ザ・ジョン・バトラー・トリオ。RADウィズ・フレッド・ウェズリー
2008年4月1日 まず、渋谷・クラブクアトロでザ・ジョン・バトラー・トリオを見る。アーシーな味を持つ、オーガニック系のオージー・バンド。盛況、タバコの煙がけむい。いろんなギターを持ち、しなやか軽妙なルーツ系表現を聞かせる。歌は軽目だし、スライド・バーも用いるギター技量だって超絶まではいかないものだが、ヴァリエイションに富んだそれは妙に両手を広げた感じもあり、気もちいい。勘所をつかんでいることやっているナと、実演に触れるとよりそのことを痛感しますね。被災後のニューオーリンズの事を歌った「ガヴァメント・ディド・ナッシング」のときだけ簡単ながら曲背景を語る。いい奴。中盤、エフェクターを駆使した生ギター・ソロで客をわかせたりも。ベース奏者はウッド・ベースと5弦エレクトリックを併用。リズム隊は適切にコーラスを取ったりして、なるほどバンド名を名乗るのにも納得かな。楽しく身体も揺らせたし、納得のパフォーマンス。本編最後までを見て、移動する。
丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)。ベイ・エリアのジャジー・ファンク才女RAD(2007年9月6日)の強者揃いバンドに、フレッド・ウェズリー(1999年10月25日、2002年11月19日、2007年2月2日、2007年2月4日、2007年4月18日、2007年9月13日)がゲスト入りという出し物。梅雨時にもまた彼は日本に来るみたいでここのところの来日の頻繁さはすごいな。居住するアラバマ州のモービルからだと、乗り継ぎもあっていろいろと大変だろうに。RAD がキーボードを弾く中、バックアップ陣が一人づつ出てきて、バンド演奏になる。けっこう、前回と構成/内容を変えてますね。感心かんしん。ウェズリーをフィーチャーした曲も2曲。だが、他の曲のときでも、彼はもう一人のサックス奏者とご機嫌なセクション音を入れたりする。だが、やっぱり、つまるところはRADの才の迸り具合。ルックスが前回見た時よりも綺麗になったような気がしたのは気のせいか。
丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)。ベイ・エリアのジャジー・ファンク才女RAD(2007年9月6日)の強者揃いバンドに、フレッド・ウェズリー(1999年10月25日、2002年11月19日、2007年2月2日、2007年2月4日、2007年4月18日、2007年9月13日)がゲスト入りという出し物。梅雨時にもまた彼は日本に来るみたいでここのところの来日の頻繁さはすごいな。居住するアラバマ州のモービルからだと、乗り継ぎもあっていろいろと大変だろうに。RAD がキーボードを弾く中、バックアップ陣が一人づつ出てきて、バンド演奏になる。けっこう、前回と構成/内容を変えてますね。感心かんしん。ウェズリーをフィーチャーした曲も2曲。だが、他の曲のときでも、彼はもう一人のサックス奏者とご機嫌なセクション音を入れたりする。だが、やっぱり、つまるところはRADの才の迸り具合。ルックスが前回見た時よりも綺麗になったような気がしたのは気のせいか。
もりだくさんな日。渋谷でランチ・ミーティング1本。即家にもどり3時間弱で複数原稿2000字をこさえ、日が暮れたら有楽町で渡しものをし、さらにA)丸の内のコットンクラブへ。出演者は米国人若手ジャズ歌手のティファニー。途中まで見て、南下しB)渋谷のタワーレコードに行って、アルゼンチンのシンガー・ソングライターのフローレンシア・ルイスのインストアの小ライヴ。続いて、C)渋谷・クラブクアトロで英語のなまりがきつすぎなエドガー・ジョーンズを途中から見る。そのあと、店を3軒はしご。その先々でいろんな人とも会い、もー目が回りそう。でも帰宅は意外に早く、3時前には家でシャワーを浴びていた。
A)はMCでは日本語もちりばめていて、日本に住んでいるのかな。ピアノ・トリオ+テナー・サックスと絡み、べースはこの3月28日のライヴでも弾いていた井上陽介。サックスとドラムはアフリカ系の人で、ジミー・スミスという名前(有名故人とは綴りが違う)のドラマーのメロディアスにボトムを固める演奏は素晴らしい。それに比して、テナー君のほうは見た目はいいんだが演奏は雑かつええ格好しいでダメ。なんで彼を雇うのと、?印が頭のなかに。緑色の綺麗なドレスを来たティファニーは初々しさを持つもののの、スタンダードをときにスキャットなんかも交えて鷹揚に歌って行く、旧式というか、王道のジャズ・ヴォーカル路線にいる人。ぼくがマジで聞こうとするならそこに+αを求めるが、お酒片手に寛ぎのお供として聞くならそれでいいか。
B)はファナ・モリーナ(2002年9月7日、2002 年9月15日、2003年7月29日)の系譜にあるような、と書いても問題はないよな。変わった形をした電気ギターをつま弾きながら(その仕方、少し個性あり)歌うのだが、確かに確固とした世界を持ち、うれしい手触りを持つ。すうっと、タワーの中の空気を震わせたり、潤わせたり。ちゃんと、自分の個を見据えて、それを効果的に出せる人。少しの時間のパフォーマンスだったけど、ほんといい感じだったな。普段、音楽をやりつつ本国では保母さんをしているらしく、休みをとっての滞日らしい。彼女は日曜夜に、飯田橋の日仏学院のイヴェントにも出演するとか。
C)の2006年(11月27日)に続くジョーンズ一派の来日公演は、ドラマー以外は前回と同じ顔ぶれにて。前回よりも腰の強い曲をやっていて、より真心ありのパンキッシュなR&Bという内実はこく出ていたかな。会場には、15年前に彼が率いたザ・スティアーズを編成したディレクターの姿も。でも、愛とガッツを持つジョーンズに触れると、それもありそうな事と思えます。終演後、クアトロの建物の階段にはサインをもらう人の列が延々。真心の人、ジョーンズは彼らににっこり応対したようだ。それから、後から彼らが打ち上げをやっている所に合流したんだけど、そしたら、すぐにベース奏者が“エースケだよね”と話かけてきてびっくり。すげえ、記憶力。前に来たとき少しお話したけど、ぼくは彼の名前も顔も忘れていた。その際に横にいた女の子の名前も覚えていたりして、ポール君(彼はマンチェスター在住ながら、子供のころからのリヴァプールのファンだ)はすごすぎ。とかなんとか、一から十まで感動的なところがある英国人たち、それがエドガー・ジョーンズ&ザ・ジョーンゼズなり。
A)はMCでは日本語もちりばめていて、日本に住んでいるのかな。ピアノ・トリオ+テナー・サックスと絡み、べースはこの3月28日のライヴでも弾いていた井上陽介。サックスとドラムはアフリカ系の人で、ジミー・スミスという名前(有名故人とは綴りが違う)のドラマーのメロディアスにボトムを固める演奏は素晴らしい。それに比して、テナー君のほうは見た目はいいんだが演奏は雑かつええ格好しいでダメ。なんで彼を雇うのと、?印が頭のなかに。緑色の綺麗なドレスを来たティファニーは初々しさを持つもののの、スタンダードをときにスキャットなんかも交えて鷹揚に歌って行く、旧式というか、王道のジャズ・ヴォーカル路線にいる人。ぼくがマジで聞こうとするならそこに+αを求めるが、お酒片手に寛ぎのお供として聞くならそれでいいか。
B)はファナ・モリーナ(2002年9月7日、2002 年9月15日、2003年7月29日)の系譜にあるような、と書いても問題はないよな。変わった形をした電気ギターをつま弾きながら(その仕方、少し個性あり)歌うのだが、確かに確固とした世界を持ち、うれしい手触りを持つ。すうっと、タワーの中の空気を震わせたり、潤わせたり。ちゃんと、自分の個を見据えて、それを効果的に出せる人。少しの時間のパフォーマンスだったけど、ほんといい感じだったな。普段、音楽をやりつつ本国では保母さんをしているらしく、休みをとっての滞日らしい。彼女は日曜夜に、飯田橋の日仏学院のイヴェントにも出演するとか。
C)の2006年(11月27日)に続くジョーンズ一派の来日公演は、ドラマー以外は前回と同じ顔ぶれにて。前回よりも腰の強い曲をやっていて、より真心ありのパンキッシュなR&Bという内実はこく出ていたかな。会場には、15年前に彼が率いたザ・スティアーズを編成したディレクターの姿も。でも、愛とガッツを持つジョーンズに触れると、それもありそうな事と思えます。終演後、クアトロの建物の階段にはサインをもらう人の列が延々。真心の人、ジョーンズは彼らににっこり応対したようだ。それから、後から彼らが打ち上げをやっている所に合流したんだけど、そしたら、すぐにベース奏者が“エースケだよね”と話かけてきてびっくり。すげえ、記憶力。前に来たとき少しお話したけど、ぼくは彼の名前も顔も忘れていた。その際に横にいた女の子の名前も覚えていたりして、ポール君(彼はマンチェスター在住ながら、子供のころからのリヴァプールのファンだ)はすごすぎ。とかなんとか、一から十まで感動的なところがある英国人たち、それがエドガー・ジョーンズ&ザ・ジョーンゼズなり。
H ZETT Mとは、PE’Zのキーボード奏者であるヒイズミマサユ機の個人活動名。渋谷・アックス。基本、彼はピアノを弾き、ときに歌う。歌はCDを聞いてもすぐに分かるがヘタだ。でも、彼は正々堂々、けっこうでかい声で噛ます。サポートはギター二人、ベース、ドラム(メタルチックス;2006 年6月22日の女性)、DJという布陣。かなり、出音はデカく、しっかりしたサポート也。H ZETT Mはピエロのようなメイクで黒基調の格好をしている(架空の、不思議の国の音楽家を模しているという感じもあるか)が、それはサポート陣も同じ。で、音楽的には甘いポップ・メロディを綴るピアノ・マン的表現からすらすらジャジーなソロをとったり、オルタナ調ロックになってみたり、クラブ・ミュージック的な表情を求めたりと変幻自在。その様は玉手箱というか、玩具箱をひっくり返した感じと言うのが適切かな。面白い。何をやっても鍵盤を弾くのが大好きなボクに集約するという感覚があって、それによりビリー・プレストンやバーニー・ウォレルのことを少し思い浮かべたりも。うわあ、それ、ぼくにとっちゃ凄い褒め言葉だ。最後にヒロと紹介されていたジャジーな歌い方をする若いシンガー(下町兄弟が関与した、元アイドルだった人だろうか)とヴァイオリン奏者も加わる。ときにするMCは取材時の無口ぶりが嘘のよう、やはり別なスイッチが入るんだろうな。また、PE’Zのときは鍵盤のミスタッチが気になるときもあったが、この日はそんなことなかったので、あれは意図的にやっているのか?? MCによれば、このH ZETT Mというコンセプトはこれにて終了とのこと。次は別のキャラクターを持ってくるのか、自分の名前を出したものになるかは知らないが、機会が許せばまた見てみたいな。
つづいて、南青山・ブルーノート東京に(セカンド・ショウ)。05年に見た最良のサックス奏者(2005年5月11日)と昨年見た最良のピアニスト(2007年1月16日、1月17日)が一緒にやる出し物なんだから、そりゃ悪いはずがない。ドラムはチャールズ・ロイドのバンドのレギュラーをつとめ、ロバート・グラスパーの昨年公演でも叩いていたエリック・ハーランド(2005年5月11日、2007年10月3日)。ロイドの今年出た70歳の誕生日を祝うことを兼ねているらしい新作『ラボ・デ・ヌーベ』(ECM)はその3人にベース奏者を加えたカルテットで録られている。今回、なぜベースレスになったかは知らぬが、まあ選曲にもよるのだろうが、思索的な感じがかなり減じ、もっと線が太いものになっていてぼくはベースレスのほうがいい、新作よりこの晩のパフォーマンスのほうが好みと感じた。
演奏の内容は、これぞジャズ。なんの実のある説明になっていないが、大人の冒険がしかとなされていて、やはりいい感じだったな。1曲ではテナーではなく、アルト・フルートを吹いていた。ところで、そんなロイドは、相当な変わり者。60年代後期、ジャズ界の輝けるスターだった(そのころの、ワーキング・カルテットはキース・ジャレット,セシル・マクビー、ジャック・ディジョネットという面々!)にも関わらず突如ジャズ界から飛び出し、ニューエイジな隠居おやじとしての生活を悠々実践、そのころはネッド・ドヒニーやビーチ・ボーイズの面々らロック・ミュージシャンとちんたら交流を持ったというキャリアを彼は持っている。そして、82年に彼はジャズ界に戻り、また堂々のジャズマン像を見せているわけだ。と、そんな経歴を書いたのは、なんとアンコール曲がその時代を少し彷彿させるものだったから。彼はモランとともにピアノの前に座り、ときにピアノをつま弾きながら、延々と詩の朗読のようなものを空でやりはじめたのだ。出だしは、ハレ・クリシュナから始まっていたような。で、ピースとかラヴとかいう、単語がそれには入る。そのとき、ハーランドはお経のような低音ヴォイスを効果音のようにつけていてた。うひゃあああ。わはははは。
つづいて、南青山・ブルーノート東京に(セカンド・ショウ)。05年に見た最良のサックス奏者(2005年5月11日)と昨年見た最良のピアニスト(2007年1月16日、1月17日)が一緒にやる出し物なんだから、そりゃ悪いはずがない。ドラムはチャールズ・ロイドのバンドのレギュラーをつとめ、ロバート・グラスパーの昨年公演でも叩いていたエリック・ハーランド(2005年5月11日、2007年10月3日)。ロイドの今年出た70歳の誕生日を祝うことを兼ねているらしい新作『ラボ・デ・ヌーベ』(ECM)はその3人にベース奏者を加えたカルテットで録られている。今回、なぜベースレスになったかは知らぬが、まあ選曲にもよるのだろうが、思索的な感じがかなり減じ、もっと線が太いものになっていてぼくはベースレスのほうがいい、新作よりこの晩のパフォーマンスのほうが好みと感じた。
演奏の内容は、これぞジャズ。なんの実のある説明になっていないが、大人の冒険がしかとなされていて、やはりいい感じだったな。1曲ではテナーではなく、アルト・フルートを吹いていた。ところで、そんなロイドは、相当な変わり者。60年代後期、ジャズ界の輝けるスターだった(そのころの、ワーキング・カルテットはキース・ジャレット,セシル・マクビー、ジャック・ディジョネットという面々!)にも関わらず突如ジャズ界から飛び出し、ニューエイジな隠居おやじとしての生活を悠々実践、そのころはネッド・ドヒニーやビーチ・ボーイズの面々らロック・ミュージシャンとちんたら交流を持ったというキャリアを彼は持っている。そして、82年に彼はジャズ界に戻り、また堂々のジャズマン像を見せているわけだ。と、そんな経歴を書いたのは、なんとアンコール曲がその時代を少し彷彿させるものだったから。彼はモランとともにピアノの前に座り、ときにピアノをつま弾きながら、延々と詩の朗読のようなものを空でやりはじめたのだ。出だしは、ハレ・クリシュナから始まっていたような。で、ピースとかラヴとかいう、単語がそれには入る。そのとき、ハーランドはお経のような低音ヴォイスを効果音のようにつけていてた。うひゃあああ。わはははは。
トッド・ラングレン
2008年4月7日 ラングレンはぼくの特別銘柄アーティストだった(大切な音楽家10指に入ったはず)が、2002年来日時のプロにあるまじき受け手をなめた大醜態(2002年9月19日、9月28日)に触れ、ぼくは彼を見限った。でも、あれからだいぶ時間もたったし、今回はバンドでのライヴだしい……ということで、見に行っちゃいました。やっぱし、ぼく彼の大ファンなんだよー。他に過去、彼の来日模様に触れているのはザ・フーの故ジョン・エイントウィッスルらとザ・ビートルズ曲をやりに来日した2001年11月9日の項。
六本木・ビルボートライブ東京、ファースト・ショウ。さすが、いまだファンは少なくないようで、ぼくがこれまでここに来たなかで一番混んでいた。ギターを弾きながら歌うラングレンに加え、ギター、ベース(ユートピア時代からの仲良し、カシム・サルトン。ユートピアの曲もやったのかな?)、ドラムという布陣にて。今回のライヴにおいてトッドは鍵盤に見向きもせず(っていうか、置いていない)ギターだけを触ったことに表れているように、内容はオールド・ウェイヴなハード目ギター・ロックで統一。やった甘めの人気曲は「アイ・ソウ・ザ・ライト」ぐらいだったか。まあ、歌声とギターには目一杯触れることは出来るものであり、バンド音も悪くはないし、多少は飲んでいたかもしれないがちゃんとしたパフォーマンスを繰り広げたトッド御大でした。しかし、パフォーマンスに触れながら、72年作『サムシング・エニシング』(これが一番好き、というか、今となってはコレさえあればいいという感じかな)の曲だけをやる実演とかあったら失禁ものだろうなとも思ったワタシ。触れてみた〜い。今の彼には前を向いたところがないだけに、やはりぼくも後ろ向きなことを考えてしまう。ま、ラングレンにはそれが許されるとんでもない財産がありますからね。
90年代前半(PC関連テクノロジー活用に一番ご執心だったころ)に複数回ラングレンにはインタヴューした事があって、当時すでに音楽的にはつまらなくなってはいたけど、新しい事をやりたいという意欲には美しいぐらい燃えていて、さすがだあと感激させられたっけ。「マイケル・ジャクソンはキング・オブ・ポップと呼ばれているが、冗談じゃない。彼はあれだけ売れてやりたいことをやれる力を持っているのに、どうして新しい事をしようとしないんだ。そういう点で僕が評価できるのはU2だけだ」、なーんてことも、ラングレンは語っていたっけ。そして、新しい事に邁進していきたい彼は「僕は世代的にポップ・ミュージックは3分間という価値観で育った人間だから……」とポップ音楽の革新に対するビミョーな気持ちを吐露してもいたんだよな。二年前、カシム・サルトンとともにリック・オケイセク抜きのエリオット・イーストン主体の再結成ザ・カーズ(ザ・ニュー・カーズという名義だった)のツアーに加わったラングレンでもあるが、今は後ろ向きで楽しく音楽ができればそれでOKって感じなのだと思う。ともあれ、やっぱし愛すべき変人なんだろうなーと、ステージに触れて感じちゃうところは多々。それは、昔から変わりませんね。
蛇足。トッド・ラングレンと言えば、NY在住ジャズ・ピアニストの山中千尋が飛躍作『アビス』を昨年出したときに、今トッド・ラングレン・モードで彼の持つ世界をジャズでやろうとしたらこうなった、みたいな言い方をしていたな。トッド、あなたの蒔いた種はいまだ、いろんなところで咲いているんだからネ。
六本木・ビルボートライブ東京、ファースト・ショウ。さすが、いまだファンは少なくないようで、ぼくがこれまでここに来たなかで一番混んでいた。ギターを弾きながら歌うラングレンに加え、ギター、ベース(ユートピア時代からの仲良し、カシム・サルトン。ユートピアの曲もやったのかな?)、ドラムという布陣にて。今回のライヴにおいてトッドは鍵盤に見向きもせず(っていうか、置いていない)ギターだけを触ったことに表れているように、内容はオールド・ウェイヴなハード目ギター・ロックで統一。やった甘めの人気曲は「アイ・ソウ・ザ・ライト」ぐらいだったか。まあ、歌声とギターには目一杯触れることは出来るものであり、バンド音も悪くはないし、多少は飲んでいたかもしれないがちゃんとしたパフォーマンスを繰り広げたトッド御大でした。しかし、パフォーマンスに触れながら、72年作『サムシング・エニシング』(これが一番好き、というか、今となってはコレさえあればいいという感じかな)の曲だけをやる実演とかあったら失禁ものだろうなとも思ったワタシ。触れてみた〜い。今の彼には前を向いたところがないだけに、やはりぼくも後ろ向きなことを考えてしまう。ま、ラングレンにはそれが許されるとんでもない財産がありますからね。
90年代前半(PC関連テクノロジー活用に一番ご執心だったころ)に複数回ラングレンにはインタヴューした事があって、当時すでに音楽的にはつまらなくなってはいたけど、新しい事をやりたいという意欲には美しいぐらい燃えていて、さすがだあと感激させられたっけ。「マイケル・ジャクソンはキング・オブ・ポップと呼ばれているが、冗談じゃない。彼はあれだけ売れてやりたいことをやれる力を持っているのに、どうして新しい事をしようとしないんだ。そういう点で僕が評価できるのはU2だけだ」、なーんてことも、ラングレンは語っていたっけ。そして、新しい事に邁進していきたい彼は「僕は世代的にポップ・ミュージックは3分間という価値観で育った人間だから……」とポップ音楽の革新に対するビミョーな気持ちを吐露してもいたんだよな。二年前、カシム・サルトンとともにリック・オケイセク抜きのエリオット・イーストン主体の再結成ザ・カーズ(ザ・ニュー・カーズという名義だった)のツアーに加わったラングレンでもあるが、今は後ろ向きで楽しく音楽ができればそれでOKって感じなのだと思う。ともあれ、やっぱし愛すべき変人なんだろうなーと、ステージに触れて感じちゃうところは多々。それは、昔から変わりませんね。
蛇足。トッド・ラングレンと言えば、NY在住ジャズ・ピアニストの山中千尋が飛躍作『アビス』を昨年出したときに、今トッド・ラングレン・モードで彼の持つ世界をジャズでやろうとしたらこうなった、みたいな言い方をしていたな。トッド、あなたの蒔いた種はいまだ、いろんなところで咲いているんだからネ。
アトランティック・スター
2008年4月15日 さわやかな日。まだ湿度も低く、こういう日が1年の半分を占めたらうれしいのに。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。NYのヴェテラン・ソウル・グループ(といっても、オリジナル・メンバーはルイス兄弟だけなので、おやじバンドっぽくない)、2年ぶり来日公演だ。前回はまず観客の反応に驚かされるとともに感激もさせられた(2006年4月25日)が、この回はそれから比べるとけっこうおとなし気味だったナ。やっぱり、日によってそういうことはばらつきがあるのだと思う。そして、それはパフォーマンスも同様か。リードを取ったりハモったりする女性1/男性2の3人の赤と黒基調の格好をしたシンガー陣、キーボード2、ギター、ベース、ドラムという布陣は前回と同様ながら、今回のほうが濃いように思えた。ぼくは実演だけなら、今回のほうがうれしく感じたな。後半、メンバー紹介を兼ねて、プレイヤー陣が短めにソロを披露したりもしたが、ギター(そのとき付けたお茶目な電飾メガネ、素敵でした)、ベース、ドラムはなかなか確か。で、ついでに出身地を紹介するのだが、みんなNYとワシントンDCの間のイースト・コースト出身のようでへえ。普通はもう少し、出身地が散るものだが。洗練されてたりメロディアスさを持ていたりする(デュエットぽい仕立ての曲も少なくいない)その音楽性はそれほどイーストコーストぽいとは思わないけど、ルイス兄弟はそういう属性でまとめることに留意しているのか。ま、都会的な何かをしっかりと孕むグループであることは間違いありません。
ブルーマン・グループ
2008年4月17日 六本木・インボイス劇場。テレビ朝日の交差点を挟んだところが入り口で、その奥のほうにこの出し物専用の劇場が作られている。もともとは何があったところなのか。工務店の冠がついていて、会場のつくりはしっかり、椅子もそれなりに座り心地はいい。興行期間は長いようで、当分先まで続くようだ。
89年NYのストリートで結成された3人組のパフォーマンス集団。その後、評判をとりオフ・ブロードウェイに進出(02年にそこで見た人の話によれば、半分ぐらいの出し物が今も受け継がれているそう)、さらには国内外の大都市長期公演をいろいろやっているようだ。昨年、サマソニ(2007年8月11日)にも出たらしいがどんな感じでやったのだろうか。主役の3人は青いぴったりマスクをかぶっていて匿名性はたっぷり。だからこそ、いろんな場所でできるんだろうとも思うし、東京にも予備の人も来ているのかもしれない。
ハイテクとローテクとアイデアとスキルをいろいろと集め、それらをウィットとナンセンスさでもって整理したような出し物。妙な人間くささを出す3人がいて、人間力の面白さやアイデアの豊富さや感情の多様さをさらりと示唆するような全100分のショウが繰り広げられる。基本は無声で、情報はモニターなどで流される場合(もちろん、日本語で)もある。とにかく、いろんな部分でアメリカの出し物だなと思えるところは多々。のっけから食べ物ネタでせまるが、日本だったら食べ物を粗末にするなという声も出てきそうか。また、ロック小ネタもいくつか。それから、客いじりもかなり行い、それもたいそうアメリカ的と思わせる。半分ぐらいは音楽を重要伴奏(デジタル・ビート主体のそれはだいぶ前に日本でもCD発売されたことがあった)として用い、ときに4人の生バンド(日本人の小僧くんたち)のシルエットも映し出されるが、それらはプリセットの音が使われているのかもしれない。
客席には学生服を来た一団が。修学旅行の一環でのものか。場所や設定も含めて、彼らさぞやドキドキできたことと思う。基本、ぼくはそういう学校行事を斜に構えて接していた奴だったナ(別にそのことをなんら後悔することもないが)と、大昔のことを思い出す。中学校の修学旅行は転校したばかりでいまいちで、高校のときは体調不調だったっけなー。でも、写真は楽しそうな顔して映っていたかもしれない。生徒を受け入れているように、子供が見ても大丈夫なものとしてこの出し物は作られているが、18禁の不埒な大人ネタでせまるようなやつを彼らはやらないのかな。
89年NYのストリートで結成された3人組のパフォーマンス集団。その後、評判をとりオフ・ブロードウェイに進出(02年にそこで見た人の話によれば、半分ぐらいの出し物が今も受け継がれているそう)、さらには国内外の大都市長期公演をいろいろやっているようだ。昨年、サマソニ(2007年8月11日)にも出たらしいがどんな感じでやったのだろうか。主役の3人は青いぴったりマスクをかぶっていて匿名性はたっぷり。だからこそ、いろんな場所でできるんだろうとも思うし、東京にも予備の人も来ているのかもしれない。
ハイテクとローテクとアイデアとスキルをいろいろと集め、それらをウィットとナンセンスさでもって整理したような出し物。妙な人間くささを出す3人がいて、人間力の面白さやアイデアの豊富さや感情の多様さをさらりと示唆するような全100分のショウが繰り広げられる。基本は無声で、情報はモニターなどで流される場合(もちろん、日本語で)もある。とにかく、いろんな部分でアメリカの出し物だなと思えるところは多々。のっけから食べ物ネタでせまるが、日本だったら食べ物を粗末にするなという声も出てきそうか。また、ロック小ネタもいくつか。それから、客いじりもかなり行い、それもたいそうアメリカ的と思わせる。半分ぐらいは音楽を重要伴奏(デジタル・ビート主体のそれはだいぶ前に日本でもCD発売されたことがあった)として用い、ときに4人の生バンド(日本人の小僧くんたち)のシルエットも映し出されるが、それらはプリセットの音が使われているのかもしれない。
客席には学生服を来た一団が。修学旅行の一環でのものか。場所や設定も含めて、彼らさぞやドキドキできたことと思う。基本、ぼくはそういう学校行事を斜に構えて接していた奴だったナ(別にそのことをなんら後悔することもないが)と、大昔のことを思い出す。中学校の修学旅行は転校したばかりでいまいちで、高校のときは体調不調だったっけなー。でも、写真は楽しそうな顔して映っていたかもしれない。生徒を受け入れているように、子供が見ても大丈夫なものとしてこの出し物は作られているが、18禁の不埒な大人ネタでせまるようなやつを彼らはやらないのかな。
スモーキー・メディスン
2008年4月20日 大昔に下北沢のジャニス・ジョプリンなんて言われた金子マリや、ロック貴公子的な人気を得ていた(んじゃないのかな?)チャー(2002年3月12日)などが一時組んでいた(73〜74年のこととか)5人組の再結成ライヴ。二人とも、その解散後により知られるようになる。そのバンド名はもちろん聞いたことがあるが、その音にはまったく触れたことがないぼく。が、そもそも彼ら(まだ、10代だったのかな?)はアルバムを1枚も出したことがないのだという。そのためもあってか、本人たちは洒落っ気たっぷりにアマチュア・バンドであることをMCで強調し、単独ライヴは結成34年目にして初のことと告げる。客は思い入れを強く持ってそうな年長者主体。で、なかなかの入り。
会場は新しく後楽園遊園地の端っこに出来た、パッと接した感じはそれなりに立派な(でも、デザインにはかける)JCBホール。地下鉄の水道橋駅で降りると近い。アックスよりデカく、ゼップよりは少し小さいか。天井の高いフロアを数層の客席が囲むが、それは傾斜があり見やすそう。だが、その部分の椅子の列配置がペケ。列の間の距離が狭く、一回列の奥に座ってしまうと、外側に座っている他の人に悪くて、外に出る気になれない。ようは、ショウの途中で飲み物を買いに行ったり、トイレにいったり、非常にしづらい。いったい何を基準にあの幅と決めたのか。ゆとりのない、大きなミステイク。とても、最新のホール設計とは思えない(終了後の人の退出の流れは、考慮の後が見られるが)。音響もいいと一聴して思えるアックスなんかと比べると、この晩に関してはいまいちかも。それから、飲み物売店は人はいるのにオペレイションがトロく、すぐに列になる。それも、要改善。あと、飲み物の種類を増やすこともお願いしたい。が、ゼップやステラ・ボール等にとってはおおいに脅威となるヴェニューだろう。
2時間ぐらいのパフォーマンスを展開。1曲目にやった曲は今年出た金子マリのアルバム(『金子な理由』)にも入っていた曲。MC役を主に担ったチャーは基本ギタリストに徹するが、ときにちょい歌うと声はデカく、けっこう魅力的。スモーキー・メデスンは洋楽カヴァー主体のバンドだったようだが、披露するのは英語の曲が多く、やはりこの晩もカヴァーが少なくなかったのかな。なんにせよ、鳴瀬喜博(ベース)や佐藤準(鍵盤)の多彩な弾き方にも表れていたように、ハード・ロック調からソウルっぽいものまで、いろいろな曲調のものをやっていた。ときに、ヴィンテージ・ロックを聞くと、それが孕む世界の広さに驚くことがあるが、それは彼らも同様でした。
アンコールのとき、「ディープ・パープルとレッド・ツェッペリンが一緒になるとどうなるか知ってる?(→→)パープリン」と、チャーがご機嫌におやじギャグをかます。とにかく、出演者もオーディエンスも、とても嬉しそう。オールド・スクールな晩じゃった……。
会場は新しく後楽園遊園地の端っこに出来た、パッと接した感じはそれなりに立派な(でも、デザインにはかける)JCBホール。地下鉄の水道橋駅で降りると近い。アックスよりデカく、ゼップよりは少し小さいか。天井の高いフロアを数層の客席が囲むが、それは傾斜があり見やすそう。だが、その部分の椅子の列配置がペケ。列の間の距離が狭く、一回列の奥に座ってしまうと、外側に座っている他の人に悪くて、外に出る気になれない。ようは、ショウの途中で飲み物を買いに行ったり、トイレにいったり、非常にしづらい。いったい何を基準にあの幅と決めたのか。ゆとりのない、大きなミステイク。とても、最新のホール設計とは思えない(終了後の人の退出の流れは、考慮の後が見られるが)。音響もいいと一聴して思えるアックスなんかと比べると、この晩に関してはいまいちかも。それから、飲み物売店は人はいるのにオペレイションがトロく、すぐに列になる。それも、要改善。あと、飲み物の種類を増やすこともお願いしたい。が、ゼップやステラ・ボール等にとってはおおいに脅威となるヴェニューだろう。
2時間ぐらいのパフォーマンスを展開。1曲目にやった曲は今年出た金子マリのアルバム(『金子な理由』)にも入っていた曲。MC役を主に担ったチャーは基本ギタリストに徹するが、ときにちょい歌うと声はデカく、けっこう魅力的。スモーキー・メデスンは洋楽カヴァー主体のバンドだったようだが、披露するのは英語の曲が多く、やはりこの晩もカヴァーが少なくなかったのかな。なんにせよ、鳴瀬喜博(ベース)や佐藤準(鍵盤)の多彩な弾き方にも表れていたように、ハード・ロック調からソウルっぽいものまで、いろいろな曲調のものをやっていた。ときに、ヴィンテージ・ロックを聞くと、それが孕む世界の広さに驚くことがあるが、それは彼らも同様でした。
アンコールのとき、「ディープ・パープルとレッド・ツェッペリンが一緒になるとどうなるか知ってる?(→→)パープリン」と、チャーがご機嫌におやじギャグをかます。とにかく、出演者もオーディエンスも、とても嬉しそう。オールド・スクールな晩じゃった……。
ダイアン・シューア
2008年4月22日 1953年ワシントン州シアトル生まれの、盲目の白人ジャズ・シンガー/ピアニスト。エスタブリッシュされて大分たつシューアだが、彼女はぼくの記憶のどこかに多少のひっかかりを残す人だな。というのも、フリーになってずうっとポップのほう専門に書いていたんだけど(ジャズも聞いてはいたけど、関与している人はおやじが多いし、敷居が高いというのがあった)、そんなころに頼み倒されてインタヴューをしたことがある→→→ようは、純ジャズの人としてはもっとも最初に仕事をした人がシューアだったのだ。普通だったらもうとっくに忘れてしまっている話だが、その取材後にある人と邂逅しうわーってなったりもして、いまだその前後のことをそれなりに覚えている。そのときのシューアの担当ディレクターはうまい具合に出世街道に乗れたな(今でも、ため口きけるいい人デ〜ス)。あのころは、FMステーションをレギュラーでやっていて、週に2、3回は外タレの取材をしていたっけ。まだFM雑誌が元気なときで、週刊FMやFMファンの仕事もそれなりにしてたな(各誌、重なるのをいやがらなかった)。あ、今気付いたが、フリーになっても即楽勝だったのはFM雑誌があったおかげだったのかもしれない。それと、当初は公演プログラムとか編集請け負いも軽くやってて、そっちの上がりも少なくなかったか。DTPも扱えないし、今はもう編集できないよー。写植(/切り貼り)、なんて編集にまつわる死語も思い出してしまった。
ひー、鬼のように後ろ向きな文章内容。格好のいい黒人さんに手をひかれて出てきた彼女は昔っからおばさんぽかったためか、遠目には過剰に変わっている感じがない。で、ギター、縦ベース、ドラムを従え、ピアノを弾きながら、悠々と歌っていく彼女。おもしろいのはステージ上の楽器配置。通常はプレイヤーが見合うように位置しあうが、シューアの場合はアイ・コンタクトの必要がないためか、彼女はステージの端に背中を中央に向けて座り、彼女の背中側に三人の奏者が位置する。ようは、いつもより大分多くの人が彼女の指さばきにも触れることができるステージ配置をこの日はとっていた。やっぱ、指さばきが見れたほうが興味深く演奏に触れることができますね。
ここのところのアルバムでも一緒にやっている人を連れたのもので、ギタリストのダン・バルマーはリーダー作をいろいろ出している人だが、ソロ・パートになると突然創意を盛り込んだ(奏者のエゴを出した、とも言える?)少しコンテンポラリー気味の指さばきを見せる。比較的オーソドックスなジャズ・ヴォーカルのパフォーマンスを示すシューアだが、間奏部もシフト・チェンジするかのようにテンポや表情を変えるところがあったりし、へーえ。ところどころに、適切な“風”があった。シューアはときにとっても無邪気そう、それはオーディエンスの心をつかむのにプラスに働いている。
アンコールはバンドが横に待機していたもののハプニング的に、「ジョージア・オン・マイ・マインド」を弾き語りにて披露。そういえば、数年前にライナーノーツを書いたレイ・チャールズのライヴDVDにはシューアがゲストで出てきて、一緒にパフォーマンスするシーンがあったな。もちろん彼女はスティーヴィ・ワンダー(2005年11月3日)とも親交があり、彼にアルバム客演してもらったこともある。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
ひー、鬼のように後ろ向きな文章内容。格好のいい黒人さんに手をひかれて出てきた彼女は昔っからおばさんぽかったためか、遠目には過剰に変わっている感じがない。で、ギター、縦ベース、ドラムを従え、ピアノを弾きながら、悠々と歌っていく彼女。おもしろいのはステージ上の楽器配置。通常はプレイヤーが見合うように位置しあうが、シューアの場合はアイ・コンタクトの必要がないためか、彼女はステージの端に背中を中央に向けて座り、彼女の背中側に三人の奏者が位置する。ようは、いつもより大分多くの人が彼女の指さばきにも触れることができるステージ配置をこの日はとっていた。やっぱ、指さばきが見れたほうが興味深く演奏に触れることができますね。
ここのところのアルバムでも一緒にやっている人を連れたのもので、ギタリストのダン・バルマーはリーダー作をいろいろ出している人だが、ソロ・パートになると突然創意を盛り込んだ(奏者のエゴを出した、とも言える?)少しコンテンポラリー気味の指さばきを見せる。比較的オーソドックスなジャズ・ヴォーカルのパフォーマンスを示すシューアだが、間奏部もシフト・チェンジするかのようにテンポや表情を変えるところがあったりし、へーえ。ところどころに、適切な“風”があった。シューアはときにとっても無邪気そう、それはオーディエンスの心をつかむのにプラスに働いている。
アンコールはバンドが横に待機していたもののハプニング的に、「ジョージア・オン・マイ・マインド」を弾き語りにて披露。そういえば、数年前にライナーノーツを書いたレイ・チャールズのライヴDVDにはシューアがゲストで出てきて、一緒にパフォーマンスするシーンがあったな。もちろん彼女はスティーヴィ・ワンダー(2005年11月3日)とも親交があり、彼にアルバム客演してもらったこともある。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。
ジーナ・サプート、アニー・セリック、ニコール・ヘンリー
2008年4月25日 アメリカの若手ジャズ歌手3人を、日本人のピアノ・トリオ(ちゃんとしていた)がバッキングするという出し物。渋谷・JZブラット(セカンド・ショウ)。演奏陣だけのパフォーマンスはなし、一曲目から歌手が出てきて歌い、一人の持ち時間は20分づつ。歌う順番は年齢順、という話であった。契約に入っているのか、3人ともきっちりドレスを身につけてパフォーマンスする。
まず、中西部出身のおっとりした美形お嬢さんという感じのサプートが登場。ジャズ・ヴォーカルはジャズのヴァリエーション中におけるむっつりスケベ親父の嗜好品といった部分もなくはないが、そうした需用にばっちり答える存在といえる感じ。素直に、和み傾向にあるジャズ・ヴォーカル表現を披露。
で、2番目はセリック。褐色の肌に長い部分だと股の付け根より長いドレッド・ロックスという出で立ち。その快活でぶっちゃけた私全開の振る舞いに触れると、ドレスを着ていることにかなり違和感を覚えてしまう。が、キャラ込みで、ジャズを自分なりに着こなす様(ビートはタイト目なものも採用)には深く同感。もしかすると、純粋な歌唱能力は3人の中で一番低いかもしれないが、ちゃんと個性を出したそれにはいたく頷いちゃったナ。ジャズ様式に憧れる私ではなく、自分をだすためにジャズをしたたかに活用する私がそこにはいた。
そして、3番目は長身なアフリカンであるヘンリー。個人をだせて個人技にもすぐれ、なるほど彼女がトリなのは年齢順という説明じゃなくてもおおいに納得かな。ときに、R&Bぽい迸りもあるそれにはぐいぐい引き込まれる。アリサ・フランクリン他で知られるキャロル・キング曲「ナチュラル・ウーマン」のカヴァー、とっても素敵でした。セリックにしろ彼女にしろ、ウイットを交えつつ、MCで自分の意見を違和感なくだしていたのは大マル。彼女はブッシュ批判をさらりとしていた。
けっこう、いいモン見ちゃったナと思わせられたのは、とっても3人が仲良しに見えたこと(この晩が、この面子による日本ツアーの最終日だったよう)。それぞれが、それぞれのショウをリスペクトとともに見守り、シェアし合うという風情に溢れていたもの。また、彼女たちはサポートの日本人3人にも丁寧に気持ちを向けていた。みんな仲良し、外側だけかもしれぬが、そういうのに触れるのは気持ちいい。その後のお酒もおいしかったし、いい晩であった。
まず、中西部出身のおっとりした美形お嬢さんという感じのサプートが登場。ジャズ・ヴォーカルはジャズのヴァリエーション中におけるむっつりスケベ親父の嗜好品といった部分もなくはないが、そうした需用にばっちり答える存在といえる感じ。素直に、和み傾向にあるジャズ・ヴォーカル表現を披露。
で、2番目はセリック。褐色の肌に長い部分だと股の付け根より長いドレッド・ロックスという出で立ち。その快活でぶっちゃけた私全開の振る舞いに触れると、ドレスを着ていることにかなり違和感を覚えてしまう。が、キャラ込みで、ジャズを自分なりに着こなす様(ビートはタイト目なものも採用)には深く同感。もしかすると、純粋な歌唱能力は3人の中で一番低いかもしれないが、ちゃんと個性を出したそれにはいたく頷いちゃったナ。ジャズ様式に憧れる私ではなく、自分をだすためにジャズをしたたかに活用する私がそこにはいた。
そして、3番目は長身なアフリカンであるヘンリー。個人をだせて個人技にもすぐれ、なるほど彼女がトリなのは年齢順という説明じゃなくてもおおいに納得かな。ときに、R&Bぽい迸りもあるそれにはぐいぐい引き込まれる。アリサ・フランクリン他で知られるキャロル・キング曲「ナチュラル・ウーマン」のカヴァー、とっても素敵でした。セリックにしろ彼女にしろ、ウイットを交えつつ、MCで自分の意見を違和感なくだしていたのは大マル。彼女はブッシュ批判をさらりとしていた。
けっこう、いいモン見ちゃったナと思わせられたのは、とっても3人が仲良しに見えたこと(この晩が、この面子による日本ツアーの最終日だったよう)。それぞれが、それぞれのショウをリスペクトとともに見守り、シェアし合うという風情に溢れていたもの。また、彼女たちはサポートの日本人3人にも丁寧に気持ちを向けていた。みんな仲良し、外側だけかもしれぬが、そういうのに触れるのは気持ちいい。その後のお酒もおいしかったし、いい晩であった。
ニック・ベルチュ
2008年4月27日 新宿・ピットイン。土日だと開演時間が早くなるヴェニュー/場合も往々にしてあるが、ここは“老舗はいつも平常心”という感じで、8時の開演。それ、なんとなくすっきりしていてこのヴェニューには合っているナと生理的に思えたりもする。が、考えてみれば、ここは毎日、昼の部の興行(2時ぐらいからだっけか?)もしているんだよな。だから、夜のライヴのリハ/サウンド・チェックの時間もちゃんと取ろうとすると、8時開演ぐらいがちょうどいいのかもしれない。そういえばこのヴェニュー、大昔は<夜の部><昼の部>だけでなく、若輩の方々にライヴ・パフォーマンスの機会を与える目的を持つ午前中になされる<朝の部>興行もかつてはあった。もちろん、今の場所でなく、もっと新宿駅に近い旧店舗のときの話。文字通り、フル回転で日本のジャズ興隆に寄与していたんだよなー。なんてことを思い出し(ぼくも、すっかり忘却の彼方だった)、なんか、ピットインありがたやー、という気持ちに少しなった。それと、ここの向かいには怪しいお店が入っていたが、それがピットイン経営の貸しスタジオになっていた。
スイス生まれ、禅にかぶれて日本に居住したこともある、現在ECMと契約する少し変わったジャズ・ピアニスト。1部がソロ、2部が舞踏の人(やはりスイス人の、イムレ・トルマンというお方)とのパフォーマンスという内訳。1部は前回見たとき(2006年10月26日)と同様の感じだが、やはり個性はあるし、いい意味で気持ち良さ〜睡眠を誘うような揺らぎが増しているようなところがあったか。休憩時にグランド・ピアノが後方端にリプレイスされ、視覚的には舞踏家が主演となる。終わり方とかはピアノ音とシンクロしている感じもあり、両者の間でそれなりの構成/約束事は決めていたのかも。ベルチュとトルマンは同じスキンヘッドで喧嘩弱そうな痩身貧弱さん的ルックスを持ち、兄弟だと言われたら信じそう。トルマンは激しい動きやアクロバティックな動きはなしで、ちょっとした身のこなしやポージンングの含みのようなもので勝負するタイプ(と、門外漢は感じた)。途中から、けっこう汗をかいていたな。2部のほうは立って熱心にステージを見る人が増えて、トルマンさん目当ての人がおおいのだなと感じた。
スイス生まれ、禅にかぶれて日本に居住したこともある、現在ECMと契約する少し変わったジャズ・ピアニスト。1部がソロ、2部が舞踏の人(やはりスイス人の、イムレ・トルマンというお方)とのパフォーマンスという内訳。1部は前回見たとき(2006年10月26日)と同様の感じだが、やはり個性はあるし、いい意味で気持ち良さ〜睡眠を誘うような揺らぎが増しているようなところがあったか。休憩時にグランド・ピアノが後方端にリプレイスされ、視覚的には舞踏家が主演となる。終わり方とかはピアノ音とシンクロしている感じもあり、両者の間でそれなりの構成/約束事は決めていたのかも。ベルチュとトルマンは同じスキンヘッドで喧嘩弱そうな痩身貧弱さん的ルックスを持ち、兄弟だと言われたら信じそう。トルマンは激しい動きやアクロバティックな動きはなしで、ちょっとした身のこなしやポージンングの含みのようなもので勝負するタイプ(と、門外漢は感じた)。途中から、けっこう汗をかいていたな。2部のほうは立って熱心にステージを見る人が増えて、トルマンさん目当ての人がおおいのだなと感じた。
マーク・マーフィ。マルコス・ヴァーリ
2008年4月28日 まず、丸の内・コットンクラブでマーク・マーフィ。器楽的な歌唱法を交えジャズ的な飛躍感を求めようとするスタイル(ジャズ・シンガーとしては、もっともあるべき姿を求めている人と言えるはず)を標榜して50年という、32年NY州生まれのベテラン歌手。柔軟さや洒脱さもたっぷり持つがゆえか、彼はクラブ・ミュージック時代になって、少し人気が盛り返した感じもあるかな。ピアノ、ベース、ドラム、トランペットのカルテットを従えての実演。サイドマンたちはみんなそれなりに若い。奔放に歌っちゃおうみたいな意思は前回見たとき(2006年1月15日)よりも強く出ていたかも。指には、フェイクじゃないならいくらするのと思わずにはいられないごっついリングをいくついも付けていた、ちょい悪じじいノリもあるマーフィさんでした。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動して、洒脱ブラジリアン・ポップ派マルコス・ヴァーリ(2002年11月7日、2003年10月24日)を見る。今回はベース、ドラム、サックス奏者、コーラス中心の女性シンガーを従えて。当人はキーボード中心に、ときにギターもつま弾きつつ、風通しの良い歌をふふふな感じで乗せて行く(前半部を中心にインストも何曲か)。ラウンジな、ふわふわした気持ち、漂う。さりげない美点のようなもの、横溢。月曜ながら祭日前の日、ようは金曜と同じ条件もあったのか、コットンクラブにせよブルーノートにせよ、なかなかの入り。勤め人はわくわく、ぼくは平常心……、たぶん。
そして、南青山・ブルーノート東京に移動して、洒脱ブラジリアン・ポップ派マルコス・ヴァーリ(2002年11月7日、2003年10月24日)を見る。今回はベース、ドラム、サックス奏者、コーラス中心の女性シンガーを従えて。当人はキーボード中心に、ときにギターもつま弾きつつ、風通しの良い歌をふふふな感じで乗せて行く(前半部を中心にインストも何曲か)。ラウンジな、ふわふわした気持ち、漂う。さりげない美点のようなもの、横溢。月曜ながら祭日前の日、ようは金曜と同じ条件もあったのか、コットンクラブにせよブルーノートにせよ、なかなかの入り。勤め人はわくわく、ぼくは平常心……、たぶん。