全米トップ10ヒットを5曲ぐらいは持ち、一時はプロデューサー・チーム
のフォスター&マクエルロイの冴えをアイデンティファイする存在でもあっ
たベイエリア・ベースの女性R&Bコーラス・グループ。一時ルーシー・パ
ールに流れたドーン・ロビンソンはいないが、テリー・エリス、マキシン・
ジョーンズのオリジナル組に一時ソロとしてもレコードを出していたたロー
ナ・ベッネット、その3人がフロントに立ってのもの。

 バッキング・バンドはプリ・セット音併用で、キーボード、ベース、ドラ
ムという簡素な編成。本当はギタリストも欲しかったかな。うち、ベーシス
トはレイモンド・マッキンレー(2001年6月29日、2002年8月12日、
2003年2月11日、2004年4月15日)。ヘッドフォンをしながら叩い
ていたドラマーはかなり幼い顔をしていて、まだ10代のように見えた。

 3人は仲良くかわるがわるリードを取り、コーラスを付けあう。深く考え
ずとも声を重ねれば魅力的にハモるという感じで、そこらへんは積み重ねら
れた様式の深さと底力を感じさせる。老けた感じもなかったし、楽しそうに
歌っているのも良かったナ。途中、アリサの「リスペクト」、ラベルの「レ
ディ・マーマレード」、ルーファス(チャカ・カーン)の「テル・ミー・サ
ムシング・グッド」などを繋げた女性ソウル有名曲メドレーをやったが、そ
れもとても良かった。なんか、つながりをばっちり感じさせるし。そして、
彼女たちのあとに、デスティニー・チャイルド(2001年6月25日)他
がいるわけだ。

いや、それにしても。前半部のほうでやたらエリスがこっちを向き、隣の
同行者のうち一人を盛んに指さす。そして、ステージに上がることを促す。そ
して、椅子にすわらせ、3人は囲みちょかいを出しながら歌う。約5分間。
そんな幸せな、でも心臓の小さなぼくには到底できない境遇を楽しんだのは
日本一のラッパーである下町兄弟(2005年12月8日)。まあ、当人もか
なり身の置場にはこまったらしいが。やっぱ、ナイスな奴はすぐに分かるも
んなんですね。以上、丸の内・コットンクラブ。

  そしてブルーノート東京へ。ファースト・ショウとセカンド・ショウなら
、十分にハシゴが出来る。受け付け階に下りると、人だらけ。なんでも、1
時間40分ぐらいやって、客の入れ替えが遅れているらしい。先程の好演と十
分なお酒摂取で盛り上がっているせいもあり、もう期待は高まる。こちらは
、ジョン・スコフィールド(1999年5月11日、2001年1月11日、
2002年1月24日、2004年3月11日)。ただし、今回はスティーヴ・
ジョーダン(2005年11月11日)がプロデュースしたいろんなシンガーを
呼んでのレイ・チャールズ曲集『ホワット・アイ・セイ』の流れを組むもの
。カルテット編成バンド(キーボードはオルガン中心。ベースは電気アップ
ライトが中心)に、デイヴィッド・フュージンスキ率いていたスクリーミン
グ・ヘッドレス・トーソズのシンガーを勤めていた個性派ディーン・ボウマ
ンを従えた今回はそのアルバムに基づくもの。一行はホンコンからやってき
て、このあとは韓国、オーストリア、欧州一円をずずいと回る。

  ボウマンはどの曲でも歌うが(ときには、リオン・トーマス直系といった
感じのヨーデル調歌唱を聞かせたりも)、R&B好きでもあるスコは嬉しそ
うに延々とソロをとる。そりゃ、演奏時間ながくなるワ。往年の良質なソウ
ル・ジャズのエッセンスをチャールズ縁の曲と巧みに合わせているのがポイ
ント、たとえば「メリー・アン」ではフレディ・マッコイの「ファンク・ド
ロップス」を想起させる曲趣を重ね合わせていたりとか。いろいろ、くすぐ
るんだよな。とにかく、歌心ある、ソウルフルにして、ときにスリルのある
ジャジー演奏はとても楽しめた。

 ボウマンを見ながら、ハード・ロック・バンド(と、書いていいのか?)
のエクストリームのことをふと思い出す。昔、そのリーダーでスター・ギタ
リストのヌーノ・ベッテンコートにブラインド・フォールド・テスト(いま
はなき、ミュージック・ライフ誌の取材。90年代の中頃のころだったかな?
)をしたことがあったのだ。そのとき、かっとんだギター・ソロが聞けるス
クリーミング・ヘッドレス・トーソズもかけたのだが、彼はきっぱりと「不
毛。なんでこんなにひねくれた、まわりくどい曲構成にしなければならない
のか。頭わりぃ」。なるほど、そりゃ当たってなくはない(ごめん、フュー
ジンスキ)と、ぼくは思ったんだよな。ちなみに、そのときベッテンコート
が一番喜んだのはマリーザ・モンチだった。彼がポルトガル系(ポルトガル
語も喋れると言っていた)なので彼女の『Barulhinho Bom』のなかの曲を息
抜きで選んだのだが、おっぱいのイラストともどもニッコリしてたっけな。
やっぱり、何事も一筋縄ではいかない。だから、面白い。そういやあ、その
とき、マネージメントが同じでキャシー・デニス(一時、アメリカで大ヒッ
ト曲を連発した、UKダンス系シンガー・ソングライター。日本でも髪の毛
染のコマーシャルに出演したことがある。現在も裏方として活動中)とは顔
見知りだと言ってて、ビックリもしたっけ。なんで、そんときキャシー・デ
ニスの話になったのか。ちょうど当時、ロック寄りにシフトした彼女がレイ
・デイヴィス(ザ・キンクス)やアンディ・パートリッジ(XTC)と懇意
にし曲を共作したりしたからかなー?

 ついにやってきた、ザ・フーのロック・オペラ『トミー』のNYブロード
ウェイ・ミューカル版。この日が初日となり(お客はそれなりに年配の人が
多かった)、新宿・東京厚生年金(約25年前に、ここでやはり米国からやっ
てきた黒人ミュージカル『ウィズ』を見たことがあったなあ)でマチネーを
含め、約25回おこなわれる。『トミー』は69年にレコードが発表されて以降
、ケン・ラッセルの映画(ぼくにとっての『トミー』はまずコレとなる。そ
の飛躍した視覚化にはワクワク、そこにもなぜかロックの無限の素敵を鬼の
ように感じたよなー)を含めいろんな形で発表されていて、ブロードウェイ
版は92年が初演。で、評判を呼び、その年度のトニー賞を5部門を獲得した。

 ステージ上にセットが組まれ、バンドは2階部に位置して演奏(9人ぐら
いいたかな。最初は親しんでいた音の感じと少し違い違和感を覚えたが、ま
あまあ)。それに合わせて、いろんな設定や仕掛けのもと出演者たち(総勢
、30人弱ぐらい?)が入れ代わりたちかわり。ときには、ステージ前面にシ
ースルーのスクリーンが張られ、そこに映像を写して、状況説明やもう一つ
効果を得たりも。さすが主役級のトミーの父親(継父が殺されるほうのヴァ
ージョンを採用、でした。ぼくはこっちのほうがしっくり来ます)と母親役
の人は力量あり。主役のトミー役の青年はギターも弾き(フィナーレ部のそ
の演奏はトラブルで聞こえなかった)、ルックスは若いころのロジャー・ダ
ルトリーに似てなくはない。ちょい喉は弱いと感じさせられるが、ルックス
重視で行けば納得かな。トミーの子供時代を演じる子役はなかなかの好演。

 ステージ両端には縦の細長いディスプレー盤が配置され、歌詞や台詞(ほ
とんどないが)の訳が出る。また、歌声はそれぞれ身につけた小さなマイク
で拾われよく聞こえる。出演者用モニターは一切なかったので、イヤホン式
のを使っているのだろうか。50分づつの出し物が、休憩を挟んで二つ。時間
的にもちょうどいい。

 結論は、面白かった。ワクワクして見れた。ちゃんと手間と力量が注ぎ込
まれていると思えた。?と感じるところもあるが(でも、それは原作のスト
リーや設定だってそうだと思う。でも、よくもまあ、作ったナとも感服させ
られるが)、良く出来ている。長年のあいだに、改善が重ねられている部分
もあるんじゃないか。6.000 円〜10.000円。同様のお金を払う普通のロッ
ク公演よりは楽しめるところ多々、華やさらなる感興もあり、これはお得だ
と思った。
 この日は、正規(?)パフォーマンスを見せたおとといの公演を受けて、
サイド・プロジェクト的なものを見せようとするもの、といっていいのか。
渋谷・オネスト。

 まず、タウン・アンド・カントリー(2003年11月27日)の面々。順に
、ジム・ドリーング、リズ・ペイン、ジョシュ・エブライムス(2005年
7月29日)+ベン・ヴァイダという3つに別れて、順にパフォーマンス。傾
向は違うが、プリセット音に生の楽器音(それはサンプリングされ、反復音
として使われたりも)や肉声を加える、という方向性は同じ。しかし、彼ら
はどのぐらい楽器や装置を持ってきたんだろう。順に、<60年代後期のバー
クレーの車座になれるような抹香臭い集会場>、<現代美術を扱う美術館の
ロビー>、<今様なクラブ>が似合うようなパフォーマンスであったといえ
るか。まあ、いろんな引き出しを持つ人達であるのは間違いない。

 そして、ドイツ(テープ)と日本(MINAMO) 一緒の協調パフォーマンス。
ラップトップ・コンピューターと、ギターや電気ベースやベル他いろんな生
楽器が重なるパフォーマンス。どのぐらい打ち合わせしたのか知らぬが、無
責任に聞くぶんには破綻なく、悠々と重なっているように聞こえる。墨絵の
ような流れを持ち、ところどころに刺やスピリチュアリティをすうっと振り
かけたような演奏が続く。用事ありで、途中で失礼したが、あのノリで続い
たのかな? 最後にはタウン&カントリーの面々が加わったりもしたのだろ
うか? 

 プリンスやニール・ヤングのことを、その2分の一(というよりは、1分
の1だな。パフォーマンスを見ると、全ての美点は彼がもたらしているのが
よく分るもの)のジャック・ホワイトを見ながら思い出すとは。青海・ゼッ
プ東京。

 新作『ゲット・ビハインド・ミー・サタン』でガレージ・ロックのりから
離れた“賢人イマジネイティヴ路線”を提示していた彼らだが、実演は基本
的にはこれまで通り(2003年10月21日)の乱暴イビツ路線を展開。なが
ら、ホワイトは曲によってはキーボードやマリンバを弾きながら歌ったたり
もし、線の太さや歌心の濃さなどは比較にならないほど向上。酔狂さや奇妙
なエンターテインメント性(楽器の色から、ローディの恰好まで、あいかわ
らずイメージ戦略を徹底させている)は持つものの、紛い物感覚はかなり後
退し、まっとうな存在性が前面に出ていたのに少し驚くとともに、感心。今
回のパフォーマンスは非常にその意義を感じた。頼まれている公演評と重な
るといけないので、ここでは簡素に書いておく。
 南青山・月見ル君想フ。まず、女性二人アコースティック・ユニットのし
まさい。一人がリード・ヴォーカルを担当し、作曲も担当する一人がキーボ
ードを弾きなからハモる。キーボードのほうが知り合いなので、やっぱ身内
の視点で見ちゃいますね。途中は、パーカッション二人とベースが加わり、
サウンドに広がりや揺れや厚みを加えたりも。改善点もあれど、光るところ
ももちろんあり。

 そして、越路姉妹。女装/化粧したリード・ヴォーカリストを中心に、や
はり同様のギタリスト二人に、ベース、ドラムス、女性パーカッション。イ
ロもの、バンドと聞いたがまさしく。曲はオリジナル(なのかな)で、バン
ド音もちゃんとしているし、ステージ運びもソツがない。完成度の高い、パ
ーティ・バンド。笑い、楽しんだ。
 米国でもっとも成功したとも言えるだろう英国(細かく言うと、スコット
ランド)の、白人ソウル/ファンク・バンドである元ザ・アヴェレイジ・ホワ
イト・バンドの、フロント・マンの一人がスチュアート。彼は80年代後半か
らポール・マッカートニーの表現に関わり続けている。そういえば、今もAW
Bを率いているはずのアラン・ゴリーはダリル・ホールと懇意にし、彼のソ
ロにいろいろ関与している。また、スチュアートはデイヴィッド・サンボー
ン(2000年3月21日、2003年7月18日)の複数のアルバムにフィーチ
ャード・シンガーとして入っていたこともあるが、そうした事実ってAWB
の神通力=彼らがR&B憧憬白人表現の成功例としてのアイコンとなってい
るのを物語るものか。丸の内・コットンクラブ(セカンド)。
       
 バンドはギター(テリー・キャリアー・バンド:2005年2月17日他でいつ
も来日する名手ジム・マレン)、キーボード、ベース、ドラム、パーカッシ
ョン。ブラジル人ぽい名前のパーカショッン奏者もかつてキャリアー・バン
ドで来日したことがあったような。まあ、どっちしろ、80年前後からしばら
くはLAのスタジオ・マン(ギター、他)としても活躍(チャカ・カーン他
)していた彼(その時期に作ったグループが、88年にA&Mから1枚だけア
ルバムを出したイージー・ピーセズ。スチュアートに、女性シンガーのレニ
ー・ゲイヤー、ベースのアンソニー・ジャクソン、元AWBでもあるドラマ
ーのスティーヴ・フェローンの4人がそのメンバーだった)だが、今は英国
に戻っていて、ロンドンのスタジオ系のプレイヤーで自己バンドを組んでい
るのだと推測する。実際のバンド音のほうもそうで、米国産とは違うグルー
ヴやジャジーさがやはりそこにはあって、ジェフ・ベックの『ブロウ・バイ
・ブロウ』やリンダ・ルイスの『ラーク』やアネット・ピーコックの『パー
フェクト・リリース』らとここでの音は繋がっているところが少しはあるナ
との感慨もぼくはちょい覚えた。
 
 そんなサウンドに乗り、ギターを弾きながら歌うスチュアートのそれはあ
まりうまくなかった。ときに、あららと思うぐらいに。変だなー。だけど、
やっぱり米国表現とのあってしかるべき微妙な距離の取り方を見せるときが
あったような。それに、「パーソン・トゥ・パーソン」や「ピック・アップ
・ザ・ピーセズ」らAWBの曲にゃパブロフの犬になっちゃう。レイ・チャ
ールズのジャジーなカヴァー「ジャスト・フォー・ア・スリル」にもふふ。
関係ないけど、ぼくが一番大好きなAWB曲は「カット・ザ・ケイク」。こ
の曲難しいのか、「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」と違い、カヴァーして
いる人をぼくは知らない。90年代のいつかのAWB来日公演のときも、ゴリ
ーたちはこの曲を演奏していない。
 渋谷・J’Zブラット、セカンド。ドラマーと3人の女性シンガーを従え
てのパフォーマンス。本人はグランド・ピアノ、ローズ、コルグのシンセ、
リズム・パッド、コントローラー他をいろいろと操り、全体表現をリードし
ていく。
 
 ちゃんとジャズの素養を持ったうえで、開かれた視点と現代的感覚を投影
しようとするクラブ・ジャズ+アルファを作るろうとする人物……。+アル
ファの部分は3人のシンガーを連れてきていることでも分かるように、肉声
の多彩な使い方か。随所に既知感を覚える部分もあるのだが、自由なスタン
スで自分の音楽を作ろうとしている様はよく伝わる。ちょっとロバート・カ
ルカセース(2005年11月4日)と似た部分を感じたりもしたかな。1時
間半ぐらいの演奏が終わると、十分な活躍後に途中交代のためグラウンドを
出るサッカー選手のように、自らのパフォーマンスやそれを声援した観客に
感謝するかのように彼も拍手。かなり達成感あり、だったよう。そういうの
は、見ていて気持ちがいい。

 ニュージーランド人だけど、半分は日本人の血が入っていて、日本語も達
者な、クレヴァーな人。90年代後半にインタヴューしたことがあるが、いろ
んな音楽を聞いていてそれを饒舌に語り、評論家っぽい体質も持つ人だと感
じたことがあった。同国のビッグ・スターでNYで暮らすビック・ルンガが
ニュージーランドはああいう場所にあるので成人になると一度は外に出るの
が普通、というようなことを言っていたことがあったが、彼もNYや
東京などいろんなところに住んだことがあり、ここのところは何年もずっと
ロンドンに住んでいる。ところでマークさん、かなり見事な禿具合でびっく
り。まだ30才ちょいのはずだが。


 渋谷・デセオでの深夜イヴェント。1時半ぐらいにまず出てきたのは、ソ
ニック・ユース(2001年2月20日)とも付き合いを持つ、ベイエリアの
女性トリオのイレイス・イラータ。おお、いいぢゃん。まず音に触れて思い
出したのはザ・スリッツ。しなやかで、物事の正解は一つじゃなく、私たち
は私たちなりに閃きのある音楽をやってやるワ的な感覚がそう感じさせるの
か。だが、彼女たちのほうがもっと強く、太い。そして、迸ってもいる。ア
ルバムを聞くとヘタウマなところもあるが、実にしっかりした音を出す。ギ
ターと歌担当のお姉さんは一部、トンペットを吹いたりも。フィッシュボー
ン(2000年7月28日、2000年10月30日)のアンジェロみたいで胸キュン
しちゃうじゃないか。クアトロ単独でやってもいいグループ、という感想を
持ちました。

 そして、日本人バンドのルミナス・オレンジ。ギターを弾きながら歌う女
性の単独ユニットというが、サポートのバンドともよくかみ合い、確かな世
界を送りだす。シューゲイザー系著名バンドらしいが、ぼくはシカゴ音響派
との相似性をたぶんに感じたりもしました。

 そして、ドイツからやってきた、名士とも言えるだろうダモ鈴木(1999年
9月22日)。原稿では触れていないが、ケルン(2004年6月2日)で
会ったとき名刺を渡させていただいたら、一斉メールながらいろいろとツア
ー・デート等を送ってくれる律儀な人。この晩は、日本の2管つきバンドと
のセッション。相変わらず、朗々とした歌声。ビートは定型だが、たぶんに
インプロヴィゼーショナルとも言えるのか。ある曲はエリントンの「シング
、シング、シング」みたい旋律でもって彼は歌う。座って飲みたくなったの
で途中で退出。そのあと、8時まで飲み屋で飲んじゃうとは……。

ケイク

2006年3月16日
 渋谷・クラブクアトロ。ああ、やっときっちり彼らのことを見ることがで
きた。04年秋のオースティン・シティ・リミッツでも、05年夏のフジロック
でも、見てェと思いつつ、諸事情でちゃんと見ることができなかったのだ。
で、結論から言えば、あまりに素晴らしかった。間違いなく、今年のロック
のベスト公演になるのではないか。そう思わずにはいられないほど、ぼくは
感じ入った。

 曲を書き、歌うジョン・マックレア(ギターも)を中心に、ギター、ベー
ス、ドラム、トランペット/キーボードの5人にて。ステージの背景には、
富士山のような山が描かれたでかい布がなぜか張ってある。彼らの公演は7
時開演ではなく、珍しく7時半のスタート。そこから15分ほど遅れて彼らが
出てくると、もう物凄い声援が満員の客席側から飛ぶ。へえ。いわゆる通受
け系米国バンドでこんなに反応が最初から熱いコンサートも珍しい。

 で、1曲目の「フランク・シナトラ」から、質量感というか、手応えとい
うか、訴求力というか、聞き手に与えるものが上質。すぐに、タマが違うと
にんまり。トゥインギーに壊れていたりするギターや、妙に音がブイブイ言
うベースや、哀愁異国味を醸しだすトランペット音などを介するバンド・サ
ウンドのもと、マックレアは飄々と歌を投げ出す。で、そのマックレアがま
た、いい感じ横溢なのダ。妙な品格があるというか、味があるんだよなあ。
そして、それら総体は、これこそは米国ロック表現の精華があると思わせる
に足るもの。過去の積み重ねを持ちつつ(やはり、ぼくはザ・バンドを想起
したりもした)、自分であろうとするストラグルも抱えた、俺たちの胸を張
ったロック表現のおおいなる成果。次はどんな曲をやるのか、ドキドキもで
きたな(94年のファーストからは1曲だけだったようだが、けっこう5枚の
アルバムからまんべんなく演奏)。
 
 わりと本格派の送り手というと、どこか斜に構えたところがある場合が少
なくないものの、彼らの場合はユーモラスなところはあっても、生理的にま
っすぐな感じを出していたのも素晴らしい。だから、真正面からオーディエ
ンスのことも見ていて、度々のコール&レスポンスもぜんぜんイヤじゃなか
った。マックレアらのパフォーマンスはしっかりと客をリスペクトしている
ところがあった。気分いいー。

 本編は1時間ぐらい。15分ぐらいのアンコールが終わり場内が明るくなっ
た後も鳴りやまない歓声につられて、彼らは再びアンコールをしに出てきた
。手頃に大きくないクアトロって稀にとんでもない磁場を生むことがあるけ
ど(大昔のジャドソン・スペンスやスティーヴィ・サラスなど)、今回のは
最新の渋谷クアトロ伝説なるものとしてもいいのではないのか。

サラ・ガザレク

2006年3月22日
 シアトル出身LA在住、24才の米国人新進ジャズ歌手。ちゃんとスーツを
着こなすピアノ・トリオも同様に若い。彼女とリズム隊は、ジャズ教育とし
ては西海岸一だそうな南カリフォルニア大学の同級生たち。ピアノはやはり
質が高いらしい音楽教育カリキュラムを持つカリフォルニア大学のロングビ
ーチ校の出身で27才とか。

 そんな彼女たちのパフォーマンスやアルバム(も、同じ顔ぶれで録られて
いる)を聞いて感じるのは、以下の二つのポイント。ジャズ・スタンダード
曲、ポップ曲(アルバムではジョニ・ミッチッル等の曲を取り上げる。この
晩はジェフ・バックリーも取りあげたレナード・コーエン曲を披露。そうし
た、楽曲はブラッド・メルドー・トリオとエリオット・スミスを同様に愛で
るベーシストが主にもたらすとのこと)、オリジナル曲(ピアニストが提供
する)を当距離に見て、そこから今を生きる彼女らとしての歌素材を得よう
としていること。また、さりげないようでいて、実はアレンジには力を入れ
ていて(4人ならではのユニットという意識を、彼女たちは強く持っている
)、その妙味を通した末の本格的なジャズ・ヴォーカル表現を提示しようと
していること。

その狙いを持つ私たちの表現はまだ成就していない面もあるが、まっとう
なアコースティック路線で行こうとしている心意気や良し。彼女たちは彼女
たちなりに、本道のジャズを愛している! また、ジャズ・ミュージシャン
という矜持を強く持っている! ガザレクのヴォーカルは実に音程確か。バ
ンド・サウンドともども、もっと破天荒になってほしいという希望は残るが
、けっこう好感を持てた。丸の内・コットンクラブ。

 翌日、取材したら(彼女だけという話だったが、男性陣3人も同席。それ
も、彼女たちの表現の成り立ちを物語るような……)、客席から見て感じる
以上に綺麗な人で驚いた。若いときのボニー・レイットを美形にした、とい
う言い方もありかな。性格もとっても良さそうな彼女だが、唯一語気を強め
た発言は「ノラ・ジョーンズの後追いと見られるのだけはイヤ!」。ジョー
ンズ(2002年5月20日、9月21日。2004年1月19日)みたいにもっと
なればという外野の声や、ポスト・ジョーズと言われることに相当辟易して
いるよう。それは分かる。ジョーンズはポップ・ミュージック側にある表現
を志向しているが、彼女はジャズ側にいようとする表現を胸を張って志向し
ているから。

unkie

2006年3月23日
 TOKIEの新バンド。そのバンド名は、確かモーフィンと同義語だっけ
? 下北沢・シェルター。

 彼女がずっと在籍するロザリオスと同様、ギター奏者(VOLA & TH
E ORIENTAL MACHINEの青木裕)とドラム奏者(JUDEの城戸紘志)とのト
リオ・バンドで、やはりインスト表現を聞かせる。ロザリオスよりはもう少
し構成された曲を下敷きに突っ走る。ギター奏者はときにかなりあっち側に
行こうとする情熱的な演奏を見せ、ドラム奏者はときに打ち込みっぽい演奏
を聞かせたりもする。なかなか有機的にして、楽しめるロック・インストを
作っていたはず。演奏時間は30分ぐらいだったように思うが、曲がそれしか
ないんだとか。これから、ばりばり増やしてくださいね。 
 まず、青山一丁目駅の近くにあるカナダ大使館のシアターで、71年生まれ
のカナダ出身(現LA在住)シンガー・ソングライターの30分少し欠けの実
演を見る。根っこはもろにエルトン・ジョンにあるようなピアノ・ポップ・
ロックを聞かせる人で、シングル「バッド・デイ」が欧米でヒット、すでに
日本でもそのセルフ・タイトルのデビュー作は7万枚も売れているそうな。

 ピアノの弾き語りで、その持ち味をしっかりとアピール。曲により、グラ
ンド・ピアノとピアノ音を出す電気キーボードを弾き分けながら歌う。なん
の意味があるのかいなと思って聞いていたが、どうやらオリジナルのキーだ
と黒鍵を多く弾かなきゃならい曲の場合はキーボードを用いるよう。トラン
スポーズ機能を用いて白鍵中心の弾きやすいものにしてパフォーマンスして
いるようだ。

 アルバムで聞ける体裁よりも、弾き語りのほうがいいとぼくは感じた。歌
もより太い感じで、より真っ直ぐさや切実さが出るから。彼には少し前に電
話インタヴューをしたことがあったのだが、25才まではバンドでキーボード
を弾くだけで曲を作ろうと思ったことなかった、というようなこと言ってて
びっくり。でも、やっぱり手慣れてもいる、ちゃんとした曲を書いているよ
なー。ミッチェル・フルームがプロデュースしたデビュー作は彼の意思もか
なり尊重されているとのことだが、なんにせよ色付けが妙に厚ぼったく、フ
ルームのプロデュース失敗作だとぼくは思う。

 その後、まあ歩いていける距離にある青山・月見ル君想フに寄る。ナスノ
ミツル+勝井祐二+中村達也セッション&芳垣安洋がちょっとでも見れれば
と思ったのだが、とうぜん彼らだけの出演ではなかった。中に入ると、近く
新作を出すデュジュリディ奏者のGOMA(+大多和正樹)がマイペースで
やっている。場内は混んでいる。続いて、ドラムとコンピューター音の相乗
表現を一人でやるjimaica 。会場でこのところの大友良英のアルバムを出し
ているNさんに会ったのだが、彼とバンドをやっているんです、と言う。そ
の途中で渋谷に移動。

 デュオ。知人から面白いバンドですからと誘いを受けた日本のバンドの、
キング。ぼくはその存在を知らなかったが、いろんな分野でかなりのキャリ
アを重ねる敏腕プレイヤーたち(つの犬もいました)が集う、9人編成の大
型バンド。歌も歌うベーシストがリーダーか。それを見ながら、ワシントン
・ゴーゴーのトラブル・ファンクもベース奏者が歌っていたっけかと、変な
ところに考えは飛ぶ。ドラムとパーカションが二人づついる(管楽器奏者も
二人)という編成が示しているように、リズムの重なりに自覚的なことをや
る。耳年増でもあるだろう彼らはいろんな曲調の曲をやるが、乱暴にアフロ
・ファンク・ロック・バンドと書いておこうか。もろに、フェラ・クティ調
の曲もあったし。もう少しちゃんと書き留めたかったが、急遽たのしそうな
花見の誘いに負け、途中退場。開花宣言は出たがまだまだ(といっているう
ちに、すぐに満開になってしまうんだよなー)。それに、毎度のことだが寒
〜い。ああ、風物詩。春よ、来い!
「よーし、今日はフリー・レッスンだ。この紙に<顔>と書いてごらん。(
ぼくが、FACE、と書く)。ふむ、これは顔という文字だが、一方ではF
−A−C−Eというコード進行であり……」

 フリー・ジャズの開祖……。ぼくにとっても態度の師、最たる人であるオ
ーネット・コールマンがまたやってきた。来日は、01年に高松宮殿下記念・
世界文化賞(賞金が一千万、という話があったけか)というものものしい賞
をなぜか受けて、その授賞式のために来たとき以来。ぼくが過去に、この巨
人の演奏を見たのは3度と記憶する。一度はプライム・タイムを率いての86
年。それから、93年ごろだと思うのだが映画『裸のランチ』の映像に合わせ
て、トリオ編成で吹いたとき。そして、ウィズ・オーケストラ表現『アメ
リカの空』を日本のオーケストラとともに再演した98年。また、95年『トー
ン・ダイアリング』を出したさいにプロモーションで来日したときはインタ
ヴューすることができた(そのときは、さすが一緒に写真を撮ってもらった
な)。実は、冒頭のやりとりは、その取材時のものである。

 直観派/たたき上げの人で学問を積んでいるようにも思えないが、とても
雄弁にして、雲を掴むような話をする人。聞く人によっては胡散臭いと感じ
るかもしれないが、そこはあの素朴な顔つきなんでだいぶその印象がぼくの
場合は和らぐ。本当に彼は鏡に絵が反射していくかのように、それは鮮やか
に話をぽんぽんと飛ばし連鎖させていく。その様は、こういう人だからこそ
、ああいう音楽をやるんだなと無条件に納得させるところもあったな。彼は
喋りぱなしながら、ときどきオマエはどう思うと問い掛けをしてもきた。そ
んな彼が一番嬉しそうな顔をしたのが、インタヴューの冒頭のほうでなんか
の流れから、「プライムタイムほどプログレッシヴなR&Bバンドを聞いた
ことがありません」とぼくが言ったとき。彼はニヤリとし、冒頭のフリー・
レッスンだぞという言葉に続いたのだった。その取材中に、ぼくの携帯電話
が鳴った。神経質なぼくゆえ(でも、ずぼらでいい加減なところも多々ある
が)電源を切らないはずがないのだけど、なぜかそのときは切るのを忘れて
いた。だが、その音を聞いて御大は、「ほーら、トーン・ダイアリングだ」
とその音も必然性があるように、柔らかい言葉を返してくれたっけ。

 そんなオーネットの今回の実演は、2ベース(グレッグ・コーエンとトミ
ー・ファランガ。一人は主にアルコ弾き)、ドラム(息子のデナード)によ
るもの。昨年、ミネアポリスで行われた御大の75才を祝う“ザ・フェスティ
ヴァル・ダンシング・イン・ユア・ヘッド”で披露されたときと同じ面子に
よるもの。渋谷・オーチャードホール。

 演奏は、当然のことながら鬼のように素晴らしかった。ぜんぜん衰えてお
らず、アメリカン・アートというしかない、その妙味=ハーモロディク理論
を下敷きとする演奏が、悠々と、風が舞うように繰り広げられる。コンセプ
トとといい、演奏といい、より深化し、輝いている部分もあったじゃないか
。ああ、夢心地。大感動。オーネットはときにトランペットやヴァイオリン
も例によって手にする。

 終盤3曲(とアンコール1曲)は、前座で3曲ピアノ・ソロを披露した山
下洋輔が加わる。また、ラスト2番目の曲にはアヴァンギャルドな歌い方を
する日本人女性歌手も加わった。彼女、86年の来日公演にも加わったでしょ
という人がいたが、ぼくはぜんぜん記憶が残っていない。ま、大家ながら、
鷹揚なのもオーネットらしい。オーネットは基本的にピアノを表現に入れる
のを嫌う人だが、考えてみれば一応最近作となる96年に出されたオリジナル
・アルバム2枚(双子作)にはジュリ・アレン(2004年11月3日)が入って
いたんだよな。

 ところで、95年の取材のとき、デナード・コールマンも同席していた。彼
は「マネイジャーのデナードです」と、ぼくに握手を求めてきた。控えめな
好漢。でも、彼は好奇心旺盛な男らしく、レコード会社の宣伝部門の女性(
実は93年の東京ドーム公演のとき、ボーノに壇上に上げられて一緒に踊った
人)に、いいクラブを教えて、いい日本のポップ・ミュージックを教えて
と、いろいろと訊ねてきたという。で、彼女は何も思い浮かばなくて、当時
ウルフルズがちょうどブレイクしていたときで、思わず「ウルフルズ」と言
ってしまったそうな。

 デナードはウルフルズを聞いたのだろうか。
 渋谷・Oイーストでの、ショーケース・ライヴ。品行方正/前向きな歌詞
を持つからだろう(一応、作曲もするという触れ込み)、本国ではクリスチ
ャン・ミュージックにカテゴライズされている新進の米国人女性ロック歌手
。まだ、17才だそう。なるほど、すらりとしていて、ブロンドで、それなり
に容姿も整ってそうで、見てくれだけで売れても不思議はないなとステージ
上の姿を見て思う。それなりに音を出す、ギター、ベース、ドラムを従えて
のもの。全部で5曲、20分ぐらいの実演か。3曲歌うと歌声はヘロる。最初
と最後はギターを持つが、カッコだけのもの。ようは、実力的には空虚なパ
フォーマンスを披露した。あちらの、アイドル歌謡ロック。だが、そうであ
っても、ロック/洋楽の入門編として、彼女はアリではないか。と、ぼくは
なぜかそう思った。

サン・ヴォルト

2006年3月30日
 復活なった、元アンクル・テュペロのジェイ・ファーラー率いるアメリカ
ン・バンド。渋谷・デュオ。あのケイク(3月16日)を見た後だと分が悪い
かもなあと思って行ったら、とってもそうだった。それぞれの要素はまっと
う。だが、それだけ。ぼくは醒めた傍観者になってしまった。半分ぐらいの
曲でファーラーはアコースティック・ギターを持って歌ったのだが、ぼくは
生ギターを持ちながら歌う人がいるロック・バンドに生理的な嫌悪感を覚え
るのだとも再認識。そういやあ、やはりアンクル・テュペロにいたジェフ・
トゥイーディ率いるウィルコ(2003年2月9日)も秀でたバンドと思いつ
つ、完全に感情移入できないのはそのせいもあるんだよなあ。ともあれ、後
半にちょっとアグレッシヴになり、広がりも持つようになり、ちょっとホっ
とする。