ジャズ巨人の名前を冠したビッグ・バンドで、その構成員にはフランク・ウ
ェス、アントニオ・ハート、クラウディ・ロディッティら有名人が入っている
。南青山・ブルーノート東京、同所に出るのは3度目となるらしい。指揮をし
ていたのは、大御所スライド・ハンプトン。特別ゲストとなっていたロイ・ハ
ーグローヴ(2003年2月18日、2003年9月21日)は一セクション員として出ず
っぱり。見事なドレッド・ロックスが坊主頭になっていた。ビッグ・バンドの
ショウにはつきものと言えるだろう、華を添える女性シンガー(それなりの年
の白人女性)も登場した。ゴージャスなジャズ・ビッグ・バンド表現の魅力を
やんわり伝える。ただ、意外だったのはベースがエレクトリックだったこと(
昔、BN−LA期のブルーノートで弾いてたりしたジョン・リー)。これは、
前回もそうだったらしいが、やっぱり縦のほうが風情が出ると思うが。

ナチュラリー7

2004年12月6日
 渋谷・アックス。一階フロアの前半分に椅子が出ている。広いステージには
何もなし。7人組の、米国東海岸の黒人アカペラ・グループ。ま、それだけい
るとヴァリエイションはいろいろと付けやすいよな。うち、一人はヒューマン
・ビート・ボックス専任といってもいいくらいで、ヒップホップのりも持つ
コーラスを手変え品変え送りだす。マイクの使い方がポイント、エンジニアの
腕がモノを言うかも。楽器音を模した肉声も披露するが、そちらはそんなに似
ているとは言いがたい。ジャジーな感じはそれほどせず、もうちょっとバシっ
と一糸乱れずかみ合うところがあってもいいと思ったけど、聞かせて見せる連
中なのは間違いない。

 途中で退座し、今年最初の忘年会に。あー、師走だあ。

D12

2004年12月7日
 デトロイトのラップ・チーム。そのなかの白一点、エミネムがソロとして大
ブレイクしたおかげで、彼らも表舞台に引き出された。もちろん、エミネム抜
きの来日。青海・ゼップ東京、久しぶりに来たような。彼らは明日もここでや
るが、この日はかなり空いていたせいもあり、広い会場だなあと再確認。5M
Cと1DJ。小細工なしの太いビートに、五者の基本的に小細工なしの声が乗
る。まったくもって単純。やりっぱなし。昨日のナチュラリー7と比べたら、
その鍛練は百分の1にも満たないかも知れない。やっぱ、音に苦労が表れない
というのは、怠け者のぼくとしては生理的には心地よい。
 
 ドシドシいう鼓動的ビートに野卑な肉声群の組み合わせは本当に原始的だな
、とも思う。だが、アフリカの記憶が都会的環境で覚醒したその表現を披露す
る様はどことなく今っぽい光景(というか、会場の感じや照明のせいもあって
10年前のSF映画の一シーンのよう)に思えたりも。車で行ったためいっさい
飲めなかったが、「サキ・スキ(酒、好き)」と連呼するロクデナシどもの、
ずしんと来るライヴをぼくは楽しんだ。
 日本では2002年7月5日のフォーラムA以来、ぼくはちゃんと見ることにな
るのかな。新宿・東京厚生年金会館。国際線のエコノミーで配るようなワイン
のミニ・ボトルを500 円で売っていた。ショウが終わったあと、(少なくても
ぼくよりは)熱心なコステロのファンたちと流れたのだが、彼らはこの日のパ
フォーマンスは貴重なものではないかとのたまう。一人曰く、コステロの来日
ライヴでも1,2を争う出来の悪さではなかったか……。と言いつつ、憤慨し
た様子はあまりなく、それをさっぱり笑顔で語ってくれちゃったりもするのだ
が。

 確かに頭のほうは音もスカスカで、なんか1枚ベールを通してライヴに接し
ている気持ちにもなった。バンド音の組み合わせが悪い感じがしたし、コステ
ロの青筋の立て具合が少なく、物分かりがいいおやじ度数が増したような気が
した(じっさい、ニコニコ嬉しそうにやっているように1階席の後ろのほうか
らは見えた)。それは気合入りまくりだった今年のオースティンのフェス公演
(2004年9月19日)を見た者としては余計に感じる。だが、それでも、ロック
の道理を知る、才あるおやじのお金の取れる芸披露になっていたとぼくは思う
。やっぱり、コステロはコステロぢゃとぼくは思いながら聞いてました。なお
、9日の公演はもっと時間が長く(演目もけっこう変わったよう)、もっと濃
いものであったそう。

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ください。データー消滅につき、新たにアドレス帳に入れたいで〜す。

カーネーション

2004年12月12日
 結成20周年のお祝いを兼ねたコンサート。九段下・九段会館。最初は3人で
、前に見たとき(2003年10月3日)のような正々堂々のパフォーマンス。が、
数曲やったあとは、次々にゲストが加わる。最初にスカパラの北原雅彦(1999
年9月12日、他)、その後はムーンライダース(2001年7月29日)の3人。白
井良明、鈴木博文、鈴木慶一の順で曲ごとに加わっていき、最後は3人が中央
に並ぶ。白井だけが加わったパートは頭の悪そうなロックになっていて幻滅。
鈴木弟は相変わらず痩身で、退き気味の佇まいがいい感じ。大昔、編集者をや
っていたとき何度か原稿をお願いしたことがあったけど、基本的にあのころと
変わってなくて嬉しくなった。鈴木兄は最初、カブリものをして登場。変。今
年のあたまに取材したときも変な髭の剃り方してたけど(顎髭を逆モヒカンの
感じで剃刀を当てていた)、飄々とアーティストらしい変人感覚を持つ人だな
あ。

 休憩を挟んで、宮川弾トリオなるグループの演奏。男性ピアニストと女性の
ヴァイオリンとチェロ奏者が重なるのだが、これがなかなか美味。ふっと入っ
たラウンジでこんな瀟洒な演奏がなされていたらぼくはニッコリしちゃうなあ
。なんでも、その男性はカーネーションのストリングス・アレンジをしている
そうで、3曲やったうちの1曲はカーネションの断片をくっつけたもので、こ
の日のために作ったものとか。彼らはカーネションとは絡まずそのまま引っ込
む。1曲ぐらい一緒にやればいいのに。

 そのあとはバッファロー・ドーター(2002月2月13日、2003年11月8日)の
大野由美子がキーボードで加わり(このときが、ぼくは一番美味しいと感じた
かな)、さらにヒックスビル(2001年12月16日)の中森泰弘がギターで入る。
ちょっと厚いノリでの、カーネーション。

 途中から、咳がげほげほ。隣の人が嫌そうな感じもあったし、トヨタ・カッ
プが気になって(ぼく、絶対にPK戦になると思ってました)、2時間半を回
ったところで退出。風邪をひいたなあと認知して、もう2か月強。熱は出ない
し、お酒もガンガン飲めるし気にせず生活しているが(長続きしてて、気にす
るのに飽きたと言ったという側面もあるなあ)。人によっては百日咳じゃない
のとか、花粉症じゃないという人もいるが。どーなんでしょ。

 継続は力なり。温かいファンと同業者に囲まれてのこんなショウが出来るカ
ーネションは幸せなバンドだとも思ったが、それは自らが導いたものであるな
あ。それから、映像をきっちり押さえてたよう。
 渋谷・アックス。7月14日に続き、今年見るのは2回目。ずっと前のパフォ
ーマンスから見ればパンク臭は減っているが、エッジィな感じで突き進む様は
独自の感興あり。理屈抜きに、愛すべきバンド。今回のライヴはそんなにソウ
ルっぽいと思わせるところはなかったような気がするが、それは酔っぱらって
いたからか。見ながら、2000年7月5日のジョンスペ登場前のサマソニJBロ
ック・リスナー一喝事件を思い出した。なお、前座はザ・キルズ。前回来日公
演(2003年5月14日)と同様に二人だけによるパフォーマンス。基本的には
変わらないが、遠目にはいい人度数が増したような。

渡辺香津美

2004年12月15日
 リチャード・ボナ(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、20
02年12月14日)とオラシオ・エルネグロ・エルナンデス(2000年1月12日、20
01年5月15日、2002年7月24日、2002年10月3日、2002年12月27日、2003年8
月9日、2004年4月5日。わ、ずいぶん見ているんだなあ)を迎えてのもの。
リチャード・ボナは凄かった。技術、歌心、エンターテインメント性といった
、いろんな部分で。彼のフュージョンぽいところは好きくないが、今回はあん
ましそういうのも気にならなかった。渋谷・オーチャードホール。

ザップ・ママ

2004年12月16日
 女傑(マイケル・フランティ:2003年7月27日と一卵双生児のよう、と昔お
互いに言い合っていた)マリー・ドルヌのソロ・プロジェクト。南青山・ブル
ーノート東京。

 女性シンガー二人、歌とウッド・ベースを担当する芸達者な立派な体躯の女
性、ギターと電気ベースを曲により引き分ける人、ドラム、パーカッション(
一部、ラップも)、ターンテーブルという布陣によるもの。彼女がV2に移籍
して、ネオ・フィリー勢と絡んだ新作『アンセストリー・イン・プログレス』
は概ね好評のようだが実演はそれをはるかに上回るもの、実は新作を心から楽
しめないぼくも全面的にウッキーとなれちゃうショウでした。アフリカとアメ
リカを繋ぐダイナミックな弧の上を自在行き来し、独りよがりにならずに確か
な個を出していく様はお見事。おいしゅうございました。

渡辺貞夫

2004年12月17日
 渋谷・オーチャードホール。ドン・グルーシン、ロベン・フォード(2004年
10月22日、他)、アレックス・アクーニャらLAのプレイヤーを中心に呼んで
の公演。いわゆる、フュージョン。とってもフランクで、それなりの伸縮性や
インタープレイもあり。ブラジル味やアフリカ味の差し込みももちろんあり。
そういう広がりをソツなつ具現する器としてフュージョンという様式が彼には
適していたんだろうな。と、実演を見ながら思った。

 その後、すぐ近くでやっていたアルタン(2000年5月21日、2002年9月1日
)の打ち上げに顔を出す。くつろぎと酒と演奏はセット、アイリッシュ勢は本
当によくギグを終えた後も自らの楽しみのためといった感じで、お酒片手に気
軽に笑顔で演奏する。その様子を某男性誌が取材。途中でザ・コッターズの面
々も合流する。それ、人は減ったが2時すぎまで続く。そのあとも誰かはどこ
かで……。

デニス・ラサール

2004年12月20日
 作曲能力にも優れた、70年代以降のサザン・ソウルの良さを体現する大御所
女性シンガー。なんでも、80年以来、2度目の来日となるらしい。サポートは
、ギター、ベース、ドラム、キーボード、そして二人の女性コーラス。まず、
バンドが出てきて、彼女の有名曲のさわりをメドレーで演奏。R&Bではよく
あるパターン。そして1部、2部ともに、まず冒頭はバッキング・シンガーに
1曲づつ歌わせ、その後に彼女が登場し、歌う。別に足取り怪しいわけでもな
いのに(70才ぐらい。年齢よりは若く見えるかな)、マネージャーらしき白人
男性と付き人とおぼしき黒人女性に挟まれて出てくるのが面白い。女性のほう
はそのままステージ端に置かれた椅子に座り、彼女を見守り、ときに水のペッ
トボトルを差し出す。
 
 頭をパツキンに染めた彼女はちょい歌っただけで流石、とうならせる。とと
もに、バッキング・コーラス陣と比べると、愛想はいいが立つだけで何かを語
りかけるものあり。ワーキング・バンドはもう少し重量感があってもいいとは
思うが、そんな足を引っ張るものではない。客はおっさんは多いが、おばさん
はそれほど多くない。あちらでは彼女、あけすけなトークで同性からやんやの
喝采を受けるようだが。ブルーズン・ソウル調楽曲の手応えもさすが。ああ、
今年はパークタワー・ブルース・フェスティヴァル(1999年12月19日、2000年
12月7日、2002年12月15日、2003年12月12〜13日)がないのだなあ。寂しい。
歌った時間はファーストより短かったが、セカンド・セットのほうが声はより
出ていたはず。

 舞浜・クラブイクスピアリ。前回ここに来たときと同様に(2004年11月15
日)、この日も気分よくワインのボトルを2本あける。知り合いと会いふるま
ったとはいえ一人で行っているのに……ぼく、上客ですね。たとえば、先日
ブルーノート(ザップ・ママ)に行ったときは、飲み物に関しては二人でシ
ャンパンのハーフ・ボトルにハウス・ワインのデキャンタ(その後に、もう
一軒寄るわけだけど)。なるほど、ここは入れ替えがないのでいる時間が長
くなり、飲む量がそれに比して多くなるのだな。

 1時間のファースト・セットが終わったのはちょうど8時半、扉が開けられ
たロビーからディズニーランドで打ち上げらる5分間の花火がいい感じで見え
た。11時少し前の舞浜駅はディズニーランド帰りの人達で相当な込み具合、で
した。