ポルトガルのファドの女性歌手で、青山・草月ホール。オーディエンスの
年齢層、高し。2部構成で、あわせて約1時間半。ポルトガル・ギター(高
目の音を出す)、ガット・ギター、ギター型のベース、3人のおっさん(割
りと小綺麗な)弦楽器奏者をバックにしてのもの。

 おお、写真よりもだいぶ太めの人ですね。けっこう、上品な持ち味。総じ
ては、ポルトガル哀愁のフォークロアという感じ。そんなに、ファドのこと
知らないんですけど……。繊細さを出したいのかもしれないが、PAはもう
少しヴォーカルの声を大きくしてもいいかもしれない。開演前に彼女のメッ
セージや歌詞要約が記された印刷物を配付していたが、彼女は英語でいろい
ろと曲の背景を説明し、半数以上の曲ではステージ後方上部の横長スクリー
ンに、歌に合わせて歌詞が映し出される。丁寧な設定。それ、いい。やっぱ
、送り手が歌詞の内容を重視するならば。1曲、すごい高尚な言い回しなが
ら、けっこうエッチな歌詞と取れるものがあり、ぼくはクスクス笑ってしま
った。

 背景に効果的に出される歌詞を見ながら、ぼくはいろいろ考えてしまった
な。かつてのフォークロア的な表現、往年のポップ・ミュージックはもっと
歌詞に重きがかかっていたはず。それが、(乱暴に言ってしまうが)ロック
時代になって、サウンドの比重が増し、どんどん歌詞の妙味の占める割合が
低くなっていった。もちろん、ロック界にもいい詩人は沢山いるが、大方の
歌詞はどーでもいいくだらないもの。でも、かっこいいサウンド/ビートや
全体のインパクトがあれば、にっこり聞けてしまう。旧時代の音楽か、それ
とも今様の音楽かは、どのぐらい歌詞の占める比重が高いかといういうこと
にも表れるのではないのか。そして、ワールド・ミュージック的な聞き方は
きわめてロック的、現代的な非米英圏音楽の聞き方なのだと思う。だって、
聞き手は自分の異なる文化(言語)を持つ表現に歌詞を越えた部分の面白さ
やインパクトを感じ、横にあるポップ・ミュージックと同様に愛でちゃう、
というのがワールド・ミュージック受容のあり方であるのだから。

 そんなふうにいろいろと考えが飛んだのは、先(6月20日)のダーヴィッ
シュのジョーダン嬢の発言が頭にあったからかもしれない。「ステージで歌
詞の内容の説明をしたりするけど、まず耳に入ってくる直感で聞いちゃえば
いいのよ。私もワールド・ミュージックを聞くけど歌詞の内容はよく知らず
に楽しんでいるもの。それに、自分勝手な解釈のほうが、本来の意味よりも
鮮やかで素敵だったりすることもあるし。私の曲の説明を聞いて、そんな普
通の意味だったのかとがっかりするんじゃないか、なんて思うこともあるワ
(笑)」