コルネイユ
2007年6月25日 翌日からのNY出張がインタヴューが出来なくなったとかで、ドタキャン
。そうじゃなくても、この10日間はかなりやらなきゃならない仕事が山済み
で、けっこう精神的においつめらて辛かったなー(年を取るにつれ、どんど
んプレッシャーに弱くなっているナ)......。困憊気味なのと、解放感が入
りまじるなか、カナダ大使館へ。
大使館付きホールが、オスカー・ピーターソン・シアターと新たに命名さ
れたよう。大御所ジャズ・ピアニストのピーターソンは米国人ではなくモン
トリオール生まれで、彼の快楽的でスウィンギンによく歌うピアノのスタイ
ルは黒人差別の少ないカナダ育ちという属性がもたらしたもの、なんて説明
がされたりもしたっけな。中学時代、そういう誰かの記載を読んで、カナダ
っていい国かもしれないとぼくは思ったはずだ。それとも、ジョン・レノン
がモントリオールで69年“ベッドイン”をしたりした(それって、一時米国入
国拒否され、カナダをシェルターにしていたんだっけか)情報のほうが、ぼ
くにカナダの正のイメージを与えたのかな。
この日見たのは、コルネイユという1977年ドイツ生まれの自作派のシンガ
ー。アフリカのルワンダ・ルーツの青年で、いかにもナイス・ガイな雰囲気
を持つ長身の人。育ちはルワンダで映画『ホテル・ルワンダ』にも描かれい
た94年ルワンダ虐殺で両親を失いドイツに渡り、最終的にモントリオールに
落ちついたという経歴を持つという。実演に先立つ大使の挨拶によれば、カ
ナダとう曲は難民に優しい国で、そういう意味で彼はカナダの側面を伝える
存在でもあるそう。本国ではすでに数枚リーダー作を出していて、過去作で
はフランス語で歌っているようだ。
非常にクリーンな演奏をするアコースティック・ギター奏者を従えての英
語曲によるパフォーマンス。米国的ソウル・フィーリングは皆無の喉自慢で
、パっと聞いて多くの人はそのヴォーカルにナイジェリアとブラジルの両親
を持つUKシンガーのシールを思い出すのではないか。アルバムにおいては
シールのようにカチとしたサンプリング・サウンドではなく、柔和な今様サ
ウンドを採用する彼ではあるが。哀愁あるメロディ曲のもと慈しみの感覚を
無理なく聞き手に与えるあたり、普遍的なポップ・ミュージックとしての需
要があるかもしれない。
。そうじゃなくても、この10日間はかなりやらなきゃならない仕事が山済み
で、けっこう精神的においつめらて辛かったなー(年を取るにつれ、どんど
んプレッシャーに弱くなっているナ)......。困憊気味なのと、解放感が入
りまじるなか、カナダ大使館へ。
大使館付きホールが、オスカー・ピーターソン・シアターと新たに命名さ
れたよう。大御所ジャズ・ピアニストのピーターソンは米国人ではなくモン
トリオール生まれで、彼の快楽的でスウィンギンによく歌うピアノのスタイ
ルは黒人差別の少ないカナダ育ちという属性がもたらしたもの、なんて説明
がされたりもしたっけな。中学時代、そういう誰かの記載を読んで、カナダ
っていい国かもしれないとぼくは思ったはずだ。それとも、ジョン・レノン
がモントリオールで69年“ベッドイン”をしたりした(それって、一時米国入
国拒否され、カナダをシェルターにしていたんだっけか)情報のほうが、ぼ
くにカナダの正のイメージを与えたのかな。
この日見たのは、コルネイユという1977年ドイツ生まれの自作派のシンガ
ー。アフリカのルワンダ・ルーツの青年で、いかにもナイス・ガイな雰囲気
を持つ長身の人。育ちはルワンダで映画『ホテル・ルワンダ』にも描かれい
た94年ルワンダ虐殺で両親を失いドイツに渡り、最終的にモントリオールに
落ちついたという経歴を持つという。実演に先立つ大使の挨拶によれば、カ
ナダとう曲は難民に優しい国で、そういう意味で彼はカナダの側面を伝える
存在でもあるそう。本国ではすでに数枚リーダー作を出していて、過去作で
はフランス語で歌っているようだ。
非常にクリーンな演奏をするアコースティック・ギター奏者を従えての英
語曲によるパフォーマンス。米国的ソウル・フィーリングは皆無の喉自慢で
、パっと聞いて多くの人はそのヴォーカルにナイジェリアとブラジルの両親
を持つUKシンガーのシールを思い出すのではないか。アルバムにおいては
シールのようにカチとしたサンプリング・サウンドではなく、柔和な今様サ
ウンドを採用する彼ではあるが。哀愁あるメロディ曲のもと慈しみの感覚を
無理なく聞き手に与えるあたり、普遍的なポップ・ミュージックとしての需
要があるかもしれない。