朝、ホテルの朝食を取る部屋で、マルディグラを見に来たのと同じくホテ
ルの宿泊客からきかれる。マルデグラの佳境はもう少し先だが、なんとなく
街が浮足立っている感じはおぼろげに判る。店だけでなく個人の家も、黄色
、紫、緑のマルディグラ・カラーたる3色を用いた飾りつけをしていたりす
るし、昨日の夜も地元の人かヴィジターかは知らないが、フレンチクォータ
ーでは仮装しはしゃいで歩いている人達が散見された。

 土曜日である今日は、最初のマルディグラ・パレードが行われる。今年は
20日までにいろんな団体が主催するパレードが48ほど行われることになって
いるらしい。パレードはいろんな場所でなされるが、一番つかわれる事が多
いのはアップタウン界隈で、そのメイン・ストリートたる市電も通るセイント
・チャールズ通りの両側には仮設の観客席が設営されていた。

 この晩のパレードはKUEWE DE VIEUXという団体が主宰、ニューオリンズ
の一番の観光地フレンチクォーター内を回るもので、同所を回るパレードは
あと一度しか予定されていない(道がそんなに広くないせいもあるなのかな
)。7時からということだったが始まったの1時間半ぐらいはおしてからかな
。パレードが進むことになっている道路の両側はほんとうに凄い人。いった
い、どこから沸いてきた? 昨日の夜の1000倍強? というのも、昨日のフ
レンチクォーターは人出がまばらで(歌舞伎町たる、夜のバーボン・ストリ
ートはさすがに賑やかだが)、これでいいのかなあと思わずにはいられなか
ったもの。ちょっと戸惑うととともに、やっぱりハリケーン後の影響を感じ
ずにはられなかったのだ。だが、この晩のあまりの賑わいを見て一安心する
とともに、一般的にはジャズ&ヘリテッジ・フェス以上にマルディグラのほ
うがニューオリンズの売りとなっているという説明にもなんとなく合点がい
くか。

 パレードは趣向を凝らした仮装集団のオン・パレード。それに挟まれるよ
うに、ブラス・バンドが入っていて行進音を奏でる。バレードの人達はマル
ディグラー・カラーのビーズのネックレスをはじめ他愛ない小物を見物人に
ぽんぽん投げ、振る舞う。縁起物? 昔は、それを受け取った女性はおっぱ
いを出さないといけなかったそうだ。見物人も仮装している人が少なくなく
、街中で皆でトーガ・パーティをやっている感じ? だが、残念ながら、パ
レードをかじる程度で(後の方には、リバース・ブラス・バンドも出たよう
だ)、同じフレンチクォーター内にあるハウス・オブ・ブルースへ。B.B.キ
ングがそこで開店13周年を祝う特別公演をやることになっていた。

 130 ドル。そりゃ、前売りを買ってたら、しっかり行きますよね。まして
や、B.B.は先の週にツアー先のテキサス州ガルベストンで入院騒ぎを起こし
たばかり。去年暮れのJBのこと(ツアー中に入院し、そのまま亡くなってし
まった)を思い出したりもし、気が気ではない。会場入りすると、ニューオ
リンズ在住のブルース・マン、ウォルター“ウルフマン”ワシントンが熱演
中。前回(2004年9 月18日)オースティンで見たときより簡素なバンドで、
よりストレートなブルースをやっていると感じる。チケットには8時開演と
だけ書いてあるだけだったが、ちゃんと前座があったか。休憩時に会場をキ
ョロキョロ。なるほど、広いハコで1万5千円という破格な値段にも係わら
ず超満員。黒人客は少ない。2階の特別席を除いて、すべてスタンディン
グ。相当な動員のはずだ。最後に彼を見たのは90年代後半にブルーノート
東京だったが、いやあ今日の条件と比べると天国だったなあ。

 結局、B.B.のショウが始まったのは10時ぐらいだったと思う。ビッグ・サ
ムズ・ファンキー・ネイションの公演もいちおう10時から。あー、これで確
実に行けなくなった。ごめんよー、ビッグ・サム。まず、正装にてびしっと
決めたバック・バンドが登場し、2曲ソロを回すインストをやる。ホーン4
人、ピアノ、サイド・ギター、ベース、ドラムという布陣だったか。そして
、B.B.が登場。すごい歓声の沸き方。金色の燕尾服のようなファッションの
B.B.は中央の椅子に座る。それはずっと前からであり、顔はかなりゲソっと
しているが前からやっているダイエットのためもあるだろう。一声は「やあ
、俺は戻ってきたゼ! ああ、俺は元気だ。まだ81歳だからな、はっはっは
」みたいな感じ。それで、また割れるような喝采。
 
 その後は、ときにジャンピーでジャジーなバック・サウンドに乗って、た
っぷりとした喉と艶のあるギター・ソロを思うまま披露していく。なるほど
、まあ元気じゃん。これだけやってくれれば、なんの不満もない。途中で、
B.B.がゲスト入りしたU2の「ホヘン・ラヴ・カムズ・トゥ・タウン」(88
年作『ラトル・アンド・ハム』に収録)をやる。何でこの曲を? ニューオ
リンズとなんか関連している曲なんだっけか。そういえば、89年だかにB.B.
はU2(2006年12月4日)の前座で来日したことがあって、そんときインタ
ヴューしたっけ。普段、変なプロ意識からインタヴューの際はアーティスト
にサインしてもらっり一緒に写真を撮ったりしない私ではあるが、さすがに
あのときはレコード数枚にサインしてもらった。よく言われるように、偉そ
うな風体ながらとっても腰の低い人で、帰り際にはピックとかカードとかい
ろいろくれたっけなー。

 中盤を過ぎて以降は、ホーン陣が引っ込んで、よりじっくりダウン・ホー
ムな感じにて(と書いてしまうと、誇張になるけど)。おいおい、まだやる
のかよって、感じ。次、もう一本予定が入ってて、その勇士を最後まで見れ
なかった。

 で、すでに10年以上ニューオリンズに居住しているギタリストの山岸潤史
(1999年8月5日、2000年12月7日、2001年7月16日、2004年3月30日、20
05年7月30日、2005年7月31日)と落ち合って、カナル通りに面したステ
イト・パレス・シアターに。この古い、けっこう大きな劇場の向かいはメイ
ズの『ライヴ・イン・ニューオリンズ』(キャピトル、81年)が録音された
場所だ。山岸はニューオリンズに着たとき、まずそこに行ったのだとか。

 ステイト・パレスでやっているのは、この日見たパレードを主催した団体
が企画したアフター・パーティというか、これから当分つづくマルディグラ
のキック・オフ・パーティというべきもの。会場入りすると2番目の出演グ
ループである、白人のロック系バンドがやっている。すでに、予定は1時間
以上ズレているとか。会場1階の椅子は前半分は座席がとっぱわられていて
、スタンディングの仕様。集まってきている人の大半は変な格好をしている
。そして、浮かれまくっている。

 3番目の出し物は、ザ・ミーターズの名ドラマーのジガブー・モデリス
テが主宰するファンク・セッション。サックス、キーボード、ギター(昨日
もティピティナズに出ていた人。ザ・ミーターズのメンバーだったこともあ
るとか)、ベース奏者(パパ・グロウズ・ファンクのツアーに参加したこと
がある人)などが加わる。それぞれに、活動歴を持つ人達だそう(山岸
大先生に名前を書いてもらった紙、どっかに行っちゃったよー。彼、けっ
こう達筆です)。けっこう、ジガブーは歌いながら叩く。1時間の奔放に
弾むパフォーマンスを、休憩を挟んで2セット。まさに、ニューオリンズ・
セカンド・ライン・ファンクの大盤振る舞い。バックステージにいることが
出来たため、そしてジガブーは後方の角に位置して叩いていたため、
「アフリカ」や「アイコ・アイコ」はすぐ真後ろからじっくりと叩く姿を見ちゃ
った。スネアのスナップが非常に特殊ネ。まさに、身に余る僥倖。ぼく
だけでなく、現地の好き者も5人ぐらいはそんな感じで彼を注視してい
た。たまらず、セカンド・セットが終わったあと、一緒に写真を撮ってもら
う。それから、セカンド・ショウの最後にはパパ・グロウズ・ファンク(2004年
3月30日)のジョン・グロウが加わり、アール・キング曲とドクター・ジョン
曲をキーボードを弾きながら熱唱した。

 そして、このイヴェントの真打ちは、山岸潤史が音楽ディレクターを受け
持つ、ザ・ワイルド・マグノリアス(1999年8月5日、2001年7月16日)。
あのマルディグラ・インディアンの格好が出てくるだけで、場が華やぎ、
高揚を誘う。今、同グループには日本でチル・ヘイズというバンドに入っ
ていた小牧恵子がオルガンで参加している。それから、ベースはフレディ
・キングの弟でNO在住のベニー・ターナーがメンバー。その彼、フレディと
は全然にておらずとっても若く見え、かなり格好いい。彼(ベースをピッ
ク弾きします)と山岸は今フレディ・キングのトリビュート・アルバムを
制作中。もしかすると、そこにはあっと驚くビッグ・ネームが入るかも。
なお、ターナーがザ・ワイルド・マグノリアスに入ったのは山岸の推薦では
なく、他のメンバーが言い出したのだそう。この晩のセットの1曲目はブル
ースのインスト。山岸は水を得た魚のよう。やっぱり、ブルースは彼にと
って”ホーム”のような感じもあるんだろうな。それから、終盤にはジガブ
ーも加わり、ツイン・ドラムでやったりも。聞けば、実はジガブー、ザ・
ワイルド・マグノリアスのオリジナル・ドラマーなんだとか。なんだかん
で、皆つながっているんだよなー。パーティが終わったのは4時ぐらいだ
ったかな。