SPRINGROOVE
2006年4月2日 イヴェンターのクリエイティブマンお得意の幕張メッセ使用のイヴェント
で、ヒップホップ/R&B/レゲエ関連アーティストをまとめて提供しよう
とする。二つのステージを横にならべて、交互にパフォーマンスを見せる。
マウンテンとオーシャンという名前と、その看板は夏のサマーソニックの使
い回し。だが、サマソニと異なり、再入場不可。それ、リストバンド製作代
を節約したためか、それとも貧困なものしか提供しないテナント売店をきっ
ちり利用させるためか。土曜日に延々と花見をやったとき意外に肌寒かった
という所感が鮮明なのと、なんとなくメッセは冷えるというイメージがあっ
たのでそれなりのオーヴァーコートを来て入場したら、必要なかった。判断
ミス、残念。それから、各ライヴが始まる前にインターFM関係者がMCを
するのだがウザすぎ。恰好悪い。
UKソウル・マン、ネイト・ジェイムズからちゃんと見る。おお、おでこ
の広い人だなあ。白人男性と黒人女性のバック・コーラス、白人ギター、黒
人キーボード、黒人ドラマーという布陣がサポート。柔和で、メロディアス
な、なかなか手触りのいいR&Bを聞かせる。英国のジョン・レジェンド(
2005年5月8日)なるもの、なんちって。もっと、厚い編成で聞いてみたい
とも思ったが、なかなかいいアーティストであり、ショウ。自作にまじえ、
スティーヴィ・ワンダーの「迷信」もちらり。ホーン・セクション音はコー
ラス陣が口でパラパラと歌っていた(笑)。
NYのラップ・グループ、ジミ・クラス・ヒーローズはバンド付きにての
パフォーマンス。ほんの少ししか見なかったが、ちゃらさがポイントね。ま
た、DABOたち日本人ラッパー共同体のニトロ・マイクロフォン・アンダ
ーグラウンドはドラム付き。なんと屋敷豪太(1999年7月31日)が叩いて
いたそう。現在、彼は日本にけっこういるらしい。
と、ジャパニーズ・レゲエ・ダブ(cfミュート・ビート)の大ヴェテラン
が出たあとは、3組のレゲエ系アーティトが続いて出演。きっちりと自分た
ちの帝国を築いているマイティ・クラウンはスキンヘッドのお兄さん一人が
セレクターとMCを巧みにこなす。煽りかたも堂にいっている。あれれ、グ
ループじゃないの? 続く、ボブ・マーリーの一番下の息子(御大が死ぬ2
年前、78年生まれ)であるダミアン“ジュニア・ゴング”・マーリィは親父
が作った有名曲さわりをバンドが演奏するなか登場。それ、ちょっと安易す
ぎないかと思ったが、以下はけっこうダンス・ホールっぽいのりでパフォー
マンスし、やはり父とは別だよねと安心する。が、後半になるともっとルー
ツっぽくなり、どんどん父親を想起させるようになってきて、パフォーマン
ス自体はいいのだが、うーむ。声も父親に似ているし。偉大な父親の影を用
いるな、というのは酷なことなのかもしれぬが。ラスタの旗を振るだけの人
がステージにずっといました。そして、日本人シンガーのPUSHIN。デ
ビューしたばかりのころに取材したことがあっていい印象が残っているが、
見事に成長しているナ。あと、痩せたな。ソウル流儀をうまく取り入れた、
両手を広げた私のレゲエ・ヴォーカル……。
そして、女性流れで(?)、見事なアフロ・ヘアを持つエリカ・バドゥ(
2000年11月20日)が登場。さすが、現代型R&Bシンガーの代表格
とうなるしかないパフォーマンス。すげえプロ、恰好いい。前回の来日は見
てないが、いろんな面でゴージャスに進歩していると思った。うーん、そろ
そろ新作が聞きたいぞお。とともに、きっちり期待できる、とも思った。
ラスト2は名プロデューサー・チームのザ・ネプチューンズの2分の一で
あり、N.E.R.D(2004年8月8日).でまた一つ男を上げたファレル・ウ
ィリアムス。彼もきっちりバンドを率いてのもの。しかも、ツイン・ドラ
ムスやんけ。彼ともう一人のMCで、ぐいぐいとパフォーマンスしていく。
そして、最後のスヌープ・ドッグはなかなか出てこなくて、ちょい会場が
ざわめく。機嫌悪くて出てこないんじゃないかと、心配になった人もいた
? そしたら、ニコニコ顔で本人は登場。ヴィジョンを見ると顔つきも変
わってないし、バンドを伴っての
ショウはなかなかいい感じ。彼ももう一人を前に出して、基本2MCにて。
決して、切れがあるとか、質量感があるとかいう声ではないが、なんかふふ
となれる。女性ダンサー4人がちょい出てきたり、女性ラョパーも出てきた
りと、いろいろて連れてきたんだなあ。
顔ぶれも実演もそれなりに良くて、またやってほしいイヴェント。でも、
対で開かれた今様パンク系が集まったPUNKSPRING(東京は同じ場所
で4月1日)はちゃんと2006とイヴェント名に付いていたが、こちらは何も
付いていない。今年だけのものにする予定なのだろうか。一番近い駐車場に
とめ、2700円なり。9時間いたことになるのか。
で、ヒップホップ/R&B/レゲエ関連アーティストをまとめて提供しよう
とする。二つのステージを横にならべて、交互にパフォーマンスを見せる。
マウンテンとオーシャンという名前と、その看板は夏のサマーソニックの使
い回し。だが、サマソニと異なり、再入場不可。それ、リストバンド製作代
を節約したためか、それとも貧困なものしか提供しないテナント売店をきっ
ちり利用させるためか。土曜日に延々と花見をやったとき意外に肌寒かった
という所感が鮮明なのと、なんとなくメッセは冷えるというイメージがあっ
たのでそれなりのオーヴァーコートを来て入場したら、必要なかった。判断
ミス、残念。それから、各ライヴが始まる前にインターFM関係者がMCを
するのだがウザすぎ。恰好悪い。
UKソウル・マン、ネイト・ジェイムズからちゃんと見る。おお、おでこ
の広い人だなあ。白人男性と黒人女性のバック・コーラス、白人ギター、黒
人キーボード、黒人ドラマーという布陣がサポート。柔和で、メロディアス
な、なかなか手触りのいいR&Bを聞かせる。英国のジョン・レジェンド(
2005年5月8日)なるもの、なんちって。もっと、厚い編成で聞いてみたい
とも思ったが、なかなかいいアーティストであり、ショウ。自作にまじえ、
スティーヴィ・ワンダーの「迷信」もちらり。ホーン・セクション音はコー
ラス陣が口でパラパラと歌っていた(笑)。
NYのラップ・グループ、ジミ・クラス・ヒーローズはバンド付きにての
パフォーマンス。ほんの少ししか見なかったが、ちゃらさがポイントね。ま
た、DABOたち日本人ラッパー共同体のニトロ・マイクロフォン・アンダ
ーグラウンドはドラム付き。なんと屋敷豪太(1999年7月31日)が叩いて
いたそう。現在、彼は日本にけっこういるらしい。
と、ジャパニーズ・レゲエ・ダブ(cfミュート・ビート)の大ヴェテラン
が出たあとは、3組のレゲエ系アーティトが続いて出演。きっちりと自分た
ちの帝国を築いているマイティ・クラウンはスキンヘッドのお兄さん一人が
セレクターとMCを巧みにこなす。煽りかたも堂にいっている。あれれ、グ
ループじゃないの? 続く、ボブ・マーリーの一番下の息子(御大が死ぬ2
年前、78年生まれ)であるダミアン“ジュニア・ゴング”・マーリィは親父
が作った有名曲さわりをバンドが演奏するなか登場。それ、ちょっと安易す
ぎないかと思ったが、以下はけっこうダンス・ホールっぽいのりでパフォー
マンスし、やはり父とは別だよねと安心する。が、後半になるともっとルー
ツっぽくなり、どんどん父親を想起させるようになってきて、パフォーマン
ス自体はいいのだが、うーむ。声も父親に似ているし。偉大な父親の影を用
いるな、というのは酷なことなのかもしれぬが。ラスタの旗を振るだけの人
がステージにずっといました。そして、日本人シンガーのPUSHIN。デ
ビューしたばかりのころに取材したことがあっていい印象が残っているが、
見事に成長しているナ。あと、痩せたな。ソウル流儀をうまく取り入れた、
両手を広げた私のレゲエ・ヴォーカル……。
そして、女性流れで(?)、見事なアフロ・ヘアを持つエリカ・バドゥ(
2000年11月20日)が登場。さすが、現代型R&Bシンガーの代表格
とうなるしかないパフォーマンス。すげえプロ、恰好いい。前回の来日は見
てないが、いろんな面でゴージャスに進歩していると思った。うーん、そろ
そろ新作が聞きたいぞお。とともに、きっちり期待できる、とも思った。
ラスト2は名プロデューサー・チームのザ・ネプチューンズの2分の一で
あり、N.E.R.D(2004年8月8日).でまた一つ男を上げたファレル・ウ
ィリアムス。彼もきっちりバンドを率いてのもの。しかも、ツイン・ドラ
ムスやんけ。彼ともう一人のMCで、ぐいぐいとパフォーマンスしていく。
そして、最後のスヌープ・ドッグはなかなか出てこなくて、ちょい会場が
ざわめく。機嫌悪くて出てこないんじゃないかと、心配になった人もいた
? そしたら、ニコニコ顔で本人は登場。ヴィジョンを見ると顔つきも変
わってないし、バンドを伴っての
ショウはなかなかいい感じ。彼ももう一人を前に出して、基本2MCにて。
決して、切れがあるとか、質量感があるとかいう声ではないが、なんかふふ
となれる。女性ダンサー4人がちょい出てきたり、女性ラョパーも出てきた
りと、いろいろて連れてきたんだなあ。
顔ぶれも実演もそれなりに良くて、またやってほしいイヴェント。でも、
対で開かれた今様パンク系が集まったPUNKSPRING(東京は同じ場所
で4月1日)はちゃんと2006とイヴェント名に付いていたが、こちらは何も
付いていない。今年だけのものにする予定なのだろうか。一番近い駐車場に
とめ、2700円なり。9時間いたことになるのか。
シガー・ロス
2006年4月5日 自我や美意識やストーリーを素晴らしく持とうとする、アイスランドから
世界に飛び出した、“響き”のロック・バンド。パフォーマンスの模様は、
2003年4月14日の項に書いたものと大きく変わるものではない。緊張感
に変わりもっとウェットさが増して(そのため、ドラマーが前より奥に引っ
込んでいたな)いるところはあったものの、我が道を行く、生理的に壮絶な
バンドという印象は同様だ。
例によって、弦楽四重奏の女性たちを従える。で、今回はその女性4人が
まず登場して、演奏を聞かせる。ラップトップ・コンピューターやヴァイブ
ラフォンやカリンバみたいな楽器などもいろいろと用いてのもので、ノリ(
音楽性ではなく)としてはタウン&カントリー(2003年11月27日、20
06年3月3日)を少し思い出させるかな。バックのサポートの人が飄々と
露払い役を担うということにかけては、ビョーク公演におけるマトモス(2
001年12月5日)と同じだ。
始まりと終わりは、ステージ前に白い幕を張り、そこに光や映像を照らす
。何からなにまで、雰囲気とか効果とかに留意しながら、光と影が交錯する
ような、余韻が余韻を呼ぶような音楽を送りだす。今回そのパフォーマンス
を見ながらぼくが想起せずにはいられなかったのはビョーク。それは、国籍
が同じとか音楽性ということでなく(でも、やっぱりアイスランドという属
性は大きくモノをいっているのか?)、自分たちならではの確固とした美意
識に支えられた世界を作りだそうという強い意思のようなものによる。それ
が、ハンパじゃない。そして、それが独りよがりや頭でっかちにならずに、
きっちりと質の高いもう一つのポップ・ミュージックになっていることに感
服してしまう。
会場は渋谷・アックス。鬼のように混み合ってて(お酒を買いに出たら、
入れなくて困った)、繊細なパフォーマンスに集中しづらいというところは
あったのは間違いない。テンポが似ている曲(本当に、どの曲もゆっくり)
が多かったためか、ちょい曲が似て聞こえ、変化が欲しいナと感じるところ
も少しはあった。彼らのような音楽はやはり椅子付きのホールで見たい。本
編は約2時間。
世界に飛び出した、“響き”のロック・バンド。パフォーマンスの模様は、
2003年4月14日の項に書いたものと大きく変わるものではない。緊張感
に変わりもっとウェットさが増して(そのため、ドラマーが前より奥に引っ
込んでいたな)いるところはあったものの、我が道を行く、生理的に壮絶な
バンドという印象は同様だ。
例によって、弦楽四重奏の女性たちを従える。で、今回はその女性4人が
まず登場して、演奏を聞かせる。ラップトップ・コンピューターやヴァイブ
ラフォンやカリンバみたいな楽器などもいろいろと用いてのもので、ノリ(
音楽性ではなく)としてはタウン&カントリー(2003年11月27日、20
06年3月3日)を少し思い出させるかな。バックのサポートの人が飄々と
露払い役を担うということにかけては、ビョーク公演におけるマトモス(2
001年12月5日)と同じだ。
始まりと終わりは、ステージ前に白い幕を張り、そこに光や映像を照らす
。何からなにまで、雰囲気とか効果とかに留意しながら、光と影が交錯する
ような、余韻が余韻を呼ぶような音楽を送りだす。今回そのパフォーマンス
を見ながらぼくが想起せずにはいられなかったのはビョーク。それは、国籍
が同じとか音楽性ということでなく(でも、やっぱりアイスランドという属
性は大きくモノをいっているのか?)、自分たちならではの確固とした美意
識に支えられた世界を作りだそうという強い意思のようなものによる。それ
が、ハンパじゃない。そして、それが独りよがりや頭でっかちにならずに、
きっちりと質の高いもう一つのポップ・ミュージックになっていることに感
服してしまう。
会場は渋谷・アックス。鬼のように混み合ってて(お酒を買いに出たら、
入れなくて困った)、繊細なパフォーマンスに集中しづらいというところは
あったのは間違いない。テンポが似ている曲(本当に、どの曲もゆっくり)
が多かったためか、ちょい曲が似て聞こえ、変化が欲しいナと感じるところ
も少しはあった。彼らのような音楽はやはり椅子付きのホールで見たい。本
編は約2時間。
ベン・シドラン
2006年4月9日 今、ベン・シドラン(1942年生まれ)といって、どのぐらいの知名度を持
つのだろうか。
もともとジャズや黒人音楽の素養はあったものの、71年のデビュー作は時
代を反映し、ロックの方(スティーヴ・ミラー・バンドにいた。大学が同じ
だった)から異色のアーティストとしてデビューしたピアニスト/シンガー
。そのキャピトル発のデビュー作は確か英国録音でやはり大学からの仲間だ
ったボズ・スキャッグスをはじめ、ピーター・フランプトンやチャーリー・
ワッツなんかも入っていたと記憶する。その後、ブルー・サム、アリスタ、
ホランズン他から洒脱なジャジー・ポップ作品を飄々と出している。そんな
彼は90年前後に“ゴー・ジャズ”という自己レーベルを設立し、かなり精力
的にアルバムをリリースしたが、そうしたなかジョージィ・フェイムやフィ
ル・アップチャーチらのリーダー作は本当に素晴らしいものだったし、あの
頃のゴー・ジャズの多分にファンキーなハウス・バンド・サウンドは実にい
けてたと思う。
そんな彼は北中部ウィスコンシン州ラシンという町の生まれ。若いときは
大都市に出ていたはずだが、ゴー・ジャズをやる頃にはとっくに地元に戻っ
ていた。彼が住んでいる所から一番近い音楽都市がミネソタ州のミネアネポ
リスで、彼はそこでレコーディングしたりもし、その近郊にいる才能を的確
に拾い上げたりもした。で、その最たる人達がビリー(ベース)、リッキー
(キーボード)、セイント・ポール(ギター、歌)らのピーターソン兄弟。
とくにワーナー・ブラザーズからリーダー作を出した90年ごろからリッキー
はなかなか売れっ子のアレンジャー/セッション・マンになり、かのプリン
スにも気に入られて彼のアルバム/および関連作にもいろいろと関与してい
る(その場合は、リッキー・Pとクレジットされたりも)。また、ルックス
のいいセイント・ポールは元々17才でザ・タイムと関わり、85年にプリンス
のペイズリー・パークからザ・ファミリーというグループ(もちろん、ロジ
ャー・チャップマンの名UKバンドとは別)でデビューしたことのある人(
その後、アトランティック他からソロも出している)。それから、プリンス
・バンドに関与している名手マイケル・ブランドも確か彼ら周辺から出てき
た人だ。
現在は“ナルディス(シドランのスペルを逆さにしたもの)”という自己
レーベルを持っていたりもするシドランのことを見るのは、なんか本当に久
しぶり。だが、前よりもカッコ良くなった感じもあって、うれしかったナ。
ボブ・ロックウェル(テナー、フルート)、マイク・リッチモンド(ウッド
・ベース)、リオ・シドラン(ドラム)がサポートについてのもの。ロック
ウェルとリッチモンドはともにスティープル・チェイスから何枚ものリーダ
ー作を出していたりする腕自慢。リオ・シドランはベンの息子で、自己リー
ダー作は歌入りでもっとポップで、機械経由のことをやっていたりする。
全員、スーツ&ネクタイ着用。そして、1曲目はもろストレート・アヘッ
ドなジャズ。ちょい、びっくり(彼のそういう演奏を聞くのは初めてと思う
)。だが、2曲目からは洒脱なヴォーカル付きのパフォーマンスとなる。と
はいえ、縦ベース起用につき、これまでになくジャジーな路線に則っていた
とは思うけど。で、ワン・コードの繰り返しのなか洒落っぽくシング・トー
クしていくような曲が2曲あったのだが、これがなかなか味と個性あり。い
やあ、シドランは得難いゾと思わせられた。やはり、知識と洒脱、みごとに
溶け合ってました。
丸の内・コットンクラブ(セカンド)。いろいろ詰まっててどっしよっか
なーと思っていたのが、行って良かった。やっぱり、ライヴはなるべく行か
なきゃと再認識。とともに、なんか彼のキャリアをちゃんと書き留めておき
たくなったので、長々と書いちゃった。
つのだろうか。
もともとジャズや黒人音楽の素養はあったものの、71年のデビュー作は時
代を反映し、ロックの方(スティーヴ・ミラー・バンドにいた。大学が同じ
だった)から異色のアーティストとしてデビューしたピアニスト/シンガー
。そのキャピトル発のデビュー作は確か英国録音でやはり大学からの仲間だ
ったボズ・スキャッグスをはじめ、ピーター・フランプトンやチャーリー・
ワッツなんかも入っていたと記憶する。その後、ブルー・サム、アリスタ、
ホランズン他から洒脱なジャジー・ポップ作品を飄々と出している。そんな
彼は90年前後に“ゴー・ジャズ”という自己レーベルを設立し、かなり精力
的にアルバムをリリースしたが、そうしたなかジョージィ・フェイムやフィ
ル・アップチャーチらのリーダー作は本当に素晴らしいものだったし、あの
頃のゴー・ジャズの多分にファンキーなハウス・バンド・サウンドは実にい
けてたと思う。
そんな彼は北中部ウィスコンシン州ラシンという町の生まれ。若いときは
大都市に出ていたはずだが、ゴー・ジャズをやる頃にはとっくに地元に戻っ
ていた。彼が住んでいる所から一番近い音楽都市がミネソタ州のミネアネポ
リスで、彼はそこでレコーディングしたりもし、その近郊にいる才能を的確
に拾い上げたりもした。で、その最たる人達がビリー(ベース)、リッキー
(キーボード)、セイント・ポール(ギター、歌)らのピーターソン兄弟。
とくにワーナー・ブラザーズからリーダー作を出した90年ごろからリッキー
はなかなか売れっ子のアレンジャー/セッション・マンになり、かのプリン
スにも気に入られて彼のアルバム/および関連作にもいろいろと関与してい
る(その場合は、リッキー・Pとクレジットされたりも)。また、ルックス
のいいセイント・ポールは元々17才でザ・タイムと関わり、85年にプリンス
のペイズリー・パークからザ・ファミリーというグループ(もちろん、ロジ
ャー・チャップマンの名UKバンドとは別)でデビューしたことのある人(
その後、アトランティック他からソロも出している)。それから、プリンス
・バンドに関与している名手マイケル・ブランドも確か彼ら周辺から出てき
た人だ。
現在は“ナルディス(シドランのスペルを逆さにしたもの)”という自己
レーベルを持っていたりもするシドランのことを見るのは、なんか本当に久
しぶり。だが、前よりもカッコ良くなった感じもあって、うれしかったナ。
ボブ・ロックウェル(テナー、フルート)、マイク・リッチモンド(ウッド
・ベース)、リオ・シドラン(ドラム)がサポートについてのもの。ロック
ウェルとリッチモンドはともにスティープル・チェイスから何枚ものリーダ
ー作を出していたりする腕自慢。リオ・シドランはベンの息子で、自己リー
ダー作は歌入りでもっとポップで、機械経由のことをやっていたりする。
全員、スーツ&ネクタイ着用。そして、1曲目はもろストレート・アヘッ
ドなジャズ。ちょい、びっくり(彼のそういう演奏を聞くのは初めてと思う
)。だが、2曲目からは洒脱なヴォーカル付きのパフォーマンスとなる。と
はいえ、縦ベース起用につき、これまでになくジャジーな路線に則っていた
とは思うけど。で、ワン・コードの繰り返しのなか洒落っぽくシング・トー
クしていくような曲が2曲あったのだが、これがなかなか味と個性あり。い
やあ、シドランは得難いゾと思わせられた。やはり、知識と洒脱、みごとに
溶け合ってました。
丸の内・コットンクラブ(セカンド)。いろいろ詰まっててどっしよっか
なーと思っていたのが、行って良かった。やっぱり、ライヴはなるべく行か
なきゃと再認識。とともに、なんか彼のキャリアをちゃんと書き留めておき
たくなったので、長々と書いちゃった。
フューネラル・フォー・ア・フレンド。ファイトスター
2006年4月10日 グループ名を聞いただけでちょっと萎えちゃう(前者はザ・ダーティ・ダ
ズン・ブラス・バンドのアルバム名をまず思い出すよなあ……)、英国の若
手バンドを二つ見る。ときに虚勢張ったダミ声が入ったり、はったりっぽい
激情やヘヴィ傾向パーツが組み込まれたり、ということについて、両者は重
なっていたりもする。二つともフェス関連ですでに来日済みのようだが、と
もにぼくは初めて見る。恵比寿・リキッドルーム。集まっている人は、普通
のロック・ファンという感じの人たち。普段会う、同業者の知り合いとは一
人も会わなかった。恵比寿・リキッドルーム。
まず、バステッドにいた人が中央にいるファイトスター。これが、今のハ
ード・ロックなのかな、だったらぼくは耐えられるゾと思いながら見る。歌
声の不自然さはバツだが、妙な清々しさも感じたし。40分ぐらいはやりまし
た。そこそこ、声援も飛ぶ。
そして、フューネル・フォー・ア・フレンド。ファイトスターと比べると
、貧相でカッコ悪い。その動きを含め、なんかちゃらくもある。でも、送り
だされる音はまっとうだし、娯楽性も持つ。どう見ても、ぼくの好みから離
れることをやっているに、ばっちり音が決まっていて聞かせる。コーラスも
とれる。これはこれでいいだろうと思わせる説得力がある。お客の反応も実
に熱烈で(まあ、ぼくの所感においては“パラパラ客”−2002年2月15
日の項を参照してね−ではあるのだが)、「ジュナウ」という曲などはみん
な大合唱。途中に、ファイトスターの人が出てきてちょっと歌ったり。けっ
こう、傍目には仲が良さそうな感じも。ちゃんと気持ちがあって、気持ち良
く身体を揺らすことが出来ました。
仏政府、新雇用制度を撤回というニュースをその後、流れた場所で知る。
フランスの民衆、すげえ。フランス車のってて良かったぁ?
ズン・ブラス・バンドのアルバム名をまず思い出すよなあ……)、英国の若
手バンドを二つ見る。ときに虚勢張ったダミ声が入ったり、はったりっぽい
激情やヘヴィ傾向パーツが組み込まれたり、ということについて、両者は重
なっていたりもする。二つともフェス関連ですでに来日済みのようだが、と
もにぼくは初めて見る。恵比寿・リキッドルーム。集まっている人は、普通
のロック・ファンという感じの人たち。普段会う、同業者の知り合いとは一
人も会わなかった。恵比寿・リキッドルーム。
まず、バステッドにいた人が中央にいるファイトスター。これが、今のハ
ード・ロックなのかな、だったらぼくは耐えられるゾと思いながら見る。歌
声の不自然さはバツだが、妙な清々しさも感じたし。40分ぐらいはやりまし
た。そこそこ、声援も飛ぶ。
そして、フューネル・フォー・ア・フレンド。ファイトスターと比べると
、貧相でカッコ悪い。その動きを含め、なんかちゃらくもある。でも、送り
だされる音はまっとうだし、娯楽性も持つ。どう見ても、ぼくの好みから離
れることをやっているに、ばっちり音が決まっていて聞かせる。コーラスも
とれる。これはこれでいいだろうと思わせる説得力がある。お客の反応も実
に熱烈で(まあ、ぼくの所感においては“パラパラ客”−2002年2月15
日の項を参照してね−ではあるのだが)、「ジュナウ」という曲などはみん
な大合唱。途中に、ファイトスターの人が出てきてちょっと歌ったり。けっ
こう、傍目には仲が良さそうな感じも。ちゃんと気持ちがあって、気持ち良
く身体を揺らすことが出来ました。
仏政府、新雇用制度を撤回というニュースをその後、流れた場所で知る。
フランスの民衆、すげえ。フランス車のってて良かったぁ?
ファンク・ブラザーズ。シック
2006年4月11日 ファンク・ブラザーズとは60年代のモータウン表現の屋台骨を担った、そ
の奥にはいろんなドラマありの、同社ハウス・ミュージシャンたちの名称。
名音楽映画『永遠のモータウン』(2003年12月2日)の評判から興行を
やるようになったものが、やっと日本にやってきた。
ステージに上がったミュージシャンの数は、なんと14人。そのなか、オリ
ジナル時(60年代のあの頃の)の奏者はパーシッションのジャック・アシュ
フォードとオルガンのジョー・ハンター。その二人だけが年配で、あとは年
齢がいってても50才ぐらいか。だが、6弦で粘ったフレイズを弾くリック・
ジェイムズ似のベーシストをはじめ、力量は十分なもの。ラリー・ジョンソ
ンというフロントに立つシンガーも無名ながらきっちり歌い進行の出来る人
だし、二人の女性コーラス(とくに白人のおばちゃんはうまかったなあ)も
ちゃんとしている。やっぱり、アメリカのショービズの世界には巧い人がゴ
ロゴロいるんだろうなと痛感。とともに、モータウン曲は彼らにとってはま
さしく基本にある“課題曲”のようなものだろう。唯一ナゾと言えば、サイ
ド・キーボードの白人のおちっゃんの存在(他はプレイヤーの多くは黒人)
。ほとんどキーボード弾かないで、後ろのほうで地味な振り付きでコーラス
を笑顔で付けていた。でも、なんかそれもほほえましくて、そういう無駄も
ありかも知れぬと思ったりして。
テンプスの「エイント・トゥ・プラウド・トゥ・ベッグ」や「マイ・ガー
ル」をはじめ、スプリームス、スティーヴィ・ワンダー、マーヴェレッツ、
マーヴィン・ゲイ他の超有名曲がずらり。それを、しっかりと送り届ける。
モータウンがいっぱい。そりゃ、無条件でいい気分になっちゃうよなー。レ
パートリーはいろいろありますという感じで、彼らはセットごとに曲や曲順
を少し変えてやっているようだ。
アンコールはジュニア・ウォーカーの「ショット・ガン」。ビートに合わ
せて、ぐいぐい踊っちゃう。本当に楽しかった! とっても、気持ち良かっ
た! 実はぼく、高校入るころからファンクやブルースは聞いていたが、甘
ったるく感じるモータウンはほとんど接したことがなくて(テンプスの「パ
パ・ウォズ・ア・ローリングストーン」は不気味な歌だなあと思って、ポイ
したことあり。ポップなほうは、ロックでまかなえばいいと思っていたかな
)、ちゃんと接するようになったのは社会人になってからだった。だが、い
つの間にか、本当に本当に大好きになっちゃってるんだなーとも思い感無量
。そのパフォーマンスに触れながら、モータウンって本当に幸せな音楽であ
り、希望を感じさせる音楽であるとも感じずにはいられず。ああ、モータウ
ンって凄い。丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)
そして、時代は15年先に進み、場所はデトロイトからNYへ移る。
南青山・ブルーノート東京に移動して、シック(2003年4月15日、20
03年8月24日)を見る。やはり、事情が許せば来日するたびに触れたいと
思わせる素晴らしいライヴ・バンドと言うしかない。今回も質が高く、サー
ヴィス満点で、最高にぼくは楽しんだ。アメリカ黒人音楽、万歳。
こちらは、全10人編成による。ファンク・ブラザースのほうは服装を黒基
調でまとめていたが、こちらはみんな真っ白な服で揃えている。曲よし、演
奏よし、エンターテインメント精神よし(最後のほうには、ブルーノートで
写真を撮れるのはシックだけ、みたいな前置き付きで、写真撮影タイムもあ
り)。80年代中期には一時、ロックのほうまで仕切った(デイヴィッド・ボ
ウイの『レッツ・ダンス』他)シック軍団だが、彼らもまた確固たる財産を
築いている。曲が出てくると、あ〜コレコレコレの連続。ギターのナイル・
ロジャーズとベースのジェリー・バンーズ(妹のカトリース・バーンズや沼
澤尚らと一緒にレコーディング・ユニットを組んでいて、アルバム発売リリ
ース/ライヴお披露目を目指している)とオマー・ハキムのトライアングル
はとにかく強力。3人だけの手癖演奏、聞いてみた〜い。
というわけで、この晩は米国黒人音楽の蓄積にいっぱい触れる。至福。な
ぜか新富町にあるお店(銀座あがりの和服女性がいたりするのが、場所柄ね
)に流れるが、途中から合流した先輩Yさんが家まで送ってくれる。いい人
だあ。3時ぐらい、すごい雨だった。
の奥にはいろんなドラマありの、同社ハウス・ミュージシャンたちの名称。
名音楽映画『永遠のモータウン』(2003年12月2日)の評判から興行を
やるようになったものが、やっと日本にやってきた。
ステージに上がったミュージシャンの数は、なんと14人。そのなか、オリ
ジナル時(60年代のあの頃の)の奏者はパーシッションのジャック・アシュ
フォードとオルガンのジョー・ハンター。その二人だけが年配で、あとは年
齢がいってても50才ぐらいか。だが、6弦で粘ったフレイズを弾くリック・
ジェイムズ似のベーシストをはじめ、力量は十分なもの。ラリー・ジョンソ
ンというフロントに立つシンガーも無名ながらきっちり歌い進行の出来る人
だし、二人の女性コーラス(とくに白人のおばちゃんはうまかったなあ)も
ちゃんとしている。やっぱり、アメリカのショービズの世界には巧い人がゴ
ロゴロいるんだろうなと痛感。とともに、モータウン曲は彼らにとってはま
さしく基本にある“課題曲”のようなものだろう。唯一ナゾと言えば、サイ
ド・キーボードの白人のおちっゃんの存在(他はプレイヤーの多くは黒人)
。ほとんどキーボード弾かないで、後ろのほうで地味な振り付きでコーラス
を笑顔で付けていた。でも、なんかそれもほほえましくて、そういう無駄も
ありかも知れぬと思ったりして。
テンプスの「エイント・トゥ・プラウド・トゥ・ベッグ」や「マイ・ガー
ル」をはじめ、スプリームス、スティーヴィ・ワンダー、マーヴェレッツ、
マーヴィン・ゲイ他の超有名曲がずらり。それを、しっかりと送り届ける。
モータウンがいっぱい。そりゃ、無条件でいい気分になっちゃうよなー。レ
パートリーはいろいろありますという感じで、彼らはセットごとに曲や曲順
を少し変えてやっているようだ。
アンコールはジュニア・ウォーカーの「ショット・ガン」。ビートに合わ
せて、ぐいぐい踊っちゃう。本当に楽しかった! とっても、気持ち良かっ
た! 実はぼく、高校入るころからファンクやブルースは聞いていたが、甘
ったるく感じるモータウンはほとんど接したことがなくて(テンプスの「パ
パ・ウォズ・ア・ローリングストーン」は不気味な歌だなあと思って、ポイ
したことあり。ポップなほうは、ロックでまかなえばいいと思っていたかな
)、ちゃんと接するようになったのは社会人になってからだった。だが、い
つの間にか、本当に本当に大好きになっちゃってるんだなーとも思い感無量
。そのパフォーマンスに触れながら、モータウンって本当に幸せな音楽であ
り、希望を感じさせる音楽であるとも感じずにはいられず。ああ、モータウ
ンって凄い。丸の内・コットンクラブ(ファースト・ショウ)
そして、時代は15年先に進み、場所はデトロイトからNYへ移る。
南青山・ブルーノート東京に移動して、シック(2003年4月15日、20
03年8月24日)を見る。やはり、事情が許せば来日するたびに触れたいと
思わせる素晴らしいライヴ・バンドと言うしかない。今回も質が高く、サー
ヴィス満点で、最高にぼくは楽しんだ。アメリカ黒人音楽、万歳。
こちらは、全10人編成による。ファンク・ブラザースのほうは服装を黒基
調でまとめていたが、こちらはみんな真っ白な服で揃えている。曲よし、演
奏よし、エンターテインメント精神よし(最後のほうには、ブルーノートで
写真を撮れるのはシックだけ、みたいな前置き付きで、写真撮影タイムもあ
り)。80年代中期には一時、ロックのほうまで仕切った(デイヴィッド・ボ
ウイの『レッツ・ダンス』他)シック軍団だが、彼らもまた確固たる財産を
築いている。曲が出てくると、あ〜コレコレコレの連続。ギターのナイル・
ロジャーズとベースのジェリー・バンーズ(妹のカトリース・バーンズや沼
澤尚らと一緒にレコーディング・ユニットを組んでいて、アルバム発売リリ
ース/ライヴお披露目を目指している)とオマー・ハキムのトライアングル
はとにかく強力。3人だけの手癖演奏、聞いてみた〜い。
というわけで、この晩は米国黒人音楽の蓄積にいっぱい触れる。至福。な
ぜか新富町にあるお店(銀座あがりの和服女性がいたりするのが、場所柄ね
)に流れるが、途中から合流した先輩Yさんが家まで送ってくれる。いい人
だあ。3時ぐらい、すごい雨だった。
ヴィクター・デイヴィーズ
2006年4月12日 赤レンガ倉庫のモーション・ブルー・ヨコハマ(セカンド)。英国の、メ
ロディアスなフォーキー・ソウルの達人。ガット・ギターを弾き語りする彼
(2001年3月19日、他)に加え、ベースとパーカッション奏者(彼はハン
ガリー出身とか)を従えてのもの。アンコールを含め全13曲、1時間ちょい
のパフォーマンス。
取材で会っても非常に物静かな人だが、それはパフォーマンスでも同様。
多分にボサっぽくもある繊細な表現を淡々と聞かせていく。先にフォーキー
・ソウルと書いたが、思ってたよりはソウル度は低め。でも、ソウル度だけ
が尺度となる人ではないということも、その実演は飄々と語っていたと思う
。アンコール最後の曲はビル・ウィザーズの「ユーズ・ミー」。その曲はか
なりファンキーにやった。
終演後に流れたら、当然のごとく電車がなくなる。横浜泊にしても良かっ
たのだが、翌日の仕事のこともあったので、タクシー帰還。ああ、流れる光
の帯……、酩酊の第三京浜。
ロディアスなフォーキー・ソウルの達人。ガット・ギターを弾き語りする彼
(2001年3月19日、他)に加え、ベースとパーカッション奏者(彼はハン
ガリー出身とか)を従えてのもの。アンコールを含め全13曲、1時間ちょい
のパフォーマンス。
取材で会っても非常に物静かな人だが、それはパフォーマンスでも同様。
多分にボサっぽくもある繊細な表現を淡々と聞かせていく。先にフォーキー
・ソウルと書いたが、思ってたよりはソウル度は低め。でも、ソウル度だけ
が尺度となる人ではないということも、その実演は飄々と語っていたと思う
。アンコール最後の曲はビル・ウィザーズの「ユーズ・ミー」。その曲はか
なりファンキーにやった。
終演後に流れたら、当然のごとく電車がなくなる。横浜泊にしても良かっ
たのだが、翌日の仕事のこともあったので、タクシー帰還。ああ、流れる光
の帯……、酩酊の第三京浜。
ジ・インクレディブル・カジュアルズ。カーネーション
2006年4月14日 南青山・月見ル君思フ。まず、オープニング・アクトとして、直枝政広ひ
きいるカーネション(2003年10月3日、2004年12月12日)が登場。威
風堂々、1時間近くのパフォーマンス。途中、キーボード奏者が入った曲も。
そして、休憩を挟みジ・インクレディブル・カジュアルズ。マサチューセ
ッツの有名リゾート地ケイプコッド拠点の、NRBQ(1999年5月22
日。かなり、のぼせた文章かいているなー)と横並びで紹介されもする(N
RBQのジョーイ・スパンピナートの弟ジョニーがいることもあって。その
ジョニーはNRBQのメンバーでもある)、知る人ぞ知る四半世紀ものキャ
リアを持つ4人組。もう、何もかもがいい案配。NRBQよりは少し参照す
る世界がせまい部分も感じられるが、音楽的にも精神的にもロックの本懐を
口惜しいぐらいに掴んだイカしたロックンロールが適切な隙間感とともに送
りだされて、ぼくはほんとうに高揚し、有頂天になれた。不条理なことは世
の中いくらでもあるわけだが、その実演に触れ、そのやっていることの素晴
らしさと評価の大きさの差がトップクラスに著しい現役バンドではないかと
もしっかり思う。
歌/ベースのチャンドラー・トラヴィスは途中でメモを見ながら、「戻っ
てこれてうれしいです。カーネションと対バンやるのは久しぶりです」と、
たどたどしく日本語でMC。もちろん、彼らは初来日。ひゃひゃひゃ。そう
言えば、ドラマーのリッキー・ベイツはきっちり化粧し、女装(胸にはツ
メものをする)するのがならわし。いい歳こきながら、その精神はまったく
もって素晴らしい。でもって、腕がたつのだから言うことない。
アンコールの頭2曲ではカーネーションの二人が混ざって、ストーンズ曲
をやる。そして、4人でまたやって、客電がついたあとも出てきて、また1
曲。志もあるが、心意気もあるんだよなあ。4月11日に続いて、ぼくのココ
ロのメーターはふりきれました。
きいるカーネション(2003年10月3日、2004年12月12日)が登場。威
風堂々、1時間近くのパフォーマンス。途中、キーボード奏者が入った曲も。
そして、休憩を挟みジ・インクレディブル・カジュアルズ。マサチューセ
ッツの有名リゾート地ケイプコッド拠点の、NRBQ(1999年5月22
日。かなり、のぼせた文章かいているなー)と横並びで紹介されもする(N
RBQのジョーイ・スパンピナートの弟ジョニーがいることもあって。その
ジョニーはNRBQのメンバーでもある)、知る人ぞ知る四半世紀ものキャ
リアを持つ4人組。もう、何もかもがいい案配。NRBQよりは少し参照す
る世界がせまい部分も感じられるが、音楽的にも精神的にもロックの本懐を
口惜しいぐらいに掴んだイカしたロックンロールが適切な隙間感とともに送
りだされて、ぼくはほんとうに高揚し、有頂天になれた。不条理なことは世
の中いくらでもあるわけだが、その実演に触れ、そのやっていることの素晴
らしさと評価の大きさの差がトップクラスに著しい現役バンドではないかと
もしっかり思う。
歌/ベースのチャンドラー・トラヴィスは途中でメモを見ながら、「戻っ
てこれてうれしいです。カーネションと対バンやるのは久しぶりです」と、
たどたどしく日本語でMC。もちろん、彼らは初来日。ひゃひゃひゃ。そう
言えば、ドラマーのリッキー・ベイツはきっちり化粧し、女装(胸にはツ
メものをする)するのがならわし。いい歳こきながら、その精神はまったく
もって素晴らしい。でもって、腕がたつのだから言うことない。
アンコールの頭2曲ではカーネーションの二人が混ざって、ストーンズ曲
をやる。そして、4人でまたやって、客電がついたあとも出てきて、また1
曲。志もあるが、心意気もあるんだよなあ。4月11日に続いて、ぼくのココ
ロのメーターはふりきれました。
ビッグ・ホーンズ・ビー。チャーリー・ハンター・トリオ
2006年4月17日 5人の管楽器奏者たちによるビッグ・ホーンズ・ビーを赤レンガ倉庫・モー
ション・ブルー・ヨコハマで見る。テナー、バリトン、トロンボーン、トラン
ペット、トランペットという布陣。全員の前に譜面台がおいてあったが、MC
によれば新しい曲中心のパフォーマンスであったよう。エリントン曲のオープ
ナーからJB調に写り、アンコール曲はもろのタワー・オブ・パワー調。ファ
ンキーなノリを基調に、管楽器が前面に出た滋養豊かな表現を聞かせるという
感じか。バッキング・バンドは沼澤尚や森俊之ら毎度の顔ぶれで固定してやっ
ているようで、ぬかりはない。ともあれ、フロント陣は長年の積み重ねだろう
アンサンブル等はこなれ、ビッグ・バンド風な絡みも上手い。ゆえに、一曲ぐ
らい5人だけの演奏も聞きたくなるところではあったけど。
その後、横浜・サムズアップに移動。「いいハコですよ」という話は聞いて
いて行きたいナと思っていたのだが、なるほどいい感じで見れるヴェニュー。
天井がもうちょっと高ければとは思うが。お客さんにぜんぜん、サラリーマン
風の人がいずへえっと思う。ハコ自体の固定客が多そう。
で、特殊酔狂ギタリストのチャーリー・ハンター(1999年6月22日、2002
年1月24日)を見る。ドラマーがパワフルに叩ける人に変わったせいか、サ
バけた客/反応につられたせいもあるのか、これまでで一番飛ばした感じの実
演だったのは間違いない。よりストレートで、ときにロッキッシュでもあった
な。あと、なるほどなと思わせられたのは、過去にも同行しているテナー・サ
ックス奏者(一部、バスクラも吹く)のジョン・エリスがけっこうエレピ(と
きにはピアニカ)を弾いていたこと。かつてのハンターはオルガン風の加工音
で演奏することも多かったのだが、そんなこともあり、この晩はわりかし素直
なギター(とベース)の音で勝負していたことは、聞き手にその妙味をストレ
ートに働きかけることにつながっていたのではないか。やっぱり、ギターで過
剰にアクロバティックなことをするというのは、どこかに無理がある。
ところで、サムズ・アップはハコのディスプレイから食べ物まで、なにもか
もがアメリカン。で、途中から、空気が澄んでいて、誰も煙草を吸っていない
のに気づく。テーブルに灰皿もない。え、ノー・スモーキングもアメリカ流?
な〜んて半信半疑ながら思っていたら、それはアーティストの意向でこの日だ
けのよう。残念。
帰り際に、ハンターとちょい言葉を交わす。初来日時にインタヴューしたこ
とを覚えていたので、そのときの話題から(1999年6月22日の項、参照のこ
と)「今回もパンデイロを持ってきている?」と聞いたら、ちょいすまなそう
に「いや、もうずっと触ってないんだ」。ちょっと、寂しかった。
ション・ブルー・ヨコハマで見る。テナー、バリトン、トロンボーン、トラン
ペット、トランペットという布陣。全員の前に譜面台がおいてあったが、MC
によれば新しい曲中心のパフォーマンスであったよう。エリントン曲のオープ
ナーからJB調に写り、アンコール曲はもろのタワー・オブ・パワー調。ファ
ンキーなノリを基調に、管楽器が前面に出た滋養豊かな表現を聞かせるという
感じか。バッキング・バンドは沼澤尚や森俊之ら毎度の顔ぶれで固定してやっ
ているようで、ぬかりはない。ともあれ、フロント陣は長年の積み重ねだろう
アンサンブル等はこなれ、ビッグ・バンド風な絡みも上手い。ゆえに、一曲ぐ
らい5人だけの演奏も聞きたくなるところではあったけど。
その後、横浜・サムズアップに移動。「いいハコですよ」という話は聞いて
いて行きたいナと思っていたのだが、なるほどいい感じで見れるヴェニュー。
天井がもうちょっと高ければとは思うが。お客さんにぜんぜん、サラリーマン
風の人がいずへえっと思う。ハコ自体の固定客が多そう。
で、特殊酔狂ギタリストのチャーリー・ハンター(1999年6月22日、2002
年1月24日)を見る。ドラマーがパワフルに叩ける人に変わったせいか、サ
バけた客/反応につられたせいもあるのか、これまでで一番飛ばした感じの実
演だったのは間違いない。よりストレートで、ときにロッキッシュでもあった
な。あと、なるほどなと思わせられたのは、過去にも同行しているテナー・サ
ックス奏者(一部、バスクラも吹く)のジョン・エリスがけっこうエレピ(と
きにはピアニカ)を弾いていたこと。かつてのハンターはオルガン風の加工音
で演奏することも多かったのだが、そんなこともあり、この晩はわりかし素直
なギター(とベース)の音で勝負していたことは、聞き手にその妙味をストレ
ートに働きかけることにつながっていたのではないか。やっぱり、ギターで過
剰にアクロバティックなことをするというのは、どこかに無理がある。
ところで、サムズ・アップはハコのディスプレイから食べ物まで、なにもか
もがアメリカン。で、途中から、空気が澄んでいて、誰も煙草を吸っていない
のに気づく。テーブルに灰皿もない。え、ノー・スモーキングもアメリカ流?
な〜んて半信半疑ながら思っていたら、それはアーティストの意向でこの日だ
けのよう。残念。
帰り際に、ハンターとちょい言葉を交わす。初来日時にインタヴューしたこ
とを覚えていたので、そのときの話題から(1999年6月22日の項、参照のこ
と)「今回もパンデイロを持ってきている?」と聞いたら、ちょいすまなそう
に「いや、もうずっと触ってないんだ」。ちょっと、寂しかった。
コンボピアノ、大友良英、ジム・オルーク
2006年4月18日 <ラブレター フロム 彼方(ラブかな)>という集団が企画した、“JA
ZZ TODAY in Komaba2005" という6日間に渡る無料イヴェントのなか
の1日を駒場・東京大学駒場小空間(それなりの大きさのホール)で見る。こ
の日は、" フォー・デレク・ベイリー" と題されたもの。
まず、アンダース・エドストロームという写真家としてのほうが知られるら
しい人物のベイリーのドキュメンタリー映画『one plus one2 』が上映される
。UKフリー・ジャズ・ギターの巨匠(2月23日の項、参照)の晩年のどって
ことない日常を緊張感のないカメラで描いたもの。自分のライヴの録音物を聞
き直したり(それを隣の部屋からぼんやり写す)、電話に出たり、公園を散歩
したり、奥さんらしき人とご飯を食べているシーンもちょい出てきたか。TV
でクリケット中継を見ているところもあったが、さすが英国人。で、やはり一
番興味深いのは部屋でギターをそれ風に弾いているシーン。へーえ。まあ、全
体としてはぼくにとってはよく分からない仕上がりではあるが、御大の普通の
時間を垣間見れることは確か。
その後、3人のミュージシャンがソロにて1曲づつ演奏。
まず、COMBOPIANO/渡辺琢磨はピアノとシンセを用いての演奏
。やはり、二つの楽器の合わせ味は独自にし、存在価値あり。ピアノ・ソロ部
分はキース・ジャレットの『フェイシング・ユー』のころのソロ演奏を思い出
させる。続いて、大友良英。右手に持つスライド・バーを多用したりもする、
彼にとっては正調(?)の轟音狼藉演奏。
そして、ジム・オルーク。大友と同様、セミアコを手にしての演奏ながら、
こちらはほとんど非アンプリファイドな音も局面的には用いたりもし、メロデ
ィアスにベイリーへの思いを綴っていくという感じの演奏。一人で淡々と30分
ぐらいは平気でやってのではないのか。なんか、見直した。
無料だと人が集まるんですね、と大友が言っていたが、確かに超満員。であ
るとともに、確かにこれが無料とは素晴らしい。三者の演奏のあと、トークも
あったようだ。
ZZ TODAY in Komaba2005" という6日間に渡る無料イヴェントのなか
の1日を駒場・東京大学駒場小空間(それなりの大きさのホール)で見る。こ
の日は、" フォー・デレク・ベイリー" と題されたもの。
まず、アンダース・エドストロームという写真家としてのほうが知られるら
しい人物のベイリーのドキュメンタリー映画『one plus one2 』が上映される
。UKフリー・ジャズ・ギターの巨匠(2月23日の項、参照)の晩年のどって
ことない日常を緊張感のないカメラで描いたもの。自分のライヴの録音物を聞
き直したり(それを隣の部屋からぼんやり写す)、電話に出たり、公園を散歩
したり、奥さんらしき人とご飯を食べているシーンもちょい出てきたか。TV
でクリケット中継を見ているところもあったが、さすが英国人。で、やはり一
番興味深いのは部屋でギターをそれ風に弾いているシーン。へーえ。まあ、全
体としてはぼくにとってはよく分からない仕上がりではあるが、御大の普通の
時間を垣間見れることは確か。
その後、3人のミュージシャンがソロにて1曲づつ演奏。
まず、COMBOPIANO/渡辺琢磨はピアノとシンセを用いての演奏
。やはり、二つの楽器の合わせ味は独自にし、存在価値あり。ピアノ・ソロ部
分はキース・ジャレットの『フェイシング・ユー』のころのソロ演奏を思い出
させる。続いて、大友良英。右手に持つスライド・バーを多用したりもする、
彼にとっては正調(?)の轟音狼藉演奏。
そして、ジム・オルーク。大友と同様、セミアコを手にしての演奏ながら、
こちらはほとんど非アンプリファイドな音も局面的には用いたりもし、メロデ
ィアスにベイリーへの思いを綴っていくという感じの演奏。一人で淡々と30分
ぐらいは平気でやってのではないのか。なんか、見直した。
無料だと人が集まるんですね、と大友が言っていたが、確かに超満員。であ
るとともに、確かにこれが無料とは素晴らしい。三者の演奏のあと、トークも
あったようだ。
ドゥエレイ
2006年4月19日 ヴァージンから2枚のアルバムを発表している、デトロイト・ベースの今様
しなやかソウル・マン。丸の内・コットンクラブ、ファースト。ステージに表
れた本人はジャケットを着てたりして、今どきのブラック主流のそれからは離
れているのは間違いない。彼、白いシャツの下にはスティーヴィ・ワンダーの
Tシャツを着ていた。ファルセット多用の男性バッキング・ヴォーカル、キー
ボード、ベース、ドラムスを従えてのもの。全員黒人。
ステージの左側と右側にフェンダー・ローズが2台おいてある。だが、ドゥ
エレはエレピを弾かず、中央に立って歌うほうが圧倒的に多い。また、中央マ
イク・スタンドの横にはアナログとCDのDJセットがおいてある。彼は登場
するときにアナログの束を持って出てきたのだが、なんと1曲ごとにアナログ
をターンテーブルにセットして回すのだ。その音がほとんど聞こえないときが
多く、彼が自分でこすってスクラッチを地味に入れるときもあった。そんなの
なくてもいいかもしれないが、“儀式”としては笑えたし、それもまた彼の姿
勢/音楽観を顕すものであるだろう。なお、CDのプレイヤーのほうは使わず
。あと、可笑しいのは、1曲終わるごとにレコードと白い紙ケース(マジック
・ペンで曲名が書いてある)を怖い顔をしたキーボード奏者にぞんざいにぽい
っと投げること。彼なりのショーマンシップ?
ニュー・ソウル期表現を根っこにおき、今を自分なりに泳ごうとしているの
がよく分かるパフォーマンス。ワンコードで日本への気持ちを綴っていくよう
な曲なども、やってました。
しなやかソウル・マン。丸の内・コットンクラブ、ファースト。ステージに表
れた本人はジャケットを着てたりして、今どきのブラック主流のそれからは離
れているのは間違いない。彼、白いシャツの下にはスティーヴィ・ワンダーの
Tシャツを着ていた。ファルセット多用の男性バッキング・ヴォーカル、キー
ボード、ベース、ドラムスを従えてのもの。全員黒人。
ステージの左側と右側にフェンダー・ローズが2台おいてある。だが、ドゥ
エレはエレピを弾かず、中央に立って歌うほうが圧倒的に多い。また、中央マ
イク・スタンドの横にはアナログとCDのDJセットがおいてある。彼は登場
するときにアナログの束を持って出てきたのだが、なんと1曲ごとにアナログ
をターンテーブルにセットして回すのだ。その音がほとんど聞こえないときが
多く、彼が自分でこすってスクラッチを地味に入れるときもあった。そんなの
なくてもいいかもしれないが、“儀式”としては笑えたし、それもまた彼の姿
勢/音楽観を顕すものであるだろう。なお、CDのプレイヤーのほうは使わず
。あと、可笑しいのは、1曲終わるごとにレコードと白い紙ケース(マジック
・ペンで曲名が書いてある)を怖い顔をしたキーボード奏者にぞんざいにぽい
っと投げること。彼なりのショーマンシップ?
ニュー・ソウル期表現を根っこにおき、今を自分なりに泳ごうとしているの
がよく分かるパフォーマンス。ワンコードで日本への気持ちを綴っていくよう
な曲なども、やってました。
映画『ミュージック・クバーナ』
2006年4月20日 2005年11月4日の項でちょい触れている映画。そこで、ヴィム・ヴェンダ
ースが監督と書いているけど間違いで、彼は制作総指揮を担当。監督/脚本は
ヴェンダースの教え子、アルゼンチン出身でドイツ在住のヘルマン・クラルと
いう人がやっている。
『ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ』に出演していた老シンガーのビオ
・レイバが主人公。彼が新世代の名グループであるインタラクティボのマネー
ジャーをしつつタクシーの運転手をしている人物と出会ったことで、彼の手引
きで新しい世代の新しいキューバ音楽のタレントたちと次々出会っていき、新
バンドのザ・サンズ・オブ・キューバを結成。目標は海外公演で、運良く日本
人のスポンサーが表れ、彼らは東京に飛ぶ……。
ロス・バン・バン(2005年8月10日)のマリオ“マジート”リベーラ、イ
ンタラクティボのメンバーでもあるテルマリー・ディアスをはじめ、本当にい
ろんなミュージシャンが実名で参加。それらは周到な取材のもときっちり脚本
になっているそうだが、主なミュージシャンのインタヴュー的な話が挿入され
たりもし、巧みにフィクションとノンフィクションを行き来する感じでストー
リーはすすめられる。きっと、『ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ』もそ
ういう成り立ちを持っていたんだろう。
いかにもありがちなストーリーであるが、やっぱりいろいろと嬉しいし、興味
深い映画。88分と短い映画であるが、もっと長く感じる。あと、見ててアレレ
と感じたのは、登場するキューバ人(ミュージシャンも民衆も含めて)がほと
んど黒人であること。それに触れると、キューバにおいて白人と黒人の間には
かなり距離があるように感じられてしまう。昔、キューバに行ったときは白い
人も黒い人も一緒にいる感じで、キューバには人種差別が存在しないという話
を肌で納得できたりもしたのだが。差別は存在しないが、けっこうすみ分けさ
れているように、この映画は描いている(と、ぼくは感じた)。渋谷。シネカ
ノン試写室。
ースが監督と書いているけど間違いで、彼は制作総指揮を担当。監督/脚本は
ヴェンダースの教え子、アルゼンチン出身でドイツ在住のヘルマン・クラルと
いう人がやっている。
『ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ』に出演していた老シンガーのビオ
・レイバが主人公。彼が新世代の名グループであるインタラクティボのマネー
ジャーをしつつタクシーの運転手をしている人物と出会ったことで、彼の手引
きで新しい世代の新しいキューバ音楽のタレントたちと次々出会っていき、新
バンドのザ・サンズ・オブ・キューバを結成。目標は海外公演で、運良く日本
人のスポンサーが表れ、彼らは東京に飛ぶ……。
ロス・バン・バン(2005年8月10日)のマリオ“マジート”リベーラ、イ
ンタラクティボのメンバーでもあるテルマリー・ディアスをはじめ、本当にい
ろんなミュージシャンが実名で参加。それらは周到な取材のもときっちり脚本
になっているそうだが、主なミュージシャンのインタヴュー的な話が挿入され
たりもし、巧みにフィクションとノンフィクションを行き来する感じでストー
リーはすすめられる。きっと、『ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ』もそ
ういう成り立ちを持っていたんだろう。
いかにもありがちなストーリーであるが、やっぱりいろいろと嬉しいし、興味
深い映画。88分と短い映画であるが、もっと長く感じる。あと、見ててアレレ
と感じたのは、登場するキューバ人(ミュージシャンも民衆も含めて)がほと
んど黒人であること。それに触れると、キューバにおいて白人と黒人の間には
かなり距離があるように感じられてしまう。昔、キューバに行ったときは白い
人も黒い人も一緒にいる感じで、キューバには人種差別が存在しないという話
を肌で納得できたりもしたのだが。差別は存在しないが、けっこうすみ分けさ
れているように、この映画は描いている(と、ぼくは感じた)。渋谷。シネカ
ノン試写室。
ワン・リーホン(王力宏)
2006年4月21日 わははは。台湾アーティスト、デビューぢゃ。
1976年米国NY州ロチェスター生まれでバークリー音楽大学なんかにも通っ
た、日本でも人気の(6月には、鈴木京香と共演した映画も公開されるよう)
このハンサム・ガイのことを、ぼくは最近まで認知していなかった。だけど、
CD聞いたらけっこうすごいんだよね。基本はR&B/ヒップホップがメイン
・ストリームたる時代のポップ・ミュージックなんだけど、自作派の人でかな
りの作曲能力を持っているし、ときにアジア的な要素も巧みに入れていて眩し
いミクスチャー感覚を感じさせてくれたりもするのだ……。
で、きらびやかな、アイドル的でもあるショウを渋谷・NHKホールで見た
。客はおばはんは多くなく、若目の女性が多かった(ように思う)。とうぜん
黄色い声援が飛び、いろんな色の蛍光スティックやメッセージ・シート(ちょ
うど、彼は30歳になったみたい)を持つ人も少なくない。そんななか、いたた
まれなくなるかとも思ったのだが、これがかなりいい感じで見れたのだな。そ
れは、一重に彼がやはりいい曲を次々に繰り出してくるから。どこかで聞いた
感じのものもあるのだが、ぼくの見立てでは作曲能力はベイビーフェイスより
上ではないか、と。
出だしのころ、パっと見て思ったのは、プリンスのこと好きなのかな? な
んか、ちょっとした声の出し具合とかから。バッキング陣は、音楽監督のキー
ボード、ギター、ベース、ドラム、パーカョション、コンピューター担当。そ
して、ダンサーが男性四人、女性二人だったか。バンドは西洋人も複数入って
いたが(打楽器の人は中近東名だった)、もう少しバシっとした重厚感のある
音を出してほしいところ。また、当初は本人の歌も少し弱いかもと感じたが、
ハードディスクのバック・コーラスを使うことはあっても、すべてを自分の生
の声で2時間を通したのは褒めていいとぼくは思った。とかなんとか、一番劣
っていると感じたのはダンサーたちのスキルだったな。
ステージ設定や音楽傾向は手を変え、品を変え。彼は歌ったり(ラップも少
々)、踊ったりするだけでなく、ときにピアノを弾いたり(弾き語りみたいな
ときも)、ヴァイオリンを弾いたり、ドラムを叩いたり、ギターを弾いたり。
さすが、音楽大学出身者ネ。あと、台湾かどこかの伝統的な弦楽器を弾いたり
もしたが、期待したほどはエイジアンな要素は高くなかった。でも、繰り返し
になるが、次々に送りだされる曲はどれも完成度の高いものであり、ぼくは今
度はどんな曲が出てくるのとドキドキしながら聞けた。MCは英語や日本語な
どの併用。プロでしたね。
今回、ひさしぶりにNHKホールに行って感じたのはいくら改装などのメイ
ンテナンスはちゃんと行われていたとしても、過剰に古さを感じさせないハコ
だなあということ。だって、間違いなく築35年近くたっているはず。確か、ロ
ック・アーティストで同所で最初にコンサートをやったのは、73年ごろのジェ
スロ・タルだったはず。もちろんそれを見てはいないが、『パッション・プレ
イ』というアルバム・タイトルとともに、ぼくはそのニュースを記憶の襞に留
めている。それともその後、改築されているのかな。
1976年米国NY州ロチェスター生まれでバークリー音楽大学なんかにも通っ
た、日本でも人気の(6月には、鈴木京香と共演した映画も公開されるよう)
このハンサム・ガイのことを、ぼくは最近まで認知していなかった。だけど、
CD聞いたらけっこうすごいんだよね。基本はR&B/ヒップホップがメイン
・ストリームたる時代のポップ・ミュージックなんだけど、自作派の人でかな
りの作曲能力を持っているし、ときにアジア的な要素も巧みに入れていて眩し
いミクスチャー感覚を感じさせてくれたりもするのだ……。
で、きらびやかな、アイドル的でもあるショウを渋谷・NHKホールで見た
。客はおばはんは多くなく、若目の女性が多かった(ように思う)。とうぜん
黄色い声援が飛び、いろんな色の蛍光スティックやメッセージ・シート(ちょ
うど、彼は30歳になったみたい)を持つ人も少なくない。そんななか、いたた
まれなくなるかとも思ったのだが、これがかなりいい感じで見れたのだな。そ
れは、一重に彼がやはりいい曲を次々に繰り出してくるから。どこかで聞いた
感じのものもあるのだが、ぼくの見立てでは作曲能力はベイビーフェイスより
上ではないか、と。
出だしのころ、パっと見て思ったのは、プリンスのこと好きなのかな? な
んか、ちょっとした声の出し具合とかから。バッキング陣は、音楽監督のキー
ボード、ギター、ベース、ドラム、パーカョション、コンピューター担当。そ
して、ダンサーが男性四人、女性二人だったか。バンドは西洋人も複数入って
いたが(打楽器の人は中近東名だった)、もう少しバシっとした重厚感のある
音を出してほしいところ。また、当初は本人の歌も少し弱いかもと感じたが、
ハードディスクのバック・コーラスを使うことはあっても、すべてを自分の生
の声で2時間を通したのは褒めていいとぼくは思った。とかなんとか、一番劣
っていると感じたのはダンサーたちのスキルだったな。
ステージ設定や音楽傾向は手を変え、品を変え。彼は歌ったり(ラップも少
々)、踊ったりするだけでなく、ときにピアノを弾いたり(弾き語りみたいな
ときも)、ヴァイオリンを弾いたり、ドラムを叩いたり、ギターを弾いたり。
さすが、音楽大学出身者ネ。あと、台湾かどこかの伝統的な弦楽器を弾いたり
もしたが、期待したほどはエイジアンな要素は高くなかった。でも、繰り返し
になるが、次々に送りだされる曲はどれも完成度の高いものであり、ぼくは今
度はどんな曲が出てくるのとドキドキしながら聞けた。MCは英語や日本語な
どの併用。プロでしたね。
今回、ひさしぶりにNHKホールに行って感じたのはいくら改装などのメイ
ンテナンスはちゃんと行われていたとしても、過剰に古さを感じさせないハコ
だなあということ。だって、間違いなく築35年近くたっているはず。確か、ロ
ック・アーティストで同所で最初にコンサートをやったのは、73年ごろのジェ
スロ・タルだったはず。もちろんそれを見てはいないが、『パッション・プレ
イ』というアルバム・タイトルとともに、ぼくはそのニュースを記憶の襞に留
めている。それともその後、改築されているのかな。
ジェシー・ハリス、サーシャ・ダブソン
2006年4月22日 渋谷・NHKホールの横で“アース・デイ”というイヴェントをやっていて
、そこで知り合いが出店しているというので足を向ける。野外ステージではラ
ヴ・サイケデリコがライヴ(無料)をやっていた。
そして、渋谷・クアトロでジェシー・ハリス。オルガン付き編成は前回公演
(2005年9月7日)と同じ。感じとしても、同様。バッキングのプレイヤーも
同じだったのかな。ただ、もっと絡みが練られている部分はあった。また、前
回との違いとして、今回は途中でサーシャ・ダブソンという女性シンガーがゲ
ストで入りしたこと。ボサっぽい曲とかを数曲サバけた物腰にて歌った彼女は
近く、ハリスの自己レーベル“シークレット・サン”からデビューする。で、
彼女はノラ・ジョーンズのお遊びユニットのリトル・ウィリーズのメンバーで
もあり、素晴らしいソロ新作を出したリチャード・ジュリアンのガール・フレ
ンドだそう。ダブソンの新作『モダン・ロマンス』は3人の作者クレジットが
入り交じっている。
実は彼女(79年シスコ生まれ)の両親はジャズ・ミュージシャン。父親のス
ミス・ダブソン(01年没)は大昔リッチー・コールのバッキングで来たとき、
ぼくは見たことがあるはず。スミスとボビー・ハッチャーソンとの88年双頭ア
ルバムの名前は『サーシャ・ボッサ』という。母親のガイルはそれなりに黒い
歌い方をするシンガーで、そのリーダー作を聞くとチャカ・カーンがジャズを
歌ったときのことを少し思い出したりも。で、本人も実はマジなジャズ・ヴォ
ーカル・アルバムを出したことがある(01年録音、04年リリース)。というか
、そんな両親の元、ずっとジャズで来た人で、ポップ・ミュージックをちゃん
と聞き出したのはここ数年のこと。だから、今が物凄く新鮮とも彼女は言うし
、今回新たなスタートを切ったという気分も持っている。ジャズ側からポップ
側にシフトしたというのはまるっきりノラ・ジョーンズと同じ筋道を持つが、
彼女はジョーンズとも友達なのだとか。だから、彼女と比較さるのはかまわな
いそう。鼻ピアスをし、右腕に鎖の入れ墨をした彼女はオフで接するととって
もアメリカンな感じの人だった。
夜中、デイズド&コンフスューズド誌主催のイヴェントをやっている南青山の
クラブ、ヴェロアに行く。ブルーノート東京の近く。なんか、フロアが細長が
ったのと、混んでてトイレを使うのに並んだことぐらいしか、よく覚えてない
や。あと、バーの人がバーボンのロックを頼むときに大盛りでと言ったら、多
めについでくれたナ。
、そこで知り合いが出店しているというので足を向ける。野外ステージではラ
ヴ・サイケデリコがライヴ(無料)をやっていた。
そして、渋谷・クアトロでジェシー・ハリス。オルガン付き編成は前回公演
(2005年9月7日)と同じ。感じとしても、同様。バッキングのプレイヤーも
同じだったのかな。ただ、もっと絡みが練られている部分はあった。また、前
回との違いとして、今回は途中でサーシャ・ダブソンという女性シンガーがゲ
ストで入りしたこと。ボサっぽい曲とかを数曲サバけた物腰にて歌った彼女は
近く、ハリスの自己レーベル“シークレット・サン”からデビューする。で、
彼女はノラ・ジョーンズのお遊びユニットのリトル・ウィリーズのメンバーで
もあり、素晴らしいソロ新作を出したリチャード・ジュリアンのガール・フレ
ンドだそう。ダブソンの新作『モダン・ロマンス』は3人の作者クレジットが
入り交じっている。
実は彼女(79年シスコ生まれ)の両親はジャズ・ミュージシャン。父親のス
ミス・ダブソン(01年没)は大昔リッチー・コールのバッキングで来たとき、
ぼくは見たことがあるはず。スミスとボビー・ハッチャーソンとの88年双頭ア
ルバムの名前は『サーシャ・ボッサ』という。母親のガイルはそれなりに黒い
歌い方をするシンガーで、そのリーダー作を聞くとチャカ・カーンがジャズを
歌ったときのことを少し思い出したりも。で、本人も実はマジなジャズ・ヴォ
ーカル・アルバムを出したことがある(01年録音、04年リリース)。というか
、そんな両親の元、ずっとジャズで来た人で、ポップ・ミュージックをちゃん
と聞き出したのはここ数年のこと。だから、今が物凄く新鮮とも彼女は言うし
、今回新たなスタートを切ったという気分も持っている。ジャズ側からポップ
側にシフトしたというのはまるっきりノラ・ジョーンズと同じ筋道を持つが、
彼女はジョーンズとも友達なのだとか。だから、彼女と比較さるのはかまわな
いそう。鼻ピアスをし、右腕に鎖の入れ墨をした彼女はオフで接するととって
もアメリカンな感じの人だった。
夜中、デイズド&コンフスューズド誌主催のイヴェントをやっている南青山の
クラブ、ヴェロアに行く。ブルーノート東京の近く。なんか、フロアが細長が
ったのと、混んでてトイレを使うのに並んだことぐらいしか、よく覚えてない
や。あと、バーの人がバーボンのロックを頼むときに大盛りでと言ったら、多
めについでくれたナ。
アトランティック・スター
2006年4月25日 幸福な空気、が充満してたな。丸の内・コットンクラブ、セカンド。
出演者はNYをベースとする、80年代型の(R&B)セルフ・コンテインド
・グループの雄と言えるだろうアトランティック・スター。そういやあ、85年
に横田の米軍基地に慰問のためにやってきた彼らを、知人に誘われて見に行っ
たことがあったっけなあ。そのころ、彼らのことをそれほど聞いてはいなかっ
たけど、普段足を踏み入れることが出来ない場に行けるというので胸弾ませて
行ったっけ。今回、オリジナル・メンバーが誰がいるのか全然気にも留めずに
行った(どうせ、それなりの事はやると思ったから。それに、日暮れ以降の夜
遊びは毎晩やっているけど、GW進行もあって昼間は仕事がパンパンでそれに
邁進。余分なことを気にかける余裕がな〜い)のだが、どうやらグループの中
心となっていたウェイン兄弟の3分の2が残っているよう。若目の男女のシン
ガーを中央に起きつつ、かつての財産を伝えるパフォーマンスが1時間15分ほ
ど繰り広げられた。
ところで、この日でなんとも印象に残ったのはほぼ満席のお客さんのありよ
うだった。なんか、けっこう男同志の客が多いのだ。しかも、ネクタイを締め
ている人が多く、オヤジが多い。なかには、孫がいるだろう男性グループもい
る。おおっ。実はこれまでコットンクラブに何度も行っているが、場所から想
像させられるほど勤め人ふうのお客は多くないし、さほど年齢も高くはないと
いうのがぼくの所感だったのだ。というのはともかく、この晩のお客さんたち
がまた皆なんとも嬉しそう。ビートに合わせてうきうき、にこにこといった感
じで体を揺らしたり、首を大きく振ったり、歌に合わせて一緒に口を動かした
り。
うわああ何なんだ、この円満にしてワクワク感に満ちた場内の光景は……。
そういえば、先日のファンク・ブラザーズの日には中学生の息子を連れたお父さ
んがいたりもし、心温まったりもしたな。かつて享受していた強い思いを与え
られた“宝石”に再び接しいい気分になりつつ、若い日に戻ってやんちゃにな
っちゃうというのはアリではないか。それは後ろ向きなものかもしれないが、
ひどく甘美で、癒しを持つものであり、ある意味建設的な高揚や開放を持つ行
為であると思う。とくに普段、音楽と離れた生活をしいられる人達にとって
は。そして、そんな人達の心からの喝采を受ける出演者たちの幸せそうなこ
と。ほんと、幸せの二乗ネ。
で、ぼくはなんとなく、大げさすぎるかもしれないけど、映画『フィールド
・オフ・ドリームス』のことを思い出したりも。……あの球場に行けば、往年
の名選手の笑顔のプレイに触れることができ、童心に、かつての自分に帰るこ
とができる。あの映画で描かれていた、輝かしい“夢の空間”がここにはあっ
た。
出演者はNYをベースとする、80年代型の(R&B)セルフ・コンテインド
・グループの雄と言えるだろうアトランティック・スター。そういやあ、85年
に横田の米軍基地に慰問のためにやってきた彼らを、知人に誘われて見に行っ
たことがあったっけなあ。そのころ、彼らのことをそれほど聞いてはいなかっ
たけど、普段足を踏み入れることが出来ない場に行けるというので胸弾ませて
行ったっけ。今回、オリジナル・メンバーが誰がいるのか全然気にも留めずに
行った(どうせ、それなりの事はやると思ったから。それに、日暮れ以降の夜
遊びは毎晩やっているけど、GW進行もあって昼間は仕事がパンパンでそれに
邁進。余分なことを気にかける余裕がな〜い)のだが、どうやらグループの中
心となっていたウェイン兄弟の3分の2が残っているよう。若目の男女のシン
ガーを中央に起きつつ、かつての財産を伝えるパフォーマンスが1時間15分ほ
ど繰り広げられた。
ところで、この日でなんとも印象に残ったのはほぼ満席のお客さんのありよ
うだった。なんか、けっこう男同志の客が多いのだ。しかも、ネクタイを締め
ている人が多く、オヤジが多い。なかには、孫がいるだろう男性グループもい
る。おおっ。実はこれまでコットンクラブに何度も行っているが、場所から想
像させられるほど勤め人ふうのお客は多くないし、さほど年齢も高くはないと
いうのがぼくの所感だったのだ。というのはともかく、この晩のお客さんたち
がまた皆なんとも嬉しそう。ビートに合わせてうきうき、にこにこといった感
じで体を揺らしたり、首を大きく振ったり、歌に合わせて一緒に口を動かした
り。
うわああ何なんだ、この円満にしてワクワク感に満ちた場内の光景は……。
そういえば、先日のファンク・ブラザーズの日には中学生の息子を連れたお父さ
んがいたりもし、心温まったりもしたな。かつて享受していた強い思いを与え
られた“宝石”に再び接しいい気分になりつつ、若い日に戻ってやんちゃにな
っちゃうというのはアリではないか。それは後ろ向きなものかもしれないが、
ひどく甘美で、癒しを持つものであり、ある意味建設的な高揚や開放を持つ行
為であると思う。とくに普段、音楽と離れた生活をしいられる人達にとって
は。そして、そんな人達の心からの喝采を受ける出演者たちの幸せそうなこ
と。ほんと、幸せの二乗ネ。
で、ぼくはなんとなく、大げさすぎるかもしれないけど、映画『フィールド
・オフ・ドリームス』のことを思い出したりも。……あの球場に行けば、往年
の名選手の笑顔のプレイに触れることができ、童心に、かつての自分に帰るこ
とができる。あの映画で描かれていた、輝かしい“夢の空間”がここにはあっ
た。
近藤等則 x トム・レイズ
2006年4月28日 ずっとオランダに住んでいる(ジョン・ゾーンを脅し、彼の出資でアムスに
スタジオを建てた、なんて話を聞いたことあるが)はずのかっとび系トランペ
ッター、近藤のことを見るのは本当に久しぶり。でも、見た目は変わらないな
。ちょっと痩せたかもしれない。自分で装置をいじりつつ、それに乗せて、エ
フェクト付きのペットを気分の向くまま鳴らす。トランペット自体の演奏もま
た変わらない。悠々延々と、オイラのパフォーマンス。生の音の演奏も聞いて
みたいと思わせる、冴えと持久力はあった。そんな近藤の演奏に、抽象画家の
トム・レイズのペインティングや、DJやVJが絡む。クロスオーヴァー・セ
ッション。すべてのパフォーマンスが終わったあと、ステージ背景に描かれた
レイズによる絵を携帯のカメラで収めようとする人、けっこういました。六本
木・スーパーデラックス。
スタジオを建てた、なんて話を聞いたことあるが)はずのかっとび系トランペ
ッター、近藤のことを見るのは本当に久しぶり。でも、見た目は変わらないな
。ちょっと痩せたかもしれない。自分で装置をいじりつつ、それに乗せて、エ
フェクト付きのペットを気分の向くまま鳴らす。トランペット自体の演奏もま
た変わらない。悠々延々と、オイラのパフォーマンス。生の音の演奏も聞いて
みたいと思わせる、冴えと持久力はあった。そんな近藤の演奏に、抽象画家の
トム・レイズのペインティングや、DJやVJが絡む。クロスオーヴァー・セ
ッション。すべてのパフォーマンスが終わったあと、ステージ背景に描かれた
レイズによる絵を携帯のカメラで収めようとする人、けっこういました。六本
木・スーパーデラックス。