去年のフジロックではモグワイを見てないから(そのときのライヴ、本人た
ちが最高のギグって絶賛しているとか)、2001年4月26日以来見ることになる
のか。今回の来日公演のトピックは彼らが運営する“ロック・アクション”レ
ーベルのアーティストを二組引き連れてのものであること。恵比寿・リキッド
ルーム。外国人比率高し。

 まず、生ギター奏者一人のプロジェクト、ジェイムズ・オー・コンプレック
ス。分散した弾き方で多少響きや低音に気をつかい、ときに優しげな歌も。か
つてのウィンダム・ヒルにいたタイプ。30分強。続くパート・チンプは、多少
はモグワイ流れもほんの少し感じせるギターの重なりとヘヴィ・ロック語彙が
重なったようなバンド表現を聞かせる。ドラムや歌はヘヴィメタ系流儀。曲に
よってはなんか今様版ブラック・サバスと思わせる。20分強。両者、見ないよ
りは見れたほうが良かった。

 彼らに続くと、モグワイはなるほど成功しているバンドだなという手応えた
っぷり。確立された(色褪せない)方法論のもと、相当質の高い演奏を繰り広
げていたのではないか。ダイナミズムの付け方も決まりまくり、カタルシスあ
り。これまで見たなかで、一番いい感じで見れたかも。ではあったが、それを
聞きながら、彼らとかトータス(2001年11月7日)とかいったインスト系バン
ドがポスト・ロックの最たる担い手として挙げられることにどこか一抹の抵抗
を覚えていたのは、ぼくはどこかでロックとは肉声がついた表現であると定義
しているところがあるからかとふと思う。もちろん、歌がないロックがあって
もいいとは間違いなく思うし、彼らの表現のような場合歌を入れることは“逃
げ”である(そのほうが曲の構成やメリハリは付けやすいはず)と分かってい
ても……。コンサヴァな私をふと見つけた? 彼らの演奏は1時間強。1時間
半まではいってないと思うが。