ア・フィレッタ。ダン・ペン・ウィズ・ボビー・エモンズ
2010年8月25日 音楽 ア・フィレッタはフランスのコルシカ島の、驚異のアカペラの男性コーラス・グループ。銀座・王子ホール。PAなしで、生声勝負のパフォーマンスなり。公演終了後、音楽作りもしている論客同業先輩が、「ヌスラットを聞いたとき以来の衝撃。こんなプログレ、聞いたことない」と、コドモのように感嘆しまくっている。
地中海に浮かぶコルシカ島はフランスに属しつつも、独自の言葉を持つことに顕われているように、我が道を行く文化や流儀やツっぱりを持つそうで、島のアイデンティティ復興の機運とともに、同地で育まれてきたポリフォニーなヴォーカル表現をちゃんとやろうという流れが出てきたのだとか。その代表格である彼らは78年の結成、プロとしてやるようになって、10数年たつそうだ。リーダーのジャン・クロウド・アクアヴィヴァは40代半ば、結成時は13歳だったそうで、多くのメンバーは25年以上やっているという。
ステージ上には、黒いシャツと黒いパンツで固めたおっさんとあんちゃん(←まさしく、そういう風情。ちゃんと音楽教育を受けた人はいないそう)が7人。彼らは思うままに重なり、流動性の高い肉声表現を自在に送り出す。なぜ、男性だけ? それはコルシカのコーラス表現の伝統だそうで、労働歌を歌っていた側面もあるし、男性だけのほうがすっきり幅が出るから、みたいなクロウドさんの答え。あなたたちの表現は癒しを与えたり、ときには刺激とともに導きを与えるようなところもある、聖職者が男性であるように、だから男性だけで歌われるのかと思ったと質問を続けると、「ああ、それもある。宗教歌流れの曲もあるしね」
ちらしを見れば、この晩歌われた曲の多くはオリジナル曲で、それがなんともとりとめもなく自在に変化していく感覚を持つのだが、彼らはちゃんと道は見えていると言った感じで重なり(それ、おいしい紋様を描くような感じもあったか)、メロディ的にもテンポ的にも展開が読めない曲を完成させていく。スパっと終わるのも不思議。クロウドが言うには、かなり即興性を持つものだそうで、今はPC(楽譜に基づいて音を出すソフト)を使いメンバーは曲を覚えたりもするそうで、それを言ったあと、クロウドは我々の幻想をぶちこわすような真実を言っちゃったネと笑う。あと、グルジアのコーラス表現との偶然の相似性について、彼は強調していたナ。なんでも、同地に行くと、気候も似ていて地元にいるみたいに寛げるそうだ。
コーラスはときに音叉やハーモニカで音を取ったあと、始められたりも。選抜隊3人で歌われる曲もあった。メンバーが自分の声の音程を把握しやすくするため、耳に手を当て歌う場合が多く、リーダーのクロウドは両手を広げて、時には指揮をするように歌う。その彼のポーズは祈りという言葉を想起させ、絵になるもので、なんか俳優みたいだとも思わせる。男性コーラスやっているとコルシカではモテたりするんですかと聞くと、いやカッコいい奴に負けちゃう(笑い)、との返事でした。なお、いま積極的に外の人たちともいろいろ絡むようにしている彼らは国外向けと島向けとで演目を変えているそう。取材はソトコト誌記事用にやったが、いろんなNPOにも関与しているクロウドは雑誌の内容を喜んでいました。
そして、六本木・ビルボードライブ東京に移動。数々のソウル曲を書いた南部のリジェンダリーな名ソングライター(41年、アラバマ州生まれ)のショウ。エルヴィス・プレスリーをはじめメンフィスでいろんな人をサポートしている鍵盤奏者(ハービー・マンの『メンフィス・アンダーグラウンド』にも参加)を伴ってのもの。その痩身エモンズさん、終始ニコニコしていて、いい味ふりまく。
主役のペンはずんぐりむっくり体系というのはともかく、ジーンズのオーヴァーオールを着用。おお、オーヴァーオールを身につけた人をほんとうにしばらくぶりに見たゾ。で、アコースティック・ギターを爪弾きながら、彼は歌うのだが、朗々としていて、声明瞭。先日のジョン・フォガティ(7月31日)もそうだが、じじいたち余裕で矍鑠としているなー。そんな彼に、エモンズは簡素な音色を持つキーボード演奏で地味に寄り添う。
オーティス・レディング、ジェイムズ・カー、アレックス・チルトン他、曲の説明にはそうそうたる名前が次々に出てくる。簡素なアコースティック伴奏であるためもあり、ソウル・マン提供曲を歌ってもそれほどソウルっぽい感じはないが、年輪はじわーんと広がる。一部は声量のあるエリック・クラプトン(2006年11月20日)なんて思わせるところもあった。蛇足だが、ECの新作はカヴァー主体のとても枯れたアルバムで、スタンダードの「枯葉」を気色悪くキブンだしてやっていたりもする。ライ・クーダーが昔カヴァーしていた曲等もやり、ある意味、ルーツィな米国白人の襞のようなものを解き放っていたところもあったか。
地中海に浮かぶコルシカ島はフランスに属しつつも、独自の言葉を持つことに顕われているように、我が道を行く文化や流儀やツっぱりを持つそうで、島のアイデンティティ復興の機運とともに、同地で育まれてきたポリフォニーなヴォーカル表現をちゃんとやろうという流れが出てきたのだとか。その代表格である彼らは78年の結成、プロとしてやるようになって、10数年たつそうだ。リーダーのジャン・クロウド・アクアヴィヴァは40代半ば、結成時は13歳だったそうで、多くのメンバーは25年以上やっているという。
ステージ上には、黒いシャツと黒いパンツで固めたおっさんとあんちゃん(←まさしく、そういう風情。ちゃんと音楽教育を受けた人はいないそう)が7人。彼らは思うままに重なり、流動性の高い肉声表現を自在に送り出す。なぜ、男性だけ? それはコルシカのコーラス表現の伝統だそうで、労働歌を歌っていた側面もあるし、男性だけのほうがすっきり幅が出るから、みたいなクロウドさんの答え。あなたたちの表現は癒しを与えたり、ときには刺激とともに導きを与えるようなところもある、聖職者が男性であるように、だから男性だけで歌われるのかと思ったと質問を続けると、「ああ、それもある。宗教歌流れの曲もあるしね」
ちらしを見れば、この晩歌われた曲の多くはオリジナル曲で、それがなんともとりとめもなく自在に変化していく感覚を持つのだが、彼らはちゃんと道は見えていると言った感じで重なり(それ、おいしい紋様を描くような感じもあったか)、メロディ的にもテンポ的にも展開が読めない曲を完成させていく。スパっと終わるのも不思議。クロウドが言うには、かなり即興性を持つものだそうで、今はPC(楽譜に基づいて音を出すソフト)を使いメンバーは曲を覚えたりもするそうで、それを言ったあと、クロウドは我々の幻想をぶちこわすような真実を言っちゃったネと笑う。あと、グルジアのコーラス表現との偶然の相似性について、彼は強調していたナ。なんでも、同地に行くと、気候も似ていて地元にいるみたいに寛げるそうだ。
コーラスはときに音叉やハーモニカで音を取ったあと、始められたりも。選抜隊3人で歌われる曲もあった。メンバーが自分の声の音程を把握しやすくするため、耳に手を当て歌う場合が多く、リーダーのクロウドは両手を広げて、時には指揮をするように歌う。その彼のポーズは祈りという言葉を想起させ、絵になるもので、なんか俳優みたいだとも思わせる。男性コーラスやっているとコルシカではモテたりするんですかと聞くと、いやカッコいい奴に負けちゃう(笑い)、との返事でした。なお、いま積極的に外の人たちともいろいろ絡むようにしている彼らは国外向けと島向けとで演目を変えているそう。取材はソトコト誌記事用にやったが、いろんなNPOにも関与しているクロウドは雑誌の内容を喜んでいました。
そして、六本木・ビルボードライブ東京に移動。数々のソウル曲を書いた南部のリジェンダリーな名ソングライター(41年、アラバマ州生まれ)のショウ。エルヴィス・プレスリーをはじめメンフィスでいろんな人をサポートしている鍵盤奏者(ハービー・マンの『メンフィス・アンダーグラウンド』にも参加)を伴ってのもの。その痩身エモンズさん、終始ニコニコしていて、いい味ふりまく。
主役のペンはずんぐりむっくり体系というのはともかく、ジーンズのオーヴァーオールを着用。おお、オーヴァーオールを身につけた人をほんとうにしばらくぶりに見たゾ。で、アコースティック・ギターを爪弾きながら、彼は歌うのだが、朗々としていて、声明瞭。先日のジョン・フォガティ(7月31日)もそうだが、じじいたち余裕で矍鑠としているなー。そんな彼に、エモンズは簡素な音色を持つキーボード演奏で地味に寄り添う。
オーティス・レディング、ジェイムズ・カー、アレックス・チルトン他、曲の説明にはそうそうたる名前が次々に出てくる。簡素なアコースティック伴奏であるためもあり、ソウル・マン提供曲を歌ってもそれほどソウルっぽい感じはないが、年輪はじわーんと広がる。一部は声量のあるエリック・クラプトン(2006年11月20日)なんて思わせるところもあった。蛇足だが、ECの新作はカヴァー主体のとても枯れたアルバムで、スタンダードの「枯葉」を気色悪くキブンだしてやっていたりもする。ライ・クーダーが昔カヴァーしていた曲等もやり、ある意味、ルーツィな米国白人の襞のようなものを解き放っていたところもあったか。