カトリオーナ・マッケイ&クリス・スタウト(2日)
2005年2月1日 スコットランド生まれのハープ奏者と、一応英国スコットランド圏に今は入
りつつ、かつてはノルウェー領だったこともあるというシェトランド諸島出身
のフィドル奏者のデュオ。20才半ば以上30才未満の二人はグラスゴーの音楽大
学で知り合っており、一緒にフィドラーズ・ビドというグループを組むととも
に、デュオ演奏の機会も持ち、またソロとしてもそれぞれリーダー作を出して
いる。
青砥・かつしかシンフォニーヒルズのアイスリー・ホール。初めて京成線に
乗り、初めて葛飾区に足を踏み入れる。やっぱ、一人の人間がカヴァーできる
領域なんて微々たるものだし、東京も本当に広い。当然のことだ。
例によってトラディッショナルを中心に取り上げる。粛々と、ときに、それ
ぞれのソロ演奏も。スコティッシュ・ハープ(そういえば、ギネスのマークは
ハープだ。アイリッシュ・ハープとはかなり近いらしい)はけっこう小さい。
マッケイ嬢はステージの出入り時に、さらりと持ち運びする。おきゃんな彼女
は少女時代はソニック・ユースが好きだったようだが、ブラジルのミュージシ
ャンと重なるプロジェクトも経験、ブラジルに演奏旅行に行ったときに買った
パンデイロに現在凝っているという。スタウトともども思った以上に上品な演
奏ではありましたが。とはいえ、本編最後の曲の終わりに彼女は低音のほうの
、太い弦を切った。
終わってから、笑顔で飲んじゃった。でも、毎度のようにはごんごん飲みま
くりはしなかったような。でも、とっても楽しかった。ぼくはお酒が好きなん
ではなく、酒の場が好きなのダと思うことにしました。
りつつ、かつてはノルウェー領だったこともあるというシェトランド諸島出身
のフィドル奏者のデュオ。20才半ば以上30才未満の二人はグラスゴーの音楽大
学で知り合っており、一緒にフィドラーズ・ビドというグループを組むととも
に、デュオ演奏の機会も持ち、またソロとしてもそれぞれリーダー作を出して
いる。
青砥・かつしかシンフォニーヒルズのアイスリー・ホール。初めて京成線に
乗り、初めて葛飾区に足を踏み入れる。やっぱ、一人の人間がカヴァーできる
領域なんて微々たるものだし、東京も本当に広い。当然のことだ。
例によってトラディッショナルを中心に取り上げる。粛々と、ときに、それ
ぞれのソロ演奏も。スコティッシュ・ハープ(そういえば、ギネスのマークは
ハープだ。アイリッシュ・ハープとはかなり近いらしい)はけっこう小さい。
マッケイ嬢はステージの出入り時に、さらりと持ち運びする。おきゃんな彼女
は少女時代はソニック・ユースが好きだったようだが、ブラジルのミュージシ
ャンと重なるプロジェクトも経験、ブラジルに演奏旅行に行ったときに買った
パンデイロに現在凝っているという。スタウトともども思った以上に上品な演
奏ではありましたが。とはいえ、本編最後の曲の終わりに彼女は低音のほうの
、太い弦を切った。
終わってから、笑顔で飲んじゃった。でも、毎度のようにはごんごん飲みま
くりはしなかったような。でも、とっても楽しかった。ぼくはお酒が好きなん
ではなく、酒の場が好きなのダと思うことにしました。
ケイティ・メルア
2005年2月3日 昨年、英国で超売れたグルジア出身の女性シンガー。春の日本リリースに際
しての、渋谷・デュオでのコンヴェンション・ライヴ。黒髪が印象的な整った
ルックスを持つ人で、ガット・ギターを弾きながら歌う。で、すぐに声が売り
の人であると納得。ベタな言い方をすればノラ・ジョーンズ的、ジョーンズの
ほうがもう少し柔らかくて漂う感じがあるが、肌触りのいい癒し系の声という
ことでは重なる。途中から、彼女のプロデューサーであり、所属するインディ
・レコード会社の社長であるマイク・バットという人が出てきてピアノで伴奏
をする。これが、自分の手癖でしか弾けない駄目おやじで(ブギウギっぽい引
用も少し赤面させられた)、こんな趣味の悪い人がアルバムで伴奏音を作って
いるかぎりは、普段洋楽を聞いている人には薦めにくいブツになるよなあと思
う。ただ、後からちょっと調べてみたら、シンガー・ソングライターとして、
またアレンジャー/プロデューサーとして、そこそこ英国では実績ある人のよ
うで、確かに彼女のリード曲「ザ・クローゼスト・シング・トゥ・クレイジー
」は良く出来ている。だが、繰り返すが、その感性は錆びた部分がいろいろ伺
われ、ソングライターとしては彼を残してもいいかもしれぬが、プロデューサ
ーはもっとマシな人に変えるべきと強く思う。ただ、メルア嬢はこのバット氏
をかなり信頼しているのが伺え、またマネージメント権のほうまで彼が握って
いるような感じもあるのでそのまま行くんだろうな。まだ20才という彼女は英
国生活も長いようだが(英語を普通に喋る)、ザ・バンド・フリークのノラ・
ジョーンズのように、過去のいいポップ・ミュージックにはあまり触れていな
いよう。それが、最終的な音にも表れているわけで、その野暮ったさが逆に受
けるというところもあるのかもしれない。よくリズムがダサいとか書くことが
ぼくはあるけど、それはぼくの主観的な好みであって、絶対ぼくがダメと感じ
るビートを心地いいと感じる人もいるはずなんだよなあ……。それは好みだも
ん、しょうがない。ま、歌だけでちゃんと支持を集めてもいいとはしっかりと
思わせる実演でした。
しての、渋谷・デュオでのコンヴェンション・ライヴ。黒髪が印象的な整った
ルックスを持つ人で、ガット・ギターを弾きながら歌う。で、すぐに声が売り
の人であると納得。ベタな言い方をすればノラ・ジョーンズ的、ジョーンズの
ほうがもう少し柔らかくて漂う感じがあるが、肌触りのいい癒し系の声という
ことでは重なる。途中から、彼女のプロデューサーであり、所属するインディ
・レコード会社の社長であるマイク・バットという人が出てきてピアノで伴奏
をする。これが、自分の手癖でしか弾けない駄目おやじで(ブギウギっぽい引
用も少し赤面させられた)、こんな趣味の悪い人がアルバムで伴奏音を作って
いるかぎりは、普段洋楽を聞いている人には薦めにくいブツになるよなあと思
う。ただ、後からちょっと調べてみたら、シンガー・ソングライターとして、
またアレンジャー/プロデューサーとして、そこそこ英国では実績ある人のよ
うで、確かに彼女のリード曲「ザ・クローゼスト・シング・トゥ・クレイジー
」は良く出来ている。だが、繰り返すが、その感性は錆びた部分がいろいろ伺
われ、ソングライターとしては彼を残してもいいかもしれぬが、プロデューサ
ーはもっとマシな人に変えるべきと強く思う。ただ、メルア嬢はこのバット氏
をかなり信頼しているのが伺え、またマネージメント権のほうまで彼が握って
いるような感じもあるのでそのまま行くんだろうな。まだ20才という彼女は英
国生活も長いようだが(英語を普通に喋る)、ザ・バンド・フリークのノラ・
ジョーンズのように、過去のいいポップ・ミュージックにはあまり触れていな
いよう。それが、最終的な音にも表れているわけで、その野暮ったさが逆に受
けるというところもあるのかもしれない。よくリズムがダサいとか書くことが
ぼくはあるけど、それはぼくの主観的な好みであって、絶対ぼくがダメと感じ
るビートを心地いいと感じる人もいるはずなんだよなあ……。それは好みだも
ん、しょうがない。ま、歌だけでちゃんと支持を集めてもいいとはしっかりと
思わせる実演でした。
キヨシ小林&ジプシー・スウィング・ギャング
2005年2月4日 新宿・ミノトール2、コレ発記念のライヴ。ジプシー・スウィング系ギター
表現の日本の第一人者率いるグループ(2004年2月1日)で、ギター3とアコ
ースティック・ベース。寛いで、悠々。すぐ側で聞くと、ギターの刻みの微妙
なズレが奥行きや揺れを作っているのが判る。ちょっとリズムが不安定に感じ
るところもあったけど……。1部の最後は、彼らのヴァージョンがスマップの
TV番組のお料理コーナーで用いられているという曲で、そのときは知り合い
という正装コックさんがそれに合わせて料理の真似事をする。なんか軽妙で、
そういう設定もいいかな。そういえばキヨシ小林は取材のときはぶっきらぼう
な答しか返さないくせに、MCだとなかなか勘どころをつかんだお喋りをさら
りとこなす。お客を前にしたときはちゃんとこなせる、という姿勢は正しいと
思う。
2部には新作で入っていたアコーディオン奏者も客演ということだっだが、
1部で失礼して、渋谷に向かう。駅近くの、プラグ。こちらもレコ発で、ジャ
ズ・ファンク・バンドのグルーヴライン。ただし、こちらも2部構成でやって
んのかと思ったら、1部構成のそれですでに演奏は終盤にさしかかろうという
ところ。しかも、お客が入れ口まであふれてて、全然ステージは見えず。全然
、判んねえ。新宿にそのままいなさい、ということであったか。
表現の日本の第一人者率いるグループ(2004年2月1日)で、ギター3とアコ
ースティック・ベース。寛いで、悠々。すぐ側で聞くと、ギターの刻みの微妙
なズレが奥行きや揺れを作っているのが判る。ちょっとリズムが不安定に感じ
るところもあったけど……。1部の最後は、彼らのヴァージョンがスマップの
TV番組のお料理コーナーで用いられているという曲で、そのときは知り合い
という正装コックさんがそれに合わせて料理の真似事をする。なんか軽妙で、
そういう設定もいいかな。そういえばキヨシ小林は取材のときはぶっきらぼう
な答しか返さないくせに、MCだとなかなか勘どころをつかんだお喋りをさら
りとこなす。お客を前にしたときはちゃんとこなせる、という姿勢は正しいと
思う。
2部には新作で入っていたアコーディオン奏者も客演ということだっだが、
1部で失礼して、渋谷に向かう。駅近くの、プラグ。こちらもレコ発で、ジャ
ズ・ファンク・バンドのグルーヴライン。ただし、こちらも2部構成でやって
んのかと思ったら、1部構成のそれですでに演奏は終盤にさしかかろうという
ところ。しかも、お客が入れ口まであふれてて、全然ステージは見えず。全然
、判んねえ。新宿にそのままいなさい、ということであったか。
ソニックマニア
2005年2月6日 昨年に続く(2004年1月31日)、二日間の冬のロック・フェス。今年は二日
目に行く。場所は同じ幕張メッセながら、建物棟は前回と違っていて(千葉県
立の地下駐車場に止めるとすぐ近くなところ)、今年はモニター・ヴィジョン
を挟んで並列でステージが並んでいる。昨年より、ちょっと規模は小さめと言
えるのかな? その二つのステージにアーティストが交互に出るというのは去
年と同様だ。
会場入りする前に、近所のアウトレットを覗く。いまさん(でも、サマソニ
のときも覗いちゃうのかなー)。で、近隣施設でちゃんとご飯を食べてから入
ったら、一時前に着いていたはずなのに、すでにコットンマウス・キングズの
出番だった。DJとドラム奏者以外はみんな前に立って、声を出したり動いた
りしている。オバカなヒップホップ乗りでやっているが、感じは悪くない。が
、飲み物を買いに出たら知り合いと会い喋りこんでしまう。そしたら、零れる
出てくる音の印象はどんどん曲調が軟弱になっていったような……。
ブンブンサテライツ(2002年11月16日)にはうわ。まさか、生ギターを持
ってちゃんと歌う、生理的に甘い曲をやるとは。そんな新曲にも表れているよ
うに、もっと大きく両手を広げ、より多数の人を相手にしようという方向にシ
フトしているのは確か。さて、その勝負、どう出るか?
ジュノ・リアクターはかつてフジ・ロックで見ていらい(文章では触れてい
ないが、00年のときかな? 01年だったかな?)。あのときは、ペイントした
半裸の有色巨漢さんたちがフロントに出ての、けっこうトライバルなパフォー
マンスという印象を得たが、今回もほとんど同じような乗りで迫る。でも、久
しぶりだし、ヘラヘラしながら見れました。オペラっぽい歌い方も出来る女性
シンガーは、前回加わっていなかったと思うが。
続いては、ガンズ&ローゼズのアクセル・ローズ(2002年8月17日)抜き+
その他のバンドである、ヴェルヴット・リヴォルヴァー。スラッシュの大昔の
ソロとか大好きだったし、ニッコリ見れると思ったら、あれれ。なんで、こん
なにスリルないの? 5曲ぐらいで飽きて、外に出てしまいました。おれ、や
っぱロック嫌いになってんのかなーとふと思ったが、型にはまった、覇気と自
由度と艶に欠ける表現であったのは間違いない。
そして、この日のトリはマリリン・マンソン(2001年3月11日。あと、触れ
てないけど、2001年8月19日のサマソニの球場会場のほうでも見ているナ)。
この日の会場のそこかしこにその手のファッションの人がいて、いまだちゃんと
人気あるんだなと素直に思う。とにかく、きっちりいろんな意味でプロのステ
ージ。スケールは小さくなったようにも少し感じたけど、他の出演者がちゃら
く感じちゃうもの。なるほど貴重な人、頷きました。途中で帰京しちゃったけ
ど。そういえば、2曲目と3曲目の間に、ザ・ビートルズの「レヴォルーショ
ン」の一節をチラリと歌ったような。
目に行く。場所は同じ幕張メッセながら、建物棟は前回と違っていて(千葉県
立の地下駐車場に止めるとすぐ近くなところ)、今年はモニター・ヴィジョン
を挟んで並列でステージが並んでいる。昨年より、ちょっと規模は小さめと言
えるのかな? その二つのステージにアーティストが交互に出るというのは去
年と同様だ。
会場入りする前に、近所のアウトレットを覗く。いまさん(でも、サマソニ
のときも覗いちゃうのかなー)。で、近隣施設でちゃんとご飯を食べてから入
ったら、一時前に着いていたはずなのに、すでにコットンマウス・キングズの
出番だった。DJとドラム奏者以外はみんな前に立って、声を出したり動いた
りしている。オバカなヒップホップ乗りでやっているが、感じは悪くない。が
、飲み物を買いに出たら知り合いと会い喋りこんでしまう。そしたら、零れる
出てくる音の印象はどんどん曲調が軟弱になっていったような……。
ブンブンサテライツ(2002年11月16日)にはうわ。まさか、生ギターを持
ってちゃんと歌う、生理的に甘い曲をやるとは。そんな新曲にも表れているよ
うに、もっと大きく両手を広げ、より多数の人を相手にしようという方向にシ
フトしているのは確か。さて、その勝負、どう出るか?
ジュノ・リアクターはかつてフジ・ロックで見ていらい(文章では触れてい
ないが、00年のときかな? 01年だったかな?)。あのときは、ペイントした
半裸の有色巨漢さんたちがフロントに出ての、けっこうトライバルなパフォー
マンスという印象を得たが、今回もほとんど同じような乗りで迫る。でも、久
しぶりだし、ヘラヘラしながら見れました。オペラっぽい歌い方も出来る女性
シンガーは、前回加わっていなかったと思うが。
続いては、ガンズ&ローゼズのアクセル・ローズ(2002年8月17日)抜き+
その他のバンドである、ヴェルヴット・リヴォルヴァー。スラッシュの大昔の
ソロとか大好きだったし、ニッコリ見れると思ったら、あれれ。なんで、こん
なにスリルないの? 5曲ぐらいで飽きて、外に出てしまいました。おれ、や
っぱロック嫌いになってんのかなーとふと思ったが、型にはまった、覇気と自
由度と艶に欠ける表現であったのは間違いない。
そして、この日のトリはマリリン・マンソン(2001年3月11日。あと、触れ
てないけど、2001年8月19日のサマソニの球場会場のほうでも見ているナ)。
この日の会場のそこかしこにその手のファッションの人がいて、いまだちゃんと
人気あるんだなと素直に思う。とにかく、きっちりいろんな意味でプロのステ
ージ。スケールは小さくなったようにも少し感じたけど、他の出演者がちゃら
く感じちゃうもの。なるほど貴重な人、頷きました。途中で帰京しちゃったけ
ど。そういえば、2曲目と3曲目の間に、ザ・ビートルズの「レヴォルーショ
ン」の一節をチラリと歌ったような。
田村夏樹カルテット
2005年2月10日 北朝鮮との、サッカーの試合の晩。なんとなく、街の人出が少ないような。
なーんて思ってしまうのも、テレ朝を筆頭とする、あまりに過剰な盛り上げ事
前報道のせいだ。野球のキャンプはあんなに報道するのにどうしてJリーグの
それは報道しないプンプン、なんて普段思っているぼくでも、ありゃ視聴率稼
ぎの偏向報道以外の何物でもないと思う。報道の倫理、なんてものはまったく
ないのダと今回痛感させられましたね。その反発から試合放映そっちのけでラ
イヴを見に行ったんじゃなく、この日あいていると問われて試合のこと忘れて
て、行けますよと言ってしまっての結果ではあったのだけど。基本的に、男に
二言はない。でも、やはりリアル・タイムで見たかった。だけど、そうしてた
ら、かなり鬱憤のたまる試合内容ではあったなー。
渋谷・クラシックス。田村(2003年4月7日、2004年10月10日、他)の新カ
ルテット。藤井郷子(アコーディオン)、津村和彦(ガット・ギター)、是安
則克(ベース)という布陣によるもの。実は、レコーディングをすでに終えて
いるそうで、この日はそのアルバム収録曲をすべてやったようだ。ドラムレス
という編成が物語るように、ある意味室内楽的な、書かれたものを重視して、
音をやんわり重ねていきますという方向性を持つ。その楽曲は素朴でメロディ
アスながらけっこう暗めのものであり、民族音楽他の語彙も自然に入りこんで
いるもの。曲によっては、フェリーニなんかを思わせるという説明もありか。
本当に発展を前にして留めているような腹5分目の演奏もあった。でも、やは
りそれより先に進んで節度あるインプロを交換するの曲のほうがぼくは興
味ひかれたが。それから、アコーディオン一本で勝負した藤井(1999年8月16
日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年1月21日、20
04年7月27日、他)はいい根性してんじゃん。表層の音色の特徴だけを用いた
使用法で、ぜんぜん弾けてない。もうアコーディオンという楽器ならではの
持ち味/キャラをいっさい介さないそれを真面目なアコーディオン奏者が見た
ら、とっても悲しい気持ちになるんじゃないだろうか。それから、お互いの表
現になにかと関与しあう田村/藤井夫妻であるが、そのデュオ演奏は見たこと
ないな、やったことはあるのかなとふと思った。カーラ・ブレイとスティーヴ
・スワロウ・デュオではないが(ぼくは、大甘のそれ、けっこう嫌いです)。
ジミー・スミスが2月8日に亡くなった。本当に、大きなものを提出してく
れた人。今度は、本当に鷹のように天空から見下ろしてくださいね(2001年1
月31日参照)。
なーんて思ってしまうのも、テレ朝を筆頭とする、あまりに過剰な盛り上げ事
前報道のせいだ。野球のキャンプはあんなに報道するのにどうしてJリーグの
それは報道しないプンプン、なんて普段思っているぼくでも、ありゃ視聴率稼
ぎの偏向報道以外の何物でもないと思う。報道の倫理、なんてものはまったく
ないのダと今回痛感させられましたね。その反発から試合放映そっちのけでラ
イヴを見に行ったんじゃなく、この日あいていると問われて試合のこと忘れて
て、行けますよと言ってしまっての結果ではあったのだけど。基本的に、男に
二言はない。でも、やはりリアル・タイムで見たかった。だけど、そうしてた
ら、かなり鬱憤のたまる試合内容ではあったなー。
渋谷・クラシックス。田村(2003年4月7日、2004年10月10日、他)の新カ
ルテット。藤井郷子(アコーディオン)、津村和彦(ガット・ギター)、是安
則克(ベース)という布陣によるもの。実は、レコーディングをすでに終えて
いるそうで、この日はそのアルバム収録曲をすべてやったようだ。ドラムレス
という編成が物語るように、ある意味室内楽的な、書かれたものを重視して、
音をやんわり重ねていきますという方向性を持つ。その楽曲は素朴でメロディ
アスながらけっこう暗めのものであり、民族音楽他の語彙も自然に入りこんで
いるもの。曲によっては、フェリーニなんかを思わせるという説明もありか。
本当に発展を前にして留めているような腹5分目の演奏もあった。でも、やは
りそれより先に進んで節度あるインプロを交換するの曲のほうがぼくは興
味ひかれたが。それから、アコーディオン一本で勝負した藤井(1999年8月16
日、2000年6月2日、2000年10月1日、2002年8月5日、2003年1月21日、20
04年7月27日、他)はいい根性してんじゃん。表層の音色の特徴だけを用いた
使用法で、ぜんぜん弾けてない。もうアコーディオンという楽器ならではの
持ち味/キャラをいっさい介さないそれを真面目なアコーディオン奏者が見た
ら、とっても悲しい気持ちになるんじゃないだろうか。それから、お互いの表
現になにかと関与しあう田村/藤井夫妻であるが、そのデュオ演奏は見たこと
ないな、やったことはあるのかなとふと思った。カーラ・ブレイとスティーヴ
・スワロウ・デュオではないが(ぼくは、大甘のそれ、けっこう嫌いです)。
ジミー・スミスが2月8日に亡くなった。本当に、大きなものを提出してく
れた人。今度は、本当に鷹のように天空から見下ろしてくださいね(2001年1
月31日参照)。
ザ・ケミカル・ブラザーズ
2005年2月13日 2000年2月8日、2002年7月27日以来、彼らのことを見るのかな。舞浜・N
Kホール。もう、クローズされて使われなくなると聞いていたけど……。車だ
と幕張から見れば都内と言っていいほどすぐに着いてしまうし(首都高だけの
料金で行けるし)、ヒルトン・ホテルの駐車場に留めればすぐに会場入りでき
るし、ちゃんとしたホールだし、今回そんなに悪くない会場なんだなと思った
。ただ、2回廊下の煙草の煙の充満し具合は絶望的なぐらい酷いが。
入口できっちりとしたセット・リストをもらう。そりゃ、そうだわな。彼ら
のパフォーマンスってライティング/映像などのコンピューター仕掛けのいろ
んな効果が楽曲と厳密に噛み合ってこそのものであり(それをもっと徹底して
いるのが、クラフトワーク:2002年12月13日)、それゆえ彼らの演目はび
しっと定められているはずだから。そう、ケミカルのステージというと、純粋
な音楽コンサートという気があまりしない。でも、だからこそ、たまには触れ
てみたいという気にもなる。<お金と技術をたんまりかけた、現代エンターテ
インメントの一つのあり方>の確認というか。まあ、ステージ設定が大がかり
なことで知られるU2やストーンズにも同様の視点は持てるんだろうけど、パ
フォーマーの肉体性をあまり出さず、かつ音を出す過程を見せることがないケ
ミカルの場合はその度合いがより強い。
会場内に入ると、踊るぞといった感じのT・シャツ姿になった若人がいっぱ
い。本当に普通の人が来ているだよなあ。みんな大勢になって騒ぎたいんだな
ー。アリーナはスタンディング、2階は椅子席。5000人は超える入りだろうと
推測する。
心理学としての音楽パフォーマンス。どう、音と映像と光と煙などのステー
ジ効果をかみ合わせれば、より人を高揚させ、開放させ、満足感を与えられる
かという……。音は迫力あるし(でも、前のほうが感動を覚えたな)、レーザ
ー光線は綺麗だったし、当然のことながら楽しかったが、その組み合わせは最
良というまでは達していない。というか、もっともっと効果的な重なりを求め
られるはずと、ぼくは思った。
ところで、髪の毛をやってくれているおにいちゃんからたまに飲むおねいち
ゃんまで20代のぼくの回りの何人かが、昨年秋に新設された金沢の21世紀美術
館にわざわざ行っててちと驚く。なかなかいいらしい。現代美術というと水戸
のそれは有名だったが(ぼくも梅を見がてら、行ったことが一度あった)、そ
こにいたキュレイターもそちらに流れているらしい。魚と海岸ドライヴ(隣県
には砂浜をゴンゴン走っていい海岸があるらしい)を絡めて行くのアリかな?
Kホール。もう、クローズされて使われなくなると聞いていたけど……。車だ
と幕張から見れば都内と言っていいほどすぐに着いてしまうし(首都高だけの
料金で行けるし)、ヒルトン・ホテルの駐車場に留めればすぐに会場入りでき
るし、ちゃんとしたホールだし、今回そんなに悪くない会場なんだなと思った
。ただ、2回廊下の煙草の煙の充満し具合は絶望的なぐらい酷いが。
入口できっちりとしたセット・リストをもらう。そりゃ、そうだわな。彼ら
のパフォーマンスってライティング/映像などのコンピューター仕掛けのいろ
んな効果が楽曲と厳密に噛み合ってこそのものであり(それをもっと徹底して
いるのが、クラフトワーク:2002年12月13日)、それゆえ彼らの演目はび
しっと定められているはずだから。そう、ケミカルのステージというと、純粋
な音楽コンサートという気があまりしない。でも、だからこそ、たまには触れ
てみたいという気にもなる。<お金と技術をたんまりかけた、現代エンターテ
インメントの一つのあり方>の確認というか。まあ、ステージ設定が大がかり
なことで知られるU2やストーンズにも同様の視点は持てるんだろうけど、パ
フォーマーの肉体性をあまり出さず、かつ音を出す過程を見せることがないケ
ミカルの場合はその度合いがより強い。
会場内に入ると、踊るぞといった感じのT・シャツ姿になった若人がいっぱ
い。本当に普通の人が来ているだよなあ。みんな大勢になって騒ぎたいんだな
ー。アリーナはスタンディング、2階は椅子席。5000人は超える入りだろうと
推測する。
心理学としての音楽パフォーマンス。どう、音と映像と光と煙などのステー
ジ効果をかみ合わせれば、より人を高揚させ、開放させ、満足感を与えられる
かという……。音は迫力あるし(でも、前のほうが感動を覚えたな)、レーザ
ー光線は綺麗だったし、当然のことながら楽しかったが、その組み合わせは最
良というまでは達していない。というか、もっともっと効果的な重なりを求め
られるはずと、ぼくは思った。
ところで、髪の毛をやってくれているおにいちゃんからたまに飲むおねいち
ゃんまで20代のぼくの回りの何人かが、昨年秋に新設された金沢の21世紀美術
館にわざわざ行っててちと驚く。なかなかいいらしい。現代美術というと水戸
のそれは有名だったが(ぼくも梅を見がてら、行ったことが一度あった)、そ
こにいたキュレイターもそちらに流れているらしい。魚と海岸ドライヴ(隣県
には砂浜をゴンゴン走っていい海岸があるらしい)を絡めて行くのアリかな?
まず6時から、六本木・ブエナビスタインターナショナルジャパン試写室で
、ウェス・アンダーソン監督(「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」他)の「ラ
イフ・アクアティック」を見る。ビル・マーレイ扮する海洋冒険家/映画制作
家とそのクルー(チーム・ズィスーといい、お揃いの格好をしている。みんな
、それなりに癖アリ)たちと織りなす、海を舞台とする冒険譚。大半の舞台と
なる船のなかの描き方をはじめ、現実を十分に弁えた設定とまったくお伽話っ
ぽい(ポップと言うことも出来るはず)設定が絶妙な距離感とともに重ねられ
、不思議な味わいを出していておおいに頷く。
含みと示唆とウィットに富む、他愛ないけど、なんとなくいい感じの娯楽映
画。黄色い潜水艦のシーンも出てきて、ザ・ビートルズのイエロー・サブマリ
ンへのオマージュとなっている感じの部分もあるか。なるほど、これはクスっ
と笑えて、ちょっと高揚させ、少しホロリともさせ、しいては人生は……人間
は……っても思わせる、大人の寓話というに相応しい映画だ。やるなあ、ディ
ズニー。
そして、(ブラジル)音楽ファンは、ファロファ・カリオカ出身で、映画
「シティ・オブ・ゴッド」出演で多大な印象を残したセウ・ジョルジがクルー
の一員として出演していることに興味を惹かれるだろうか。彼がギターの弾き
語りをしているシーンは多数、それが風通しの良いアクセントとなったり、嬉
しい人間味を加味することに繋がっている。ジョルジの新作『クルー』は哀愁
や渋みに満ちた実直ギター弾き語り基調作となっていたが、それがもっと軽く
淡々とした感じで映画では披露されている。で、あらららと思わせられたのは
、「スター・マン」ほかパフォームする曲がどれもデイヴィッド・ボウイの曲
で、それをポルトガル語経由のいい加減なハナモゲラ調で披露していること。
ウヒヒヒ。
とかなんとか、ポップ文化をいろいろと体内にため込んでいる人には、随所
に抗しがたい設定がなされている映画とも言える。そういえば、この前取材し
たマーカス・ミラーも同意していたが(それは、彼がケン・ヒックスというオ
ペラ歌手のプロデュースをしたことからそういう話になった。発売前のプロダ
クツを5曲ぐらい聞かせてもらったが、オペラとジャズの融合というお題目に
は鼻をつまみたくなるぼくもあっと驚く良好な出来を示していた)、現在ア
メリカ音楽界ではベイビー・ブーマー世代をはじめとするエルダー・マーケッ
ト(ロック最初期世代ですね)の再開拓に腐心しているそうだが、それは映画
界のほうにも当てはまるのだろうか。ともあれ、映画「ライフ・アクアティッ
ク」はちょっと先が見えた人たちのココロにもポッとなんらかの火を燈すよう
な作品だと思う。
そして、終わったあとタクシーに飛び乗り、南青山・マンダラに。ブラジル
が誇る名パンデイロ奏者マルコス・スザーノを挟んでのセッション(2001年12
月19日、2002年7月21日、他)がちょうど始まるときに到着し、ニコっ。スザ
ーノ以外は、勝井祐二(2004年11月19日、他)、エマーソン北村(2003年3月
11日)、そして佐藤タイジ、森俊之、沼澤尚のサンパウロ(2002年1月30日、
2004年1月30日、他)組。それに、途中から、ブラジル人のキーボード奏者も
加わる。ずっと途切れなしの2時間セッション。佐藤タイジはギターよりもベ
ースを弾いているときのほ方が長かったかかも。スザーノのブラジル流儀を聞
かせますというよりは、日本人のお手合わせのほうにスザーノがおおそうくる
かいといった感じで重なる。彼はそのほうが新鮮だろうな。一番、自分の流儀
を出したのは勝井祐二か。勝井、沼澤を中心とするセッションが4月にモーシ
ョン・ブルー・ヨコハマであるそうな。それから、スザーノは今週末のシアタ
ーブルック(2000年7月29日、2001年12月22日、2003年6月22日)の公演にも
ゲスト入りするという。
、ウェス・アンダーソン監督(「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」他)の「ラ
イフ・アクアティック」を見る。ビル・マーレイ扮する海洋冒険家/映画制作
家とそのクルー(チーム・ズィスーといい、お揃いの格好をしている。みんな
、それなりに癖アリ)たちと織りなす、海を舞台とする冒険譚。大半の舞台と
なる船のなかの描き方をはじめ、現実を十分に弁えた設定とまったくお伽話っ
ぽい(ポップと言うことも出来るはず)設定が絶妙な距離感とともに重ねられ
、不思議な味わいを出していておおいに頷く。
含みと示唆とウィットに富む、他愛ないけど、なんとなくいい感じの娯楽映
画。黄色い潜水艦のシーンも出てきて、ザ・ビートルズのイエロー・サブマリ
ンへのオマージュとなっている感じの部分もあるか。なるほど、これはクスっ
と笑えて、ちょっと高揚させ、少しホロリともさせ、しいては人生は……人間
は……っても思わせる、大人の寓話というに相応しい映画だ。やるなあ、ディ
ズニー。
そして、(ブラジル)音楽ファンは、ファロファ・カリオカ出身で、映画
「シティ・オブ・ゴッド」出演で多大な印象を残したセウ・ジョルジがクルー
の一員として出演していることに興味を惹かれるだろうか。彼がギターの弾き
語りをしているシーンは多数、それが風通しの良いアクセントとなったり、嬉
しい人間味を加味することに繋がっている。ジョルジの新作『クルー』は哀愁
や渋みに満ちた実直ギター弾き語り基調作となっていたが、それがもっと軽く
淡々とした感じで映画では披露されている。で、あらららと思わせられたのは
、「スター・マン」ほかパフォームする曲がどれもデイヴィッド・ボウイの曲
で、それをポルトガル語経由のいい加減なハナモゲラ調で披露していること。
ウヒヒヒ。
とかなんとか、ポップ文化をいろいろと体内にため込んでいる人には、随所
に抗しがたい設定がなされている映画とも言える。そういえば、この前取材し
たマーカス・ミラーも同意していたが(それは、彼がケン・ヒックスというオ
ペラ歌手のプロデュースをしたことからそういう話になった。発売前のプロダ
クツを5曲ぐらい聞かせてもらったが、オペラとジャズの融合というお題目に
は鼻をつまみたくなるぼくもあっと驚く良好な出来を示していた)、現在ア
メリカ音楽界ではベイビー・ブーマー世代をはじめとするエルダー・マーケッ
ト(ロック最初期世代ですね)の再開拓に腐心しているそうだが、それは映画
界のほうにも当てはまるのだろうか。ともあれ、映画「ライフ・アクアティッ
ク」はちょっと先が見えた人たちのココロにもポッとなんらかの火を燈すよう
な作品だと思う。
そして、終わったあとタクシーに飛び乗り、南青山・マンダラに。ブラジル
が誇る名パンデイロ奏者マルコス・スザーノを挟んでのセッション(2001年12
月19日、2002年7月21日、他)がちょうど始まるときに到着し、ニコっ。スザ
ーノ以外は、勝井祐二(2004年11月19日、他)、エマーソン北村(2003年3月
11日)、そして佐藤タイジ、森俊之、沼澤尚のサンパウロ(2002年1月30日、
2004年1月30日、他)組。それに、途中から、ブラジル人のキーボード奏者も
加わる。ずっと途切れなしの2時間セッション。佐藤タイジはギターよりもベ
ースを弾いているときのほ方が長かったかかも。スザーノのブラジル流儀を聞
かせますというよりは、日本人のお手合わせのほうにスザーノがおおそうくる
かいといった感じで重なる。彼はそのほうが新鮮だろうな。一番、自分の流儀
を出したのは勝井祐二か。勝井、沼澤を中心とするセッションが4月にモーシ
ョン・ブルー・ヨコハマであるそうな。それから、スザーノは今週末のシアタ
ーブルック(2000年7月29日、2001年12月22日、2003年6月22日)の公演にも
ゲスト入りするという。
ザ・デルガドス、オトゥール・ドゥ・リュシーのヴァレリー・ルーリオ
2005年2月16日 まず、オトゥール・ドゥ・リュシーというフランスのギター・バンドのフロ
ントに立つヴァレリー・ルーリオが男性キーボード奏者とともにパフォーマン
ス。さらり、でも丁寧なパフォーマンス。僕としては強い感興を覚えるもので
はなかったが、別にやられてもイヤな感じはない。彼女のパフォーマンスが終
わると少し会場の混み具合が緩和される。彼女目当ての人もいたようだ。
そして、グラスゴーからやってきた、ザ・デルガドス。ステージ上には6人
、キーボード奏者が二人。それ、サポートなのかな。彼ら、一人のほうはヴィ
オラを弾いたり、もう一人はフィドルを弾いたり。なんか、スコットランドっ
ぽさをそんなところにも感じたかな。と、これはこじつけだが、お金稼いでも
その使い道を知らなそうだぞと思わせるところをはじめ、なにかとグラスゴー
という項目と結び付けて考えたくなるところはいろいろ。
レコードと同様に男女がかわるがわるリード・ヴォーカルを取ったのだが、
それは男女でリベラルに事にあたっていると思わせるものであるナ。そう、総
じて感じさせられたのは、素朴ななかに溢れるまっとうさのようなもの。細か
いところにツっこみを入れたくなる部分もあったけど、人間が重なってやって
いるというキブンがあふれてて、ニコリとなれた。
ントに立つヴァレリー・ルーリオが男性キーボード奏者とともにパフォーマン
ス。さらり、でも丁寧なパフォーマンス。僕としては強い感興を覚えるもので
はなかったが、別にやられてもイヤな感じはない。彼女のパフォーマンスが終
わると少し会場の混み具合が緩和される。彼女目当ての人もいたようだ。
そして、グラスゴーからやってきた、ザ・デルガドス。ステージ上には6人
、キーボード奏者が二人。それ、サポートなのかな。彼ら、一人のほうはヴィ
オラを弾いたり、もう一人はフィドルを弾いたり。なんか、スコットランドっ
ぽさをそんなところにも感じたかな。と、これはこじつけだが、お金稼いでも
その使い道を知らなそうだぞと思わせるところをはじめ、なにかとグラスゴー
という項目と結び付けて考えたくなるところはいろいろ。
レコードと同様に男女がかわるがわるリード・ヴォーカルを取ったのだが、
それは男女でリベラルに事にあたっていると思わせるものであるナ。そう、総
じて感じさせられたのは、素朴ななかに溢れるまっとうさのようなもの。細か
いところにツっこみを入れたくなる部分もあったけど、人間が重なってやって
いるというキブンがあふれてて、ニコリとなれた。
テリー・キャリア
2005年2月17日 2002年5月21日、2004年4月19日に続く、南青山・ブルーノート東京。キー
ボード、サックス、ギター、ベース、ドラム、打楽器という英国人を中心とす
るバッキング編成はこのところずっとのもの(前回の来日公演からは、ドラマ
ーと打楽器奏者が変わっている)。そして、なにより演奏パートの時間もたっ
ぷり取った、ジャジーなヒューマン・ミュージックが過去同様に展開される。
歌声は相変わらず良好。部分的には、よりスポンテニアスな歌い方をしていた
ような。本編だけで1時間半近く。そして、アンコールはキャリア一人で生ギ
ターの弾き語り。嬉しい。最初、バッキング・メンバーも出てきたのを彼が帰
らせたので、一人でやるのはその場で決めたのかな。それ、たっぷり10分を超
えるものでした。
ボード、サックス、ギター、ベース、ドラム、打楽器という英国人を中心とす
るバッキング編成はこのところずっとのもの(前回の来日公演からは、ドラマ
ーと打楽器奏者が変わっている)。そして、なにより演奏パートの時間もたっ
ぷり取った、ジャジーなヒューマン・ミュージックが過去同様に展開される。
歌声は相変わらず良好。部分的には、よりスポンテニアスな歌い方をしていた
ような。本編だけで1時間半近く。そして、アンコールはキャリア一人で生ギ
ターの弾き語り。嬉しい。最初、バッキング・メンバーも出てきたのを彼が帰
らせたので、一人でやるのはその場で決めたのかな。それ、たっぷり10分を超
えるものでした。
グラマラス(ヴィンセント・アトミクス、他)
2005年2月19日 グラマラスという芳垣安洋(2004年11月17日、他)が主催するイヴェント(
レーベル名でもある)で、渋谷・クラブクアトロ。昼さがりサッカーのA3チ
ャンピオンズ・カップの試合見てたら(昔からマリノスは贔屓にしているが、
どーしても岡田監督には親しみを覚えん。あのフランスW杯のときの戦術は予
選突破を現実的に見据えた名采配であったとは思うにも係わらず。俺、眉が薄
い人間を嫌いなのかな?)、扁桃腺が腫れ気味になってきて、ちょっとイヤな
面持ちで会場に(週開けて、少し熱を出す。それでダン・ヒックスをパスする
)。前日に続きとても寒く小雨が降る日だったが、入りはなかなか。それ、芳
垣人気(そーゆえば、誰かジャン・レノみたいじゃないと言っていたナ)だっ
たら素晴らしい。まあ、かなり出演者の顔ぶれは豪華だしな。
まず、今回のイヴェント用に組んだというベーシスト、松永孝義(電気ベー
スだけを弾く)のスペシャル・グループ。ミュート・ビートの同僚であった増
井郎人(tb) 、リード楽器の矢口博康(元リアル・フィッシュ) 、ギターの桜
井芳樹(ロンサム・ストリングス、ストラーダ、シカラムータ)、ドラムの井
の浦英雄(海の幸、サンディ&サンセッツ)他、9人編成。また、一部3人の
女性コーラスも加わったりも。基本的にはレゲエのビートに根を置くが、置か
ないものも。生理としてのエキゾや越境がその奥にあったような。とくに、ホー
ン・セクションなしでピアニカを弾くHakase-sunをフィーチャーした有名曲カ
ヴァー(曲名おもいだせず)は素晴らしかった。時空を超えると書くと大げさ
だが、すうっと枠をかっとぶ感じがあったもん。それにしても、ベースの音レ
ヴェルがとっても高いのにはびっくり。いくらなんでも……。
そして、2004年11月19日のROVO公演にも出ていたGOMAが、セット・
チェンジの間パフォームする。デュジュリデゥを音処理しつつ(ぶっとい、音
になるんだなあ)、ラップトップ音なんかも絡ませつつ、今ノリで聞かせる。
アリですね。この後出てきた芳垣のMCによると、ROVOのときの共演が縁
での出演になったようだ。
で、芳垣率いるヴィンセント・アトミクス。2ドラム、2ヴァイオリン、2
トンボーン、ヴァイブ、縦ベースという変則編成。岡部洋一、太田恵資、勝井
祐二、松本治、青木タイセイ、高良久美子、水谷浩章……、ROVOと大友良
英のONJQ/ONJEと渋さ関連者、プラス・アルファですね。で、けっこ
う構成されているようでどんどん自由に動いていくような表現(各曲は長目)
を触れて、なるほどと唸る。だって、どこにもない、誰でもない、彼らの音楽
になっていたもの。もうちょっと、明快な部分があってもいいとは思ったけど
。ともあれ、ジャズの冒険精神/ある種の流儀を糧に思うまま漂おうとする、
複雑にして不思議な流麗さを持つ音楽……。
レーベル名でもある)で、渋谷・クラブクアトロ。昼さがりサッカーのA3チ
ャンピオンズ・カップの試合見てたら(昔からマリノスは贔屓にしているが、
どーしても岡田監督には親しみを覚えん。あのフランスW杯のときの戦術は予
選突破を現実的に見据えた名采配であったとは思うにも係わらず。俺、眉が薄
い人間を嫌いなのかな?)、扁桃腺が腫れ気味になってきて、ちょっとイヤな
面持ちで会場に(週開けて、少し熱を出す。それでダン・ヒックスをパスする
)。前日に続きとても寒く小雨が降る日だったが、入りはなかなか。それ、芳
垣人気(そーゆえば、誰かジャン・レノみたいじゃないと言っていたナ)だっ
たら素晴らしい。まあ、かなり出演者の顔ぶれは豪華だしな。
まず、今回のイヴェント用に組んだというベーシスト、松永孝義(電気ベー
スだけを弾く)のスペシャル・グループ。ミュート・ビートの同僚であった増
井郎人(tb) 、リード楽器の矢口博康(元リアル・フィッシュ) 、ギターの桜
井芳樹(ロンサム・ストリングス、ストラーダ、シカラムータ)、ドラムの井
の浦英雄(海の幸、サンディ&サンセッツ)他、9人編成。また、一部3人の
女性コーラスも加わったりも。基本的にはレゲエのビートに根を置くが、置か
ないものも。生理としてのエキゾや越境がその奥にあったような。とくに、ホー
ン・セクションなしでピアニカを弾くHakase-sunをフィーチャーした有名曲カ
ヴァー(曲名おもいだせず)は素晴らしかった。時空を超えると書くと大げさ
だが、すうっと枠をかっとぶ感じがあったもん。それにしても、ベースの音レ
ヴェルがとっても高いのにはびっくり。いくらなんでも……。
そして、2004年11月19日のROVO公演にも出ていたGOMAが、セット・
チェンジの間パフォームする。デュジュリデゥを音処理しつつ(ぶっとい、音
になるんだなあ)、ラップトップ音なんかも絡ませつつ、今ノリで聞かせる。
アリですね。この後出てきた芳垣のMCによると、ROVOのときの共演が縁
での出演になったようだ。
で、芳垣率いるヴィンセント・アトミクス。2ドラム、2ヴァイオリン、2
トンボーン、ヴァイブ、縦ベースという変則編成。岡部洋一、太田恵資、勝井
祐二、松本治、青木タイセイ、高良久美子、水谷浩章……、ROVOと大友良
英のONJQ/ONJEと渋さ関連者、プラス・アルファですね。で、けっこ
う構成されているようでどんどん自由に動いていくような表現(各曲は長目)
を触れて、なるほどと唸る。だって、どこにもない、誰でもない、彼らの音楽
になっていたもの。もうちょっと、明快な部分があってもいいとは思ったけど
。ともあれ、ジャズの冒険精神/ある種の流儀を糧に思うまま漂おうとする、
複雑にして不思議な流麗さを持つ音楽……。
ブラッド・メルドー
2005年2月20日 前回来日公演(2003年2月15日)と同様に墨田トリフォニー・ホールでのソ
ロ・パフォーマンス。で、そのとき指摘しているように、この人はリズム・セ
クションを必要とする人で、ソロだと魅力は半減する(文字通りに!)。だが
、今回メルドーはサイド・マンとともに来日し、地方公演ではちゃんとトリオ
編成でやっているのだという。それなのに、なぜ東京だけはソロ演奏の公演で
しかやらないのか。そりゃ、普段と異なることをやるというのは本人にとって
も変化が出てウェルカムではあるだろう。ましてや、彼の近作は前回の来日時
に同ホールで録られたライヴ盤であるし。でも、魅力が落ちるものは落ちる(
と思う人はけっこういる。少なくても、僕の回りでは)。1部はソロ、2部は
トリオという構成のショウにはできなかったのか。
で、実際、演奏が始まるとなんとなくつまらない。飽きる。前回と違い、よ
く指裁きが見えるところから見ていたにも係わらず。妙にクラシックっぽいと
ころも鼻につくし……。根暗であることも、マイナスの情緒としてより増幅さ
れる。それから、前回も思ったが、ホールに合わせて遠目には小綺麗になって
んだよなあ。ヨレた恰好で刺青見せながら、くわえ煙草で演奏していたブルー
ノート公演(2002年3月19日)が懐かしい。ファースト・セット終了後の休憩
時、普段はあまりジャズを聞いてなさそうだが昔から彼の姿勢が好きなんです
と言う女史に「おい、つまんねえなあ」と話しかけ、大いに顰蹙を買う。
で、2部。へえ、こんなことってあるんだあ。聞き味が、1部と違って聞こ
える。闊達。ぜんぜん、良い。遙かに上質。ザ・ビートルズ、レイディオヘッ
ド、ポール・サイモンなどポップ系の曲をいろいろやったからかもしれぬが(
蛇足だが、彼の女房はオランダ人のフルーリーンという歌手で、ジャズとポッ
プを行き来するようなことをやっている)、その変化の流れ具合がとっても興
味深く聞こえる。ニコっと指裁きを追える。ほう、とんでもなく指が動くぢゃ
んと素直に共感できる。でも、1部と2部でこれほど感じが違っていいの?
人間が素直なところでやる芸とはそういうものかもしれぬが。2部の演奏なら
、拍手で彼を認めます。これなら、お金も払える。
ところで、クラシック系ホールの常でアンコールを要求する声はしつこい。
3回目に出てきたときはしょうがねえなあといった感じで彼は「リクエストは
」と問う。それが、彼が唯一ステージ上で発した言葉だ。そして、観客の声
に従ったかどうかは知らないが、セロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム
」を披露。これも良かった。その後も、アンコールを求める拍手はやまず。だ
が、ステタンディング・オヴェイションする人はそれほど多くない。いかに、
シャクティのときの公演(2005年1月31日)の光景は例外であったかを再確認
した。
ところで、パフォーマンスを見ていてぼくがなんとなく思ったのは、キース
・ジャレットがフリー・フォームのピアノ・ソロ集をごんごん出していたとき
、たとえば日本で『サンベア・コンサート』を録っていたときって、今のメル
ドーぐらいの年齢だったのかなあということ。満員の客の前でソロ・ピアノを
披露する彼を見ながら、日本で彼は第2のキース・ジャレット的な位置=平た
く言ってしまえば、ピアノの貴公子的な色彩も帯びた、非ジャズ層をも取り込
むジャズ文化人/名士というブランドを獲得できるだろうかと考えた。……今
回のパフォーマンスもまたライヴ盤化されたりして。
ロ・パフォーマンス。で、そのとき指摘しているように、この人はリズム・セ
クションを必要とする人で、ソロだと魅力は半減する(文字通りに!)。だが
、今回メルドーはサイド・マンとともに来日し、地方公演ではちゃんとトリオ
編成でやっているのだという。それなのに、なぜ東京だけはソロ演奏の公演で
しかやらないのか。そりゃ、普段と異なることをやるというのは本人にとって
も変化が出てウェルカムではあるだろう。ましてや、彼の近作は前回の来日時
に同ホールで録られたライヴ盤であるし。でも、魅力が落ちるものは落ちる(
と思う人はけっこういる。少なくても、僕の回りでは)。1部はソロ、2部は
トリオという構成のショウにはできなかったのか。
で、実際、演奏が始まるとなんとなくつまらない。飽きる。前回と違い、よ
く指裁きが見えるところから見ていたにも係わらず。妙にクラシックっぽいと
ころも鼻につくし……。根暗であることも、マイナスの情緒としてより増幅さ
れる。それから、前回も思ったが、ホールに合わせて遠目には小綺麗になって
んだよなあ。ヨレた恰好で刺青見せながら、くわえ煙草で演奏していたブルー
ノート公演(2002年3月19日)が懐かしい。ファースト・セット終了後の休憩
時、普段はあまりジャズを聞いてなさそうだが昔から彼の姿勢が好きなんです
と言う女史に「おい、つまんねえなあ」と話しかけ、大いに顰蹙を買う。
で、2部。へえ、こんなことってあるんだあ。聞き味が、1部と違って聞こ
える。闊達。ぜんぜん、良い。遙かに上質。ザ・ビートルズ、レイディオヘッ
ド、ポール・サイモンなどポップ系の曲をいろいろやったからかもしれぬが(
蛇足だが、彼の女房はオランダ人のフルーリーンという歌手で、ジャズとポッ
プを行き来するようなことをやっている)、その変化の流れ具合がとっても興
味深く聞こえる。ニコっと指裁きを追える。ほう、とんでもなく指が動くぢゃ
んと素直に共感できる。でも、1部と2部でこれほど感じが違っていいの?
人間が素直なところでやる芸とはそういうものかもしれぬが。2部の演奏なら
、拍手で彼を認めます。これなら、お金も払える。
ところで、クラシック系ホールの常でアンコールを要求する声はしつこい。
3回目に出てきたときはしょうがねえなあといった感じで彼は「リクエストは
」と問う。それが、彼が唯一ステージ上で発した言葉だ。そして、観客の声
に従ったかどうかは知らないが、セロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム
」を披露。これも良かった。その後も、アンコールを求める拍手はやまず。だ
が、ステタンディング・オヴェイションする人はそれほど多くない。いかに、
シャクティのときの公演(2005年1月31日)の光景は例外であったかを再確認
した。
ところで、パフォーマンスを見ていてぼくがなんとなく思ったのは、キース
・ジャレットがフリー・フォームのピアノ・ソロ集をごんごん出していたとき
、たとえば日本で『サンベア・コンサート』を録っていたときって、今のメル
ドーぐらいの年齢だったのかなあということ。満員の客の前でソロ・ピアノを
披露する彼を見ながら、日本で彼は第2のキース・ジャレット的な位置=平た
く言ってしまえば、ピアノの貴公子的な色彩も帯びた、非ジャズ層をも取り込
むジャズ文化人/名士というブランドを獲得できるだろうかと考えた。……今
回のパフォーマンスもまたライヴ盤化されたりして。
ザ・ベネヴェント/ルッソ・デュオ、ザ・ダーティン・ダズン・ブラス・バン
ド。
2005年2月28日 渋谷・クラブクアトロ。ここのところずっと来日時はブルーノート東京(20
02年7月30日、2004年7月28日)に出演していたDDBBだが、今回はスマッ
シュ仕切りでホール公演。で、なんと前座としてキーボード奏者とドラマーの
ユニットであるザ・ベネヴェトン/ルッソ・デュオが出演。その組み合わせは
ローパドープに両者が在籍していることから実現したようだが、これはとって
も嬉しい。というのも、その二人によるジョーイ・ワロンカー制作の『ベスト
・リーズン・トゥ・バイ・ザ・サン』はNY自由地下系ジャズ・ファンクとシ
カゴ系ポスト・ロック・サウンド(実際、トータスなんかは大好きだそう)の
見事な合致表現といえるものだから。
実演は、事前の印象にプラスしてジャム・バンドっぽい喧騒/盛り上げ感覚
を加味したような感じ。なるほど、元フィッシュのマイク・ゴードンとツアー
をやったというのも頷けるな。ほんと、とてもいいじゃないか、という感想を
強くしました。DDBBの客層にも、彼らはかなり受けてたなあ。演奏はきっ
ちり1時間。自分たちがメインのときは二人だけで2,3時間やるときもある
という。一部プリセット音を使用していたが、それはドラマーが出していたよ
うだ。まだ20代半ばちょいの彼ら、けっこうルックスもいい人達。次はぜひフ
ジ・ロックで!
そして、DDBB。歳をとって往年のあっと驚く切れ味や血沸き上がるよう
な躍動感を失い、それを経験でどうカヴァーするかという課題にこのところず
っと望んでいる彼らだが、肉声の使い方や態度の介し方などを通しまあ上手く
補っていたのではないか。終盤、ベネヴェントのほうがオルガンで客演。音の
ほうはあんまし聞こえなかったが。
02年7月30日、2004年7月28日)に出演していたDDBBだが、今回はスマッ
シュ仕切りでホール公演。で、なんと前座としてキーボード奏者とドラマーの
ユニットであるザ・ベネヴェトン/ルッソ・デュオが出演。その組み合わせは
ローパドープに両者が在籍していることから実現したようだが、これはとって
も嬉しい。というのも、その二人によるジョーイ・ワロンカー制作の『ベスト
・リーズン・トゥ・バイ・ザ・サン』はNY自由地下系ジャズ・ファンクとシ
カゴ系ポスト・ロック・サウンド(実際、トータスなんかは大好きだそう)の
見事な合致表現といえるものだから。
実演は、事前の印象にプラスしてジャム・バンドっぽい喧騒/盛り上げ感覚
を加味したような感じ。なるほど、元フィッシュのマイク・ゴードンとツアー
をやったというのも頷けるな。ほんと、とてもいいじゃないか、という感想を
強くしました。DDBBの客層にも、彼らはかなり受けてたなあ。演奏はきっ
ちり1時間。自分たちがメインのときは二人だけで2,3時間やるときもある
という。一部プリセット音を使用していたが、それはドラマーが出していたよ
うだ。まだ20代半ばちょいの彼ら、けっこうルックスもいい人達。次はぜひフ
ジ・ロックで!
そして、DDBB。歳をとって往年のあっと驚く切れ味や血沸き上がるよう
な躍動感を失い、それを経験でどうカヴァーするかという課題にこのところず
っと望んでいる彼らだが、肉声の使い方や態度の介し方などを通しまあ上手く
補っていたのではないか。終盤、ベネヴェントのほうがオルガンで客演。音の
ほうはあんまし聞こえなかったが。