Rickyバンド・ウィズ・デニ・ハインズ
2020年1月25日 音楽 赤坂・橋の下で、テナー・サックスとアルト・サックスのRicky がリーダーシップを取るショウの2部を見る。アコースティック・ギターの大里健伍、ドラムの岡山たくととの3人による。Rickyは普段はFSPというダンサーも含めた大所帯のグループを率いていて、この晩の出演者は皆そのメンバーであるようだ。
ベースレス編成のためドラマーはときにフロア・タムの上に小鍵盤を置き、右手でベース音を出しつつ、ハイハット、スネア、キックを扱う。3人でやるときは、ポップなスムース・ジャズ風の演奏を聞かせる。少しヴォーカルの若島史佳も加わり、その際はソウル色が加わる。
そして、なんとそこに、1990年代にけっこう日本でも注目された(彼女の曲がNHKドラマの主題歌になったこともあったよう)豪州人R&B歌手のデ・ハインズがゲスト入りする曲もあり。実は、ハインズは今Rickyたちとせえの方式で曲作りを一緒にやっている。ここ2年間ほどは、彼女は気候や物価の安さからバンコクに居住。そして、タイに演奏に行ったRickyバンドを彼女が見初め、昨年両者は一緒に全国4箇所の日本ツアーを行った。そして、今回はハインズが申し出て、ゆったりしたスケジュールのもと東京で一緒に作業をしている。また、この後、Rickyたちがバンコク入りする予定もあるようだ。
で、Rickyのライヴが入っていたこの晩、ハインズも笑顔で参加。上のやりとりがあるだけに、かみ合いはばっちり。オリジナル(なのかな?)やソウル・スタンダード「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」などを、悠々と披露。P-ヴァインからも出た豪州録音の彼女の近作『ザ・ソウル・セッションズ』はバンド・サウンドでやることを重視したソウル名曲カヴァー集でしたね。実は、ハインズさんはとんでもなくフランクで、オープン・マインドな人。活力ある歌い方とともに、そういう側面が透けて見えるのがなんとも聞く者をノックする。やはり、人間性は大切。高揚できました。
<今日の、その後>
会場にはオーストラリア大使館の方々も来ていて、ハインズをやんやと応援。分かるなあ、彼女にはそうさせる人間的な魅力がある。ところで、1970年シドニー生まれのデニ・ハインズはかなり興味深いバックグラウンドを持つ。母親のマーシア・ハインズ(1953年、ボストン生まれ)は14歳でニュー・イングランド音楽院の奨学金を得て入学したもののすぐにドロップアウト。16歳でオーストラリアに渡ったが、それはミュージカル「ヘアー」に出演するため。そして、その翌年にデニが生まれたが、出産して9日後にマーシアはまた「ヘアー」のステージに戻っている。そんな母親はそのままオーストラリアに滞在し、同国で女性として初のプラチナ・レコードを獲得するなどスター歌手として大成。奔放な彼女は4度ほど結婚しているようだが、デニはまだ2回。今の旦那さんは白人のよう。デニにお母さんは今も元気に歌っているんですよねと問うと、もちろんと笑顔。著名軍人でかつてアメリカの国務長官を務めたこともあるコリン・パウエルは母親のいとこと言われるが、それは事実だそう。日本酒/焼酎好きの彼女は、大好きな日本人ともっとコミュイケイトするために、タイに戻ったら日本語を学ぶと言っておりました。ライヴ後にインタヴューしたことを元にした記事は、2月8日の毎日新聞夕刊に出ます。
ベースレス編成のためドラマーはときにフロア・タムの上に小鍵盤を置き、右手でベース音を出しつつ、ハイハット、スネア、キックを扱う。3人でやるときは、ポップなスムース・ジャズ風の演奏を聞かせる。少しヴォーカルの若島史佳も加わり、その際はソウル色が加わる。
そして、なんとそこに、1990年代にけっこう日本でも注目された(彼女の曲がNHKドラマの主題歌になったこともあったよう)豪州人R&B歌手のデ・ハインズがゲスト入りする曲もあり。実は、ハインズは今Rickyたちとせえの方式で曲作りを一緒にやっている。ここ2年間ほどは、彼女は気候や物価の安さからバンコクに居住。そして、タイに演奏に行ったRickyバンドを彼女が見初め、昨年両者は一緒に全国4箇所の日本ツアーを行った。そして、今回はハインズが申し出て、ゆったりしたスケジュールのもと東京で一緒に作業をしている。また、この後、Rickyたちがバンコク入りする予定もあるようだ。
で、Rickyのライヴが入っていたこの晩、ハインズも笑顔で参加。上のやりとりがあるだけに、かみ合いはばっちり。オリジナル(なのかな?)やソウル・スタンダード「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」などを、悠々と披露。P-ヴァインからも出た豪州録音の彼女の近作『ザ・ソウル・セッションズ』はバンド・サウンドでやることを重視したソウル名曲カヴァー集でしたね。実は、ハインズさんはとんでもなくフランクで、オープン・マインドな人。活力ある歌い方とともに、そういう側面が透けて見えるのがなんとも聞く者をノックする。やはり、人間性は大切。高揚できました。
<今日の、その後>
会場にはオーストラリア大使館の方々も来ていて、ハインズをやんやと応援。分かるなあ、彼女にはそうさせる人間的な魅力がある。ところで、1970年シドニー生まれのデニ・ハインズはかなり興味深いバックグラウンドを持つ。母親のマーシア・ハインズ(1953年、ボストン生まれ)は14歳でニュー・イングランド音楽院の奨学金を得て入学したもののすぐにドロップアウト。16歳でオーストラリアに渡ったが、それはミュージカル「ヘアー」に出演するため。そして、その翌年にデニが生まれたが、出産して9日後にマーシアはまた「ヘアー」のステージに戻っている。そんな母親はそのままオーストラリアに滞在し、同国で女性として初のプラチナ・レコードを獲得するなどスター歌手として大成。奔放な彼女は4度ほど結婚しているようだが、デニはまだ2回。今の旦那さんは白人のよう。デニにお母さんは今も元気に歌っているんですよねと問うと、もちろんと笑顔。著名軍人でかつてアメリカの国務長官を務めたこともあるコリン・パウエルは母親のいとこと言われるが、それは事実だそう。日本酒/焼酎好きの彼女は、大好きな日本人ともっとコミュイケイトするために、タイに戻ったら日本語を学ぶと言っておりました。ライヴ後にインタヴューしたことを元にした記事は、2月8日の毎日新聞夕刊に出ます。