10月4日午前8時半すぎに父が亡くなった(9月中頃から入院して、お見舞
いには行っていたのだが)との知らせを受け、いそいで帰郷。そのまま、喪主
をする。ある程度、想像はしていたが本当にお葬式って大変。多大に不毛でも
ある。でも、父はそういう格式ばったのを望んだろうし。親不孝のぼくではあ
ったが、最後ぐらい最高の送りだし方をしてあげたかった。いろいろとしがら
みを感じ、一人でつっぱることは不可能だと感じ、人々の厚意を山ほど感じ…
…。いろんな意味で、人間かわりそお。花や弔電や香典、律儀に送っていた
だいた方々、ありがとうございました。後々にはなってしまいますが、個々に
お礼を述べさせてもらいたいと思います。残った母のために、クルマを車高の
低いものに変えなきゃ……。乗り降り大変そうだから。ふう。

 10月初旬から中旬にかけてはけっこうコンサートがあったのだが、当然のこ
とながら全部ふっとばす。で、この晩のルーマニアのジプシー・ブラス集団(
2004年8月28日)でミュージック・ライフへの復帰。生の活力あふれる元
気をもらおうと思ったのだが、彼らけっこうマイナー・キーの曲が多く、なか
なかに重く聞こえてこまった。ときに息苦しかった。あ〜、父への鎮魂歌だな
あなぞとしんみり聞いている自分もときにおりました。

 この日はP’ez (2005年9月21日、他)がオープニング・アクト。残念なが
ら、共演はなし。ときにステージに表れ華を添えていたセクシー・ダンサーを
妻に持つマネージャー氏は東ドイツのライプチヒの出身で、現在はベルリン在
住。ドイツの首相に東育ちの女性がなるんですよねと話を向けると、「え、そ
うなの。1か月旅に出ているから、何も知らないんだ」とのこと。でも、その
メルケルについては、「駄目。サッチャーと変わらぬ、キャピタリストだ」と
切り捨てる。