シアトルのクリターズ・バギン(2000年7月19日)を主役に置いての、お
なじみのイヴェント(1999年6月12日、2000年7月19日、2000年9月14日、
2000年12月17日、2001年6月10日、2002年6月23日)、代官山のザ・ボール
・ルームにて。あまり音楽の出し物には使われない会場だが(確か、大昔エ
ピックがヒューマン・ネイチャーというオーストラリアのコーラス・グルー
プのコンヴェンションを打ったことがあったはず)、二つのフロアを用いて
のイヴェントになっていた。

 クリッターズ・バギンの演奏は2回まわし。1時間強の一回目が終わりD
Jタイムになり、上のフロアにエレヴェイターに乗って上がると、そちらは
テーブル/椅子があったりとゆっくり出来るスペースになっていた。そちら
には日本人の8人編成のガムランのグループ(後半、ダンサー付き)が演奏
(他にも、ライヴ出演者はいたよう)。衣装もそれなり。で、音のほうも形
になっていて、そのままいちゃったな。クリッターズ・バギンのメンバーも
ちょっと聞いてました。EYEなんかが回した前日土曜は今日よりも絶対に
混み合って窮屈だったかもしれないが、この日の入りなら気儘にまったりも
できるし、なかなかいい設定ではなかったか。ただし、飲み物販売はもう少
し力を入れてほしい。酒事情が悪くて、バギンの2回目の途中でぼくは会場
を出ざるを得ませんでした。

 映像を流しての、ジャズ・ロック的なインスト演奏。売れっ子ドラマーの
マット・チェインバレンを外す別編成でブラック・フレイムズ(2002年9月
7日)と名乗り来日したこともクリッターズ・バギンだが、やっぱりこの顔
ぶれはいいなとのこと。なんか煮え切らないところもぼくは感じたものの。
彼らは新作をローパドープから出したばかりだが、ライヴに触れたあと聞い
たほうが良く感じる。そこにある、含みが分かりやすくなった。翌日、取材
したが、旧エディ・ブリッケルのボヘミアンズのチェンバレンとブラッド・
ハウザーは穏健にヤッピー系顔つき。スケーリックは親しみやすい。そして
、マイク・ディロンは少しヤバ目な感じを与える人。みんなシアトルに住ん
でいるのかと思ったらバラバラ、今スケーリックは主にブルックリン、ハウ
ザーとマイク・ディロンはオースティン、チェンバレンはシアトルとか。例
によって、みんなジャム・バンドという言葉には相当辟易している。不思議
と思えるぐらいに。とくに、スケーリック(彼の旧未発表マテリアルをまと
めた『レフト・フォー・デッド・イン・シアトル』は相当な傑作)は。

 ユーロが始まってしまった。生活が不規則になるなあ。欧州から戻ってい
ろいろ連絡とるうちに遊ぶ用事もいっぱい入れてしまったしなー。むーん。