ザ・ラムゼイ・ルイス・トリオ
2008年7月2日 サッカーのユーロ開催期間の途中ぐらいから、TV放映の時間に合わせて(?、単に体内時計がズレただけだなー)、めちゃ早起きに。夕方にはとろーんとしちゃっているワタシ。ふはは。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。大雑把に言ってしまえば、シカゴという土壌の興味深さを伝えもする黒人大衆ジャズの大名人だ。65年に全米総合シングル・チャート5位になった「ジ・イン・クラウド」(同名ライヴ・アルバムは総合2位! そのころ在籍していたのはチェス・レコード傘下のアーゴ/キャデット)は彼の十八番曲だが、そうしたゴスペル/ファンキー路線のほかにももっと端正なジャズ、軟派なフュージョン、はてはオーケストラを用いたクラシック的路線まで、いろんなことをやっているピアニストでもある。で、アコースティックなピアノ・トリオ編成であたった久しぶりの来日公演はそれを示唆するようにいろんな事をやったな。黒っぽい快楽的な曲から、クラシックっぽい含みを持つ曲や仕掛けを施したザ・ビートルズの「イン・マイ・ライフ」まで演奏。彼の66年ごろのトリオにはEW&F結成前のモーリス・ホワイトがドラマーとして在籍していた話は有名だ(唐突にホワイトがカリンバを入れる、ルイス作もあったな)が、EW&Fの「サン・ゴッデス」もやった。ルイスの74年作『サン・ゴッデス』(コロムビア)はホワイトが制作した(チャールズ・ステップニーもギターなどで参加)ブラック・ファンク盤だ。そうしたいろんな行き方に対応するかのように、リズム隊もオーソドックスな演奏からけっこうやんちゃな弾き方までいろいろ見せる。
そして、アンコールには「ジ・イン・クラウド」。やっぱり、とってもグルーヴィなあげあげ曲。手拍子(バック・ビートに合わせてそれをするように、ルズム隊がお客さんうながした)がもっとも似合うジャズ曲かもしれないナ。とてもスーツが似合うスマートなルイスは実年齢(1935年生まれ)より、若く見えた。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。大雑把に言ってしまえば、シカゴという土壌の興味深さを伝えもする黒人大衆ジャズの大名人だ。65年に全米総合シングル・チャート5位になった「ジ・イン・クラウド」(同名ライヴ・アルバムは総合2位! そのころ在籍していたのはチェス・レコード傘下のアーゴ/キャデット)は彼の十八番曲だが、そうしたゴスペル/ファンキー路線のほかにももっと端正なジャズ、軟派なフュージョン、はてはオーケストラを用いたクラシック的路線まで、いろんなことをやっているピアニストでもある。で、アコースティックなピアノ・トリオ編成であたった久しぶりの来日公演はそれを示唆するようにいろんな事をやったな。黒っぽい快楽的な曲から、クラシックっぽい含みを持つ曲や仕掛けを施したザ・ビートルズの「イン・マイ・ライフ」まで演奏。彼の66年ごろのトリオにはEW&F結成前のモーリス・ホワイトがドラマーとして在籍していた話は有名だ(唐突にホワイトがカリンバを入れる、ルイス作もあったな)が、EW&Fの「サン・ゴッデス」もやった。ルイスの74年作『サン・ゴッデス』(コロムビア)はホワイトが制作した(チャールズ・ステップニーもギターなどで参加)ブラック・ファンク盤だ。そうしたいろんな行き方に対応するかのように、リズム隊もオーソドックスな演奏からけっこうやんちゃな弾き方までいろいろ見せる。
そして、アンコールには「ジ・イン・クラウド」。やっぱり、とってもグルーヴィなあげあげ曲。手拍子(バック・ビートに合わせてそれをするように、ルズム隊がお客さんうながした)がもっとも似合うジャズ曲かもしれないナ。とてもスーツが似合うスマートなルイスは実年齢(1935年生まれ)より、若く見えた。