丸の内・コットンクラブ。ファースト・ショウ、見事にフル・ハウス。

 テレンス・ブランチャード(2002年7月3日、2005年8月21日)やエリック・ハーランド(2005年5月11日、2007年10月3日、2008年4月6日)のグループに関与してきた、25歳になった西海岸生まれ在NYのジャズ・ピアニスト(2002年7月3日、2005年8月21日)。子供のころの家族旅行を含め、5度目の来日とか。14歳で飛び級で大学に入った事に示される(音楽だけでなく、そのころは数学やコンピューターも専攻していたそうな)ように、かつては神童でならした御仁のよう。今年、ブルーノートからリーダー作『インビジブル・シネマ』を出したが、それ以前にも自主制作的に4枚もアルバムを出している。が、それらはないものとして地中の奥深くに埋めたいそうだが。と言いつつ、そういうことも素直にインタヴューしたらしゃべる。音楽を聞くとどこか屈折してそうだが、実際に接すると普通のいい奴だ。

 管付き表現も好きとのことだが、そのブルーノート盤と同じ、ギター付きカルテットにてパフォーマンス。パット・メセニーっぽいとも思わせるギタリストのマイク・モレーノはヒューストン出身で、ジェイソン・モラン(2007年1月16、17日)やロバート・グラスパー(2007年10月3日)や前出のエリック・ハーランドやビヨンセ(2001年6月25日、2006年9月4日)と同じ芸術高校の出身。ベースのマット・ペンマン(2005年5月10日)はマデリン・ペルー他のサポートで来た事がある。ドラムのヨッケン・リュッカートはテキサス育ちのノラ・ジョーンズがNYに出て最初に入ったバンドであるワックス・ポエティクスで叩いていた奏者。同行していないハーランド以外はCDと同様の顔ぶれ、彼らはパークスの多分にセンチなストーリー性を持つ曲に粛々と対応する。

 レディオヘッド(2001年10月4日、2004年4月18日、2008年10月4日)大好きトランペッターであるクリスチャン・スコット(2008年7月23日、同9月10日)のレコーディングにも関与するパークスはハイティーンになるまであまりポップ・ミュージックに親しむことはなかったというが、現在は良く聞いていて、とくにレディオヘッドやブロンド・レッドヘッド(2002年1月27日)は大のお気に入りであるそう。面々はプログレッシヴ・ロックならぬプログレッシヴ・ジャズとも少し言いたくなる構成に凝ったパークス曲をけっこう長目(平均15分近く?)にやっていた。アンコールはモンクの「ラウンド・ミットナイト」を取り上げる。本編でも、1曲、スタンダードをやったかな。

 年齢よりも少し老けて見えるパークス君はマモル・コバヤカワという年配の日本人カメラマンとアパートをシェアしていて(パークスのそれなりに雰囲気のあるCDカヴァー写真は、その日本人が撮っている)、日本についての知識や興味もけっこう持っているよう(日本酒や焼酎も嗜むみたい)。公演終了後に、彼は2週間ばかり滞日し、仙台とか地方にも行くようだ。

<付録>
「ブルーノートから話が持ちかけられたときは、そりゃうれしかった。ブルーノートのレコードを聞いて育ったし、それで演奏できるようになったから。でも、レコーディング中はブルーノートから出ることは考えないようにした。だって、僕のもそのカタログに加わると思うと怖くなっちゃうから」とも言うパークスの、”僕の大好きなブルーノート作品三選”である。とても、共通性のあるセレクションなり……。

○ハービー・ハンコック/エンピリアン・アイルズ(65年)
○サム・リヴァース/コントアーズ(66年)
○マッコイ・タイナー/ザ・リアル・マッコイ(67年)