ザ・ミュージック
2008年5月1日 英国4人組。あれれ、前に単独公演見たことあるような気がするのだが、そのことを記した項が見当たらない。気のせいかな。恵比寿・リキッドルーム。曲の多くで、バスドラは四つ打ち気味。それはダンス・ミュージックに顕著な様式なわけだが、曲調はダンス・ミュージックというよりはまっとうにUKロックなわけ(バンド編成も)で、その組み合わせでひっかかりはOKとなるロック・バンド。そんなにダンサブルだとは思わないが、妙な扇情性や快楽性をつかむ事に成功していて、それはあっさりと聞き手を鼓舞するところが確かにある。横のほうにいた女の子が<回りの目なんか関係ねえ、ザ・ミュージックを愛する私を表出せん>という感じで思うままぐいぐい身体を動かしててびっくり。演奏時間は短めで、アンコールはなし。
ミシェル・ンデゲオチェロ
2008年5月7日 アルバムが出たらすぐに聞きたい、サイドマン参加作もなるべくチェックしたい、来日したら見に行きたい……。やはりンデゲオチェロは、ぼくにとっては特別な、自分の領域にいる人なんだろうな。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
この<ライヴ三昧>を書くようになってからは、3度目の来日。ワールドカップ期間中の2002年(6月18日)のときにはほぼシンガーに専念し、彼女のメインのチャンネルにあるだろう(ベースを弾いていたそれ以前の公演とも音楽的な連続線を持っていたはず)、ぶっといオルタナティヴ・ソウル表現を披露。が、敏腕ジャズ・マンをともなった2004年(11月18日、22日)のときにはベーシストである私を前面にだした真摯ファンク・フュージョンと言えるインスト表現に終始。で、やはり自分以外のベーシストを同行させる今回は2002年時と同様のバンド編成なので、かつての路線に戻ってのパフォーマンスと思われたのだが、、、、、。
キーボード、ギター、ベース、ドラムを伴ってのショウ。あ、あの一応新作となる『夢の男』(エマーシー)で示されていた電波が入ったニュー・ウェイヴ路線は本気だったんですね。2曲目にやったンデゲオチェロもベースを手にしたインスト曲(マイルス・デイヴィスの「ブラック・サテン」のメロディをモチーフにした曲)以外は全編そういうノリのパフォーマンスだった! 本人はファルセット多用のヴォーカリスト(それも、過去とは異なる)として振る舞うわけだが、なんとアンコール曲はジョイ・ディヴィジョンのカヴァーだったようだ。ぼくは、彼女の興味深い何かが出ているとは思うものの、『夢の男』をそれほどは買っていない。だが、ぼくが推測できた以上に彼女は80年前後のニュー・ウェイヴと言われたロック表現に何かを見いだしているのは間違いなさそう。へーえ。で、驚かされたというか、やはり感服せずにはいられなかったのは、そういう行き方をしてもきっちりと出る、彼女の音楽家としての線の太さ/高潔さのようなもの。自分の思う事を、きっちりサイド・マンを掌握し(みんな腕がたち、同じゴールを見据えて流れる演奏は見事でした)つつ、凛と打ち出す様はあまりに“正”。彼女の事を知ろうと知るまいと、今回の彼女の音楽性を気に入ろうと気に入るまいと、マインドや感性をちゃんと持つ人なら、それにはすごいと感服せずにはいられないのではないか。やはり彼女のパフォーマンスには音楽としてあまりに尊い生命線、音楽を音楽足らしめる真実ようなものが馬鹿みたいにある。
後半はステージ後ろのカーテンがあけられ、夜景が背面に広がるなかパフォーマンスされる(ここは通常、カーテンが締められたままショウがなされる)。綺麗じゃない、だったら開けましょうよという、出演者側からの提案であったのだろうか。前回の来日時ライヴはとっても暗いなか演奏していた彼女だったが、この日はそれなりに光をステージにあてて(といっても、明るくはないが)行う。また、ぶっきらぼうながら、ちゃんと謝辞的MCをしていたのにも驚く。彼女のなかで、ライヴ観/聞き手との対し方が少し変わってきているのかも、そう感じさせられもしたか。なんて書くと、すごく偏屈な人っぽい印象を与えるかな。彼女にインタヴューしたのは1度だけ、90年代中期ごろ(それは公演ではなく、プロモ来日したときだったっけか?)のことだったが、多弁ではないが普通にココロある受け答えをする人でした。
話はとんだが、ミュージシャンとしての自由をちゃんと表出するンデゲオチェロはまこと偉い。いつになるか分からないが、次の来日公演はまた様相を変えたものになるに違いない。もとい、次のアルバムはどうなるのだろうか。なお、ベーシストとしての彼女にまず着目する人ならば、ネオ・ソウル系歌手/ソングライターのマイロンの新作『マイロン&ザ・ワークス』(P-Vine)は必聴。ロバート・グラスパー(2007年10月3日、『夢の男』にも入っている)や彼女を擁するスモール・コンボ演奏によるそれはミレニアムのダニー・ハサウェイ・バンドを求めんとしたような感じのもので、ンデゲオチェロの粘るベース演奏は素晴らしいの一言に尽きる。
この<ライヴ三昧>を書くようになってからは、3度目の来日。ワールドカップ期間中の2002年(6月18日)のときにはほぼシンガーに専念し、彼女のメインのチャンネルにあるだろう(ベースを弾いていたそれ以前の公演とも音楽的な連続線を持っていたはず)、ぶっといオルタナティヴ・ソウル表現を披露。が、敏腕ジャズ・マンをともなった2004年(11月18日、22日)のときにはベーシストである私を前面にだした真摯ファンク・フュージョンと言えるインスト表現に終始。で、やはり自分以外のベーシストを同行させる今回は2002年時と同様のバンド編成なので、かつての路線に戻ってのパフォーマンスと思われたのだが、、、、、。
キーボード、ギター、ベース、ドラムを伴ってのショウ。あ、あの一応新作となる『夢の男』(エマーシー)で示されていた電波が入ったニュー・ウェイヴ路線は本気だったんですね。2曲目にやったンデゲオチェロもベースを手にしたインスト曲(マイルス・デイヴィスの「ブラック・サテン」のメロディをモチーフにした曲)以外は全編そういうノリのパフォーマンスだった! 本人はファルセット多用のヴォーカリスト(それも、過去とは異なる)として振る舞うわけだが、なんとアンコール曲はジョイ・ディヴィジョンのカヴァーだったようだ。ぼくは、彼女の興味深い何かが出ているとは思うものの、『夢の男』をそれほどは買っていない。だが、ぼくが推測できた以上に彼女は80年前後のニュー・ウェイヴと言われたロック表現に何かを見いだしているのは間違いなさそう。へーえ。で、驚かされたというか、やはり感服せずにはいられなかったのは、そういう行き方をしてもきっちりと出る、彼女の音楽家としての線の太さ/高潔さのようなもの。自分の思う事を、きっちりサイド・マンを掌握し(みんな腕がたち、同じゴールを見据えて流れる演奏は見事でした)つつ、凛と打ち出す様はあまりに“正”。彼女の事を知ろうと知るまいと、今回の彼女の音楽性を気に入ろうと気に入るまいと、マインドや感性をちゃんと持つ人なら、それにはすごいと感服せずにはいられないのではないか。やはり彼女のパフォーマンスには音楽としてあまりに尊い生命線、音楽を音楽足らしめる真実ようなものが馬鹿みたいにある。
後半はステージ後ろのカーテンがあけられ、夜景が背面に広がるなかパフォーマンスされる(ここは通常、カーテンが締められたままショウがなされる)。綺麗じゃない、だったら開けましょうよという、出演者側からの提案であったのだろうか。前回の来日時ライヴはとっても暗いなか演奏していた彼女だったが、この日はそれなりに光をステージにあてて(といっても、明るくはないが)行う。また、ぶっきらぼうながら、ちゃんと謝辞的MCをしていたのにも驚く。彼女のなかで、ライヴ観/聞き手との対し方が少し変わってきているのかも、そう感じさせられもしたか。なんて書くと、すごく偏屈な人っぽい印象を与えるかな。彼女にインタヴューしたのは1度だけ、90年代中期ごろ(それは公演ではなく、プロモ来日したときだったっけか?)のことだったが、多弁ではないが普通にココロある受け答えをする人でした。
話はとんだが、ミュージシャンとしての自由をちゃんと表出するンデゲオチェロはまこと偉い。いつになるか分からないが、次の来日公演はまた様相を変えたものになるに違いない。もとい、次のアルバムはどうなるのだろうか。なお、ベーシストとしての彼女にまず着目する人ならば、ネオ・ソウル系歌手/ソングライターのマイロンの新作『マイロン&ザ・ワークス』(P-Vine)は必聴。ロバート・グラスパー(2007年10月3日、『夢の男』にも入っている)や彼女を擁するスモール・コンボ演奏によるそれはミレニアムのダニー・ハサウェイ・バンドを求めんとしたような感じのもので、ンデゲオチェロの粘るベース演奏は素晴らしいの一言に尽きる。
トゥー・バンクス・オブ・フォー
2008年5月9日 元ガリアーノのロブ・ガリアーノ(ようは、90年代のUKジャズ受容ビート・ポップの主任担当者のような人ですね)が機械に強いダチのディーマス(ディル・ハリス)と組んだこのユニット(2004年1月16日)は今年2度目の来日となる。1月は非公式で、ある企業のパーティでパフォームするために来ているんだと、そんとき取材した際にディーマスが言っていたな。
代官山・ユニット。4年ぶりとなる新作を伴っての、4年ぶりとなる正規の公演。新作リリースに間が開いたのはカリアーノに子供が出来たりディーマスが結婚したりした事とともに、ディーマスが映画を学ぶために大学に通ったことも影響したらしい。歳をそれなりにとってからふらりと何かを学べる、別に学ばなくいてもいいけど、しなやかに新しい事に望めるというのはいいナ。そういうのに、ぼくはオトナを感じる。ぼくが、状況が許すなら……。しばし、ファンタジーの世界に遊ぶ、なんちって。今後、ゴドリー&クリーム(元10cc。革新的ミュージシャンから敏腕映像制作チームに移行。一時はヴィデオ・クリップ作りの大家だった。今、どーしているんだろ。ぼく、超ファンでした)みたいなの目指しますか、とディーマスに言ったら、まんざらでもなさそうだったな。
その新作『ジャンクヤード・ゴッズ』は時間がかかったことも納得させられる、オーケストラ音と不思議な電気音の拮抗も見目麗しいスケールの大きなアート・ポップという感じの内容を持つ。フューチャー・ジャズ・ビヨンド表現の先にある含蓄ある大人なボップ・ミュージックを求めるということにおいては、米国西海岸の同系表現の雄であるビルド・アン・アーク(2004年11月27日)の新作志向とも偶然もろに重なるものだが、簡素なバンド編成によるパフォーマンスは旧来のノリに負ったものと言えるか。
キーボード、ウッド・ベース、ドラム、リードをとる女性ヴォーカル(元ガリアーノ、ロブの奥さんでもあるヴァレリー・エティエンヌ)、そして二人という布陣。04年公演のとき(1月16日)と比べるとミュージシャン数が5人少ないわけだが、そのぶん二人が前に出ているぞ(とくに、けっこう肉声を出して、エティエンヌと絡んでいたロブ・ガリアーノは)と思わせるもので、それはそれでアリ。演奏陣の腕は立つし(通常の英国ロック勢と比べると……)、ジャズを触媒とするしなやかなポップ・ミュージックを送り出す闊達な場の確かなプレゼンテイションになっていて、ぼくは楽しめた。
代官山・ユニット。4年ぶりとなる新作を伴っての、4年ぶりとなる正規の公演。新作リリースに間が開いたのはカリアーノに子供が出来たりディーマスが結婚したりした事とともに、ディーマスが映画を学ぶために大学に通ったことも影響したらしい。歳をそれなりにとってからふらりと何かを学べる、別に学ばなくいてもいいけど、しなやかに新しい事に望めるというのはいいナ。そういうのに、ぼくはオトナを感じる。ぼくが、状況が許すなら……。しばし、ファンタジーの世界に遊ぶ、なんちって。今後、ゴドリー&クリーム(元10cc。革新的ミュージシャンから敏腕映像制作チームに移行。一時はヴィデオ・クリップ作りの大家だった。今、どーしているんだろ。ぼく、超ファンでした)みたいなの目指しますか、とディーマスに言ったら、まんざらでもなさそうだったな。
その新作『ジャンクヤード・ゴッズ』は時間がかかったことも納得させられる、オーケストラ音と不思議な電気音の拮抗も見目麗しいスケールの大きなアート・ポップという感じの内容を持つ。フューチャー・ジャズ・ビヨンド表現の先にある含蓄ある大人なボップ・ミュージックを求めるということにおいては、米国西海岸の同系表現の雄であるビルド・アン・アーク(2004年11月27日)の新作志向とも偶然もろに重なるものだが、簡素なバンド編成によるパフォーマンスは旧来のノリに負ったものと言えるか。
キーボード、ウッド・ベース、ドラム、リードをとる女性ヴォーカル(元ガリアーノ、ロブの奥さんでもあるヴァレリー・エティエンヌ)、そして二人という布陣。04年公演のとき(1月16日)と比べるとミュージシャン数が5人少ないわけだが、そのぶん二人が前に出ているぞ(とくに、けっこう肉声を出して、エティエンヌと絡んでいたロブ・ガリアーノは)と思わせるもので、それはそれでアリ。演奏陣の腕は立つし(通常の英国ロック勢と比べると……)、ジャズを触媒とするしなやかなポップ・ミュージックを送り出す闊達な場の確かなプレゼンテイションになっていて、ぼくは楽しめた。
ボビー・リー・ロジャース&ザ・コードトーカーズ
2008年5月12日 ジョージア州アトランタをベースとする、本国ではさんざんライヴをやっているだろう白人トリオ編成バンド。CDを聞いたら少し多彩すぎるきらいはあるものの含蓄豊かでソウルフルなビート・ロックを展開していて気になっていた連中、その初来日公演だ。CDの所感からぼくが期待したのは、米国版ザ・キンクスみたいな実演だったが、確かにそういう方向の曲もなくはないものの、この晩に主にやっていたのは、『ブラザーズ&シスターズ』の頃のジ・オールマン・ブラザーズのノリ(ようは、デュエイン・オールマン亡き後、ブルース臭が薄くなり寛ぎ志向になった時期ですね)の演奏。ようは、ジャム・バンド的だともおおいに思わせられたわけ(編成が同じこともあって、少しザ・スリップを思い出したか)で、それにはリード・ヴォーカルも取るギタリストのロジャーズがどんなもんだいと延々とギター・ソロを取ることが大きい。で、これが確かにウマくて、いろんなロック奏法をできるんだろう(はては、ジョン・スコフィールドも問題なく出来そう、とも思った)なと思わせる。ただ、セミアコ(トロモロ・アーム付き。それは使用せず)を用いるくせに、音にリヴァーヴをかけすぎ。それ、リアリティを間違いなく減らしている。巧いといえば、それはベーシスト(6弦エレクトリックを使用)とドラマー(とてもシンプルなキットを使用)も同様で、やっぱアメリカは予備軍の層の厚さが違うよナと実感。3人(年齢は、20代後半〜30歳ちょいぐらい?)とも、お揃いのスーツ(ネクタイも3人おなじものをつける)を着て、パフォーマンスする。実はリズム隊の二人はけっこうルックス良好なお兄さんたちでへえ。やっぱり音楽的な間口を広げ過ぎ、それなりの曲も書けるようだし、歌もヘタじゃないし、ぼくとしてはもう少しシンプルにビート・バンドのりでつっぱしってほしいところ(それだと、メジャー契約がとれなきゃ嘘だ)だが、悪いバンドではないし、また来たら見に行ってもいいな。渋谷・デュオ。二日公演が組まれるなかの、初日。
レイラ・ハサウェイ
2008年5月13日 朝、起きたら雨。台風2号が来ているそうだ。昨日の夜もとても寒かったが、起きてぶるるる。毛布と厚めの羽毛布団、ここんとこ真冬と変わらない体制で寝ているよなー。
スタックスに移籍して、全ての曲の作曲と制作に関与した新作『セルフ・ポートレイト』を出す、巨人の娘さん(1999年7月14日、2002年5月13日、2003年8月19日、2004年5月10日、他)の実演。六本木・ビルボード東京(セカンド・ショウ)。ギター、ベース、キーボード、ドラム、2コーラス(男女、ひとりずつ)、これまでよりも少し多めの人数にて。長〜いソロ・パートを与えられたベース奏者のデイヴィッド・ダイソン(参加作は、ファイヴ・エレメンツからスクリッティ・ポリッティまで)やレディシ(2007年11月12日)の新作で制作クレジットもされていたギタリストのエロール・クーニーなどを含む。話はとぶが、ダイソンはカサンドラ・ウィルソンとヴォーカリストの座をスティーヴ・コールマンの5エレメンツで分け合い、ハンク・ロバーツのバーズ・オブ・ヴューで歌い、旦那のメルヴィン・ギブス(ベース。元デファンクト、デコーディング・ソサエティ、アート・リンゼーのアンビシャス・ラヴァーズ、ロリンズ・バンド等)と一緒にアイ&アイというグループも組み、エピックからソロを出したD.K.ダイソンの弟という話もあるがどーなんだろう。
例によって、裸足でステージに登場(普段からカジュアルな格好で、スニーカーを好む人ですが)した彼女は、低目の、いい感じの擦れが少し入る歌声をよくコントロールしながら、ゆったりしたバンド演奏に乗せる。新作からも数曲。自ら自伝的と語る歌詞を持つ「リトル・ガール」も聞きたかったかな。途中、スタンダードの「サマータイム」をすちゃらかしたノリでやったり、アンコールではザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)の「ストリート・ライフ」もスキャットを少し交えて歌う。が、聞けば、やはりポップ側に留まる事を標榜したいという。会場フロントには、Tシャツ他、豊富な物販アイテムを用意。それ、同行したお母さん(つまり、巨匠の奥様)が担当だそう。彼女はシカゴに生まれ育ったことをとても良かったと感じる人。が、バークリー音楽大学を通った時期以外、その後はずうっとLA居住なのだ(学生時代に契約したヴァージン・レコードの指令でそうなったそう)そう。けっこうNY在住のミュージシャンと親しい(その一人が、先日見たミシェル・ンデゲオチェロ)ので、NYに住んでいるという所感を持っていたが、同地に住んだことはないそうだ。
ところで、細いドレッド・ロックスにしている彼女は父親の面影を覚えさせるとともに、ちょいカサンドラ・ウィルソンを小型にしたような感じも与える。そんな彼女、ノーナ・ヘンドリックス、カサンドラ・ウィルソンとともにあまり顔が老けない、最たる黒人シンガーだな。彼女、去年はノーナ・ヘンドリックスを座長に置く<ドウターズ・オブ・ソウル>という欧州ツアーをやったそう。他には、サンドラ・セイント・ヴィクター、そしてニーナ・シモンやチャカ・カーンの娘らが参加。おお。
スタックスに移籍して、全ての曲の作曲と制作に関与した新作『セルフ・ポートレイト』を出す、巨人の娘さん(1999年7月14日、2002年5月13日、2003年8月19日、2004年5月10日、他)の実演。六本木・ビルボード東京(セカンド・ショウ)。ギター、ベース、キーボード、ドラム、2コーラス(男女、ひとりずつ)、これまでよりも少し多めの人数にて。長〜いソロ・パートを与えられたベース奏者のデイヴィッド・ダイソン(参加作は、ファイヴ・エレメンツからスクリッティ・ポリッティまで)やレディシ(2007年11月12日)の新作で制作クレジットもされていたギタリストのエロール・クーニーなどを含む。話はとぶが、ダイソンはカサンドラ・ウィルソンとヴォーカリストの座をスティーヴ・コールマンの5エレメンツで分け合い、ハンク・ロバーツのバーズ・オブ・ヴューで歌い、旦那のメルヴィン・ギブス(ベース。元デファンクト、デコーディング・ソサエティ、アート・リンゼーのアンビシャス・ラヴァーズ、ロリンズ・バンド等)と一緒にアイ&アイというグループも組み、エピックからソロを出したD.K.ダイソンの弟という話もあるがどーなんだろう。
例によって、裸足でステージに登場(普段からカジュアルな格好で、スニーカーを好む人ですが)した彼女は、低目の、いい感じの擦れが少し入る歌声をよくコントロールしながら、ゆったりしたバンド演奏に乗せる。新作からも数曲。自ら自伝的と語る歌詞を持つ「リトル・ガール」も聞きたかったかな。途中、スタンダードの「サマータイム」をすちゃらかしたノリでやったり、アンコールではザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)の「ストリート・ライフ」もスキャットを少し交えて歌う。が、聞けば、やはりポップ側に留まる事を標榜したいという。会場フロントには、Tシャツ他、豊富な物販アイテムを用意。それ、同行したお母さん(つまり、巨匠の奥様)が担当だそう。彼女はシカゴに生まれ育ったことをとても良かったと感じる人。が、バークリー音楽大学を通った時期以外、その後はずうっとLA居住なのだ(学生時代に契約したヴァージン・レコードの指令でそうなったそう)そう。けっこうNY在住のミュージシャンと親しい(その一人が、先日見たミシェル・ンデゲオチェロ)ので、NYに住んでいるという所感を持っていたが、同地に住んだことはないそうだ。
ところで、細いドレッド・ロックスにしている彼女は父親の面影を覚えさせるとともに、ちょいカサンドラ・ウィルソンを小型にしたような感じも与える。そんな彼女、ノーナ・ヘンドリックス、カサンドラ・ウィルソンとともにあまり顔が老けない、最たる黒人シンガーだな。彼女、去年はノーナ・ヘンドリックスを座長に置く<ドウターズ・オブ・ソウル>という欧州ツアーをやったそう。他には、サンドラ・セイント・ヴィクター、そしてニーナ・シモンやチャカ・カーンの娘らが参加。おお。
ロベルト・ガット・クインテット
2008年5月14日 米国ポップ・アートのロバート・ラウシェンバーグが亡くなったとのニュース。別にアートな人間でないぼくがその報に反応するのは、一時トーキング・ヘッズが関わりを持っていたからだ(その流れで興味を持ち、世田谷美術館でやった展覧会に行ったことも大昔あったっけ)。とくに、『スピーキング・イン・タンズ』(サイアー、83年)の凝った仕様の特殊パッケージ盤は有名(通常ジャケもラウシェンバーグが担当)。ぼくは10枚ほど、それを持っている人を知っている。塩ちゃん、そのなかの1枚くれるって言ってたっけ?
ロベルト・ガッドはエンリコ・ラヴァ(2007年5月14日)のワーキング・バンドにも所属する今年50歳になるイタリア人ドラマーで、イタリア人サイドマン(彼よりも少し年下の人たちか)を従えてのもの。フロントに確かな二管(トランペットとテナー・サックス)を立てた、正々堂々のジャズを展開。まったくもって、正攻法にして王道。でありつつ、ガットはときどき興にのってワオーとか声をあげたりする。なんか、ぼくも演奏者だったらそういうことしそうだなと思い、悪い気はしない。絶対それ、演奏に生気を与えるし。彼の一生懸命MCも、なんか憎めない。とかなんとか、真摯だけど、どこか暖かみ〜人間味のようなものがある部分にイタリア的なるものを感じたか。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
ロベルト・ガッドはエンリコ・ラヴァ(2007年5月14日)のワーキング・バンドにも所属する今年50歳になるイタリア人ドラマーで、イタリア人サイドマン(彼よりも少し年下の人たちか)を従えてのもの。フロントに確かな二管(トランペットとテナー・サックス)を立てた、正々堂々のジャズを展開。まったくもって、正攻法にして王道。でありつつ、ガットはときどき興にのってワオーとか声をあげたりする。なんか、ぼくも演奏者だったらそういうことしそうだなと思い、悪い気はしない。絶対それ、演奏に生気を与えるし。彼の一生懸命MCも、なんか憎めない。とかなんとか、真摯だけど、どこか暖かみ〜人間味のようなものがある部分にイタリア的なるものを感じたか。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
ボーイズⅡメン。アンジェラ・ジョンソン
2008年5月16日 まず、九段下・日本武道で、フィリー出身のソウル・コーラス・グループのボーイズ2メンを見る。同業者も言っていたけど、そこそこ入っていて、いまだちゃんと人気を持つのだな。んなわけだから、日本にはいろいろと来ているはずだが、ぼくが彼らをみるのはモータウン勢が複数出た98年の東京ドームのイヴェント以来のこと。その後、彼らは4人から3人組になり、モータウンからも離れたわけだ。ショウに接し驚いたのは、バンドを雇っておらず全面的にプリセットのトラック使用で、3人(スーツ着用、違和感はない。ああ、今はボーイからおっさんになっているのだなと、少し思わせれたか)だけですべてを済ませていたこと。そりゃ歌自体は悪いものではないが、コーラス部の歌パートも事前データーでまかなっている部分があるんじゃないかとか思わせたりもし、興を削ぐ部分はいろいろと出てくる。そのぶん(?)、背景ヴィジョンには臆面もなくヴィデオ・クリップを流したり(けっこう、邪魔に感じました)、どんくさい風景写真を映したりとか。そうした安いディレクションで通す様にはいい根性してんじゃんと思う。
ところで、今回は“シングス・モータウン”みたいなタイトル付けもされていて、黄金のモータウン曲を主に取り上げるのかとおもいきや、それは3つのブロックのうちの真ん中だけで(ミラクルズ、マーヴィン、エドウィン・スター他の曲を歌う)、少しがっかり。どうせなら、80年代のモータウン曲なども歌い、そこから彼らの持ち歌に流れ、僕たちも偉大な系譜のなかにいるんです、みたいなノリを出したら、耳年増な聞き手はうれしくなるのに……。それでも、ちゃんと1時間半のショウを成り立たせていることについては、褒めてもいいのかな。とにかく、経費は安くあがっていそうで、上がりはでかそう。
最後までは見ずに、やはりはしごをするという会場で偶然あった知人とタクり、丸の内・コットンクラブへ。こちらは、作編曲家〜プロデューサー的な才も十分に持ち(最終的には、女クインシー・ジョーンズみたいになりたいらしい)、しなやかに自立した風情を与える、NY(ニューアーク)在住の女性の公演。前回来日時のショウには感服しきり(2004年7月1日)だったが、今回はバンドの質も高かったし、それ以上に良かった。高揚し、共感もできた。お酒も、めちゃ弾みました。
エレピを弾き歌う彼女に加え(今回は鍵盤から離れ、中央に立って歌う場面も)、キーボード、ベース、ドラム、女性ヴォーカルという布陣にてフォーマンス。米国黒人音楽要素をいろいろと俯瞰する感覚を持つ、起伏とストーリー性に富んだ、スペクタクルな今様R&B……。「多くの人がアリシア・キーズと私を比較するけど、それは賛辞みたいなものね(笑)。ただ、私たちが出る以前の女性アーティスト、たとえばパトリース・ラッシェン、アレサ・フランクリン、アンジェラ・ウィンブッシュ、ヴァレリー・シンプソンみたいな、シンガー、ソングライター、ミュージシャンとしてすばらしい人達がいる事に私はもっと誇りに思う。ジル・スコットやローリン・ヒル、インディア・アリーもすばらしい。ポジティブでソウルフルで、メッセージを持っている!」。これは、少し前に新作『ア・ウーマンズ・タッチ Vol.1』(Purpose)を出したときに取った彼女の発言。アリシア・キーズというのは分からないけど、少しは彼女の持ち味を理解してもらえるかな。
ところで、今回は“シングス・モータウン”みたいなタイトル付けもされていて、黄金のモータウン曲を主に取り上げるのかとおもいきや、それは3つのブロックのうちの真ん中だけで(ミラクルズ、マーヴィン、エドウィン・スター他の曲を歌う)、少しがっかり。どうせなら、80年代のモータウン曲なども歌い、そこから彼らの持ち歌に流れ、僕たちも偉大な系譜のなかにいるんです、みたいなノリを出したら、耳年増な聞き手はうれしくなるのに……。それでも、ちゃんと1時間半のショウを成り立たせていることについては、褒めてもいいのかな。とにかく、経費は安くあがっていそうで、上がりはでかそう。
最後までは見ずに、やはりはしごをするという会場で偶然あった知人とタクり、丸の内・コットンクラブへ。こちらは、作編曲家〜プロデューサー的な才も十分に持ち(最終的には、女クインシー・ジョーンズみたいになりたいらしい)、しなやかに自立した風情を与える、NY(ニューアーク)在住の女性の公演。前回来日時のショウには感服しきり(2004年7月1日)だったが、今回はバンドの質も高かったし、それ以上に良かった。高揚し、共感もできた。お酒も、めちゃ弾みました。
エレピを弾き歌う彼女に加え(今回は鍵盤から離れ、中央に立って歌う場面も)、キーボード、ベース、ドラム、女性ヴォーカルという布陣にてフォーマンス。米国黒人音楽要素をいろいろと俯瞰する感覚を持つ、起伏とストーリー性に富んだ、スペクタクルな今様R&B……。「多くの人がアリシア・キーズと私を比較するけど、それは賛辞みたいなものね(笑)。ただ、私たちが出る以前の女性アーティスト、たとえばパトリース・ラッシェン、アレサ・フランクリン、アンジェラ・ウィンブッシュ、ヴァレリー・シンプソンみたいな、シンガー、ソングライター、ミュージシャンとしてすばらしい人達がいる事に私はもっと誇りに思う。ジル・スコットやローリン・ヒル、インディア・アリーもすばらしい。ポジティブでソウルフルで、メッセージを持っている!」。これは、少し前に新作『ア・ウーマンズ・タッチ Vol.1』(Purpose)を出したときに取った彼女の発言。アリシア・キーズというのは分からないけど、少しは彼女の持ち味を理解してもらえるかな。
タワー・オブ・パワー
2008年5月18日 南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。昨年とかも来日しているけど、このベイ・エリア・ファンク(イースト・ベイ・ファンク)の巧者たちをぼくが見るのは04年以来(1999年11月4日、2002年8月11日、2004年1月19日)。そんときもフル・ハウスだったけど、やっぱファンが熱烈だワ。場内にタワーの曲が流れるなかメンバーが登場すると、すぐに半数以上の人たちが立ち上がり、うぉーって感じで熱く迎える。ぼくがここで見た中で、一番客が燃えてる迎えられ方かも。
彼らは、ちょうど今年結成40年となる。が、とっても張りがあり、気持ちもあるパフォーマンス。前回より、もっともっと生気があり、充実している。たとえば、前回見たときだと好きじゃないタイプの曲をやられると少しダレる気分をぼくは得たが、この日の場合は聞かせきってしまう力がしかとあった。リーダーのテナー奏者のエミリオ・カスティロの声にも張りがあるし、管楽器奏者たちのフリなんかも前よりアトラクティヴになっているような。で、ホーン隊音の重なりには、やはりパブロフの犬。もちろん、新しいネタは何も出していないが、自分たちが築いた黄金のヴァリエイションを嬉々として、質量感たっぷりに送り出す様には望外の手応えと喜びを感じてしまったな。
で、そういうのに触れながらぼくが感じたのは、やはりバンドは受け手が作るもの、ということ。あれだけ熱くも親身な反応を受けたら、そりゃ本人たちも気張るだろうて、もっと自分たちの表現を磨きたくなるだろうて……。ここには、理想的な送り手と受け手の相互関係があったかも。
アンコールが終わって、場内にすぐに流されたのは(やはり、ベイエリアが送り出した)スライ&ザ・ファミリー・ストーンの柔和カヴァー曲「ケ・セラ・セラ」。すうっと高揚が無理なく融けて行き、素敵な余韻が宙に漂うのを見事に助ける。それ、素晴らしい選曲でした。(以下、翌日に続く)
彼らは、ちょうど今年結成40年となる。が、とっても張りがあり、気持ちもあるパフォーマンス。前回より、もっともっと生気があり、充実している。たとえば、前回見たときだと好きじゃないタイプの曲をやられると少しダレる気分をぼくは得たが、この日の場合は聞かせきってしまう力がしかとあった。リーダーのテナー奏者のエミリオ・カスティロの声にも張りがあるし、管楽器奏者たちのフリなんかも前よりアトラクティヴになっているような。で、ホーン隊音の重なりには、やはりパブロフの犬。もちろん、新しいネタは何も出していないが、自分たちが築いた黄金のヴァリエイションを嬉々として、質量感たっぷりに送り出す様には望外の手応えと喜びを感じてしまったな。
で、そういうのに触れながらぼくが感じたのは、やはりバンドは受け手が作るもの、ということ。あれだけ熱くも親身な反応を受けたら、そりゃ本人たちも気張るだろうて、もっと自分たちの表現を磨きたくなるだろうて……。ここには、理想的な送り手と受け手の相互関係があったかも。
アンコールが終わって、場内にすぐに流されたのは(やはり、ベイエリアが送り出した)スライ&ザ・ファミリー・ストーンの柔和カヴァー曲「ケ・セラ・セラ」。すうっと高揚が無理なく融けて行き、素敵な余韻が宙に漂うのを見事に助ける。それ、素晴らしい選曲でした。(以下、翌日に続く)
タワー・オブ・パワー(の、発言)
2008年5月19日 ライヴを見た翌日、エミリオ・カスティロ(57歳)とスティーヴン“ドク”クプカ(62歳)、二人のオリジナル・メンバーにインタヴュー。昔を知る人によると危ないオヤジだったらしいが、今のカスティロはとても紳士的かつ温厚な人。スーツを着ていたら、人情派の管理職といった風情。いっぽう、クプカは悠々とした人で(帽子はステージだけで被るそう)、発言はほとんどカスティロにまかせでおっとり構えている。その記事は毎日新聞の今週木曜(22日)夕刊に出るが、もったいないので、使わなかった発言を以下にいくつかご紹介。
「16歳のときに見たザ・スパイダーズというバンドが凄く好きだった。ホーン・セクションとシンガーがいるバンドで、こういうのやりたいって思った。わざわざサクラメントまで彼らを見に行ったら、ストリップ小屋への出演で、すげえっ俺らもこういう所に出れたらなあなんて思ったな(笑い)。また、スライ・ストーンがまだレコードを出す前のライヴにもとても感化された。すごいエネルギッシュでね。で。その二つを合わせたことをやりたくて、バンドを始めたんだ。まさにそれがタワー・オブ・パワーの求めたところ。なんか、使命のように感じたな。タワー・オブ・パワーの最初のライヴはバークリー・コミュニティ・センターというところでやったんだけど、それはジミ・ヘンドリックスの前座だった。客入りの時にカーテンの前で演奏させられてね。マネイジャーが酷すぎるじゃないかと、(プロモーターの、ロック史に名を刻む大物の)ビル・グレアムに抗議したんだ。そしたら、埋め合わせするからとか言われて」
「俺はカレッジに2年ぐらい行って、ドロップアウトした。最初はオーボエをやってたけど、学校ではソウルを教えてくれないからね。それで、バリトン・サックスに持ち替えて、1年間ファンク・バンドのローディをやっていて、そんなときにエミリオ(カステイロ)に会った。ちょうどサックスがちゃんと吹けるようになってきたときで、彼に会ったのはラッキーだったな」(この発言のみ、クプカさん)。
「サンフランシスコはフラワー・ムーヴメントだヒッピーだと浮かれていたけど、隣のオークランドやバークレーはそれとは違う。で、とにかくソウルが盛んだった。でも、時代的に(シスコにある)フィルモアでやらないことにはどうにもならないから、髪をのばしヒッピーみたいな格好をしてやったりしたな。でも、僕たちが出来るのはソウルだけだったので、それを素直にやっていたけどね。ヒッピー/サイケが下火になり始めてきたとき、逆にライヴ・シーンでは俺たちがおもしろがられた。タイミング的に良かったと思うよ」
「ターニング・ポイントとなる事は沢山ある。ビル・グレアムとアーティスト契約をかわし、フィルモアで人気のバンドになれたとき。その後人気が上がったけど、パンク/ニュー・ウェイヴの時代になると恐竜みたいに思われて人気が下降しちゃったこと。それが、ヒューイ・ルイスとツアーをすることになり、また名前が出るようになったり(そのときは、ホーン・セクションの仕事だけが増えすぎて。さすがリズム・セクションとの関係が危うくなったという)、デイヴィッド・レターマン・ショウ(TV番組)でハウス・バンドをやったのもそうかな。俺たちはドラッグとかいろいろな問題を抱えたバンドだったが、80年代後期にそれを断ち切ったのは大きかった。それは音にも表れているんじゃないか。昔は薬や酒やパーティ好きをつとめてバンドに入れていたが、それ以後はクリーンな奴を入れるようになった(笑い)」
「ホーン・アレンジは最初のころは、その場でせえのでやっていた。グレッグ・アダムス(tp、02年にブルーノートからリーダー作をだしたりも)がいたころは、彼がアレンジャーとして素晴らしかった。今ならば、頼まれるとトラックをまず送ってもらう。で、アイデアがあったら教えてと尋ね、それを基にアレンジを考えてスタジオに行く。やはり、他の人の表現に絡むのは好きだな。宅録なんかも増えて需用は減ってきているけど、これからもいろいろとやっていきたいと思うよ」
「ホーン・セクション参加作でいいナと思えるのは(悩む様子もなくさらりと)、リンダ・ロンシュタットとアーロン・ネヴィルのデュエット「When Something Is Wrong with My Baby」(それが入っているのはリンダの89年作『クライ・ライク・ア・レインストーム』だが、カスティロらの名前は見当たらない。一方、ロンシュタット参加曲もある91年ネヴィル作『ウォーム・ユア・ハート』はタワー勢参加。なだけでなく、タワーを離れたグレッグ・アダムズが管音を仕切っている)。ヒューイ・ルイスの参加したものは全部。それと、エルトンの『カリブ』(74年)。あのアルバムで、タワー・オブ・パワー・ホーン・セクションは知られるようになったからね。あと、リトル・フィートとも複数やっているけど、英国でのライヴ盤『ウェイティング・フォー・コロンブス』(78年)はいいよね」
「(シンガーは声が豪快な人よりは、高音が通るしなやかタイプの人がタワーには起用される傾向があると思うけど、という問いに対し)。うん、そうなんだろうね。そりゃ、ホーン隊もいるしバンド音がパワフルだから、そこから浮かび上がれるタイプを選ぶわけさ。そうすると、高音のほうが突き抜けやすいから、そういう傾向になるんだと思う。パワーも大切だけどね。演奏者にしても、やはり誰でも入れるわけではない。そういうことを出来る人をちゃんと選ぶのさ。そして、グッドな人がグレイトな人になって出て行くわけで、タワー・オブ・パワーは学校みたいだな。こいつはいいぞと見込んで入れたら、使えなくてやめていった奴も何人かはいたなあ」
今、メンバーは各地に散っているという。カスティロはアリゾナ州(89年の地震後、奥さんがシスコをいやがって故郷に戻り、それについていったそう)、クプカはLAに住む。クプカは普段曲作りに励んでいて、昨年『Doc Goes Hollywood』というアルバムを自主制作した。それは瀟酒なストリングスなどもおごられた、とても端正でノスタルジックなMOR的ポップ盤。なんか、日本で出したがっている感じあったかな。5人の子持ちであるカスティロ(上の二人は前の奥さんとの子供。二番目の娘は音楽好きでユニバーサル・ミュージックに就職したそう。下の3人はまだ14、12、9歳とか)は、普段はとても信心深い生活を送っているようだ。
タワー・オブ・パワーの結成日は、8月13日だという。今年のその日はすでに別の場所でのライヴ仕事が入ってしまっているので、10月18日にシスコのフィルモアで結成40周年を祝うコンサートをするという。
それから、こんな質問もした。……かつて、ドナルド・フェイゲンにスティーリー・ダンの音を規定する公式のようなものはありますかと聞いたら、<ファットなR&Bのリズムと、ジャズのハーモニー>と答えたんです。あなたたちの場合は、どう答えますか。それにカスティロは「ユニークな曲作り。クラシックで、ユニークなリズム隊。唯一無二のホーン・セクション。そして、高エネルギーと山ほどのエモーション」と返してくる。そしたら、クプカが「あとは、歌詞。どうでもいいものではなく、俺たちの歌詞にはクレヴァーさがあると思う」と付け加えた。
「16歳のときに見たザ・スパイダーズというバンドが凄く好きだった。ホーン・セクションとシンガーがいるバンドで、こういうのやりたいって思った。わざわざサクラメントまで彼らを見に行ったら、ストリップ小屋への出演で、すげえっ俺らもこういう所に出れたらなあなんて思ったな(笑い)。また、スライ・ストーンがまだレコードを出す前のライヴにもとても感化された。すごいエネルギッシュでね。で。その二つを合わせたことをやりたくて、バンドを始めたんだ。まさにそれがタワー・オブ・パワーの求めたところ。なんか、使命のように感じたな。タワー・オブ・パワーの最初のライヴはバークリー・コミュニティ・センターというところでやったんだけど、それはジミ・ヘンドリックスの前座だった。客入りの時にカーテンの前で演奏させられてね。マネイジャーが酷すぎるじゃないかと、(プロモーターの、ロック史に名を刻む大物の)ビル・グレアムに抗議したんだ。そしたら、埋め合わせするからとか言われて」
「俺はカレッジに2年ぐらい行って、ドロップアウトした。最初はオーボエをやってたけど、学校ではソウルを教えてくれないからね。それで、バリトン・サックスに持ち替えて、1年間ファンク・バンドのローディをやっていて、そんなときにエミリオ(カステイロ)に会った。ちょうどサックスがちゃんと吹けるようになってきたときで、彼に会ったのはラッキーだったな」(この発言のみ、クプカさん)。
「サンフランシスコはフラワー・ムーヴメントだヒッピーだと浮かれていたけど、隣のオークランドやバークレーはそれとは違う。で、とにかくソウルが盛んだった。でも、時代的に(シスコにある)フィルモアでやらないことにはどうにもならないから、髪をのばしヒッピーみたいな格好をしてやったりしたな。でも、僕たちが出来るのはソウルだけだったので、それを素直にやっていたけどね。ヒッピー/サイケが下火になり始めてきたとき、逆にライヴ・シーンでは俺たちがおもしろがられた。タイミング的に良かったと思うよ」
「ターニング・ポイントとなる事は沢山ある。ビル・グレアムとアーティスト契約をかわし、フィルモアで人気のバンドになれたとき。その後人気が上がったけど、パンク/ニュー・ウェイヴの時代になると恐竜みたいに思われて人気が下降しちゃったこと。それが、ヒューイ・ルイスとツアーをすることになり、また名前が出るようになったり(そのときは、ホーン・セクションの仕事だけが増えすぎて。さすがリズム・セクションとの関係が危うくなったという)、デイヴィッド・レターマン・ショウ(TV番組)でハウス・バンドをやったのもそうかな。俺たちはドラッグとかいろいろな問題を抱えたバンドだったが、80年代後期にそれを断ち切ったのは大きかった。それは音にも表れているんじゃないか。昔は薬や酒やパーティ好きをつとめてバンドに入れていたが、それ以後はクリーンな奴を入れるようになった(笑い)」
「ホーン・アレンジは最初のころは、その場でせえのでやっていた。グレッグ・アダムス(tp、02年にブルーノートからリーダー作をだしたりも)がいたころは、彼がアレンジャーとして素晴らしかった。今ならば、頼まれるとトラックをまず送ってもらう。で、アイデアがあったら教えてと尋ね、それを基にアレンジを考えてスタジオに行く。やはり、他の人の表現に絡むのは好きだな。宅録なんかも増えて需用は減ってきているけど、これからもいろいろとやっていきたいと思うよ」
「ホーン・セクション参加作でいいナと思えるのは(悩む様子もなくさらりと)、リンダ・ロンシュタットとアーロン・ネヴィルのデュエット「When Something Is Wrong with My Baby」(それが入っているのはリンダの89年作『クライ・ライク・ア・レインストーム』だが、カスティロらの名前は見当たらない。一方、ロンシュタット参加曲もある91年ネヴィル作『ウォーム・ユア・ハート』はタワー勢参加。なだけでなく、タワーを離れたグレッグ・アダムズが管音を仕切っている)。ヒューイ・ルイスの参加したものは全部。それと、エルトンの『カリブ』(74年)。あのアルバムで、タワー・オブ・パワー・ホーン・セクションは知られるようになったからね。あと、リトル・フィートとも複数やっているけど、英国でのライヴ盤『ウェイティング・フォー・コロンブス』(78年)はいいよね」
「(シンガーは声が豪快な人よりは、高音が通るしなやかタイプの人がタワーには起用される傾向があると思うけど、という問いに対し)。うん、そうなんだろうね。そりゃ、ホーン隊もいるしバンド音がパワフルだから、そこから浮かび上がれるタイプを選ぶわけさ。そうすると、高音のほうが突き抜けやすいから、そういう傾向になるんだと思う。パワーも大切だけどね。演奏者にしても、やはり誰でも入れるわけではない。そういうことを出来る人をちゃんと選ぶのさ。そして、グッドな人がグレイトな人になって出て行くわけで、タワー・オブ・パワーは学校みたいだな。こいつはいいぞと見込んで入れたら、使えなくてやめていった奴も何人かはいたなあ」
今、メンバーは各地に散っているという。カスティロはアリゾナ州(89年の地震後、奥さんがシスコをいやがって故郷に戻り、それについていったそう)、クプカはLAに住む。クプカは普段曲作りに励んでいて、昨年『Doc Goes Hollywood』というアルバムを自主制作した。それは瀟酒なストリングスなどもおごられた、とても端正でノスタルジックなMOR的ポップ盤。なんか、日本で出したがっている感じあったかな。5人の子持ちであるカスティロ(上の二人は前の奥さんとの子供。二番目の娘は音楽好きでユニバーサル・ミュージックに就職したそう。下の3人はまだ14、12、9歳とか)は、普段はとても信心深い生活を送っているようだ。
タワー・オブ・パワーの結成日は、8月13日だという。今年のその日はすでに別の場所でのライヴ仕事が入ってしまっているので、10月18日にシスコのフィルモアで結成40周年を祝うコンサートをするという。
それから、こんな質問もした。……かつて、ドナルド・フェイゲンにスティーリー・ダンの音を規定する公式のようなものはありますかと聞いたら、<ファットなR&Bのリズムと、ジャズのハーモニー>と答えたんです。あなたたちの場合は、どう答えますか。それにカスティロは「ユニークな曲作り。クラシックで、ユニークなリズム隊。唯一無二のホーン・セクション。そして、高エネルギーと山ほどのエモーション」と返してくる。そしたら、クプカが「あとは、歌詞。どうでもいいものではなく、俺たちの歌詞にはクレヴァーさがあると思う」と付け加えた。
ザ・コーティーナーズ
2008年5月20日 恵比寿・リキッドルーム。けっこう注目を浴びている、マンチェスター発の4人組ギター・バンド。遠目には、ルックスも悪くない感じね。フロントマンの尊大な発言が話題でもあるようだが、なるほどヴォーカル/ギターくんの浮き気味の存在感あってこそのバンドかな。終盤2曲は彼の電気ギター弾き語り。けっこう曲数はやったはずだが、曲の尺が短い(ギター・ソロの入る曲なし。それについては、大拍手を送りたい)ためもあり、50分ぐらいのパフォーマンス時間だったか。そのため、電車で帰っても、たっぷり飲む時間を確保できました。
フリクション
2008年5月21日 歌/ベースのRECKとドラムの中村達也(ともに、2005年4月26日)、二人によるパフォーマンス。筋金入りの日本のニュー・ウェイヴ愛好者には、フリクションという名前はそれだけでポっとさせる神通力を持つものか。R&Bファンにおけるオーティス・レディング、みたいな感じで……。
06年以降提示されている二人編成フリクションだが、まったく問題なし。違和感もまるでナシ。骨太なベース演奏と饒舌なタム多用のドラム演奏(中村はとても楽しそうに叩いていた)の噛み合い/対話はなかなか。音の不足はまったく感じさせない。その編成から来るダイレクトさは大アリ、ですね。RECKは声もよくでていた。べースはエフェクターをときに巧みに用い、低音ループ音を下敷きにギター的な音を加える場合も。大人の覇気ある、剛性感ある疾走ロック……。
渋谷・クラブクアトロ。5月一杯で閉まり、改築後8月中旬に営業再開するという。なんとか、飲み物アイテム/価格も見直され、まっとうにならんことを。クラブクアトロだけリフォームするのかと思ったら、クアトロ全館すべて閉めて化粧直しをするようだ。
06年以降提示されている二人編成フリクションだが、まったく問題なし。違和感もまるでナシ。骨太なベース演奏と饒舌なタム多用のドラム演奏(中村はとても楽しそうに叩いていた)の噛み合い/対話はなかなか。音の不足はまったく感じさせない。その編成から来るダイレクトさは大アリ、ですね。RECKは声もよくでていた。べースはエフェクターをときに巧みに用い、低音ループ音を下敷きにギター的な音を加える場合も。大人の覇気ある、剛性感ある疾走ロック……。
渋谷・クラブクアトロ。5月一杯で閉まり、改築後8月中旬に営業再開するという。なんとか、飲み物アイテム/価格も見直され、まっとうにならんことを。クラブクアトロだけリフォームするのかと思ったら、クアトロ全館すべて閉めて化粧直しをするようだ。
ファーマーズ・マーケット、OOIOO
2008年5月24日 青山・月見ル君想フ。まず、前座でOOIOO(2000年2月16日、2003年10月24日)。ヨシミ(2007年4月20日、他)がギターに持ち替えての女性バンドであるOOIOO。ハーモロディック(2006年3月27日参照)の断片をも感じさせる耳年増さと無邪気さを持ち合わせる表現を鋭意展開。ある種、構築美を感じさせる隙間が活きた立体感あるサウンドに原初的な手触りも持つ肉声が乗せられる。リズム隊けっこう、うまいなあ。
そして、ノルウェーの馬鹿テク変てこバンドのファーマーズ・マーケット(2001年6月16日)。ギター、笛、アコーディオン、ラップ・スティールのスティアン・カシュテンセン(前見たときはこんなに楽器を持ち替えてないはず)を中心に、歌もいけるギター、サックス、電気ベース、ドラムという布陣。で、朝飯前的にフランク・ザッパもびっくりの仕掛けありまくりの変拍子演奏を繰り広げていくのだが、おおこんなに彼らってプログレぽかったけか。ちょい、ぼくは退く。なんか、プログレ的作り込み感たっぷりアレンジとか単音によるギター・ソロが年々苦手になっているんだよな。が、途中から酔狂さと不埒さと自由さとバカバカしさと混沌さと諧謔度数とエンターテインメント性なんかが倍加しちゃうとともに、まっとうな歌心が増していって、うぉーって感じでどんどん引き込まれてしまう。スティーヴィー・ワンダー曲メドレーはラヴリーだし、いろんな音楽語彙の自在の折衷具合には口あんぐりとともに、超うれしくなる。あっぱれあっぱれ。興奮、お酒もぐびぐび。エスノ要素取り込みの様は、この夏にやってくるバルカン・ビート・ボックス(2007年10月25日。両者はフリー・ジャズ経験者がいるのが重なる。蛇足だが、最近はシェウン・クティの制作をしているワールド・ミュージック系のVIPプロデューサーであるマルタン・メソニエも元々はそっちのほうのプロモーターをフランスでしていた)と少し重なるところもありますね。
そのあと、ご機嫌で流れ流れて、偶然が重なって15年前に一緒のサッカー・チームにいた奴がやっているバーに行く。オマエもかあ。知り合いのバー関与比率、近年高くなっているなー。
そして、ノルウェーの馬鹿テク変てこバンドのファーマーズ・マーケット(2001年6月16日)。ギター、笛、アコーディオン、ラップ・スティールのスティアン・カシュテンセン(前見たときはこんなに楽器を持ち替えてないはず)を中心に、歌もいけるギター、サックス、電気ベース、ドラムという布陣。で、朝飯前的にフランク・ザッパもびっくりの仕掛けありまくりの変拍子演奏を繰り広げていくのだが、おおこんなに彼らってプログレぽかったけか。ちょい、ぼくは退く。なんか、プログレ的作り込み感たっぷりアレンジとか単音によるギター・ソロが年々苦手になっているんだよな。が、途中から酔狂さと不埒さと自由さとバカバカしさと混沌さと諧謔度数とエンターテインメント性なんかが倍加しちゃうとともに、まっとうな歌心が増していって、うぉーって感じでどんどん引き込まれてしまう。スティーヴィー・ワンダー曲メドレーはラヴリーだし、いろんな音楽語彙の自在の折衷具合には口あんぐりとともに、超うれしくなる。あっぱれあっぱれ。興奮、お酒もぐびぐび。エスノ要素取り込みの様は、この夏にやってくるバルカン・ビート・ボックス(2007年10月25日。両者はフリー・ジャズ経験者がいるのが重なる。蛇足だが、最近はシェウン・クティの制作をしているワールド・ミュージック系のVIPプロデューサーであるマルタン・メソニエも元々はそっちのほうのプロモーターをフランスでしていた)と少し重なるところもありますね。
そのあと、ご機嫌で流れ流れて、偶然が重なって15年前に一緒のサッカー・チームにいた奴がやっているバーに行く。オマエもかあ。知り合いのバー関与比率、近年高くなっているなー。
アッシュ・グランワルド、サリタ
2008年5月26日 横浜・サムズアップ(横浜駅西口は滅多に行かないぼくには分かりにくく、なんか梅田駅を歩いているような気分になる)。お店に入ると、日本人のスリー・ピースのバンドがジミ・ヘンドリックスの一様式と開放型ジャム・バンドの一パターンをつないだような事をやっている。凡庸。つづいて登場したサリタはオーストラリアの女性シンガー・ソングライター。生ギターの弾き語りにてのパフォーマンス。小粒でどうってことないが、かわいらしい。韓国の血が入っているとか。一番良かったのは、足踏み音とともにアカペラで歌った最後の曲。トリのグランワルド(2007年10月21日、他)は威風堂々、自力が違う。地に足をつけてどかどか突き進み、ときにぐいーんと飛翔する……。そんな感覚を持つ、一人オルタナ・ブルース表現をがっつり展開。スライド・バーを用いるオープン・チューニングのドブロは2曲目で第三弦を切る。が、そんなのへっちゃらね。彼はフット・ストンプ(→機材経由)で巧みにビート音を出すが、左足でバスドラ系音、右足でハイ・ハット系音を出す。次のスタジオ作はヒップホップのプロデューサーを起用して、もっと弾けているそう。