R.I.P.ゲイリー・ピーコック(1935年5月12日〜2020年9月5日)
2020年9月5日 音楽 ザ・ジャズ・ベーシスト、ゲイリー・ピーコック(2007年5月8日)の訃報が届いた。享年、85。今のところ死因などは公になっていないが、イーサン・アイヴァーソン(2003年8月1〜2日、2004年5月13日、2005年8月29日、2008年2月20日、2011年3月9日、2013年11月20日、2014年10月31日、2019年8月21日、2019年8月24日)他がツイッターで言及している。
最初ピアノをやっていて、兵役時にベースにスウィッチした。1950年代はローリンダ・アルメイダやバド・シャンクやクレア・フィッシャーらウェスト・コーストもので弾いていたが、1962年にニューヨークに移るとポール・ブレイ(1999年6月1日)、アルバート・アイラー、トニー・ウィリアムズ、ギル・エヴァンスらフリー/先鋭的なブツで弾くようになった。
一応初リーダー作は、トリオ録音作ながらポール・ブレイ・ウィズ・ゲイリー・ピーコックの名義で出された『Paul Bley With Gary Peacock』(ECM、1970年)。それ、ドラムはポール・モーシャンかビリー・エルガートだった。菊地雅章(あれえ、これまで変換されず、みやび+あきら と1文字づつキーボードを打っていたが、今回一発変換された!)のテザート・ムーンをはじめ、ぼくとしてはピーコックというとモーシャンとのコンビがすぐに浮かぶ。ビル・エヴァンスの『Trio 64』(Verve,1964年)はそのリズム・セクションを擁する録音だった。
東洋思想もろもろに興味を持ったこともあり、1970〜72年は日本に在住。その時期、日本人奏者たちと録ったアルバムをいくつも残している。帰国後は、なによりキース・ジャレットとの活動で知られ、ピーコックの単独作『Tales of another』(ECM、1977年)は後のキース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)のスタンダーズ・トリオ(ドラムはジャック・ディジョネット:2001年4月30日、2003年8月23日、2007年5月8日、2014年5月22日、2015年9月5日)でレコーディングされた。その後、ECMを中心にリーダー作をいろいろと発表。作曲にもこだわりを持つ人で、リーダー作は基本オリジナルで固める人だった。晩年の自己グループはマーク・コプランドとジョーイ・バロン(1999年9月24日、2011年1月30日、2017年3月2日、2019年5月17日)とのトリオ。残念ながら、それを見る機会には恵まれなかった。
1960年代前半に結婚していた最初の奥さんは、英国に渡り同ロック環境のなかで才能を開花させた、シンガー(とキーボードの)のアネット・ピーコック。ゲイリーとの後、彼女はポール・ブレイと結婚し、そして別れて1974年に大西洋を渡った。マンフレート・アイヒャーは何気なアネット好きで、彼女のアルバムをECMから出したこともあった。
▶︎過去の、ゲイリー・ピーコック
https://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、ザ・バッド・プラス/イーサン・アイヴァーソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200405101355540000/
http://43142.diarynote.jp/200509011126570000/
http://43142.diarynote.jp/200802212249200000/
http://43142.diarynote.jp/201103171347055826/
http://43142.diarynote.jp/201311230757159421/
http://43142.diarynote.jp/201411101736494912/
https://43142.diarynote.jp/201908221131088459/
https://43142.diarynote.jp/201908251757547410/
▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
https://43142.diarynote.jp/201304180910514763/ 娘のヴァネッサ・ブレイ
https://43142.diarynote.jp/201804181343243905/ 娘のヴァネッサ・ブレイ
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズ・ライフタイム・トリビュート
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、ジャック・ディジョネット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
http://43142.diarynote.jp/201405231458349566/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
▶︎過去の、ジョーイ・バロン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm マサダ
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/ ロン・カーター ビル・フリゼール
https://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
https://43142.diarynote.jp/201905180802284680/
<今日の、自分にびっくり仰天>
かつて共に日本代表に入り、ディフェンダーとして海外で活動してきた酒井高徳(現在は神戸)と酒井宏樹(マルセイユ)は兄弟だとばっかり思っていた。ルックスはまるで違うが、世のなか何がある分からなく、そういうこともあるのだとなぜか思い込んでいた。うひゃ〜。じっさい日本人とドイツ人のミックスの高徳は同じサッカー選手の弟を二人持つが、それは別の人たちであったか。だいいち、弟と思っていた宏樹のほうが高徳より少し年上ぢゃん。シューン。ときどき、あららという思う違い(たとえば、言葉の読み。いくら打っても変換しないので、調べてみると読み方が異なることが発覚することが稀にある。悲)を認識する。日々是勉強。なんてはまったく思わないが、ありゃりゃという思いをいい年こいて得られるのは、○ということにしておこう。
最初ピアノをやっていて、兵役時にベースにスウィッチした。1950年代はローリンダ・アルメイダやバド・シャンクやクレア・フィッシャーらウェスト・コーストもので弾いていたが、1962年にニューヨークに移るとポール・ブレイ(1999年6月1日)、アルバート・アイラー、トニー・ウィリアムズ、ギル・エヴァンスらフリー/先鋭的なブツで弾くようになった。
一応初リーダー作は、トリオ録音作ながらポール・ブレイ・ウィズ・ゲイリー・ピーコックの名義で出された『Paul Bley With Gary Peacock』(ECM、1970年)。それ、ドラムはポール・モーシャンかビリー・エルガートだった。菊地雅章(あれえ、これまで変換されず、みやび+あきら と1文字づつキーボードを打っていたが、今回一発変換された!)のテザート・ムーンをはじめ、ぼくとしてはピーコックというとモーシャンとのコンビがすぐに浮かぶ。ビル・エヴァンスの『Trio 64』(Verve,1964年)はそのリズム・セクションを擁する録音だった。
東洋思想もろもろに興味を持ったこともあり、1970〜72年は日本に在住。その時期、日本人奏者たちと録ったアルバムをいくつも残している。帰国後は、なによりキース・ジャレットとの活動で知られ、ピーコックの単独作『Tales of another』(ECM、1977年)は後のキース・ジャレット(2001年4月30日、2007年5月8日)のスタンダーズ・トリオ(ドラムはジャック・ディジョネット:2001年4月30日、2003年8月23日、2007年5月8日、2014年5月22日、2015年9月5日)でレコーディングされた。その後、ECMを中心にリーダー作をいろいろと発表。作曲にもこだわりを持つ人で、リーダー作は基本オリジナルで固める人だった。晩年の自己グループはマーク・コプランドとジョーイ・バロン(1999年9月24日、2011年1月30日、2017年3月2日、2019年5月17日)とのトリオ。残念ながら、それを見る機会には恵まれなかった。
1960年代前半に結婚していた最初の奥さんは、英国に渡り同ロック環境のなかで才能を開花させた、シンガー(とキーボードの)のアネット・ピーコック。ゲイリーとの後、彼女はポール・ブレイと結婚し、そして別れて1974年に大西洋を渡った。マンフレート・アイヒャーは何気なアネット好きで、彼女のアルバムをECMから出したこともあった。
▶︎過去の、ゲイリー・ピーコック
https://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、ザ・バッド・プラス/イーサン・アイヴァーソン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200405101355540000/
http://43142.diarynote.jp/200509011126570000/
http://43142.diarynote.jp/200802212249200000/
http://43142.diarynote.jp/201103171347055826/
http://43142.diarynote.jp/201311230757159421/
http://43142.diarynote.jp/201411101736494912/
https://43142.diarynote.jp/201908221131088459/
https://43142.diarynote.jp/201908251757547410/
▶過去の、ポール・ブレイ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/livejune.htm
https://43142.diarynote.jp/201304180910514763/ 娘のヴァネッサ・ブレイ
https://43142.diarynote.jp/201804181343243905/ 娘のヴァネッサ・ブレイ
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズ・ライフタイム・トリビュート
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、菊地雅章
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-9.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-6.htm
http://43142.diarynote.jp/?day=20041103
http://43142.diarynote.jp/201207031322126509/
http://43142.diarynote.jp/201207031323242844/
http://43142.diarynote.jp/201210271744294415/
http://43142.diarynote.jp/201507091044561526/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160611
▶過去の、キース・ジャレット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
▶過去の、ジャック・ディジョネット
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-4.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200705181807060000/
http://43142.diarynote.jp/201405231458349566/
http://43142.diarynote.jp/201509211331298145/
▶︎過去の、ジョーイ・バロン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/september1999live.htm マサダ
http://43142.diarynote.jp/201102091715522875/ ロン・カーター ビル・フリゼール
https://43142.diarynote.jp/201703081443314613/
https://43142.diarynote.jp/201905180802284680/
<今日の、自分にびっくり仰天>
かつて共に日本代表に入り、ディフェンダーとして海外で活動してきた酒井高徳(現在は神戸)と酒井宏樹(マルセイユ)は兄弟だとばっかり思っていた。ルックスはまるで違うが、世のなか何がある分からなく、そういうこともあるのだとなぜか思い込んでいた。うひゃ〜。じっさい日本人とドイツ人のミックスの高徳は同じサッカー選手の弟を二人持つが、それは別の人たちであったか。だいいち、弟と思っていた宏樹のほうが高徳より少し年上ぢゃん。シューン。ときどき、あららという思う違い(たとえば、言葉の読み。いくら打っても変換しないので、調べてみると読み方が異なることが発覚することが稀にある。悲)を認識する。日々是勉強。なんてはまったく思わないが、ありゃりゃという思いをいい年こいて得られるのは、○ということにしておこう。