久しぶりの晴天、爽やかにあたたかい(という、形容を使うところに、ここのところの天気の悪さが出ていますね)。が、午後三には少し曇が出たりもして、また翌日は雨天になるのかと、少しどよーんとした気持ちに(そしたら、マジ梅雨入りしてしまった。がびーん)。

 この日もヴェニューをハシゴ。まず、丸の内・コットンクラブでカナダ人シンガー/ピアニストのライラ・ビアリ(2008年1月24日)を見る。トリオ名義になっているのはもともとジャズ・ピアニストとして活動しており、その単位(彼女にプラスして、ウッド・ベースとドラム)が引き継がれているため。活動を重ねていくうちに歌う割合が高くなっていき、評判も呼ぶようになったという流れを彼女は持っている。ノラ・ジョーンズ登場以降、なにかとジャジーな女性歌手が話題を呼ぶようになっているが、まさしくビアリはそういう流れで紹介され、また注目を浴びるべき存在だと思う。

 オープナーは、構成に工夫を施した細やかでメロディアスな自作インスト曲(それは、どこか女性的という感想も導くか)。指がすごく動くほうではないが、なるほどジャズをやってきていろいろと素養を積んできているのをあっさりとそれは示す。2曲目はロン・セクスミスの名曲「シークレット・ハート」の瑞々しいカヴァー。今のところ新作となる通算三作目はレナード・コーエンやジョニ・ミッチェルらのカナダ人による楽曲を取り上げているアルバムで、ヴォーカル曲はレディオヘッドとザ・ビートルズのカヴァー以外は新作からの曲を歌っていたのかな。それら、どれも解釈が才気走るとともに、確かな歌心も持つ。

 ジャズとポップの間をしなやかに行き来。サイドマンも歌心を盛り上げよう、ひっかかりを加味しようと、積極的(手数が多め、とも書けるか)な演奏をする。ステージ上では裸足になる彼女は1曲だけ中央に立ちマイクを持って歌い(途中まではベースとのデュオだったか)、またアンコールはピアノの弾き語り。また聞きたいな。

 続いて、南青山・ブルーノート東京。1949年生まれの叩き上げの顔役プロデューサー(高校を出てすぐに、ディオンヌ・ワーウィックが所属したセプター・レコードに入社し、A&Rを務めるようになり、その後フリーになってぶいぶい)であり、ひょんな事から50歳近くになってソロ・デビューしてしまった人物。ピアノ、キーボード、ウッド・ベース、ギター、ドラム、トランペットに加え、曲によっては男女コーラス(この二人、やたらベタベタしていたな)を従えてのもの。当人の歌声はアルバム同様に塩辛い、隣の良き隣人的な飾らぬそれ。

 業界の表も裏も知り尽くした彼は堂々、ジャズと繋がった米国エンターテインメント・ヴォーカル表現を広げる。その様に触れると、やはりアメリカの積み上げてきたものの大きさ、ベースとなるものの豊かさを痛感せずにはいられず。途中、歌ったレイ・チャールズ絡みの2曲は本当に嬉しそうに歌う。バイオにもあるように、やっぱり彼、R&Bが大好きなんだな。そんな彼の新作はバート・バカラック曲集(当人他、いろんな人がゲスト入り)だが、後半は10曲ちかくバカラック曲を連続して披露。繊細さゼロの彼の声はしなやか/柔和なバカラック曲とは水と油のようだが、これがもう一つのバカラックの風景ともいうべき妙味を持つものとして送りだしていて、うふふ。やっぱ、曲じたいが魅力的でもあるし、いい気分になれた。バカラックとタイレルはセプター期以来、家族ぐるみの付き合いを持っているようだが、「ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」は6年前に亡くなってしまったタイレルの奥さんのお葬式でバカラックが葬送曲として演奏したもの。そういういきさつもあってか、特にじいーんときちゃったな。

 この晩は彼の公演の初日。まだ時差ぼけもあるだろうが、彼は意気揚々と2度もアンコールに応え、1時間半ほどは平気でやったはず。余裕と真心たっぷり。どういう音楽趣味の人が見ても、それなりに満足感をえられるショウじゃないかな。

 ペース配分を間違えた。山ほど仕事がある、クラクラ。遊ぶ用事もけっこういれてて、今週はいったいどーなることやら。あー。