ボブ・ドロウ

2013年6月28日 音楽
 昔から洒脱なアダルトなジャジー・ポップとして一部のロック・ファンからも評価の高い(ぼくは、ホーギー・カーマイケルやマット・デニスなどとともに、粋な米国ポップとして聞いていた)、ジャズ側に属するシンガー/ピアニストがボブ・ドロウ。現在89歳、当初セカンド・ショウを見ようと思っていたが、高齢ゆえファーストを見たほうが(疲れがでることなく)いいかもしれぬと思い直し、ファースト・ショウを見る。下に記すようにちゃんとした業績を持つ人物ながら(印税もちゃんと入って来ているだろう)、今回が初来日という事実には驚く。
 
 1923年南部アーカンソー州生まれ、兵役を経てノース・テキサス大学で音楽を学び(同大学の音楽教育は高水準であることで、知られる。彼の時代もそうだったのだろうか?)、その後、ショウービズの世界で音楽統括門者として才を発揮するようになるピアニスト、作曲家。そして、彼が世に出た時代はジャズがメインストリームであり、彼もジャズに負った持ち味を存分に持っていたために、彼のリーダーとしてのヴォーカル付きの表現(初アルバムは、ベツレヘム1956年発の『デヴィル・メイ・ケア』)はジャズ・ヴォーカルとして括られてきたわけだ。実はそのデビュー作は他人曲の比率が高いのだが、彼のヒップな曲群はクインシー・ジョーンズやブロッサム・ディアリーからブッカー・T&ザ・MGズまでいろんな人が取り上げているし、シンガーとしてもアート・ガーファンクルやジョン・ゾーン(1999年9月24日、2006年1月21日、他)のザ・ネイキッド・シティのアルバムに呼ばれていたりする。それから、マイルス・デイヴィスとの関わりも有名で、ドロウが自作曲を歌うデイヴィスとの1962年レコーディング曲(アレンジはギル・エヴァンス)が唐突にデイヴィスの1967年作『ソーサラー』に入れられたこともあった。それから、彼が作った九九かけ算もじり曲「スリー・イズ・ザ・マジック・ナンバー」は米ABCの子供向け著名番組「スクールハウス・ロック」に1970年代中期から10年強使われ、米国人なら誰でも知っている曲となっている。

 ギタリストとウッド・ベーシストを従えてのパフォーマンス。さらりと(もったいぶることなく)ステージに出て来た彼は、おお若々しい。歩行も普通で背中もまがっていないし、顔にもめっぽう輝きがある。そして、なんか好奇心一杯に楽しんでいる感じが溢れ出ていて、チャーミングと言いたくなるその様だけで接する者に正の気持ちを与えるだろう。そして、彼は奔放に指を鍵盤にはわせ、思うまま肉声を弾ませる。臨機応援、ニコニコしなやか。それは生理的に弾けていて、ポップ。そんな彼一流の持ち味を十全に押し出す実演に触れれば誰だって、いいモノを聞かせてもらっているという気持ちになれるのではないか。うーぬ、これぞ、映えある米国の都会型表現の昔ながらの粋の一つのパターンじゃと、頷かせるところもあったな。

 実は彼、今世紀に入ってから(過去よりも)続々リーダー作を出していたりもするのだが、その事実にも納得。同様の米国芸能の妙味を出せる人が少なくなっており、なのにドロウは衰えていないんだもの。あ、それから、ベン・シドラン(2010年7月28日、他)のほのかな黒っぽさや音痴っぽいところはモーズ・アリソン(2012年5月25日)のほうに近いが、歌い方自体はドロウの影響のほうが強いのではないか。実演に触れ、そうぼくは思った。

 本来、音楽と年齢は離して評価するべきという人もいるかもしれない。20歳だろうと、40歳だろうと、70歳だろうと、いい音楽は良い。だが、年をとってもまったく、旬の感覚を失わず、今を謳歌しているように彼が見えるところにも、ぼくは心動かされた。いや、彼が89歳というのはほんと何かの間違いではないのか。彼はもしかして、ぼくが知るなかで一番若い89歳か。なんでも、セカンド・ショウも思うままパフォーマンス、まったく異なる曲を披露したらしい。
 
 公演後に流れた先で、事情通から、彼の来日公演がなかなか実現しなかった一つの理由は、彼がプロモーターや代理人を通さず、自分でブッキングをしているためであったからという話を聞いた。なるほど、彼とブルーノート東京のスタッフとは直でEメールのやりとりをしているという話も、すんなりつながる。


<今日の、ルネッサンス>
 ライヴ前、上野・東京都美術館で、<レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像>を見る。6月一杯の出し物ゆえ、けっこう混んでいた。待つことが駄目なせっかちなぼくは、けっこう飛ばし気味に見てしまう。そうしちゃったのは、美術館入りする前に、鰻を食べつつ、冷酒を飲んじゃったせいもあるか。ダ・ヴィンチの絵画は<音楽家としての肖像>1点、くわえて彼の幅広い才を直裁に伝える細かい素描(メモ)書きを22葉用意。とともに、その前後の同系列にある作者のプロダクツもたくさん展示し、ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)が生きた時代の前後の流れを明晰に紹介しようとする。ありゃと思ったのは、けっこうポップな絵面とも少し思わせる作者不詳の<洗礼者聖ヨハネ>という絵で、ヨハネさんがこれみよがしに人差し指を立てていたこと。そしたら、同時代(1520年代)に描かれたベルナルディーノ・ルイーニ<聖家族と洗礼者聖ヨハネ>という絵でも女性の指が同様に描かれている。意味、あるのだろうな。
 しかし、とても奇麗に修復がなされたそれら展示品が今から500年前ものものである事実には驚愕せざるを得ない。よくぞ残っているなーと、コドモみたいな感想が頭に渦巻く。複製じゃねえの、という思いもほんの少し。その後、軽く上野公園をふらついた(こちらも、人がたくさんいたなあ)が、ここの原型となるものの都市計画が最初なされた江戸時代はどんな感じであったのかとか、ふむ鰻を食べるようになったのも江戸の頃であったのだとなとか、普段は考えもしない“時の流れ”についていろいろ思いをめぐらしちゃう。なんか、ささやかに楽しい。帰りに乗った地下鉄銀座線も下町に最初開通したのは昭和初期だよなあとか、疑似タイムマシーン思考をしたりして。そして、戦後も当分はまだまだ田舎だったと言われる青山に向かう。