代官山・UNIT(ここのお酒の値段はクラブの値付け。音楽の実演ヴェニ
ューとして考えると高め)。前方3分の2だとステージを見やすいはずだが、
後ろのほうにいるとあまりステージが見えない。かといって、前には非常に行
きにくく。あまり見えないなか、ブラジルの変テコさんの実演を受け止める。

 まず、NY自由音楽シーンを根城にいろんな活動をしているパーカッショニ
ストのバティスタが登場。この9月5日(MMW)と9月16日(トレイ・ア
ナスタシオ・バンド)、約2か月の間に彼のことを3度も見ようとは。彼、さ
かのぼるならハービー・ハンコックの非エレクトック公演(2000年3月14日)
にも同行している。

 なんと巻上公一を伴ってのもの。けっこう、こなれて重なっていて、それな
りにリハをやった? クスっと笑える打楽器系音と肉声の重なりを鷹揚に求め
る。ユーモアと開かれた私の、天真爛漫さとネヒくれがファジーに重なりあっ
た末の提示。客に対するアピールの仕方とか、いろいろ引き出しを持っている
んだナとも思う。

 パティスタの実演が終わって、パスコアールは登場。かつてライヴ・アン
ダー・ザ・スカイのフィーチャード・アーティストになったこともある、いろ
んな楽器を手にするかっとびさんの実演はピアノ・ソロから。音だけ聞くと、
ピアノ自体は力がないし、クラシックっぽさはしょーもないし、ぼくにはいま
いち。でも、奇声を上げたり、ヤカンとかのブツを用いてのパフォーマンスは
興味深いものと思う。それにちらりとしか見えなかったが、あの外見はそれだ
けで見る者に何かを与えるよな。といった感じで、たとえば、リー“スクラッ
チ”ペリー(2004年8月7日)と同様の美味しい体験感覚があるような気もす
るが、いかんせん殆ど見えないなかではいまいち判断がつきません。途中で、
ブラジル人らしき女性ヴォーカル/ギターがちょっと入ったようだ。

 それぞれ、40分ぐらいやったか。同じ国籍を持つ無頼派どおし、少しでも一
緒にやるのかと思えばそれはなし。見たかったけど……、残念。両者はいろん
なものを楽器にしてしまうところや、肉声こそが根本の表現手段と思っている
ようなところは共通。とともに、その奥に子供のような天真爛漫さや、枠や常
識なんぼのもんじゃいという気持ちを持っていることも相似している。そして
、ひいてはブラジルの素敵の飄々とした表出にもそれらは繋がっていたはずだ