六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。年寄り、汚れぎみの人で満員。で、歓声がハンパない。壮絶、とも言える? 端から見ていて、わああって感じ。

 ディッキー・ベッツはサザン・ロックの雄、ザ・オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナル・ギタリスト。デュエイン・オールマン(ギター)の死後、バンドのイニチアシヴを取るようになり、デュエイン生前のものと死後の少しのプロダクツが混在する『イート・ア・ピーチ』(キャプリコーン、1972年)を経ての、カントリー色を強めた『ブラザーズ&シスターズ』(キャプリコーン、1973年)は全米総合1位を獲得。そういう意味では、“ザ・オールマン・ブラザーズ・バンド 中興の祖”という言い方もできるのかもしれぬ。ベッツは息子にデュエインと名付けたものの、バンドのもう一つの顔であるデュエインの弟のグレッグ・オールマン(ヴォーカル、オルガン)とは折り合い悪く、そのため1976年にオールマンズは最初の解散をするなど、しばし両者衝突の情報は報じられてきた。グレイト・サザンはベッツがザ・オールマン・ブラザーズ・バンド解散後に組んだカントリー・ミュージック色も持つバンドで、1977年にセルフ・タイトルのアルバムを出している。

 ステージに出て来た面々を見てワ〜ウ。編成が大きい。ギターと歌を担当する当人に加え、ギター2人(うち、一人は息子のデュエイン)、キーボード/ヴォーカル、ベース、そしてドラムも2人(!)。一気に興味が高まる。これはどう見ても、カントリー・ロックをやる編成ではない。で、少しR&Bぽくもあったオープナー以外はぜんぶザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの曲をやったのではないか。「ワン・ウェイ・アウト」とかをやられると昔の様と比較しちゃい、彼らがぜんぜん万全でないのは明らかなのだが、やはりアガる。高校時代、オールマンズの『イート・ア・ピーチ』収録の「ワン・ウェイ・アウト」と「トラブル・ノー・モア」と「スタンド・バッグ」、そしてエリック・クラプトンの『461オーシャン・ブールヴァード』収録の「アイ・キャント・ホールド・アウト」と「ステディ・ローリン・マン」はレコードをかけて一緒にギターやベースを弾く定番曲であったのダ。すげえ、回数聞いているよなー。面白いことに、原曲でグレッグ・オールマンがヴォーカルを取っていた曲は、わりと若めのキーボード奏者が歌っていた。最後の曲はザ・オールマン・ブラザーズ・バンド最大のヒット曲で、当時のベッツ色が強く出た「ランブリン・マン」。大合唱大会、でした。

<今日の、懐旧>
 昨日の項に書いてあるように、ソニー&シェールのヒット曲「ザ・ビート・ゴーズ・オン」のカヴァーを聞いて、今日の公演に思いが飛んだのは、その夫婦デュオ(と、離婚)を経て、ソロ歌手としてスターになったシェールが、突然サザン・ロックの貴公子(?)であるグレッグ・オールマン(1947年生まれ)と1976年に結婚したからだ。グレッグ・オールマンは当初からブループ活動とともに大々的にソロ活動もしていて、彼の1973年作『レイド・バック』(キャプリコーン)のアルバム・タイトルは当時猛威をふるいつつあったサザン・ロックの持ち味を示す代名詞となったし、同作のヒットを受けて、彼は小オーケストラを従えた編成(グレッグがレイ・チャールズを気取りたかったと言われる)でツアーに出て、それは2枚組のライヴ盤『ザ・グレッグ・オールマン・ツアー』(キャプリコーン、1974年)になった。うーん、なんだかんだオレ、キャプリコーン・レーベルには愛着持っているな。1970年代後期に輸入盤屋にはキャプリコーンのカット盤が流通していて、いろいろ安価で購入できた。
 ジョージア州メイコンにオフィスを置いたキャプリコーン・レコードは、オーティス・レディング(彼のお墓はメイコンにある)のマネイジャーをやっていた白人フィル・ウォルデンが設立したサザン・ロックの専門レーベル(英国ロック・バンドのハイドラや、電気迷宮ジャズのエディ・ヘンダーソンなどのアルバムも出したが)で、同レーベルの成功で彼はメイコンの名士となった。そんなウォルデンはジョージア州知事だったジミー・カーターが民主党候補として1976年に大統領選に出る際に資金協力し、またキャプリコーン在籍アーティストを大挙キャンペーンに駆り出し、当初は全国的には無名だったカーターの大統領就任を少なからず助けたとも言われる。オーティスがいなかったら、キャプリコーン・レコードがなかったら、ジミー・カーターはノーベル平和賞をもらうことはなかったかもしれない。
 話は戻るが、1977年にはワーナー・ブラザーズから共演アルバムも出したシェールとグレッグ・オールマン(リオン&マリー・ラッセル夫妻の1976年作『ウェディング・アルバム』や次作『メイク・ラヴ・トゥ・ザ・ミュージック』とともに、お調子者夫婦の色ぼけ共演作という言い方も一部はされた?)は1979年に離婚、1980年代に入るとシェールは女優業にも進み、より大成するわけだ。今だと、シェールが歌手だったことを知らない人もいるかもしれない。グレッグ・オールマンはその後もザ・オールマン・ブラザーズ・バンドの活動とソロ名義活動をやっているわけだが、今のところ最新作であるT・ボーン・バーネット制作の2011年『ロウ・カントリー・ブルース』(ラウンダー/ユニヴァーサル)は最新作。それは、肝移植手術を受けた後にレコーディングされた。ベッツもまだ69歳(1943年生まれ)だが、ツアーがキャンセルになったりと健康面では不安を抱えているというし、さぞや面々、昔は滅茶苦茶やっていたんだろうな。スライド・ギターという項目にかんして、デュエイン・オールマンはNo.1であり続けているが、今後も彼をしのぐ使い手は出てこないと思われる。残された彼の名演の数々はハード・ドラッグという通行手形のもと“十字路”を渡った先にあるものであったのは言うまでもない。