10年強前、ぼくに多大な共感を持たせた、ブラジルのファンク・ロック・バンドがペドロ・ルイス・ア・バレージ。今もグループは解散していないようだが(構成員がモノブロコに入っていて休業状態らしい)、昔は暴れん坊といった感じも受けたそのリーダーをここに来て、東京で見ることができようとは。それは彼が、ホベルタ・サーという現ブラジル音楽界でピカピカに輝く美形女性歌手と結婚しちゃったから。出てきた本人は真面目そうなとっちゃん坊や風情(それゆえ、セクシャリティにも欠けると感じる)の人物で、それには少し拍子抜け。なんでかな。俺は、美女と野獣的なものを歓迎する、メンタリティを持っているのか?

 サウンドの上で舞うように歌うサー嬢と小さな鳴りもの主体にときにギターと歌を披露するルイス(パレージの曲もやった)、サーの音楽的後見人のホドリーゴ・カンペーロ(ギター)、そしてエルシオ・カファロ(ドラム)という面々にて、パフォーマンス。曲によってはプリセット音もあっさり併用していたが、なんにせよ、そのサウンドにあるほんの隙間の感覚や光彩感など、いろいろ望外にうれしい。

 ブラジルの伝統と今を生きる彼らの創意や機微が有機的かつしなやかに重ねられ、その中央にはサーの滑らかかつ妖艶な歌声があるのだが、その歌は本当に誘いと滋味を持つ。うっとり。素敵な属性と素敵な個体の、おいしい出会いがここにはあると本当に思わせられ、心躍りまくり。今年有数、と思わせる、いい公演でした。

 恵比寿・リキッドルーム。本編とアンコールを終えた後、4人はステージ中央に並んで、心からうれしそうに歓声に応える。その肩を組んだ4人の佇まいの良いこと。それ、間違いなく、今年No.1?

マイア・ヒラサワ

2010年11月29日 音楽
 1980年ストックホルム生まれ、日本人の父親とスウェーデン人の母親を持つシンガー・ソングライター。すでに本国では評価を受けていて、それらをまとめた日本でのアルバムのデビュー作リリースは年明けながら、すでに彼女の曲がTV-CFで使われていたりするよう。エミ・マイヤー(2010年5月31日、他)、マリエ・ディグビー(ハリウッド・レコード所属。一度取材したことがあるけど、綺麗で性格もいい感じで、とても好印象)、マイア・バルー(2008年9月8日、他)など、ここのところ、日本人の血が半分入っている女性アーティストがいろいろ活躍しているなー。

 ショーケース・ライヴで、表参道・カイにて。なるほど、才能はありますね。最初はギターやキーボードの弾き語り。MCは英語と、ときに日本語。歌は英語とスウェーデン語、日本語の曲も1曲。そして、途中からクリストファー・ラングスタンというスウェーデンのストレンジ・ポップの3人組が出てきて(その名前は個人名でもあるのかしら)、サポート。男性陣は自分たちの自作も1曲ヒラサワ抜きでやったが、楽器を持ち替えたりもするような(スタンディング設定だと、ステージ高のないここでの実演はほとんど後からはその模様が見えない)彼らは結構いい感じだった。

 親しみ易さ溢れるピアノ・ポップ的なものから、アルバムでは管音をうまく用いたプチ・アートな感性を持つ曲まで、曲趣は広がりと視点あり。また、歌もコケティッシュで聞き手にしっかり向かって来て、自分の世界をぽっかり作れる人と頷く。かつてスウェディッシュ・ポップ勢としては一番売れたカーディガンズ的なノリを持つ曲もあり、いろいろと眩しい才覚を感じた。

 高校卒業後、オーストラリアに渡ってジャズを習い(最初は語学留学し、その後にシドニー大学に入る。マイク・ノックに師事)、11年居住していた75年生まれのピアニスト。ディスク・ユニオンから豪州人リズム・セクションとのトリオ作を3種出していたが、新たにトライソニークという新トリオを組んでメジャー・デビューするにあたってのショーケース・ライヴ。東京駅八重州口近くの、BMWのショールーム。

 新トリオのリズム隊は杉本智和(2007年12月4日、他)と大槻英宣(2010年2月17日、他)。ロック・ファンでもあったらしい(今も嫌いではないよう)が、トリスターノなんかも嫌いじゃないんだろうなともほのかに思わせる、ときに“一見さんお断り”みたいな迷宮に入るところもある、闊達詩的なピアノを聞かせる。後日、取材時に正面からキムの顔を見たら、性格よさそうなイケ面でほう。そんなに平易なピアノ・トリオ表現をやるわけではないのに、日々のライヴでは女性客が圧倒的に多いというのにも納得がいきます。

 終わって、知人を誘い、少し流れようとしたら……オイスター・バーを見つけたので、入店。牡蠣をつまみつつ、昼間から白ワイン。夜の用事もあるというのに(というか、夜も飲みだからまいっかという判断ナリ〜)、止まらなくなり、へらへらボトルを2本開栓。明るいうちから飲むのは久しぶり&牡蠣を楽しめて冬を感じる。先日取材した、某著名ミュージシャンの言によれば、猛暑だった今年は牡蠣は味がいまいちだそーな。複数産の牡蠣を食べたが、どこのものが美味しかったかはもちろん忘れた。

 80年代後半にマンチェスターで結成、この手のちゃんとキャリアを持つバンドで今もしっかり活動しているというのは珍しいほうに入るのでは。そんなわけだから、日本公演もいろいろやっているはずだが、ぼくが見るのは2002年2月7日以来となるのかな。

 恵比寿・リキッドルーム。お客の英国人比率、高い。外見的に古いロック的美意識を感じさせる(そのアクションは、ぼくの目にはダサく映る)シンガーに、坊ちゃんタイプの演奏陣が4人。オリジナル・メンバーであるベーシストは80年代中期にエディ・ピラー(cf.アシッド・ジャズ・レーベル)のカウントダウン・レーベル(配給はスティッフ)が送り出した耳年増的ソウル応用の洒脱ビート・バンドであるメイキン・タイムの一員だったことを、ふと思い出す。そのデビュー作『リズム&ソウル』は洗練されたジャケット・カヴァーを持っていて、彼らはスタイル・カウンシルらに続く一群にいたなかでもなかなか好感を持てる連中だった。

 演奏は昔感じていたよりも、まっとう。とともに、今のダンスっぽいと言われるUKバンド〜たとえばクラクソンズ(2010年9月8日)なんかよりはいいグルーヴを持つなとも思った。ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」(変な邦題と、改めて思う)の曲調をザ・シャーラタンズ流に翻訳したような、ファジーな開放感と酩酊感が入り交じる「ワン・トゥ・アナザー」には高揚し、自然に身体が揺れる。こういう曲が、ぼくにとっての好ましいザ・シャーラタンズ表現となるか。ギターは曲によってはかなり生ギターみたいな音を出す、エフェクター進歩しているな。

 別な楽しい用事があり、1時間見て、会場を後にする。聞けば、公演終盤にたまたま日本にいた元リバティーンズ/ダーティ・プリティ・シングスのカール・バラーが出てきたらしい。彼はザ・シャーラタンズやクラクソンズのメンバーたちと数年前に一緒にバンドを組んだことがありましたね。
 ステージ半分には13人の管楽器奏者が、いかにもビッグ・バンド的風情を醸し出す譜面台(と、言っていいのかな)を前に正装で座る。もう、それだけで華やか、ハレの場というノリはばっちり出ますね。優美さと躍動を兼ね備えた米国黒人音楽史上もっとも豊穣な集団表現を提出したと言えるだろうエリントン(生まれは、19世紀)だが、その楽団は死後(1975年没)も存続していて、来日も度々(2009年11月18日、他)。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 バンド・リーダー/コンダクターはピアノのやんちゃじじい、トミー・ジェイムズ。「ムード・インディゴ」をはじめ、おなじみの曲群が送り出されると、改めてエリントン関連者のメロディ作り/編曲(それは、ジェイムズらによって、少し紐解き直されている)の見事さに溜め息しちゃう。それらは半世紀以上も前な曲なワケで……。それと、トランペット奏者のソロのときのカップ使いが巧み。なるほど、な。

 今回も彼らを見たいと思ったのは、R&Bシンガーのブライアン・マックナイトがゲスト歌手としてついたから(28日まで。この19〜23日における同オーケストラ公演ではヒラリー・コール;2009年4月1日が歌ったはず)。テイク6(2005年11月10日)のクロード・マックナイトを兄に持つ彼、作曲や楽器演奏も得意など歌う以外の才にも恵まれていたのは知っていたが、ジャズの素養も持つのは知らなかった。

 中盤に出てきた彼は、4曲歌う。うち、3曲はビッグ・バンドを従えてのもの。そんなに声量がある&フィーリング豊かという感じではなかったが、鼻にかかった高め歌声(それが、切なさやジェントルさとつながるのだなと今回再認識)はビッグ・バンド音には合うし、妙味はやはりある。あと、マックナイトは身長があるので、そういうのもビッグ・バンドでは映える。そして、一曲はジャジーなピアノ弾き語り(それは、自作曲であったか)を披露。どうってことないが瑞々しくて、良い。多少低めの価格設定で、マックナイトのピアノ弾き語りショウが企画されてもいいと思った。

 そして、また演奏陣だけの演奏に戻り、アンコールの際にマックナイトはまた出てくる。で、ブルース・コードの「Cジャム・ブルース」をやったのだが、あれれ、これヴォーカルが入る曲ではないのではと思ったら、マックナイトはスキャットを少しやりはじめる。でもって、トミー・ジェイムズと代わり、ピアノを弾きだした。とっちらかったソロは褒めるべきものではなかったが、それもショウとしてはあり。
 昨年(2010年10月31日、11月1日)に続く、送り手側がキュレーター的態度を出そうとする音楽イヴェント。日曜ながら夕方にインタヴュー仕事があり、それを終えて会場の新木場・スタジオコーストに向かったら、(メイン・ステージの3組がすでに終わっていて)細野晴臣(2010年4月15日、他)のショウから見ることができた。朋友の鈴木茂(彼を意識した曲、と細野がMCして、チャック・ベリーの「メンフィス・テネシー」をやったりも。ぼくにとっては、その曲はフェイセズのカヴァーがいの一番に来る。御大のMCは結構ぼやき調、なり)から、SAKEROCKのドラマーまでを擁する新旧の担い手が重なるバンドを率いてものでの。で、ほのぼのしたなかに少しのツっぱりや矜持も見え隠れする、ルーツィ洒脱な手作り表現を開いていた。もともとSAKEROCKの星野源のために細野が書いた曲(と、言っていたっけ?)には、その星野もコーラスとして出てくる。

 その次は、クレア&リーズンズ。前回(2010年8月20日)の来日から2ヶ月足らず、さすがにそのときと、ほとんど変わらないステージ運び。受けた所感はかなり重なる。そして、事前の情報では間を入れずにそこにそのまま米国洒脱ポップ音楽の大偉人であるヴァン・ダイク・パークスが加わるということだった(米国では、両者一緒にツアーをしているよう)が、クレア・マルダーたちは30分ぐらい演奏して引っ込み、ステージはいったん幕がしまる。まあ、そのほうがちゃんと区切りはできて、大家のパフォーマンスをちゃんと受けようという気分にはなるかな、でも早く始まらないかな、、、なぞと、わくわく待ち構えていたら、電話が入る。

 詳細は省くが、オトコとしてこれはかけつけなくてはならん。ドンッ。肝心の一番見たかった人を一切見ずに(ライヴが始まっていたら、電話があった事には気付かなかったと思われ、うーむ)、とっても後ろ髪を弾かれつつ、会場を後にし、某所へ。ああ、ぼくはパークスさんとは縁がなかったのか。後日きけば、そりゃ良かったそうです。

 メイン出演者にオランダのジプシーのギタリストを置く、4時間近くに渡る出し物。渋谷・クラブクアトロ。会場奥にもう一つサブ・ステージが設けられ、互い違いに出演者は演奏。渋谷・クラブクアトロ。キリン・ラガーの冠付きで、この日はビールを缶で販売。うれしい。

 メイン・ステージの初っぱなは、吾妻光良トリオ(当人;2010年5月29日他に加え、ウッドベースと打楽器)。ときにジャイヴなブルース系表現をアコースティック調にて。ある意味、無敵。みんな、ふふふ。このあと、サブ・ステージに出てきたモアリズムは少し重なる部分もあり、やりずらかったのではないか。

 そして、メイン・ステージで渡辺香津美(2010年9月5日、他)がソロで悠々と、サブ・ステージではザッハトルテが演奏。後者は、ギター、アコーディオン、チェロという編成でケルトっぽいのからピアソラぽいのまでを披露。

 最後は、メイン・ステージで、ストーケロ・ローゼンバーグ・トリオが演奏。もう一人のギター奏者は弟で、ウッド・ベース奏者は従兄弟。二十歳と少しでメジャーのユニヴァーサルのジャズ部門と契約したという経歴にも表れているように、ジプシー・ギター/ジャンゴ・ラインハルトを根に置きつつも、広い視野を持つ腕自慢。洗練された即興をジプシー・ギター表現に持ち込む、という行き方に置いて、現在最高峰にある人ではないか。あ、スティーヴィー・ワンダーの「アイ・ウィッシュ」もこの編成で無理なく披露しましたね。最後に、そこに渡辺香津美も加わり、丁々発止。
 豪州メルボルンの管奏者もいる、10年強のキャリアを持つ賑やかしロック・バンド。かつて、サマーソニックに来たことがあったかな。渋谷・デュオ。会場には外国人が結構いて、それはオーストラリ人なんだろう。なるほど、本国での人気の高さを知らされるな。

 曲によってリード・ヴォーカルを分け合うヴォーカル/打楽器とヴォーカル/トランペットの二人を中央に置き、さらにキーボード、DJ、ベース、ドラム、トロンボーン、トランペットがステージに立つ。曲によっては長々とソロ・パートを取ったりもし、彼らは演奏部に力を入れるが、みんな技量を持つ。ホーンがセクション音を出す時はトランペット2とトロンボーンという変則編成、イケメンのリード・ヴォーカルを取らないトランペット奏者はかなり達者と見受けた。

 ラテン要素をはじめ、中近東風とかレゲエ要素とか、いろんな語彙を自在に取り入れる。が、そうであっても、ミクスチャー・ロックとか、(演奏パートが長くても)ジャム・バンドとか、そういう語彙をそんなに思い出させないのは彼らのポイントであり、ある意味、定石外れと感じさせるところ。なんか彼ら、いくら広がりを持とうと、妙な親しみ易さや下世話さ、ポップネスを持ち続けている。それは、どこか痒いベタさにつながるところもあるものの。実は、その新作を聞いて、ぼくは同国先達の80年代上半期に世界的な成功を収めたメン・アット・ワークを思い出したんだよなー。

フェノバーグ

2010年11月17日 音楽
 クリスチャン・フェネス(2004年11月21日)、ジム・オルーク(2010年4月15日、他)、ピーター・レーバーグ/ピタからなる、ラップトップ音でセッションするトリオ。昨年とてもひさしぶりに日本ツアーやアルバムを出した彼ら、在日米国人であるオルーク以外の二人はウィーン拠点となるのかな。六本木・スーパーデラックス、盛況。この日が初日となり、3人は日本の5都市を回るようだ。

 出てきた3人は椅子にすわり、机の前に置かれたラップトップ・コンピュターやパッドともの静かに向き合う。たまたま、座った位置が彼らの所作を確認しやすい場所であったのが、少し嬉しい。とはいえ、細かな操作は確認/認知しようもないが。3人は気ままにPC経由の音を出し合い、音の紋様を綴って行く。うち一人は割と具体的なメロディ音を出し、他の二人は蠢く抽象音を繰り出すと言った感じか。ときに、音がかなり大きくなるときも。フェネスは膝に小さなギターを置いていたが、この晩は確か一度も弾かなかったような。4つか5つのブロックを披露し、ちょうど1時間ぐらいのパフォーマンス。

 うわあ、これはビターだあ。スウィート・ビターと言ってもいいんだが、スウィートというには、中学のころの勘違い所作(やっぱり、もうそれは勘弁だなあ)を生々しく思い出し、ぼくは戸惑った。09年ブラジル/フランス映画、監督のエズミール・フィーリョはまだ20代のブラジル人で、短編映画に実績を持つ人のよう。

 舞台は、ブラジル南部のドイツ人移民が集まったデウトニアという村、日本からブラジルに大志を持って渡った人がいるように、ドイツから渡った人がいても不思議はないだろう。映画で描かれるその村祭は、完全にドイツのりのそれだ。原作、そして監督との共同脚本は、実際にテウトニア生まれて育ったイズマエル・カネッペレという79年生まれの青年。そんな彼が書いた原作が持つ“思春期の光と陰”のありようにフィーリョ監督が共感し、実際にその村に数ヶ月住んで構想を練り、また住民も映画に出ているという。

 主人公は、そ子に住むドイツの血を引く少年だ。そして、話の大きな鍵になるのが、ボブ・ディランとインターネット。彼は<タンブリン・マン>というハンドル・ネーム(←“名前のない少年”)で、チャットしたりもする。「ミスター・タンブリン・マン」は65年作『ブレイキング・イット・オール・バック・ホーム』収録のディラン曲(ここでも、エンドロールなどで、それは用いられる)で、ザ・バーズのカヴァーでも知られる有名曲。そう、彼にとって、ボブ・ディランは平穏で退屈な田舎の日常と外の世界を繋ぐ最たる引き金であり、インターネットはそれを受け取ることを可能にする簡便な手段なのだ。さらに、未知のものの暗喩的な存在として、主人公にとってはディランなるものを感じさせる心中しそこねた近所のお兄さん(役者もしている、原作者のカネッペレが演じる)や、その彼とつき合っていたものの自分だけ死んでしまった女性も重要なコマとして出てくる。その女性は写真や映像を撮っていて、自分が映った作品をサイト上に残していて、少年はそれを見つけて、よくPC で彼女(“脚のない少女“)のことを見ていた。

 ちなみに、その女性の名はジングル・ジャングル。それもディランの「ミスター・タンブリン・マン」のなかの一節に出てくるものであり、映画冒頭で少し流されるインターネット映像には、ディランの65年英国ツアーを扱った名高いドキュメンタリー映画「ドント・ルック・バック」(D.A.ペネベイカー監督、1967年)のこれまた有名なオープニング(「サブタニアン・ホームシック・ブルース」に合わせて、ディランが歌詞断片カードを次々にミュージック・ヴィデオ風に投げ捨てていく、というもの。その後方には、ビート詩人のアレン・ギンズバーグも映っていましたね)をもじったようなものが使われる。

 ようは、家族や住んでいる場所に親しみや帰属意識を歳柄持てない、そして外の未知の世界や文化や事象に少し恐怖感をいだきつつ憧れ、一方では死や異性に対する目覚めもアり……そういう迷いまくりで妄想ありまくりの思春期の襞を、ディランやインターネットという項目を効果的に用いて描こうとした青春映画なのだ。

 映像感覚は、時に詩的で散文的。お洒落という言い方も、少しはできるか。一般的に想起するブラジル的な風景は一切映し出されず、ときに効果的に使われる音楽(http://soundcloud.com/nelojohann なかなか良い)の歌詞もポルトガル語ではなく英語によるもの。その音響的な部分も少し持つ今様フォーキーな音楽は27歳になるネロ・ヨハンという卓録系クリエイターが担当しているそう。とかなんとか、ステレオタイプなブラジルっぽさを直接的に通らない本作は、新しい感性を持つブラジル映画という評もあるようだ。が、なんにせよ、そこから鮮やかに立ち上がるのは、思春期特有の、眩しくも息苦しい形而上……。カエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)は本映画を評価しているようだが、それには納得か。音楽的にはいまやザ・ビートルズと並ぶような偉業を成し遂げている彼だが、スタンス的には永遠の思春期にあると言えるだろうから。

 2011年1月下旬より、シアターイメージフォーラムほかで公開。
 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ヘゼカイア・ウォーカーという名前は寡聞にしてしらなかった。だが、前に同所に出た、ゴスペル界に属するカーク・フランクリン(2009年9月18日)の実演にもとてもうれしい心持ちを得たし、12人もの合唱隊もつくし、失望することはないだろうと、足を運ぶ。

 ステージ前方に、62年NY生まれのウォーカーさんを中心に、ずらりクワイアーが立つ。うち、男性は3人、女性はビッグ・ママ体型の人が多い。格好は、みんな汚くはない普段着。演奏陣はオルガン一人とキーボード奏者2人、それからベースとドラマー。キーボードは3人も必要ないような。アクリル板でしきられた中にいるドラマーは、とにかく力づくでドカスカ叩く。普通のバンドでそれをやったら、一体アンタは何を考えているのと、顰蹙を買うだろう。だが、そこにあるのは10人強の喉自慢の人たちの肉声の重なり。(それでももう少し抑えてもいいんではないかとも思えたが、)それをきっちり乗せるためにはデカい音が必要とされるのはよく判る。

 現米国コンテンポラリー・ゴスペル界の雄なそうゆえ(実際、グラミー賞なんかも受賞している)、歌われる曲は歌詞は神を称えつつR&B調(P-ファンク調もありました)の曲が多いのかと思っていたら、ぼくが想像した以上に純ゴスペル濃度が高い。それは、有機的にして重厚な歌声の重なりがしかとあったためでもあるだろうが。ウォーカーはリードを取り合唱団と対峙したり導いたり、客に両手を広げて働きかけもし、そういう様を見ていると、彼は牧師でもあるんだろうなと思ってしまう。また、一部ではクワイアーのなかの人がリード・ヴォーカルをとったりもした。なんにせよ、長年積み上げられてきた、ゴスペル・クワイアーの魅力はごんごん出され、ごちそうさま……(ほんの少しの非日常も享受)。

 観客の反応も、もちろん熱烈。ゴスペル教室に通っている人が多いのだろう、一緒に歌う人が多い。そうした客席側の様が興味深い、という人もいるかな。それと、アメリカ人比率もそこそこ(カーク・フランクリン公演よりも)高かったんではないか。
 まずは、丸の内・コットンクラブ。今様ジャズ・シンガーとしてクラブ・ミュージック側からの支持も集めるホセ・ジェイムズ(パナマとアイルランドのミックスで、米ミネアポリス生まれ。2008年9月18日)と、ベルギーのユニバーサルと契約している同国の清新ジャズ・ピアニストであるジェフ・ニーヴ(06年作『Nobody is Illegal』内の1曲に、なんかレディオヘッドぽいなと思ったことがあり。1977年生まれ)のデュオ公演。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 今年出された両者の完全デュオ作『フォー・オール・ウィ・ノウ』に基づく実演。異なる道を歩んできたシンガーとピアニストがジャズという流儀とスタンダード曲という素材を基にすうっと重なり合う。その余裕あるやりとりは丁々発止と言うほど火花を散らすわけではなく、淡白と書くにはいろいろなやりとりの妙あり。ときに、ジェイムズはとっても綺麗にシャウトする。

 なるほどと思ったのは、二人とも、ジャズがメインストリーム/ポップ・ミュージックではなくなってから=観賞/芸術音楽の度合いが強くなってからジャズに触れたミュージシャンであるということ。ジャズ・ヴォーカル表現はジャズのヴァリエイションのなかでもっともエンターテインメント性を出す傾向にある表現だが、二人のパフォーマンスは見事にそういう行き方からは離れるものであったのもそれを物語る。これ見よがしな重なり方や客に媚びたり煽ったりするノリは皆無、ジャズはアートだと言わんばかりに、二人は清楚で真摯な重なりを持とうとしていた。

 リクエストを受けてと言ってやった「ジョージア・オン・マイ・マインド」のニーヴの演奏には、その個性が明解にあらわれていたような。歌心をなるべくスポイルせずに、見事にコードの置き換えの連続でゆらゆらと演奏していく様は快感。彼はトリオを中心にいろいろプロジェクトを持っているが、グルーヴシングというサックス付きカルテットではハモンド・オルガンやキーボードを弾いて、私の考えるフュージョンをやっている。

 ホセ・ジェイムズは、来年1月のブルーノート東京やモーション・ブルー・ヨコハマのマッコイ・タイナー(2003年7月9日、2008年9月10日)の公演でまたやってくる。……のだが、なんとそれは、ジョン・コルトレーン唯一の歌伴作(だよな?)にして、隠れ名盤&癒し盤である『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』(インパルス、63年)の世界を求めんとする出し物とか。コルトレーンがピアノレス編成になる前にずっとつき合ったタイナーもとうぜん同作で弾いており、コルトレーン役はエリック・アレキサンダーが勤めるという。ジョン・コルトレーンの曲をやるライヴ・プロジェクトを持つなどコルトレーン大好きのジェイムズはそこでどうパフォーマンスするのか。

 ついでと言ってはナンだが、この項目の末尾に『フォー・オール・ウィ・ノウ』発表に際し、2010年3月に行った電話インタヴューをのせておく。5,500字ぶん、ノーカット。一誌に短めの原稿を書いた際に抜粋使用しただけで、あとは眠っていたものです。彼の口からも、『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』の名前は出てきますね。

 その後、南青山ブルーノート東京に移動、アース・ウィンド&ファイアー(2006年1月19日)のフロント・マンの公演を見る。やっぱり、確か。素晴らしかった。

 EW&Fを離れてのリーダー活動も、フィル・コリンズと組んだ一般性の高いものからコンテンポラリー・ゴスペル作まで、80年代以降いろんな形で求めているフィリップ・ベイリーだが、ぼくが頭を垂れたくなるのは、02年にヘッズ・アップから出した『ソウル・オン・ジャズ』というアルバム。そこには、ジャズ曲やジャズ感覚をソウル側から見つめて編み直した、もう一つのアダルトなR&B表現がちゃんと提出されていたから。それで、ぼくが03年に見た彼の単独公演(2003年10月12日)はその路線とEW&Fの代表シンガーとしての姿を両立させた物だったが、今回もそれは同様だ。

 前半はしっとり目の大人路線で、後半はイケイケ路線と書くことができようか。なんにせよ、まずおおっと思わせられたのは、バンドの質の高さ。西海岸の敏腕セッション・マンでベイリーの『ソウル・オン・ジャズ』やEW&Fの05年作にも関与しているマイロン・マッキンリー(ピアノ、キーボード)、モリス・オコナー(ギター、バック・ヴォーカル)、EW&Fのミュージック・ディレクターを勤め、西海岸系スムース・ジャズの敏腕プロデューサーでもあるモリス・プレジャー(ベース)、ルイス・ケイト(ドラム、バック・ヴォーカル)、フィリップ・ベイリーJr.(バック・ボーカル、キーボード、打楽器)という布陣。まあ息子はあまりいてもいなくてもという感じだった(03年来日時と比べると、髪型が立派に)が、他は本当に腕利き。ギター奏者とドラマーはそんなに知られる人じゃないが、その演奏には惚れ惚れ。マッキンリーもジャズ的な演奏からファンキーな指さばきまで自由自在。うひょお。そして、EW&Fではキーボードを担当するプレジャー(ヴァーディン・ホワイトがいますからね)はここではベース(電気アップライトと普通の電気ベースを併用)に専念していたのだが、それが非の打ち所なしでびっくり。もしかして、本来はベーシスト? EW&F曲をやったときの彼の指さばきに触れつつ、ヴァーディン・ホワイトは本当にメロディアスかつ妙な技ありベース・ラインで曲趣を盛り上げていたのだなとも、いたく再認識。

 前半部は、ジャズ・スタンダードや今年ネット売りしている4曲入りEPからの曲(ボサ調曲もあり)などを流動性と広がりを持つ大人のゆったりソウル・ミュージックを展開。演奏パートもたっぷり取り、その際にベイリーは打楽器を叩いたりもするが、ぼくはそれに触れながら、オルタナティヴな大人のフュージョンといった感じがある演奏部だけでもぼくは満足できると思ったりも。途中に挟まれたEW&F曲「ファンタジー」ももう一つの誘いを新たに得ていた。

 実はマジにそのゆったり路線だけでショウを続けてくれたならとぼくはショウを見ていて思いもしたのだが、「シャイニング・スター」や「セプテンバー」などEW&F曲(どうして、どれもこれも起爆力抜群なんだろう)や「チャイニーズ・ウォール」や「イージー・ラヴァー」など80年代のソロ活動曲などが繰り出されると、それはそれで多いに浮かれ、楽しめちゃう。……一粒で、2つぶんおいしいショウでした。



■付録 ホセ・ジェイムズ・インタヴュー(2010年3月)

——現在はロンドンに住んでいるんですか?
「一時的にロンドンに住んでいるけど、ベースがどこかって言ったら何処でもないかな」
——あなたは中学生のころからジャズに親しんでいたようですが、そのきっかけは? 周りの友達でジャズを聞いていた人は少なかったでしょう?
「友達は皆ニルヴァーナとか、ロック、ヒップホップとか、ジャズ以外のものなら何でも聴いていたな。僕は90年代のヒップホップのサンプリングに結構ひかれたんだ。ジャズを初めて聴いたのは14歳の時、デューク・エリントンの<A列車で行こう>だったんだけど、それに魅了されたんだ。そこから自分でチャーリー・パーカーにはじまって、デューク・エリントン、ルイ・アームストロングなんかの巨匠たちの音楽を自分から求めていくようになったんだ。
——あなたはジャズの何にひかれたのでしょう?
「クラシック以外に、ジャズほど感情にあふれていて、複雑なハーモニーをもち、そしていろいろ探究できる音楽はないと思うんだ。深みもあるし、クリエイティヴなエネルギーに満ちている音楽だと思うよ」
——もっとも影響を受けたジャズ歌手というとどういう人が挙げられますか?
「ナット・キング・コール、ジョンとアリス・コルトレーン。あとは実のところ、ホーン奏者に一番影響を受けたかな。チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、そしてジョン・コルトレーンはやっぱり革新者だよね」
——一方で、ポップ・ミュージックにも影響を受けたアーティストはいますか。
「ソウルに結構影響を受けたかな。ディアンジェロも大好きだし、あとはマーヴィン・ゲイ、アル・グリーン。新しい音楽だとラップだね。デ・ラ・ソウルはものすごいクリエイティヴィティだよ。でも僕は正直なところあまり最近の音楽に影響は受けていないんだよね。どちらかというと、ジャズの観点から見ちゃうんだよね。だからディジー・ガレスピーっぽいな、とか、チャーリー・パーカーっぽいな、ってそういうつながりから見てしまうんだ」
——いままで、「転機」と言えるものがあったりしますか?
「2つある。1つは、アーティストとしてレコーディングを初めてしたとき。それは(ジャイルズ・ピーターソンの)ブラウンズウッド・レーベルと契約をして、『ザ・ドリーマー』をレコーディングしたときのこと。アルバムを丸々、しかも質の高いものを作れたことは本当に夢が叶ったことだよね。2つ目は2008年にノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルに参加したときだね。フェスティヴァルに参加した時は、音楽が伝えることのできるメッセージが余りにもパワフルだって言うことに気づいたんだ。それまでオランダに行ったことはなかったんだけど、その時に大観客の前で自分の音楽、コルトレーンがやっていたような音楽ができたことに感激した。音楽って国境がないものだし、皆から敬愛をたっぷり受ける経験ができたっていうのは本当に大きかったね」
——今振り返ると、ブラウンズウッド・レーベルからあなたが発表した『ザ・ドリーマー』や『ブラックマジック』はどういうアルバムだと思いますか?
「『ザ・ドリーマー』で、プロデューサーたちは本当に僕のために大きな冒険をしてくれたと思うね。どんなアルバムになるかは全く分からなかったし、反応がどんなものになるか見当もつかなかったから、生涯たった一枚のアルバムになるつもりで作ったんだ。だからとにかく自分が満足いくもの、後悔しないものにしたかった。自分から見ればとても純粋なアルバム。使いたいミュージシャンは皆使ったし、曲も自分がやりたいって思う曲しか入っていないよ。曲そのものはヒップホップのループが入っていたりして、ジャズっぽいループになっていると思う。そして、『ブラックマジック』はヒップホップ、そしてダンス畑のプロデューサーを起用し、僕自身が新しい世界に入って自分の音楽を広げようとした作品。だから作曲の仕方も違うものだったね。まあ、まとめて言うならば、デビュー作はヒップホップをジャズの世界に引っ張ってくる感じで、2枚目はジャズをヒップホップの世界に持ち込むようなアルバムって言えると思うよ」
——そして、今度出るあなたのアルバムはジェフ・ニーヴとの共演作です。彼とはどうやって知り合ったのでしょう?
「ジェフはブリュッセルのラジオ・クララというラジオ局で番組を持っていて、僕がプロモーションで彼の番組に出たんだ。番組の最後で二人で共演してしめる形だったんだよ。で、番組のリスナーって保守的な人が多いからスタンダードを演奏することになったんだ。<ラッシュ・ライフ>をやったんだけど、とても難しい曲だったにも関わらず、そして準備もしていなかったにも関わらず、完璧な出来だった。その直後に、また違うショーで会って、その時は<エンブレイサブル・ユー>をやったら、それも上出来だった。それで、演奏のあの雰囲気をどうしてもとらえたくなってね。次の日は僕もオフだったからとにかく何かスタジオでやろうよ、ってなんたんだよ」
——ジェフのどんなところが優れていると思っていますか?
「彼は本当に素晴らしい、才能溢れるピアニストだよね。長年やってきたなかで、職人芸を培ってきた人。僕とは違う音楽的繊細さを持ち合わせている。特に彼はもともとクラシック畑出身で、そこからヨーロッパ・ジャズに入っているからね。だから、このアルバムはお互いがお互いを補い合っていると思うんだ。彼は西洋的なクラシック・ジャズで、僕がアフリカ的なアメリカ・ジャズだからね。面白いコントラストになっていると思うよ」
——アルバムはプロデューサーも立てずに一発録りでレコーディングされたとの事ですが、それは、まさにジャズですね。
「そうだね。あのエネルギーをとらえたいって思っていたからね。チコ・ハミルトンとか僕がいろいろ教わってきたミュージシャンたちは、ファースト・テイクが一番気持ちが生きているって教えてくれた。技巧的なものとかそれ以外のものは二の次だとね。だから、全部のトラックでファースト・テイクがいかされているんだ。感情、気持ちこそジャズの意義。その瞬間における表現こそ、自分がどう感じたかこそがジャズなんだ。音楽的技術とかはそれとは異なるレベルの概念だと思うよ」
——実際にレコーディングはどんな感じで進んだのでしょう。
「とにかく自然発生的なアルバムだっていうこと。ラジオ出演した翌日にレコーディングされたわけだからね。僕には10年歌いこんできた曲ばかりだったけれど、ジェフとしては何がくるか分かっていなかったし、準備はしていかなかったからね。だからジェフはその場で曲を覚えながら演奏していたんだ。凄くアレンジされているんじゃないか、って聴く人は思うかもしれないけどね。確かに僕自身が指揮をとってイントロはもっと長く、とか、演奏は続けて、とか指示はしたから、とにかくジェフとしてはどの方向に進んでいるのかを鋭敏に感じ取らなければならなかったんだ。その先で何が起こるか分からないものだったから、とにかく先を読む方向感覚は必須だった」
——デュオ編成のジャズ・アルバムで、あなたが特別に感じている作品はあったりしますか?
「特にないね。ジョニー・ハートマンとジョン・コルトレーンのアルバムは好きだけれど。あまりデュオって好きじゃないんだ。それに、実は他のシンガーのアルバムって滅多に聴かないからね。他のシンガー、聴くとしたら全然違う分野の人。たとえばマリア・カラスとか。音楽って何処か別の場所に連れて行ってくれるべきものだと思うんだよね。だから多分他のアーティストとかもそうだと思うんだけど、自分と同じ楽器のアーティストってどうしても批評しながら聞いちゃうから、リラックスして聞くことができないんだ。聞くとしたらクラシックの歌手とか、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、ボブ・マーリーあたりかな」
——あなたは優れたソングライターでもありますが、今回はジャズのスタンダード・ナンバーを選んでいます。その選曲意図は?
「自分の曲をやっていたら珍妙なアルバムになってしまっただろうから、スタンダードばかりになったんだ。ジャズのスタンダードをクールに、そして新鮮な形でやりたかったし、それこそは僕たちにぴったりじゃないかな、って思った。それにこのレコーディングは、アルバムとして発表される意図はもともと全くなかったんだよ。2人の間で生まれた魔法を、新鮮な形でとらえたいと思っただけ。曲選びの基準って殆どなくって、<テンダリー>とか<ジー・ベイビー>なんかは僕がハイスクール時代から歌っていた曲だったし、お気に入りの曲にしたってくらいかな。本当に何の計画も準備もなく、6時間演奏しただけだったんだ。でも考えてみると昔の人たちなんて1日レコーディングしてアルバム2枚仕上げていたし、何の準備もしなかったよね。そんなやり方でレコーディングしたんだ。
——今回のアルバム『フォー・オール・ウィ・ノウ』は伝統的な素材をシンプルに演奏しつつも、新しい風も感じさせる仕上がりになっています。それは、あなたやジェフ・ニーヴが抱える今を生きるジャズマンとしての持ち味や矜持を伝えるものであると思いますが、いかがでしょう?
「そうだね。このアルバムは1957年に作られたようなアルバムにしようとは全く思っていなかったしね。そもそも、僕たちの使っているハーモニック・ランゲージ、つまりハーモニー的言語って違うからね。ジェフはどちらかというとキース・ジャレットとかハービー・ハンコックっぽいものを使っているし、ストレートアヘッドなものをやってみようなんても思っていなかった。それに、テクニックはクラシックのものだから、僕の中ではこのアルバムはクラシックで言うところのリサイタル、つまりジャズ・リサイタル、ヴォーカル・リサイタルだと思っているよ」
——ところで、今回どのような経緯で、米国のヴァーヴ/ユニヴァーサルと契約することになったのでしょう。
「ジェフがヨーロッパのユニヴァーサルと契約しているんだ。それでレコーディングした後に、彼があまりにも出来を気に入ったものだから、それをユニヴァーサルに渡したらユニヴァーサル側も気に入ってくれて、僕と契約を結んでくれたんだ。その後、ニューヨークのオフィスを通してヴァーヴとも話をしているうちに、ジャザノヴァのこと(08年作はヴァーヴ発で、ジェイムズのゲスト入り)もあって話が進んでいったから、時間の問題だったんだ。自分をアーティストと多くの人に紹介するにあたって、このアルバムはとても良いと思うよ」
——新作は(今はヴァーヴ/ユニヴァーサル内に権利がある)インパルス・レーベルを通してリリースされます。やはり、ジョン・コルトレーン他が在籍した同レーベルに対して思い入れはありますか?
「素晴らしいことだよ。とても光栄だし、夢がかなったよ。だってこのレーベルがまだ活動していると思ってもいなかったし、アリス・コルトレーンが最後にインパルスからアルバムを出したのが6年前だったからね。レーベルの歴史は知っているし、勿論60年代と同じレーベルではないことも理解しているよ。だからこそ、カタログに対しての敬意を、この2010年に払うことができる格好のチャンスだと思っているんだ」
——現在、ジョン・コルトレーンの曲をやるプロジェクトもあなたは持っているとお聞きしていますが、よければ教えてもらえますか?
「ライヴ・シリーズをやっているんだ。ヨーロッパではすでに4回開催していていて、ジェフも入っているよ。このプロジェクトそのものはまだ続いているんだけど、タイミングとオファーの問題でノース・シーでもやったんだ」
——実は、この『フォー・オール・ウィ・ノウ』はあなたにとってアメリカでは初のリリースになるんですよね。やはり、母国でありジャズを生んだ国でちゃんと認められたいという気持ちは持っていたりはしますか?
「正直言うと、あまりそうは感じていないんだ。僕は文化的には自分の文化という地に足をつけているから、特にどこかの国に住んでいるからどうと言うわけじゃないって思うんだよね。業界としては、確かにアメリカが最大の市場だとは思うよ。だけど、アメリカが一番すぐれているっていう考えは正しいって思わないんだ。日本にだってアメリカ人と同じくらい素晴らしいジャズ・ミュージシャンがいるけれど、アメリカ人じゃないからダメって言うわけじゃないだろう。才能は才能。練習と理解さえあれば、その音楽は認められるべきだと思うな」
——これから、どんな方向性で進んで行きたいと考えていますか? ブラウンズウッド・レーベル発の作品はクラブ・ミュージックのリスナーもターゲットにしていましたが、今後はもう少しジャズ側にシフトして活動していくつもりでしょうか? それとも、クラブ・ミュージック側も見た路線と純ジャズの両方向で行くつもりでしょうか?
「正直言って分からないね。事前にイメージしてしまうことって、自分を枠組みにあてはめてしまうことだから、そうしないようにしているんだ。僕は常に自分に難題を投げかけていきたい、って思っている。最終的にはどんな曲になるかにかかっているよね。ストレートアヘッドだろうと、スタンダードだろうと、ジャズだろうと、とにかくできるだけクリエイティヴになりたいね。どんな曲を書くのか、ソウルなのかジャズなのか、分からないし、方向性を決めてやっていく音楽のアプローチ方法って限界があるからね」


 95年にアルバム・デビューし、レゲエな“どっか〜ん&じりじり”とした味を効果的にまぶしたR&B表現で一世を風靡したジャマイカ人シンガー(デビュー時はNY在住。今は、ジャマイカ居住のよう)。MCであのころは15歳と言っていたが、当時取材したりライヴを見たりしたはずだけど(日本録音のライヴ盤の解説書いたこともあったな)、そんなに若かったのかあ。その後、アルバム・リリースはそれほど活発ではないものの、日本には何度も来ているはず。ぼくは、それこそ15年ぶりに彼女を見ることになるが。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 ステージ上にはギター、ベース、キーボード2、ヴァイオリン(女性。静か目の曲じゃないと、その音は確認できなかった)、ドラム、バッキング・ヴォーカル(女性2、男性1)の9人が立つ。そして、裸足のキングは2階のほうから降りてきて、歌う。坊主頭に、赤いパーカー(ダイアナ・キングの名前がでっかくプリントされている)、ジーンズという、小僧のような格好。やっぱ、歌えるな。けっこう、マイクと口の間、あいてました。なんか歌や演奏の質感もあり、“がちんこ”という形容も頭の中に湧いていくる。それ、繊細さに欠けるということかもしれないが、客を見つめてちゃんと私のデカい声を嬉々として出せている様になんの異論があろうか。ときに、かますレゲエ流儀のラップぽい肉声も、客を煽る。

 さすが何度も日本に来ているだけあって、MCにはけっこう日本語の単語を散りばめ、それもオーディエンスには確実にアピール。後半には、お客が総立ちのなか、ステージ中央前の客席テーブルに立って(裸足だと、そういうこともしやすいだろう)、ずっと歌ったりも。それ、ステージの一部分が伸びたみたい。前のほうのお客さんに囲まれるような感じで歌う彼女、いい光景に見えました。前日は彼女の誕生日だったようで、少しそれを祝う声もあり。花束をあげるお客さんもいたな。

 本編の最後が、彼女の当たり曲「シャイ・ガイ」(同様に彼女とすぐに結びつくルーファスのカヴァー、「エイント・ノバディ」はやらず)。そして、アンコールはの最後は、ザ・ブーム(宮沢和史;2007年8月11日)の「島唄」。彼女は02年のマーヴェリック発作品以降アルバムを出していないと思ったら、実は新作を出したばかり(そこからの曲もやった)で、これは日本盤のボーナス・トラックとして入っているらしい。10分近く、趣向を凝らして、盛り上げる。「島唄」、海とつながった海外アーティストにとって、第二の「スキヤキ」みたいになっていく?

アウル・シティ

2010年11月6日 音楽
 アダム・ヤングのソロ・プロジェクト、昨年(2009年11月24日)に続く来日公演。アルバムはそれから出していないが、ヤングがアウル・シティ作を出す前からやっている別プロジェクトである、フォーク・ロック的志向を持つスカイ・セイリングのほうは初アルバムを出しましね。

 (渋谷クアトロの前座出演からだいぶ出世して?)渋谷・アックス。前回の編成に、もう一人キーボード奏者が増えてのパフォーマンス。チェロとヴァイオリン奏者がいてプリセット音を併用するという行き方はまったく去年と同様。卓録風情を持つ表現をライヴの場で自覚的に開こうとする様には大きく頷いただけに、今回はまたフレッシュな行き方を提示するのではと期待したが、それはまったくなし。残念。

 ながら、前回とはおおいに違うことがひとつ。それは、ヤングのステージでの様。前回はもじもじ地味という感じだったはずなのだが、今回はひらひら舞い、シナを作りまくるというもの。おお、絵に描いたような少女漫画的王子さまロックのパフォーマンスのありかた? 人間、変わるものだ。でも、よく入った会場のお客さんたちはとってもニッコリできたろう。同じミネソタ州居住者というしょーもない発想で、ギターを手にしながら歌いクルクル動く様に、ぼくはプリンス(2002年11月19日)のそれを思い出したか。

 3週間前の!!!公演の前座で出ていた日本人4人組インスト・バンド、LITEが主催するイヴェント。その10月15日の項でLITEの実演を見ているのに書き留めていないのは、いまいちバンドの真価を捉えきれなかったのと、今っぽい切れや響きは持つものの、ぼくが苦手に感じるプログ(レッシヴ)・ロック臭をほのかに持っていたから。が、そんなぼくの所感はどうでもいい、彼らはちゃんと居場所を持ちながら演奏活動をし、他の担い手との連携を深め、メンバーはパラボリカという海外アーティスト作品を出すインディを運営している。うぬ、見事に胸を張った独立独歩な活動ぶり。そして、これは同レーベル関与の海外アーティストを迎えての太っ腹イヴェントだ(昨年もやっているよう)。内訳はLITEに加え、元ミニット・メンのマイク・ワット、元ダイナーソーJr./セバドーのルー・バーロウ、アイルランドのインスト・トリオであるアデビシ・シャンク、という全4組。すげえ、な。実はずうっと10月から参加アーティストを替えたりもしつつ各都市を回っていて、マイク・ワットなんかはもう20日間も滞日しているらしい。そういえば、朝霧ジャムに出演したテラ・メロス(10月11日)もこのパリボリカ・ツアーの初旬〜中旬に全部参加したようだ。

 渋谷・クラブクアトロ。6時半開始なのは知ってはいたが、所用で7時ちょいにしか行けなかった。会場入りすると、主催バンドのLITEが演奏していて、すでに終盤。うぬ、また彼らについての印象を固めることができず。

 2番目はアデビシ・シャンク。若い痩身のあんちゃんたちで、ギター、ベース(赤いマスクをかぶる。MCでけっこう真っ当な発音の日本語の単語を言ったりも)、ドラムという編成。なのだが、これはいい。これは、凄い。ライトニング・ボルト(2009 年11月15日)もびっくり。一部でマス(マティック)・ロックなんても言われる、意外性に満ちた発想/構成を持つハード・コア・ビヨンド表現を、イケてる技量のもと見事に開く。ギタリストとベーシストは激しく動き、それもうれしい。音と意欲のスプラッシュが場内に飛び散りまくり。もうコレは、間違いなく、ミレニアム以降にしか現れなえない表現であろうとも痛感させ、ぼくは心のなかでおおいに拍手。とともに、こんなイケてる連中を知ることが出来たんだもの、これだけで、今日クアトロに来た甲斐があったと頷く。……が、後の名をなしている米国の二人も相当に良かったんだよなー。

 続いては、ルー・バーロウ。マイク・ワットのバンドのギタリストとドラマーを借りてのパフォーマンスで、バーロウも基本ギターを持って歌い、ベースレスでのギグ。でも、別に問題無し。確かな歌心と、うれしい機微と、積もった経験が重なった、ときにほんわかした部分も持つロック表現を聞かせる。分別はあるが、とてもロックな風を持つ。やっぱ、いいよね。終盤2曲はダイナソーJr.のときの持ち楽器であったベースを持って歌う。それはそれで、やはりハマるな。

 そして、最後にマイク・ワットが、最新の彼のバンドであるザ・ミッシングメンとともに登場する。ベースを弾きながら歌うワット、ギターはザ・レッド・クレヨラのトム・ワトソン(なんか、白髪風情が格好いい。とともに、バーロウのサポートのときとは一変、跳びまくりのギター音を送り出す)、ドラムのラウル・モラレスという布陣。で、その新作がそうであったように、ノンストップ気味でごんごん曲を連発していく。その曲は変な綻びを抱えた一筋縄ではいかないものだが、3人はなんなく絡み、疾走して行く。そのおいしい意外性のあり方は、どこかかキャプテン・ビーフハートを思い出させる? いやあ、大人の覇気と意思を持つ癖ありロックの、相当レヴェルの高い形の具現。さす米国西海岸のハード・コア・シーンの重鎮!

 ちゃんと、演奏時間をチェックしなかったが、みんなそこそこの時間パフォーマンスをしたはず。バンドとバンドの間にはDJなどを入れず、フツーに間をあける。ロック公演としてはこの晩の出し物、ぼくの2010年に見た実演のベスト3に入るはず。それをオーガナイズしたLITEは素晴らしいな。

ロックス

2010年11月2日 音楽
 六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。ジャマイカとイランの血をひく、新進の英国人女性歌手。それなりに活動歴は持っているようだが、デビュー・アルバムはラフ・トレイドから今年だした。それはアリシア・キーズ作に関与していた人物が制作していて、アリシア・キーズ・ミーツ・エイミー・ワインハウス、なんて言われ方も一部でされたか。ステージに出てきた彼女はおきゃんな髪型と生足ホット・パンツ姿で溌剌、歳は20代前半〜中盤? バンドはキーボード、ギター、ベース、ドラム、男女バックグランド・ヴォーカルというもの。肌の白い人と黒い人の混合編成で、なんとなくUKっぽいと思わせたか。過剰に上手いとは思わないが、重なりは確かで、かつダブっぽい演奏の時には見事にその旨味をきっちり生音で出していて、感心した。前方にもキーボードが置いてあって、あれれ彼女ってピアノを弾きながら歌う人なのと思ったら、立ってマイクを持ちながら歌い、それは使用せず。

 そして、ショウが始まると、なるほど、ある意味、コレは傾向外だなと、頷く。
 ポップスと言うには少し憚られる 喉力をちゃんと持つが、いわゆる純R&B的ではない。それは、基本マイナー・キーのくすんだ、R&Bぽくない曲調のものが多いためもあるだろうが、それとともに、それは彼女の声質に負うのではないのか。その声はとても愁いや悲しみの余韻(それをぼくは、青白い光を宿す、なんて書きたくなるかも)を持つのだが、それがブルース文脈とはつながらない感覚を持っていたから(だが、ゴスペルっぽいサウンドは一部で効果的に採用)。最初は接していて、なんとなく落ち着かないゾと思わなくもなかった。だけど、それは米国産のR&Bとは見事に一線を画す味を存分に抱えているわけで、存在するべき理由がありますね。

 あと、少し感心したのは、ショウの進め方の意外な巧みさ。たとえば、途中できっぱりと立ちなさいよと言って、客を立たせたあたり。それ、かなり強引とは思わせるものの、屈託なく爽やかパワフルに働きかけて、見事に客をコントロールしていた。また、アンコールで最後の曲よと言ってやった曲が落ち着いた曲(ここで、彼女は初めてキーボードの前に座った)で、これでいい感じで終われるのかと疑念を抱いていたら、途中から怒濤の盛り上げ&高揚を見事に作り出していたあたり。へーえ。

 台風上陸が一時は伝えられた日だが、普通に曇天。この10月最後の日は、熱心な音楽愛好者が鎌倉に集まった日、ではなかったかな。二つのお寺で、海外ミュージシャンの公演がなされたから。ぼくは、北鎌倉の建長寺(日本最初の禅寺、だそう。700年強の積み重ねを持つらしい)で開かれたフィンランド人2名とスウェーデン人による3人組トラッド・グループの公演の方に行く。暴風雨予想があったため外出予定を控えた人が多かったのか、行きも帰りも道はすいていて、ゆっくり運転してともに1時間少しの道のり。お寺の駐車場もすいていた。駐車場代600円、拝観料300円、なり。けんちん汁はここから広まった、とか。

 開演時間(16時半〜。一般拝観はその時刻までだったよう)より、だいぶ早くつき、いろいろ探索。ツっ込みを入れつつ(バチあたりなぼく。信心深くなさは、相当に自信がある)、ときにほんの少し感心しつつ。でも、普段とは異なる雰囲気はあるわけで、それはとってもうれしい。境内からのハイキング・コースもあり、その終点からは展望もいいようで、それはかなり歩きそう。隣の学校はここが経営しているのかな。

 公演が行われたのは、法堂(はっとう)という、普段は説法に使われるらしい、比較的正方形の立派な建物。パンフによると、1814年に再建され(新しい建物に感じたが)、関東では最大の木造建築ブツだそう。高さもそうとう持つ堂内の後方上部には、立派な千手観音菩薩が控える。その中央にミュージシャンたちが位置し、彼らを扇方にオーディエンスが囲む。客は説法のときも用いられるだろう、たくさん並べられた3人掛かけの長椅子に座り、実演を享受。なんか贅沢、なんか非日常、なんかスペシャル……そんな気持ちはやはりそこはかとなく湧いてくる。とともに、よくこんな所のライヴが実現したなという思いも、ごんごん湧いてくる。それは公演が進むにつれ、妙味ある音楽と場の重なり具合で、よけいに強まった。ソウダ、誰ガ音楽公演ハ音楽会場デヤラナキャイケナイナンテ言ッタンダ。そんな思いも、頭の中には渦巻く。

 フィドル2本とハーモニウムが重なる。とくにフィンランドのお二人は同国トラッド音楽界の至宝的な存在なのだそうだが、そんなことはぼくにはよく判らない。ましてや、ぼくはメンバー3人の名前さえちゃんと覚えていない門外漢リスナーであるが、やはり(だからこそ?)、じいーんとなりつつ、いろいろ啓発も受けた。2本の絡むフィドルは弾みつつも優美。そこに、ハーモニウムの音が重なるのだが、それが魔法のよう。なんとも、肌触りの良い揺れや淡い輝きやぬくもりが倍加し、3人の協調音が堂内に流れ出す様といったなら。もう一つのステージが表れるような感覚も得て、なんか此処は何処という感覚も得てしまう。ばしっと曲を終える演奏はしっかりと骨組/構成を持つものだろうが、途中は臨機応変に流れている感じもあって、それもおいしい誘いに転化する。完全生音での実演、だが、それも送り手のある種の息づかいを伝え、聞き手の耳の生理的聴覚を伸長させたはずだ。

 ところで、ハーモニウム。足踏みのオルガンのことで、ザ・ビートルズのファンだったら、その今は廃れた楽器名称に親近感を抱くかもしれない。彼らはピアノなんかとともにハーモニウムをレコーディングで用い、その名は彼らを語る際に出てきていたもの。わざわざ、その傷だらけの重そうな鍵盤楽器をフィンランドから運んだそうなのだが、確かにその柔和でアナログな音は感触が不思議なほど良い。それは奏法の妙味もあるのだろが、聞き手を入り込ませる温かい隙間と、すうっと聞く者を諭すような揺らぎを持つ。なるほど、そういう部分に着目して、ポールやジョン(やジョージ・マーティン)はハーモニウムを使ったのではないか、なーんて。なんか、ここで、ザ・ビートルズ表現の襞に思いをめぐらすとは思わなかった。  

 基本はトラッド曲をやっていたようだが、時にはオリジナルも。中盤でやった曲はどっちかは認知しなかったが、かなり今様な音楽的妙味を持つ曲で、ぼくはパット・メセニーが多大な興味を持ちそうだなと思わずにはいられず。あと、時にぼくにはロマ的と感じさせるメロディ感覚を持つ曲もあったな。一人のフィドル奏者は最後のほうの2曲で小さめの横に抱えて弾く弦楽器も手にする。また、アンコールのとっても祝福されたと書きたくなるしなやかに弾む好メロディ曲では3人がヴォーカルも取り、それもうれしい風情を堂内にもたらす。んー、そうしたいろんな美点は、やはり澄んだ空気と厳しい自然と夏場の開放感などが重なった北の国の生活と風習と機微が、気が遠くなるほど反映されたものだろう。そして、その因子は同地の非トラッド路線のロックやジャズ側の担い手のどこかにも流れるものであるのだろうな。

 帰りしな、知り合いもさそい、側の精進料理店(普段は食いたくないけど、こういう時はネ……)で食事をしていこうと思ったら、もう閉まっている。同じ屋号の少し離れたもう一つの方に行ったら、夜は予約客のみとか。うえん。もういいや、どうせ飲めないし。東京に戻る。行きは横浜横須賀道路の日野インターで降り、帰りは鶴岡八幡宮の横を通り朝比奈インターから入って帰る。それは、カー・ナヴィの指示、なり。近年のそれには観光地周辺はいろいろ回らせる機能がついている。って、それは大嘘。そんな戯れ言はともかく、ある意味シンプルな表現でありながら、ノルディック・トゥリーの表現はいろんな所を回らせ、いろんな事をオリエンテーションするような、やんわり聞き手に働きかける力を持っている。結果、それらは浮遊した感覚や、もう一つの場の感覚を聞く者に与えるのではないだろうか。秀逸な音楽ナヴィゲイター……。ぼくはこの晩、少し物知りで、ちょっと豊かに、ほんのり優しくなったような気がした。

シャニース

2010年10月29日 音楽
 87年に14才でモータウンからデビューした、フィアデルフィア出身の歌えるR&B歌手。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 昔、インタヴューしたことがあるはずだが、その詳細はぜんぜん覚えていない。でも、ヒット曲「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」はなんか頭のなかにどっか〜んと残り続けている。ほんと、それぐらい、幸せなキブンに溢れた名曲だな。彼女、90年代末にはベイビーフェイスのラフェイス・レーベルからアルバムを出したこともあった。

 キーボード、ベース(鍵盤ベースも一部で)、ミュージカル・ディレクターも兼ねるドラマー(昔のメアリー・Jのライヴ盤で叩いている人)、そして二人の女性コーラスという陣容。みな、アフリカ系。そして、どの曲でもプリセットのトラックを下敷きにするが、違和感はなし。ただし、出音はかなり大きい。が、そんなの問題ないという感じで、シャニースは歌う。うぬ、やっぱり喉自慢の人。MCで曲作りは大好きと言っていたが、後でアルバムを見たら、なるほど全て共作ながら、彼女は昔から曲クレジットに名前を出す人だったのだな。ナラダ・マイケル・ウォルデン制作の「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」も例外ではない。が、そうは言いつつ、結構他の人の当たり曲を満面の笑みで歌ったりも。トニ・ブラクトンやミニー・リパートンやマイケル・ジャクソンや。リパートンの「ラヴィング・ユー」は今のところ新作となるらしい06年作でも取り上げているらしいが、あの高音部も何ら問題なく太く歌う。すげえ。そういやあ、昔は高音の歌い具合でマライア・キャリーかシャニースか、なんて言われたこともありましたっけ? マイケル・ジャクソン曲は3曲を披露し、プチ・トリービュート志向。いい歌唱(と微笑ましい、ジャクソンのほのかな真似)で、マイケル曲の良さが余す事なく、伝えられる。拍手。「ワナ・ビー・スターティン・サムシン」では、マイケル風の声の伸ばし方をもっと伸長させカっとび、チャカ・カーンの領域(やっぱり好きなんだろうな)に。あらら、するとそのままルーファスの「ワンス・ユー・ゲット・スターテッド」に続きそうな錯覚を覚えるじゃないか。

 アンコールで、「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」を披露。本当に聞く者を幸せにさせる美曲。で、彼女は一通り歌った後(フロアも回った)、ステージを降りたが、あららいけないという感じで戻ってきて(バンドはそのまま演奏している)、メンバー紹介をする。そのさい、プリセット音は消えて生サウンドだけとなり、4ビート調に。演奏者たちは短めにソロを回す。そのオペレイションはとても自然でした。それから、シャニースがとにかくいい人である事が伝わってきて、それも見る者をいい気持ちにさせたのではないか。このまま、ずっと歌い続けてほしいな、とも、見た後にしっかり思いました。

 ここ3日ほど、かなり寒い。なんでも、11月下旬の気候とか。重くないコートを着てもおかしくないはずだが、それをしたくないのは、まだ秋であってほしい=冬の到来を認めたくない、という心持ちゆえか。ブルル。おまけに、今日はけっこうな雨。出かけようとする気持ちがやはり萎える。しょうがねえ、飲めなくてもいいやと、クルマででかける。恵比寿駅真横にあんなに大きなコイン・パーキングができたとは。本来は、どんなビルを立てる計画がここにあったのか。オープニングのサーヴィス価格のようだが、30分300円は場所を考えたら安い。

 恵比寿・リキッドルーム。うわ、外気温と場内温度が鬼みたいに違う。中に入ったら、一気にかけていた眼鏡が曇った。皆でイエ〜イ的なライヴの盛り上がりで名高い、フロリダのスカ・パンク・バンド(パンクというには、危なげがなさ過ぎとは、思うが)の出演。リード・ヴォーカル/ギター、ベース、ドラム、トロンボーン、テナー・サックス。皆汗だく、客も汗だく。んな、感じの場内。終始、モッシュは起こっていて、ぼくは若人頑張ってるなーと後方から見る。

 曲間にはけっこうMCを挟む。それ、おうおうにしてたわいなく、下品。で、客に働きかけ、いじりまくり。客をステージにあげて、ビール早飲み大会をやったりも。少しオーディエンスとデレデレしすぎとも感じるが、それは飲めないため傍観者キブンが増幅されていたせいかもしれない。なんにせよ、メンバー・チェンジはしているものの、結成20年近くたっても、いまだこんだけ軽いパーティ・バンドのりを続けているのは、なかば驚異的。この送り手と受け手の仕切りの低さはすごいと書くこともできるだろう。イナセにスカ調ビート曲をやる場合は、フィッシュボーン(2010年7月31日、他)とも愛好者は重なるんだろうなと思わせられたりも。そしたら、頑張れ〜という気持ちが強くなった。

 今年のフジ・ロック(2010年7月31日)のリターン・マッチ。あんときは印象が拡散して、カントリー・ブルースマンのスキップ・ジェイムズの曲名をバンド名に引用した、このUK4人組にあまりいい印象を持てなかった。フェスだとそういうことは起こりえる。

 渋谷・クラブクアトロ。奇をてらわない感じで、どっしりパフォーマンスは進められる。バンド音はとてもしっかりし、そして歌声がでけえ。ちゃんと、根っ子/実質を持つバンドという印象もわいてくるか。で、ちゃんと判ったことは、他のブルースを引き金にするバンドとは一線を画し、彼らはその安易な咀嚼をすること無し(芸のない、ブルーノート活用ギター・ソロもあまりない)にして、ダークだったりほころびていたりするブルース感覚を彼らなりに処理し整合感の高い同時代ロックとして提出しているということ。曲は微妙にマイナー調のものが多く、歌詞まではチェックしていないが曲名はを暗めの心情を表したようなものが多い。今様ロックへの技と視点あるブルースの飛躍のさせ方の妙を確認、やはり存在意義はあるな。
 
 ブルースと言えば、昼間には、多分にブルースとも言えるかもしれない映画を渋谷・ショーゲート試写室で見た。「その街のこども」という阪神淡路大震災を題材とする作品(監督:井上剛、脚本:渡辺あや)。子供の頃に震災経験を持つ男女が久しぶりに震災があった前日に神戸に戻り、一晩神戸の街を歩きながら、震災で受けた傷をとい直し、それを先に繋げんとしていく様を、ドキュメンタリー・タッチで綴った内容を持つ。ちょうど15年目となる今年1月17日にNHKテレビで放映され好評だったものを、拡大編集し、劇場公開作品にしたそう(神戸では公開中。東京は来年1月中旬に公開)。音楽は大友良英(2009年5月31日、他)、器用にプロの仕事をしていて、映像やストーリーにきっかけや奥行きを作っている。あの震災で得たぼくの一番の思いは、モノを集めてもしょうがない。大きな災害が来たら、それらは一気に無になっちゃう。なら、形のないものを自分のアタマとココロに溜めたほうがいいじゃないか。これ、昔にここで、書いたことがあったかな。まあ、かといって、それまで集めた音楽関連のブツを処分した訳ではなく、その後も無為に増え続けているわけだが。あー、俺は整理整頓が本当に弱い。

 話は前後するが、ライヴ享受後に流れた店ではずっとレゲエが流れていた。が、最後に帰るころには、バルセロナのスカ・パンク・バンドになった。うぬ、明日はどうしようか……? 観客享受模様にふれるのも一興だし、レス・ザン・ジェイクに行っちゃおうか。

< 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 >