パンク・ニューウェイヴ旋風が吹き荒れていた70年代後半のNYには、パンク、フリー・ジャズ/ノイズ、ファンクとかを駄々っ子のように重ね合わせようとした一団がいて、それは<ノー・ウェイヴ>と呼ばれもしたが、アート・リンゼイ(当時は、DNAというバンドをやっていた。彼はザ・ラウンジ・リザーズのデビュー作にも参加)はまさにそうしたなかから出てきた最たるスター(1999年12月9日、2002年9月9日、2004年11月21日)と言えるか。オ−ネット・コールマン一派や彼に傾倒しなかったら、90年代上半期に4社からだしたコンピ・シリーズ『フリー・ファンク』を組む事もなかったかもなー。ちょうど、組んでいたときに来日が重なったことがあり、彼に選曲リストを見せて、感想をもとめたこともあったな。

 渋谷・デュオ。ショウの一部は完全ソロ。アンビシャス・ラヴァーズを組んでいたとき(87年ごろ?)に、六本木のロマニシェス・カフェでソロ・パフォーマンスのギグをやったことがあったが、彼のソロ演奏に触れるのはそれ以来だ。まったくチューニングしない12弦ギター(弦の数が多い方が楽器音の厚み/インバクトを得る事ができ、また偶発的な音ヴァリエーションは増える)を無勝手流にかき鳴らしたり爪弾いたりするというのは、あのときと同様。四半世紀前のときはアンプのイコライザーを中抜き(高音と低音の音比重をあげていて、音の立ち/扇情性を増させていた)にしていたが、今回はどうだったのだろう。少し、使用エフェクターは増えていたのかな? そりゃ長年やっているぶん、ギターの狼藉音表出方策のヴァリエーションは増えているが、年とったぶんだけ瞬発力は減り、こっちもいろいろと接してきているぶん予定調和な感覚は残念ながら増していると感じちゃうところはあったと思う。ただ前はインストの比重が高かったところ、今回はすべての曲/塊で詠唱と言いたくなる彼ならではの漂う歌をかましてくれたわけで(その際、ギターは打楽器音のように入れられるわけね)、それはまた新たな感興を生むに至っていたか。歌はポルトガル語か英語にて、ポルトガル語曲はけっこう有名なブラジル曲も歌ったようだ。その歌とギターのかみあいは妙な個体のゆらぎ、オリジナルな存在の発露を感じさせてくれるわけで、すっこーんと枠を抜けたしなやかさ/ちゃらんぽらんの素敵を受け手に与えたはず。やっぱ、華奢でお洒落な人だけど、我が道を行く芯の太さは相当なものだよなー。ブライアン・イーノからデイヴィッド・バーン、坂本龍一まで、いろんな人から頼りにされるのは、そんな部分も大きいのではないか。

 そして、2部はリンゼイと大友良英(2009年5月31日、他)のデュオ。2人の顔合わせは、今回が初めてだそう。世代的に大友も<ノー・ウェイヴ>体験を持つはずで、そっちのほうに怒濤の流れ込みを見せる?かと、一抹の期待をしたが、一部ノイジーな重なりを見せはするものの、それはなし。基本は、一部で見せたリンゼイのパフォーマンスがあり、その曲(調)を敏感に察知する大友が調性を持ちつつ寄り添い、そこからやんわり発展するという感じ。1曲目の大友の演奏はビル・フリゼール(2011年1月30日、他)みたいだった。けっこう、リンゼイは思いつきで曲を噛ます〜横の譜面立てに沢山歌詞カードをおいていて、どっしよーかーという感じで選んでいた〜ので、大友は次は何が出てくるのか戦々恐々のところあったみたい。でも、経験豊かで研ぎすまされた彼は愛たっぷり、相手役をこなす。途中、「オレも歌っているんだから、オモエも歌えと言われてブルーなんですけど。しょうがないんで、昔のフォーク・ソングを歌います」というようなことを言って、大友は1曲訥々と歌う。味、ある。それ識者によれば、加川良の曲であるそう。

<今日の初めて>
 なんとアート・リンゼイは開演時間よりも2分ほど早くステージに出てきて、パフォーマンスを始める。時間きっかりという人は過去いたはずだが、早く出てきた人は初めて接するような。18歳までブラジルで育ち、ここ10年強はきっちりブラジルに住んでいるはずのアートではあり、かなりすちゃらかした部分も持つ(そのため、結婚しバイーア居住だったところ、奥様から三行半を突きつけられ、現在はリオ住まいになったみたい)が、時間の部分においてはきっちりせっかち?