ボノラマ。ジェイムズ・ブラウン・トリビュート
2007年2月2日 ニューオリンズに来た。初めて。ああ、やっと来た。
05年秋のハリケーン・カトリーナの一連のもろもろで胸を痛め、bmr誌
の06年度のベスト・アルバム10選の中で、ニューオリンズ名人が集ったザ
・ニューオリンズ・ソーシャル・クラブの『シング・ミー・バック・ホー
ム』、ジョー・ヘンリー仕切りの顔役満載の『アワ・ニューオリンズ』、
そしてカトリーナ後の心象をかつてのマーヴィン・ゲイのメッセージ名盤に
重ねたザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ホワッツ・ゴーイン・オ
ン』とニューオリンズ関連盤を3枚も挙げてしまい、ニューオリンズ音楽に
対する思いの深さを噛みしめていただけに、空港から出たとたん涙がでてく
るんじゃないかと思っていたが、そんなことはなかった。まずはその寒さに
プルルと震えた。同地にとってかなり寒ほうの陽気が続いているようだが、
東京より寒い。あれだけ暑さと湿度の高さが喧伝される街であるがゆえに先
入観もあり、寒さは余計に身にこたえる。だが、そんななかTシャツ同然の
格好で歩いている人もほんのたまにいる....それはニューオリンズにかぎら
ず、米国の各地で見られるものだが。
生牡蠣にガンボに、煮エビかけご飯。ああ、ニューオリンズじゃ。地元ビ
ールのアビータの“ターボ・ドッグ”はそのダーク・ビアー版。滞ニューオ
リンズ中にビールは基本的にこればっかり飲んでいた。で、フレンチ・クォ
ーターのほんの外にあるdbaに行って、ボノラマというバンドを見る。10
ドル。昨日はここで、前出『シング・ミー・バック・ホーム』にゲスト入り
して美声を聞かせてもいたジョン・ブッテがやっていたよう。ボノラマはト
ロンボーン奏者4人(20代ぽい人から50代とおぼしき人まで年齢層は散って
いる)を中央に置いたグループで、他にスーザフォン奏者、ギター、ドラマー
を擁する。ドラマー以外は肌の黒くない人たちで、これまでに2枚のライヴ
盤をリリース。通常のベース奏者を置かずにスーザフォン奏者でベース音を出
すというのはとてもニューオリンズ的、そのベース音とかみ合うタイトなビ
ート(1枚目はラッセル・バティーステが叩いていた。2枚目では、ギャラ
クティックのスタントン・ムーアがゲスト入りしていた)の上にジャズやニ
ューオリンズ・ブラス表現の要素を持つアンサンブルや各ソロが思うままに
泳ぐというインスト主体のグループだ。ときに、簡単な肉声が入るところも
あったし、モンク曲をやったりも。ザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド
と同様にギター音の扱いはぼくの好みと合わないところもあるけど、なかな
か高揚し、フフフとなれる。
途中まで見て12時すぎに、だいぶ離れた有名クラブのティピティナズへ。
“ティピティナ”とはニューオリンズ・ピアノ偉人のプロフェッサー・ロン
グヘアーの十八番曲だが、入口を入ってすぐのところに彼の像が鎮座し、ス
テージ後方上部にも彼の顔がでかく描かれている。じいーん。20ドルでジェ
イムズ・ブラウン・トリビュートという出し物をこの日はやっていて、元J
Bズのフレッド・ウェズリー(1999年10月25日。彼は車で2時間半の位置
にあるアラバマ州のモービルに住んでいる)、元ザ・ミーターズのジョージ
・ポーターJr.(ベース)、ギャラクティック(2000年12月7日、2001年10
月13日、2004年2月5日)のスタンントン・ムーアの師匠というよりニュ
ーオリンズ・ドラムの大御所ジョニー・ヴィダコヴィッチ(プロフェッサー
・ロングヘアーからハリー・コニックJr. まで。ニューオリンズ・ファンク
をやりたがったジョン・スコフィールドのグループに請われ、入ったことも
。蛇足だが、スコの兄のマーク・ビンガムはニューオリンズ在住) の3人が
表に立ったもの。その3人での演奏をはじめ、そこに打楽器/ギター奏者が
入ったり、4人のトロンボーン奏者やサックス奏者が加わるものまで。演目
はJBズ曲からニューオリンズ縁のファンク/R&B曲など。いろいろ。ど
れも、わくわく。
うち、ふとっちょのトロンボーン奏者が一人やたら音がでかく、ソロが雄
々しい。メンバー紹介のMCは聞き取れなかったが、すぐに彼は元ザ・ダー
ティ・ダズン・ブラス・バンド(2002年7月30日、2005年2月28日)のビ
ッグ・サム(2002年7月30日のときのトロンボーン奏者は彼)であると了解
。彼が率いるファンク・バンドのビッグ・サムズ・ファンキー・ネーション
の日本デビューの通算2作目のライナーノーツも書いてそんなにたってない
し、2階から彼がステージ横にいるのは見えたので、なんかちょっと挨拶し
たくなって1階に降りる。で、ステージ手前にいるパス・チェックの係員に、
東京から来たんだけどビッグ・サムと話がしたいのサと告げると、あんまし
長居すんなよと言って入れてくれた。いいハコだあ。彼はファンキー・ネー
ションで明日ライヴをメイプル・リーフでやるのだが、名刺を渡したらゲス
ト・リストに入れてくれるという。いい奴だあ。
ファンキー・ネイションに関与している弁護士を通じて、ぼくとビッグ・
サムが会ったことが日本の発売元のP-ヴァインに伝えられているのを、帰国
後に知る。驚くなあ。
05年秋のハリケーン・カトリーナの一連のもろもろで胸を痛め、bmr誌
の06年度のベスト・アルバム10選の中で、ニューオリンズ名人が集ったザ
・ニューオリンズ・ソーシャル・クラブの『シング・ミー・バック・ホー
ム』、ジョー・ヘンリー仕切りの顔役満載の『アワ・ニューオリンズ』、
そしてカトリーナ後の心象をかつてのマーヴィン・ゲイのメッセージ名盤に
重ねたザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ホワッツ・ゴーイン・オ
ン』とニューオリンズ関連盤を3枚も挙げてしまい、ニューオリンズ音楽に
対する思いの深さを噛みしめていただけに、空港から出たとたん涙がでてく
るんじゃないかと思っていたが、そんなことはなかった。まずはその寒さに
プルルと震えた。同地にとってかなり寒ほうの陽気が続いているようだが、
東京より寒い。あれだけ暑さと湿度の高さが喧伝される街であるがゆえに先
入観もあり、寒さは余計に身にこたえる。だが、そんななかTシャツ同然の
格好で歩いている人もほんのたまにいる....それはニューオリンズにかぎら
ず、米国の各地で見られるものだが。
生牡蠣にガンボに、煮エビかけご飯。ああ、ニューオリンズじゃ。地元ビ
ールのアビータの“ターボ・ドッグ”はそのダーク・ビアー版。滞ニューオ
リンズ中にビールは基本的にこればっかり飲んでいた。で、フレンチ・クォ
ーターのほんの外にあるdbaに行って、ボノラマというバンドを見る。10
ドル。昨日はここで、前出『シング・ミー・バック・ホーム』にゲスト入り
して美声を聞かせてもいたジョン・ブッテがやっていたよう。ボノラマはト
ロンボーン奏者4人(20代ぽい人から50代とおぼしき人まで年齢層は散って
いる)を中央に置いたグループで、他にスーザフォン奏者、ギター、ドラマー
を擁する。ドラマー以外は肌の黒くない人たちで、これまでに2枚のライヴ
盤をリリース。通常のベース奏者を置かずにスーザフォン奏者でベース音を出
すというのはとてもニューオリンズ的、そのベース音とかみ合うタイトなビ
ート(1枚目はラッセル・バティーステが叩いていた。2枚目では、ギャラ
クティックのスタントン・ムーアがゲスト入りしていた)の上にジャズやニ
ューオリンズ・ブラス表現の要素を持つアンサンブルや各ソロが思うままに
泳ぐというインスト主体のグループだ。ときに、簡単な肉声が入るところも
あったし、モンク曲をやったりも。ザ・ダーティ・ダズン・ブラス・バンド
と同様にギター音の扱いはぼくの好みと合わないところもあるけど、なかな
か高揚し、フフフとなれる。
途中まで見て12時すぎに、だいぶ離れた有名クラブのティピティナズへ。
“ティピティナ”とはニューオリンズ・ピアノ偉人のプロフェッサー・ロン
グヘアーの十八番曲だが、入口を入ってすぐのところに彼の像が鎮座し、ス
テージ後方上部にも彼の顔がでかく描かれている。じいーん。20ドルでジェ
イムズ・ブラウン・トリビュートという出し物をこの日はやっていて、元J
Bズのフレッド・ウェズリー(1999年10月25日。彼は車で2時間半の位置
にあるアラバマ州のモービルに住んでいる)、元ザ・ミーターズのジョージ
・ポーターJr.(ベース)、ギャラクティック(2000年12月7日、2001年10
月13日、2004年2月5日)のスタンントン・ムーアの師匠というよりニュ
ーオリンズ・ドラムの大御所ジョニー・ヴィダコヴィッチ(プロフェッサー
・ロングヘアーからハリー・コニックJr. まで。ニューオリンズ・ファンク
をやりたがったジョン・スコフィールドのグループに請われ、入ったことも
。蛇足だが、スコの兄のマーク・ビンガムはニューオリンズ在住) の3人が
表に立ったもの。その3人での演奏をはじめ、そこに打楽器/ギター奏者が
入ったり、4人のトロンボーン奏者やサックス奏者が加わるものまで。演目
はJBズ曲からニューオリンズ縁のファンク/R&B曲など。いろいろ。ど
れも、わくわく。
うち、ふとっちょのトロンボーン奏者が一人やたら音がでかく、ソロが雄
々しい。メンバー紹介のMCは聞き取れなかったが、すぐに彼は元ザ・ダー
ティ・ダズン・ブラス・バンド(2002年7月30日、2005年2月28日)のビ
ッグ・サム(2002年7月30日のときのトロンボーン奏者は彼)であると了解
。彼が率いるファンク・バンドのビッグ・サムズ・ファンキー・ネーション
の日本デビューの通算2作目のライナーノーツも書いてそんなにたってない
し、2階から彼がステージ横にいるのは見えたので、なんかちょっと挨拶し
たくなって1階に降りる。で、ステージ手前にいるパス・チェックの係員に、
東京から来たんだけどビッグ・サムと話がしたいのサと告げると、あんまし
長居すんなよと言って入れてくれた。いいハコだあ。彼はファンキー・ネー
ションで明日ライヴをメイプル・リーフでやるのだが、名刺を渡したらゲス
ト・リストに入れてくれるという。いい奴だあ。
ファンキー・ネイションに関与している弁護士を通じて、ぼくとビッグ・
サムが会ったことが日本の発売元のP-ヴァインに伝えられているのを、帰国
後に知る。驚くなあ。
朝、ホテルの朝食を取る部屋で、マルディグラを見に来たのと同じくホテ
ルの宿泊客からきかれる。マルデグラの佳境はもう少し先だが、なんとなく
街が浮足立っている感じはおぼろげに判る。店だけでなく個人の家も、黄色
、紫、緑のマルディグラ・カラーたる3色を用いた飾りつけをしていたりす
るし、昨日の夜も地元の人かヴィジターかは知らないが、フレンチクォータ
ーでは仮装しはしゃいで歩いている人達が散見された。
土曜日である今日は、最初のマルディグラ・パレードが行われる。今年は
20日までにいろんな団体が主催するパレードが48ほど行われることになって
いるらしい。パレードはいろんな場所でなされるが、一番つかわれる事が多
いのはアップタウン界隈で、そのメイン・ストリートたる市電も通るセイント
・チャールズ通りの両側には仮設の観客席が設営されていた。
この晩のパレードはKUEWE DE VIEUXという団体が主宰、ニューオリンズ
の一番の観光地フレンチクォーター内を回るもので、同所を回るパレードは
あと一度しか予定されていない(道がそんなに広くないせいもあるなのかな
)。7時からということだったが始まったの1時間半ぐらいはおしてからかな
。パレードが進むことになっている道路の両側はほんとうに凄い人。いった
い、どこから沸いてきた? 昨日の夜の1000倍強? というのも、昨日のフ
レンチクォーターは人出がまばらで(歌舞伎町たる、夜のバーボン・ストリ
ートはさすがに賑やかだが)、これでいいのかなあと思わずにはいられなか
ったもの。ちょっと戸惑うととともに、やっぱりハリケーン後の影響を感じ
ずにはられなかったのだ。だが、この晩のあまりの賑わいを見て一安心する
とともに、一般的にはジャズ&ヘリテッジ・フェス以上にマルディグラのほ
うがニューオリンズの売りとなっているという説明にもなんとなく合点がい
くか。
パレードは趣向を凝らした仮装集団のオン・パレード。それに挟まれるよ
うに、ブラス・バンドが入っていて行進音を奏でる。バレードの人達はマル
ディグラー・カラーのビーズのネックレスをはじめ他愛ない小物を見物人に
ぽんぽん投げ、振る舞う。縁起物? 昔は、それを受け取った女性はおっぱ
いを出さないといけなかったそうだ。見物人も仮装している人が少なくなく
、街中で皆でトーガ・パーティをやっている感じ? だが、残念ながら、パ
レードをかじる程度で(後の方には、リバース・ブラス・バンドも出たよう
だ)、同じフレンチクォーター内にあるハウス・オブ・ブルースへ。B.B.キ
ングがそこで開店13周年を祝う特別公演をやることになっていた。
130 ドル。そりゃ、前売りを買ってたら、しっかり行きますよね。まして
や、B.B.は先の週にツアー先のテキサス州ガルベストンで入院騒ぎを起こし
たばかり。去年暮れのJBのこと(ツアー中に入院し、そのまま亡くなってし
まった)を思い出したりもし、気が気ではない。会場入りすると、ニューオ
リンズ在住のブルース・マン、ウォルター“ウルフマン”ワシントンが熱演
中。前回(2004年9 月18日)オースティンで見たときより簡素なバンドで、
よりストレートなブルースをやっていると感じる。チケットには8時開演と
だけ書いてあるだけだったが、ちゃんと前座があったか。休憩時に会場をキ
ョロキョロ。なるほど、広いハコで1万5千円という破格な値段にも係わら
ず超満員。黒人客は少ない。2階の特別席を除いて、すべてスタンディン
グ。相当な動員のはずだ。最後に彼を見たのは90年代後半にブルーノート
東京だったが、いやあ今日の条件と比べると天国だったなあ。
結局、B.B.のショウが始まったのは10時ぐらいだったと思う。ビッグ・サ
ムズ・ファンキー・ネイションの公演もいちおう10時から。あー、これで確
実に行けなくなった。ごめんよー、ビッグ・サム。まず、正装にてびしっと
決めたバック・バンドが登場し、2曲ソロを回すインストをやる。ホーン4
人、ピアノ、サイド・ギター、ベース、ドラムという布陣だったか。そして
、B.B.が登場。すごい歓声の沸き方。金色の燕尾服のようなファッションの
B.B.は中央の椅子に座る。それはずっと前からであり、顔はかなりゲソっと
しているが前からやっているダイエットのためもあるだろう。一声は「やあ
、俺は戻ってきたゼ! ああ、俺は元気だ。まだ81歳だからな、はっはっは
」みたいな感じ。それで、また割れるような喝采。
その後は、ときにジャンピーでジャジーなバック・サウンドに乗って、た
っぷりとした喉と艶のあるギター・ソロを思うまま披露していく。なるほど
、まあ元気じゃん。これだけやってくれれば、なんの不満もない。途中で、
B.B.がゲスト入りしたU2の「ホヘン・ラヴ・カムズ・トゥ・タウン」(88
年作『ラトル・アンド・ハム』に収録)をやる。何でこの曲を? ニューオ
リンズとなんか関連している曲なんだっけか。そういえば、89年だかにB.B.
はU2(2006年12月4日)の前座で来日したことがあって、そんときインタ
ヴューしたっけ。普段、変なプロ意識からインタヴューの際はアーティスト
にサインしてもらっり一緒に写真を撮ったりしない私ではあるが、さすがに
あのときはレコード数枚にサインしてもらった。よく言われるように、偉そ
うな風体ながらとっても腰の低い人で、帰り際にはピックとかカードとかい
ろいろくれたっけなー。
中盤を過ぎて以降は、ホーン陣が引っ込んで、よりじっくりダウン・ホー
ムな感じにて(と書いてしまうと、誇張になるけど)。おいおい、まだやる
のかよって、感じ。次、もう一本予定が入ってて、その勇士を最後まで見れ
なかった。
で、すでに10年以上ニューオリンズに居住しているギタリストの山岸潤史
(1999年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日、20
05年7月30日、2005年7月31日)と落ち合って、カナル通りに面したステ
イト・パレス・シアターに。この古い、けっこう大きな劇場の向かいはメイ
ズの『ライヴ・イン・ニューオリンズ』(キャピトル、81年)が録音された
場所だ。山岸はニューオリンズに着たとき、まずそこに行ったのだとか。
ステイト・パレスでやっているのは、この日見たパレードを主催した団体
が企画したアフター・パーティというか、これから当分つづくマルディグラ
のキック・オフ・パーティというべきもの。会場入りすると2番目の出演グ
ループである、白人のロック系バンドがやっている。すでに、予定は1時間
以上ズレているとか。会場1階の椅子は前半分は座席がとっぱわられていて
、スタンディングの仕様。集まってきている人の大半は変な格好をしている
。そして、浮かれまくっている。
3番目の出し物は、ザ・ミーターズの名ドラマーのジガブー・モデリス
テが主宰するファンク・セッション。サックス、キーボード、ギター(昨日
もティピティナズに出ていた人。ザ・ミーターズのメンバーだったこともあ
るとか)、ベース奏者(パパ・グロウズ・ファンクのツアーに参加したこと
がある人)などが加わる。それぞれに、活動歴を持つ人達だそう(山岸
大先生に名前を書いてもらった紙、どっかに行っちゃったよー。彼、けっ
こう達筆です)。けっこう、ジガブーは歌いながら叩く。1時間の奔放に
弾むパフォーマンスを、休憩を挟んで2セット。まさに、ニューオリンズ・
セカンド・ライン・ファンクの大盤振る舞い。バックステージにいることが
出来たため、そしてジガブーは後方の角に位置して叩いていたため、
「アフリカ」や「アイコ・アイコ」はすぐ真後ろからじっくりと叩く姿を見ちゃ
った。スネアのスナップが非常に特殊ネ。まさに、身に余る僥倖。ぼく
だけでなく、現地の好き者も5人ぐらいはそんな感じで彼を注視してい
た。たまらず、セカンド・セットが終わったあと、一緒に写真を撮ってもら
う。それから、セカンド・ショウの最後にはパパ・グロウズ・ファンク(2004年
3月30日)のジョン・グロウが加わり、アール・キング曲とドクター・ジョン
曲をキーボードを弾きながら熱唱した。
そして、このイヴェントの真打ちは、山岸潤史が音楽ディレクターを受け
持つ、ザ・ワイルド・マグノリアス(1999年8月5日、2001年7月16日)。
あのマルディグラ・インディアンの格好が出てくるだけで、場が華やぎ、
高揚を誘う。今、同グループには日本でチル・ヘイズというバンドに入っ
ていた小牧恵子がオルガンで参加している。それから、ベースはフレディ
・キングの弟でNO在住のベニー・ターナーがメンバー。その彼、フレディと
は全然にておらずとっても若く見え、かなり格好いい。彼(ベースをピッ
ク弾きします)と山岸は今フレディ・キングのトリビュート・アルバムを
制作中。もしかすると、そこにはあっと驚くビッグ・ネームが入るかも。
なお、ターナーがザ・ワイルド・マグノリアスに入ったのは山岸の推薦では
なく、他のメンバーが言い出したのだそう。この晩のセットの1曲目はブル
ースのインスト。山岸は水を得た魚のよう。やっぱり、ブルースは彼にと
って”ホーム”のような感じもあるんだろうな。それから、終盤にはジガブ
ーも加わり、ツイン・ドラムでやったりも。聞けば、実はジガブー、ザ・
ワイルド・マグノリアスのオリジナル・ドラマーなんだとか。なんだかん
で、皆つながっているんだよなー。パーティが終わったのは4時ぐらいだ
ったかな。
ルの宿泊客からきかれる。マルデグラの佳境はもう少し先だが、なんとなく
街が浮足立っている感じはおぼろげに判る。店だけでなく個人の家も、黄色
、紫、緑のマルディグラ・カラーたる3色を用いた飾りつけをしていたりす
るし、昨日の夜も地元の人かヴィジターかは知らないが、フレンチクォータ
ーでは仮装しはしゃいで歩いている人達が散見された。
土曜日である今日は、最初のマルディグラ・パレードが行われる。今年は
20日までにいろんな団体が主催するパレードが48ほど行われることになって
いるらしい。パレードはいろんな場所でなされるが、一番つかわれる事が多
いのはアップタウン界隈で、そのメイン・ストリートたる市電も通るセイント
・チャールズ通りの両側には仮設の観客席が設営されていた。
この晩のパレードはKUEWE DE VIEUXという団体が主宰、ニューオリンズ
の一番の観光地フレンチクォーター内を回るもので、同所を回るパレードは
あと一度しか予定されていない(道がそんなに広くないせいもあるなのかな
)。7時からということだったが始まったの1時間半ぐらいはおしてからかな
。パレードが進むことになっている道路の両側はほんとうに凄い人。いった
い、どこから沸いてきた? 昨日の夜の1000倍強? というのも、昨日のフ
レンチクォーターは人出がまばらで(歌舞伎町たる、夜のバーボン・ストリ
ートはさすがに賑やかだが)、これでいいのかなあと思わずにはいられなか
ったもの。ちょっと戸惑うととともに、やっぱりハリケーン後の影響を感じ
ずにはられなかったのだ。だが、この晩のあまりの賑わいを見て一安心する
とともに、一般的にはジャズ&ヘリテッジ・フェス以上にマルディグラのほ
うがニューオリンズの売りとなっているという説明にもなんとなく合点がい
くか。
パレードは趣向を凝らした仮装集団のオン・パレード。それに挟まれるよ
うに、ブラス・バンドが入っていて行進音を奏でる。バレードの人達はマル
ディグラー・カラーのビーズのネックレスをはじめ他愛ない小物を見物人に
ぽんぽん投げ、振る舞う。縁起物? 昔は、それを受け取った女性はおっぱ
いを出さないといけなかったそうだ。見物人も仮装している人が少なくなく
、街中で皆でトーガ・パーティをやっている感じ? だが、残念ながら、パ
レードをかじる程度で(後の方には、リバース・ブラス・バンドも出たよう
だ)、同じフレンチクォーター内にあるハウス・オブ・ブルースへ。B.B.キ
ングがそこで開店13周年を祝う特別公演をやることになっていた。
130 ドル。そりゃ、前売りを買ってたら、しっかり行きますよね。まして
や、B.B.は先の週にツアー先のテキサス州ガルベストンで入院騒ぎを起こし
たばかり。去年暮れのJBのこと(ツアー中に入院し、そのまま亡くなってし
まった)を思い出したりもし、気が気ではない。会場入りすると、ニューオ
リンズ在住のブルース・マン、ウォルター“ウルフマン”ワシントンが熱演
中。前回(2004年9 月18日)オースティンで見たときより簡素なバンドで、
よりストレートなブルースをやっていると感じる。チケットには8時開演と
だけ書いてあるだけだったが、ちゃんと前座があったか。休憩時に会場をキ
ョロキョロ。なるほど、広いハコで1万5千円という破格な値段にも係わら
ず超満員。黒人客は少ない。2階の特別席を除いて、すべてスタンディン
グ。相当な動員のはずだ。最後に彼を見たのは90年代後半にブルーノート
東京だったが、いやあ今日の条件と比べると天国だったなあ。
結局、B.B.のショウが始まったのは10時ぐらいだったと思う。ビッグ・サ
ムズ・ファンキー・ネイションの公演もいちおう10時から。あー、これで確
実に行けなくなった。ごめんよー、ビッグ・サム。まず、正装にてびしっと
決めたバック・バンドが登場し、2曲ソロを回すインストをやる。ホーン4
人、ピアノ、サイド・ギター、ベース、ドラムという布陣だったか。そして
、B.B.が登場。すごい歓声の沸き方。金色の燕尾服のようなファッションの
B.B.は中央の椅子に座る。それはずっと前からであり、顔はかなりゲソっと
しているが前からやっているダイエットのためもあるだろう。一声は「やあ
、俺は戻ってきたゼ! ああ、俺は元気だ。まだ81歳だからな、はっはっは
」みたいな感じ。それで、また割れるような喝采。
その後は、ときにジャンピーでジャジーなバック・サウンドに乗って、た
っぷりとした喉と艶のあるギター・ソロを思うまま披露していく。なるほど
、まあ元気じゃん。これだけやってくれれば、なんの不満もない。途中で、
B.B.がゲスト入りしたU2の「ホヘン・ラヴ・カムズ・トゥ・タウン」(88
年作『ラトル・アンド・ハム』に収録)をやる。何でこの曲を? ニューオ
リンズとなんか関連している曲なんだっけか。そういえば、89年だかにB.B.
はU2(2006年12月4日)の前座で来日したことがあって、そんときインタ
ヴューしたっけ。普段、変なプロ意識からインタヴューの際はアーティスト
にサインしてもらっり一緒に写真を撮ったりしない私ではあるが、さすがに
あのときはレコード数枚にサインしてもらった。よく言われるように、偉そ
うな風体ながらとっても腰の低い人で、帰り際にはピックとかカードとかい
ろいろくれたっけなー。
中盤を過ぎて以降は、ホーン陣が引っ込んで、よりじっくりダウン・ホー
ムな感じにて(と書いてしまうと、誇張になるけど)。おいおい、まだやる
のかよって、感じ。次、もう一本予定が入ってて、その勇士を最後まで見れ
なかった。
で、すでに10年以上ニューオリンズに居住しているギタリストの山岸潤史
(1999年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日、20
05年7月30日、2005年7月31日)と落ち合って、カナル通りに面したステ
イト・パレス・シアターに。この古い、けっこう大きな劇場の向かいはメイ
ズの『ライヴ・イン・ニューオリンズ』(キャピトル、81年)が録音された
場所だ。山岸はニューオリンズに着たとき、まずそこに行ったのだとか。
ステイト・パレスでやっているのは、この日見たパレードを主催した団体
が企画したアフター・パーティというか、これから当分つづくマルディグラ
のキック・オフ・パーティというべきもの。会場入りすると2番目の出演グ
ループである、白人のロック系バンドがやっている。すでに、予定は1時間
以上ズレているとか。会場1階の椅子は前半分は座席がとっぱわられていて
、スタンディングの仕様。集まってきている人の大半は変な格好をしている
。そして、浮かれまくっている。
3番目の出し物は、ザ・ミーターズの名ドラマーのジガブー・モデリス
テが主宰するファンク・セッション。サックス、キーボード、ギター(昨日
もティピティナズに出ていた人。ザ・ミーターズのメンバーだったこともあ
るとか)、ベース奏者(パパ・グロウズ・ファンクのツアーに参加したこと
がある人)などが加わる。それぞれに、活動歴を持つ人達だそう(山岸
大先生に名前を書いてもらった紙、どっかに行っちゃったよー。彼、けっ
こう達筆です)。けっこう、ジガブーは歌いながら叩く。1時間の奔放に
弾むパフォーマンスを、休憩を挟んで2セット。まさに、ニューオリンズ・
セカンド・ライン・ファンクの大盤振る舞い。バックステージにいることが
出来たため、そしてジガブーは後方の角に位置して叩いていたため、
「アフリカ」や「アイコ・アイコ」はすぐ真後ろからじっくりと叩く姿を見ちゃ
った。スネアのスナップが非常に特殊ネ。まさに、身に余る僥倖。ぼく
だけでなく、現地の好き者も5人ぐらいはそんな感じで彼を注視してい
た。たまらず、セカンド・セットが終わったあと、一緒に写真を撮ってもら
う。それから、セカンド・ショウの最後にはパパ・グロウズ・ファンク(2004年
3月30日)のジョン・グロウが加わり、アール・キング曲とドクター・ジョン
曲をキーボードを弾きながら熱唱した。
そして、このイヴェントの真打ちは、山岸潤史が音楽ディレクターを受け
持つ、ザ・ワイルド・マグノリアス(1999年8月5日、2001年7月16日)。
あのマルディグラ・インディアンの格好が出てくるだけで、場が華やぎ、
高揚を誘う。今、同グループには日本でチル・ヘイズというバンドに入っ
ていた小牧恵子がオルガンで参加している。それから、ベースはフレディ
・キングの弟でNO在住のベニー・ターナーがメンバー。その彼、フレディと
は全然にておらずとっても若く見え、かなり格好いい。彼(ベースをピッ
ク弾きします)と山岸は今フレディ・キングのトリビュート・アルバムを
制作中。もしかすると、そこにはあっと驚くビッグ・ネームが入るかも。
なお、ターナーがザ・ワイルド・マグノリアスに入ったのは山岸の推薦では
なく、他のメンバーが言い出したのだそう。この晩のセットの1曲目はブル
ースのインスト。山岸は水を得た魚のよう。やっぱり、ブルースは彼にと
って”ホーム”のような感じもあるんだろうな。それから、終盤にはジガブ
ーも加わり、ツイン・ドラムでやったりも。聞けば、実はジガブー、ザ・
ワイルド・マグノリアスのオリジナル・ドラマーなんだとか。なんだかん
で、皆つながっているんだよなー。パーティが終わったのは4時ぐらいだ
ったかな。
スーパー・ボウルの日。ニューオリンズ・セインツが最後まで残ったら(
惜しかったな)、それこそマルディグラと重なってニューオリンズは常軌を
逸した大騒ぎになったろう。ちょい、それに触れたかったかも。プリンス(
2002年11月19日)がハーフタイム・ショウをした今回もまた、その音楽監
督はスティーヴ・ジョーダン(2005年11月13日、2006年11月20日、2006
年12月22日)がしたのだろうか。
昼さがり、1時すぎ。ティピティナズへ。なんでも、ティピティナズは日
曜昼にステージを開放、有名ミュージシャンが子供たちに無料で音楽を教え
るということをやっているのだという。この日はジョニー・ヴィダヴィッチ
が仕切るレッスンで、金曜の出演者に山岸潤史を加えた講師陣で事に当たる
。ヴィダコヴィッチ、山岸潤史、ポーターJr. は3人で一緒にトリオを組ん
でいて04年にはアジア・ツアーをやっていたりもするが、山岸は今回初めて
この催しに参加したようだ。
12時開始ということで、おおやってるやってる。ミュージシャンと生徒が
ステージにみんな上がっていて、パートごとに先生たちを囲んでいる。
生徒は小学校に入るか入らないかぐらいの子供から高校生のあたまぐらいの
小僧まで。人種は散っている。ステージ下には父兄がなごやかにその様子を
見ていたりするが、たまに写真を撮っている人はいても、ヴィデオを回して
いる人は皆無。これ、日本だったらヴィデオ・カメラがズラリと並ぶんだろ
うな。
そして、「シッシィ・ストラト」とか実際の有名曲やブルース・コード曲
を素材に個別にレッスンを受け、しばらくすると全体演奏になる。先生たち
はおだてて、木に登らせる。とくに、ヴィダコヴィッチは真剣そのもの、全
体演奏でも途中で止めて、アドヴァイスしたり、自ら叩いてみせたり。また
、年長の生徒が子供の面倒見て、一緒に叩いてあげたり。ああ、こうやって
セカンド・ライン・ビートは受け継がれていくんだな..... 感慨深し。見る
者にとっても、なんとも有意義な体験だった。
曲の途中で、ドラマーが変わったり、ソリストが変わったり。ウェズリ
ーはトロンボーン奏者だけでなくサックス奏者の面倒も見ている。全体演奏
のときウェズリーが曲に合わせて合いの手的なリフを入れ、それを生徒たち
が真似て音を重ねていく。すると、不思議、バラつきつつも様になったホー
ン・セクション音になっていくのだから。音楽って、本当に素敵だ。で、こ
ういうのに触れても、この界隈で管楽器奏者が多いんだろうなとも思う。
その最中、店の横をカラフルなオカマ集団のパレードが通る。ちゃんと、
予告される以外にも、こういうゲリラ的、身内乗り的なものはマルディグラ
期間中、随所で行われているのかもしれない。
3時少し前ぐらいに終了、フレッドとちょい立ち話をしていたら(「この
4月にジャボとクライドと一緒にコットンクラブ行くよ」、とのこと。東京
もすごいよな)、フレッドと一緒の写真を撮ってと言ってきたおねーちゃん
がいた。子供たちの親ではなさそうな感じ、聞けばコロラドから来ていると
いう。彼女はどうやってこの催しを知ったのか。で、日本ではダーティ・ダ
ズンとベネヴェント・ルッソ・デュオが一緒にやった(2005年2月28日)の
よねとか、やたら詳しい。ジュン(山岸)は私のなかで最高のギタリスト、
とかとも言う。やっぱり、ニューオリンズ音楽はそういうニューオリンズ外
に住むマニアックな人達に支えられているシーンでもあるんだろう、とも思
った。
このあと、被災地を回る。決壊した運河の横なども通る。さすが、いまだ瓦
礫が山積みということはないが、ときにいまだ破棄された生活関連品が見られ
たり樹木が倒れていたり、冠水で舗装道路がかなり痛んでいたりするところは
ある。すうっと、背筋が寒くなる。そして、なにより、空き家になっている
地域がものすごく沢山あり、戻ってない人が多く、相当人口が減っているだ
ろうことが判る。ちなみに、ハリケーン上陸前のニューオリンズの人口は50
万人弱とか。中心部/観光地は路面電車やバスなども走っているが、やっぱ
りニューオーオリンズは広いし、一般生活には車がないと駄目な街だとも感
じる。
ミシシッピー川(茶色です。車も積む渡しのフェリーは人だけだと無料。
約10分ぐらいだったかな、なんか乗ったら思いのほか感慨がわいたナ)と
湖にニューオリンズは挟まれているのだが、氾濫したのは湖側で、それゆ
え川側に面したフレンチクォーターは水につかってないというのも、恥ず
かしながら、ぼくは現地でちゃんと知った。また、貧困層の居住地が大打
撃を受けたと伝えられていたが、小綺麗な地区もかなりやられてもいる。途
中で、知り合いの知り合いの家にちょっと寄ったのだが、その家はかろうじ
て水につからなかったものの(でも、何かがぶつかって、屋根に穴が開いた
という)、ハリケーン上陸前に非難命令が出されて(ライフラインが復活し
ないこともあり)2ケ月間家に戻ることが出来なかったそう。まあ、そんなこ
んなで、本当に当事者にとってみればシャレになんない状況があったのだ。
比較的川側の上品な地区に住んでいる山岸は被害を受けてないし、3日
ほどの避難で済んだという。
惜しかったな)、それこそマルディグラと重なってニューオリンズは常軌を
逸した大騒ぎになったろう。ちょい、それに触れたかったかも。プリンス(
2002年11月19日)がハーフタイム・ショウをした今回もまた、その音楽監
督はスティーヴ・ジョーダン(2005年11月13日、2006年11月20日、2006
年12月22日)がしたのだろうか。
昼さがり、1時すぎ。ティピティナズへ。なんでも、ティピティナズは日
曜昼にステージを開放、有名ミュージシャンが子供たちに無料で音楽を教え
るということをやっているのだという。この日はジョニー・ヴィダヴィッチ
が仕切るレッスンで、金曜の出演者に山岸潤史を加えた講師陣で事に当たる
。ヴィダコヴィッチ、山岸潤史、ポーターJr. は3人で一緒にトリオを組ん
でいて04年にはアジア・ツアーをやっていたりもするが、山岸は今回初めて
この催しに参加したようだ。
12時開始ということで、おおやってるやってる。ミュージシャンと生徒が
ステージにみんな上がっていて、パートごとに先生たちを囲んでいる。
生徒は小学校に入るか入らないかぐらいの子供から高校生のあたまぐらいの
小僧まで。人種は散っている。ステージ下には父兄がなごやかにその様子を
見ていたりするが、たまに写真を撮っている人はいても、ヴィデオを回して
いる人は皆無。これ、日本だったらヴィデオ・カメラがズラリと並ぶんだろ
うな。
そして、「シッシィ・ストラト」とか実際の有名曲やブルース・コード曲
を素材に個別にレッスンを受け、しばらくすると全体演奏になる。先生たち
はおだてて、木に登らせる。とくに、ヴィダコヴィッチは真剣そのもの、全
体演奏でも途中で止めて、アドヴァイスしたり、自ら叩いてみせたり。また
、年長の生徒が子供の面倒見て、一緒に叩いてあげたり。ああ、こうやって
セカンド・ライン・ビートは受け継がれていくんだな..... 感慨深し。見る
者にとっても、なんとも有意義な体験だった。
曲の途中で、ドラマーが変わったり、ソリストが変わったり。ウェズリ
ーはトロンボーン奏者だけでなくサックス奏者の面倒も見ている。全体演奏
のときウェズリーが曲に合わせて合いの手的なリフを入れ、それを生徒たち
が真似て音を重ねていく。すると、不思議、バラつきつつも様になったホー
ン・セクション音になっていくのだから。音楽って、本当に素敵だ。で、こ
ういうのに触れても、この界隈で管楽器奏者が多いんだろうなとも思う。
その最中、店の横をカラフルなオカマ集団のパレードが通る。ちゃんと、
予告される以外にも、こういうゲリラ的、身内乗り的なものはマルディグラ
期間中、随所で行われているのかもしれない。
3時少し前ぐらいに終了、フレッドとちょい立ち話をしていたら(「この
4月にジャボとクライドと一緒にコットンクラブ行くよ」、とのこと。東京
もすごいよな)、フレッドと一緒の写真を撮ってと言ってきたおねーちゃん
がいた。子供たちの親ではなさそうな感じ、聞けばコロラドから来ていると
いう。彼女はどうやってこの催しを知ったのか。で、日本ではダーティ・ダ
ズンとベネヴェント・ルッソ・デュオが一緒にやった(2005年2月28日)の
よねとか、やたら詳しい。ジュン(山岸)は私のなかで最高のギタリスト、
とかとも言う。やっぱり、ニューオリンズ音楽はそういうニューオリンズ外
に住むマニアックな人達に支えられているシーンでもあるんだろう、とも思
った。
このあと、被災地を回る。決壊した運河の横なども通る。さすが、いまだ瓦
礫が山積みということはないが、ときにいまだ破棄された生活関連品が見られ
たり樹木が倒れていたり、冠水で舗装道路がかなり痛んでいたりするところは
ある。すうっと、背筋が寒くなる。そして、なにより、空き家になっている
地域がものすごく沢山あり、戻ってない人が多く、相当人口が減っているだ
ろうことが判る。ちなみに、ハリケーン上陸前のニューオリンズの人口は50
万人弱とか。中心部/観光地は路面電車やバスなども走っているが、やっぱ
りニューオーオリンズは広いし、一般生活には車がないと駄目な街だとも感
じる。
ミシシッピー川(茶色です。車も積む渡しのフェリーは人だけだと無料。
約10分ぐらいだったかな、なんか乗ったら思いのほか感慨がわいたナ)と
湖にニューオリンズは挟まれているのだが、氾濫したのは湖側で、それゆ
え川側に面したフレンチクォーターは水につかってないというのも、恥ず
かしながら、ぼくは現地でちゃんと知った。また、貧困層の居住地が大打
撃を受けたと伝えられていたが、小綺麗な地区もかなりやられてもいる。途
中で、知り合いの知り合いの家にちょっと寄ったのだが、その家はかろうじ
て水につからなかったものの(でも、何かがぶつかって、屋根に穴が開いた
という)、ハリケーン上陸前に非難命令が出されて(ライフラインが復活し
ないこともあり)2ケ月間家に戻ることが出来なかったそう。まあ、そんなこ
んなで、本当に当事者にとってみればシャレになんない状況があったのだ。
比較的川側の上品な地区に住んでいる山岸は被害を受けてないし、3日
ほどの避難で済んだという。
パパ・グロウズ・ファンク
2007年2月5日 現在、音楽の街ニューオリンズはレコード屋が1軒しかない。被災後、H
MVが撤退し、タワー・レコードがなくなってしまい、今はフレンチクォー
ター(ハウス・オブ・ブルースのとい面)にあるルイジアナ・ミュージック
・ファクトリーという店だけになってしまったのだとか。話はそれるが、ぼ
くは滞在中に本屋は一軒も見つけることができなかった。そっちのほうはや
はりネット売り商品になってしまっているのか。
ともあれ、そのミュージック・ファクトリーはびっくりできる、素晴らし
い店。いろんな都市のレコード屋にいろいろと行っているが、ぼくのなかで
筆頭に挙げることができるお店。1Fは出身者も含め、ニューオリンズ関連
アーティストが鬼のように並んでいる。ウヒっ。ファッツ・ドミノとかプ
ロファッサー・ロングヘアーとか有名/重要アーティストだとエサ箱3列ぶ
んぐらいあったりして。2Fは中古盤が置かれていて、CDだけじゃなくL
Pやドーナツ盤もならんでいる。書籍やヴィデオも興味深いものがあったし
、欲しいものだらけで、最初に行ったときはマジ気分が悪くなってしまった
。いくら、お金があってもおいつかない。あと、店に流れているヴァイブが
なんとなくいいんだよなあ。落ちつける。ジャズ&ヘリテッジ・フェスのと
きはインストア・ライヴなどもやり、かなり混むようではあるが。
夜も深まり、ヨロラ大学の前を通ってメイプル・リーフへ。ジョン・グロ
ウや山岸潤史ら5人組のパパ・グロウズ・ファンク(2004年3月30日、20
05年7月30日)は外にツアーに出ていない限り、毎週月曜にここに出るとい
う。彼らは先週まではコロラド他のツアーに出ていたそうで、去年はとって
もライヴをやった年であったとか。パパ・グロウズ・ファンクはテーパー録
音を認めるバンドであるが、ツアーのオファーが多いのはジャム・バンド愛
好層の支持を受けていることもプラスに働いているらしい。そんな彼らはツ
アーの積み重ねを反映させたスタジオ録音新作『ミスター・パターソンズ・
ハット』を近くリリースするが、なんと7曲がヴォーカル・ナンバーとなる。
前から山岸はグロウにもっと歌えと言っていたそうだが、そのタイトル・ト
ラックはカトリーナ被災後の気持ちを綴った曲で、言葉に表したい事がハリ
ケーン後に増えたというのもヴォーカル曲が増えた理由らしい。実はグロウ
って、ランディ・ニューマンのような人も大好きなんだよね。
8ドル、タダで入れてもらったけど。ぎっとり。寛ぎ、ぐりぐり。ときに
、洗練を少しまぶして。白人、黒人、東洋人と、メンバー構成もガンボなの
ね。なるほど、グロウが歌う頻度は増えている。途中で、連帯の気持ちを表
するために(?)ザ・ビートルズの「カム・トゥゲザー」のカヴァーも。い
いじゃん。『ヴードゥ・ビートルズ』を作りなよと、進言する。また、終盤
にキーボード、ドラム、ギターなんかが遊びに来ていた人達に変わる。白人
ギターは山岸のトラをやったりする人とか。ニューオリンズのバンド、Nori
Naraoka’ 93D の来日ライヴも最後は大胆にお客さんに演奏に加わらせた(2
006 年8月8日参照) が、なるほど、そういう開かれた態度、音楽をおおら
かにシェアしようというのもニューオリンズ・ウェイなんだろうな。それは
、パレードなんかに接しても感じることだ。
MVが撤退し、タワー・レコードがなくなってしまい、今はフレンチクォー
ター(ハウス・オブ・ブルースのとい面)にあるルイジアナ・ミュージック
・ファクトリーという店だけになってしまったのだとか。話はそれるが、ぼ
くは滞在中に本屋は一軒も見つけることができなかった。そっちのほうはや
はりネット売り商品になってしまっているのか。
ともあれ、そのミュージック・ファクトリーはびっくりできる、素晴らし
い店。いろんな都市のレコード屋にいろいろと行っているが、ぼくのなかで
筆頭に挙げることができるお店。1Fは出身者も含め、ニューオリンズ関連
アーティストが鬼のように並んでいる。ウヒっ。ファッツ・ドミノとかプ
ロファッサー・ロングヘアーとか有名/重要アーティストだとエサ箱3列ぶ
んぐらいあったりして。2Fは中古盤が置かれていて、CDだけじゃなくL
Pやドーナツ盤もならんでいる。書籍やヴィデオも興味深いものがあったし
、欲しいものだらけで、最初に行ったときはマジ気分が悪くなってしまった
。いくら、お金があってもおいつかない。あと、店に流れているヴァイブが
なんとなくいいんだよなあ。落ちつける。ジャズ&ヘリテッジ・フェスのと
きはインストア・ライヴなどもやり、かなり混むようではあるが。
夜も深まり、ヨロラ大学の前を通ってメイプル・リーフへ。ジョン・グロ
ウや山岸潤史ら5人組のパパ・グロウズ・ファンク(2004年3月30日、20
05年7月30日)は外にツアーに出ていない限り、毎週月曜にここに出るとい
う。彼らは先週まではコロラド他のツアーに出ていたそうで、去年はとって
もライヴをやった年であったとか。パパ・グロウズ・ファンクはテーパー録
音を認めるバンドであるが、ツアーのオファーが多いのはジャム・バンド愛
好層の支持を受けていることもプラスに働いているらしい。そんな彼らはツ
アーの積み重ねを反映させたスタジオ録音新作『ミスター・パターソンズ・
ハット』を近くリリースするが、なんと7曲がヴォーカル・ナンバーとなる。
前から山岸はグロウにもっと歌えと言っていたそうだが、そのタイトル・ト
ラックはカトリーナ被災後の気持ちを綴った曲で、言葉に表したい事がハリ
ケーン後に増えたというのもヴォーカル曲が増えた理由らしい。実はグロウ
って、ランディ・ニューマンのような人も大好きなんだよね。
8ドル、タダで入れてもらったけど。ぎっとり。寛ぎ、ぐりぐり。ときに
、洗練を少しまぶして。白人、黒人、東洋人と、メンバー構成もガンボなの
ね。なるほど、グロウが歌う頻度は増えている。途中で、連帯の気持ちを表
するために(?)ザ・ビートルズの「カム・トゥゲザー」のカヴァーも。い
いじゃん。『ヴードゥ・ビートルズ』を作りなよと、進言する。また、終盤
にキーボード、ドラム、ギターなんかが遊びに来ていた人達に変わる。白人
ギターは山岸のトラをやったりする人とか。ニューオリンズのバンド、Nori
Naraoka’ 93D の来日ライヴも最後は大胆にお客さんに演奏に加わらせた(2
006 年8月8日参照) が、なるほど、そういう開かれた態度、音楽をおおら
かにシェアしようというのもニューオリンズ・ウェイなんだろうな。それは
、パレードなんかに接しても感じることだ。
シャーメイン・ネヴィル。リバース・ブラス・バンド
2007年2月6日 この晩はまず先に書いたdba のすぐ側にあるスナッグ・ハーバー(ちゃ
んとレストランを持つ、ちょい大人っぽいジャズ系のヴェニュー)で、ネヴ
ィル・ブラザーズのチャールズ・ネヴィル(2000年1月12日)の娘のシャー
メイン・ネヴィル。10ドルか15ドル。ピアノ、キーボード、アコースティッ
ク・ベース、ドラム、ギターがサポート。“&フレンズ”となっていて、と
きにアコーディオン奏者や男女シンガーも加わる。もろにジャズっぽいこと
もやれば(「キャラヴァン」他、ベタなジャズ・スタンダードも歌う)、もう
少しポピュラーというかルイジアナっぽい色彩も感じるところもあるし、微
妙というか、なかなか不思議なテイスト。過剰に歌のうまい人ではないのは
すぐに了解できた。大昔、来日したことがあったずだが、どんな音楽性であ
ったっけ。
そして、またメイプル・リーフへ。リバース・ブラス・バンド(2004年9
月17日)は毎火曜に出ているらしい。10ドル。すごい混んでる。すぐ近くに
は24時間営業のコーヒー・ハウスがあったが、観光客というよりは地元の学
生が騒ぎに来ているという感じ。細長〜いハコで(奥には、プール・バーが
またあったりする)、ステージはそんなに広くないのだが、よくグループ全
員がステージ上に納まったな。なんでも、レイ・チャールズの伝記映画『レ
イ』(2004年11月15日)の1シーンやビヨンセ(2001年6月25日、2006
年9月4日)の「デ・ジャ・ヴ」のヴィデオ・クリップがここで撮られたそう。
この晩の彼らは、ダーティー・ダズン・ブラス・バンドが新作でやっていた
マーヴィン・ゲイの「インナーシティ・ブルース」を演奏したりも。意識し
て? 偶然? ......雄々しい、胸を張った今のニューオリンズ・ブラス・バ
ンド表現で同地最後の晩を終える。なかなか、よろしいんではないでしょう
か。
何日かいると、ニューオリンズの特殊性/エキゾ性というのが身にしみる
。まず、なんといっても食い物が特殊だし(けっこう、好奇心あるクチだと
思うが、他の人が言うほどケイジャン料理を美味しいとは思わない。喜んで
食うけど)、建物の感じも違う(フレンチクォーターではなんかの撮影を複
数回見た)。そして、やはりマルディグラという時期にいることも大きいの
だろうけど、流儀や風情が他のどの米国の都市とも違い、超然とあるように
感じるのだ。隣のテキサス州に行けばメキシコ色が濃く入り込んでいるが、
それはLA他の都市でも感じることができるし。それに、カリブやフランス
など、いろんな文化の尻尾がここには絡みあっている。そういえば、他の大
都市に行くと日本人をはじめ、東洋系の人ともすぐにすれちがうが、ニュー
オリンズではそういうことがない(フェスの期間は別だろうけど)。ここの
ところ、ヴェトナム系の人が増えているようだが。やっぱり、日本人は少な
いのね。そりゃ、日本からの直行便がないはずだ。
んとレストランを持つ、ちょい大人っぽいジャズ系のヴェニュー)で、ネヴ
ィル・ブラザーズのチャールズ・ネヴィル(2000年1月12日)の娘のシャー
メイン・ネヴィル。10ドルか15ドル。ピアノ、キーボード、アコースティッ
ク・ベース、ドラム、ギターがサポート。“&フレンズ”となっていて、と
きにアコーディオン奏者や男女シンガーも加わる。もろにジャズっぽいこと
もやれば(「キャラヴァン」他、ベタなジャズ・スタンダードも歌う)、もう
少しポピュラーというかルイジアナっぽい色彩も感じるところもあるし、微
妙というか、なかなか不思議なテイスト。過剰に歌のうまい人ではないのは
すぐに了解できた。大昔、来日したことがあったずだが、どんな音楽性であ
ったっけ。
そして、またメイプル・リーフへ。リバース・ブラス・バンド(2004年9
月17日)は毎火曜に出ているらしい。10ドル。すごい混んでる。すぐ近くに
は24時間営業のコーヒー・ハウスがあったが、観光客というよりは地元の学
生が騒ぎに来ているという感じ。細長〜いハコで(奥には、プール・バーが
またあったりする)、ステージはそんなに広くないのだが、よくグループ全
員がステージ上に納まったな。なんでも、レイ・チャールズの伝記映画『レ
イ』(2004年11月15日)の1シーンやビヨンセ(2001年6月25日、2006
年9月4日)の「デ・ジャ・ヴ」のヴィデオ・クリップがここで撮られたそう。
この晩の彼らは、ダーティー・ダズン・ブラス・バンドが新作でやっていた
マーヴィン・ゲイの「インナーシティ・ブルース」を演奏したりも。意識し
て? 偶然? ......雄々しい、胸を張った今のニューオリンズ・ブラス・バ
ンド表現で同地最後の晩を終える。なかなか、よろしいんではないでしょう
か。
何日かいると、ニューオリンズの特殊性/エキゾ性というのが身にしみる
。まず、なんといっても食い物が特殊だし(けっこう、好奇心あるクチだと
思うが、他の人が言うほどケイジャン料理を美味しいとは思わない。喜んで
食うけど)、建物の感じも違う(フレンチクォーターではなんかの撮影を複
数回見た)。そして、やはりマルディグラという時期にいることも大きいの
だろうけど、流儀や風情が他のどの米国の都市とも違い、超然とあるように
感じるのだ。隣のテキサス州に行けばメキシコ色が濃く入り込んでいるが、
それはLA他の都市でも感じることができるし。それに、カリブやフランス
など、いろんな文化の尻尾がここには絡みあっている。そういえば、他の大
都市に行くと日本人をはじめ、東洋系の人ともすぐにすれちがうが、ニュー
オリンズではそういうことがない(フェスの期間は別だろうけど)。ここの
ところ、ヴェトナム系の人が増えているようだが。やっぱり、日本人は少な
いのね。そりゃ、日本からの直行便がないはずだ。
トゥール
2007年2月9日 前を見た現代ヘヴィ・ロックの雄、会場は青海・ゼップ東京。ジェットの
武道館公演と重なっていたが、相当に混んでいたナ。
で、なかなかに壮絶な実演。一つ一つの楽器音は贅肉が殺ぎ落とされてい
る。だが、それらは効果的にがっちりかみ合い、非常に豊穣な塊、音の壁と
なって聞き手側に向かう。それ、スタイリッシュ。とともに、自分たちの流
儀を求めるのだという気持ちがちゃんと出たものになっているのが良い。照
明の当て方(ヴォーカルには一切光があてられない)、スタージ上のメンバ
ーの並び方(ほぼ、ギター、ヴォーカル、ドラム、ベースと、ほぼ横一線に
広がって並ぶ)など、我が道の出し方はいろいろと。
音は重いし、変拍子も用いるし、ちゃんじいになったぼくとしては家では
あまり聞きたくないタイプの音楽だが、音の創出過程が見えるライヴならO
K。2時間弱のパフォーマンスはアンコールなし。本編が終わってしばらく
の間、メンバーはステージ中央に集まり、歓声に応える。本当に嬉しそう。
その緊張感に満ちたパフォーマンスをしっかりと受け止める我々日本人は彼
らにとってかなり理想的な受け手なのではないのか。
そのあと、FADER JAPAN 誌のパーティに。最後は編集長とサシで、しっか
りと朝まで。最後のほうはあんまし覚えてなーい。ニューオリンズでも無茶し
てるし、オレって元気かも。いや、ただのバカだな。さあ、仕事は山積みだ。
この2月の死のロードを夜遊びもしながら飄々とこなすことが、ぼくはできる
か。
武道館公演と重なっていたが、相当に混んでいたナ。
で、なかなかに壮絶な実演。一つ一つの楽器音は贅肉が殺ぎ落とされてい
る。だが、それらは効果的にがっちりかみ合い、非常に豊穣な塊、音の壁と
なって聞き手側に向かう。それ、スタイリッシュ。とともに、自分たちの流
儀を求めるのだという気持ちがちゃんと出たものになっているのが良い。照
明の当て方(ヴォーカルには一切光があてられない)、スタージ上のメンバ
ーの並び方(ほぼ、ギター、ヴォーカル、ドラム、ベースと、ほぼ横一線に
広がって並ぶ)など、我が道の出し方はいろいろと。
音は重いし、変拍子も用いるし、ちゃんじいになったぼくとしては家では
あまり聞きたくないタイプの音楽だが、音の創出過程が見えるライヴならO
K。2時間弱のパフォーマンスはアンコールなし。本編が終わってしばらく
の間、メンバーはステージ中央に集まり、歓声に応える。本当に嬉しそう。
その緊張感に満ちたパフォーマンスをしっかりと受け止める我々日本人は彼
らにとってかなり理想的な受け手なのではないのか。
そのあと、FADER JAPAN 誌のパーティに。最後は編集長とサシで、しっか
りと朝まで。最後のほうはあんまし覚えてなーい。ニューオリンズでも無茶し
てるし、オレって元気かも。いや、ただのバカだな。さあ、仕事は山積みだ。
この2月の死のロードを夜遊びもしながら飄々とこなすことが、ぼくはできる
か。
ヨ・ラ・テンゴ
2007年2月19日 ぼくがこのいかにもイースト・コーストな3人組ロック・バンドを見るの
は、サン・ラーのメンバーが客演した03年のフジ・ロック・フェスティヴァ
ル以来。渋谷・Oイースト。しなきゃならない仕事のプレッシャーのなか(
青息吐息気味、10日ぶりのライヴ行きだ)、知人たちとお酒を酌み交わしな
がら、楽しく見る。
見聞が広く、確かな視点がうかがえる、大人のパフォーマンス。ときに持
ち楽器を変えつつ、いろんなタイプの楽曲を送りだしていく様はまこと共感
できる。どこかに心の嵐を残したいという(ソニック・ユース状態のときも
あったが、それは逆にすこし予定調和に思えたナ)気持ちや、まずは自分た
ちで楽しまなきゃという澄んだ気持ちを感じさせるのもいい。だからこその
得難い歌心もあるし。はやグループを組んで20年強、技量はプロだけど、ノ
リとしては青臭さを保ちつつバンドが続いているという事に拍手。
は、サン・ラーのメンバーが客演した03年のフジ・ロック・フェスティヴァ
ル以来。渋谷・Oイースト。しなきゃならない仕事のプレッシャーのなか(
青息吐息気味、10日ぶりのライヴ行きだ)、知人たちとお酒を酌み交わしな
がら、楽しく見る。
見聞が広く、確かな視点がうかがえる、大人のパフォーマンス。ときに持
ち楽器を変えつつ、いろんなタイプの楽曲を送りだしていく様はまこと共感
できる。どこかに心の嵐を残したいという(ソニック・ユース状態のときも
あったが、それは逆にすこし予定調和に思えたナ)気持ちや、まずは自分た
ちで楽しまなきゃという澄んだ気持ちを感じさせるのもいい。だからこその
得難い歌心もあるし。はやグループを組んで20年強、技量はプロだけど、ノ
リとしては青臭さを保ちつつバンドが続いているという事に拍手。
ザ・フォーマット
2007年2月22日 アリゾナ州フェニックスをベースとする、新進のポップ・ロック・バンド
。エレクトラ、そしてソニーBMGが配給するインディから1枚ずつアルバム
を発表している。後の『ドッグ・プロブレムズ』には、ロジャー・マニング
Jr. やジョーイ(スペイン)&アンナ(ザット・ドッグ)・ワロンカーらも
ゲスト入りしてたりもし(みんなベックの表現に関与してますね)、それな
りに業界的認知度を上げてきているのだと思う。
定時に出てきたお兄ちゃん達は6人。ヴォーカル、ギター/キーボード2
、ギター、ベース、ドラムという布陣。そんなに人数が必要なサウンドかと
も、ふと思う。右側にいたお調子者っぽいギター/キーボード君はヴォーカリ
ストとともに手拍子をお客にうながしたり、音に合わせて妙なフリをつけた
り(レトロとも言えそうなそれ、米国の田舎で純粋培養されたロック感覚か
なと思わせるものがありました)してて、盛り上げ役という感じもあったか
らなあ。でも、そういう無駄はある種の余裕に繋がるものであり、過剰に巧
いとは思わないが過不足のないサウンドを彼らは出していたと思う。それに
、近所の皆が集まって和気あいあいとやっている風情は悪くない。というか
、ぼくは好き。そういうのもまた、バンドの機微だと思う。
そんな気のよさそうな彼らが送り出すのは、かなりまとまった、ポップな
ロック。そんなに露骨に影響元を感じさせず、そんなに臭くもなく、ある程
度若々しいロック感覚を持たせつつ、彼らはそれを送っていたのではないの
か。フリート・ウッドマックの「ドリームス」やスパークスの捩じれたポップ
曲カヴァーもやったが、それらも彼らの影響源であるのかな。
場所は原宿・アストロホール。広くない会場だが相当に混んでいて、そし
てかなり熱烈な反応をお客は帰す。へ〜え。でも、そういう反応にも頷けた
な。
。エレクトラ、そしてソニーBMGが配給するインディから1枚ずつアルバム
を発表している。後の『ドッグ・プロブレムズ』には、ロジャー・マニング
Jr. やジョーイ(スペイン)&アンナ(ザット・ドッグ)・ワロンカーらも
ゲスト入りしてたりもし(みんなベックの表現に関与してますね)、それな
りに業界的認知度を上げてきているのだと思う。
定時に出てきたお兄ちゃん達は6人。ヴォーカル、ギター/キーボード2
、ギター、ベース、ドラムという布陣。そんなに人数が必要なサウンドかと
も、ふと思う。右側にいたお調子者っぽいギター/キーボード君はヴォーカリ
ストとともに手拍子をお客にうながしたり、音に合わせて妙なフリをつけた
り(レトロとも言えそうなそれ、米国の田舎で純粋培養されたロック感覚か
なと思わせるものがありました)してて、盛り上げ役という感じもあったか
らなあ。でも、そういう無駄はある種の余裕に繋がるものであり、過剰に巧
いとは思わないが過不足のないサウンドを彼らは出していたと思う。それに
、近所の皆が集まって和気あいあいとやっている風情は悪くない。というか
、ぼくは好き。そういうのもまた、バンドの機微だと思う。
そんな気のよさそうな彼らが送り出すのは、かなりまとまった、ポップな
ロック。そんなに露骨に影響元を感じさせず、そんなに臭くもなく、ある程
度若々しいロック感覚を持たせつつ、彼らはそれを送っていたのではないの
か。フリート・ウッドマックの「ドリームス」やスパークスの捩じれたポップ
曲カヴァーもやったが、それらも彼らの影響源であるのかな。
場所は原宿・アストロホール。広くない会場だが相当に混んでいて、そし
てかなり熱烈な反応をお客は帰す。へ〜え。でも、そういう反応にも頷けた
な。
フォール・アウト・ボーイ
2007年2月27日 渋谷・アックス。大人気の米国シカゴのパンク・ポップ系4人組。すでに
、2度ぐらいは来日公演をやったいるはずだが、ぼくは初めて見る。うわあ
、すごいお客さんの反応。もう、その様を見て、年寄りの出る幕はないと感
じる。写真を見るとそうでもないのだが、遠目にはステージに立つ面々の姿
は相当にダサく見える。オーラもまるでなし。それでもトップに立てるとい
うのは、今のコドモたちがロックに求めるものが変わっているのかとも少し
思う。
ギター、ヴォーカル/ギター、ベースが前横一線に並び、その定位置の前
には2,5メートル平米ぐらいのお立ち台がそれぞれ置いてある。タマに上
がるぐらいで、基本的には台の奥に面々は立つ。うち、歌わない二人は物凄
く動く。だが、ぜんぜん演奏が乱れないのは称賛に値する。上手だな。とき
に、ギター専任者はプレイ中に半回転ジャンプをしたりも。大いに笑えた。
MCはすべて、一番年長者のベースが勤める。
友達も連れてきているらしく、アンコールにはデブ君が出てきたり、最後
には女性がベースを弾いたりも。力いっぱい、スカっと連中はパフォーマン
スを遂行した。
、2度ぐらいは来日公演をやったいるはずだが、ぼくは初めて見る。うわあ
、すごいお客さんの反応。もう、その様を見て、年寄りの出る幕はないと感
じる。写真を見るとそうでもないのだが、遠目にはステージに立つ面々の姿
は相当にダサく見える。オーラもまるでなし。それでもトップに立てるとい
うのは、今のコドモたちがロックに求めるものが変わっているのかとも少し
思う。
ギター、ヴォーカル/ギター、ベースが前横一線に並び、その定位置の前
には2,5メートル平米ぐらいのお立ち台がそれぞれ置いてある。タマに上
がるぐらいで、基本的には台の奥に面々は立つ。うち、歌わない二人は物凄
く動く。だが、ぜんぜん演奏が乱れないのは称賛に値する。上手だな。とき
に、ギター専任者はプレイ中に半回転ジャンプをしたりも。大いに笑えた。
MCはすべて、一番年長者のベースが勤める。
友達も連れてきているらしく、アンコールにはデブ君が出てきたり、最後
には女性がベースを弾いたりも。力いっぱい、スカっと連中はパフォーマン
スを遂行した。