久しぶりの晴天、爽やかにあたたかい(という、形容を使うところに、ここのところの天気の悪さが出ていますね)。が、午後三には少し曇が出たりもして、また翌日は雨天になるのかと、少しどよーんとした気持ちに(そしたら、マジ梅雨入りしてしまった。がびーん)。

 この日もヴェニューをハシゴ。まず、丸の内・コットンクラブでカナダ人シンガー/ピアニストのライラ・ビアリ(2008年1月24日)を見る。トリオ名義になっているのはもともとジャズ・ピアニストとして活動しており、その単位(彼女にプラスして、ウッド・ベースとドラム)が引き継がれているため。活動を重ねていくうちに歌う割合が高くなっていき、評判も呼ぶようになったという流れを彼女は持っている。ノラ・ジョーンズ登場以降、なにかとジャジーな女性歌手が話題を呼ぶようになっているが、まさしくビアリはそういう流れで紹介され、また注目を浴びるべき存在だと思う。

 オープナーは、構成に工夫を施した細やかでメロディアスな自作インスト曲(それは、どこか女性的という感想も導くか)。指がすごく動くほうではないが、なるほどジャズをやってきていろいろと素養を積んできているのをあっさりとそれは示す。2曲目はロン・セクスミスの名曲「シークレット・ハート」の瑞々しいカヴァー。今のところ新作となる通算三作目はレナード・コーエンやジョニ・ミッチェルらのカナダ人による楽曲を取り上げているアルバムで、ヴォーカル曲はレディオヘッドとザ・ビートルズのカヴァー以外は新作からの曲を歌っていたのかな。それら、どれも解釈が才気走るとともに、確かな歌心も持つ。

 ジャズとポップの間をしなやかに行き来。サイドマンも歌心を盛り上げよう、ひっかかりを加味しようと、積極的(手数が多め、とも書けるか)な演奏をする。ステージ上では裸足になる彼女は1曲だけ中央に立ちマイクを持って歌い(途中まではベースとのデュオだったか)、またアンコールはピアノの弾き語り。また聞きたいな。

 続いて、南青山・ブルーノート東京。1949年生まれの叩き上げの顔役プロデューサー(高校を出てすぐに、ディオンヌ・ワーウィックが所属したセプター・レコードに入社し、A&Rを務めるようになり、その後フリーになってぶいぶい)であり、ひょんな事から50歳近くになってソロ・デビューしてしまった人物。ピアノ、キーボード、ウッド・ベース、ギター、ドラム、トランペットに加え、曲によっては男女コーラス(この二人、やたらベタベタしていたな)を従えてのもの。当人の歌声はアルバム同様に塩辛い、隣の良き隣人的な飾らぬそれ。

 業界の表も裏も知り尽くした彼は堂々、ジャズと繋がった米国エンターテインメント・ヴォーカル表現を広げる。その様に触れると、やはりアメリカの積み上げてきたものの大きさ、ベースとなるものの豊かさを痛感せずにはいられず。途中、歌ったレイ・チャールズ絡みの2曲は本当に嬉しそうに歌う。バイオにもあるように、やっぱり彼、R&Bが大好きなんだな。そんな彼の新作はバート・バカラック曲集(当人他、いろんな人がゲスト入り)だが、後半は10曲ちかくバカラック曲を連続して披露。繊細さゼロの彼の声はしなやか/柔和なバカラック曲とは水と油のようだが、これがもう一つのバカラックの風景ともいうべき妙味を持つものとして送りだしていて、うふふ。やっぱ、曲じたいが魅力的でもあるし、いい気分になれた。バカラックとタイレルはセプター期以来、家族ぐるみの付き合いを持っているようだが、「ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」は6年前に亡くなってしまったタイレルの奥さんのお葬式でバカラックが葬送曲として演奏したもの。そういういきさつもあってか、特にじいーんときちゃったな。

 この晩は彼の公演の初日。まだ時差ぼけもあるだろうが、彼は意気揚々と2度もアンコールに応え、1時間半ほどは平気でやったはず。余裕と真心たっぷり。どういう音楽趣味の人が見ても、それなりに満足感をえられるショウじゃないかな。

 ペース配分を間違えた。山ほど仕事がある、クラクラ。遊ぶ用事もけっこういれてて、今週はいったいどーなることやら。あー。
 82年生まれと79年生まれ。パリを拠点とする女性シンガー・ソングライターが二人出る公演。ラフォーレミュージアム原宿。

 まず、パリ生まれながら2歳から近年までナイジェリアのラゴスで暮らして、ラゴスっ子であるのを自認するアシャのパフォーマンス。アコースティック・ギターを手にする彼女に確かな技量を持つ男性ギタリスト、そして女性バッキング歌手という布陣。コーラスを取るそのジャネットさんはアシャとは学生時代からの付き合いで、マネージャー役も兼ねる。なんか、ノラ・ジョーンズにおけるダルー・オダみたいな感じだな。

 好きなアーティストは問うと、ボブ・マーリーやマーヴィン・ゲイ他、米英の担い手とまったく同じような人たちの名前をアシャは挙げる。ちゃんとギターを手に歌うようになったのは18歳からというのにはビックリだが、きっちりと心の琴線に触れる曲を書き(多くは英語)、それをひっかかりのある歌声で歌える人。全面的にグローヴァルなポップ流儀に則ってはいるものの、どこかにアフリカを想起させる広がり〜愁いを持つわけで、それもいい感じと確実に思わせる人ですね。

 意外なところでは、アシャはレイ・チャールズが大好きなよう。そういえば、同郷のキザイア・ジョーンズ(1999年9月29日)はチャールズを大好きでギターに写真をはっていたっけ。そのことを伝えると、ジョーンズのことは良く知っているという。で、ナイジェリアというと、やはりなんといってもフェラ・クティだが、彼女は子供のとき一度だけその公演を見たことがあるそう。また息子たちとも知り合いでフェミ・クティ(2000年4月14日、2003年7月30日)のほうは前座をつとめたこともあるとか。それから無頓着なところもある人で、デビュー作のジャケット写真が逆版である理由を尋ねたら、その事を認知していなかった(!)。そしたら、横からジャネットがデザイン上の都合でそうしたの、とアシストしてくる。そんな彼女たちは、この9月にちゃんとしたバンド編成で再来日する

 続いて、パリ生まれ、イスラエル育ちのナイムのパフォーマンス。こちらは、ドラマー(彼女のアルバムのプロデューサーも務めるDavid Donatien。そんな目立つ演奏はしていなかったが、もらったセット・リストのアーティスト表記はナイムと彼の連名のものになっていた。嫌らしい推測になるが、おそらくギャラの取り分は両者対等なんだろう)、ベース、キーボード奏者がサポート。ナイムは生ギターやグランド・ピアノやウクレレを弾きながら歌う。

 いろんな文化や音楽スタイルをふまえての、瑞々しいシンガー・ソングライター表現を見事聞かせる。のびやか、しなやか。そして、おしとやか、という形容もできるかもしれないが、その奥にやんちゃな好奇心も滲ませていて、こんなに聞き味/佇まいが良質な人であるとは。アップル社のCF曲に採用され知名度を得たとのことだが、そりゃ確かな選択だなあと、ライヴに触れながら実感。長身ぼんぼん風のキーボード奏者はとっても感覚的な音/フレイズを出す人、すぐにベック(1999年4月12日、2000年5月29日、2001年8月18日、2003年4月1日)やモレーノ・ヴェローゾたちのユニット(2001年5月18日、2006年6月27日、2007年7月25日)に加われそう、と書くと、その様は分かってもらえるか。そんな持ち味の奏者を雇うところにも彼女の目指す表現の襞は表れているはず。

 途中一曲、アシャも加わる。両者は顔見知りで、フランスでの共演経験もあるよう。二人とも日本で出来ることをとても嬉しく思い、誠意をもってオーディエンスに対しているのがよく分かる。そういうのに、触れるのは本当に気持ちいい。ましてや、その二人はともに傾聴すべき才を持つ人なのだから余計に。いい余韻をたっぷり得た夜でした。

チャカ・カーン

2008年6月5日
 六本木・ビルボードライヴ東京、ファースト・ショウ。ベース、ギター、キーボード、コーラス3という陣容による。うち、ギタリストはルーファスの同僚だったトニー・メイデン。元ルーファスとカーン(2003年10月10日)が彼を紹介したら、いや今もルーファスと彼が返す一幕もあり。長身な彼、スリムな体型を維持しているな。また少し身体が太くなった彼女(でも、もっとも節制とかとは無縁なタイプなので、何も違和感は感じませんね)は頭のアフロもよりでっかくなっているような。で、でっかいと言えば、やっぱ歌声。部分的に音程が不安定なときもあったけど、声はよく出ていた。バンド音の上をかっとぶ、ジャズの奔放な歌唱法を感性一発で自分化したようなそれはまさに胸がすく。あー、カーンはカーンなり。彼女の何が尊いのかという、その歩みをふまえたチャカ・カーン論はかつてバウンス誌に書き、それがネットにもアップされている(http://www.bounce.com/article/article.php/1782/ALL/)ので、そっちを見てね。
 ノラ・ジョーンズ(2002年5月30日、2002年9月14日、2007年3月21日)とザ・リトル・ウィリーズを組み、ジェシー・ハリス(2002年12月21日、2005年9月7日、2006年1月23日、2006年4月22日)ともマブ達の在NYのシンガー・ソングライター(2006年7月23日、2007年3月11日)。キーボード、ベース、ドラムを従えてのもの。リズム・セクションは過去のハリス公演と同じ顔ぶれで、ドラマーのダン・リーサーはザ・リトル・ウィリーズのメンバーだ。
 
 渋く、軽妙。やり慣れた奏者をしたがえ、プライヴェート感たっぷりにショウは進められる。彼、かなり口とマイクの距離を取って、歌う人なんだな。技量的にはなんの問題もない人ながら、どこか薄いというか、なんか軽いという印象も持つ。ブルースやカントリーなどルーツ・ミュージックと繋がった方向性を持つときに彼は得難い味を発するという印象をぼく持っているのだが、あまりそうした方向性の曲をやらない事もそういう印象を持たせたのかな。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。さすが、花金。近所で流れようとしたら、何軒も一杯ですと断られた末に、やっと入店。
同業先輩である、
会田裕之さんが7日午前にお亡くなりになった。

昨年から病気療養をしていたが、原稿も書いていたので病気だったのを知らない人も少なくなかったはず。
よく一緒に飲みました。2007年1月15日で触れている”先輩”とは会田さんの事だった。
飲むたびに狼藉するぼくを(何度も失礼な態度もとったはず)、笑顔で楽しんでくれた優しいお兄さんだった。飲むと、ぼくと違い、あまり食べなかったよね。
日本のニュージャージー、川崎生まれ/育ち。スタートはミュージック・ライフの編集部(当時は本当に女性だけだったみたい)、その後レコード新聞社を経て、フリーになられていた。
ロック全般からレゲエにも専門分野を広げ、一時はDJもおやりになった。
アナログな人で原稿は手書き、丸文字っぽい若い字を書く人でした。
ネットもしない人なのにデーターにも明るく、ぼくと違って話していて固有名詞をど忘れすることもなかった。
ここ10年ぐらいは料理にも凝ってましたよね。
でも、やっぱり音楽(と、奥さん)に真心で接し続けた人だと思う。
聞けば、アドリブ誌の輸入盤紹介原稿は6日夜に編集部に届いたという。
最後まで、音楽に関与すること事をまっとうしましたね。
間違いなく、等身大100%のロック愛好人生。とってもとっても素敵な……。
大好物はエリック・クラプトン。天国で、コレクションを増やしてくださいね。
六本木・ビルボードライブ東京(ファースト・ショウ)。チャー(2002年3月12日、2008年4月20日)を中心に英国人ロック・ドラマーのコープリー、ヘッドハンターズにいたポール・ジャクソン(2002 年3月12日)、キーボードの小島良喜(2000年11月16日、2004年7月27日)という布陣による、ファンキーだったりブルージィだったりする、こなれたセッション。歌入り曲も少なくなく、ジャクソンやチャーが歌う。途中には、英国人ギタリストのミッキー・ムーニーが入ったりも。大人の、野生と笑顔があふれる。同ヴェニューがあるミッドタウンに家から行くとき、青山一丁目から都営大江戸線に乗り換えるのだが最後尾車両の一番後ろに乗ったらびっくり。車掌がいない。車両先頭の運転手だけで、運行される線なのか。へえ〜。

 そして、移動し、恵比寿・リキッドルーム。ロック・バンドあがりで、制作チームやリミックス・チームとしても売れっ子のエレクトロニク・ダンス・デュオのパフォーマンスを途中から。フェス系出演者として複数来ていてそれなりに顧客はついているという感じか。照明は派手だが、映像使いはなし。直接的に機材をオペレートする二人に光を当てないこともあり、見え方は、ブラック・ボックス的。ライヴのときは人間がやってるという事を直裁になんらかの手段のもと伝えるべきだと、ぼくは思うが。四つ打ちビートに、扇情的な音塊が乗せられる。肉声は入らなかったと記憶するが。
 え、あれれ? 今回は3時間たっぷり演奏しますと喧伝されており、それは前回(2006日11月21日。他に、前身のアット・ザ・ドライヴ・インからだと、2000年5月24日、2000年8月6日、2002年4月7日、2004年1月7日)のパフォーマンスのあり方を見れば超納得なわけで、めちゃ期待に胸を膨らませていったら、1時間40分しかやらないじゃないか。内容自体はもうしぶんない。でも3時間やると聞いていたので……。すげえと高揚しつつ、これからあと2時間半もある、まだ半分しか演奏は終わっていない、序盤でこれなんだからこれから一体どーなるの、とかいう心持ちで見ていたわけで、サンキューと言ってステージを去り、場内照明がついたときには、拍子抜けしてしまいましたよ。ライヴ・リポートも頼まれていたし、飲み過ぎるとまずいしなとか思って、3杯しか買ってない。それだったら、セーヴせずにごんごん飲んだのに。2時間半やった、会場もあったということだが。

 繰り返すが、演奏内容自体は珠玉。あっぱれ。前回の模様と比較するなら、奏者のチェンジはあったかもしれないが、まったく同じ8人編成(うち、二人はアフリカン。残りも、ラテン的な名前を持つ)による。その編成を活かした流動的パフォーマンス指針は不変。ながら、曲数は倍以上になっていて(ほとんど、切れ目なしに送り出される)、前より少しロック様式に戻ったと感じさせるところはあったか。彼らを見て、レッド・ツェッペリンを想起したのは、今回が初めてだ。そのぶん、ヴォーカルのセドリック(アフロな髪が伸びて、オールド・ロッカーみたいなそれに)の出番は増すとともに、彼の声がよく出ていたのが印象的。強靭なサウンドに比しセドリックの喉はいまいち弱いとするファンは少なくないと思われる(でも、ぼくはあの佇まいだけで許せるところがある)が、アット・ザ・ドライヴ・イン時代を含め、ぼくが過去に見た彼らのショウのなかでもっとも彼は声が出ていたじゃないかな。いいぞ、セドリック! 新木場・スタジオコースト。
 うひーん、もう6月も半分すぎちゃった。もうすぐ1年も半分が終わる。なんもしてねー、余裕ねー。この土日も畏友のお父上の告別式に出た以外はけっこう机に向かってたな。仕事、受けすぎてる。しょぼん。日が暮れて、堅実な感覚とスイートな感覚を併せ持つ米国人シンガー・ソングライターのショーケース・ライヴを六本木・スーパーデラックスで見る。お金は稼いでいる(NYにレストランだかバーだかを持っていると、MCに紹介されていたな。その品のないというか道理を舐めているような、頭わるそーに非誠実なMCには閉口。もしああいうのが正とされるのなら、ぼくはもうこういうのには顔を出さない方がいいのかもと少し思った)と思われるが、50ドルぐらいしかかかっていないんじゃないかと思わす格好(普通の、無地のTシャツとジーンズ)ででてきて、生ギターとピアノの弾き語り。前回(2004年3月10日。それも、やっぱりショーケースだったか)はバンド付きだったけど、そのときより個の出口が拡散しないので、本人の持ち味はよく伝わる所はあるんじゃないか。4曲しかやらないのは謎。

 夜半に帰宅して(渋谷に移動してマイヤーズとアップルトンのロックをごんごん、珍しくジャマイカン・ラムばかり飲んだなー)メールを見ると、悲報と吉報がそれぞれ入っている。一つは訃報で、E.S.T.(2003年6月17日、2007年1月13日)のエスビョルン・スヴェンソンが44歳で死去とのこと。母国のストックホルム近郊で6月14日、スキューバ・ダイヴィング中に亡くなったという。『Leucocyte』と名付けられた新作はすでに上がっていて、この秋に出る事になっていたということだが。この2日に亡くなったボー・ディッドリー(2004年4月12日)と異なり新聞に死去報道とかはされないと思うので書き留めておこう。そういえば、米国人シンガー・ソングライターのダン・フォーゲルバーグ(レコード1枚ぐらいはもっているが、ぼくにはほとんど接点のない人でした)も亡くなったよう。ああ、ぼくもどんどん年をとり、知っている人や関係者が亡くなる頻度が高くなっていて、自分をとりまく環境がどんどん死に向かっていることを感じざるを得ないな。それは、齢を重ねていくならしかたのないことなのだが。

 一方、いい知らせは……スライ&ザ・ファミリー・ストーンが8月下旬にやってくる!!!!!  わお。フェスの<東京ジャズ>とブルーノート東京に出演。動く姿、ほんの肉声を聞けたならそれだけでOK、その最たる人。しかし、彼はよく死ななかったな。いやー良かった良かった。スライの来日、こりゃ今年の日本音楽界最大級の慶事だ!
 朝、起きてTVをつけたら、なせかNHK衛星第2チャンネル 。で、将棋(ぼく、一切ルールを知りません。もちろん、やったこともない。まあ麻雀も似たようなものだが。チェスもできないし、そういうの一般ワタシは弱い)大会の実況番組を朝っぱらからやっている。何も考えずそのまま流し新聞に目を通していたのだが。番組で解説だか大会の展望だかを語った人を、男性アナが「毎日新聞の○○さんです」と落ち着いて紹介……と、思ったらすぐに、「朝日新聞の○○さんでした」という訂正を入れる。うわーすげえ。現場の人、顔面蒼白だろうなー。そんな顛末に触れてなんか世の中いろんなことあらーなという気になり、仕事はたまっているのだが、ホイっと気分転換強制仕事排除日ということにしちゃう。でも、急に平日あそんでくれる人も見つからず、ハンドルを握る気にもあまりなれず、昼一から試写を3つハシゴ。ちょうど興味ひかれるものが同じ日のうまい感じの時間帯で並んでたりして、これは試写デイにしなさいと“世の掟の主”がTV放送を介して示唆してくれたのだと思うことにする。

 京橋・テアトル試写室で、音楽ものを撮ってきたという48年仏人ジェローム・ラベルザ監督による06年フランス映画「MADE IN JAMAICA」。タイトルにあるように、全ジャマイカ・ロケ作で、バーニー・ウェイラー、グレゴリー・アイザックス、トゥーツ・ヒバート、レディ・ソウ、アレーン他レゲエの担い手が山ほど登場(ゆえに、ビクターから出るサントラは2枚組だ)。で、いろんなシチュエイションのライヴ映像(けっこう、映画のためにやってもらったものもあるはず)やインタヴューが噛みあわされる。で、レゲエを生んだジャマイカという国が抱えた特色や問題やレゲエのいろんなヴァリエーションがランダムに紹介されるわけだ。そんなドキュメンタリー映画を見ながら、いまだジャマイカは結婚する人が少なく、子供が出来ると男はとんずらし女性側が私生児として育てることが多いという状況が続いているのかなと思ったら、後半やはりそういう内容の発言が出る。そういえば、かつてラヴァーズ・ロック歌手のJ.C.ロッジにそのことを尋ねたら(彼女はプロデューサーの旦那がフェミニストで結婚している)、「(それはアフリカの慣習だから)、ジャマイカがアフリカに近いからじゃない」、なぞとさらりと答えたことがあった。あと、昔ジャマイカに行ったとき、たかりばっかりで(外からやってきて足を踏み込んだ時点で、それは覚悟しなくてはならない)笑っちゃったのを思い出す。

 次は、六本木・アスミック・エース試写室で、07年ブラジル映画の「シティ・オブ・メン」。有名ブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」(02年)のプロデューサーが企画した映画で、リオのファヴェーラのギャングの抗争模様を介しつつ、そこに育った18歳の二人の青年の友情や恋愛/家族問題を描いている。劇中、二人の主人公のもっと若いころのやり取りをおさえた映像が何度も出てきてアレレ。で、あとで資料を見たら、映画「シティ・オブ・ゴッド」公開後、同様スタッフによるTV版「シティ・オブ・ゴッド」が作られ、それは大人気となり4シーズン続けられ(02〜05年)、この「シティ・オブ・メン」はそのTV「シティ・オブ・ゴッド」の完結編にあたるものなんだそう。で、二人の若造君(ともに、88年生まれの役者さん)はTVのほうからの続きの出演なわけですね。へーえ。監督のパウロ・モレッリ(56年生まれ)もTV版から関与している人だという。あらすじを事前に読んでいなかったら筋をちゃんと追えたかなという危惧を少し感じた(瞬時の理解力や顔を覚える能力が落ちてきているところもあるな、グスン)が、それはTV版を見てないせいもあるかもしれない。なんにせよ、いろいろ脚色を経てのものではあろうが、やはりその光景はいろいろと興味深い。純音楽面では、それほど耳はひかないという感じもあるかな。

 また、京橋にもどって映画美学校の第一試写室にて、08年仏日韓映画「TOKYO!」。フランス人ミシェル・ゴンドリー(63年生まれ。バンド・マン上がりで、ビョークの「ヒューマン・ビヘイヴィアー」のクリップ撮ったのは彼)、フランス人レオス・カラックス(1960年生まれ)、韓国人ポン・ジュノ(68年生まれ)という信奉者も多いだろう気鋭外国人監督が東京をテーマにし東京で撮影した30〜40分の作品を合わせたもの。カラックス以外は、役者/スタッフを全面的に(音楽は除く。エンドロールに流れる曲はHASYMO、旧YMOの3人による)日本人起用している。見る前には、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」ノリのものを想像していたがかなり違う。東京の光景を最大限に組み込むというよりは、各監督が持つ東京のイメージから醸造された寓話のようなものが、それぞれのお手並みで作られているから。東京はあくまで触媒、という言い方もできるかな。三者とも20日ぐらいで全撮影をこなしているようで、東京の材料を様々な角度から活かしまくるわけにはいかないという時間的な理由もあるのだろうが、なるほど。三本ともそういう見方や発想があるのかと思えるところとやはり違和感も覚えるところ(それは、ヴァンダースの「夢の涯までも」やアレハンドロ・イニャリトゥの「パベル」の東京編もぼくは同様でしたね)があるが、それは身近な環境がネタになっているからこそ(けっこう、ロケ地は分かるものなあ。でも、スタジオ・セットで済むような場面もそれぞれ多い)。同様の事をジャマイカに住む人が見たら、外の人が撮った「MADE IN JAMAICA」に感じる人もいるだろう。そーゆーもんだ。ともあれ、製作ノートを見るとなかなか面白く、外国人監督と日本人スタッフの折り合いがこの映画の肝なんではないか。まあ、そんなの映画を見る者には関係のないことではあるけど。
 マヌーシュ(ジプシー)・スウィングの第一人者である、キャラ立ちの在仏ギタリスト(2003年1月8日、2003年8月30日、他)。渋谷・デュオ。サイド・ギター、縦ベース、ヴァイオリンを従え、考える暇があったら指を動かせ、みたいな、気分おもむくままのパフォーマンスを見せる。根本にジャンゴ・ラインハルトの表現をおき、かちっと型にはまったところとはまらないところが綱引きしているような……。また、ちょっと見栄を切るようなところもあるけど、外連味なし、というふうにも言えるのか。まあ、異なる文化を持つ人たちの出し物とは絶対に思わせられますね。

 1時間ぐらいやった一部だけを見る。お客さんの反応も熱烈だし、通しだときっと2時間半コースになったんだろうな。とにかく、彼らは演奏のムシ。日本についた当日に演奏したいとバーを突発的にライヴ・ハウス化したのを皮切りに、ライヴのない日も楽器を飲み屋に持ち込み、演奏をしているという(実は昨日、渋谷近くの店でその様に触れました)。な、だけでなく、多分ライヴ後の打ち上げでも同様に演奏しているんだろう。……演奏することに対する価値観が違うんだろうな。もっと、それは日常に近く、ご飯を食べたりとか笑ったりするのに近かったりするのではないのか。演奏やりすぎて疲弊しないのか、それによりライヴ演奏の濃度が薄まったりするのではないかとかも考えたくなるが、笑いすぎて笑えなくなったという話は聞いた事ないもんなー。マヌーシュの団欒には必ずギターがあり、横にはジャンゴの写真が張ってあるという話も、彼らのパフォーマンスに触れると皮膚感覚で納得させられたりもしますね。

 つづいて、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で大御所米国人女性歌手(2000年5月10日)を見る。満席。ピアノ・トリオが2曲演奏したあとに登場したのだが、なんと彼女は車椅子に座り押されて出てくる(彼女の登場とともに、効果音的な音を出す二人のキーボード、ギター、二人のコーラスも加わる)。で、車椅子に座って歌う。そのためもあってか、少し歌声が不安定なところもあったが、もともと過剰に喉力を持つ人ではないし、そうした事もいろんなストーリーが付加した現在はナタリーの味〜芸風として納得できるものではないか。彼女が、歌うのはジャズ・スタンダード。一応新作となる『リーヴィン』はけっこうロックっぽいポップ曲カヴァー集(もともと、彼女はロック・ファンだったと言われますね)で今回はどういう路線で行くのかなと思ったら、素直に近年の彼女のファンが抱くだろうゆったりジャジー路線をまっとうしていた。MCによれば秋に出る新作はアメリカの財産を振り返るようなスタンダード・ソング集だそう。もちろん、お父さんナット・キング・コールとの例の擬似デュエットもありました。