルバムを何枚も出し、彼らはトラヴェラーズの大人気バンドというような紹介のされ方もされたのだった。プロテスト意識も高いビート・バンド〜フォーキー・バンド(トラッドぽい要素も入る)という感じの音楽性を持っていた彼らはオリジナルをやっており、その音楽性から、ぼくはヒッピー憧憬を持ちつつ自由を求める若い世代たちによるムーヴメントというように、それを了解をしていた。当時、ザ・ポーグス(2005年7月29日)と似ているという声もあったと記憶するし、マヌ・チャオ(2010年10月4日、他)がソロになったときにはスペイン語圏のレヴェラーズという形容もできるかと、ぼくはほんの少し思ったこともあった。だが、サム・リーの音楽や情報にふれるにつけ、トラヴェラーズはすごい歴史を重ねて来ているもので、ぼくが想像していたものとは違うのだろうなという気になった。それとも、英国のジプシーにもいろいろあって、一緒くたにトラヴェラーズと括られているのだろうか。なお、レヴェラーズは今も元気に活動しているようで、けっこうコンスタントにアルバムをリリースし続けている。
ローラ・ムヴーラ。アーヴァント
2013年6月21日 音楽 まず、今年最大級の新人〜<ニーナ・シモン・ミーツ・ザ・ビーチ・ボーイズ>という説明をしている人もいますね〜という言い方もそんなに嘘にならない、輝ける英国人ニュー・カマーを六本木・ビルボードライブ東京で見る(ファースト・ショウ)。いろんなラガ表現を送り出した(その出世頭がUB40)ことでも知られるバーミンガム出身だそうで、ジャマイカ系なのかな。外見はアンジェリーク・キジョー(2007年12月12日、他)とリズ・ライト(2003年9月17日)を合わせた感じで、それだけで受け手に何かを与えるか。なお、Mvulaというファミリー・ネームを日本のレコード会社は、マヴーラと表記。本人の自己紹介時の発音や綴りから、ここではムヴーラと書いておく。
その我が道を行く姿勢は、バンドの編成にもあらわれている。電気ピアノを弾きながら歌う本人(中央に出て来て、立って歌う場合も多い)に加えて、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス(電気べースを弾く場合も)、ハープ、ドラム/グロッケンシュピールという編成であるのだから。そのチェンバー・ポップ的編成だけでも、意思を持つポップ・ミュージョックの担い手と大きく頷かされるではないか。なお、同行したヴァイオリン奏者は妹、チェロ奏者は弟だそう。
しなやか伸びやかに、私のメロディをきめ細やかに、創造性豊かに凛と開いて行く。枠に捕われずに自分の色を出そうとする意思や才はきっちり溢れ出ていて、おおいに頷く。アルバムでは凝った風情あるコーラスが採用され、それも面白い聞き味をもたらしていたのだが、実演では伴奏陣の多くがコーラスを場面場面でつける。そりゃアルバムのような効果は生まないが、和気あいあいと、自分たちが良しと思える表現を求める様は無条件にマル。なるほど、才人。今後の変化も楽しみだ。
2度目のアンコールはピチカート奏法を取るチェロだけをバックにし、マイケル・ジャクソン曲「ヒューマン・ネイチャー」を披露した。
その後は、南青山・ブルーノート東京で現代R&B歌手のアヴァーントを見る。サポートは男女のコーラスと、鍵盤、鍵盤べース/エレクトリック・ベース、ドラム。彼らと同様に、普段着の主役はおやじが入ったあんちゃん風情の人。Tシャツはネイティヴ・アメリカンの横顔柄のやつ。彼、そっちの方の血が入っているの? ともあれ、素のオーラのようなものはあまりなく、歌の実力で業界を渡ってきたことが了解できるか。実際、ちょい歌っただけで、甲高い歌の声質がいいっ、うまいっとすぐにこっくりできちゃう。それについては非の打ち所なく、本当に感心。ヒップホップ調ビート曲とラガ調ビート曲もやったのは、今時の歌手っぽさの発露であったのか。でも、彼には伝統的というか、正統的と思わせる筋の良さがあって、いい感じあり過ぎであったのだ。
そのアヴァーントも、マイケル・ジャクソン曲「ヒューマン・ネイチャー」を披露。アフリカから散った才の英国と米国の今のそれが、MJというデカい存在を媒介に一つにつながったような気持ちを得た。な〜んてことはまるでなかったけど、なんかそれぞれの「ヒューマン・ネイチャー」を聞けて、いい晩だなと生理的に思えたのは確か。
<今日の、映画>
京橋・テアトル試写室で、2012年イタリア映画「ニーナ ローマの夏休み」を見る。昨年秋に東京映画祭にコンペティション出品され、この8月にロードショー公開される。ほんわかしつつも好奇心旺盛ぎみな20代前半の女性主人公のバカンス期ローマ郊外の日々を淡々と、ある種の雰囲気アリで描く作品で、使われる主要な音楽はクラシック。劇中に出てくる教授(?)がアルベルト・ザッケローニを軽くしたようなおやじで少しイヤな気分に。。。ここのところの日本チーム指揮/選手選考にまつわる彼の冒険心や創造性のなさ、融通のきかなさには、けっこう違和感を覚えているから。というのはともかく、アレレレエと思ったのは、今の映画であるのに、携帯電話が一切でてこないこと。逆に、固定電話の留守電メッセージはそれなりの材料として用いられる。それで、これは現実的なストーリーでないことを示唆している? 監督のエリザ・フクサスは1981年ローマ生まれの女性で、長編としてはこれが初監督作品とか。その父、マッシミリアーノ・フクサス(1944年生まれ)はインターナショナルな建築家で、銀座のアルマーニ・タワーは彼の設計による。
その我が道を行く姿勢は、バンドの編成にもあらわれている。電気ピアノを弾きながら歌う本人(中央に出て来て、立って歌う場合も多い)に加えて、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス(電気べースを弾く場合も)、ハープ、ドラム/グロッケンシュピールという編成であるのだから。そのチェンバー・ポップ的編成だけでも、意思を持つポップ・ミュージョックの担い手と大きく頷かされるではないか。なお、同行したヴァイオリン奏者は妹、チェロ奏者は弟だそう。
しなやか伸びやかに、私のメロディをきめ細やかに、創造性豊かに凛と開いて行く。枠に捕われずに自分の色を出そうとする意思や才はきっちり溢れ出ていて、おおいに頷く。アルバムでは凝った風情あるコーラスが採用され、それも面白い聞き味をもたらしていたのだが、実演では伴奏陣の多くがコーラスを場面場面でつける。そりゃアルバムのような効果は生まないが、和気あいあいと、自分たちが良しと思える表現を求める様は無条件にマル。なるほど、才人。今後の変化も楽しみだ。
2度目のアンコールはピチカート奏法を取るチェロだけをバックにし、マイケル・ジャクソン曲「ヒューマン・ネイチャー」を披露した。
その後は、南青山・ブルーノート東京で現代R&B歌手のアヴァーントを見る。サポートは男女のコーラスと、鍵盤、鍵盤べース/エレクトリック・ベース、ドラム。彼らと同様に、普段着の主役はおやじが入ったあんちゃん風情の人。Tシャツはネイティヴ・アメリカンの横顔柄のやつ。彼、そっちの方の血が入っているの? ともあれ、素のオーラのようなものはあまりなく、歌の実力で業界を渡ってきたことが了解できるか。実際、ちょい歌っただけで、甲高い歌の声質がいいっ、うまいっとすぐにこっくりできちゃう。それについては非の打ち所なく、本当に感心。ヒップホップ調ビート曲とラガ調ビート曲もやったのは、今時の歌手っぽさの発露であったのか。でも、彼には伝統的というか、正統的と思わせる筋の良さがあって、いい感じあり過ぎであったのだ。
そのアヴァーントも、マイケル・ジャクソン曲「ヒューマン・ネイチャー」を披露。アフリカから散った才の英国と米国の今のそれが、MJというデカい存在を媒介に一つにつながったような気持ちを得た。な〜んてことはまるでなかったけど、なんかそれぞれの「ヒューマン・ネイチャー」を聞けて、いい晩だなと生理的に思えたのは確か。
<今日の、映画>
京橋・テアトル試写室で、2012年イタリア映画「ニーナ ローマの夏休み」を見る。昨年秋に東京映画祭にコンペティション出品され、この8月にロードショー公開される。ほんわかしつつも好奇心旺盛ぎみな20代前半の女性主人公のバカンス期ローマ郊外の日々を淡々と、ある種の雰囲気アリで描く作品で、使われる主要な音楽はクラシック。劇中に出てくる教授(?)がアルベルト・ザッケローニを軽くしたようなおやじで少しイヤな気分に。。。ここのところの日本チーム指揮/選手選考にまつわる彼の冒険心や創造性のなさ、融通のきかなさには、けっこう違和感を覚えているから。というのはともかく、アレレレエと思ったのは、今の映画であるのに、携帯電話が一切でてこないこと。逆に、固定電話の留守電メッセージはそれなりの材料として用いられる。それで、これは現実的なストーリーでないことを示唆している? 監督のエリザ・フクサスは1981年ローマ生まれの女性で、長編としてはこれが初監督作品とか。その父、マッシミリアーノ・フクサス(1944年生まれ)はインターナショナルな建築家で、銀座のアルマーニ・タワーは彼の設計による。
子供の頃からいろんなアメリカの黒人音楽に触れ、ハーモニカ奏者を志し、現在は英語のオリジナルをやっている、1983年生まれのフランス人がパジさん。イタリア人とフランス人のミックスだそうで、イタリアで活動していた時期もあるという。ぼんぼんなのか家がマイアミとか米国にもあって、よく行っていたそうで英語もできる。彼はフランス語、イタリア語、英語、スペイン語が話せるのだそう。今回が初来日となり、ギター、ベース、ドラム奏者を従えてのパフォーマンス。飯田橋・日仏学院の野外ステージ。
ブルースやR&Bや渋味ロックなどへの共感を抱きつつ、自分のメロディや歌を介してアーシーなロックとして押し出す。ハーモニカの演奏は、さすがいろんな人を聞いている(リトル・ウィルター、サニー・ボーイ・ウィリアムソン、サニー・テリーらの名前がすぐに好きな人として出てくる)のがよく分るもの。その総体は、なんとなくG・ラヴ(2011年11月4日、他)を思わせるような親しみやすさも一部は持つか。本人にそれを伝えると、そんなに聞いたことはないが、それは何人からも指摘を受けている、とのこと。君からも言われたし、ちゃんと聞いてみようかなと、彼は言う。好漢、しなやか君でもありました。彼の2作目にはイタリアのスター・ロッカー、ズッケロっぽい曲も入っているな。
<今日の、学習>
パジには、ライヴ前にインタヴューした。実は、彼の2作目となる今のところ新作となる『アンケイジド』(EMI、2010年)にはなぜか著名ジャズ・サックス奏者のアーチー・シェップが入っている曲が2つあって、久しぶりにシェップの21世紀以後の活動をおさらいしてしまった。ドン・チェリーらと一緒にやっていたザ・ニューヨーク・コンテンポラリー5時代の1960年代前半から、もう一つの統合型ストリート・ミュージック創出を標榜した1970年前後のインパルス作品あたりまではかなり好きだが、1970年代後期以降は、ぼくにとってシェップほとんど興味を持てない存在になってしまった。それは日本制作のスタンダード集(1980年ごろのやつだったか)を聞き、温い設定のなか、これみよがしで下品なフレイズを投げ出しまくった凄惨な内容に触れてゲンメツしたから。あのとき、もうシェップとは関わってはいけないと痛感したんだよな。だが、そんな彼の新し目のアルバムをチェックしたら、チャック・D(2005年8月14日)がゲスト入りしているアルバムがあったり、グナワのミュージシャンとの共演盤があったりとか、いろいろ伸び伸びと好き勝手やっていて、ヘエエと思った。そんな彼はパリ在住、それでジャズも好きなバジ(シェップ作は、『アッティカ・グルース』が好きだそう)は駄目もとで彼にコンタクトを取ったのだという。
ブルースやR&Bや渋味ロックなどへの共感を抱きつつ、自分のメロディや歌を介してアーシーなロックとして押し出す。ハーモニカの演奏は、さすがいろんな人を聞いている(リトル・ウィルター、サニー・ボーイ・ウィリアムソン、サニー・テリーらの名前がすぐに好きな人として出てくる)のがよく分るもの。その総体は、なんとなくG・ラヴ(2011年11月4日、他)を思わせるような親しみやすさも一部は持つか。本人にそれを伝えると、そんなに聞いたことはないが、それは何人からも指摘を受けている、とのこと。君からも言われたし、ちゃんと聞いてみようかなと、彼は言う。好漢、しなやか君でもありました。彼の2作目にはイタリアのスター・ロッカー、ズッケロっぽい曲も入っているな。
<今日の、学習>
パジには、ライヴ前にインタヴューした。実は、彼の2作目となる今のところ新作となる『アンケイジド』(EMI、2010年)にはなぜか著名ジャズ・サックス奏者のアーチー・シェップが入っている曲が2つあって、久しぶりにシェップの21世紀以後の活動をおさらいしてしまった。ドン・チェリーらと一緒にやっていたザ・ニューヨーク・コンテンポラリー5時代の1960年代前半から、もう一つの統合型ストリート・ミュージック創出を標榜した1970年前後のインパルス作品あたりまではかなり好きだが、1970年代後期以降は、ぼくにとってシェップほとんど興味を持てない存在になってしまった。それは日本制作のスタンダード集(1980年ごろのやつだったか)を聞き、温い設定のなか、これみよがしで下品なフレイズを投げ出しまくった凄惨な内容に触れてゲンメツしたから。あのとき、もうシェップとは関わってはいけないと痛感したんだよな。だが、そんな彼の新し目のアルバムをチェックしたら、チャック・D(2005年8月14日)がゲスト入りしているアルバムがあったり、グナワのミュージシャンとの共演盤があったりとか、いろいろ伸び伸びと好き勝手やっていて、ヘエエと思った。そんな彼はパリ在住、それでジャズも好きなバジ(シェップ作は、『アッティカ・グルース』が好きだそう)は駄目もとで彼にコンタクトを取ったのだという。
クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー(2006年1月24日、2012年1月6日)のキーボード奏者だったロビー・ガーティンがいる、ブルックリン発の3ピースのバンド。彼はクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー在籍時代からこのバンドをやっていて、昨年の夏にクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーのほうは脱退している。渋谷・O-NEST。
3人が出て来て、そして音を出し始めたら、即NYっぽいと思わずにはいられず。見た感じに加え、ギター音の重なりとか曲調とかの何かがなぜかそう感じさせる。ドラムとサブのヴォーカルを担当するガーティン(一部、リード・ヴォーカルを取る場合もある)、リード・ヴォーカル/ギター担当の女性であるリンゼー・ベイカー、ギターを弾くクリス・ディケンというベースレスの編成。ではあるものの、コード・ネームのポジションをシンプルに押さえるようなベース的な低音はギターの音群と一緒に出てくる。
アルバム(出来のいい新作となる2作目はバトルズ〜2004年1月7日〜の2011年作を手がけた、キース・ソウザとセス・マンチェスターのプロデュース。http://radicaldads.bandcamp.com/releases で、全曲試聴できる)同様に迸る感覚や刺を抱えたギター・ロックを、3人はフレンドリーに披露。こりゃ、ニヤニヤしながら見れちゃう。曲自体はそれほど長くはないが、男性ギタリストはときにかなりひしゃげた感覚を持つソロを存分に取る。ふふふ。繰り返しになるが、3人のけれん味のない、でもほのかな陰影も表出する実演に触れていて、ドキドキでき、なんかNYのライヴ・ヴェニューにいるような気分にも一瞬なった。
<今日の、回顧>
ラディカル・ダッズの日本盤はアジアン・カンフー・ジェネレーションのレーベルから出されていて、彼らが主宰する全国規模のライヴ・イヴェント<NANO-MUGEN CIRCUIT 2013>に出るためにラディカル・ダッツは来日。しかし、海外アーティストまでを扱う大型イヴェントを毎年やっているアジアン・カンフー・ジェネレーションはすごいな。かつて、フジ・ロックの場外ステージであるルーキー・ア・ゴー・ゴーに出た際の彼らを見たことがあった。真っすぐだとは思ったが、こんなに正しい力を持つとは思わなかった。一人が某音楽誌の編集長に似ていると、仲間内で話題になったんだよな。
3人が出て来て、そして音を出し始めたら、即NYっぽいと思わずにはいられず。見た感じに加え、ギター音の重なりとか曲調とかの何かがなぜかそう感じさせる。ドラムとサブのヴォーカルを担当するガーティン(一部、リード・ヴォーカルを取る場合もある)、リード・ヴォーカル/ギター担当の女性であるリンゼー・ベイカー、ギターを弾くクリス・ディケンというベースレスの編成。ではあるものの、コード・ネームのポジションをシンプルに押さえるようなベース的な低音はギターの音群と一緒に出てくる。
アルバム(出来のいい新作となる2作目はバトルズ〜2004年1月7日〜の2011年作を手がけた、キース・ソウザとセス・マンチェスターのプロデュース。http://radicaldads.bandcamp.com/releases で、全曲試聴できる)同様に迸る感覚や刺を抱えたギター・ロックを、3人はフレンドリーに披露。こりゃ、ニヤニヤしながら見れちゃう。曲自体はそれほど長くはないが、男性ギタリストはときにかなりひしゃげた感覚を持つソロを存分に取る。ふふふ。繰り返しになるが、3人のけれん味のない、でもほのかな陰影も表出する実演に触れていて、ドキドキでき、なんかNYのライヴ・ヴェニューにいるような気分にも一瞬なった。
<今日の、回顧>
ラディカル・ダッズの日本盤はアジアン・カンフー・ジェネレーションのレーベルから出されていて、彼らが主宰する全国規模のライヴ・イヴェント<NANO-MUGEN CIRCUIT 2013>に出るためにラディカル・ダッツは来日。しかし、海外アーティストまでを扱う大型イヴェントを毎年やっているアジアン・カンフー・ジェネレーションはすごいな。かつて、フジ・ロックの場外ステージであるルーキー・ア・ゴー・ゴーに出た際の彼らを見たことがあった。真っすぐだとは思ったが、こんなに正しい力を持つとは思わなかった。一人が某音楽誌の編集長に似ていると、仲間内で話題になったんだよな。
マット・ダスク。ザ・バディ・リッチ・オールスター・アルムナイ・ビッグ・バンド
2013年6月26日 音楽 赤坂・カナダ大使館オスカーピーターソン・シアターで、堂にいった1978年カナダ人ジャズ歌手(2007年12月27日)のショウケースの実演を見る。同行したカナダ人ピアニストのサポートにて、悠々とスタンダードを歌う。それに接して、まず思わずにいられないのは、格好いいナということ。ずっと痩身のままだし。そして、振る舞いも洒脱かつナイス・ガイっぽく、その手のエンターテイン流儀をきっちり得ているとも思う。6年前にインタビューしたとき、ほんといい奴だった記憶が蘇ってきた。彼はこの9月の東京ジャズにも出演し、そこには八代亜紀(2012年11月9日)がゲスト入りする。
その後は南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、頭を下げる同業者多数の、大御所ドラマーであるバディ・リッチ(1917〜1987年)の名前が冠されたビッグ・バンドを見る。サックス・セクション4人、トロンボーン・セクション3人、トランペット・セクション4人、そしてピアノ(ときにキーボードも弾く)、電気べース(ピーター・ガブリエル・バンドや後期キング・クリムゾンのトニー・レヴィン。1970年代にリッチ・ビッグ・バンドに在籍していたことアリ。元々スキンヘッドだし、サングラスをしていたためもあってか、あまり老けていないように感じた)、そしてドラムという編成なり。
なぜか、ドラマーは3人もいる。派手なメッシュが黒い長髪に入ったロックっぽい外見のグレッグ・ポッター(レギュラー・グリップで叩く。いい奴そう)、著名ドラマーのピーター・アースキン(レギュラー・グリップで叩く。ミュージシャンの格を考慮してか、彼のドラム・セットはステージ中央最前列に置いてある)、見た目は只のあんちゃん風情の孫のニック・リッチ(マッチド・グリップで叩く。ドラム・セットはポッターと共用。叩き音、ドカスカと大きい)という内訳で、彼らは入れ替わりで数曲づつ叩いたが、それは名手バディ・リッチのキャパは平気でドラマー3人分あったと語るため? 生理的に煩雑になるし、アースキンのゲスト入りはなしでも良かったのではないか。でなきゃ、1曲ぐらい、故人のスケールの大きさを偲んでツイン・ドラムでやる曲があっても良かったかも。
途中で1曲、娘のキャシー・リッチ(つまりニック・リッチは彼女の息子)が出て来て、「ザ・ビート・ゴーズ・オン」を歌う。それを聞いて、翌日見る予定の公演のことにちょい思いはつながる(明日の、本編原稿外に続く)。
そのソニー&シェールの1967年ヒット曲である快活R&B調曲「ザ・ビート・ゴーズ・オン」は「ザ・サイドワインダー(リー・モーガン)」的リズムを採用できることもあり、当時のジャズ・マンが良く取り上げていて、バディ・リッチ・オーケストラも彼の67年作『ビッグ・スウィング・フェイス』でカヴァー。そして、そこでヴォーカルをとったのがまだ子供の声をしているキャシーだった。キャシー・リッチがステージに出て来てその曲を歌う前には、1970年代初頭(と、思う)のリッチ・ビッグ・バンド・ウィズ・キャシーの実演映像が会場内にさらりと流され、そこから実際のパフォーマンスにつなげられた。それにしても、金髪に染めていたキャシーさん、見た目は鬼のように若い。かつ、なんかサバけていて、いい感じ。遠目には、下品な書き方をすれば、オレいけるかもと思えたほど。わあ。
<今日の、二の足>
昨日もそうだが、今日も雨。また、けっこうな降り具合。なんか、外に出る気がなくなっちゃう。そんなわけで、ちょっと個人的な用事をすませるとともに試写会に行く予定でいたのだが、やめにしてしまう。ここ数日、気温はあまり高くないのは救いではあるのだが、雨はいやだなあ。梅雨を感じるなあ。そんなわけなんで、昼間は外出せずに、完成させるのは先でいいと思っていたインタヴューを起こし、原稿を仕上げてしまう。我ながら、いい加減なんだか真面目なんだか。
その後は南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で、頭を下げる同業者多数の、大御所ドラマーであるバディ・リッチ(1917〜1987年)の名前が冠されたビッグ・バンドを見る。サックス・セクション4人、トロンボーン・セクション3人、トランペット・セクション4人、そしてピアノ(ときにキーボードも弾く)、電気べース(ピーター・ガブリエル・バンドや後期キング・クリムゾンのトニー・レヴィン。1970年代にリッチ・ビッグ・バンドに在籍していたことアリ。元々スキンヘッドだし、サングラスをしていたためもあってか、あまり老けていないように感じた)、そしてドラムという編成なり。
なぜか、ドラマーは3人もいる。派手なメッシュが黒い長髪に入ったロックっぽい外見のグレッグ・ポッター(レギュラー・グリップで叩く。いい奴そう)、著名ドラマーのピーター・アースキン(レギュラー・グリップで叩く。ミュージシャンの格を考慮してか、彼のドラム・セットはステージ中央最前列に置いてある)、見た目は只のあんちゃん風情の孫のニック・リッチ(マッチド・グリップで叩く。ドラム・セットはポッターと共用。叩き音、ドカスカと大きい)という内訳で、彼らは入れ替わりで数曲づつ叩いたが、それは名手バディ・リッチのキャパは平気でドラマー3人分あったと語るため? 生理的に煩雑になるし、アースキンのゲスト入りはなしでも良かったのではないか。でなきゃ、1曲ぐらい、故人のスケールの大きさを偲んでツイン・ドラムでやる曲があっても良かったかも。
途中で1曲、娘のキャシー・リッチ(つまりニック・リッチは彼女の息子)が出て来て、「ザ・ビート・ゴーズ・オン」を歌う。それを聞いて、翌日見る予定の公演のことにちょい思いはつながる(明日の、本編原稿外に続く)。
そのソニー&シェールの1967年ヒット曲である快活R&B調曲「ザ・ビート・ゴーズ・オン」は「ザ・サイドワインダー(リー・モーガン)」的リズムを採用できることもあり、当時のジャズ・マンが良く取り上げていて、バディ・リッチ・オーケストラも彼の67年作『ビッグ・スウィング・フェイス』でカヴァー。そして、そこでヴォーカルをとったのがまだ子供の声をしているキャシーだった。キャシー・リッチがステージに出て来てその曲を歌う前には、1970年代初頭(と、思う)のリッチ・ビッグ・バンド・ウィズ・キャシーの実演映像が会場内にさらりと流され、そこから実際のパフォーマンスにつなげられた。それにしても、金髪に染めていたキャシーさん、見た目は鬼のように若い。かつ、なんかサバけていて、いい感じ。遠目には、下品な書き方をすれば、オレいけるかもと思えたほど。わあ。
<今日の、二の足>
昨日もそうだが、今日も雨。また、けっこうな降り具合。なんか、外に出る気がなくなっちゃう。そんなわけで、ちょっと個人的な用事をすませるとともに試写会に行く予定でいたのだが、やめにしてしまう。ここ数日、気温はあまり高くないのは救いではあるのだが、雨はいやだなあ。梅雨を感じるなあ。そんなわけなんで、昼間は外出せずに、完成させるのは先でいいと思っていたインタヴューを起こし、原稿を仕上げてしまう。我ながら、いい加減なんだか真面目なんだか。
ディッキー・ベッツ&グレイト・サザン
2013年6月27日 音楽 六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。年寄り、汚れぎみの人で満員。で、歓声がハンパない。壮絶、とも言える? 端から見ていて、わああって感じ。
ディッキー・ベッツはサザン・ロックの雄、ザ・オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナル・ギタリスト。デュエイン・オールマン(ギター)の死後、バンドのイニチアシヴを取るようになり、デュエイン生前のものと死後の少しのプロダクツが混在する『イート・ア・ピーチ』(キャプリコーン、1972年)を経ての、カントリー色を強めた『ブラザーズ&シスターズ』(キャプリコーン、1973年)は全米総合1位を獲得。そういう意味では、“ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド 中興の祖”という言い方もできるのかもしれぬ。ベッツは息子にデュエインと名付けたものの、バンドのもう一つの顔であるデュエインの弟のグレッグ・オールマン(ヴォーカル、オルガン)とは折り合い悪く、そのため1976年にオールマンズは最初の解散をするなど、しばし両者衝突の情報は報じられてきた。グレイト・サザンはベッツがザ・オールマン・ブラザーズ・バンド解散後に組んだカントリー・ミュージック色も持つバンドで、1977年にセルフ・タイトルのアルバムを出している。
ステージに出て来た面々を見てワ〜ウ。編成が大きい。ギターと歌を担当する当人に加え、ギター2人(うち、一人は息子のデュエイン)、キーボード/ヴォーカル、ベース、そしてドラムも2人(!)。一気に興味が高まる。これはどう見ても、カントリー・ロックをやる編成ではない。で、少しR&Bぽくもあったオープナー以外はぜんぶザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの曲をやったのではないか。「ワン・ウェイ・アウト」とかをやられると昔の様と比較しちゃい、彼らがぜんぜん万全でないのは明らかなのだが、やはりアガる。高校時代、オールマンズの『イート・ア・ピーチ』収録の「ワン・ウェイ・アウト」と「トラブル・ノー・モア」と「スタンド・バッグ」、そしてエリック・クラプトンの『461オーシャン・ブールヴァード』収録の「アイ・キャント・ホールド・アウト」と「ステディ・ローリン・マン」はレコードをかけて一緒にギターやベースを弾く定番曲であったのダ。すげえ、回数聞いているよなー。面白いことに、原曲でグレッグ・オールマンがヴォーカルを取っていた曲は、わりと若めのキーボード奏者が歌っていた。最後の曲はザ・オールマン・ブラザーズ・バンド最大のヒット曲で、当時のベッツ色が強く出た「ランブリン・マン」。大合唱大会、でした。
<今日の、懐旧>
昨日の項に書いてあるように、ソニー&シェールのヒット曲「ザ・ビート・ゴーズ・オン」のカヴァーを聞いて、今日の公演に思いが飛んだのは、その夫婦デュオ(と、離婚)を経て、ソロ歌手としてスターになったシェールが、突然サザン・ロックの貴公子(?)であるグレッグ・オールマン(1947年生まれ)と1976年に結婚したからだ。グレッグ・オールマンは当初からブループ活動とともに大々的にソロ活動もしていて、彼の1973年作『レイド・バック』(キャプリコーン)のアルバム・タイトルは当時猛威をふるいつつあったサザン・ロックの持ち味を示す代名詞となったし、同作のヒットを受けて、彼は小オーケストラを従えた編成(グレッグがレイ・チャールズを気取りたかったと言われる)でツアーに出て、それは2枚組のライヴ盤『ザ・グレッグ・オールマン・ツアー』(キャプリコーン、1974年)になった。うーん、なんだかんだオレ、キャプリコーン・レーベルには愛着持っているな。1970年代後期に輸入盤屋にはキャプリコーンのカット盤が流通していて、いろいろ安価で購入できた。
ジョージア州メイコンにオフィスを置いたキャプリコーン・レコードは、オーティス・レディング(彼のお墓はメイコンにある)のマネイジャーをやっていた白人フィル・ウォルデンが設立したサザン・ロックの専門レーベル(英国ロック・バンドのハイドラや、電気迷宮ジャズのエディ・ヘンダーソンなどのアルバムも出したが)で、同レーベルの成功で彼はメイコンの名士となった。そんなウォルデンはジョージア州知事だったジミー・カーターが民主党候補として1976年に大統領選に出る際に資金協力し、またキャプリコーン在籍アーティストを大挙キャンペーンに駆り出し、当初は全国的には無名だったカーターの大統領就任を少なからず助けたとも言われる。オーティスがいなかったら、キャプリコーン・レコードがなかったら、ジミー・カーターはノーベル平和賞をもらうことはなかったかもしれない。
話は戻るが、1977年にはワーナー・ブラザーズから共演アルバムも出したシェールとグレッグ・オールマン(リオン&マリー・ラッセル夫妻の1976年作『ウェディング・アルバム』や次作『メイク・ラヴ・トゥ・ザ・ミュージック』とともに、お調子者夫婦の色ぼけ共演作という言い方も一部はされた?)は1979年に離婚、1980年代に入るとシェールは女優業にも進み、より大成するわけだ。今だと、シェールが歌手だったことを知らない人もいるかもしれない。グレッグ・オールマンはその後もザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの活動とソロ名義活動をやっているわけだが、今のところ最新作であるT・ボーン・バーネット制作の2011年『ロウ・カントリー・ブルース』(ラウンダー/ユニヴァーサル)は最新作。それは、肝移植手術を受けた後にレコーディングされた。ベッツもまだ69歳(1943年生まれ)だが、ツアーがキャンセルになったりと健康面では不安を抱えているというし、さぞや面々、昔は滅茶苦茶やっていたんだろうな。スライド・ギターという項目にかんして、デュエイン・オールマンはNo.1であり続けているが、今後も彼をしのぐ使い手は出てこないと思われる。残された彼の名演の数々はハード・ドラッグという通行手形のもと“十字路”を渡った先にあるものであったのは言うまでもない。
ディッキー・ベッツはサザン・ロックの雄、ザ・オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナル・ギタリスト。デュエイン・オールマン(ギター)の死後、バンドのイニチアシヴを取るようになり、デュエイン生前のものと死後の少しのプロダクツが混在する『イート・ア・ピーチ』(キャプリコーン、1972年)を経ての、カントリー色を強めた『ブラザーズ&シスターズ』(キャプリコーン、1973年)は全米総合1位を獲得。そういう意味では、“ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド 中興の祖”という言い方もできるのかもしれぬ。ベッツは息子にデュエインと名付けたものの、バンドのもう一つの顔であるデュエインの弟のグレッグ・オールマン(ヴォーカル、オルガン)とは折り合い悪く、そのため1976年にオールマンズは最初の解散をするなど、しばし両者衝突の情報は報じられてきた。グレイト・サザンはベッツがザ・オールマン・ブラザーズ・バンド解散後に組んだカントリー・ミュージック色も持つバンドで、1977年にセルフ・タイトルのアルバムを出している。
ステージに出て来た面々を見てワ〜ウ。編成が大きい。ギターと歌を担当する当人に加え、ギター2人(うち、一人は息子のデュエイン)、キーボード/ヴォーカル、ベース、そしてドラムも2人(!)。一気に興味が高まる。これはどう見ても、カントリー・ロックをやる編成ではない。で、少しR&Bぽくもあったオープナー以外はぜんぶザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの曲をやったのではないか。「ワン・ウェイ・アウト」とかをやられると昔の様と比較しちゃい、彼らがぜんぜん万全でないのは明らかなのだが、やはりアガる。高校時代、オールマンズの『イート・ア・ピーチ』収録の「ワン・ウェイ・アウト」と「トラブル・ノー・モア」と「スタンド・バッグ」、そしてエリック・クラプトンの『461オーシャン・ブールヴァード』収録の「アイ・キャント・ホールド・アウト」と「ステディ・ローリン・マン」はレコードをかけて一緒にギターやベースを弾く定番曲であったのダ。すげえ、回数聞いているよなー。面白いことに、原曲でグレッグ・オールマンがヴォーカルを取っていた曲は、わりと若めのキーボード奏者が歌っていた。最後の曲はザ・オールマン・ブラザーズ・バンド最大のヒット曲で、当時のベッツ色が強く出た「ランブリン・マン」。大合唱大会、でした。
<今日の、懐旧>
昨日の項に書いてあるように、ソニー&シェールのヒット曲「ザ・ビート・ゴーズ・オン」のカヴァーを聞いて、今日の公演に思いが飛んだのは、その夫婦デュオ(と、離婚)を経て、ソロ歌手としてスターになったシェールが、突然サザン・ロックの貴公子(?)であるグレッグ・オールマン(1947年生まれ)と1976年に結婚したからだ。グレッグ・オールマンは当初からブループ活動とともに大々的にソロ活動もしていて、彼の1973年作『レイド・バック』(キャプリコーン)のアルバム・タイトルは当時猛威をふるいつつあったサザン・ロックの持ち味を示す代名詞となったし、同作のヒットを受けて、彼は小オーケストラを従えた編成(グレッグがレイ・チャールズを気取りたかったと言われる)でツアーに出て、それは2枚組のライヴ盤『ザ・グレッグ・オールマン・ツアー』(キャプリコーン、1974年)になった。うーん、なんだかんだオレ、キャプリコーン・レーベルには愛着持っているな。1970年代後期に輸入盤屋にはキャプリコーンのカット盤が流通していて、いろいろ安価で購入できた。
ジョージア州メイコンにオフィスを置いたキャプリコーン・レコードは、オーティス・レディング(彼のお墓はメイコンにある)のマネイジャーをやっていた白人フィル・ウォルデンが設立したサザン・ロックの専門レーベル(英国ロック・バンドのハイドラや、電気迷宮ジャズのエディ・ヘンダーソンなどのアルバムも出したが)で、同レーベルの成功で彼はメイコンの名士となった。そんなウォルデンはジョージア州知事だったジミー・カーターが民主党候補として1976年に大統領選に出る際に資金協力し、またキャプリコーン在籍アーティストを大挙キャンペーンに駆り出し、当初は全国的には無名だったカーターの大統領就任を少なからず助けたとも言われる。オーティスがいなかったら、キャプリコーン・レコードがなかったら、ジミー・カーターはノーベル平和賞をもらうことはなかったかもしれない。
話は戻るが、1977年にはワーナー・ブラザーズから共演アルバムも出したシェールとグレッグ・オールマン(リオン&マリー・ラッセル夫妻の1976年作『ウェディング・アルバム』や次作『メイク・ラヴ・トゥ・ザ・ミュージック』とともに、お調子者夫婦の色ぼけ共演作という言い方も一部はされた?)は1979年に離婚、1980年代に入るとシェールは女優業にも進み、より大成するわけだ。今だと、シェールが歌手だったことを知らない人もいるかもしれない。グレッグ・オールマンはその後もザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの活動とソロ名義活動をやっているわけだが、今のところ最新作であるT・ボーン・バーネット制作の2011年『ロウ・カントリー・ブルース』(ラウンダー/ユニヴァーサル)は最新作。それは、肝移植手術を受けた後にレコーディングされた。ベッツもまだ69歳(1943年生まれ)だが、ツアーがキャンセルになったりと健康面では不安を抱えているというし、さぞや面々、昔は滅茶苦茶やっていたんだろうな。スライド・ギターという項目にかんして、デュエイン・オールマンはNo.1であり続けているが、今後も彼をしのぐ使い手は出てこないと思われる。残された彼の名演の数々はハード・ドラッグという通行手形のもと“十字路”を渡った先にあるものであったのは言うまでもない。
昔から洒脱なアダルトなジャジー・ポップとして一部のロック・ファンからも評価の高い(ぼくは、ホーギー・カーマイケルやマット・デニスなどとともに、粋な米国ポップとして聞いていた)、ジャズ側に属するシンガー/ピアニストがボブ・ドロウ。現在89歳、当初セカンド・ショウを見ようと思っていたが、高齢ゆえファーストを見たほうが(疲れがでることなく)いいかもしれぬと思い直し、ファースト・ショウを見る。下に記すようにちゃんとした業績を持つ人物ながら(印税もちゃんと入って来ているだろう)、今回が初来日という事実には驚く。
1923年南部アーカンソー州生まれ、兵役を経てノース・テキサス大学で音楽を学び(同大学の音楽教育は高水準であることで、知られる。彼の時代もそうだったのだろうか?)、その後、ショウービズの世界で音楽統括門者として才を発揮するようになるピアニスト、作曲家。そして、彼が世に出た時代はジャズがメインストリームであり、彼もジャズに負った持ち味を存分に持っていたために、彼のリーダーとしてのヴォーカル付きの表現(初アルバムは、ベツレヘム1956年発の『デヴィル・メイ・ケア』)はジャズ・ヴォーカルとして括られてきたわけだ。実はそのデビュー作は他人曲の比率が高いのだが、彼のヒップな曲群はクインシー・ジョーンズやブロッサム・ディアリーからブッカー・T&ザ・MGズまでいろんな人が取り上げているし、シンガーとしてもアート・ガーファンクルやジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日、他)のザ・ネイキッド・シティのアルバムに呼ばれていたりする。それから、マイルス・デイヴィスとの関わりも有名で、ドロウが自作曲を歌うデイヴィスとの1962年レコーディング曲(アレンジはギル・エヴァンス)が唐突にデイヴィスの1967年作『ソーサラー』に入れられたこともあった。それから、彼が作った九九かけ算もじり曲「スリー・イズ・ザ・マジック・ナンバー」は米ABCの子供向け著名番組「スクールハウス・ロック」に1970年代中期から10年強使われ、米国人なら誰でも知っている曲となっている。
ギタリストとウッド・ベーシストを従えてのパフォーマンス。さらりと(もったいぶることなく)ステージに出て来た彼は、おお若々しい。歩行も普通で背中もまがっていないし、顔にもめっぽう輝きがある。そして、なんか好奇心一杯に楽しんでいる感じが溢れ出ていて、チャーミングと言いたくなるその様だけで接する者に正の気持ちを与えるだろう。そして、彼は奔放に指を鍵盤にはわせ、思うまま肉声を弾ませる。臨機応援、ニコニコしなやか。それは生理的に弾けていて、ポップ。そんな彼一流の持ち味を十全に押し出す実演に触れれば誰だって、いいモノを聞かせてもらっているという気持ちになれるのではないか。うーぬ、これぞ、映えある米国の都会型表現の昔ながらの粋の一つのパターンじゃと、頷かせるところもあったな。
実は彼、今世紀に入ってから(過去よりも)続々リーダー作を出していたりもするのだが、その事実にも納得。同様の米国芸能の妙味を出せる人が少なくなっており、なのにドロウは衰えていないんだもの。あ、それから、ベン・シドラン(2010年7月28日、他)のほのかな黒っぽさや音痴っぽいところはモーズ・アリソン(2012年5月25日)のほうに近いが、歌い方自体はドロウの影響のほうが強いのではないか。実演に触れ、そうぼくは思った。
本来、音楽と年齢は離して評価するべきという人もいるかもしれない。20歳だろうと、40歳だろうと、70歳だろうと、いい音楽は良い。だが、年をとってもまったく、旬の感覚を失わず、今を謳歌しているように彼が見えるところにも、ぼくは心動かされた。いや、彼が89歳というのはほんと何かの間違いではないのか。彼はもしかして、ぼくが知るなかで一番若い89歳か。なんでも、セカンド・ショウも思うままパフォーマンス、まったく異なる曲を披露したらしい。
公演後に流れた先で、事情通から、彼の来日公演がなかなか実現しなかった一つの理由は、彼がプロモーターや代理人を通さず、自分でブッキングをしているためであったからという話を聞いた。なるほど、彼とブルーノート東京のスタッフとは直でEメールのやりとりをしているという話も、すんなりつながる。
<今日の、ルネッサンス>
ライヴ前、上野・東京都美術館で、<レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像>を見る。6月一杯の出し物ゆえ、けっこう混んでいた。待つことが駄目なせっかちなぼくは、けっこう飛ばし気味に見てしまう。そうしちゃったのは、美術館入りする前に、鰻を食べつつ、冷酒を飲んじゃったせいもあるか。ダ・ヴィンチの絵画は<音楽家としての肖像>1点、くわえて彼の幅広い才を直裁に伝える細かい素描(メモ)書きを22葉用意。とともに、その前後の同系列にある作者のプロダクツもたくさん展示し、ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)が生きた時代の前後の流れを明晰に紹介しようとする。ありゃと思ったのは、けっこうポップな絵面とも少し思わせる作者不詳の<洗礼者聖ヨハネ>という絵で、ヨハネさんがこれみよがしに人差し指を立てていたこと。そしたら、同時代(1520年代)に描かれたベルナルディーノ・ルイーニ<聖家族と洗礼者聖ヨハネ>という絵でも女性の指が同様に描かれている。意味、あるのだろうな。
しかし、とても奇麗に修復がなされたそれら展示品が今から500年前ものものである事実には驚愕せざるを得ない。よくぞ残っているなーと、コドモみたいな感想が頭に渦巻く。複製じゃねえの、という思いもほんの少し。その後、軽く上野公園をふらついた(こちらも、人がたくさんいたなあ)が、ここの原型となるものの都市計画が最初なされた江戸時代はどんな感じであったのかとか、ふむ鰻を食べるようになったのも江戸の頃であったのだとなとか、普段は考えもしない“時の流れ”についていろいろ思いをめぐらしちゃう。なんか、ささやかに楽しい。帰りに乗った地下鉄銀座線も下町に最初開通したのは昭和初期だよなあとか、疑似タイムマシーン思考をしたりして。そして、戦後も当分はまだまだ田舎だったと言われる青山に向かう。
1923年南部アーカンソー州生まれ、兵役を経てノース・テキサス大学で音楽を学び(同大学の音楽教育は高水準であることで、知られる。彼の時代もそうだったのだろうか?)、その後、ショウービズの世界で音楽統括門者として才を発揮するようになるピアニスト、作曲家。そして、彼が世に出た時代はジャズがメインストリームであり、彼もジャズに負った持ち味を存分に持っていたために、彼のリーダーとしてのヴォーカル付きの表現(初アルバムは、ベツレヘム1956年発の『デヴィル・メイ・ケア』)はジャズ・ヴォーカルとして括られてきたわけだ。実はそのデビュー作は他人曲の比率が高いのだが、彼のヒップな曲群はクインシー・ジョーンズやブロッサム・ディアリーからブッカー・T&ザ・MGズまでいろんな人が取り上げているし、シンガーとしてもアート・ガーファンクルやジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日、他)のザ・ネイキッド・シティのアルバムに呼ばれていたりする。それから、マイルス・デイヴィスとの関わりも有名で、ドロウが自作曲を歌うデイヴィスとの1962年レコーディング曲(アレンジはギル・エヴァンス)が唐突にデイヴィスの1967年作『ソーサラー』に入れられたこともあった。それから、彼が作った九九かけ算もじり曲「スリー・イズ・ザ・マジック・ナンバー」は米ABCの子供向け著名番組「スクールハウス・ロック」に1970年代中期から10年強使われ、米国人なら誰でも知っている曲となっている。
ギタリストとウッド・ベーシストを従えてのパフォーマンス。さらりと(もったいぶることなく)ステージに出て来た彼は、おお若々しい。歩行も普通で背中もまがっていないし、顔にもめっぽう輝きがある。そして、なんか好奇心一杯に楽しんでいる感じが溢れ出ていて、チャーミングと言いたくなるその様だけで接する者に正の気持ちを与えるだろう。そして、彼は奔放に指を鍵盤にはわせ、思うまま肉声を弾ませる。臨機応援、ニコニコしなやか。それは生理的に弾けていて、ポップ。そんな彼一流の持ち味を十全に押し出す実演に触れれば誰だって、いいモノを聞かせてもらっているという気持ちになれるのではないか。うーぬ、これぞ、映えある米国の都会型表現の昔ながらの粋の一つのパターンじゃと、頷かせるところもあったな。
実は彼、今世紀に入ってから(過去よりも)続々リーダー作を出していたりもするのだが、その事実にも納得。同様の米国芸能の妙味を出せる人が少なくなっており、なのにドロウは衰えていないんだもの。あ、それから、ベン・シドラン(2010年7月28日、他)のほのかな黒っぽさや音痴っぽいところはモーズ・アリソン(2012年5月25日)のほうに近いが、歌い方自体はドロウの影響のほうが強いのではないか。実演に触れ、そうぼくは思った。
本来、音楽と年齢は離して評価するべきという人もいるかもしれない。20歳だろうと、40歳だろうと、70歳だろうと、いい音楽は良い。だが、年をとってもまったく、旬の感覚を失わず、今を謳歌しているように彼が見えるところにも、ぼくは心動かされた。いや、彼が89歳というのはほんと何かの間違いではないのか。彼はもしかして、ぼくが知るなかで一番若い89歳か。なんでも、セカンド・ショウも思うままパフォーマンス、まったく異なる曲を披露したらしい。
公演後に流れた先で、事情通から、彼の来日公演がなかなか実現しなかった一つの理由は、彼がプロモーターや代理人を通さず、自分でブッキングをしているためであったからという話を聞いた。なるほど、彼とブルーノート東京のスタッフとは直でEメールのやりとりをしているという話も、すんなりつながる。
<今日の、ルネッサンス>
ライヴ前、上野・東京都美術館で、<レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像>を見る。6月一杯の出し物ゆえ、けっこう混んでいた。待つことが駄目なせっかちなぼくは、けっこう飛ばし気味に見てしまう。そうしちゃったのは、美術館入りする前に、鰻を食べつつ、冷酒を飲んじゃったせいもあるか。ダ・ヴィンチの絵画は<音楽家としての肖像>1点、くわえて彼の幅広い才を直裁に伝える細かい素描(メモ)書きを22葉用意。とともに、その前後の同系列にある作者のプロダクツもたくさん展示し、ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)が生きた時代の前後の流れを明晰に紹介しようとする。ありゃと思ったのは、けっこうポップな絵面とも少し思わせる作者不詳の<洗礼者聖ヨハネ>という絵で、ヨハネさんがこれみよがしに人差し指を立てていたこと。そしたら、同時代(1520年代)に描かれたベルナルディーノ・ルイーニ<聖家族と洗礼者聖ヨハネ>という絵でも女性の指が同様に描かれている。意味、あるのだろうな。
しかし、とても奇麗に修復がなされたそれら展示品が今から500年前ものものである事実には驚愕せざるを得ない。よくぞ残っているなーと、コドモみたいな感想が頭に渦巻く。複製じゃねえの、という思いもほんの少し。その後、軽く上野公園をふらついた(こちらも、人がたくさんいたなあ)が、ここの原型となるものの都市計画が最初なされた江戸時代はどんな感じであったのかとか、ふむ鰻を食べるようになったのも江戸の頃であったのだとなとか、普段は考えもしない“時の流れ”についていろいろ思いをめぐらしちゃう。なんか、ささやかに楽しい。帰りに乗った地下鉄銀座線も下町に最初開通したのは昭和初期だよなあとか、疑似タイムマシーン思考をしたりして。そして、戦後も当分はまだまだ田舎だったと言われる青山に向かう。