清水靖晃&サキソフォネッツ
2010年2月27日 音楽 今週はようやく気候が温み、ホっとする。それまで2月は、ほんと寒かったア。ながら、冬場は通常ずっと風邪ぎみ(でも、ズボラなんで医者に行こうかとは思わないが)だったりする私なのだが、今期は現在のところ一切風邪の症状とは無縁。うれしいが、どうして? どんどん、体力/抵抗力は下がっているはずなのに。が、クラシック仕様の会場/雰囲気のなかにいて、この日は見事に咳をごほごほしたくなる(いや、少しする)。錦糸町・すみだトリフォニーホール。
ジャズ、ポップ(CM曲で見せる、そっち方面のセンスはすごい)、クラシックなどいろんなジャンルを自在に横断しまくりのテナー・サックス奏者と各種サックス奏者4人が協調するユニット(2000年12月16日、2006年9月26日)の、バッハの「ゴルドベルク変奏曲」(18世紀に、チェンバロ演奏のために書かれたそう)をやりますという出し物。彼のサキソフォネッツは<バッハ曲をサックスのアンサンブルにて紐解き、それを開かれた場にて宙に溶けさせる>という名目を持っていたはずだが、この前みたときはバッハ/クラシックから離れ、いい意味で下世話(民謡的)な五音音階のメロディにのぞむユニットに移行していたはずなのだが、ここではまた前のノリを出す。小パンフを見たら、この会場は<ゴルドベルク変奏曲>をいろんな人が演奏するシリーズを打っているようなので、会場の求めに従い、今回は再びバッハ曲に立ち戻ったのかもしれない。
が、そこは清水のこと、一筋縄で行くはずもなく、クリエイティヴにかっとぶ。鍵盤用に書かれた楽曲をサックス群用に書き直すだけでなく、そこにさらに4人のコントラバス奏者の演奏を加えて(<5本のサクソフォンと4本のコントラバスによる>という、副題がつく)、250年以上も前につくられた曲を今の揺れや色彩感を持つものに持ってこようと、彼はする。編曲段階でかなり引き算したり足し算したり、ときには拡大解釈も加えてもいるようで、オリジナルよりも長目の演奏になったよう。冒頭は清水一人の即興演奏、2曲目から9人により、原曲に従い主題と30もの派生ヴァリエイションが提示されたわけだが、15個目が終わった時点で休憩が入った。
枠を定めない、高尚さと隣り合わせの、開放された音楽行為……。しかし、大学なぞに行かずに現場叩き上げである清水(元マライア。その所属事務所は、確かビーイング)が、芸大出の奏者たちを堂々掌握し、また普段クラシックを聞く人が多いだろう観衆を魅了していく様は愉快千万。うひひひ。
ジャズ、ポップ(CM曲で見せる、そっち方面のセンスはすごい)、クラシックなどいろんなジャンルを自在に横断しまくりのテナー・サックス奏者と各種サックス奏者4人が協調するユニット(2000年12月16日、2006年9月26日)の、バッハの「ゴルドベルク変奏曲」(18世紀に、チェンバロ演奏のために書かれたそう)をやりますという出し物。彼のサキソフォネッツは<バッハ曲をサックスのアンサンブルにて紐解き、それを開かれた場にて宙に溶けさせる>という名目を持っていたはずだが、この前みたときはバッハ/クラシックから離れ、いい意味で下世話(民謡的)な五音音階のメロディにのぞむユニットに移行していたはずなのだが、ここではまた前のノリを出す。小パンフを見たら、この会場は<ゴルドベルク変奏曲>をいろんな人が演奏するシリーズを打っているようなので、会場の求めに従い、今回は再びバッハ曲に立ち戻ったのかもしれない。
が、そこは清水のこと、一筋縄で行くはずもなく、クリエイティヴにかっとぶ。鍵盤用に書かれた楽曲をサックス群用に書き直すだけでなく、そこにさらに4人のコントラバス奏者の演奏を加えて(<5本のサクソフォンと4本のコントラバスによる>という、副題がつく)、250年以上も前につくられた曲を今の揺れや色彩感を持つものに持ってこようと、彼はする。編曲段階でかなり引き算したり足し算したり、ときには拡大解釈も加えてもいるようで、オリジナルよりも長目の演奏になったよう。冒頭は清水一人の即興演奏、2曲目から9人により、原曲に従い主題と30もの派生ヴァリエイションが提示されたわけだが、15個目が終わった時点で休憩が入った。
枠を定めない、高尚さと隣り合わせの、開放された音楽行為……。しかし、大学なぞに行かずに現場叩き上げである清水(元マライア。その所属事務所は、確かビーイング)が、芸大出の奏者たちを堂々掌握し、また普段クラシックを聞く人が多いだろう観衆を魅了していく様は愉快千万。うひひひ。