朝、起きてTVをつけたら、なせかNHK衛星第2チャンネル 。で、将棋(ぼく、一切ルールを知りません。もちろん、やったこともない。まあ麻雀も似たようなものだが。チェスもできないし、そういうの一般ワタシは弱い)大会の実況番組を朝っぱらからやっている。何も考えずそのまま流し新聞に目を通していたのだが。番組で解説だか大会の展望だかを語った人を、男性アナが「毎日新聞の○○さんです」と落ち着いて紹介……と、思ったらすぐに、「朝日新聞の○○さんでした」という訂正を入れる。うわーすげえ。現場の人、顔面蒼白だろうなー。そんな顛末に触れてなんか世の中いろんなことあらーなという気になり、仕事はたまっているのだが、ホイっと気分転換強制仕事排除日ということにしちゃう。でも、急に平日あそんでくれる人も見つからず、ハンドルを握る気にもあまりなれず、昼一から試写を3つハシゴ。ちょうど興味ひかれるものが同じ日のうまい感じの時間帯で並んでたりして、これは試写デイにしなさいと“世の掟の主”がTV放送を介して示唆してくれたのだと思うことにする。

 京橋・テアトル試写室で、音楽ものを撮ってきたという48年仏人ジェローム・ラベルザ監督による06年フランス映画「MADE IN JAMAICA」。タイトルにあるように、全ジャマイカ・ロケ作で、バーニー・ウェイラー、グレゴリー・アイザックス、トゥーツ・ヒバート、レディ・ソウ、アレーン他レゲエの担い手が山ほど登場(ゆえに、ビクターから出るサントラは2枚組だ)。で、いろんなシチュエイションのライヴ映像(けっこう、映画のためにやってもらったものもあるはず)やインタヴューが噛みあわされる。で、レゲエを生んだジャマイカという国が抱えた特色や問題やレゲエのいろんなヴァリエーションがランダムに紹介されるわけだ。そんなドキュメンタリー映画を見ながら、いまだジャマイカは結婚する人が少なく、子供が出来ると男はとんずらし女性側が私生児として育てることが多いという状況が続いているのかなと思ったら、後半やはりそういう内容の発言が出る。そういえば、かつてラヴァーズ・ロック歌手のJ.C.ロッジにそのことを尋ねたら(彼女はプロデューサーの旦那がフェミニストで結婚している)、「(それはアフリカの慣習だから)、ジャマイカがアフリカに近いからじゃない」、なぞとさらりと答えたことがあった。あと、昔ジャマイカに行ったとき、たかりばっかりで(外からやってきて足を踏み込んだ時点で、それは覚悟しなくてはならない)笑っちゃったのを思い出す。

 次は、六本木・アスミック・エース試写室で、07年ブラジル映画の「シティ・オブ・メン」。有名ブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」(02年)のプロデューサーが企画した映画で、リオのファヴェーラのギャングの抗争模様を介しつつ、そこに育った18歳の二人の青年の友情や恋愛/家族問題を描いている。劇中、二人の主人公のもっと若いころのやり取りをおさえた映像が何度も出てきてアレレ。で、あとで資料を見たら、映画「シティ・オブ・ゴッド」公開後、同様スタッフによるTV版「シティ・オブ・ゴッド」が作られ、それは大人気となり4シーズン続けられ(02〜05年)、この「シティ・オブ・メン」はそのTV「シティ・オブ・ゴッド」の完結編にあたるものなんだそう。で、二人の若造君(ともに、88年生まれの役者さん)はTVのほうからの続きの出演なわけですね。へーえ。監督のパウロ・モレッリ(56年生まれ)もTV版から関与している人だという。あらすじを事前に読んでいなかったら筋をちゃんと追えたかなという危惧を少し感じた(瞬時の理解力や顔を覚える能力が落ちてきているところもあるな、グスン)が、それはTV版を見てないせいもあるかもしれない。なんにせよ、いろいろ脚色を経てのものではあろうが、やはりその光景はいろいろと興味深い。純音楽面では、それほど耳はひかないという感じもあるかな。

 また、京橋にもどって映画美学校の第一試写室にて、08年仏日韓映画「TOKYO!」。フランス人ミシェル・ゴンドリー(63年生まれ。バンド・マン上がりで、ビョークの「ヒューマン・ビヘイヴィアー」のクリップ撮ったのは彼)、フランス人レオス・カラックス(1960年生まれ)、韓国人ポン・ジュノ(68年生まれ)という信奉者も多いだろう気鋭外国人監督が東京をテーマにし東京で撮影した30〜40分の作品を合わせたもの。カラックス以外は、役者/スタッフを全面的に(音楽は除く。エンドロールに流れる曲はHASYMO、旧YMOの3人による)日本人起用している。見る前には、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」ノリのものを想像していたがかなり違う。東京の光景を最大限に組み込むというよりは、各監督が持つ東京のイメージから醸造された寓話のようなものが、それぞれのお手並みで作られているから。東京はあくまで触媒、という言い方もできるかな。三者とも20日ぐらいで全撮影をこなしているようで、東京の材料を様々な角度から活かしまくるわけにはいかないという時間的な理由もあるのだろうが、なるほど。三本ともそういう見方や発想があるのかと思えるところとやはり違和感も覚えるところ(それは、ヴァンダースの「夢の涯までも」やアレハンドロ・イニャリトゥの「パベル」の東京編もぼくは同様でしたね)があるが、それは身近な環境がネタになっているからこそ(けっこう、ロケ地は分かるものなあ。でも、スタジオ・セットで済むような場面もそれぞれ多い)。同様の事をジャマイカに住む人が見たら、外の人が撮った「MADE IN JAMAICA」に感じる人もいるだろう。そーゆーもんだ。ともあれ、製作ノートを見るとなかなか面白く、外国人監督と日本人スタッフの折り合いがこの映画の肝なんではないか。まあ、そんなの映画を見る者には関係のないことではあるけど。