映画「私は、幸福(フェリシテ)」
2017年10月2日 音楽 2016年フランス/セネガル/ベルギー/ドイツ/レバノン映画を、京橋テアトル試写室で見る。監督(脚本と編集も)はギニアビサウとセネガルをルーツに持つ、1972年生まれのフランス人であるアラン・ゴミス。この映画は、彼にとって長編4作目となるそう。彼はコンゴ民主共和国のカサイ・オールスターズ(2007年10月25日、2011年8月1日)の音楽を聞き、一気に映画の像が結び、同国を舞台にする映画を撮ることにした。それまで彼はキンシャサに行ったことはなく、同地は心引かれるとともに、怖さを覚えさせる街であったという。
<さりげなくも、さりげある>。ぼくは淡々としているのに妙に強い印象を与える音楽にそんな形容をつけたことがあるが、それにならうなら、<さりげあるのに、さりげない>映画とでも、これはなるだろうか。
主人公のフェリシテは飲み屋で毎日演奏するバンド(それ、カサイ・オールスターズの選抜群が演じているのかな?)の喉自慢のシンガー。シングル・マザーの彼女には息子がいるが交通事故にあってしまい、手術費が必要となり、彼女は奔走する。そして、彼女に言いよっていたスケベだけど心優しい冷蔵庫修理工が絡み、話は動いていく。キンシャサの環境や人間模様を介する流れはかなりハード、見ていて心辛くもなる。だが、その大枠は普遍的なラヴ・ストーリーを描いてもいき、なんか最終的にはホっとさせ、静的平穏な心持ちを与える。それが、<さりげない>のだ。
かようなストーリーなのでキンシャサの日常はいろいろ描かれるし(主人公は貧しくても、携帯は持っている)、カサイ・オールスターズ(2007年10月25日、2011年8月1日)の音楽もよく出てくる。また、カサイの音楽やキンシャサの日常と対をなし、あたかも“俗と聖”の存在を描くかのように、映画では現代音楽のアルボ・ペルトの曲が数カ所でインサートされる。それを演奏するのはやはりキンシャサをベースとする貧困救済目的のアマュアのキンバンギスト交響楽団(cf.映画「ストリート・オーケストラ」http://43142.diarynote.jp/201607071205498487/)で、一部はその演奏や歌唱をしている映像も出てきて、それらの対比は一筋縄ではいかない含みを映画に与える。ある意味、ゴミスは詩的な映画の作り手でもありますね。
それから、珍しいと思えたのは、エンド・ロールが音楽なしで無音であること。そんな映画に、ぼくは初めて接するような気がした。
▶︎過去の、カサイ・オールスターズ
http://43142.diarynote.jp/200711121022550000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801
▶︎過去の、キンシャサを舞台とする映画
http://43142.diarynote.jp/?day=20071024 『Jupiter’s Dance』
http://43142.diarynote.jp/?day=20100630「ベンダ・ビリリ!~もう一つのキンシャサの奇跡」
▶︎過去の、スタッフ・ベンダ・ビリリ関連
http://43142.diarynote.jp/201010050803424611/
http://43142.diarynote.jp/201010191405067654/
http://43142.diarynote.jp/201408301137223996/
<今日の、街角>
巷の雑貨売り場にはハロウィーン関連アイテムがいろいろ置かれ、書店とかには来年の書き込み型カレンダーが山ほど展示されているよー。もう、秋深まり、年末に向かっている気持ちにならないはずがない。また、ノーベル賞発表間近というニュースも同様に。そんなちょい落ち着かない気持ちを整えてくれるのは、ウルグアイ出身の才人であるホルヘ・ドレクスレルの新作『Salvavidas de Hielo』。これは、<さりげなくも、さりげあり>。と、書いていいかな。
<さりげなくも、さりげある>。ぼくは淡々としているのに妙に強い印象を与える音楽にそんな形容をつけたことがあるが、それにならうなら、<さりげあるのに、さりげない>映画とでも、これはなるだろうか。
主人公のフェリシテは飲み屋で毎日演奏するバンド(それ、カサイ・オールスターズの選抜群が演じているのかな?)の喉自慢のシンガー。シングル・マザーの彼女には息子がいるが交通事故にあってしまい、手術費が必要となり、彼女は奔走する。そして、彼女に言いよっていたスケベだけど心優しい冷蔵庫修理工が絡み、話は動いていく。キンシャサの環境や人間模様を介する流れはかなりハード、見ていて心辛くもなる。だが、その大枠は普遍的なラヴ・ストーリーを描いてもいき、なんか最終的にはホっとさせ、静的平穏な心持ちを与える。それが、<さりげない>のだ。
かようなストーリーなのでキンシャサの日常はいろいろ描かれるし(主人公は貧しくても、携帯は持っている)、カサイ・オールスターズ(2007年10月25日、2011年8月1日)の音楽もよく出てくる。また、カサイの音楽やキンシャサの日常と対をなし、あたかも“俗と聖”の存在を描くかのように、映画では現代音楽のアルボ・ペルトの曲が数カ所でインサートされる。それを演奏するのはやはりキンシャサをベースとする貧困救済目的のアマュアのキンバンギスト交響楽団(cf.映画「ストリート・オーケストラ」http://43142.diarynote.jp/201607071205498487/)で、一部はその演奏や歌唱をしている映像も出てきて、それらの対比は一筋縄ではいかない含みを映画に与える。ある意味、ゴミスは詩的な映画の作り手でもありますね。
それから、珍しいと思えたのは、エンド・ロールが音楽なしで無音であること。そんな映画に、ぼくは初めて接するような気がした。
▶︎過去の、カサイ・オールスターズ
http://43142.diarynote.jp/200711121022550000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110801
▶︎過去の、キンシャサを舞台とする映画
http://43142.diarynote.jp/?day=20071024 『Jupiter’s Dance』
http://43142.diarynote.jp/?day=20100630「ベンダ・ビリリ!~もう一つのキンシャサの奇跡」
▶︎過去の、スタッフ・ベンダ・ビリリ関連
http://43142.diarynote.jp/201010050803424611/
http://43142.diarynote.jp/201010191405067654/
http://43142.diarynote.jp/201408301137223996/
<今日の、街角>
巷の雑貨売り場にはハロウィーン関連アイテムがいろいろ置かれ、書店とかには来年の書き込み型カレンダーが山ほど展示されているよー。もう、秋深まり、年末に向かっている気持ちにならないはずがない。また、ノーベル賞発表間近というニュースも同様に。そんなちょい落ち着かない気持ちを整えてくれるのは、ウルグアイ出身の才人であるホルヘ・ドレクスレルの新作『Salvavidas de Hielo』。これは、<さりげなくも、さりげあり>。と、書いていいかな。
映画「関ヶ原」。ベル・アンド・セバスチャン。ピーター・マーティン・トリオ
2017年10月4日 音楽 ものすごーく久しぶりに、ゆりかもめに乗る。もし、台場のほうに来るとしても、JRのりんかい線を使っていたからな。そしたら、モノレールの中はアジアからの観光客だらけ。でも、車窓からの風景を見て、これは観光にとても適していると思わずにはいられず。
台場では、二つのソニー系エンターテインメント施設に行く。まず、ユナイテッドシネマ アクアシティお台場で、映画「関ヶ原」を見る。かつてトリビュート・トゥ・ラヴ・ジェネレーションというワールド・ビート系も多々出たソニー運営のライヴ・レストランがあり、そこには一時良く行っていたけど、それがあったビルはここだったのかな。なんか、懐かしい。10を超える映画館を持つシネコンの方には、さすが観光客はいない。開演5分前に中に入ったら、ぼくだけ。ビビった。
ところで、ぼくは戦国もの、もとい歴史に疎い人間で、それと繋がり、その手の映画にはとんと興味が持てない。そういえば高校のとき、いかに自分は歴史に興味が持てないかを新任の社会史教諭にこんこんと説いたら、試験の点数を大幅に上回ったいい点を通知表でいただいたことがあった。いい先生だったナ(そんなぼくなので、とうぜん、受験は地理や政経で受けた)。ゆえに、“関ヶ原”と聞いてもぜんぜんピンとこない。なのに、ぼくが見に行ったのは、知人がずっぽり絡んだ映画であったからだ。
そしたら、ある程度、その前後の史実を知っている前提で作っているのか、まるでストーリーが分からない。もう、冒頭の河原のシーンから????の連続。出て来る武士の名前は一応多くは知っているもののどういう人かは全然知識がないので、登場人物の会話も30パーセントほどしか理解できなかった。なかなかにオレは成人として備わっているべき知識を持っていない人間のなのかと思ったかな。映像は丁寧に撮られていて、よく撮影場所を見つけたり、セットを作ったりしたな。音楽はハマり、壮大。あと、前半でいなくなり猿には似ていなかったが、豊臣秀吉役の人が一番演技が上手いと思った。
▶︎過去の、トリビュート・トゥ・ラヴ・ジェネレーションのベスト・アクト(おそらく)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-4.htm カルリーニョス・ブラウン
その後は、近くのZeppダイバーシティ東京に行く。徒歩10分弱、ぐらいの距離か。広い通路を会場に向かい渡りながら、昔メキシコ人のマーゴス・エレーラ(2004年9月25日)をこういう大きな野外通路で見たなと思い出す。そして、スコットランドのグラスゴーのロックを代表するベル・アンド・セバスチャン(2011年3月4日)を見た。この8月は延々米国ツアーをやったらしいが、スプーン(2008年2月6日)と一緒だったハルウッド・ボウル公演(本当に、ここでやったならすごい、デカいですよ〜)を見た知人からのお誕生日おめでとうメールに、今の彼らならキミも気にいるはずとか、書いてあったんだよな。そしたら、なるほど一度上がった(目標を達成し、活動を止めた)バンドならではの、いい意味での成熟や和気藹々具合があって、手触りが良い。なんか、そのこなれ具合に、グラスゴー版ビーチ・ボーイズ(2014年3月28日)というような所感を持ってしまったかも。どこか、黄昏たところも持つのも、その感想につながっている?
多い時で、サポートの奏者を含め9人がステージに上がる。トランペットやチェロが入る曲もある。MCによれば、渋谷から最寄りの東京テレポートまで電車で来たそう(りんかい線で一本で来れますね)。そしたら、その後の曲では列車から東京テレポート駅に降り、会場に向かう映像が背後に映し出された。ステージ後方に映し出される映像はそれぞれに気が利いていて、それも楽しい。しッかりと自分たちの立ち位置、見てくれる人たちのもろもろを捉えているという風情〜そして、それはグラスゴウという風土も伝えると思わせられるものであったか〜、マルでした。
▶︎過去の、ベル・アンド・セバスチャン
http://43142.diarynote.jp/201103091608158507/
▶︎過去の、マーゴス・エレーラ
http://43142.diarynote.jp/200409280745560000/
▶︎過去の、スプーン
http://43142.diarynote.jp/200802100026420000/
▶︎過去の、ハリウッド・ボウルでの公演
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶︎過去の、マイク・ラヴ/ザ・ビーチ・ボーイズ
http://43142.diarynote.jp/201403291149242320/
この日は、もう一つ。ジャズ・ピアニストのピーター・マーティン(2008年9月22日、2010年3月23日、2014年9月16日、2016年2月18日、2017年5月29日)を、丸の内・コットンクラブで見る。前回と同じく、ベースのルーベン・ロジャース(2005年5月11日、2008年9月22日、2009年4月21日、2011年11月15日、2013年1月6日、2014年5月15日、2016年2月18日。ヴァージン・アイランド出身と紹介されていた)とドラムのグレゴリー・ハッチンソン(2008年9月29日、2009年4月21日、2010年9月5日、2016年2月18日)が付く。肌の色が濃いリズム・セションの二人の格好は、おしゃれだった。
軽妙にして、立っているところはほどほど立っているピアノ・トリオ。今回は、サイドの二人の妙味がより分かりやすく出されたところはあったか。ときにハッチンソンのドラム音は、デカぁとも思った。アンコールはなんと、クリフォード・ブラウンの「チェロキー」。エリントン曲もやったが、スタンダードをやるとマーティンが持つ快活な発展性のようなものがよくわかる。この後、3人はこのまま10月いっぱいまで続く欧州ツアーに入る。
▶過去の、ピーター・マーティン
http://43142.diarynote.jp/200809240100515549/
http://43142.diarynote.jp/201003261236189984/
http://43142.diarynote.jp/201111210320292366/
http://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
http://43142.diarynote.jp/201602191120219620/
http://43142.diarynote.jp/201705301638029304/
▶過去の、ルーベン・ロジャース
http://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
http://43142.diarynote.jp/200809240100515549/
http://43142.diarynote.jp/200904221307055009/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867/
http://43142.diarynote.jp/201602191120219620/
▶グレゴリー・ハッチンソン
http://43142.diarynote.jp/200809240100515549/
http://43142.diarynote.jp/200904221307055009/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100905 ジョシュア・レッドマン
http://43142.diarynote.jp/201602191120219620/
<今日の、ムライの馬鹿>
うわあ行きの際、2度も電車乗り過ごしちゃったよー。それは、今一緒に飲んだりすると一番長時間に渡ってしまう村井康司のせい。彼の新著「あなたの聴き方を変えるジャズ史」(シンコー・ミュージック刊)を外出車内でちまちま読んでいるんだけど、私としたことがなんか本に入り込んじゃう。なんか、つらつらと読むだけでなく、その通りと膝を打ったり、うわあこの書き方は俺にはできないなぞとか同時進行的に考えたりしちゃい、降りるべき駅をミスしちゃう。<アメリカの大衆音楽全体を時代との関わりの中で俯瞰>(著者後書きより)しようとしているのだが、まこと豊富な例証とともに、20世紀最良のアメリカン・ミュージックであるジャズとその周辺をものすごーく広い見地から歴史を追いつつ、彼は軽妙な筆致とともにその本質を解き明かしていく。まあ、その元になった雑誌連載も知っていたけど、けっこう書き改めていると思われるし、こうやって一つにまとめると、村井さんよく書いたね〜となる。ロックやソウルにまず引かれ、そしてジャズという即興音楽の存在にヤラれ、一方ではワールド・ミュージックにも興味を持てた世代(それは、洋楽に山ほどの幻想が持てた世代とも言えるだろうか)ならではの、好奇心旺盛な見方を介してのジャズの動向と、その奥にあるものを真っ当に書き記した書籍であると言うしかない。価格は2160円とCD1枚分の価格ながら、350頁を超える本書はけっこう厚く重い。そして、中身は言わずもがな。乗り越しとともに、か弱いぼくは肩が脱臼しないか心配でしょうがなかった。
台場では、二つのソニー系エンターテインメント施設に行く。まず、ユナイテッドシネマ アクアシティお台場で、映画「関ヶ原」を見る。かつてトリビュート・トゥ・ラヴ・ジェネレーションというワールド・ビート系も多々出たソニー運営のライヴ・レストランがあり、そこには一時良く行っていたけど、それがあったビルはここだったのかな。なんか、懐かしい。10を超える映画館を持つシネコンの方には、さすが観光客はいない。開演5分前に中に入ったら、ぼくだけ。ビビった。
ところで、ぼくは戦国もの、もとい歴史に疎い人間で、それと繋がり、その手の映画にはとんと興味が持てない。そういえば高校のとき、いかに自分は歴史に興味が持てないかを新任の社会史教諭にこんこんと説いたら、試験の点数を大幅に上回ったいい点を通知表でいただいたことがあった。いい先生だったナ(そんなぼくなので、とうぜん、受験は地理や政経で受けた)。ゆえに、“関ヶ原”と聞いてもぜんぜんピンとこない。なのに、ぼくが見に行ったのは、知人がずっぽり絡んだ映画であったからだ。
そしたら、ある程度、その前後の史実を知っている前提で作っているのか、まるでストーリーが分からない。もう、冒頭の河原のシーンから????の連続。出て来る武士の名前は一応多くは知っているもののどういう人かは全然知識がないので、登場人物の会話も30パーセントほどしか理解できなかった。なかなかにオレは成人として備わっているべき知識を持っていない人間のなのかと思ったかな。映像は丁寧に撮られていて、よく撮影場所を見つけたり、セットを作ったりしたな。音楽はハマり、壮大。あと、前半でいなくなり猿には似ていなかったが、豊臣秀吉役の人が一番演技が上手いと思った。
▶︎過去の、トリビュート・トゥ・ラヴ・ジェネレーションのベスト・アクト(おそらく)
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-4.htm カルリーニョス・ブラウン
その後は、近くのZeppダイバーシティ東京に行く。徒歩10分弱、ぐらいの距離か。広い通路を会場に向かい渡りながら、昔メキシコ人のマーゴス・エレーラ(2004年9月25日)をこういう大きな野外通路で見たなと思い出す。そして、スコットランドのグラスゴーのロックを代表するベル・アンド・セバスチャン(2011年3月4日)を見た。この8月は延々米国ツアーをやったらしいが、スプーン(2008年2月6日)と一緒だったハルウッド・ボウル公演(本当に、ここでやったならすごい、デカいですよ〜)を見た知人からのお誕生日おめでとうメールに、今の彼らならキミも気にいるはずとか、書いてあったんだよな。そしたら、なるほど一度上がった(目標を達成し、活動を止めた)バンドならではの、いい意味での成熟や和気藹々具合があって、手触りが良い。なんか、そのこなれ具合に、グラスゴー版ビーチ・ボーイズ(2014年3月28日)というような所感を持ってしまったかも。どこか、黄昏たところも持つのも、その感想につながっている?
多い時で、サポートの奏者を含め9人がステージに上がる。トランペットやチェロが入る曲もある。MCによれば、渋谷から最寄りの東京テレポートまで電車で来たそう(りんかい線で一本で来れますね)。そしたら、その後の曲では列車から東京テレポート駅に降り、会場に向かう映像が背後に映し出された。ステージ後方に映し出される映像はそれぞれに気が利いていて、それも楽しい。しッかりと自分たちの立ち位置、見てくれる人たちのもろもろを捉えているという風情〜そして、それはグラスゴウという風土も伝えると思わせられるものであったか〜、マルでした。
▶︎過去の、ベル・アンド・セバスチャン
http://43142.diarynote.jp/201103091608158507/
▶︎過去の、マーゴス・エレーラ
http://43142.diarynote.jp/200409280745560000/
▶︎過去の、スプーン
http://43142.diarynote.jp/200802100026420000/
▶︎過去の、ハリウッド・ボウルでの公演
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶︎過去の、マイク・ラヴ/ザ・ビーチ・ボーイズ
http://43142.diarynote.jp/201403291149242320/
この日は、もう一つ。ジャズ・ピアニストのピーター・マーティン(2008年9月22日、2010年3月23日、2014年9月16日、2016年2月18日、2017年5月29日)を、丸の内・コットンクラブで見る。前回と同じく、ベースのルーベン・ロジャース(2005年5月11日、2008年9月22日、2009年4月21日、2011年11月15日、2013年1月6日、2014年5月15日、2016年2月18日。ヴァージン・アイランド出身と紹介されていた)とドラムのグレゴリー・ハッチンソン(2008年9月29日、2009年4月21日、2010年9月5日、2016年2月18日)が付く。肌の色が濃いリズム・セションの二人の格好は、おしゃれだった。
軽妙にして、立っているところはほどほど立っているピアノ・トリオ。今回は、サイドの二人の妙味がより分かりやすく出されたところはあったか。ときにハッチンソンのドラム音は、デカぁとも思った。アンコールはなんと、クリフォード・ブラウンの「チェロキー」。エリントン曲もやったが、スタンダードをやるとマーティンが持つ快活な発展性のようなものがよくわかる。この後、3人はこのまま10月いっぱいまで続く欧州ツアーに入る。
▶過去の、ピーター・マーティン
http://43142.diarynote.jp/200809240100515549/
http://43142.diarynote.jp/201003261236189984/
http://43142.diarynote.jp/201111210320292366/
http://43142.diarynote.jp/201409171722239857/
http://43142.diarynote.jp/201602191120219620/
http://43142.diarynote.jp/201705301638029304/
▶過去の、ルーベン・ロジャース
http://43142.diarynote.jp/200505141717440000/
http://43142.diarynote.jp/200809240100515549/
http://43142.diarynote.jp/200904221307055009/
http://43142.diarynote.jp/201301151731112021/
http://43142.diarynote.jp/201405171309186867/
http://43142.diarynote.jp/201602191120219620/
▶グレゴリー・ハッチンソン
http://43142.diarynote.jp/200809240100515549/
http://43142.diarynote.jp/200904221307055009/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100905 ジョシュア・レッドマン
http://43142.diarynote.jp/201602191120219620/
<今日の、ムライの馬鹿>
うわあ行きの際、2度も電車乗り過ごしちゃったよー。それは、今一緒に飲んだりすると一番長時間に渡ってしまう村井康司のせい。彼の新著「あなたの聴き方を変えるジャズ史」(シンコー・ミュージック刊)を外出車内でちまちま読んでいるんだけど、私としたことがなんか本に入り込んじゃう。なんか、つらつらと読むだけでなく、その通りと膝を打ったり、うわあこの書き方は俺にはできないなぞとか同時進行的に考えたりしちゃい、降りるべき駅をミスしちゃう。<アメリカの大衆音楽全体を時代との関わりの中で俯瞰>(著者後書きより)しようとしているのだが、まこと豊富な例証とともに、20世紀最良のアメリカン・ミュージックであるジャズとその周辺をものすごーく広い見地から歴史を追いつつ、彼は軽妙な筆致とともにその本質を解き明かしていく。まあ、その元になった雑誌連載も知っていたけど、けっこう書き改めていると思われるし、こうやって一つにまとめると、村井さんよく書いたね〜となる。ロックやソウルにまず引かれ、そしてジャズという即興音楽の存在にヤラれ、一方ではワールド・ミュージックにも興味を持てた世代(それは、洋楽に山ほどの幻想が持てた世代とも言えるだろうか)ならではの、好奇心旺盛な見方を介してのジャズの動向と、その奥にあるものを真っ当に書き記した書籍であると言うしかない。価格は2160円とCD1枚分の価格ながら、350頁を超える本書はけっこう厚く重い。そして、中身は言わずもがな。乗り越しとともに、か弱いぼくは肩が脱臼しないか心配でしょうがなかった。
原点回帰的なソロ・ギター作「ギター」(アオラ)を9月にリリースした異能というしかないギタリストの笹久保伸(2013年8月29日、2014年5月24日、2014年12月12日、2017年2月4日)の一人実演を、代官山・晴れたら空に豆まいてで見る。新作収録曲を中心に、過去作に入った曲なども演奏。1時間ほどのものを、まっすぐに2セットやった。各セットで1曲づつ、ヴォーカルも取る曲も披露。セカンドは、ビクトル・ハラの曲だった。
各曲チューニングがバラバラななか、そして引っかかりがありまくる奏法のもと、様々な風景や情緒がこれでもかと浮き上がる。もう多大な研鑽と、度を越したアートなセンスと、興味深すぎる人間性が交錯した末の結晶というべきものは、ギター音楽のブラックホールをこれでもかと聞き手に味あわせる。身体を揺らしつつ、息を飲む瞬間はいろいろ。近く、日経新聞電子版に、この晩のことを書いたものが出ます。
▶過去の、笹久保伸
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201412281015581474/
http://43142.diarynote.jp/201702081153548285/
<今日の、そうなのか>
笹久保は現在、33歳なのか。あまりに超越していることをやっているので、年齢のことを考えたことがなかった。って、仙人みたいにしてはいけませんね。今年の夏には西日本をツアーしたそうだが、その際は在勝浦のブルース・ギタリストである濱口祐自(2014年4月11日、2015年10月25日)と一緒に行動したりもしたという。聞けば、濱口は笹久保の父親と同じ大学の同級生(学科も同じと言っていたっけ?)であるとのこと。へえええ、という話でした。また。彼は俳句もやるんだそう。しかし、この晩は顔見知りの同業系知人の数が多かった。
▶過去の、濱口祐自
http://43142.diarynote.jp/201404141032338019/
http://43142.diarynote.jp/201510290731105395/
追記)以下のリンクは、秩父の<「神の山」武甲山と向き合うアーティスト>という秩父に住む笹久保の姿を追った日経新聞の映像だ。彼のスタンスがよく分かります。
http://www.nikkei.com/video/5591457357001/?playlist=4654649186001
各曲チューニングがバラバラななか、そして引っかかりがありまくる奏法のもと、様々な風景や情緒がこれでもかと浮き上がる。もう多大な研鑽と、度を越したアートなセンスと、興味深すぎる人間性が交錯した末の結晶というべきものは、ギター音楽のブラックホールをこれでもかと聞き手に味あわせる。身体を揺らしつつ、息を飲む瞬間はいろいろ。近く、日経新聞電子版に、この晩のことを書いたものが出ます。
▶過去の、笹久保伸
http://43142.diarynote.jp/201309021134211584/
http://43142.diarynote.jp/201405271717357738/
http://43142.diarynote.jp/201412281015581474/
http://43142.diarynote.jp/201702081153548285/
<今日の、そうなのか>
笹久保は現在、33歳なのか。あまりに超越していることをやっているので、年齢のことを考えたことがなかった。って、仙人みたいにしてはいけませんね。今年の夏には西日本をツアーしたそうだが、その際は在勝浦のブルース・ギタリストである濱口祐自(2014年4月11日、2015年10月25日)と一緒に行動したりもしたという。聞けば、濱口は笹久保の父親と同じ大学の同級生(学科も同じと言っていたっけ?)であるとのこと。へえええ、という話でした。また。彼は俳句もやるんだそう。しかし、この晩は顔見知りの同業系知人の数が多かった。
▶過去の、濱口祐自
http://43142.diarynote.jp/201404141032338019/
http://43142.diarynote.jp/201510290731105395/
追記)以下のリンクは、秩父の<「神の山」武甲山と向き合うアーティスト>という秩父に住む笹久保の姿を追った日経新聞の映像だ。彼のスタンスがよく分かります。
http://www.nikkei.com/video/5591457357001/?playlist=4654649186001
エリカはエリカ、まさにディーヴァだった! もうそれだけで、文章を止めたいぐらい。六本木・ビルボードライブ東京。20時から(15分遅れで始まった)1日1回の公演で、ほぼ90分の尺だった。しかし、こんな距離でエリカ・バドゥ(2000年11月19日、2006年4月2日。2012年3月2日)のショウが見れるなんてという感激はデカい。前回ぼくが見たのはジャカルタのフェスであったが、あのアリーナ公演の規模を知っていると、これはほんと夢のよう。
イントロが流れるなか出てきた彼女はぽっくりっぽい底の高い靴を履いていてゆっくり出てきた。なんか花魁のような風情ぢゃんと、ぼくは思った。その格好は理解不能、ヤンキーぽいという形容もありか。髪の毛は長いのが爆発していて、迫力満点。ショウが進むごとに帽子や上着などをとり(彼女はジーンズのサロペットを身につけていたのだな)、どんどん彼女の地が出てくるという演出はソウル・ショウにおいては珍しいものではないが、効果的。殿上人的なスターがどんどん素顔を露わにしているという思いを得ることができ、ナイス。
そして、バドゥは小鳥の鳴き声が流れるなかハローハローと詠唱し始めたと思ったら、”Hello, it’s me. I’ve thought about us for a long, long time”と歌い出す。おお、トッド・ラングレンの超有名曲「ハロー・イッツ・ミー」の一節じゃないか。びっくりだあ。中央に立つ彼女の周りにはPC、コントラーラー、鳴り物、ターンテーブルの形をしたパーカッション・パッドなどが置いてあったが、用いたのはパーカッション・パッドだけだったか。前半は彼女がそれと戯れるように鼓動音を出し、それに呼応するようにバンドが音をつけていって曲が始まるというようなことが数度あった。
2曲目が早くもバラードであり、クリック音だけを下敷きにコーラス陣と一緒にドゥーワップとゴスペルが重なったようなことをやったり、基本ピアノを一本で歌う曲があったり。そんな局面があったことが示唆するように、今回はそのヴォーカルのスキル、訴求力を前に出していたと指摘できるのではないか。前回ぼくが見た際とは異なり今回は自ら歌にエフェクトをかけることもあまりなく、もっと質実剛健でまっすぐ。もちろん、伴奏陣はとても整備されていて、いいバンド。バドゥはバンドをぐいぐい引っ張り、生のサウンドと拮抗するのだが、今回はより歌の力を前に出しているようにぼくには思われた。
バンドは、キーボードのRCウィリアムズJr.,ザ・ソウル・クエリアンズ全盛期の流儀で作った『ママズ・ガン』(モータウン。2000年)からの付き合いを持つベースのブレイロン・レイシー(メンバーの中では一番の実績を持つ人で、現代ゴスペルのカーク・フランクリン〜2009年9月18、2009年9月18日〜のバンドにもいた)、ドラムのマイケル・ミッチェルA.K.A,ブラック・ダイナマイト(2015年9月30日)、打楽器のフランク・モカ(2016年1月25日、2016年10月11日)、DJのラシャド・リンゴ・スミスという演奏陣に、ラ・ケンドラ・ジョンソンとテロン・オースティンとデュランド・バーナーという3人の男女シンガーが加わる。なんか、キーボード奏者の奥にもう一人見えたような気もするが。
そうした陣容のバンドを掌握し、その頂点に当人が立つという実演の総体(普段はこのハコにはないと思われるレーザー光線のような照明もステージ上に設置されていて、それは効果的だった)は、これは今の時代のR&Bを真っ向から受けているという大きな手応えを山ほど与える。新譜はもう7年も出していないのに、現役感はたっぷり。これこそは今の前線にある大衆音楽のメインストリームなのだという凄みのようなものも横溢していて、そりゃ降参してしまう。
以前はもっとツっぱりシアトリカルにショウを進めていた記憶があるが、彼女は機嫌良さそうに最前列の人と握手をしたり、最終曲では聞き手と同じレヴェルに立ってコール&レスポンスを楽しむなど、ライヴをすることを健やかに享受している感じがよかった。それ、彼女にとっては破格に小さい会場であるということがプラスに働いていたのか否か?
▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
▶過去の、カーク・フランクリン
http://43142.diarynote.jp/200909251530436151/
http://43142.diarynote.jp/201702081152242280/
▶︎過去の、フランク・モカ
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/ クリス・デイヴ
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/ クリス・デイヴ
▶︎過去の、マイケル・ミッチェル
http://43142.diarynote.jp/201510021221454336/ スタンリー・クラーク
<今日の、カズオ>
なんとノーベル文学賞は、英国人カズオ・イシグロに決まった。実は在英ジャズ歌手のステイシー・ケント(2012年3月12日、2014年4月22日)と懇意にしているようで、過去「ポストカード・ラヴァーズ」とか「ザ・サマー・ウィ・クロスト・ユーロップ・イン・ザ・レイン」とか「ウォルター・オー・ウォルター」とか「ザ・チェンジング・ライツ」など、彼はケントの夫でサックス奏者のジム・トムリンソン(2012年3月12日、2014年4月22日)との共作のもといろいろ彼女に歌詞を提供している。そして、ケントのもうすぐ出る新作『アイ・ノウ・アイ・ドリーム』に収録されている8分の6拍子曲「Bullet Train(新幹線)」という曲の歌詞もイシグロによる。それ新幹線の車内アナウンスも冒頭にインサートされる日本ソング(”東京から名古屋へ”と一節も歌詞にはあるが、「名古屋、名古屋です。この新幹線は東京行きです」という逆向きの車内案内女性声を録った断片が入れらてれているのはご愛嬌)だが、すげえタイムリー。発売元のソニー、今大騒ぎじゃね? きっと書店には彼のコーナーができるんだろうけど、この新作や既発作も一緒に並ぶのかな? しかし、イシグロさん、ちゃんと作家になる前にはロック・ミュージシャンを志したとも言われる。村上春樹とはお互いを認めあっているようだが、この二人の大作家はともに普通の人以上に音楽好きという共通点を持っているのか。ちなみに、その『アイ・ノウ・アイ・ドリーム』、映画音楽のオーケストレーションの方面でロンドンで活躍する新進トミー・ローレンス(2008年にザ・ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックのジャズ・コースをサックス専攻で卒業している)のひんやりと広がる管弦楽アレンジがとても気持ちいい。以下は、彼のサウンドクラウド。こちらを聞くと、保守的な豊饒さををしこたま出せる人物という印象を与えるか。https://soundcloud.com/tommy-laurence
▶過去の、ステイシー・ケントとジム・トムリンソン
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201404260858553785/
イントロが流れるなか出てきた彼女はぽっくりっぽい底の高い靴を履いていてゆっくり出てきた。なんか花魁のような風情ぢゃんと、ぼくは思った。その格好は理解不能、ヤンキーぽいという形容もありか。髪の毛は長いのが爆発していて、迫力満点。ショウが進むごとに帽子や上着などをとり(彼女はジーンズのサロペットを身につけていたのだな)、どんどん彼女の地が出てくるという演出はソウル・ショウにおいては珍しいものではないが、効果的。殿上人的なスターがどんどん素顔を露わにしているという思いを得ることができ、ナイス。
そして、バドゥは小鳥の鳴き声が流れるなかハローハローと詠唱し始めたと思ったら、”Hello, it’s me. I’ve thought about us for a long, long time”と歌い出す。おお、トッド・ラングレンの超有名曲「ハロー・イッツ・ミー」の一節じゃないか。びっくりだあ。中央に立つ彼女の周りにはPC、コントラーラー、鳴り物、ターンテーブルの形をしたパーカッション・パッドなどが置いてあったが、用いたのはパーカッション・パッドだけだったか。前半は彼女がそれと戯れるように鼓動音を出し、それに呼応するようにバンドが音をつけていって曲が始まるというようなことが数度あった。
2曲目が早くもバラードであり、クリック音だけを下敷きにコーラス陣と一緒にドゥーワップとゴスペルが重なったようなことをやったり、基本ピアノを一本で歌う曲があったり。そんな局面があったことが示唆するように、今回はそのヴォーカルのスキル、訴求力を前に出していたと指摘できるのではないか。前回ぼくが見た際とは異なり今回は自ら歌にエフェクトをかけることもあまりなく、もっと質実剛健でまっすぐ。もちろん、伴奏陣はとても整備されていて、いいバンド。バドゥはバンドをぐいぐい引っ張り、生のサウンドと拮抗するのだが、今回はより歌の力を前に出しているようにぼくには思われた。
バンドは、キーボードのRCウィリアムズJr.,ザ・ソウル・クエリアンズ全盛期の流儀で作った『ママズ・ガン』(モータウン。2000年)からの付き合いを持つベースのブレイロン・レイシー(メンバーの中では一番の実績を持つ人で、現代ゴスペルのカーク・フランクリン〜2009年9月18、2009年9月18日〜のバンドにもいた)、ドラムのマイケル・ミッチェルA.K.A,ブラック・ダイナマイト(2015年9月30日)、打楽器のフランク・モカ(2016年1月25日、2016年10月11日)、DJのラシャド・リンゴ・スミスという演奏陣に、ラ・ケンドラ・ジョンソンとテロン・オースティンとデュランド・バーナーという3人の男女シンガーが加わる。なんか、キーボード奏者の奥にもう一人見えたような気もするが。
そうした陣容のバンドを掌握し、その頂点に当人が立つという実演の総体(普段はこのハコにはないと思われるレーザー光線のような照明もステージ上に設置されていて、それは効果的だった)は、これは今の時代のR&Bを真っ向から受けているという大きな手応えを山ほど与える。新譜はもう7年も出していないのに、現役感はたっぷり。これこそは今の前線にある大衆音楽のメインストリームなのだという凄みのようなものも横溢していて、そりゃ降参してしまう。
以前はもっとツっぱりシアトリカルにショウを進めていた記憶があるが、彼女は機嫌良さそうに最前列の人と握手をしたり、最終曲では聞き手と同じレヴェルに立ってコール&レスポンスを楽しむなど、ライヴをすることを健やかに享受している感じがよかった。それ、彼女にとっては破格に小さい会場であるということがプラスに働いていたのか否か?
▶過去の、エリカ・バドゥ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-11.htm
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201203062004221304/
▶過去の、カーク・フランクリン
http://43142.diarynote.jp/200909251530436151/
http://43142.diarynote.jp/201702081152242280/
▶︎過去の、フランク・モカ
http://43142.diarynote.jp/201601260728484520/ クリス・デイヴ
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/ クリス・デイヴ
▶︎過去の、マイケル・ミッチェル
http://43142.diarynote.jp/201510021221454336/ スタンリー・クラーク
<今日の、カズオ>
なんとノーベル文学賞は、英国人カズオ・イシグロに決まった。実は在英ジャズ歌手のステイシー・ケント(2012年3月12日、2014年4月22日)と懇意にしているようで、過去「ポストカード・ラヴァーズ」とか「ザ・サマー・ウィ・クロスト・ユーロップ・イン・ザ・レイン」とか「ウォルター・オー・ウォルター」とか「ザ・チェンジング・ライツ」など、彼はケントの夫でサックス奏者のジム・トムリンソン(2012年3月12日、2014年4月22日)との共作のもといろいろ彼女に歌詞を提供している。そして、ケントのもうすぐ出る新作『アイ・ノウ・アイ・ドリーム』に収録されている8分の6拍子曲「Bullet Train(新幹線)」という曲の歌詞もイシグロによる。それ新幹線の車内アナウンスも冒頭にインサートされる日本ソング(”東京から名古屋へ”と一節も歌詞にはあるが、「名古屋、名古屋です。この新幹線は東京行きです」という逆向きの車内案内女性声を録った断片が入れらてれているのはご愛嬌)だが、すげえタイムリー。発売元のソニー、今大騒ぎじゃね? きっと書店には彼のコーナーができるんだろうけど、この新作や既発作も一緒に並ぶのかな? しかし、イシグロさん、ちゃんと作家になる前にはロック・ミュージシャンを志したとも言われる。村上春樹とはお互いを認めあっているようだが、この二人の大作家はともに普通の人以上に音楽好きという共通点を持っているのか。ちなみに、その『アイ・ノウ・アイ・ドリーム』、映画音楽のオーケストレーションの方面でロンドンで活躍する新進トミー・ローレンス(2008年にザ・ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックのジャズ・コースをサックス専攻で卒業している)のひんやりと広がる管弦楽アレンジがとても気持ちいい。以下は、彼のサウンドクラウド。こちらを聞くと、保守的な豊饒さををしこたま出せる人物という印象を与えるか。https://soundcloud.com/tommy-laurence
▶過去の、ステイシー・ケントとジム・トムリンソン
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201404260858553785/
ペンギン・カフェ。ジョン・ケイル
2017年10月7日 音楽 錦糸町・すみだトリフォニー・ホールで、ペンギン・カフェ(2014年9月27日、2017年7月8日)を見る。ピアノを主に弾くアーサー・ジェフスとなんでも屋のグレン・ベリーに加え、ダブル・ベースとドラム(セットを置いていたが、手で叩く曲も少なくないなど、パーカッション的な近い方をする)、さらにストリング・カルテット(うち、女性が2人)という8人で、反復基調のたおやかなインストゥメンタルを繰り広げる。やはり独自の洒脱道を飄々と行き、聞く者をリラックスさせつつ、耳を鋭敏にさせる。
2部構成。2部の頭の2曲には相対性理論のやくしまるえつこ、永井聖一、山口元輝が加わる。1曲目は彼女たち手動でペンギン・カフェが完全にバック・バンドになっていた。
▶︎過去の。ペンギン・カフェ
http://43142.diarynote.jp/201409291720019557/
http://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
その後は、南青山・ブルーノート東京で、1年強ぶりに再来日したジョン・ケイル(2016年8月7日)の実演を見る。キーボードを押さえながら歌う本人に加え、ギターのダスティン・ボイヤー、電気ベースのジョーイ・マランバ、ドラムのディーントーニ・パークスという陣容。
うわわー。びっくり。バンドは同じ顔ぶれながら、進化し、大きく前に踏み出していた。ぶっちゃけて言うと、ケイルとパークスの二人のプロジェクトとなっていた。そのぶん、ギタリストとベーシストの占める割合は減じており、この二人だけでライヴをやっても問題はないのではないかとさえ思える部分も多々あり。とともに、先鋭派パークスの関与する裁量が大きくなったことで、“進行形のケイル表現”という感じはより前に出る。しかし、どこで両者は知り合ったのか? ケイルはずっと米国住まいなのかな。
なんと今回のパークスのキットにはシンバルが置いていない(バスドラ、スネア、ハイハット、タムは普通に設置)。その代わり彼はキットに組み込むように置かれたPCと首っぴきという感じで、PC音に手弾きの音をちょいちょい足していくのだ。そして、その総体は現代の立ちやエッジを有し、ケイルの過去曲を今に持ってきてしまう! ケイルがギターを手にした最後だけ、一切PC音を使わないバンド音で曲をまっとうした。背後のスクリーンには映像が投射されていたが、パークスの顔にもそれは写っており、彼は眩しくなかったのだろうか。
▶︎過去の、ジョン・ケイル
http://43142.diarynote.jp/201608111100555412/
<今日の、がっかり>
錦糸町に向かう半蔵門線の車内の広告に目が留まる。<すみだガラス市>。今日と明日との日程と記され、場所もこれから行くすみだトリフォニー・ホールに近い。やりぃ。時間的に余裕を持って家を出てきているし、どんなものか知らないが、これは覗くことができるではないか。そして、ニコニコと会場に行ってみたら、テントが皆しまっている。ようは、もう終わっている。あれれェ。後で調べたら、クローズは午後4時。真冬でもないのに、いくらなんでも閉まるの早すぎない?
2部構成。2部の頭の2曲には相対性理論のやくしまるえつこ、永井聖一、山口元輝が加わる。1曲目は彼女たち手動でペンギン・カフェが完全にバック・バンドになっていた。
▶︎過去の。ペンギン・カフェ
http://43142.diarynote.jp/201409291720019557/
http://43142.diarynote.jp/201707101243147840/
その後は、南青山・ブルーノート東京で、1年強ぶりに再来日したジョン・ケイル(2016年8月7日)の実演を見る。キーボードを押さえながら歌う本人に加え、ギターのダスティン・ボイヤー、電気ベースのジョーイ・マランバ、ドラムのディーントーニ・パークスという陣容。
うわわー。びっくり。バンドは同じ顔ぶれながら、進化し、大きく前に踏み出していた。ぶっちゃけて言うと、ケイルとパークスの二人のプロジェクトとなっていた。そのぶん、ギタリストとベーシストの占める割合は減じており、この二人だけでライヴをやっても問題はないのではないかとさえ思える部分も多々あり。とともに、先鋭派パークスの関与する裁量が大きくなったことで、“進行形のケイル表現”という感じはより前に出る。しかし、どこで両者は知り合ったのか? ケイルはずっと米国住まいなのかな。
なんと今回のパークスのキットにはシンバルが置いていない(バスドラ、スネア、ハイハット、タムは普通に設置)。その代わり彼はキットに組み込むように置かれたPCと首っぴきという感じで、PC音に手弾きの音をちょいちょい足していくのだ。そして、その総体は現代の立ちやエッジを有し、ケイルの過去曲を今に持ってきてしまう! ケイルがギターを手にした最後だけ、一切PC音を使わないバンド音で曲をまっとうした。背後のスクリーンには映像が投射されていたが、パークスの顔にもそれは写っており、彼は眩しくなかったのだろうか。
▶︎過去の、ジョン・ケイル
http://43142.diarynote.jp/201608111100555412/
<今日の、がっかり>
錦糸町に向かう半蔵門線の車内の広告に目が留まる。<すみだガラス市>。今日と明日との日程と記され、場所もこれから行くすみだトリフォニー・ホールに近い。やりぃ。時間的に余裕を持って家を出てきているし、どんなものか知らないが、これは覗くことができるではないか。そして、ニコニコと会場に行ってみたら、テントが皆しまっている。ようは、もう終わっている。あれれェ。後で調べたら、クローズは午後4時。真冬でもないのに、いくらなんでも閉まるの早すぎない?
ロイ・エアーズ。渡辺貞夫フィーチャリング・モニカ・サルマーゾ
2017年10月8日 音楽 シンガー/シンセシザー・ヴァイブラフォン奏者のロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日2004年3月10日2008年7月10日、2014年7月19日、2016年2月12日)の1年半ぶりの公演は、六本木・ビルボードライブ東京。キーボードのエヴァレット・フリーマン 、エレクトリック・ベースのトレヴァー・アレン 、ドラムのクリストファー・デ・カーマイン というバンド員は前回来日時と総とっかえ。また、今回はサイド・シンガーを連れてきていない。例によって、エアーズはヴォーカルを取る。だけど、これまでになく、サイド・マンっちにもソロを回し、近年のライヴのなかでは一番ソウル・フュージョン濃度が高かったか。そして、スタンダードの「サマータイム」はインストゥメンタルで演奏した。
▶過去の、ロイ・エアーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080710
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201602161249535545/
その後は、丸の内・コットンクラブで、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日)が、ブラジル人たちとやるショウを見る。1時間強のセットを15分の休憩を挟んで二つ入れ替えなしで持つ。ご老人は元気だ。
ヴォーカルのモニカ・サルマーゾ 、ピアノのエリオ・アルヴェス 、ガット・ギターのパウロ・アラガォン 、デニ&デボラ・カルテートで同じみのダブル・ベースのシヂエル・ヴィエイラ (痩せた!)。ドラムのエドゥ・ヒベイロ を擁する。それで、サンパウロの自然体シンガーであるサルマーゾをフィーチャーするライヴと聞いていたが驚いた。3分の2ほどで、彼女は歌ったのではないか。まさに、“フィーチャリング”。彼女は渡辺貞夫が提案した曲や自分の持ち歌、さらには日本語の曲も歌ったりもし、本当に密に連絡を取り合い、準備していたことが分かる。このメンバーは彼女が選んだという話もきいたが、それにも大きくうなずけるな。そして、貞夫さんもうれしそう。その総体は、ブラジリン・フュージョンではなく、ブラジルに住むサルマーゾとブラジル音楽が大好きな渡辺貞夫の音楽性と思いが最大公約数で重なった内容だった。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
<今日の、そうだった……>
アフリカ・バンバータもカエターノ・ヴェローゾも、最初に日本に呼んだのは、渡辺貞夫だったんだよな。ショウを見ながら、そんなことを思い出した。
▶過去の、ロイ・エアーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080710
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201602161249535545/
その後は、丸の内・コットンクラブで、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日)が、ブラジル人たちとやるショウを見る。1時間強のセットを15分の休憩を挟んで二つ入れ替えなしで持つ。ご老人は元気だ。
ヴォーカルのモニカ・サルマーゾ 、ピアノのエリオ・アルヴェス 、ガット・ギターのパウロ・アラガォン 、デニ&デボラ・カルテートで同じみのダブル・ベースのシヂエル・ヴィエイラ (痩せた!)。ドラムのエドゥ・ヒベイロ を擁する。それで、サンパウロの自然体シンガーであるサルマーゾをフィーチャーするライヴと聞いていたが驚いた。3分の2ほどで、彼女は歌ったのではないか。まさに、“フィーチャリング”。彼女は渡辺貞夫が提案した曲や自分の持ち歌、さらには日本語の曲も歌ったりもし、本当に密に連絡を取り合い、準備していたことが分かる。このメンバーは彼女が選んだという話もきいたが、それにも大きくうなずけるな。そして、貞夫さんもうれしそう。その総体は、ブラジリン・フュージョンではなく、ブラジルに住むサルマーゾとブラジル音楽が大好きな渡辺貞夫の音楽性と思いが最大公約数で重なった内容だった。
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
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<今日の、そうだった……>
アフリカ・バンバータもカエターノ・ヴェローゾも、最初に日本に呼んだのは、渡辺貞夫だったんだよな。ショウを見ながら、そんなことを思い出した。
仲井戸”CHABO”麗市67th Birthday LIVE
2017年10月9日 音楽 【雨あがりの夜空に 2017】というサブ・タイトルがつけられたショウで、日比谷野外大音楽堂でがっつり持たれる。晴天、気持ちいい〜、観客席は満員だあ〜。MCで「オレと山下達郎のライヴは長いんだ」みたいなことを言っていたが、実際3時間ごえ。17時開演、アンコールでRCの「雨あがりの夜空に」が終わったのが19時59分。おお、野音のタイム・リミットは20時なのかあ、これはプロだなあと思っていたら、それからまた出てきてリーディングをやったり、ザ・ビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」を日本語詞で公演の趣旨とつながるように歌ったり。しかし、音程はシャープではないものの歌声はよく出ていて(かつ、やはり歌詞はちゃんと耳に入ってくる)、この長丁場をシンガーとしてもまっとうしたのは大きく頷く。MCの喋りは、歌以上に忌野清志郎とつながるものがあったような。やはり、同志だったんだろう。彼は、MCで彼との思い出もいくつか語った。
CHABO BANDと名付けられたバンドは、ベースの早川岳晴、ドラムは河村"カースケ"智康、キーボードのDr.kyOn。そして、そこにアルト・サックスと梅津和時とテナーの片山広明が入る。実は昨年、CHABOには麗蘭の新作リリース時にインタヴューをし、若々しい外見とブルース/R&B好きとつながるナイス・ガイぶりにポッとなったのだが、ある種の日本のロック〜ブラック・ミュージックの受容の様、R&Rというスピリットの有効性というようなものが、ここには大きく横たわっていたのではないか。11月2日の毎日新聞夕刊にライヴ評が出ます。
<今日の、会場>
なんか。いい会場だなーと、思うことしきり。ここに来るのは、ずぶ濡れになった渡辺貞夫と山下洋輔の2013 年ジョイント・ライヴ(http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/)以来か。それに先立ち、日比谷野音に集まった両氏(会場内で撮影するため)にここの楽屋で話をきいたんだよなあ。以下は、その抜粋。毎日新聞とジャズ・ジャパン誌に書き分けた。文中にあるダブル・レインボウがかかった2009年山下40周年公演は、http://43142.diarynote.jp/200907221011377741/。また、文中にある山下NYトリオ(http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm 、11月10日)は、この11月に日本ツアーを行う。
——ところで、日比谷野音というと、どんな思い出をお持ちでしょうか。
渡辺「最初出たのは何だったかなあ? ずいぶん昔だから、90周年だもんねえ」
山下「その90年のなかのいつ頃からかは分らないけど、とにかくジャズ・フェスティヴァルをやろうという企画がありましたよね」
渡辺「あれも、大変だったよね。2年か、3年やったでしょ。お金持ち逃げされちゃって、俺らが一人30万円だか払わされたんだよね。ポスター代とか」
山下「わー、それは、僕は知らなかったなあ」
渡辺「まず、ジャズ協会だかを始めるという話がっ……」
山下「ああ、ありましたよねえ」
渡辺「僕と八代和男さんとで、僕はその前にミュージシャン・ユニオンというのを(米国から)帰ってきて立ち上げたんだけど、皆乗り気じゃなくて、それは終わっていた。その後、沢田俊吾さんとかと、毎月ピットインでミーティングを始めた。それで、その打ち上げを毎年やったんですよ。70年代始めぐらいじゃないかな」
山下「そうですよね。僕は、フリー・ジャズ・トリオで、それに出ていましたから。1969年以降であるのは間違いないです」
——そのころって、それほど大きな会場もなかったろうし、何か大きな事をやろうとすると、まず野音だ、みたいな感じはあったんでしょうか?
渡辺「大きな事ねえ。どうなんでしょうねえ」
山下「夏に、野外であんなことをやれたとうのは、少なくても僕らにとっては初めての経験でしたね」
渡辺「結構、お客さんは来てくれたんだよね」
山下「満員でしたよねえ」
渡辺「立ち見も出ていた。いろんな形でやったと思います」
山下「僕らは普段、たとえばピットインで沢山入ったとしても、何十人か、下手をすれば数人を前にライヴをしていた時期だったから、出て行ったら何千人という観客がいるわけでしょう、これは興奮しましたよね。そういう事で、日比谷野音というのはビシっと記憶に残りましたね」
——個人でお出になることはなかったんですよね?
渡辺「僕にとって一番の野音の思い出というと……。(ネルソン・)マンデラさんが来日して、ここで南アフリカ支援の集まりがあったんです(1990年)。釈放されてすぐだったんじゃなかったかな。それで、声をかけられて「コシシケレリ・アフリカ」の譜面をもらって、後に国歌になるその曲を暗譜して、マンデラさんと2人やったんです。僕が吹いてマンデラさんが歌って、支援者が何百人か客席にいて、それが一番の思い出ですね。そのときの、マンデラさんと僕の写真というのは、大切にとってあって、アフリカに行く時は持って行くんです(笑い)」
——そういえば、ソイル&ピンプ・セッションズが南アに行ったときには、貞夫さんの名前をかけられまくったそうです。
山下「それはそうだろう(笑い)」
渡辺「アフリカでは、けっこう有名なんだよね(笑い)。マンデラさんはにこやかにしていらっしゃって、その後、90年代にうちのバンドとアフリカ・ツアーをやって、訪問地にケニアと南アがあって、そのときは大統領になってました。そのとき、マンデラさんはソウェトの貧しい地区の中に新居を建築中で、それでプールまでできていたな。ついでに寄ったら彼はいなかったけど、そんな思い出があります」
——一方、山下さんにとっての野音というと。
山下「先ほど言った、ジャズ・フェスですね。いきなり出て行ったら、何千人の人がいて、それは初めての経験。ドイツ・ツアーとかの前だったんですよ。それで、こっちはヤメローと言っていて、別な方では洋輔イケーとか言っている。そういう時代だったんですね(笑い)。面白かったなあ。それと、日比谷というと、えーっとねえ、他にも何かあるような気もするんだけど、最近ではそのトリオ40周年ですね。それで、歴代トリオのメンバーを全員集めても、9人ぐらいにしかならない。こういうのは、珍しいと思っている。皆、とっかえひっかえ変えるでしょう? 」
渡辺「(笑い)ああ、それは僕だ。」
山下「だから、いっぱい集めようと思ったって、できない。最低でも4、5年は同じ顔ぶれだから」
——そうですね、NYトリオも長いですもんね。
山下「NYトリオは25年ですもんね。変えちゃうのが、イヤなんですね。だから、一緒にずっとやるので、そういう事ができた」
——それで、その際、空には二重の虹も出て、40周年を祝福しましたものね。
山下「そうそう、虹が出たんですよ。ダブル・レインボウが出まして。それが、DVDのジャケットにもなったんです。初代中村から始まって、それで坂田、そして(小山)彰太……、全員を集めたわけです。それで、それぞれの代表曲ができるんです。」
——山下さんも、昔はちょっと貞夫さんのグループにお入りになったことがあるんですよね。
山下「そうなんですよ。もう、うれしくて。まだ、国立音大生の頃でしたから。今、国立音大生で貞夫さんの所に呼ばれたのが2人もいるんです。兼松と小田切(ドラム)。兼松もうまいピアノで、FMの番組で使われた。当時、僕は遅れて遅れて入学して、5年生のときにようやく呼んでいただいた。その時、回りは皆ショックを受けて、貞夫さんの所に音大生が呼ばれたぞ、と。今、貞夫さんは招聘教授で……」
渡辺「去年からやっているんだよね」
山下「それをやっていていいことは、才能ある若手とで出会える事」
渡辺「それは、本当に楽しみだよね」
山下「そしたら、生徒の中から2人をばっと選んで、それが間違いない」
——洋輔さんは、どんな感じで入ったんでしょう。
渡辺「(渡辺)文雄と一緒だったんだよな。それで、これは楽しみだなと思った」
山下「多分、文雄ちゃんがいいように言ってくれたんだと思う」
渡辺「いやいやいや。帰ってきてすぐ(渡辺グループでピアノを弾いていたの)は、前田憲男さんだった。それで、若いサイドメンがほしくて、声をかけたんだと思う。今と同じなんだけどね」
山下「貞夫さんは、1965年にバークリーに帰ってきて、その数日後にサックスを持って、我々若者がやっていたジャズ・ギャラリーに来て、毎日サックスを吹きまくった。すごいでしょう。それで、それがNY流というか」
渡辺「まあ、あの当時は試行錯誤の時代だった。系統立てて教えてくれるところもなかったし。だいたい、僕たちはGIの後を追いかけて、なんかを得ようとしたり。たぶん、こんなもんだろうというところで、アメリカに行ったんです」
山下「いや、こんなふうじゃないんですよ。そのときは、ばりばりにチャーリ・パーカーを吹いていた。だから、行ったとたんにたちまち一番になって、バンド・リーダーになって、アルバムを録ったりした」
渡辺「そういうのは、載せないで(笑い)」
山下「つまり、日本人がああやって想像でやっていたことが間違っていなかった、ということを、貞夫さんが証明してくれた。それが凄いんですよ。そしてそれを系統立てて、これはこういうふうに記号で言うんだよということを、教えてくれた。英語のノートを何冊も作って持って帰ってこられて、それを僕たちに教えてくれたんです」
渡辺「曲集には記号は書いてあったけど、俺らが音楽理論を勉強しようとすると、下総皖一の和声とか、(諸井 )三郎さんの対位法とか見てもなんか違う」
山下「ジャズの音楽理論というのは、それとは全然違う。それが、日本には全然なかった。ところが、バークリーだけが早いうちに、すごく分りやすくそれをやってしまっていた」
——そうして、貞夫さんのまいた種が育って、この野音でもいろいろ花開いたと思います。
山下「そう、まさしく、先駆者なんですよ」
渡辺「ここではいろんなステージにあがったと思うんだけど、洋輔が40周年でやったのは珍しいと思うけど、一つのブループというよりは、なんかジャズ・フェスという感じで、いろんなグループがお祭りみたいな感じで演奏するという感じ。だから、日比谷の思い出としては、明確に俺のなかでまとまらない」
山下「皆で、楽屋でわあわあやっていましたもんね。それはオール・スターですからね。みんな貞夫さんに寄って行く」
——それで、今回、お二人は俗な言い方をすると対バンで出演しますが。
山下「うちの事務所の情報だと、すごい売れ行きがいいんだって」
渡辺「フライヤーを見ると、山下洋輔と渡辺貞夫の共演と書いてあるから。ただ、洋輔の所にもホーン・プレイヤーが参加しているし」
山下「エレナと成孔が我々のほうにいます。貞夫さんの方は?」
渡辺「こっちは、僕だけ。だから、フロントは3人いるんだよな。うちのバンドにはギターもいるし、」
山下「珠也は、重なっているんだよね」
渡辺「うちのレギュラーグループは小野塚が他の仕事なので、その日は塩谷」
山下「ああ、ソルトはもちろんいいですよ。でも、どうして、他の仕事が入っているとはいえ、コレを断るかな(笑い)」
渡辺「いや、今の若い奴はみんな忙しいの(笑い)」
山下「忙しいと言っても、日比谷で、貞夫さんだよ!」
——山下さんは、特別編成と言ってもいいんですよね。
山下「珠也とは最近よくやっていて、いいんだ」
渡辺「珠也は腕を上げたよね」
山下「上げましたよね。それで、ベースが紅介。そして、エレナちゃん。貞夫さんが自分の楽器を贈ったという逸材(笑い)」
渡辺「いやいやいや。貸してあげたの」
山下「僕も彼女を見て、貞夫さんと同じように、これは凄いっと思っちゃった」
渡辺「彼女が13歳のときに知り、いいなと思って。それで、札幌に行くたびに、アンコールのときに呼ぶようになって。今、バークリー・スクールで頑張っていると思います」
山下「彼女はサマー・クスクールなんかにも通っていて、すべて奨学金でしょ?」
渡辺「プレジデントというやつで、旅費、学費、寄宿舎もただ。何からなにまで面倒見てくれて、6000人のなかから3人選ばれたらしい。甘えちゃいけないよと言っています」
山下「そういう奴が、僕の方には登場します。それと、成孔。成孔は成孔でまた、変な存在でありまして」
渡辺「聞いた事ないので、彼の演奏は楽しみなんだよね。NHKでマイルスのことを語っているのは見た」
山下「面白いです。弁もたつ、筆もたつ。自分のバンドでは指揮をしたり、CDJをばーっとやったり、普通のジャズとは違うんですね」
——それで、ご一緒にもやるんですよね。
渡辺「これは、やらなきゃしょうがないよね(笑い)」
山下「よろしくお願いします。どうやりましょうか? デュオでします?」
渡辺「ステージで皆一緒にやればいいじゃん。お前と2人でやってもおもしろくないよ(笑い)」
——2年前の正月に軽井沢で一緒にやっていますよね。
渡辺「そんなことがあった。洋輔グループに参加してもらったよね。スタンダードをやったと思いますけど。」
山下「そうですね。じゃあ、考えてください。三管でいいんですか」
渡辺「え、もっと増やしたいの?」
山下「いやいや。では、双方がやって、一緒にアンコールでしょうね。全員いるという感じですか。」
渡辺「それがいいんじゃない」
——こうやって。お話をきいていると、お二人って波長が合うんですね。
山下「そりゃ、もちろん! それは、そもそも僕が憧れているからで。貞夫さんのお人柄がこうだから」
渡辺「いやいや、やっぱりそこはミュージシャン同士だから。これが学者とお話とかだったら、困っちゃうけど(笑い)」
CHABO BANDと名付けられたバンドは、ベースの早川岳晴、ドラムは河村"カースケ"智康、キーボードのDr.kyOn。そして、そこにアルト・サックスと梅津和時とテナーの片山広明が入る。実は昨年、CHABOには麗蘭の新作リリース時にインタヴューをし、若々しい外見とブルース/R&B好きとつながるナイス・ガイぶりにポッとなったのだが、ある種の日本のロック〜ブラック・ミュージックの受容の様、R&Rというスピリットの有効性というようなものが、ここには大きく横たわっていたのではないか。11月2日の毎日新聞夕刊にライヴ評が出ます。
<今日の、会場>
なんか。いい会場だなーと、思うことしきり。ここに来るのは、ずぶ濡れになった渡辺貞夫と山下洋輔の2013 年ジョイント・ライヴ(http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/)以来か。それに先立ち、日比谷野音に集まった両氏(会場内で撮影するため)にここの楽屋で話をきいたんだよなあ。以下は、その抜粋。毎日新聞とジャズ・ジャパン誌に書き分けた。文中にあるダブル・レインボウがかかった2009年山下40周年公演は、http://43142.diarynote.jp/200907221011377741/。また、文中にある山下NYトリオ(http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm 、11月10日)は、この11月に日本ツアーを行う。
——ところで、日比谷野音というと、どんな思い出をお持ちでしょうか。
渡辺「最初出たのは何だったかなあ? ずいぶん昔だから、90周年だもんねえ」
山下「その90年のなかのいつ頃からかは分らないけど、とにかくジャズ・フェスティヴァルをやろうという企画がありましたよね」
渡辺「あれも、大変だったよね。2年か、3年やったでしょ。お金持ち逃げされちゃって、俺らが一人30万円だか払わされたんだよね。ポスター代とか」
山下「わー、それは、僕は知らなかったなあ」
渡辺「まず、ジャズ協会だかを始めるという話がっ……」
山下「ああ、ありましたよねえ」
渡辺「僕と八代和男さんとで、僕はその前にミュージシャン・ユニオンというのを(米国から)帰ってきて立ち上げたんだけど、皆乗り気じゃなくて、それは終わっていた。その後、沢田俊吾さんとかと、毎月ピットインでミーティングを始めた。それで、その打ち上げを毎年やったんですよ。70年代始めぐらいじゃないかな」
山下「そうですよね。僕は、フリー・ジャズ・トリオで、それに出ていましたから。1969年以降であるのは間違いないです」
——そのころって、それほど大きな会場もなかったろうし、何か大きな事をやろうとすると、まず野音だ、みたいな感じはあったんでしょうか?
渡辺「大きな事ねえ。どうなんでしょうねえ」
山下「夏に、野外であんなことをやれたとうのは、少なくても僕らにとっては初めての経験でしたね」
渡辺「結構、お客さんは来てくれたんだよね」
山下「満員でしたよねえ」
渡辺「立ち見も出ていた。いろんな形でやったと思います」
山下「僕らは普段、たとえばピットインで沢山入ったとしても、何十人か、下手をすれば数人を前にライヴをしていた時期だったから、出て行ったら何千人という観客がいるわけでしょう、これは興奮しましたよね。そういう事で、日比谷野音というのはビシっと記憶に残りましたね」
——個人でお出になることはなかったんですよね?
渡辺「僕にとって一番の野音の思い出というと……。(ネルソン・)マンデラさんが来日して、ここで南アフリカ支援の集まりがあったんです(1990年)。釈放されてすぐだったんじゃなかったかな。それで、声をかけられて「コシシケレリ・アフリカ」の譜面をもらって、後に国歌になるその曲を暗譜して、マンデラさんと2人やったんです。僕が吹いてマンデラさんが歌って、支援者が何百人か客席にいて、それが一番の思い出ですね。そのときの、マンデラさんと僕の写真というのは、大切にとってあって、アフリカに行く時は持って行くんです(笑い)」
——そういえば、ソイル&ピンプ・セッションズが南アに行ったときには、貞夫さんの名前をかけられまくったそうです。
山下「それはそうだろう(笑い)」
渡辺「アフリカでは、けっこう有名なんだよね(笑い)。マンデラさんはにこやかにしていらっしゃって、その後、90年代にうちのバンドとアフリカ・ツアーをやって、訪問地にケニアと南アがあって、そのときは大統領になってました。そのとき、マンデラさんはソウェトの貧しい地区の中に新居を建築中で、それでプールまでできていたな。ついでに寄ったら彼はいなかったけど、そんな思い出があります」
——一方、山下さんにとっての野音というと。
山下「先ほど言った、ジャズ・フェスですね。いきなり出て行ったら、何千人の人がいて、それは初めての経験。ドイツ・ツアーとかの前だったんですよ。それで、こっちはヤメローと言っていて、別な方では洋輔イケーとか言っている。そういう時代だったんですね(笑い)。面白かったなあ。それと、日比谷というと、えーっとねえ、他にも何かあるような気もするんだけど、最近ではそのトリオ40周年ですね。それで、歴代トリオのメンバーを全員集めても、9人ぐらいにしかならない。こういうのは、珍しいと思っている。皆、とっかえひっかえ変えるでしょう? 」
渡辺「(笑い)ああ、それは僕だ。」
山下「だから、いっぱい集めようと思ったって、できない。最低でも4、5年は同じ顔ぶれだから」
——そうですね、NYトリオも長いですもんね。
山下「NYトリオは25年ですもんね。変えちゃうのが、イヤなんですね。だから、一緒にずっとやるので、そういう事ができた」
——それで、その際、空には二重の虹も出て、40周年を祝福しましたものね。
山下「そうそう、虹が出たんですよ。ダブル・レインボウが出まして。それが、DVDのジャケットにもなったんです。初代中村から始まって、それで坂田、そして(小山)彰太……、全員を集めたわけです。それで、それぞれの代表曲ができるんです。」
——山下さんも、昔はちょっと貞夫さんのグループにお入りになったことがあるんですよね。
山下「そうなんですよ。もう、うれしくて。まだ、国立音大生の頃でしたから。今、国立音大生で貞夫さんの所に呼ばれたのが2人もいるんです。兼松と小田切(ドラム)。兼松もうまいピアノで、FMの番組で使われた。当時、僕は遅れて遅れて入学して、5年生のときにようやく呼んでいただいた。その時、回りは皆ショックを受けて、貞夫さんの所に音大生が呼ばれたぞ、と。今、貞夫さんは招聘教授で……」
渡辺「去年からやっているんだよね」
山下「それをやっていていいことは、才能ある若手とで出会える事」
渡辺「それは、本当に楽しみだよね」
山下「そしたら、生徒の中から2人をばっと選んで、それが間違いない」
——洋輔さんは、どんな感じで入ったんでしょう。
渡辺「(渡辺)文雄と一緒だったんだよな。それで、これは楽しみだなと思った」
山下「多分、文雄ちゃんがいいように言ってくれたんだと思う」
渡辺「いやいやいや。帰ってきてすぐ(渡辺グループでピアノを弾いていたの)は、前田憲男さんだった。それで、若いサイドメンがほしくて、声をかけたんだと思う。今と同じなんだけどね」
山下「貞夫さんは、1965年にバークリーに帰ってきて、その数日後にサックスを持って、我々若者がやっていたジャズ・ギャラリーに来て、毎日サックスを吹きまくった。すごいでしょう。それで、それがNY流というか」
渡辺「まあ、あの当時は試行錯誤の時代だった。系統立てて教えてくれるところもなかったし。だいたい、僕たちはGIの後を追いかけて、なんかを得ようとしたり。たぶん、こんなもんだろうというところで、アメリカに行ったんです」
山下「いや、こんなふうじゃないんですよ。そのときは、ばりばりにチャーリ・パーカーを吹いていた。だから、行ったとたんにたちまち一番になって、バンド・リーダーになって、アルバムを録ったりした」
渡辺「そういうのは、載せないで(笑い)」
山下「つまり、日本人がああやって想像でやっていたことが間違っていなかった、ということを、貞夫さんが証明してくれた。それが凄いんですよ。そしてそれを系統立てて、これはこういうふうに記号で言うんだよということを、教えてくれた。英語のノートを何冊も作って持って帰ってこられて、それを僕たちに教えてくれたんです」
渡辺「曲集には記号は書いてあったけど、俺らが音楽理論を勉強しようとすると、下総皖一の和声とか、(諸井 )三郎さんの対位法とか見てもなんか違う」
山下「ジャズの音楽理論というのは、それとは全然違う。それが、日本には全然なかった。ところが、バークリーだけが早いうちに、すごく分りやすくそれをやってしまっていた」
——そうして、貞夫さんのまいた種が育って、この野音でもいろいろ花開いたと思います。
山下「そう、まさしく、先駆者なんですよ」
渡辺「ここではいろんなステージにあがったと思うんだけど、洋輔が40周年でやったのは珍しいと思うけど、一つのブループというよりは、なんかジャズ・フェスという感じで、いろんなグループがお祭りみたいな感じで演奏するという感じ。だから、日比谷の思い出としては、明確に俺のなかでまとまらない」
山下「皆で、楽屋でわあわあやっていましたもんね。それはオール・スターですからね。みんな貞夫さんに寄って行く」
——それで、今回、お二人は俗な言い方をすると対バンで出演しますが。
山下「うちの事務所の情報だと、すごい売れ行きがいいんだって」
渡辺「フライヤーを見ると、山下洋輔と渡辺貞夫の共演と書いてあるから。ただ、洋輔の所にもホーン・プレイヤーが参加しているし」
山下「エレナと成孔が我々のほうにいます。貞夫さんの方は?」
渡辺「こっちは、僕だけ。だから、フロントは3人いるんだよな。うちのバンドにはギターもいるし、」
山下「珠也は、重なっているんだよね」
渡辺「うちのレギュラーグループは小野塚が他の仕事なので、その日は塩谷」
山下「ああ、ソルトはもちろんいいですよ。でも、どうして、他の仕事が入っているとはいえ、コレを断るかな(笑い)」
渡辺「いや、今の若い奴はみんな忙しいの(笑い)」
山下「忙しいと言っても、日比谷で、貞夫さんだよ!」
——山下さんは、特別編成と言ってもいいんですよね。
山下「珠也とは最近よくやっていて、いいんだ」
渡辺「珠也は腕を上げたよね」
山下「上げましたよね。それで、ベースが紅介。そして、エレナちゃん。貞夫さんが自分の楽器を贈ったという逸材(笑い)」
渡辺「いやいやいや。貸してあげたの」
山下「僕も彼女を見て、貞夫さんと同じように、これは凄いっと思っちゃった」
渡辺「彼女が13歳のときに知り、いいなと思って。それで、札幌に行くたびに、アンコールのときに呼ぶようになって。今、バークリー・スクールで頑張っていると思います」
山下「彼女はサマー・クスクールなんかにも通っていて、すべて奨学金でしょ?」
渡辺「プレジデントというやつで、旅費、学費、寄宿舎もただ。何からなにまで面倒見てくれて、6000人のなかから3人選ばれたらしい。甘えちゃいけないよと言っています」
山下「そういう奴が、僕の方には登場します。それと、成孔。成孔は成孔でまた、変な存在でありまして」
渡辺「聞いた事ないので、彼の演奏は楽しみなんだよね。NHKでマイルスのことを語っているのは見た」
山下「面白いです。弁もたつ、筆もたつ。自分のバンドでは指揮をしたり、CDJをばーっとやったり、普通のジャズとは違うんですね」
——それで、ご一緒にもやるんですよね。
渡辺「これは、やらなきゃしょうがないよね(笑い)」
山下「よろしくお願いします。どうやりましょうか? デュオでします?」
渡辺「ステージで皆一緒にやればいいじゃん。お前と2人でやってもおもしろくないよ(笑い)」
——2年前の正月に軽井沢で一緒にやっていますよね。
渡辺「そんなことがあった。洋輔グループに参加してもらったよね。スタンダードをやったと思いますけど。」
山下「そうですね。じゃあ、考えてください。三管でいいんですか」
渡辺「え、もっと増やしたいの?」
山下「いやいや。では、双方がやって、一緒にアンコールでしょうね。全員いるという感じですか。」
渡辺「それがいいんじゃない」
——こうやって。お話をきいていると、お二人って波長が合うんですね。
山下「そりゃ、もちろん! それは、そもそも僕が憧れているからで。貞夫さんのお人柄がこうだから」
渡辺「いやいや、やっぱりそこはミュージシャン同士だから。これが学者とお話とかだったら、困っちゃうけど(笑い)」
Tea。クール&ザ・ギャング
2017年10月10日 音楽 目黒・ブルースアレイで、ファースト・セットだけではあったが、「INTERSTELLAR」というデビュー作を出したteaという女性シンガーを見る。インドの中央部にある高原都市で学術/ITの街として知られるプネの出身で、バークリー音楽大学で作曲を学び、昨年から日本で活動をしている女性シンガーだ。
ベースの時枝弘、キーボードの柴田敏孝、ギターの伊藤ハルトシ、ドラムの大津惇に加え、曲によってはアイミー・ブラックシーガーとスウィンキーという二人の外国人女性コーラスがつく。また、トランペットの市原ひかりとサックスの藤田淳之介が加わる場合もあり。自作とカヴァーの両方をジャジー・ソウル・サウンドを介して歌うが、リアン・ラ・ハヴァス(2013年9月20日)の曲を歌ったにはびっくり。そういえば、アルバムにはシャーデーを想起させる曲もあったりて、UK的な何かが入ったソウルネスが彼女には合っていると思える? まあ、インドも英連邦に属する国であるしな。
彼女はスキンヘッドで、まずその印象的な外見でつかみはOKとなるか。そして、それとつながるスケール感こそが、彼女の生命線であると思う。
▶︎過去の、リアン・ラ・ハヴァス
http://43142.diarynote.jp/201309220902394351/
その後は、南青山・ブルーノート東京で、NYの大御所セルフ・コンテインド・グループ(もうこういう言い方はしなくなったか)であるクール&ザ・ギャング(2014年12月26日、2016年2月23日)を見る。お、お揃いのコスチュームが派手で、今までで一番見栄えのするステージであったか。オリジナルのリーダーにして、ベーシストであるロバート”クール”ベルが、これほど前に出てきたのも初めてのような。シンガー3人、シンガー陣と一緒にフリもつける菅奏者3人(トロンボーン。テナー・サックス、トランペット)がフロントに立ち、彼らをギター、キーボード(アルト・サックスも吹く)、ドラム、パーカッション奏者たちが支える。ブルーノートのHPにはバンド員名の記載はなかったが、なんの問題もなし。ぼくが彼らを見た中では一番音が太いような気もした。客も多くは1曲目から立ち上がっていた。好調な彼らはこの後、中国に行き、ハワイに寄ったあと、米国〜欧州〜米国といろいろ回る。
▶過去の、クール&ザ・ギャング/J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201403051230433466/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/
http://43142.diarynote.jp/201508051544452721/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201602290953239524/
<今日の、やっぱりわしゃあディライトじゃけん>
クール&ザ・ギャングのショウだが、難を指摘するなら、1970年代中盤までのどファンクでストロングなクール&ザ・ギャングを披露するパートを前半で早々とやってしまったこと。やはり、ぼくにとっちゃクール&ザ・ギャングはあの頃しかないんだよお。ハイ・セールス期はもっとポップになった1980年代かもしれないが、米国黒人音楽史にきっちり痕を残す輝かしい音楽性を出したのは間違いなくディライトからアルバムを出していたあのころ。次の来日時には、なんとか”ディライト・イアーズ・セレブレーション”とか掲げて、1970年代曲に特化したショウを1日くらいしないかな。でなきゃ、「ハリウッド・スウィンギン」以外の彼らのファンク名曲は『ワイルド&ピースフル』(1973年)に集中しているので、同作を再現する出し物でも大歓迎なんだが……。
ベースの時枝弘、キーボードの柴田敏孝、ギターの伊藤ハルトシ、ドラムの大津惇に加え、曲によってはアイミー・ブラックシーガーとスウィンキーという二人の外国人女性コーラスがつく。また、トランペットの市原ひかりとサックスの藤田淳之介が加わる場合もあり。自作とカヴァーの両方をジャジー・ソウル・サウンドを介して歌うが、リアン・ラ・ハヴァス(2013年9月20日)の曲を歌ったにはびっくり。そういえば、アルバムにはシャーデーを想起させる曲もあったりて、UK的な何かが入ったソウルネスが彼女には合っていると思える? まあ、インドも英連邦に属する国であるしな。
彼女はスキンヘッドで、まずその印象的な外見でつかみはOKとなるか。そして、それとつながるスケール感こそが、彼女の生命線であると思う。
▶︎過去の、リアン・ラ・ハヴァス
http://43142.diarynote.jp/201309220902394351/
その後は、南青山・ブルーノート東京で、NYの大御所セルフ・コンテインド・グループ(もうこういう言い方はしなくなったか)であるクール&ザ・ギャング(2014年12月26日、2016年2月23日)を見る。お、お揃いのコスチュームが派手で、今までで一番見栄えのするステージであったか。オリジナルのリーダーにして、ベーシストであるロバート”クール”ベルが、これほど前に出てきたのも初めてのような。シンガー3人、シンガー陣と一緒にフリもつける菅奏者3人(トロンボーン。テナー・サックス、トランペット)がフロントに立ち、彼らをギター、キーボード(アルト・サックスも吹く)、ドラム、パーカッション奏者たちが支える。ブルーノートのHPにはバンド員名の記載はなかったが、なんの問題もなし。ぼくが彼らを見た中では一番音が太いような気もした。客も多くは1曲目から立ち上がっていた。好調な彼らはこの後、中国に行き、ハワイに寄ったあと、米国〜欧州〜米国といろいろ回る。
▶過去の、クール&ザ・ギャング/J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/200611281428510000/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201403051230433466/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201412291146465218/
http://43142.diarynote.jp/201508051544452721/ J.T.テイラー
http://43142.diarynote.jp/201602290953239524/
<今日の、やっぱりわしゃあディライトじゃけん>
クール&ザ・ギャングのショウだが、難を指摘するなら、1970年代中盤までのどファンクでストロングなクール&ザ・ギャングを披露するパートを前半で早々とやってしまったこと。やはり、ぼくにとっちゃクール&ザ・ギャングはあの頃しかないんだよお。ハイ・セールス期はもっとポップになった1980年代かもしれないが、米国黒人音楽史にきっちり痕を残す輝かしい音楽性を出したのは間違いなくディライトからアルバムを出していたあのころ。次の来日時には、なんとか”ディライト・イアーズ・セレブレーション”とか掲げて、1970年代曲に特化したショウを1日くらいしないかな。でなきゃ、「ハリウッド・スウィンギン」以外の彼らのファンク名曲は『ワイルド&ピースフル』(1973年)に集中しているので、同作を再現する出し物でも大歓迎なんだが……。
チャマメ・パーティ。ガーランド・ジェフリーズ
2017年10月11日 音楽 元麻布・アルゼンチン共和国大使館で持たれた「チャマメとマテ茶〜アルゼンチン北東部リトラル地方の音楽と味覚〜」というパーティに、まず行く。へえ、大使はいかにもエリートぽい感じで、イケ面だな。アルゼンチン北東部で育まれてきたトラッドと飲み物を一緒に紹介しましょうという出し物。東京タワーが見える公邸のでかいルーフ・トップには噴水もあり、眺め良し。お茶やスウィーツ(ドルチェ・デ・レチェを初めて味わった)だけでなく、ワインやエンパナーダやその場で焼いて作っていたチョリパンなどもいただく。
コリエンテス州出身のシンガーであるジセーラ・メンデス・リベイロとミシオネス州アポストレス市(マテ茶の首都とか)のアコーディオン奏者のセルヒオ・タツノスキ、パーカッションのゴンサロ・アギーレとギターのマルティン・サンドバルがパフォーマンス。2回に分けて、思った以上の曲数を4人は笑顔で演奏。途中で衣装をかえていたリベイラさんは若い時は綺麗だったんだろうなと思わせ、今も性格はすごい良さそう(それは、謙虚な感じの全員がそうだけど)と思わせる。その音楽性をうまく書き留められないが、素朴でエキゾ。数年前にチャマメ演奏でオコーディオンの技量を磨き、現在はパリで活動するラウル・バルボサをインタヴュー(スペイン語でインタヴューを受けるのかと思ったら、彼はフランス語で受けた。なに、引っ越したらすぐに覚えちゃったよ、とのこと。ラティーナ誌でやった)しといてなんだが。とにかく、やっている風情込みでこれは生理的に高潔でプレシャスな音楽をやっていると思わせるものはあるわけで、まだまだオレは音楽に触れなさすぎだし、聞くべきものは気が遠くなるほどあると痛感。
その後は、六本木・ビルボードライヴ東京で、NYの混血&雑食シンガー・ソングタイター/ロックンローラーであるガーランド・ジェフリーズ(1944年、ブルックリン生まれ)を見る。1990年前後だったか渋谷クアトロで見た記憶があるが、それ以来の来日となるのだろうか?
キーボードのチャーリー・ロス、ギターのジャスティン・JJ・ジョーダン、ベースのブライアン・スタンリー、ドラムのトム・キュリアーノという面々がサポートし、なんとジェフリーズはギターは持たずヴォーカルだけを取る。だいぶ太ったが頭髪はあり、声はよく出ていて、セカンド・ショウであったのにも関わらずヘロっちゃうこともなかった。で、非に打ち所のないオールド・スクールなバンドと一体となって、彼は自らの熱意を客に送り出す。もう、その様(2回ほど、客席に降りて歌った)は本当に正しいロックンローラーであったと言うしかない。とともに、彼は事あるごとにニューヨーカーであることを強調していた。
彼はレゲエ・ビートを積極的に取り上げた人物であったが(1970年代のA&M作品で、そのレゲエ・ビートを叩いたのがスティーヴ・ガッドだった)、「ゴースト・ライター」をはじめ3割ほどはレゲエ・ビートの曲をやったか。また、ジョン・リー・フッカー賞賛曲や、ザ・ビートルズやボブ・ディランのカヴァーもぶっとく披露した。
心意気、山ほど。なんだかんだ、彼は2時間近くやった。最後は、一人ステージに残り、短いアカペラ曲でショウを閉めた。ああ、とってもいい夜だった。
<今日の、演者>
秋晴れ、気温が高めの日が続く。この日に触れた2組は、フェス流れの人たちだ。アルゼンチン勢は福島県川俣町で40年以上続いているそうなコスキン・エン・ハポンというトラッド音楽ファスに出演し、ジェフリーズ御一行は静岡県の朝霧ジャムに出た。豪州や欧州など、結構ツアーが続くようなことを、ジェフリーズは言っていたな。
コリエンテス州出身のシンガーであるジセーラ・メンデス・リベイロとミシオネス州アポストレス市(マテ茶の首都とか)のアコーディオン奏者のセルヒオ・タツノスキ、パーカッションのゴンサロ・アギーレとギターのマルティン・サンドバルがパフォーマンス。2回に分けて、思った以上の曲数を4人は笑顔で演奏。途中で衣装をかえていたリベイラさんは若い時は綺麗だったんだろうなと思わせ、今も性格はすごい良さそう(それは、謙虚な感じの全員がそうだけど)と思わせる。その音楽性をうまく書き留められないが、素朴でエキゾ。数年前にチャマメ演奏でオコーディオンの技量を磨き、現在はパリで活動するラウル・バルボサをインタヴュー(スペイン語でインタヴューを受けるのかと思ったら、彼はフランス語で受けた。なに、引っ越したらすぐに覚えちゃったよ、とのこと。ラティーナ誌でやった)しといてなんだが。とにかく、やっている風情込みでこれは生理的に高潔でプレシャスな音楽をやっていると思わせるものはあるわけで、まだまだオレは音楽に触れなさすぎだし、聞くべきものは気が遠くなるほどあると痛感。
その後は、六本木・ビルボードライヴ東京で、NYの混血&雑食シンガー・ソングタイター/ロックンローラーであるガーランド・ジェフリーズ(1944年、ブルックリン生まれ)を見る。1990年前後だったか渋谷クアトロで見た記憶があるが、それ以来の来日となるのだろうか?
キーボードのチャーリー・ロス、ギターのジャスティン・JJ・ジョーダン、ベースのブライアン・スタンリー、ドラムのトム・キュリアーノという面々がサポートし、なんとジェフリーズはギターは持たずヴォーカルだけを取る。だいぶ太ったが頭髪はあり、声はよく出ていて、セカンド・ショウであったのにも関わらずヘロっちゃうこともなかった。で、非に打ち所のないオールド・スクールなバンドと一体となって、彼は自らの熱意を客に送り出す。もう、その様(2回ほど、客席に降りて歌った)は本当に正しいロックンローラーであったと言うしかない。とともに、彼は事あるごとにニューヨーカーであることを強調していた。
彼はレゲエ・ビートを積極的に取り上げた人物であったが(1970年代のA&M作品で、そのレゲエ・ビートを叩いたのがスティーヴ・ガッドだった)、「ゴースト・ライター」をはじめ3割ほどはレゲエ・ビートの曲をやったか。また、ジョン・リー・フッカー賞賛曲や、ザ・ビートルズやボブ・ディランのカヴァーもぶっとく披露した。
心意気、山ほど。なんだかんだ、彼は2時間近くやった。最後は、一人ステージに残り、短いアカペラ曲でショウを閉めた。ああ、とってもいい夜だった。
<今日の、演者>
秋晴れ、気温が高めの日が続く。この日に触れた2組は、フェス流れの人たちだ。アルゼンチン勢は福島県川俣町で40年以上続いているそうなコスキン・エン・ハポンというトラッド音楽ファスに出演し、ジェフリーズ御一行は静岡県の朝霧ジャムに出た。豪州や欧州など、結構ツアーが続くようなことを、ジェフリーズは言っていたな。
映画「ベル・カント」
2017年10月13日 音楽 オレ、オペラをちゃんと見たことないんだよな? これを見ながら、そう思った。10を超えるスペイン語系映画を紹介する<ラテン・ビート映画祭>のなかの一つの上映。先に見た「J:ビヨンド・フラメンコ」(2017年9月25日)もそのラインナップに入っている。新宿・バルト9。
1996年ペルーの日本大使館大使公邸で起こった反政府団体による長期占拠事件からインスパイアされた米国人作家アン・バチェットが書いた2001年好評同名小説を原作に置く。場所は同じリマながらペルー副大統領の豪邸となり、日本語しかできない日本企業の社長の誕生会を祝う国際的なパーティという設定に変えての、いろいろと動く人模様を描いた小説をオペラ化したものを、まんま練ったカメラ・ワークにより映像化した2015年米国映画だ。監督はケヴィン・ニューベリー。オペラを撮った作品なので、上映時間は3時間となる。
いかにもオペラな音楽を作ったのは、ペルー生まれでフィンランドや米国で音楽を学んでいて新作のクラシック作曲家としては結構な評価を受けているというジミー・ロペス、そしてキューバ生まれで9歳から米国で暮らしているピューリッツアー賞受賞作家のニロ・クルス。
それで、映画を見ながら目が回る。繰り返すがストーリーに沿う音楽はとっても立派なオーケーストラ音と歌唱群が織りなす、実にゴージャズ極まりないもの。そして、驚くのは、歌手たちが歌う歌詞が英語、スペイン語、日本語といろいろ使っていること。アアヤクーチョでは子供達が〜みたいな歌詞も出てくるが、一部はケチュア語も用いられているという。そして、総体は実に酔狂、複雑怪奇なプログ・オーケストラ・ポップであるなあという印象も得てしまう。よくぞこんなに大掛かりなお戯れを生真面目に作ったなあとも感嘆させられもするわけで、オペラは娯楽の粋極まりないものであったのだろうな(いや、ぼくが縁がないわけで、今もであるのか?)いうことも実感できる。なお、同じ原作で渡辺謙も出る米国映画が作られることになっているはずだ。
▶︎過去の、「J:ビヨンド・フラメンコ」
http://43142.diarynote.jp/201709261224016977/
<今日の、スペイン語ネイティヴ・スピーカー>
現在来日中のアルゼンチン人ドラマーのクリティアン・ファイアド・エルナンデス(2011年10月3日、2012年6月27日)に、連絡を受けて会う。キューバ人のジューサ(2005年11月4日、2011年10月3日、2012年6月27日、2013年7月16日、2014年10月28日)の公演に同行したときに知人に紹介され、以降メールのやり取りを折々で持っているのだった。前にも、この欄に書いたことがあるけど、彼は女性シンガー/ギタリストをフロントにおくバルベ・トリオ(ValbeTrio )という風をまとうロック・バンドを組んでいて、そのCD群や友達のピアニストのそれ(各弦楽器やクラやフルートらが入るインストは何気に”クワイエット”系?)など4種CDをくれた。多いものは5枚もあったので、興味のある方はご一報を。ところで、彼は今回なんのために来日したのか? それは明日書きます。
▶︎過去の、クリスティアン・ファイアド・エルナンデス
http://43142.diarynote.jp/201110091257135964/
http://43142.diarynote.jp/201207031324148473/
▶過去の、ジューサ
http://43142.diarynote.jp/200511130412510000/
http://43142.diarynote.jp/201110091257135964/
http://43142.diarynote.jp/201207031324148473/
http://43142.diarynote.jp/201307210746577102/
http://43142.diarynote.jp/201410301514399746/
1996年ペルーの日本大使館大使公邸で起こった反政府団体による長期占拠事件からインスパイアされた米国人作家アン・バチェットが書いた2001年好評同名小説を原作に置く。場所は同じリマながらペルー副大統領の豪邸となり、日本語しかできない日本企業の社長の誕生会を祝う国際的なパーティという設定に変えての、いろいろと動く人模様を描いた小説をオペラ化したものを、まんま練ったカメラ・ワークにより映像化した2015年米国映画だ。監督はケヴィン・ニューベリー。オペラを撮った作品なので、上映時間は3時間となる。
いかにもオペラな音楽を作ったのは、ペルー生まれでフィンランドや米国で音楽を学んでいて新作のクラシック作曲家としては結構な評価を受けているというジミー・ロペス、そしてキューバ生まれで9歳から米国で暮らしているピューリッツアー賞受賞作家のニロ・クルス。
それで、映画を見ながら目が回る。繰り返すがストーリーに沿う音楽はとっても立派なオーケーストラ音と歌唱群が織りなす、実にゴージャズ極まりないもの。そして、驚くのは、歌手たちが歌う歌詞が英語、スペイン語、日本語といろいろ使っていること。アアヤクーチョでは子供達が〜みたいな歌詞も出てくるが、一部はケチュア語も用いられているという。そして、総体は実に酔狂、複雑怪奇なプログ・オーケストラ・ポップであるなあという印象も得てしまう。よくぞこんなに大掛かりなお戯れを生真面目に作ったなあとも感嘆させられもするわけで、オペラは娯楽の粋極まりないものであったのだろうな(いや、ぼくが縁がないわけで、今もであるのか?)いうことも実感できる。なお、同じ原作で渡辺謙も出る米国映画が作られることになっているはずだ。
▶︎過去の、「J:ビヨンド・フラメンコ」
http://43142.diarynote.jp/201709261224016977/
<今日の、スペイン語ネイティヴ・スピーカー>
現在来日中のアルゼンチン人ドラマーのクリティアン・ファイアド・エルナンデス(2011年10月3日、2012年6月27日)に、連絡を受けて会う。キューバ人のジューサ(2005年11月4日、2011年10月3日、2012年6月27日、2013年7月16日、2014年10月28日)の公演に同行したときに知人に紹介され、以降メールのやり取りを折々で持っているのだった。前にも、この欄に書いたことがあるけど、彼は女性シンガー/ギタリストをフロントにおくバルベ・トリオ(ValbeTrio )という風をまとうロック・バンドを組んでいて、そのCD群や友達のピアニストのそれ(各弦楽器やクラやフルートらが入るインストは何気に”クワイエット”系?)など4種CDをくれた。多いものは5枚もあったので、興味のある方はご一報を。ところで、彼は今回なんのために来日したのか? それは明日書きます。
▶︎過去の、クリスティアン・ファイアド・エルナンデス
http://43142.diarynote.jp/201110091257135964/
http://43142.diarynote.jp/201207031324148473/
▶過去の、ジューサ
http://43142.diarynote.jp/200511130412510000/
http://43142.diarynote.jp/201110091257135964/
http://43142.diarynote.jp/201207031324148473/
http://43142.diarynote.jp/201307210746577102/
http://43142.diarynote.jp/201410301514399746/
9月下旬から持たれている、<30周年記念コンサートツアー2017 ~躍進~>ツアーの楽日。渋谷・Bunkamuraオーチャードホール。贅沢に10人もの外国人奏者を呼んでいて、昨日の項で触れているクリスティアン・ファイアド・エルナンデスもその中の一人だ。
1部はルイス・グレビッチ&トロエスマスがサポートし、彼らは全員ブエノスアイレス在住のミュージシャン。アレンジや曲提供も行い、彼女のブエノスアイレス録音にもいろいろと協力しているようなキーボードのルイス・グレビッチをリーダーとし、バンドネオンのダニエル・ゴメス、生と電気の両方を弾くギターのアフルティン・バルボ、電気ベースのオマール・ゴメス、ドラムのエルナンデスという面々。カノウプスを叩いていたエルナンデスは初めて冴木のツアー参加とのこと(知り合いの紹介なんだと、言っていた)だが、他の奏者は彼女の日本ツアーにも複数回付き合っているという。
一方、セカンド・セットは、パリ在住のアルゼンチン人ギタリストのアレハンドロ・シュワルツが率いるクインテットでこちらはパリとNYに住むミュージシャンが集まっているよう。フランス人バンドネオン奏者のジョン・バティスト・アンリ、アルゼンチン人ピアニストのティエゴ・オビア、ウクライナ人ヴァイオリン奏者のミハイル・クチュク、コロンビア人コントラバス奏者のマウリシオ・エンリケという布陣でこちらも冴木の内外の公演を過去手伝っているようだ。こちらの方が、タンゴ色の強い演奏をしたかな。エルナンデスとクチェクはそれぞれ、他セットのときも少し出てきて手伝っていた。
名前はなんとなく知ってはいたが、彼女がタンゴを歌うシンガーであるというのは、今回まで知らなかった。また、アルゼンチンのフォルクローレの大歌手であるメルセデス・ソウザとは一緒にレコードを作ったり、彼女のパリ公演にゲストに呼ばれたりと仲良くしていたようで、彼女の曲も歌った。
多くの曲は日本語歌詞によるもの。指先の伸ばし方にまで気を使った大仰にしてシアトリカルな動きや格好(全部で、5回衣装がえをした)、受け手の反応の様などから、宝塚など見たこともないがなんとなく宝塚出身なのかと思ったら、彼女は全然関係のないところから出てきて今の華々しい位置を獲得しているよう。へ〜え。昔、11PMに司会で出ていたことがあるとMCで、彼女は言った。また、1997年にはあのオルケスタ・デル・ソルのリード・シンガーをやっていたこともあったらしい。
歌は上手い。音程や声量も確かで、ある種のスタイリッシュさを振りまく。歌謡界/ザ・芸能界的MCは長い。だが、MC嫌いのぼくが過剰に嫌悪感を感じなかったのは、八代亜紀(2012年11月9日、2014年3月13日、2016年10月9日、2017年9月29日)のそれで免疫がついていたからであるのと、やはり初めて接するアナザー・ワールドの担い手で興味が持てたからだろう。後ろのヴィジョンには過去の公演の様も映し出され、何度もレコーディングをしているアルゼンチンはもちろん、他の海外大都市でもいろいろ公演を持っていて驚く。普通のポップ・ミュージックの世界であれだけ、外での活動実績を持っている人がどれだけいるのか。
しかし、デビュー30周年(それに合わせて、当然今回の来日メンバーたちと海外レコーディングをした2枚組アルバムを出したよう)ということで相当な年齢になっていると思われるが、容姿や体型はキープ。歌やその他の部分で、かなり鍛錬を積んでいるのは間違いない。その表現は “ジャパニーズ・ウェイ”を通ってのものだが、これでだけ突き抜けていると、海外の人だってなんだかすごいと思わせられちゃう? なんか、純真とか音楽愛もうまく出せちゃう感じもあるし、歌唱力はしっかりあるし。アンコールでは、サポート奏者全員が出てきて、伴奏をした。
▶︎過去の、八代亜紀
http://43142.diarynote.jp/201211170926496101/
http://43142.diarynote.jp/201403151023031434/
http://43142.diarynote.jp/201610141746599845/
http://43142.diarynote.jp/201710011917499392/
<今日の、追記>
実は、あまりに違う世界にいる人な感じがして、エルナンデスにはぼくから彼女のショウを見てみたいとは言えなかった。だが、彼の方から見てみないと誘ってきたので、快諾した次第。すんげえアウェイな感じだったらどうしようと危惧するところはあった。やはり、送り手と受け手の共通認識でがっちりスモール・ワールドが出来上がっていそうな公演は恐い(とはいえ、それはたとえば門外漢がジャズ・クラブに唐突に行っても同じだろうけど)。実際、そういう側面は強かったが、想像したほどではなかったし、好奇心の方が勝った。文字数の数の多い(写真の数もちろん多い)パンフレットを見たら、参加ミュージシャンを紹介するページをきっちり割いていて驚く。エルナンデスがウルグアイの音楽学校でクラシック・パーカッションをちゃんと習っているなんて、ぼくはそれを見て初めて知った。ライヴ中のミュージシャン紹介の場面でも、後ろのヴィジョンには名前と写真が映し出される。ちゃんとサポート奏者を大切にしているというのが分かるのは気分がいい。ところで、海外公演のさい、彼女は何語で歌うのだろう。
1部はルイス・グレビッチ&トロエスマスがサポートし、彼らは全員ブエノスアイレス在住のミュージシャン。アレンジや曲提供も行い、彼女のブエノスアイレス録音にもいろいろと協力しているようなキーボードのルイス・グレビッチをリーダーとし、バンドネオンのダニエル・ゴメス、生と電気の両方を弾くギターのアフルティン・バルボ、電気ベースのオマール・ゴメス、ドラムのエルナンデスという面々。カノウプスを叩いていたエルナンデスは初めて冴木のツアー参加とのこと(知り合いの紹介なんだと、言っていた)だが、他の奏者は彼女の日本ツアーにも複数回付き合っているという。
一方、セカンド・セットは、パリ在住のアルゼンチン人ギタリストのアレハンドロ・シュワルツが率いるクインテットでこちらはパリとNYに住むミュージシャンが集まっているよう。フランス人バンドネオン奏者のジョン・バティスト・アンリ、アルゼンチン人ピアニストのティエゴ・オビア、ウクライナ人ヴァイオリン奏者のミハイル・クチュク、コロンビア人コントラバス奏者のマウリシオ・エンリケという布陣でこちらも冴木の内外の公演を過去手伝っているようだ。こちらの方が、タンゴ色の強い演奏をしたかな。エルナンデスとクチェクはそれぞれ、他セットのときも少し出てきて手伝っていた。
名前はなんとなく知ってはいたが、彼女がタンゴを歌うシンガーであるというのは、今回まで知らなかった。また、アルゼンチンのフォルクローレの大歌手であるメルセデス・ソウザとは一緒にレコードを作ったり、彼女のパリ公演にゲストに呼ばれたりと仲良くしていたようで、彼女の曲も歌った。
多くの曲は日本語歌詞によるもの。指先の伸ばし方にまで気を使った大仰にしてシアトリカルな動きや格好(全部で、5回衣装がえをした)、受け手の反応の様などから、宝塚など見たこともないがなんとなく宝塚出身なのかと思ったら、彼女は全然関係のないところから出てきて今の華々しい位置を獲得しているよう。へ〜え。昔、11PMに司会で出ていたことがあるとMCで、彼女は言った。また、1997年にはあのオルケスタ・デル・ソルのリード・シンガーをやっていたこともあったらしい。
歌は上手い。音程や声量も確かで、ある種のスタイリッシュさを振りまく。歌謡界/ザ・芸能界的MCは長い。だが、MC嫌いのぼくが過剰に嫌悪感を感じなかったのは、八代亜紀(2012年11月9日、2014年3月13日、2016年10月9日、2017年9月29日)のそれで免疫がついていたからであるのと、やはり初めて接するアナザー・ワールドの担い手で興味が持てたからだろう。後ろのヴィジョンには過去の公演の様も映し出され、何度もレコーディングをしているアルゼンチンはもちろん、他の海外大都市でもいろいろ公演を持っていて驚く。普通のポップ・ミュージックの世界であれだけ、外での活動実績を持っている人がどれだけいるのか。
しかし、デビュー30周年(それに合わせて、当然今回の来日メンバーたちと海外レコーディングをした2枚組アルバムを出したよう)ということで相当な年齢になっていると思われるが、容姿や体型はキープ。歌やその他の部分で、かなり鍛錬を積んでいるのは間違いない。その表現は “ジャパニーズ・ウェイ”を通ってのものだが、これでだけ突き抜けていると、海外の人だってなんだかすごいと思わせられちゃう? なんか、純真とか音楽愛もうまく出せちゃう感じもあるし、歌唱力はしっかりあるし。アンコールでは、サポート奏者全員が出てきて、伴奏をした。
▶︎過去の、八代亜紀
http://43142.diarynote.jp/201211170926496101/
http://43142.diarynote.jp/201403151023031434/
http://43142.diarynote.jp/201610141746599845/
http://43142.diarynote.jp/201710011917499392/
<今日の、追記>
実は、あまりに違う世界にいる人な感じがして、エルナンデスにはぼくから彼女のショウを見てみたいとは言えなかった。だが、彼の方から見てみないと誘ってきたので、快諾した次第。すんげえアウェイな感じだったらどうしようと危惧するところはあった。やはり、送り手と受け手の共通認識でがっちりスモール・ワールドが出来上がっていそうな公演は恐い(とはいえ、それはたとえば門外漢がジャズ・クラブに唐突に行っても同じだろうけど)。実際、そういう側面は強かったが、想像したほどではなかったし、好奇心の方が勝った。文字数の数の多い(写真の数もちろん多い)パンフレットを見たら、参加ミュージシャンを紹介するページをきっちり割いていて驚く。エルナンデスがウルグアイの音楽学校でクラシック・パーカッションをちゃんと習っているなんて、ぼくはそれを見て初めて知った。ライヴ中のミュージシャン紹介の場面でも、後ろのヴィジョンには名前と写真が映し出される。ちゃんとサポート奏者を大切にしているというのが分かるのは気分がいい。ところで、海外公演のさい、彼女は何語で歌うのだろう。
ウィ・バンジョー・スリー。小野リサ
2017年10月16日 音楽 2年前に来日して大好評を博したアイルランドの清新トラッド4人組、ウィ・バンジョー・スリー(2015年12月5日、2015年12月10日)の再来日公演を渋谷・クラブクアトロで見る。伝統音楽の流儀を背骨に置きつつの、技の確かさや豊かな音楽性や上質のエンターテインメント感覚などが交錯する持ち味は前回見たときと同様。もうちょい、広がり幅があって良かった? ただ、今回は4人の持ち楽器が。バンジョー、マンドリン、ギター、フィドル(少しボウランも叩いた)と、固定されていたこと。もともとバンジョーを弾ける奏者が3人いることから来たグループ名であると推測するが、それは出音の明瞭さに繋がっているか。ともあれ、4つの弦楽器が変幻自在に絡む、ウィットと歓びに満ちた表現であるのは疑いがない。軽やかなヴォーカル群も働きかける力あり。
▶過去の、ウィ・バーンジョー・スリー
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
http://43142.diarynote.jp/201512151502461490/
その後は、サンパウロ出身の小野リサ(2011年7月10日、2013年8月1日、2013年10月16日。渡辺貞夫は一番最初にブラジルに行ったとき、彼女のお父さんに世話になった)のライヴを見る。南青山・ブルーノート東京。取り上げた曲はトム・ジョビン他のブラジルの諸曲であったはずだが、何より印象に残ったのは、どこにあったとてつもない抑制美のようなもの。おお、とぼくは唸った。その静かな訴求力、そうとうなもんがあった。
東京生まれであるインドネシアの血が入るピアノのフェビアン・レザ・パネ(2005年9月14日、2011年7月10日、2013年10月16日)以外は、ブラジルからやってきた人たちか。ウッド・ベースのジェファーソン・レスコウィッチ、ドラムのラファエル・バラータ、パーカッションのアルマンド・マルサルという面々。マルサルは1990年前後の数年間パット・メセニ(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3、2013年5月21日、2015年9月27日、2016年9月3日)・グループに入っていた奏者ですね。また、途中からはデビッド・シルヴァ(ヴォーカル、ギター)が入り、一緒に歌う。彼が入るとギター2つの音は多いと感じてか(さすが、抑制を標榜する?)、小野はあまりギターを手にしなかった。シルヴァはなかなかに快活な雰囲気を振りまく人で、効果的に変化を加えていた。・
▶︎過去の、小野リサ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
http://43142.diarynote.jp/201310170907435066/
▶︎過去の、フェビアン・レザ・パネ
http://43142.diarynote.jp/200509161722260000/
http://43142.diarynote.jp/201107111327576732/
http://43142.diarynote.jp/?day=20131016
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
▶過去の、パット・メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406/
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201305260927026044/
http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
<今日の、移動>
会場間の移動は雨も降っているし、タクシーを使う。そしたら、道が空いており、楽勝で開演に間に合う。ここのところ、あまり渋滞に合わないのは偶然かな。しかし、昔はブルーノート東京と行ってもどこですかと言われることもあったけど、いつのまにかそういうことはなくなった。
▶過去の、ウィ・バーンジョー・スリー
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
http://43142.diarynote.jp/201512151502461490/
その後は、サンパウロ出身の小野リサ(2011年7月10日、2013年8月1日、2013年10月16日。渡辺貞夫は一番最初にブラジルに行ったとき、彼女のお父さんに世話になった)のライヴを見る。南青山・ブルーノート東京。取り上げた曲はトム・ジョビン他のブラジルの諸曲であったはずだが、何より印象に残ったのは、どこにあったとてつもない抑制美のようなもの。おお、とぼくは唸った。その静かな訴求力、そうとうなもんがあった。
東京生まれであるインドネシアの血が入るピアノのフェビアン・レザ・パネ(2005年9月14日、2011年7月10日、2013年10月16日)以外は、ブラジルからやってきた人たちか。ウッド・ベースのジェファーソン・レスコウィッチ、ドラムのラファエル・バラータ、パーカッションのアルマンド・マルサルという面々。マルサルは1990年前後の数年間パット・メセニ(1999年12月15日、2002年9月19日、2010年6月12日、2012年1月25日、2012年3月3、2013年5月21日、2015年9月27日、2016年9月3日)・グループに入っていた奏者ですね。また、途中からはデビッド・シルヴァ(ヴォーカル、ギター)が入り、一緒に歌う。彼が入るとギター2つの音は多いと感じてか(さすが、抑制を標榜する?)、小野はあまりギターを手にしなかった。シルヴァはなかなかに快活な雰囲気を振りまく人で、効果的に変化を加えていた。・
▶︎過去の、小野リサ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
http://43142.diarynote.jp/201310170907435066/
▶︎過去の、フェビアン・レザ・パネ
http://43142.diarynote.jp/200509161722260000/
http://43142.diarynote.jp/201107111327576732/
http://43142.diarynote.jp/?day=20131016
http://43142.diarynote.jp/201610100849458472/
▶過去の、パット・メセニー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/december1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://43142.diarynote.jp/201006181520054406/
http://43142.diarynote.jp/201201271245417497/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
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http://43142.diarynote.jp/201510021129591335/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903
<今日の、移動>
会場間の移動は雨も降っているし、タクシーを使う。そしたら、道が空いており、楽勝で開演に間に合う。ここのところ、あまり渋滞に合わないのは偶然かな。しかし、昔はブルーノート東京と行ってもどこですかと言われることもあったけど、いつのまにかそういうことはなくなった。
映画「新世紀、パリ・オペラ座」。アヴィシャイ・コーエン・トリオ
2017年10月18日 音楽 パリに新旧二つの会場を持つオペラやバレエの世界的殿堂(国立のよう)の運営者たち、その華やかさの内側を映し出さんとするフランスのドキュメンタリー映画を、外苑前・GAGA試写室で見る。そりゃ、興味深くないはずがない。監督のジャン・ステファンヌ・ブロンはオペラなどに興味を持ったことがなく、パンク以後のロックの愛好者であったという。
2015年から翌年にかけて、秋の同時多発テロを挟んで撮られており、伝統を背負いつつ、新しい時代に対応せんと関係者が模索したり、色々な難題に対処する様を、結構近いカメラ目線で抑える。当初、ここの総裁は撮影の申し出を断ったそう。面々の会話はフランス語と英語が主。ロシアの田舎出身の若いオペラ・スター候補生の動向をストーリーに絡ませて行くあたり、お上手ですね。12月から公開される。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、イスラエル人ジャズ・ベース奏者のアヴィシャイ・コーエン(2006年5月17日、2014年1月21日、2015年5月14日)を見る。セカンド・ショウ。ピアノのオムリ・モールとドラムのノーム・ダヴィド(少し変則のセッティングのものをマッチドとレギュラーの両方で叩く)、過去と同様にトリオ編成ながら、リズム隊は新参となる人たち。彼のソニーに移籍しての新作『1970』(彼が、1970年生まれであるとは? もう少し年長であると思っていた)はいろんな人が入っているが、その録音とは関係のない奏者を率いての実演となる。今回の同行者は1983年生まれと1971年生まれ、ともにエルサレム生まれのイスラエル人だ。
おお、こんなにソロを取っていたっけと思ってしまうほど、各曲で悠々とコーエンはソロをとる。いい音、いいライン、そりゃベーシストとしてピンで張れるようになるよなあ。とともに、ほとんどの曲は無理なくイスラエルの影を感じさせる色調を持ち、過去もこんな出自色の強い曲ばかりやっていたかとも思ったが、それはとても健全な音楽性表出であるとひしと感じさせますね。
新作では、あらららというちゃんとしたヴォーカル曲もあって、それは長年の希望の反映であるよう。そしたらアンコールの1曲目は一人で出てきて、ザ・ビートルズの、いかにもマッカートニー・メロディという感じを持つ1966年曲「フォー・ノー・ワン」をピアノ弾き語りで歌った。
▶過去の、アヴィシャイ・コーエン(ベーシスト)
http://43142.diarynote.jp/200605190943240000/
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
http://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
<今日の、おお>
ライヴ後流れた店に、恵比寿でロック・バーをやっている波ちゃんが深夜やってくる(との、本人連絡がお店に入る)。会うのは、15年ぶりぐらい? ま、ぼくも彼がやっているセイリン・シューズに全然お邪魔していないということだが。ぐうぜん彼の誕生日ということで、急いでお店の人たちとプチおめでとうの準備。こういうの、ほんと楽しいなあ。一度病気になったと聞いたことがあったけど、それなりに元気そう(⌒▽⌒)。彼と会えてうれしかったが、向こうも喜んでいる感じがあって何より。
2015年から翌年にかけて、秋の同時多発テロを挟んで撮られており、伝統を背負いつつ、新しい時代に対応せんと関係者が模索したり、色々な難題に対処する様を、結構近いカメラ目線で抑える。当初、ここの総裁は撮影の申し出を断ったそう。面々の会話はフランス語と英語が主。ロシアの田舎出身の若いオペラ・スター候補生の動向をストーリーに絡ませて行くあたり、お上手ですね。12月から公開される。
その後は、南青山・ブルーノート東京で、イスラエル人ジャズ・ベース奏者のアヴィシャイ・コーエン(2006年5月17日、2014年1月21日、2015年5月14日)を見る。セカンド・ショウ。ピアノのオムリ・モールとドラムのノーム・ダヴィド(少し変則のセッティングのものをマッチドとレギュラーの両方で叩く)、過去と同様にトリオ編成ながら、リズム隊は新参となる人たち。彼のソニーに移籍しての新作『1970』(彼が、1970年生まれであるとは? もう少し年長であると思っていた)はいろんな人が入っているが、その録音とは関係のない奏者を率いての実演となる。今回の同行者は1983年生まれと1971年生まれ、ともにエルサレム生まれのイスラエル人だ。
おお、こんなにソロを取っていたっけと思ってしまうほど、各曲で悠々とコーエンはソロをとる。いい音、いいライン、そりゃベーシストとしてピンで張れるようになるよなあ。とともに、ほとんどの曲は無理なくイスラエルの影を感じさせる色調を持ち、過去もこんな出自色の強い曲ばかりやっていたかとも思ったが、それはとても健全な音楽性表出であるとひしと感じさせますね。
新作では、あらららというちゃんとしたヴォーカル曲もあって、それは長年の希望の反映であるよう。そしたらアンコールの1曲目は一人で出てきて、ザ・ビートルズの、いかにもマッカートニー・メロディという感じを持つ1966年曲「フォー・ノー・ワン」をピアノ弾き語りで歌った。
▶過去の、アヴィシャイ・コーエン(ベーシスト)
http://43142.diarynote.jp/200605190943240000/
http://43142.diarynote.jp/201401221432209419/
http://43142.diarynote.jp/201505150911423384/
<今日の、おお>
ライヴ後流れた店に、恵比寿でロック・バーをやっている波ちゃんが深夜やってくる(との、本人連絡がお店に入る)。会うのは、15年ぶりぐらい? ま、ぼくも彼がやっているセイリン・シューズに全然お邪魔していないということだが。ぐうぜん彼の誕生日ということで、急いでお店の人たちとプチおめでとうの準備。こういうの、ほんと楽しいなあ。一度病気になったと聞いたことがあったけど、それなりに元気そう(⌒▽⌒)。彼と会えてうれしかったが、向こうも喜んでいる感じがあって何より。
在NYの大所帯アフロ・ビートのバンド(2004年9月19日、2005年1月21日、2015年4月26日)を南青山・ブルーノートで見る。ファースト・ショウ。新作『ホエア・ザ・ゴッズ・アー・イン・ピース』(Daptone)を出したばかりのタイムリーな来日であったが、12人いるなか、管の二人以外は顔ぶれに変化がないのには驚く。彼らは黒田卓也(2012年2月18日、2012年9月13日、2013年2月15日、2014年5月25日、2015年1月30日、2015年2月15日、2016年9月17日、2016年12月16日、2017年7月12日)の新作『ジグザガー』(コンコード、2016年)に1曲参加(フェラ・クティ曲のカヴァー「シンク・トゥワイス」)していたが、黒田は同じニューヨーク拠点のアフロ・ビート・バンドのアコヤ・アフロビートに参加していた。
陣容に大きな変化はないながら、そのパフォーマンスの内容には大きく驚いた。少なくても前回はインストゥメンタル中心でショウを勧めたはずだが、今回はずっと在籍するナイジェリア人の両親を持つ英国生れのアマヨがヴォーカリストとしてもう前面に出まくり。彼のナイジェリアン・イングリッシュが映える映える。イエイ。また、バリ・サックス奏者も1曲ラテンが入った彼らの2006曲「シェ・シェ・コレ」で堂々のリード・ヴォーカルを聞かせた。あまり余計なソロ披露もなしに、バンド全体でずんずん突き進む様にはもうにっこり。アマヨとバンド員とのコール&レスポンスも効いていた。
また、打楽器も過去叩いていたアマヨが今回はステージ中央に置いてあったヴァイブラフォンを歌わないときに叩いていたのにはびっくり。マレットは左右一本づつ持ちでの演奏であったが、そこそこ様になるとともにバンド演奏に確かに風を吹き込んでいて(それ、かつてのヴァイブ入りの渋さ知らズを想起させたか)、大アリ。アマヨは鍵盤打楽器を習っていたことがあったのか。どうして、今までは用いなかったのか?
とかなんとか、今まで見た彼らの実演のなかで一番グっときた。この晩のライヴ評はミュージック・マガジン誌から依頼されているのだが、そう思えるライヴだととっても書くのが楽だよなあ。
▶過去の、アンティバラス
http://43142.diarynote.jp/200410121003440000/
http://43142.diarynote.jp/200501222327330000/
http://43142.diarynote.jp/201504281048148918/
▶過去の、黒田卓也
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
http://43142.diarynote.jp/201501310942048841/
http://43142.diarynote.jp/201502170939564537/
http://43142.diarynote.jp/201609201835285184/
http://43142.diarynote.jp/201612181010384754/
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
<今日は、どんより>
雨天&気温低めなせいもあってか(今日、初めて毛糸着ちゃった)、気分が塞いでいるのを自覚。とほ。すでに日曜夜の選挙の結果を受けての厭世的キブンの先取りではないだろうけど。ブルーノート東京のあと、ちらりとプラッサオンゼに寄ったら、DEN(2011年3月26日 )が仕切るパゴージ会を参加者たちが車座になってやっている。おお、ブラジルの裏路地の飲み屋に入ったキブン? なんか、ホッとできた。って、過去も似たようなことを書いておるなあ。偶然、これをやっている日に気分転換でちょい寄りしたんだけど……。
▶︎過去の、DEN
http://43142.diarynote.jp/201103271555032719/
陣容に大きな変化はないながら、そのパフォーマンスの内容には大きく驚いた。少なくても前回はインストゥメンタル中心でショウを勧めたはずだが、今回はずっと在籍するナイジェリア人の両親を持つ英国生れのアマヨがヴォーカリストとしてもう前面に出まくり。彼のナイジェリアン・イングリッシュが映える映える。イエイ。また、バリ・サックス奏者も1曲ラテンが入った彼らの2006曲「シェ・シェ・コレ」で堂々のリード・ヴォーカルを聞かせた。あまり余計なソロ披露もなしに、バンド全体でずんずん突き進む様にはもうにっこり。アマヨとバンド員とのコール&レスポンスも効いていた。
また、打楽器も過去叩いていたアマヨが今回はステージ中央に置いてあったヴァイブラフォンを歌わないときに叩いていたのにはびっくり。マレットは左右一本づつ持ちでの演奏であったが、そこそこ様になるとともにバンド演奏に確かに風を吹き込んでいて(それ、かつてのヴァイブ入りの渋さ知らズを想起させたか)、大アリ。アマヨは鍵盤打楽器を習っていたことがあったのか。どうして、今までは用いなかったのか?
とかなんとか、今まで見た彼らの実演のなかで一番グっときた。この晩のライヴ評はミュージック・マガジン誌から依頼されているのだが、そう思えるライヴだととっても書くのが楽だよなあ。
▶過去の、アンティバラス
http://43142.diarynote.jp/200410121003440000/
http://43142.diarynote.jp/200501222327330000/
http://43142.diarynote.jp/201504281048148918/
▶過去の、黒田卓也
http://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
http://43142.diarynote.jp/201209191239346073/
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
http://43142.diarynote.jp/201405271755563079/
http://43142.diarynote.jp/201501310942048841/
http://43142.diarynote.jp/201502170939564537/
http://43142.diarynote.jp/201609201835285184/
http://43142.diarynote.jp/201612181010384754/
http://43142.diarynote.jp/201707130853185809/
<今日は、どんより>
雨天&気温低めなせいもあってか(今日、初めて毛糸着ちゃった)、気分が塞いでいるのを自覚。とほ。すでに日曜夜の選挙の結果を受けての厭世的キブンの先取りではないだろうけど。ブルーノート東京のあと、ちらりとプラッサオンゼに寄ったら、DEN(2011年3月26日 )が仕切るパゴージ会を参加者たちが車座になってやっている。おお、ブラジルの裏路地の飲み屋に入ったキブン? なんか、ホッとできた。って、過去も似たようなことを書いておるなあ。偶然、これをやっている日に気分転換でちょい寄りしたんだけど……。
▶︎過去の、DEN
http://43142.diarynote.jp/201103271555032719/
ピーター・バラカンがキュレイトする秋の土日に持たれる音楽フェス、今年で4年目となる。恵比寿ガーデンプレイスのザ・ガーデンホールとザ・ガーデンルーム。
15時すぎに会場入りすると、民謡クルセイダーズ(2017年9月15日)がやっている。前回見たときと同じく、全くもって好印象(リーダーと思われるギタリストのMCを除く)。ピアニカ前田がゲスト入りする曲もあって、そのときは民謡要素が入らぬトロピカル調曲もやる。「会津磐梯山」のときはエリントンの「キャラヴァン」(だったっけ? その後、ぐびぐび飲んで忘れちゃった。とにかく、ジャズ有名曲)を二人の管を前に出す感じでインサート。しかし、ラテン流儀に乗っ取ったドラムレスの3人の打楽器奏者でボトムを支えつつ、日本民謡を介して広い今様ワールド・ビート表現へと飛翔する様は楽しくも鮮やか。あと何気にキーボード音が効いていていて、優秀な奏者であると思った。早く、海外に飛び出してください。
▶︎過去の、民謡クルセイダーズ
http://43142.diarynote.jp/201709160841239914/
サマーソニックに出演歴ありというシンガーポールの4人組のザ・スティーヴ・マックウィーンズ、小原礼(2003年3月13日、2004年5月9日、2013年8月11日、2015年11月19日)と屋敷豪太(1999年7月31日、2006年4月2日、2015年11月19日, 2017年8月8日)によるポップ・ユニットのThe Renaissance(2015年11月19日)、湘南の外国人3人組(米国、ウェールズ、アイルランド出身という)ザ・フラワーポット・メンなども部分的に見た。順に、お洒落ぽいシティ・ソウル調表現ながら、女性ヴォーカルをはじめ不思議な癖あり。ヴェテランのギタリスト&シンガーである西慎嗣がフィーチャーされ、前に接したときと違いストレートとてもロックぽかった。ラウンジで見た外国人トリオはフォドル、アコースティック・ギター、ハンジョー(あれ、マンドリンだったっけ?)などを用いアイリッシュぽいのとかをアコースティックにやった。
▶過去の、小原礼
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日
http://43142.diarynote.jp/200405071410000000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
▶過去の、屋敷豪太
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/julylive.htm 7月31日、シンプリー・レッド
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
http://43142.diarynote.jp/201708141221583726/
▶︎過去の、The Renaissance
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
そして、この日のトリはソウライヴ(2000年8月12日、2001年3月1、同2日、2002年3月26日、2003年3月31日、2004年4月1日、2007年10月9日、2009年7月8日、2010年5月28日、2012年5月25日)。おお、この結成20年近くも経つオルガン・トリオを見るのは5年ぶりとなるのか。オルガン奏者のニール・エヴァンスは今年レタス(2003年11月18日、2003年11月22日、2017年3月22日 )で来日しているものの。この木曜日に彼らには1999年以来、インタヴューする予定。演奏に触れながら、いろいろ聞きたいことが頭の中で回った。彼らの2010年作はザ・ビートルズ曲集だったが、そこからの曲を延々やったりしたのは、フェスゆえ?
追記:ザ・ビートルズ曲をやったのは、フェス側の求めに応じてのものだそう。取材のとき、エリック・クラズノーがあれ、名前なんだっけとすぐにぼくを認めてくれたのには驚いた。なお、この夏のサザン・ロックの若大将であるマーカス・キングにインタヴューした際(http://43142.diarynote.jp/201708081443281390/の項の下部参照)、彼はエリック・クラズノーの次作のプロデュースをやってもらうと言っていたが、すでにその作業に入っているそう。
▶︎過去の、ソウライヴ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200404010730030000/
http://43142.diarynote.jp/200710131957390000/
http://43142.diarynote.jp/200907131200224908/
http://43142.diarynote.jp/201006031539099988/
http://43142.diarynote.jp/201205301358544511/
▶︎過去の、レタス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20170322
<今日の、和み>
“おやじ、おばんの文化祭”なんて書いたことがあるが、今年もいろんな(懐かしい)知り合いと会ったなあ。そして、いろんな人と歓談し、楽しく飲んだ(お酒販売、もっと充実させてほしい! たとえばワインだったら複数業者を入れて、食べ物販売のように競争させてはもらえまいか)。また、終わった後に久しぶりに会ったとてもダンディな先輩と恵比寿のバーに流れたりもした。翌日も同様でいろんな邂逅あり、<普段途切れている、かつての音楽を介した仲間と何の気なしに会える場>、ライヴ・マジックはそういうところでもあるなあと、思った。あれ、この人と彼は面識あったのかあ〜とか、そんな発見もある。
15時すぎに会場入りすると、民謡クルセイダーズ(2017年9月15日)がやっている。前回見たときと同じく、全くもって好印象(リーダーと思われるギタリストのMCを除く)。ピアニカ前田がゲスト入りする曲もあって、そのときは民謡要素が入らぬトロピカル調曲もやる。「会津磐梯山」のときはエリントンの「キャラヴァン」(だったっけ? その後、ぐびぐび飲んで忘れちゃった。とにかく、ジャズ有名曲)を二人の管を前に出す感じでインサート。しかし、ラテン流儀に乗っ取ったドラムレスの3人の打楽器奏者でボトムを支えつつ、日本民謡を介して広い今様ワールド・ビート表現へと飛翔する様は楽しくも鮮やか。あと何気にキーボード音が効いていていて、優秀な奏者であると思った。早く、海外に飛び出してください。
▶︎過去の、民謡クルセイダーズ
http://43142.diarynote.jp/201709160841239914/
サマーソニックに出演歴ありというシンガーポールの4人組のザ・スティーヴ・マックウィーンズ、小原礼(2003年3月13日、2004年5月9日、2013年8月11日、2015年11月19日)と屋敷豪太(1999年7月31日、2006年4月2日、2015年11月19日, 2017年8月8日)によるポップ・ユニットのThe Renaissance(2015年11月19日)、湘南の外国人3人組(米国、ウェールズ、アイルランド出身という)ザ・フラワーポット・メンなども部分的に見た。順に、お洒落ぽいシティ・ソウル調表現ながら、女性ヴォーカルをはじめ不思議な癖あり。ヴェテランのギタリスト&シンガーである西慎嗣がフィーチャーされ、前に接したときと違いストレートとてもロックぽかった。ラウンジで見た外国人トリオはフォドル、アコースティック・ギター、ハンジョー(あれ、マンドリンだったっけ?)などを用いアイリッシュぽいのとかをアコースティックにやった。
▶過去の、小原礼
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm 3月13日
http://43142.diarynote.jp/200405071410000000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
▶過去の、屋敷豪太
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/julylive.htm 7月31日、シンプリー・レッド
http://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
http://43142.diarynote.jp/201708141221583726/
▶︎過去の、The Renaissance
http://43142.diarynote.jp/201511200934467321/
そして、この日のトリはソウライヴ(2000年8月12日、2001年3月1、同2日、2002年3月26日、2003年3月31日、2004年4月1日、2007年10月9日、2009年7月8日、2010年5月28日、2012年5月25日)。おお、この結成20年近くも経つオルガン・トリオを見るのは5年ぶりとなるのか。オルガン奏者のニール・エヴァンスは今年レタス(2003年11月18日、2003年11月22日、2017年3月22日 )で来日しているものの。この木曜日に彼らには1999年以来、インタヴューする予定。演奏に触れながら、いろいろ聞きたいことが頭の中で回った。彼らの2010年作はザ・ビートルズ曲集だったが、そこからの曲を延々やったりしたのは、フェスゆえ?
追記:ザ・ビートルズ曲をやったのは、フェス側の求めに応じてのものだそう。取材のとき、エリック・クラズノーがあれ、名前なんだっけとすぐにぼくを認めてくれたのには驚いた。なお、この夏のサザン・ロックの若大将であるマーカス・キングにインタヴューした際(http://43142.diarynote.jp/201708081443281390/の項の下部参照)、彼はエリック・クラズノーの次作のプロデュースをやってもらうと言っていたが、すでにその作業に入っているそう。
▶︎過去の、ソウライヴ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-3.htm
http://43142.diarynote.jp/200404010730030000/
http://43142.diarynote.jp/200710131957390000/
http://43142.diarynote.jp/200907131200224908/
http://43142.diarynote.jp/201006031539099988/
http://43142.diarynote.jp/201205301358544511/
▶︎過去の、レタス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-11.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20170322
<今日の、和み>
“おやじ、おばんの文化祭”なんて書いたことがあるが、今年もいろんな(懐かしい)知り合いと会ったなあ。そして、いろんな人と歓談し、楽しく飲んだ(お酒販売、もっと充実させてほしい! たとえばワインだったら複数業者を入れて、食べ物販売のように競争させてはもらえまいか)。また、終わった後に久しぶりに会ったとてもダンディな先輩と恵比寿のバーに流れたりもした。翌日も同様でいろんな邂逅あり、<普段途切れている、かつての音楽を介した仲間と何の気なしに会える場>、ライヴ・マジックはそういうところでもあるなあと、思った。あれ、この人と彼は面識あったのかあ〜とか、そんな発見もある。
ライヴ・マジック。チューチョ・バルデス&ゴンサル・ルバルカバ
2017年10月22日 音楽 恵比寿ガーデンプレイスのザ・ガーデンホールとザ・ガーデンルームでの、ピーター・バラカン主宰のライヴ・マジックの2日目、この日はちゃんと頭から見る。まず、トップ・バッターがなぜかオマール・ソーサ(2001年8月24日、2002年7月22日2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日、2008年3月16日、2009年5月12日2010年8月3日、2013年9月17日、2014年3月10日、2016年7月15日、2016年7月16日)。彼に加え、コラと歌のセクー・ケイタと打楽器のグスタヴォ・オヴァレス。音とリズムの連鎖のワンダーランド的表現にして、見せ方もうまく、客をおおいに沸かせた。
▶過去の、ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
http://43142.diarynote.jp/200510030021170000/
http://43142.diarynote.jp/200611020835550000/
http://43142.diarynote.jp/200803201207150000/
http://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
http://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
http://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
http://43142.diarynote.jp/201607191309581526/
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
<ミャーク・ソング・ブック>という出し物は、宮古の民謡歌手である與那城美和と福岡県在住の1984年生まれジャズ・コントラバス奏者である松永誠剛(リチャード・ボナを知り、サックスからベースにスウィッチしたという彼は、面白い経歴を持つようだ)のデュオ。宮古の歌をやっていたのだと思うが、ジャズ流儀のベースをバックにスピリチュアルな歌を聞かせる與那城は超然。二人だけの音ながら、もう重厚。そして、静謐。後で彼女には知人に紹介されて少し話す機会を得たが、今の民謡歌手は抱える世界が広いと思わずにはいられない。そして、その裏でやっていた女性ファンク・バンドのBIG BANG BOOMも後半の方を見る。アコースティック・セットを名乗るもので、メンバーの5分の3である山口美代子(カホン )と 田中歩(キーボード)と前田サラ(アルト・サックス)の3人でパフォーマンス。前田(2015年12月14日)は前にリーダー・ライヴを見たことがあるが。その時より好印象。音は軽めだが、あの時よりもファンキーで歌えていた。ずっと前から、一度見て見たかったが、この日の演奏を聞いて、やっぱしちゃんとバンドを見たいと思わせられた。
▶︎過去の、前田サラ
http://43142.diarynote.jp/201512151505033565/
クォーター・トゥ・アフリカはイスラエルの7人組。エレクリック・ウードや2菅(トランペットとサックス)やリズム・セクションらによる音はアラブ音階とアフロ・ジャズ・ファンクを重ねたようなことをやっていたと書けるか。菅の奏者が導くのか、何気にフュージョンぽいと思わせる部分もあった。
続いてザ・ルームの方で見たのは、アイルランドの4人組トラッド・グループのウィ・バンジョー・スリー(2015年12月5日、2015年12月10日、2017年10月16日)が導く、一般奏者の参加を募ったセッション。セッション参加者(メンバーを含め、20人強いたかな)が中心に車座に座り、それを観客が円形で囲む。セッション自体(曲はウィ・バンジョー3が提示するトラッドやブルース・コード曲で、ソロ回す)はどうっていうことはなかったが、会場自体の雰囲気がなかなかに素晴らしい。これは、ライヴ・マジックとして大アリではなかったか。会場が和み、笑みが浮かんでいた。
▶過去の、ウィ・バンジョー・スリー
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
http://43142.diarynote.jp/201512151502461490/
http://43142.diarynote.jp/201710181340402896/
ザ・ニュー・ステューは米国のルーツ系やジャム系辣腕パフォーマーたちが集った7人組で、今いる自分たちの礎になった昔のアルバムを新たに演奏し直すことを目的にした集団とか。現在はビル・ウィザースの1973年名作『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』(コロムビア)をやる企画でやっているようだが、おおこれは歌も各楽器音もぶっとくかつ精気あり。それらすべてが正しい、と思わせる。ゆえに過剰な満腹感を抱く人もいるかもしれぬ。って、それはワタシです。
濱口祐自(2014年4月11日、2015年10月25日)はライヴ・マジックの一番の常連出演者と言えるだろう。昨日もソロでやるとともに、ザ・フラワーポット・メンの最後にちらりと加わっていた。軽いサウンド・チェックの時から拍手が軽く湧き、ステージ前には客が張り付いていた。
この晩のトリはウィ・バンジョー・スリーだが、先日の渋谷の単独公演(2017年10月16日)を見ているので、一足先に会場を出て、南青山・ブルーノート東京に向かう。こちらの出演者は、チューチョ・バルデス(2009年9月14日、2010年3月25日、2012年5月1日、2013年2月28日、2013年11月27日)とゴンサル・ルバルカバ(2005年3月16日、2007年11月21日、2010年8月22日、2014年1月10日、2014年1月12日、2015年4月7日、2017年9月3日)という、キューバ人ピアニストが向き合うデュオ。おお、今日はキューバ人ピアニスト(オマール・ソーサ)で始まり、キューバ人ピアニストで締めくくったわけだな。
余裕のかみ具合。わりと先輩のバルデスの方が弾き始め、曲の基調を出し、わきあいあいと創意を重ね合う行き方のものが多かったか。2曲目からキューバンな味がすうっと浮き上がり、両者のくつろいだ闊達さも増しましたような。今のピアノ技量ははるかにルバルカバの方が上であるとぼくは思っていたが、何気にバルデスが負けずにキラキラしたフレイズを終始出していたのには少し驚く。まあ、どこかでルバルバカは先輩を立てんとしているところはあったかも知れぬが。キューバ属性の味わい深さとピアノという楽器の奥深さを明晰に浮き彫りにする実演であったな。アンコールは、エリントン・ナンバーの「キャラヴァン」だった。
▶過去の、チューチョ・バルデス
http://43142.diarynote.jp/200909181205563624/
http://43142.diarynote.jp/201003271334102896/
http://43142.diarynote.jp/201205080621274204/
http://43142.diarynote.jp/201303070813066769/
http://43142.diarynote.jp/201311281342196399/
▶過去の、ゴンサロ・ルバルカバ
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
http://43142.diarynote.jp/201401161534392423/
http://43142.diarynote.jp/201401171004104264/
http://43142.diarynote.jp/201504081451142675/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
<今日の、天気>
衆議院の選挙日でもあった(しかし、ぼくの周りは期日前投票をしている者が多いなあ)今日は、台風が来ているために朝から強い雨。だが、ライヴ・マジックの会場はその影響を感じさせないもので、壮年は元気だなーとふと思った。他方、ブルーノートは当然立派なピアノが2台並んでいたわけだが、ピアノ・デュオの公演は本日から。この雨の中、場内にデカいピアノを搬入したのか? やっぱ、濡れないはずがないだろう? なんか、そんなことを考えたらソワソワしてしまい、小心者なのを認知? いや、楽器愛が強かったということにしておこう。そのライヴ終了後、長居しないで帰れるようにと、表参道駅構内のカフェで知人と少しワインを飲んだが、そこには普段と変わらないようにお客さんたちがいて和やかに談笑している。皆、あまり台風のことは気にならないのか? 少し、不思議な気持ちになった。
▶過去の、ソーサ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-8.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm
http://43142.diarynote.jp/200408021925240000/
http://43142.diarynote.jp/200510030021170000/
http://43142.diarynote.jp/200611020835550000/
http://43142.diarynote.jp/200803201207150000/
http://43142.diarynote.jp/200905131200576485/
http://43142.diarynote.jp/201008251432447574/
http://43142.diarynote.jp/201309201840164499/
http://43142.diarynote.jp/201403131302032810/
http://43142.diarynote.jp/201607191309581526/
http://43142.diarynote.jp/201607191312426603/
<ミャーク・ソング・ブック>という出し物は、宮古の民謡歌手である與那城美和と福岡県在住の1984年生まれジャズ・コントラバス奏者である松永誠剛(リチャード・ボナを知り、サックスからベースにスウィッチしたという彼は、面白い経歴を持つようだ)のデュオ。宮古の歌をやっていたのだと思うが、ジャズ流儀のベースをバックにスピリチュアルな歌を聞かせる與那城は超然。二人だけの音ながら、もう重厚。そして、静謐。後で彼女には知人に紹介されて少し話す機会を得たが、今の民謡歌手は抱える世界が広いと思わずにはいられない。そして、その裏でやっていた女性ファンク・バンドのBIG BANG BOOMも後半の方を見る。アコースティック・セットを名乗るもので、メンバーの5分の3である山口美代子(カホン )と 田中歩(キーボード)と前田サラ(アルト・サックス)の3人でパフォーマンス。前田(2015年12月14日)は前にリーダー・ライヴを見たことがあるが。その時より好印象。音は軽めだが、あの時よりもファンキーで歌えていた。ずっと前から、一度見て見たかったが、この日の演奏を聞いて、やっぱしちゃんとバンドを見たいと思わせられた。
▶︎過去の、前田サラ
http://43142.diarynote.jp/201512151505033565/
クォーター・トゥ・アフリカはイスラエルの7人組。エレクリック・ウードや2菅(トランペットとサックス)やリズム・セクションらによる音はアラブ音階とアフロ・ジャズ・ファンクを重ねたようなことをやっていたと書けるか。菅の奏者が導くのか、何気にフュージョンぽいと思わせる部分もあった。
続いてザ・ルームの方で見たのは、アイルランドの4人組トラッド・グループのウィ・バンジョー・スリー(2015年12月5日、2015年12月10日、2017年10月16日)が導く、一般奏者の参加を募ったセッション。セッション参加者(メンバーを含め、20人強いたかな)が中心に車座に座り、それを観客が円形で囲む。セッション自体(曲はウィ・バンジョー3が提示するトラッドやブルース・コード曲で、ソロ回す)はどうっていうことはなかったが、会場自体の雰囲気がなかなかに素晴らしい。これは、ライヴ・マジックとして大アリではなかったか。会場が和み、笑みが浮かんでいた。
▶過去の、ウィ・バンジョー・スリー
http://43142.diarynote.jp/201512091352434769/
http://43142.diarynote.jp/201512151502461490/
http://43142.diarynote.jp/201710181340402896/
ザ・ニュー・ステューは米国のルーツ系やジャム系辣腕パフォーマーたちが集った7人組で、今いる自分たちの礎になった昔のアルバムを新たに演奏し直すことを目的にした集団とか。現在はビル・ウィザースの1973年名作『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』(コロムビア)をやる企画でやっているようだが、おおこれは歌も各楽器音もぶっとくかつ精気あり。それらすべてが正しい、と思わせる。ゆえに過剰な満腹感を抱く人もいるかもしれぬ。って、それはワタシです。
濱口祐自(2014年4月11日、2015年10月25日)はライヴ・マジックの一番の常連出演者と言えるだろう。昨日もソロでやるとともに、ザ・フラワーポット・メンの最後にちらりと加わっていた。軽いサウンド・チェックの時から拍手が軽く湧き、ステージ前には客が張り付いていた。
この晩のトリはウィ・バンジョー・スリーだが、先日の渋谷の単独公演(2017年10月16日)を見ているので、一足先に会場を出て、南青山・ブルーノート東京に向かう。こちらの出演者は、チューチョ・バルデス(2009年9月14日、2010年3月25日、2012年5月1日、2013年2月28日、2013年11月27日)とゴンサル・ルバルカバ(2005年3月16日、2007年11月21日、2010年8月22日、2014年1月10日、2014年1月12日、2015年4月7日、2017年9月3日)という、キューバ人ピアニストが向き合うデュオ。おお、今日はキューバ人ピアニスト(オマール・ソーサ)で始まり、キューバ人ピアニストで締めくくったわけだな。
余裕のかみ具合。わりと先輩のバルデスの方が弾き始め、曲の基調を出し、わきあいあいと創意を重ね合う行き方のものが多かったか。2曲目からキューバンな味がすうっと浮き上がり、両者のくつろいだ闊達さも増しましたような。今のピアノ技量ははるかにルバルカバの方が上であるとぼくは思っていたが、何気にバルデスが負けずにキラキラしたフレイズを終始出していたのには少し驚く。まあ、どこかでルバルバカは先輩を立てんとしているところはあったかも知れぬが。キューバ属性の味わい深さとピアノという楽器の奥深さを明晰に浮き彫りにする実演であったな。アンコールは、エリントン・ナンバーの「キャラヴァン」だった。
▶過去の、チューチョ・バルデス
http://43142.diarynote.jp/200909181205563624/
http://43142.diarynote.jp/201003271334102896/
http://43142.diarynote.jp/201205080621274204/
http://43142.diarynote.jp/201303070813066769/
http://43142.diarynote.jp/201311281342196399/
▶過去の、ゴンサロ・ルバルカバ
http://43142.diarynote.jp/200503240453290000/
http://43142.diarynote.jp/200711290930350000/
http://43142.diarynote.jp/201008261620103318/
http://43142.diarynote.jp/201401161534392423/
http://43142.diarynote.jp/201401171004104264/
http://43142.diarynote.jp/201504081451142675/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
<今日の、天気>
衆議院の選挙日でもあった(しかし、ぼくの周りは期日前投票をしている者が多いなあ)今日は、台風が来ているために朝から強い雨。だが、ライヴ・マジックの会場はその影響を感じさせないもので、壮年は元気だなーとふと思った。他方、ブルーノートは当然立派なピアノが2台並んでいたわけだが、ピアノ・デュオの公演は本日から。この雨の中、場内にデカいピアノを搬入したのか? やっぱ、濡れないはずがないだろう? なんか、そんなことを考えたらソワソワしてしまい、小心者なのを認知? いや、楽器愛が強かったということにしておこう。そのライヴ終了後、長居しないで帰れるようにと、表参道駅構内のカフェで知人と少しワインを飲んだが、そこには普段と変わらないようにお客さんたちがいて和やかに談笑している。皆、あまり台風のことは気にならないのか? 少し、不思議な気持ちになった。
TUMO(竹下勇馬+石原雄治) featuring 鈴木ちほ
2017年10月24日 音楽 千駄木・Bar Isshee。根津から歩いて会場に行ったのだが、改めてメトロ千代田線千駄木駅のそばにあるハコだなと再認知。そのセカンド・セット〜と言っても、1曲だけだが〜を見る。
エレクトリック・ベースの竹下勇馬とドラムの石原勇治のユニットであるTUMOはこのハコの常連出演者であるそうで、毎回ゲストをフィーチャーする設定で実演を行なっているそう。で、この晩はバンドネオン奏者の鈴木ちほを呼んでのもの。
この3人の演奏には初めて触れるが、へえ〜こんなん。まず、TUMOの単位としての音が想像を超える。竹下のベース、ありゃなんじゃ〜? ときに弦を爪弾いていわゆるベース音を出す場合もあるが、多くの場合、彼のフレットレスのプレシジョンはノイズ/異音発生装置として機能する。うひゃ。ドラムの石原はアコースティックなセットでその音にパルスや芯を与えたり発展のドアを開けて行ったりするのだが、ともかくこれはぼくの頭の中に登録されているベースとドラム二人によるインプロ音と重ならない。そして、その単位に鈴木がバンドネオンという生理的に素朴な楽器で入る(一部、肉声と鳴り物音も入れた)わけだが、それもまたぼくの知っているバンドネオンの使い方とは違うよなあ。というか、この楽器でのフリー・インプロヴィゼーションをぼくは初めて聞くし、それに触れるだけで不思議な日常的風景を変質させる何かを持つ。そして、その総体は音楽に在する表現/行為の自由を伝えていた。
鈴木は、それ以前は和太鼓をやっていたのだそう。一部、バンドネオンの音が笙の音に似ていると思ったら、笙と一緒にやるとどちらの音か区別がつかないときがあるとのこと。ギグ終了後、竹下のベースを間近で見たら、合体ロボのようでこれはすごい。一見の価値、あり。ネックとボディにいろいろな装置をたくさんつけていて(しまうときは、それらをするすると効率よく外す)、ベースがアンドロイド化したみたい? そのメカニックな付属物はすべて自作で、いろいろやっているうちに現在のような姿になったのだそう。ドラムの石原は一部お好み焼きのコテを使い、弦楽器用のボウを撫でる。すると、不思議な響き音が出て、これも発見であった。
<今日の、ライヴ前>
根津駅に初めて、降りる。そして、3時間強かけて、髪の毛をいじってもらう。東大の弥生キャンパス内にある、個室ヘア・サロンにて。かつて、表参道でずっとぼくの髪の面倒を見てくれていた後藤くんの新しい拠点。サロン・アブルボアという。木々に囲まれた同じ建物にはレストランやバーもあって、終了後に疲れを癒すために(同じところにずっと座っていられないんっスよ)バーで一杯飲んでから、千駄木に向かった。この辺りは、野生の狸がいるそうだ。
エレクトリック・ベースの竹下勇馬とドラムの石原勇治のユニットであるTUMOはこのハコの常連出演者であるそうで、毎回ゲストをフィーチャーする設定で実演を行なっているそう。で、この晩はバンドネオン奏者の鈴木ちほを呼んでのもの。
この3人の演奏には初めて触れるが、へえ〜こんなん。まず、TUMOの単位としての音が想像を超える。竹下のベース、ありゃなんじゃ〜? ときに弦を爪弾いていわゆるベース音を出す場合もあるが、多くの場合、彼のフレットレスのプレシジョンはノイズ/異音発生装置として機能する。うひゃ。ドラムの石原はアコースティックなセットでその音にパルスや芯を与えたり発展のドアを開けて行ったりするのだが、ともかくこれはぼくの頭の中に登録されているベースとドラム二人によるインプロ音と重ならない。そして、その単位に鈴木がバンドネオンという生理的に素朴な楽器で入る(一部、肉声と鳴り物音も入れた)わけだが、それもまたぼくの知っているバンドネオンの使い方とは違うよなあ。というか、この楽器でのフリー・インプロヴィゼーションをぼくは初めて聞くし、それに触れるだけで不思議な日常的風景を変質させる何かを持つ。そして、その総体は音楽に在する表現/行為の自由を伝えていた。
鈴木は、それ以前は和太鼓をやっていたのだそう。一部、バンドネオンの音が笙の音に似ていると思ったら、笙と一緒にやるとどちらの音か区別がつかないときがあるとのこと。ギグ終了後、竹下のベースを間近で見たら、合体ロボのようでこれはすごい。一見の価値、あり。ネックとボディにいろいろな装置をたくさんつけていて(しまうときは、それらをするすると効率よく外す)、ベースがアンドロイド化したみたい? そのメカニックな付属物はすべて自作で、いろいろやっているうちに現在のような姿になったのだそう。ドラムの石原は一部お好み焼きのコテを使い、弦楽器用のボウを撫でる。すると、不思議な響き音が出て、これも発見であった。
<今日の、ライヴ前>
根津駅に初めて、降りる。そして、3時間強かけて、髪の毛をいじってもらう。東大の弥生キャンパス内にある、個室ヘア・サロンにて。かつて、表参道でずっとぼくの髪の面倒を見てくれていた後藤くんの新しい拠点。サロン・アブルボアという。木々に囲まれた同じ建物にはレストランやバーもあって、終了後に疲れを癒すために(同じところにずっと座っていられないんっスよ)バーで一杯飲んでから、千駄木に向かった。この辺りは、野生の狸がいるそうだ。
ブラクストン・クック
2017年10月25日 音楽 ブラクストン・クック(2015年10月8日)はメリーランド州生まれで、ニューヨークに拠点を置くアルト・サックス奏者。彼はクリスチャン・スコット((2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日、2009年9月15日、2010年9月3日、2011年12月17日、2015年10月8日、2016年11月1日)の2015年作レコーディングや来日公演にも同行したこともある。モーション・ブルー・ヨコハマ。2セット、約100分のパフォーマンスを披露した。
ギターのアンドリュー・レンフロー、エレクトリック・ベースのザク・クロクサル、ドラムのトモという陣容で、事にあたる。ギタリストとベーシストは白人で完全にジャズを知っている人たちであり、秀逸な腕の持ち主。とくに、新作にも参加しているレンフローにクックは全幅の信頼をおいているようで、かなりソロを振る。で、彼のちゃんと芯を持つそれは良い。一方、ドラマーは日本人で、日本で調達されたよう。よく合わせていたな。
クックの自主制作による2015年デビュー・フル・アルバム『Braxton Cook Meets Butcher Brown』は、クリスチャン・スコットのバンドで一緒になったドラマーのコーリー・フォンヴィル(2016年11月1日)が参画するブッチャー・ブラウンをバックにしたインスト盤だった。フォンヴィルのドラムが格好いい同作(曲は2曲の共作を含め、すべてブラクストンが提供)はまさしくヒップホップ時代のグローヴァー・ワシントンJr.という内容であったが、2017年新作『Smewher in Between』(Fresh Selects。やはり全曲オリジナルにして、リズムが何気に良い)では曲によってはヴォーカルも取るようになり現代メロウ・ソウル色を前に出した曲が出て来たのがポイント。多分、雨のなか会場に来た人はそのヴォーカル・ナンバーの味の良さに惹かれて来た人のほうが多かったのではないか。
キーボード奏者が入らないなど片肺の設定による実演はアルバムで聞くことができる以上にジャジー。ブラクストンのブロウは突き抜け感はないものの、見事に誰々風と言うことができない自分のフレイズを紡いでいて好印象。なるほど、スコットが音大を出るか出ないかの頃のクックをバンドに誘ったのもよく分かる。そして、3分の1が歌もので、もう少し歌を聞きたかったかな。ファースト・セットでは小さなキーボードを抑えながら歌う場面もあり。また、サム・クックの「ユー・センド・ミー」のカヴァーも披露し(ソロ・パートは別のコード進行でやっていた)、それは彼の声質に合っていた。
そのヴォーカル曲に浸りつつ、秀でたソウル・ジャズ演奏者という定評を得つつ、トミー・リプーマの舵取りのもとヴォーカル表現に踏み出しスターになったジョージ・ベンソン(2016年9月17日)のことを思い出す。まあベンソンの成功は例外でははあるが、いかにもナイス・ガイな感じのクックも歌った方が可能性が広がるとぼくは考えている。
▶︎過去の、ブラクストン・クック
http://43142.diarynote.jp/?day=20151008
▶過去の、クリスチャン・スコット
http://43142.diarynote.jp/200807241546500000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080910
http://43142.diarynote.jp/200902030206339619/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/201112201159168538/
http://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
http://43142.diarynote.jp/201611030803017474/
▶︎過去の、コーリー・フォンヴィル
http://43142.diarynote.jp/201611030803017474/
▶︎過去の、ジョージ・ベンソン
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
<今日の、ゲンメツ>
おお、もしかして今年初めての横浜行き? 少し早めに向かい、ヨコハマのディープ飲み屋街の野毛を散策。まだ、開いていない店も多いじちゃん。ホルモン焼き屋に入る。モワモワな油っぽい煙の中にいて、衣服にそうとう臭いがついたに違いない。その後、タクシーで赤レンガ倉庫に向かったのだが、運転手の無礼さに驚愕。ぼくの記憶に残るなか、タクシーに乗って一番イヤな気分になった。たまたまだろうが、横浜サイテーとなっちゃう。関係ないけど、東京は今初乗り410円だが、横浜は710円だかだった。ちょい乗り客獲得のために初乗り運賃を低くしたのは、東京だけであったのか。
ギターのアンドリュー・レンフロー、エレクトリック・ベースのザク・クロクサル、ドラムのトモという陣容で、事にあたる。ギタリストとベーシストは白人で完全にジャズを知っている人たちであり、秀逸な腕の持ち主。とくに、新作にも参加しているレンフローにクックは全幅の信頼をおいているようで、かなりソロを振る。で、彼のちゃんと芯を持つそれは良い。一方、ドラマーは日本人で、日本で調達されたよう。よく合わせていたな。
クックの自主制作による2015年デビュー・フル・アルバム『Braxton Cook Meets Butcher Brown』は、クリスチャン・スコットのバンドで一緒になったドラマーのコーリー・フォンヴィル(2016年11月1日)が参画するブッチャー・ブラウンをバックにしたインスト盤だった。フォンヴィルのドラムが格好いい同作(曲は2曲の共作を含め、すべてブラクストンが提供)はまさしくヒップホップ時代のグローヴァー・ワシントンJr.という内容であったが、2017年新作『Smewher in Between』(Fresh Selects。やはり全曲オリジナルにして、リズムが何気に良い)では曲によってはヴォーカルも取るようになり現代メロウ・ソウル色を前に出した曲が出て来たのがポイント。多分、雨のなか会場に来た人はそのヴォーカル・ナンバーの味の良さに惹かれて来た人のほうが多かったのではないか。
キーボード奏者が入らないなど片肺の設定による実演はアルバムで聞くことができる以上にジャジー。ブラクストンのブロウは突き抜け感はないものの、見事に誰々風と言うことができない自分のフレイズを紡いでいて好印象。なるほど、スコットが音大を出るか出ないかの頃のクックをバンドに誘ったのもよく分かる。そして、3分の1が歌もので、もう少し歌を聞きたかったかな。ファースト・セットでは小さなキーボードを抑えながら歌う場面もあり。また、サム・クックの「ユー・センド・ミー」のカヴァーも披露し(ソロ・パートは別のコード進行でやっていた)、それは彼の声質に合っていた。
そのヴォーカル曲に浸りつつ、秀でたソウル・ジャズ演奏者という定評を得つつ、トミー・リプーマの舵取りのもとヴォーカル表現に踏み出しスターになったジョージ・ベンソン(2016年9月17日)のことを思い出す。まあベンソンの成功は例外でははあるが、いかにもナイス・ガイな感じのクックも歌った方が可能性が広がるとぼくは考えている。
▶︎過去の、ブラクストン・クック
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▶過去の、クリスチャン・スコット
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▶︎過去の、コーリー・フォンヴィル
http://43142.diarynote.jp/201611030803017474/
▶︎過去の、ジョージ・ベンソン
http://43142.diarynote.jp/?day=20160917
<今日の、ゲンメツ>
おお、もしかして今年初めての横浜行き? 少し早めに向かい、ヨコハマのディープ飲み屋街の野毛を散策。まだ、開いていない店も多いじちゃん。ホルモン焼き屋に入る。モワモワな油っぽい煙の中にいて、衣服にそうとう臭いがついたに違いない。その後、タクシーで赤レンガ倉庫に向かったのだが、運転手の無礼さに驚愕。ぼくの記憶に残るなか、タクシーに乗って一番イヤな気分になった。たまたまだろうが、横浜サイテーとなっちゃう。関係ないけど、東京は今初乗り410円だが、横浜は710円だかだった。ちょい乗り客獲得のために初乗り運賃を低くしたのは、東京だけであったのか。
挾間美帆 m_unit
2017年10月27日 音楽 ジャズ作編曲の分野で新風を吹き込んでいる挾間美帆(2014年7月10日、2015年10月15日、2016年10月28日、2017年9月3日)の、12人の奏者を率いる実演。フレンチ・ホルン、弦楽四重奏(2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)、ヴァイブラフォンなどをバンドに入れているのはポイントで、やはり弦奏者を4人擁して菅奏者たちの音と綱引きさせるのはポイントが高い。お、佐藤浩一(2014年10月22日、2016年7月11日)が今回ピノを弾き、リード奏者の一人は土井徳浩(2015年4月24日、2015年10月15日、2016年7月11日)だ。例により、リズム隊はNYで知り合った外国人をわざわざ呼んでいる。ベース奏者は東京ジャズっで来ていたサム・アニング(2015年10月15日、2017年9月2日)。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。1日だけの公演なので、フルハウス。しっかり、支持者を持っていますね。
過去2作のリーダー作からの曲、新曲などを、優美にしなやかに披露する。編成の妙を経ての“音楽の妖精”の舞い具合が、この人の美点であると再確認できた。
▶過去の、挾間美帆
http://43142.diarynote.jp/201407111305232157/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
▶︎過去の、佐藤浩一
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
▶︎過去の、土井徳浩
http://43142.diarynote.jp/201504271015006453/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
▶︎過去の、サム・アニング
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
<今日の、取材>
昼間に大西順子(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日、(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日))を取材。ジャズ・ジャパン誌の11月発売号に掲載、なり。いろんな人とのデュオによるメロウ傾向作(実はいろんな要件をはらんでいて、要注意)とトリオ作の同時リリースに際してのもの。2009年作は11年ぶりで、昨年作は6年の間があいたことを考えると、1年強しかたっていないのに2作品も出してしまうのは驚異的と言えるか。彼女に取材するのは3度目だが、音楽に対して真摯な人だなあと、今回一番感じた。やはり、同じ傾向のアルバムを出したくはないという思いは強く、それゆえ考えてしまい、アルバム発表のスパンが空いてしまうのだとか。彼女、イメージは強面だが、音楽的姿勢は謙虚すぎる。時々、ライヴから遠ざかってしまうのも同様の理由だろう。なんか、フリー・フォームのピアノ・ソロ作を作るべきと進言してしまった。前作で狭間がアレンジで部分関与して以降、実家が近いこともあり、大西と狭間は仲良し。今回の非トリオ作のほうにも1曲で狭間はアレンジ参加している。しかし、MCで言っていたが、狭間が青森育ちとは知らなかった。矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日、2014年8月7日、2015年8月20日、2016年9月15日)と同じですね。彼女は2012年デビュー作で、『ブルー・フォレスト』という思い出の地をもじった曲を収めていて、それも披露した。
▶過去の、大西順子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200709131138020000/
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/201102261254532443/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110806
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
▶過去の、矢野顕子
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200908221621447408/
http://43142.diarynote.jp/200909120647256771/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201109151818437240/
http://43142.diarynote.jp/201112191449196187/
http://43142.diarynote.jp/201209180912154167/
http://43142.diarynote.jp/?day=20130811
http://43142.diarynote.jp/201312051627467488/
http://43142.diarynote.jp/201408091058201133/
http://43142.diarynote.jp/201508210809254412/
http://43142.diarynote.jp/201609201813357761/
過去2作のリーダー作からの曲、新曲などを、優美にしなやかに披露する。編成の妙を経ての“音楽の妖精”の舞い具合が、この人の美点であると再確認できた。
▶過去の、挾間美帆
http://43142.diarynote.jp/201407111305232157/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
▶︎過去の、佐藤浩一
http://43142.diarynote.jp/201410251055118180/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
▶︎過去の、土井徳浩
http://43142.diarynote.jp/201504271015006453/
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201607121045394372/
▶︎過去の、サム・アニング
http://43142.diarynote.jp/201510181000334516/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
<今日の、取材>
昼間に大西順子(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日、(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日))を取材。ジャズ・ジャパン誌の11月発売号に掲載、なり。いろんな人とのデュオによるメロウ傾向作(実はいろんな要件をはらんでいて、要注意)とトリオ作の同時リリースに際してのもの。2009年作は11年ぶりで、昨年作は6年の間があいたことを考えると、1年強しかたっていないのに2作品も出してしまうのは驚異的と言えるか。彼女に取材するのは3度目だが、音楽に対して真摯な人だなあと、今回一番感じた。やはり、同じ傾向のアルバムを出したくはないという思いは強く、それゆえ考えてしまい、アルバム発表のスパンが空いてしまうのだとか。彼女、イメージは強面だが、音楽的姿勢は謙虚すぎる。時々、ライヴから遠ざかってしまうのも同様の理由だろう。なんか、フリー・フォームのピアノ・ソロ作を作るべきと進言してしまった。前作で狭間がアレンジで部分関与して以降、実家が近いこともあり、大西と狭間は仲良し。今回の非トリオ作のほうにも1曲で狭間はアレンジ参加している。しかし、MCで言っていたが、狭間が青森育ちとは知らなかった。矢野顕子(2004年7月20日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年8月19日、2009年9月4日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年9月9日、2011年12月11日、2012年8月21日、2013年8月11日、2013年11月30日、2014年8月7日、2015年8月20日、2016年9月15日)と同じですね。彼女は2012年デビュー作で、『ブルー・フォレスト』という思い出の地をもじった曲を収めていて、それも披露した。
▶過去の、大西順子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200709131138020000/
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
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▶過去の、矢野顕子
http://43142.diarynote.jp/200407200015350000/
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クリスチャン・スコット。リチャード・ボナ&マンデカン・クバーノ
2017年10月31日 音楽 <ジャズ100周年3部作>と題したサイバー・ジャズ作を該当年度の2017年に3種きっちりリリースしたんだから、スコットは本当に偉いなあ。そんな、ニューオーリンズの根を持ちつつ今を自在に泳がんとするジャズ・トランペッター(2008年7月23日、2008年9月10日、2009年1月31日、2009年9月15日、2010年9月3日、2011年12月17日、2015年10月8日、2016年11月1日)の、今回の来日公演は六本木・ビルボードライブにて。この会場はステージ後方はガラス張りになっていて夜景の広がりをそれをお通して見ることができるが、通常本編ライヴ中はショウに集中させようとするためか、大きなカーテンが閉められている(そのカーテンは電波防御の役割を果たして携帯電話が通じなくなる、という話を聞いたこともあるが。でも、通常届いているような気もするけど)が、この日は1曲目の途中から背後カーテンが開けられる。それ、アーティスト側の要求と考えるのが順当だろう。
クリスチャン・スコットにくわえ、アルト・サックスのローガン・リチャードソン(2016年2月3日、2017年6月7日)、ピアノと電気ピアノのシア・ピエー、ベースのクリス・ファン(2015年10月8日)、ドラムのコリー・フォンヴィル(2016年11月1日)というクインテットにての実演。今回は全員アフリカ系の奏者だ。かつて、彼はギター奏者を必ずバンドに入れていたが。ここのところは同行させておらず、その事実もまたスコットが動いていることを伝えるか。ピアノ奏者だけ知らない人だったが、なんと彼はバンドに入ったばかりであるそう。
スコットとローガンは足元に5個ほどエフェクターを置いていたが、そんなに扱ってはいなかった。クリス・ファンはダブル・ベース一本やりであり、シア・ピエーも何気にグランド・ピアノを弾く場合が多い。また、ソロのパートもちゃんと回す。そういう意味では、現代尖鋭派たるスコットはジャズの基本に忠実なところもおおいにある。ドラマーのフォンヴィル(2016年11月1日 )は普通のドラムのセットにエレクトリック・パッドに加え、その電気的なパッドの音は曲者。それが入ると、PCプログラム時代のビートという印象は強くなるわけであり……。あとは曲調とか、音質や響きといった二次的な要素がうまく反応しあい、スコット流現代ジャズは形作られるのだなと思った。
▶過去の、クリスチャン・スコット
http://43142.diarynote.jp/200807241546500000/
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http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
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http://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
http://43142.diarynote.jp/201611030803017474/
▶︎過去の、クリス・ファン
http://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
▶過去の、ローガン・リチャードソン
http://43142.diarynote.jp/?day=20160203
http://43142.diarynote.jp/?day=20170607
▶︎過去の、コリー・フォンヴィル
http://43142.diarynote.jp/201611030803017474/
その後は、リチャード・ボナ(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10月19日、2010年2月5日、2010年6月6日、2011年1月25日、2012年5月14日、2012年12月15日、2013年12月2日、2015年1月9日、2015年1月11日、2016年7月31日)がラテンな人々と組んだグループを、南青山・ブルーノート東京で見る。
ピアノのオスマニー・バレデス、パーカッションのロベルト・キンテーロ、ドラムのルドウィッグ・アルフォンソ、トランペットのデニス・エルナンデス、トロンボーンのレイ・アレハンドロという、前回と同様の顔ぶれ。クインシー・ジョーンズ(2013年8月1日)のレーベル”クエスト”から2016年に出された『Heritage』も同じ陣容で録音されtでいますね。2人いたパーカッション奏者のうちルイス・キンテーロ(2011年12月8日、2016年7月31日、2017年9月2日)はチック・コリアとスティーヴ・ガッドの双頭バンドに取られていなくなり、その代わりブラジル人らしいギター奏者のエリ・メネゼスが新たに入っている。その彼だが、刻んでいるときはまったく存在感がなく、ソロ・パートを与えられる際もどうでもいい演奏に感じられて(自分でも、単音のそれについては、どんどん厳しくなっていると自覚)、ぼくにはいらない奏者であった。
それは別としてして、余裕の、歓びを抱えたボナ流ラテンは”鉄板”と言えるもの。ボナの一人によるベースと歌だけのパートもあったが、一頃のようにサンプラーを駆使することはしなくなった。
ボナは、カメルーンで培った感性や流儀とジャコ・パストリアス偏愛から来るフュージョン回路の交錯を武器にインターナショナルな舞台に立った。エスタブリッシュされたあと一時はブラジル趣味に走ったこともあり、そして今はラテン・ミュージックの語彙を多大に通ったビート・ポップを志向しているわけだが、そんな彼の好奇心が一周して、またアフリカ色の強いことをやるとどんな表現にになるのか。余裕のパフォーマンスに触れながら、そんなことも思った。
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
http://43142.diarynote.jp/200810211839169096/
http://43142.diarynote.jp/201002072246423695/
http://43142.diarynote.jp/201006071818281946/
http://43142.diarynote.jp/201102081256565179/
http://43142.diarynote.jp/201205221056242128/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201312171132096072/
http://43142.diarynote.jp/201501131019359012/
http://43142.diarynote.jp/201501131648401181/
http://43142.diarynote.jp/201608020805158759/
▶︎過去の、ルイシート・キンテーロ
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
http://43142.diarynote.jp/201608020805158759/
http://43142.diarynote.jp/201709101059289712/
▶︎過去の、クインシー・ジョーンズ
http://43142.diarynote.jp/201308091149599475/
<今日は、スペシャル・デイ>
10月最後の日。 “ハッピー。ハロウィーン”。ライヴ前に取材に応じたクリスチャン・スコットは、インタヴューの際もライヴのときも初めの第一声は、それだった。夕方の電車内には、仮装をした子供たち(それはやはり微笑ましいナ)を連れるお母さんを散見。渋谷の若者たちの“いいぢゃないか喧騒”以外にも、本当にお茶の間にも賑やかし行事として定着してきているのを痛感。六本木に着いてからも、変装な人々はいろいろと見る。ところで、久しぶりにのスコットの受け答えは多少頭でっかちでエエ格好しいに決まりすぎという部分を感じなくはないが、きっちり思慮のあり様を感じさせるもので、格好はガキのままだが、成長しているんだなと思わずにはいられず。彼、6ヶ月前にNYからLAに気分を変えるため引っ越したのだとか。媒体はイントキシケイト誌だが、編集者が出した同誌をペラペラめくり、上原ひろみの広告を見て大喜び。バークリー音大で一緒だったそうで、彼女の心の部分を賞賛していた。そんなスコットは上頭後部の髪の毛を束ねて小さなちょんまげを作っていたが(フィッシュボーン/アンジェロ〜2000年7月28日、2007年4月5日、2007年4月6日、2009年11月25日、2010年7月31日、2011年8月8日、2013年6月3日〜のファンだと、そういうことがうれしくなるんっスよ)、それは今日たまたまやったとのこと。インタヴュー終了後のライヴ前、時間調整で少し散歩をしたら、ビルボードライブ前の外苑通りの一車線が通行禁止にされ開けられており、警備の警察車や警察官も配置されている。お、これもハロウィーン関連の何か? 道端で何かを待っている人に聞いたら、昨日慶應大学が野球でリーグ優勝して、神宮球場から三田まで祝賀パレードが行われるのだそう。
そういえば、リチャード・ボナは日曜(29日)の明るい時間に、子供と保護者を相手に、ハロウィーン仕様のライヴをやったのだそう。台風/雨天にもかかわらず、それは盛況で、子供達は大喜びであったという。
▶過去の、フィッシュボーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm フジ・ロック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-10.htm
http://43142.diarynote.jp/200704112101130000/ 豪バイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200806121400260000/ 豪ベイロン・ベイ
http://43142.diarynote.jp/200911281704335025/ アンジェロ単独
http://43142.diarynote.jp/?day=20100731 フジ・ロック
http://43142.diarynote.jp/201108101638376353/
http://43142.diarynote.jp/201306060729285922/
クリスチャン・スコットにくわえ、アルト・サックスのローガン・リチャードソン(2016年2月3日、2017年6月7日)、ピアノと電気ピアノのシア・ピエー、ベースのクリス・ファン(2015年10月8日)、ドラムのコリー・フォンヴィル(2016年11月1日)というクインテットにての実演。今回は全員アフリカ系の奏者だ。かつて、彼はギター奏者を必ずバンドに入れていたが。ここのところは同行させておらず、その事実もまたスコットが動いていることを伝えるか。ピアノ奏者だけ知らない人だったが、なんと彼はバンドに入ったばかりであるそう。
スコットとローガンは足元に5個ほどエフェクターを置いていたが、そんなに扱ってはいなかった。クリス・ファンはダブル・ベース一本やりであり、シア・ピエーも何気にグランド・ピアノを弾く場合が多い。また、ソロのパートもちゃんと回す。そういう意味では、現代尖鋭派たるスコットはジャズの基本に忠実なところもおおいにある。ドラマーのフォンヴィル(2016年11月1日 )は普通のドラムのセットにエレクトリック・パッドに加え、その電気的なパッドの音は曲者。それが入ると、PCプログラム時代のビートという印象は強くなるわけであり……。あとは曲調とか、音質や響きといった二次的な要素がうまく反応しあい、スコット流現代ジャズは形作られるのだなと思った。
▶過去の、クリスチャン・スコット
http://43142.diarynote.jp/200807241546500000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080910
http://43142.diarynote.jp/200902030206339619/
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/?day=20100903
http://43142.diarynote.jp/201112201159168538/
http://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
http://43142.diarynote.jp/201611030803017474/
▶︎過去の、クリス・ファン
http://43142.diarynote.jp/201510091112494150/
▶過去の、ローガン・リチャードソン
http://43142.diarynote.jp/?day=20160203
http://43142.diarynote.jp/?day=20170607
▶︎過去の、コリー・フォンヴィル
http://43142.diarynote.jp/201611030803017474/
その後は、リチャード・ボナ(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月19日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10月19日、2010年2月5日、2010年6月6日、2011年1月25日、2012年5月14日、2012年12月15日、2013年12月2日、2015年1月9日、2015年1月11日、2016年7月31日)がラテンな人々と組んだグループを、南青山・ブルーノート東京で見る。
ピアノのオスマニー・バレデス、パーカッションのロベルト・キンテーロ、ドラムのルドウィッグ・アルフォンソ、トランペットのデニス・エルナンデス、トロンボーンのレイ・アレハンドロという、前回と同様の顔ぶれ。クインシー・ジョーンズ(2013年8月1日)のレーベル”クエスト”から2016年に出された『Heritage』も同じ陣容で録音されtでいますね。2人いたパーカッション奏者のうちルイス・キンテーロ(2011年12月8日、2016年7月31日、2017年9月2日)はチック・コリアとスティーヴ・ガッドの双頭バンドに取られていなくなり、その代わりブラジル人らしいギター奏者のエリ・メネゼスが新たに入っている。その彼だが、刻んでいるときはまったく存在感がなく、ソロ・パートを与えられる際もどうでもいい演奏に感じられて(自分でも、単音のそれについては、どんどん厳しくなっていると自覚)、ぼくにはいらない奏者であった。
それは別としてして、余裕の、歓びを抱えたボナ流ラテンは”鉄板”と言えるもの。ボナの一人によるベースと歌だけのパートもあったが、一頃のようにサンプラーを駆使することはしなくなった。
ボナは、カメルーンで培った感性や流儀とジャコ・パストリアス偏愛から来るフュージョン回路の交錯を武器にインターナショナルな舞台に立った。エスタブリッシュされたあと一時はブラジル趣味に走ったこともあり、そして今はラテン・ミュージックの語彙を多大に通ったビート・ポップを志向しているわけだが、そんな彼の好奇心が一周して、またアフリカ色の強いことをやるとどんな表現にになるのか。余裕のパフォーマンスに触れながら、そんなことも思った。
▶過去の、リチャード・ボナ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200412212102130000/
http://43142.diarynote.jp/200602171950040000/
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10月最後の日。 “ハッピー。ハロウィーン”。ライヴ前に取材に応じたクリスチャン・スコットは、インタヴューの際もライヴのときも初めの第一声は、それだった。夕方の電車内には、仮装をした子供たち(それはやはり微笑ましいナ)を連れるお母さんを散見。渋谷の若者たちの“いいぢゃないか喧騒”以外にも、本当にお茶の間にも賑やかし行事として定着してきているのを痛感。六本木に着いてからも、変装な人々はいろいろと見る。ところで、久しぶりにのスコットの受け答えは多少頭でっかちでエエ格好しいに決まりすぎという部分を感じなくはないが、きっちり思慮のあり様を感じさせるもので、格好はガキのままだが、成長しているんだなと思わずにはいられず。彼、6ヶ月前にNYからLAに気分を変えるため引っ越したのだとか。媒体はイントキシケイト誌だが、編集者が出した同誌をペラペラめくり、上原ひろみの広告を見て大喜び。バークリー音大で一緒だったそうで、彼女の心の部分を賞賛していた。そんなスコットは上頭後部の髪の毛を束ねて小さなちょんまげを作っていたが(フィッシュボーン/アンジェロ〜2000年7月28日、2007年4月5日、2007年4月6日、2009年11月25日、2010年7月31日、2011年8月8日、2013年6月3日〜のファンだと、そういうことがうれしくなるんっスよ)、それは今日たまたまやったとのこと。インタヴュー終了後のライヴ前、時間調整で少し散歩をしたら、ビルボードライブ前の外苑通りの一車線が通行禁止にされ開けられており、警備の警察車や警察官も配置されている。お、これもハロウィーン関連の何か? 道端で何かを待っている人に聞いたら、昨日慶應大学が野球でリーグ優勝して、神宮球場から三田まで祝賀パレードが行われるのだそう。
そういえば、リチャード・ボナは日曜(29日)の明るい時間に、子供と保護者を相手に、ハロウィーン仕様のライヴをやったのだそう。台風/雨天にもかかわらず、それは盛況で、子供達は大喜びであったという。
▶過去の、フィッシュボーン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-7.htm フジ・ロック
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