毎年来ていても、毎回違いや見所があるので、毎度見るべき人。そういう所感を、このキューバ出身の怪傑ピアニスト(2009年5月12日、他)には持っているが、まったくもって。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。

 今回は、アイランド/アンティルズ他からリーダー作を出してもいる自由主義的感覚をおおいに持つサックス奏者のピーター・アプフェルバウム(西海岸バークレー生まれで、ドン・チェリーからフィッシュまで)と、ドイツ出身らしいトランぺッターのヨー・クラウスという、二管を伴っていること。電気ベースとドラムは過去ソーサ公演に複数回同行している、チルド・トーマスとマーク・ギルモア。その5人は自在に絡み、何とも形容に困る、肉声や変テコ音や、エスニックな渦や鼓動の感覚を伴う、我流ジャズ発展インストがごんごんと送り出す。悠々、怒濤。あ、この晩のソーサのコスチュームはまた白色に戻っていました。

 この日だけ、7人チームで苗場行き。少し前のおおまかな天気予報では結構天候には恵まれそうという話もあったが、やはりフジと雨は切っても切れませんね。やっぱ、いろいろ降った。とくに激しい雨は2度はあったナ。昼二のときのほうは屋内でトロンボーン・ショーティのインタヴュー中であり、夜のほうはレッド・マーキー(テント会場)のフィッシュボーンのギグを夢中で見ていたので、両方ともくらっていない。超ラッキー。

 86年生まれのニューオーリンズのトロンボーンの若大将インタヴューを終えて、グリーンのクーラ・シェイカー(2008年1月16日)を横目に奥にすすむ。彼ら、野外モノとしては音質のクオリティはそれなりにいいナと感じたか。あれなら、一見(いちげん。いや、一聞か)の人でも彼らのやろうとする所はつかみやすかったのではないか。活動再開となったシアター・ブルック(2003年6月22日、他)はちゃんと聞きたかったが(でも、これからまた機会はあるでしょ)、これまた音を横にずずいと進んでモリアーティ(2009年5月31日)@オレンジ・コート。昨年の公演を見て、感服させられまくりだったので、ぜひともフジ・ロックでの実演の模様もきっちり見ておきたかった。前日も雨が降ったというわりには、移動通路はそんなにぬかるんでいないし、すぐにドロドロになりがちなオレンジ・コートもそれほど足場は荒れてはいない。これだったら、長靴をはかなくても、良かったな。
 
 フランスからやってきたモリアーティは、サポート・ドラマー(実は、プロデューサーとして実績のある人みたい)も含めて、不動の顔ぶれにてパフォーマンス。前回より舞台美術は少し簡素だったが、それ以上に、心意気や才気やキャラの立ち具合が勝つ。新曲もけっこうやったよう。ハデな曲をやるわけでなし、ドブロやハープ(ハーモニカ)や縦ベースを上手く用いた手作りサウンドも含蓄豊かながら派手さからは離れる方向にあるのに、本人たちの五感を刺激する愛らしい所作もあり、とっても引き付けられちゃうのは、まこと愉快。で、結果、人間って本当にいいナと笑顔とともになんか思わせられる。こんなに言葉を超えた、サムシングあふれるバンドもそうはいないと再確認。6人はフジで4つのステージに次々出たらしいが、ほんと意気と創意工夫にあふれる、尊いという言葉を使いたくなる連中だ。ライヴ終了後に裏に行ったら、メンバーが次々ぼくの名を呼んで、握手を求めくる。去年インタヴューしただけ(まあ、盛り上がりましたが)なのに、よくもまあ、名前を覚えてるな。やっぱ、クレヴァーな連中だと思フ(半数は日程終了後、そのまま日本観光で居残ったらしい)。

 その後は、フィールド・オブ・ヘヴンでキティ・デイジー・ルイス。ほんと、酔狂。ニュー・ウェイヴ期の好奇心豊かであけらかんとしたガールズ・バンドであったレインコーツのメンバーを母親に持つ姉妹+弟からなる3人組だが、サポートのおっさんギター奏者を地味にサポートに加えつつ、見事に枯れててルーツィな世界を実演でも確かな形で表出。いや、ライヴにおいては姉弟妹たちは自在に楽器(ドラム、ウッド・ベース、ギター、ピアノなど)を持ち替え、リード・ヴォーカルもかわりばんこに取ったりし、より洒脱でアトラクティヴ。腕も確かなように思えたし、やっぱり、イケてて愛らしい担い手だな。

 途中グリーン奥に一緒に行った人たちが作ったベース・キャンプに行き、ホッと一息。その後、レッド・マーキーまで出向いて、再結成されたUK4人組の20-22s。後ろのほうでぼうっと見たが、あれれこんなだっけか……。あんましブルージーでもないし、かっとんでもいないし。味はなくなかったが、なんか釈然としねー。で、トロンボーン・ショーティを見にフィールド・オブ・ヘヴンに行かなきゃとも思ったが、ホワイト・ステージの元CCRのジョン・フォガティとかぶっている。その後も、見たいアーティストはレッド・マーキーとグリーン・ステージ。取材やっておきながらナンだが、ぼくは奥地ヘヴンに行くのをあきらめた。だって、30年強ぶりに来日したフォガティを見逃したら、次に機会があるかどうか判らない。が、伸び盛りトロンボーン・ショーティはまだ24歳、これからも見る機会はいろいろありそうだから。その実演は間違いなくいいはずという確信も、あきらめるほうを促した? 実際、かなり良かったよう。一つだけ、彼の発言(記事からもれたもの)を紹介しておこう。「俺は、トレメ地区(cf.2003年10月15日:トレメ・ブラス・バンド)地区で育った。(音楽で自立できた)12歳のときから、俺はフレンチ・クォーターの外れのほうに住んでいるけど、家族はずっとそこに住んでいる。そこは見事に音楽に満ちあふれる場所だったが、ハリケーン後はそうではなくなってしまった。避難した皆が戻ってこようとしたとき、家賃が高騰して戻ってこれなくなってしまったんだ。結果、トレメの文化的継承は切れてしまった」。

 フォガティはCCR のヒット曲も連発。アーシーな、どこかキャッチーでもあるどすこいR&Rの素敵を忌憚なく広げる。声、良く出ていたな。ドラムは、70年代末から米国ロック界で大車輪している有名奏者のケニー・アロノフだあ。実は、フォガティにもこっちで取材をする話もあったのだが、それは叶わなかった。側で見ると、どんなじじいだったんだろ?

 そして、フォガティの終盤にフィッシュボーン(2007年4月5、6日。他)を見にレッド・マーキーに。うわ、人が溢れている。うれしい。で、きっちり、フィッシュボーンたる、力と侠気と持ち味を出したはず。うれしい。ファン、冥利につきる。7人編成、あれれ、アンジェロ(2009年11月25日)とノーウッドの二人がオリジナル・メンバーだと思ったら、ウォルター・キルビーⅡが戻ったのォ?

 その後、グリーンに戻り、ロキシー・ミュージックを見る。というよりは、ヴィジョンを見る。雨もそこそこあり、後ろの木の下でちんたら見てました。ロキシーというとぼくは2作目の『フォー・ユア・プレジャー』を真っ先に出す者だが、そこからの曲が多く演奏されていて、とってもうれしかった。ブライアン・フェリー、フィル・マンザネラ、アンディ・マッケイ、ポール・トンプソンの4人のオリジナル・メンバー+数人によるパフォーマンス。フォガティにしてもそうだが、大御所の熟練の実演はホントぬかりがないな。

 南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。毎年やってきている彼女(2009年9月29日、他)だが、今回は現代ボサノヴァの達人セルソ・フォンセカをゲストに伴ってのもの。彼は途中に出てきて2曲ジョイスとやるとともに、ソロで数曲パフォーマンス。もう、はまりにハマった優男ヴォーカルと巧みなギター爪弾きを披露する。うぬ良い、やはり得難い。と、思わせる彼は、なんかジュリアーノ・ジェンマとバート・バカラックを掛け合わせたみたいなルックスと思わせた?

 そして、おなじみのリズム・セクションを擁するピアノ・トリオを従えるジョイスだが、改めて凄いと舌をまく。ブラジルという立脚点のもと、ジャズ・ヴォーカルからジョニ・ミッチェル的な清新ポップまで、その核心に鮮やかにつながる様には。でもって、本当に毅然としていて、しなやかで、余裕にあふれていて……。感激して、とくに今回は精気に溢れるゾと思ったのだが、前回来日時の項でもぼくは似たような事を書いていたりもするのだなー。なんにせよ、近年の彼女のライヴ・パフォーマーとしての質の高さはちょっとしたもん。さらには、ちゃんと過去公演とは差別化できるものにしようというまっとうな音楽家の矜持も見えるわけで、毎年やってきてしかるべきアーティストであると思わずにはいられなかった。

 渋谷・アックス。会場入り口にはダフ屋がけっこういる。ソールド・アウトが伝えられていたが、こーいうのは久しぶりのような。ともにソニーと契約してて、この週末にフジ・ロックに出演する、新進大成功ユニット(中日のホワイト・ステージのトリ)とロック実力者がつるんだ所謂スーパー・バンド(初日のグルーン・ステージの順メイン・アクト)がカップリングされた公演ナリ。

 まず、MGMTの二人が三人のサポート・ミュージシャンと約30分のパフォーマンス。態度の軽い、だからこそ妙な今っぽさも持つエレクトロ・ポップ調曲をあっけらかんと開く。ドラマーは下手、あれはわざとひしゃげた感じを出すために雇っているのかな。みんな仲が良さそうで、そういうところは大学サークルのりね。プリセット音をバックに、メンバーの二人だけが歌うという曲もあった。うーぬ、青さがまぶしかったかも。

 30分の休憩をおいて、クイーン・オブ・ザ・ストーン・エイジのジョシュア・オム(ヴォーカル、ギター)と、元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ(ベース、キーボード)、フー・ファイターズ(2002年9月12日)のデイヴ・クロール(ドラム)の3人からなる集団が、サポート・ギタリストを加えて、デカい音でパフォーマンス。終始、もの凄い歓声。なるほど、音楽的にはまるで合わない組み合わせだが、来ている人の多くはゼム・クルックド・ヴァルチャーズ目当てなのだなと判る。先のドラマーとの落差もあり、クロールのドラミングはガツっとしていて鼓舞される。やはり、ギターを持って歌うより、彼はドラムを派手に叩くほうがいい。フロントに立つ長身のオムは余りロッカー然としておらずは飄々、ジョーンズは一人だけ年齢が上なはずだが、遠目にはあんまし老けて見えなかった。そんな彼らはCDよりもだいぶ長目に、より嵐を持つ感じで、怒濤で演奏を進める。枠組みは決まっているものの、その型の中で精一杯発展の扉を開けようとしていたというか、“ロックの激流”の中に楽曲を放り投げていた、というか。なるほど、老練で熟達したロッカーの流儀を存分にアピールしていたと言えるかも。そのため、一部は結構難解な聞き味にもなっていたかな。物わかりのいいものが善になりがちな現況において、それはおおいに賞賛されるべきものであるだろう。

 途中まで見て、丸の内・コットンクラブに移動し、ジョーンズと同年代だろうベン・シドラン(2009年5月25日、他)の実演を見る。彼の09年新作『Dylan Dfferent』(変調ディラン、とでも訳すのか)は彼なりの技と経験を活かしたボブ・ディラン曲の洒脱カヴァー集(そこには、リヴォン・ヘルムの娘であるオラベル: 2004年9月19日、のエイミー・ヘルムも入っていたナ)で、それを再現するという趣向を今回のショウは掲げる。で、ピアノを弾きながら歌うシドランに加え、テナー、トランペット、ウッド・ベース、ドラムという正調ジャズ・クインテットの布陣にて、新旧のディラン曲を基本ブルージィなハード・パップ調意匠のもと悠々と開いていく。歌詞を変えているかどうかはぼくは知る由もないが、73年ヒット曲「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドアー」に顕著なようにメロディは大胆にコードを置き換え、旋律もけっこう変えている。それは、知的で大人な音楽作業であるし、シドランならではの機微がたっぷり。やはり、得難い才人、ナリ。

 70年代後期以降にデイヴィッド・ボウイーやフランク・ザッパやトーキング・ヘッズやキング・クリムゾンなどに次々と関与し、一躍知名度を得るとともに、ポップなメロディ・メイカーであることをかっとびギタリストである様と無理なく重ねたリーダー・アルバムもいろいろと持つ、この異才ギタリスト/シンガーの来日公演をぼくが見るのは、05年のフジ・ロック出演時(7月30日)以来。もともとおでこの広かった人だが、すっかりアルシンド状態になって(と、書いても、???な人も少なくないか。アルシンドはJリーグが出来たころ、アントラーズで大活躍した若ハゲのストライカー。一時は、アデランスのTV-CFにでた事もあった。そういえば、ブリューも90年代だったか、ギターで動物の鳴き声を出す男みたいな感じの設定で日本の大企業のTV-CFに出演していたことがあった)いる。体つきもかつての痩身が嘘のようだが、すでに還暦すぎているだろうし、しょうがないですね。その分、飄々と音楽を楽しんでいるという風情はより前に出るようになっているかも。

 女性ベーシストのジュリー・スリック、少し変則的なドラム・キットを用いるマルコ・ミンマネンを従えてのもの。3人はパワー・トリオと名乗っているようだが、なるほどインスト部に力を入れた、叩き込み風情をおおいに抱えた三位一体表現を悠々展開する。ブリューは歌も随所で披露するが(1曲はなぜか、PC内蔵のものを流す)、ぼくはもう少し彼の秀でたポッパー像を前にだしたパフォーマンスに触れたかったとはおおいに思った。でも、フジのときよりは数段印象のいい精気ある演奏をしたのではないか。3人は今ワーキング・バンドとして活動しているようで、噛み合いはなかなか。この後は、南米ツアーに出るようだ。ずっと端に位置していたスリックが一度ブリューの横まで来たときがあって、彼に耳打ち。そしたら、ブリューはいけねえいけねえという感じで、エフェクターのスイッチを足で切ったか入れたかしたが、ギター音は変わらじ。でも、そのやりとりは、彼らがけっこう一緒に場数を踏んでいることを示すだろう。

 そのスリック嬢はピック弾きが中心ながら、指弾き(ネックの上で弾くとか、指を添える位置にも留意していたよう)やスラッピングなど、本当に多彩な弾き方を見せる。ながら、音色は輪郭が甘いぼわーんとしたものを採用していて、奏法による出音の違いは判りにくかった。一方、ドラマーはスネアとハイハットの間にスティックで叩くためのバスドラを置くとういう変わったセッティングを取る。もちろん、足でキックするバスドラも床に置き、しかもバスドラ専用の右足とともに左足のほうは二つのペダルを並べてバスドラとハイハットをともに扱えるようにしていた。もう、随所で両足を駆使したダダダダというバスドラ音は大活躍。パワー・トリオという命名は彼のドラミングのスタイルに負うところも大きいナ。マッチド・グリップとレギュラー・グリップを併用していた彼、ソロのときはスティックをジャグラーのように扱ったりもした。

 南青山・ブルーノート東京。彼の出演した4日間は通常の2セット回しではく、20時からの1ショウにて。この晩は、本編1時間半で、2曲アンコールという尺のパフォーマンス。よくチューニングが狂わないなあと思わせる存分に飛び散る感覚を持つギター演奏を注ぎ込んだ演目(うち、1曲はPC併用のソロ・パフォーマンス。その際だったか、シタールのような音を出しながら、ザ・ビートルズの「ウィズイン・ユー・ウィスアウト・ユー」のメロディを弾いたりも)のなか、キング・クリムゾン曲のときは歓声が一段と大きい。お客はプログ・ロックのファンが多かったのかな。

 ジャズに関わるプロのミュージシャンの持ち楽器の比率はいかに? ピアノやサックス系奏者が多いのかなあ。で、ベースやドラムも、少なくてもトランペット奏者より多いのは疑いがない。ながら、そうした状況にある今でも、トランペットはジャズにおいての花形楽器というキブンが残っている(ような気が、ぼくはする)のはどうしてか。……それは、ジャズ成立時、ルイ・アームストロングに代表されるようにニューオーリンズ・ジャズ界隈において音が派手で明瞭な音の輪郭を持つトランペットが花形楽器であったことが、大きくモノを言っているのか。また、マイルス・デイヴィスに代表されるように、ジャズの節目節目でトランぺッターが印象的/牽引役的な役割をつとめたことも、ジャズ界においてトランペットがデカい位置をしめていることに繋がっていると思う。

 ウィントン・マルサリス(2000年3月9日)やテレンス・ブランチャード(2009年3月26日、他)ら今のジャズ界の先頭に立つトランぺッター同様に、ペイトン(73年生まれ)もまたニューオーリンズ出身のプレイヤーだ。ウィントンの父であるエリス(ピアノ)にいろいろと教えを受け、10代後半から第一線で活動しだし、94年以降はポリグラム/ユニヴァーサル系列からリーダー作をリリースするようになっている。そして、一番新しい08年作『Into The Blue』はノンサッチ発。ノンサッチという事だけで、彼に興味を持つ非ジャズ・リスナーもいそうだが、同レーベル発のアラン・トゥーサン(2009年5月29日、他)の『ザ・ブライト・ミシシッピ』(09年、ジョー・ヘンリー制作)にも彼は参加し、もっともそのサウンドの表情作りに貢献している。そういえば、この7月5日にはカナダのモントリオール・ジャズ祭で、彼はトゥーサンとの連名による出し物を披露したはずだ。

 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。ピアノと電気ピアノのロウレンス・フィールズ(2009年6月15日)、ベースのヴィセンテ・アーチャー(2007年10月3日、2009年4月13日)、ドラムのマーカス・ギルモア(2007年11月21日)、打楽器のダニエル・サドウニック(2002年1月9日、2004年2月13日)、NYでそれぞれ居場所を持つ奏者たちを従えてのワン・ホーンによるパフォーマンス。多くは新作にも参加していてもいて、これがペイトンの現在のワーキング・バンドと考えてもいいだろうが、いやはや、また前線にいる米国人ジャズ・マンの底力を痛感させられちゃったな。

 鍵盤は最後のほう以外は覚醒感を持つ(ゆえに、弾きすぎない)電気ピアノ一本やり、ながらベースは全編ウッド使用のもと、ドラマーと打楽器奏者がからむビートは通常のジャズ・ビートからもラテン・ビートからも離れる傾向にあり……。そして、それらが有機的に重なった先に、確実にオルタナティヴな平地を見たリアル・ジャズを浮上させていたよなあ。って、まずそういうことを書くと、その総合的なサウンド設定の妙だけにココロを奪われたようだが、ペイトンのトランペット演奏にも大きく頷く。もう細心の音色コントロールのもと(全てトランペットを用いつつ、ブライトな音からフリューゲルホーンを用いるようなくぐもった音までを完璧に出す)クリシェに陥らないソロを紡いでいく様には脱帽。キーボードやベースのソロも確かな視点アリ。いや、個性を持つサウンド設定といいソロがちゃんと綱弾きしていた実演ゆえに(そして、その妙味はCDでもちゃんと出されていない?)、ばくは感激しちゃったんだと思う。そして、アンコールはニューオーリンズ・ジャズ調の曲でペイトンはけっこう歌う。あんまし上手くはなかったけど、それも嬉し。今年のジャズ公演、ベスト5に間違いなく入るはず。

 会場入りする前に、少し飲食したら、なぜかお酒が異常にまわってしまい一杯いっぱい。それゆえ、お酒でなく、ペリエを注文。車じゃないのに、こういう場で非アルコールを頼むのは初めてのことか。それは猛暑&睡眠不足のせい? パフォーマンスの良さもあってすぐに復活したものの、あー、夏真っ盛りのこれからが思いやられる。

 うー、暑すぎますう。あまりの春期の寒さから、今年は冷夏かもと思っていたがそんなことあらず。しかも、今年は残暑が厳しそう、なんてニュースも出ていて、うえ〜ん一体どーなることやら。昼間に暑くて外出途中で顔見知りの事務所に寄ったら、とてもいいことあったりして、暑いのも捨てたモンでもないのダと思うことにしよう。

 夜は少しフラついた後に青山・プラッサオンゼに行って、スペイン在住のブラジル人とコスモポリタンという言葉がとっても似合うだろう日本人(ながら、近く松田美緒と一緒に南米ツアーをするそうだが、南米に行くのは初めてなのだそう)のデュオ・パフォーマンス(2009年10月12日)を見る。きっちり心を通わしつつ、手触りの良いパフォーマンスを送り出していた。ガリッツァは今年もう一度日本に来るようだ。

 個性と見聞の広さを持つ自作自演派シンガーのハシケン(2003年5月22日)、そしてコーコーヤ(2007年11月2月)他、枠を超えて艶やかなヴァイオリンを聞かせる江藤有希のデュオ・ユニットのパフォーマンスを見る。ピアノや生ギターを弾きながら心をこめて歌うハシケンに江藤が風や奥行きや輝きを瑞々しく加え、その協調からまた二人のさりげないやりとりは広がる。ミニ・アルバムを出すとともに今年の前半は二人でツアーをやったそうだが、息の合い方はぴったり。昔、大掛かりなバンドを抱えて活動していたころも途中で息抜き的にヴァイオリン奏者(太田恵資)とのデュオを披露していたハシケンだが、もっと真っすぐで、ふくよかな印象を増しているな。それは、年齢的な成熟がプラスに働いたり、小さなユニットで事にあたる(←それは、歌心を浮き上がりやすくするところに繋がる)覚悟が本人に芽生えているからか。ピアノを弾きながら歌う曲のほうが少し多かったが、ピアノも確か。ハシケンがけっこう他人の曲を歌うのは、今回MCで出典を紹介していて(ラルクアンシェルとかリクオとか)、初めて知った。二人の気遣いや歌の出口に対する共通する思いが無理なく重ねられ、シンプルだけど豊かな像を描く。あ、楽曲に二人で水を与えている感じもなんかあったかな。

 場所は、中目黒・楽屋。ちょうど開店14周年のお祝い中ということでけっこう積み重ねを持つ店のようだが、ぼくは今回初めて行く。で、入店してびっくり。こじんまりとしたハコを想像して行ったら、きっちり料理もサーヴしますよというノリの全てテーブル席の健全な情緒を持つ会場なんだもん。なんか、イメージとしては、LAのシャーマンオークスあたりにある大人向きの音楽ヴェニューと言った感じだな。楽屋は地下にあるようで、それも外国っぽい? へえ、こんなハコがこんな所にあったんだア。ステージ後はガラス張りで裏にある広場の木々がいい感じで見えて、すごく良い。いい場所で開業しているな。

 びっくり。ティトはブルース・マンだったんだア。

 ジャクソン兄弟の次男にして、マイケル・ジャクソンより5歳上(その間には、二人いますね)。ギタリストとしてジャクソン5やザ・ジャクソンズの屋台骨を支え、性格は兄弟の中で1番温厚なんても伝えられる人物が、ティト・ジャクソン。彼の3人の息子たちは90年代中期にマイケル・ジャクソンの助力で3-Tという名前でソニーからデビューもしましたね。そんな彼が現在ソロ活動をやっているのも知らなかったワタシではありますが、あのMJと血のつながった人を一目確認しておきたかった。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 黒いシャツとパンツに赤色のベストという格好でそろえたバンド・メンバーたちがステージ上で早々に待機、キーボード2、ギター、ベース、ドラム、テナー、トランペット、トロンボーンという布陣。サックス奏者のカル・ベネットはスムース・ジャズ傾向のリーダー作を数作もつ人物で、ドラマーの沼澤尚(2010年1月13日、他)がLA在住だったころ、親交を持っていたはずだ。そして、健康的なお色気路線の格好をする3人の女性ヴォーカル陣(その様はステージにいるだけで、うれしくさせる)とともに、全身キンキラ赤の格好をしたティトが登場。それほど伸長は高くない人なんだな。

 で、ギターを手にし、のっけからティトが歌い始めたのにはびっくり。歌はけっこう女性陣にまかせるのかと思った。そして、ギター・ソロを取ると、それが全編ブルーノート・スケールによるペンペンな単音弾き。ありゃあ、こりゃブルース・ギターじゃんと即思った次第。そしたら、2曲目以降は女性3人がステージをおりて、バンドとともに大ブルース大会に突入。もろブルース曲をうれしそうにやる。おお、堂にいっているし、まっとう。アタマのほうは歌は軽目かとも感じていたが、4曲目のマディ・ウォーターズの「フーチー・クーチー・マン」(だったかな?)あたりからは声も大きくなった。そして、ルイ・ジョーダンの「カレドニア」(このおどけた著名ジャンプ・ブルース曲を、彼はそこそこノヴェルティに紐解き直す)になだれこむ。ほんと、ティトがR&B成立以前の古い米国黒人音楽にぞっこんなのがひしひしと伝わってくる。うわー、変な奴。

 ジャクソン5系の楽曲目当ての客はどんな気持ちで見ているのだろうと気にせずにはいられない(でも、そこは名のある人、そこそこ客は湧いていたかな)ほどの、怒濤のブルース路線。ギターはオーセンティックなブルース・マンのように指で弾かずにピックで弾いていたが、いろんなブルースのギター・パターンをちゃんと消化した演奏をばっちり披露。バンドの水準ともども、ティトの名前がなくても、ブルース・アクトとして十二分にそれは営業できるものを持っていましたね。

 で、ショウの折り返し地点を少し過ぎて、再びコーラス隊が登場。ティトはアフロ・ヘアのウィッグをかぶり、69年に戻りたいかい、とアピール。好漢(ほんと、いい人そう)はとてもサーヴィス精神にも満ちた人でもありました。そして、「帰ってほしいの」や「アイル・ビー・ゼア」らジャクソン5時代の曲をやる。やっぱ、いいなー。オーディエンスは沸騰、以下は最後まで多くの人が立つ。ジャクソン5曲は他愛ないけどうれしい振り付けを伴う女性ヴォーカル陣で歌はまかなう。そりゃ、マイケルの子供のころの歌声は女性の声で置き換えたがほうが違和感はありませんね。そして、また後半は1コードのファンクとか、黒色度数が濃い曲をやったりも。名があるからこその、力ワザ的な選曲によるパフォーマンス。でも、米国黒人音楽界の(とても断片的ながらも)積み重ね/襞やエンターテインメント感覚のあり方をティトは天真爛漫に、確かに示唆。あのスーパー・スターに流れていただろう、血筋にある何かにぼくは触れたような気分にもなった。

ジョン・スミス

2010年7月14日 音楽
 なかなか平凡な名前の持ち主ながら、非凡でげんざい通受けしている(ヴァン・モリソンの前座にも誘われたらしい)、在リヴァプールのシンガー・ソングライター。吉祥寺・スター・パインズ・カフェにて生ギター1本でのパフォーマンスを行ったが、もうギターの響きや歌の佇まいに少し触れただけでも、コノ人ハ本物ダァと思わせちゃうものがあったな。ちょい部分的にアクロバティックなところも見せるギター技巧はそれだけでお金が取れるものかもしれないが、それを突出させずに風情ある歌の表現として聞き手に出す様はほんと老成している。現在27歳だそうだが、演奏している様は時に40絡みの人に見えたりもしたか。

 歌と向き合っている、自分の表現と向かい合っている……という感じが、これほど伝わる担い手もそうはいないのではないか。もう、少年のころから延々とギターを手に自分の歌声や言葉やメロディと向かいまくってきた末に現在があることが手に取るように判る。英国的と言いたくなる澄んだ情緒を孕みつつ、一徹にギター弾き語りという表現に向かう様はほんと求道者のようでもあったな。女性をはじめ、他の快楽的なことにはあんまり興味がないんじゃないかとも、その様は思わせる? さすがイングランド敗退後でもW杯の試合にはけっこうな興味を向けていたというが。 

 といった記載を見て、彼は凄く深刻だったりヘヴィだったりするのかと感じる人がいるかもしれないが、彼は若いにもかかわらず、とても抑えた、腹七分目的なパフォーマンスに終始する(だから、間違っても絶叫などはしない)。それゆえ、スミスの実演は手応えたっぷりなものながら暑苦しい過剰な感触からもからも離れており、それも彼の持ち味と言えるはず。10を表現するのに彼は15の容量でそれをしているとも言えるし、表現に表れないいろんな音楽語彙に鷹揚に触れているからだとも、それについては解釈したくなる。ニック・ドレイクをはじめ過去の本格派たちを消化し、その系譜に自然に乗りつつも、今様な存在とどこか思わせるのはそういう事も働いているのかな。

 仏ワーナー発の4枚組ボックス・セットが何かと話題を呼んでいるダニー・ハサウェイの娘さん(2008年5月13日、他)、キーボード、ギター(日本人。いい感じ)、ベース、ドラム、男性バッキング・ヴォーカルを率いてのパフォーマンス。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。過去同様、低音に存在感を持つしったりした喉を悠々と披露。今回、目新しかったのはジョー・サンプル(2009年11月5日、他)絡みの曲を3曲も披露していたこと(←もしかして、過去もそうだった?)。彼女はサンプルとの共演作をとても気に入っているようで、それも自己リーダー作に数えている。

 そして、もう一つはマイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」を少し大人っぽくやったのだが、そのなかに「スリラー」他10曲ほどやはりジャクソン曲のさわりを歌い込んだ(サイド・ヴォーカルの美声のジェイソン・モラレスもフィーチャーされた)こと。それ、ちょっとしたトリビュート項目となり、耳を引きましたね。その際、ハサウェイはジャクソン風の仕草やステップも少し取って、笑いを誘う。

 ちょっとした声の響きに父親の残像を思い出させる彼女のショウを見て毎度思うのは、サーヴィスで父親の曲をやってくれないかなあ……。前にインタヴューしたときに、「父の存在にフラストレーションを感じたことはない。彼はまさしく光の存在」みたいな全肯定をしていたし。かつてマーヴィン・ゲイの「ファッツ・ゴーイン・オン」をステージで披露していたことがあったが、彼女はその曲をずっと父親の曲だと思っていたとか(ダニーの『ライヴ』のオープナーですね)。なお、近作『ポートレイト』のインナー見開き写真は彼女の部屋で録ったもので、そこに映っている帽子はお父さんがずっとかぶっていたものだそう。

 適切に臨機応変、また伸縮性に富んだ、そのパフォーマンスはジャジーという形容が用いられることもあるだろう。しかしながら、バークリー音楽大学入学後にジャズも聞くようになった当人はその言葉をさほど気に入ってはいない。「ジャジーと言われるのは微妙ね。だって、それはポップじゃないということの裏返しでもあるから。でも、その両方を知っているのは私の利点。1冊しか本を読んでいないより、いろんな本を読んでいるほうがいいように」。そんな彼女の心持ちを拡大解釈するなら、父親がそうであったように、R&Bとはもともと奔放な、自分の解釈を大胆にはらむヴォーカル表現……だからこそ、レイラ・ハサウェイはジャズ歌手のように、鷹揚に他人の曲を取り上げる。別な言い方をするなら、やはりジャズはブラック・ミュージック、後に出てきたR&Bとは陸続きのものなのである。

 昼間ヤフー・ニュースのトップ項目に、カルロス・サンタナのニュースが出ていた。ツアー中(スティーヴ・ウィンウッドが前座だァ)のイリノイ州での公演で、ドラマーのシンディ・ブラックマン(2009年12月26日)にプロポーズしたんだそう。ほう! 凝り性のジャズ・マニア&ビッグ・ネーム故人の未発表録音物の熱心な収集者として知られる彼は純な人であるとも伝えられたりもするが。もう20年ぐらいサンタナ・バンドに在籍する打楽器奏者のカール・ペラッゾ(元13キャッツ。サンタナのホーム・ページには彼のサルサ・バンドが新作出した知らせが出ている)の奥さんは、学生時代の同級生のお母さんなんだよね(別れてなきゃ)。

 ジャヴァ(Java)はフランスのヒップホップ系の生演奏による、酔狂なビート・バンド。編成は肉声(仏語による)、アコーディオン、ベース、ドラム、そんな彼らを前の週に取材したんだけど、ポッとなりました。ベース奏者(モヒカン頭です。今回は普通の電気ベースを弾いたが、普段は電気アップライト・ベースを弾く事がおおい)はフィッシュボーン(2007年4月5、6日、他)の大ファンでそのTシャツ(09年、欧州ツアーのもの)を着ていたりして、なんかそれだけで10年来の知己と会ったような気持ちになってしまった単純なぼく。が、他の欧州アーティストと異なり、サッカーのワールドカップの話はインタヴューで一切向けず。今回のフランス・チームは歴史に残るダメ駄目ぶりを見せちゃい、とても気の毒で好漢たちに話を振る気になれませんでした。

 結成は98年で、00年以降に出した3枚のアルバムはソニー発(3枚目は、ブラジル録音ソースも含む)。そして、最新作はインディから。本国では相当な集客と支持を受けていて、それはフランス人のまっとうさを伝えるか? ラッパーのR.ワン(Radio Cortex)はソロ・アルバムも複数出していて、アコーディオン奏者はトニー・アレン(2003年9月26日)のバンドのキーボード奏者を勤めている。そのフィクシは5度目の来日(他の3人は初来日)で、うち2回がアレン御大とだそう。どうしてアレンと知り合ったのと聞くと、ずっとスタジオを持っていて(まだ、30代半ばぐらいのように思えるけど)、今ほど人気がなかった時分のアレンがスタジオを使わせてと言ってきたことがあって快諾、その際キーボードやるんだけど弾かせてくんないと頼んで以来の長い付き合いなのだそう。ジャヴァでは“ダサい楽器である”(本人談)アコーディオンに専任、それまではあまりアコーディオンを弾いたことはなかったという。

 南青山・月見ル君想フ。もー滅茶期待して行きましたよ。露払い役で、まずマイア・バルー(2010年2月25日)がパフォーマンス。いろんな言葉で歌い、ときに生ギターやキーボードやフルートも手にする本人(本当は歌に専念したい、とのMCあり)に、打楽器奏者とベース奏者という布陣。今日は父が来ているから、と言って、ピエール・バルーの曲も披露する。彼、熱心にヴィデオ・カメラを向けていたりして、普通に親バカしてました。彼女はジャヴァのショウの1曲にもフルート(と通訳)で加わったが、その際も会場に残っていた彼はヴィデオを回していた。

 そして、ナイス・ガイ揃いのジャヴァが登場。フランス人的な諧謔や洒脱や鷹揚さや俺様さを上手く抱えた、でも心意気やガラっぱちな機微に富む広角型ビート表現を、彼らは存分に繰り広げる。R.ワン(イタリア人ラッパーのジョヴァノッティ;2002 年6月1日、に雰囲気がちょい似ている?)がそんなに混んでいるわけではないのに、軽めにダイブしたのにはびっくり。そんな彼らは、客扱いもうまい。最後のほうは、ミギに、ヒダリにぃと言って、客を右に左にと何度も動かす。それ、ジャヴァの得意技のようで、彼らのマイスペースには東京国際ファーラムのホールAクラスの大会場でのライヴ映像がのせられているが、そこでの同様の光景は壮観だ。アンコールの際は法衣のようなコスプレをして彼らは登場、それ、ライムと関係があるのか。なにせよ、賑やかし。ぼくはとっても嬉し。浮かれました、燃えました。

 ところで、会場で会った知人が、南アフリカに行き3試合(うち、日本戦は最初の2試合)見てきたと知る。わー、うらやましい。夜、飲めるところもあるんですよー、と南ア居住歴を持つ彼女は言っていたが。なんと、昔サン・シティ(2010年2月19日参照)に行った事があり、それがライヴ初体験だそうだ。それから、今日は参議院選挙の日。ここのところは事前投票をしていたが、今回はライヴに行く前に投票所に行く(なんであんなに無駄に人がいるのか〜また、知り合いになりたくないと直感的に思わせる生理的にうさんくさい人が概して立会人には多いんだよね〜と思わせる一方、暴漢が押し入ったら一発で投票箱を奪われちゃうんだろーなとも思う)。そして、ライヴ後の夜半には、ワールドカップの決勝戦(カード自体は滅法魅力的と思える)。が、ライヴとかで一杯飲んじゃっていて、試合開始前に沈没。延長戦になるときに、目がさめる。トホホ。帰宅後、お昼すぎに起きてTVを付けたら、ESPNでイングランドFAカップの今年3月の試合(レディング対アストン・ヴィラ)、Jスポーツ2で昨年11月にあったUEFAチャンピオンズ・リーグ/グループ・リーグ予選(ルビン・カサン対バルセロナ)の試合をやっている。ぼーと、逃避気味に見ちゃう。ここ数日、夜は過剰に暑くなく少しホっとしたりしているが、ワールドカップ対応のため、寝ても3時間ぐらいで目が覚めてしまうようになっちゃっている。

 来日したら万難を排して見に行きたいと思わせる、プログレッシヴR&Bの才女がジョンソン(2004年7月1日、2008年5月18日)だ。前回リーダー公演と同様(奏者は異なるよう)にキーボード、ベース、ドラム、女性バッキング・ヴォーカルを従えてのもの。ながら、あららら。途中にブルースと言ってやったゴスペル臭も持つスロウの1曲だけはキーボードを弾きながら歌ったが、あとは中央に立ってシンガーに専念。それだと、先の2回の自己名義のショウのときとはイメージが大きく変わって、もっと明快なソウルっぽさが前に出る。バンドをぐいぐい引っ張って行く辣腕ぶりやアートという名のタイト・ロープを巧みに渡っていくような先鋭性は大きく後退していたが、これはこれでアリだろう。それから、今回そうかと思ったのは、ジョンソンにけっこう綺麗な人という印象を得た事。年齢も前より若く感じたし。綺麗なのは補助歌手も同様で、共に足首も細い。まあ、前はミュージシャンシップの迸らせ具合が壮絶でルックスまで気にする余裕が当方になかったということか。←タハハ、こういう表面ととのえたような記述はよくありませんね。

 ルーファスやマーヴィン・ゲイのカヴァーも披露。以前だったら、やっていなかったかも。そういうのに触れても、以前より判り易く、親しみ易さを出そうとしているのが判る。それから、ダリエンというジョンソンのリーダー作にも参加しているドレッド・ロックスの柔和な男性シンガーが途中に出てきてデュエットを噛ますとともに、2曲で歌とラップでフィーチャーされた。その際にジョンソンはフロントの座を譲って横に置かれたキーボード前に座ったがいっさい弾かず。バンドの面々もそうだが、彼は20代かな。全員、アフリカ系でプレイヤーたちは確かな腕を持っていた。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。そして、南青山・ブルーノート東京に移動。

 こちらはスター・ジャズ・ドラマーと言えるだろう、ハーヴィ・メイソン(2002年8月11日。触れていないが、トム・スコット&LAイクスプレスとして出演)がリーダーとなり、彼が録音参加したハービー・ハンコック(2005年8月21日、他)の73年転機作『ヘッド・ハンターズ』のノリでライヴをやっちゃいますというもの。「カメレオン」とはシングル・カットもされた印象的なリフを持つ同作のリード・トラックだ。

 メイソン、いい根性してんじゃん。とは、少し思うよな。だって、ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』ノリのアルバムは『スラスト』とライヴ盤『フラッド』とCBSコロムビア盤が続き、好評を得てハンコック抜きのザ・ヘッドハンターズ(こちらは冠詞がついて、表記が1ワードとなる)もアリスタから2作品を出しているものの、メイソンは73年の『ヘッド・ハンターズ』1作のみで脱退。同作のヒットで新進敏腕ドラマーとして多大な注目を集めた彼は売れっ子スタジオ奏者として仕事を受けまくりつつ、やはりアリスタとソロ契約を結ぶわけだ(その76年第一作にはハンコックも参加しているので、喧嘩して出たとか言う事ではないはず)。というわけで、そのオリジナル奏者はメイソンであるもの、より長い期間に在籍しそのサウンドをアイデンティファイしたドラマーは後任のマイク・クラーク(2002年3月12日)と言えるはず。不動のベース奏者であるポール・ジャクソン(2008年6月12日、他)とのコンビネーションもそっちの方が良かったように思えるし。

 今回の顔ぶれで、オリジナルであるのはメイソンと打楽器のビル・サマーズ(2002年8月2〜4日、文中では触れてないが、自己バンドのロス・オンブレス・カリエンテスでの出演)。そこに、リードのベニー・モウピンに変わってマイルス・デイヴィスやマッコイ・タイナー(2008年9月10日、他)との絡みで知られるエイゾー・ローレンス、ハンコック役には鍵盤のパトリース・ラッシェン(2005年6月20日)、電気ベースのポール・ジャクソンに変わってジミー・ハスリップ(2009年3月23日、他)という奏者たちが重なる。

 アンコールを含めて6曲演奏し、うちヘッドハンターズのナンバーは4曲(『ヘッド・ハンターズ』から「ウォーターメロン・マン」と「カメレオン」と「スライ」←それは、スライ・ストーンから取られた。『スラスト』から「バタフライ」)。やっぱり、偉大な遺産というしかないな。彼らは既知感をうまくくすぐりつつ、個性ともつながる手癖をまぶして重なり合い、質量感たっぷりの、ジャジーなブラック・ファンク表現を送りだす。先に見たジョンソン公演の奏者たちやるナと思っていたら、こっちのほうが余裕でよりざっくり噛み合っており手応えが太い。サマーズのちょっとした演奏はさすが(終了後、彼が演奏でもちいたビール瓶をもらおうとする女性がいて、それに応える様もいい感じ)だし、ジャクソンと水と油の持ち味を持つはずのハスリップも意外に好演し、ローレンスは我が道を行き、メイソンの叩き口はきっちりリズムやキープしつつかなり歌う感覚を持つ。うぬ、ちゃんとした米国奏者の質は高いというしかない。とともに、やっぱしハンコックのヘッドハンターズ表現は素晴らしい。まあ、それは思い入れの度合いによるだろうけど。

 メイソンは60年代後期にバークリー音楽院に通い、同じ時期に日本から留学していたのがジャズ・ピアニストの佐藤允彦。確か彼が語っていたと記憶するが、そのさい同期に凄く綺麗なブロンドのフルートを専攻する女子学生がいて、誰が落とすのかと皆思っていたところ、射止めたのは学生のなかでデキる奴と一目置かれていたメイソンだったのだそう。そんな彼も今や、ルックスは巨漢の月亭可朝になっちゃいましたが。

 ステージ上に表れた当人は長身痩身で、上品な顔つき白髪のちょい紳士。還暦、ぐらいかな。まあ、あの感じでちゃんと仕立てのいいスーツを着ていたとしたら、英国のエグゼクテイヴなんですよと言われても信じそう。そんな彼はアコースティック・ギターを手に、一人で90分強のパフォーマンスをこなす。60年代後期から約10年間はヴァン・ダー・グラアフ・ジェネレイターという、サイケ感覚や鼻につかない気取りを内に抱えていたプログ・ロック・バンドの中心人物としてぶいぶい言わせていたわけだが、今は悠々とソロのパフォーマンス活動をやっているらしい。で、その際、実演はギターとピアノを気まま持ち替えながら進められるということだが、この晩はギター弾き語りに特化したショウをやっちゃいますという位置づけ。翌日からの3日間はちゃんとしたピアノがおいてあるはずの新宿・ピットインでの公演なので、差別化をはかったか。客には、外国人も散見。

 ときに、吞気にビーンビーンビーンとチューニングを変えたりもし、彼はオープン・チューニングも用いる。淡々というよりは朗々、ときにはけっこう青筋立てて歌ったりして、いろんなヴァリエーションを持つ、芯と気のある弾き語り表現を連ねていく。その様に触れてて感じたのは、なんかザ・フー(2008年11月17日)のピート・タウンゼントのソロ表現の味と重なるところがある、ということ。同様の感想を、日本きってのザ・フー愛好家も漏らしておりました。かつてのバンド時代の曲をやったのかとかは熱心な聞き手ではないぼくに判るはずもないが、歩んできた我が道に悔い無しといった感じの澄んだ気持ちに満ちていたパフォーマンスは“香り高い”と書きたくなる妙味を持っていた。南青山・月見ル君想フ。

 南青山ブルーノート東京、ファースト・ショウ。なんか、急に見たくなって、かけつける。ちょうどグラウンド・ビート全盛のころ(cf.ソウルⅡソウル)、そのビートを介した「クロース・トゥ・ユー」は全米1位にもなるなど、かつてはもっとも成功した方になるだろうソウルぽくもある甘口レゲエ(それは、ラヴァーズ・ロックとも呼ばれる)のUKジャマイカン担い手だ。ステージで動く彼を見ながら、スティール・パルスやアスワドほかいろんなUKレゲエ勢に取材しているものの、とんと彼にはそういう部分で縁がなかったのだなーと再認知。

 とにかく、美声の持ち主。そのごっつい顔つきと優しい声の持ち味の間の生理的な距離がもっともある人、なんて書き方を昔したことがあったか。現在はなんとなく第一線から少し離れている感じを得たりもしてしまうが、少し声質は濁ってきている部分はあるにせよ、十分に歌えて人を魅了できるタレントであるのは変わらず。ギター、キーボード、ベース、ドラムスのバンドはまあしっかり、やはりレゲエのバンドは上手いと思わせる。一切笑わない長身のキーボード奏者を除いては、プリーストとバンドの面々はみな細いドレッド(というか、ブレイズと言いたくなるもの)。集団で空港待合室にいたり飛行機に乗っていたら、これは目立つだろうな。

 プリーストは女性客と握手しまくったり、会場内を愛想良く回ったりと、お客様は神様です的なマナーでショウを進めて行く。違和感を感じたのは、プリーストの声にエファクターをかけてサポート・シンガーがいるような処理をする場面がいくつもあったこと。なんか、なあ。ならば、バッキング・シンガーを雇うか、バンド・メンバーが歌えばいいのに、と感じずにはいられず。そしたら後半に、プリーストの息子(マーヴィン・プリーストという。20代半ばあたりか)が出てきて2曲リード・ヴォーカルを取る。そのとき、プリーストは袖でコーラスを一生懸命とっていた。なんで、逆をやらせねえ? さらには、ブルックリン在住とかのカッコいいDJ(R&B界におけるラッパーのことを、レゲエではDJと言いますね)のベニトン・ザ・メニスが出てきて、肉声部を厚くする。とかなんとか、盛りだくさん。なんだかんだの怒濤進行で客は総立ち。MCでこの後はジャマイカに帰る、みたいなことを言っていたが、彼は英国ではなく今ジャマイカに住んでいるのだろうか。

 その後、青山・ブラッサオンゼに行っちゃう。そこには、プロデューサー/ドラマーの吉田和雄率いるピアノ・トリオであるToquo Bossa Trioが出演。MC によれば、60 年代のブラジルではタンバ・トリオをはじめ米国ジャズに影響を受けたトリオ編成バンドが隆盛、彼らの出演でクラブの場は盛り上がっていて(渡米前のセルジオ・メンデスもそういう一群にいたピアニストといえるか)……、ようはこのトリオはそうしたブラジリアン・ピアノ・ジャズを彼らなりに今の形で求めようとしたもののよう。レパートリーはジャズのスタンダードとボサノヴァ系有名曲などブラジル曲が半々づつ。店でふがいない今回のW杯ブラジル代表チームの話になったが、同チーム監督のドゥンガが磐田にいたころ、2度ほどプラッサに来たことがあったという。ミュージシャンよりサッカー選手に会った方がドキドキしちゃうみたいなメンタリティがぼくにはあるかな?

クラスター

2010年7月3日 音楽
 代官山・ユニットの開店6周年を祝うオールナイト・イヴェントの中の、メインの出し物としてクラスターが出演。クラウト・ロックなんても言われもする、70年前後に出てきたドイツの実験的なプログ〜電気ロック勢を代表するユニット(ブライアン・イーノと協調したりもしましたね)で、彼らが出てくる時間は深夜1時半。W杯のドイツ対アルゼンチンの試合を見たあとに友人宅からタクシーに飛び乗り、代官山に向かう。もう時間の接続ばっちりで世の中うまく出来てんなーと思ったら、もしかして、そのドイツの試合を見てから演奏しましょうという出演時間の設定なんではないか。

 会場前には同業ヴェニューからのお祝いの花がいくつも置かれている。で、階段を下りて行くともう扉の外にも人があふれ、場内も当然人だらけ。こんなに混んでいるユニットは初めてじゃ。うひぃ、すぐに汗だく。ステージ背景には古い石の建物が映し出され、構成員の二人はその中庭にいるかのような感じで演奏を始めた。ユーチューブにも同様の静止映像の前で演奏するライヴ映像があったな。その建物はどっちかの家であるとか、なんか意味があるのだろうか。とにかく、激込みゆえほとんどステージが見えないので細かいことは何も言えないのだが、二人はキーボードを弾くというよりは、装置を扱うという感じで音を出していたのではなかったか。ラップトップも置いているようには見えず、それはそれで旧世代の矜持を感じさせるものであるな。実際のところ、どうだったんだろ。彼らは、昔からライヴ盤をよく出すバンドでした。
 
 ずっと切れ目なしで音を連鎖させ、少しビートをかましたときはマッシヴ・アタック(2006年8月13日、他)をなぜか想起させたりとか、いろいろなバンド名を思い出させる……というか、冒険心を持った後のサウンドと繋がる事を彼らはずっとやってきたと取った方がいいんだろう。けっこうメロディ性を排除した、アブストラクトな波や揺れや紋様を感じさせる音模様描写が50分。そして、さらに小品1曲。それで、本編はおしまい。で、また出てきて、10分強のアンコール演奏。その際、途中からかなり暴れた音を出していて、ウヒヒ。アンコール演奏を終えると、二人は前に出て、熱い声援に答える。へえ、こんな凸凹コンビなんだ。でもって、やたら満面の笑みをたたえていて、ホント嬉しそう。そりゃ、ドイツが大勝したしナ。

 彼らだけ見て、またワールド・カップを見に、別のところに乱入するぼく。明らかにスペインのほうが強かったが、パラグアイに勝ってほしかったも思う自分もいたかも。
 
 あー、あと3位決定戦を含めても、4試合ぽっきり。前に書いたように、結線が外れてしまったのか、今ぼくの家では地上波のTVが映らないので、W杯期間中はゲーム感覚でテレビ観戦難民と化している。それは、間違いなく飲酒コミであり……次の日、いっぱい駄目にしてマス。とはいえ、まあまあ仕事も無難にこなしているはずで(ときには、PCを持ち歩く。そんなん、初めて)、自分の新たな領域を知った思いも得ているか。オレって出来る奴だったんだァ、とか。とともに、新しい交友関係も得たりしていて。あー、どっちにしろ目が回るう〜、夏場にざっくり休みを取りたい気持ちになってもいたりして。

スカイディ

2010年7月1日 音楽
 南青山・月見ル君想フ。ヨイクという北欧サーミ族の歌唱スタイルを掲げた活動をしているインガ・ユーソ(2010年1月16日)とノルウェイ人ジャズ・ベーシストであるハラール・スクレルーからなるデュオ・ユニットがスカイディ。ジャズの機微をしっかりと得た先に自分の創意を出そうとするアコースティック・ベース音(ときにパーカッシヴな弾き方もし、個性的)に気ままに別の世界が生んだというしかない癖ある詠唱が重なる。妙味と滋味、ある。すうっと、聞き手を別のとこにも持って行く。2部では、サックス(センベロ他の、田中邦和。久しぶりに会ったナ)とユーフォニアムの二管とキーボードが付いて、奥行きや色彩感をつけ、それも良し。なお、この晩は、そのスカイディの実演を柱に、ノルウェイ系素材を使った寿司なども振る舞う複合的な出し物で、けっこう場内は和やかなお祭り気分もあり。イヴェントはいいのお。
 某出版社で夏のフェスについての座談会をやったあと、一杯ひっかけ、この9月に公開される音楽ドキュメンタリー映画の試写に。渋谷・イメージフォーラム、夜9時すぎの始まりなので、赤い顔していっても問題ない。今年のカンヌ映画祭にも出品され、話題を呼んでもいる作品だ。

 主役となるのはコンゴ(旧ザイール。リンガラ音楽を生むなど、アフリカの名だたる音楽豊穣国ですね)の主都キンシャサの、ストリート・バンド。練習場所は、騒音から逃れられるキンシャサ動物園だったりする。リーダーをはじめ多くは小児まひにかかり下半身付随となってしまった人たち(発病時に満足な治療を受けられなかったためであろう、それは劣悪な環境を指し示す。障害を持つ人の数は少なくないようで、映画ではそうした人たちによるボール・ゲームの様が紹介されたりも)で、彼らは自転車を改造したろう手漕ぎの車いすに乗っていて、祖末なギターだったり手作りの楽器を手にし、思うままブチかましていた。で、たまたま撮影で同地にやってきたフランス人がその存在を知って、彼らを追いかけることを決意。04年から09年に渡る、メンバーの日々の生活やメンバー間のやり取り、練習の様子、レコーディング、喝采を持って迎えられた欧州ツアーなどが、なんの細工もなく、そこには並べられている。

 なるほど、もう見所満載。見る人によって、いろんなポイントで感動したり、考えたくなったり、身につまされたり、喝采をさけんだりできちゃう映画だろう。なんか、自分のなかにあるページを一杯めくった気分になっちゃったりもしたな。

 アイランド・レコードがレゲエを売り出そうとしてジミー・クリフ(2004年9月5日、2006年8月19日)を主役に据えてジャマイカの状況紹介も絡めて作った72年作「ハーダー・ゼイ・カム」から、ライ・クーダーを案内役にキューバ音楽の豊穣さにスポットを当てて担い手たちの世界進出も促したヴィム・ヴェンダース監督の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(2001年2月9日)まで。音楽好きの人なら、これをそうした傑作音楽映画の系譜に並べたくなるかもしれない。だが、ここには名のある企業も映画監督もミュージシャンも関わっていない。あまり持っていない者が自然発生的音楽的所作に突き動かされ、突っ走った末の掛け替えのない“黄金”がここにはまとめられている。だからこそ本当に作為なく、彼らの天然的行為は哲学に昇華し、必然の結果はアートに転化し、本能に支えられた行為は粋にすり替わる。わあ!

 影も光もあるが、細かくは触れない。見れば、判る。だが、素直に収められた、別の大陸に住む人たちの所作やキャラクターが、どうしてこうも魅力的に感じられるのか。ラテンやジェイムズ・ブラウンまでをも飲み込む素朴な手作り音楽が、なぜに爽快きわまりなく、また滋味ににあふれまくるのか。そんな彼らは、その音楽や怒濤のライヴ・パフォーマンスは、勝手にぼくたちの中に入り込み、あちこちをノックし、ぼくたちのなかにあるセンサーを刺激しまくり、思いや想像力を爆発させる。

 音楽のことについて、一つだけ触れておこう。演奏される場面では歌詞の訳が載せられるが、普段歌詞なんかどうでもいいじゃねえかと暴言を吐くぼくはその歌詞にぶっとんだ。台詞やト書きがなくても、彼らの生活や心情を素直に言葉に置き換えたそれらさえあれば、その境遇や考えは鮮やかに伝わってしまう。見事、すぎる。歌詞なんて、身の回りの事、感じた事を作為なしに書けばいいのだ。それで自分の世界が語れないのなら、人をひきつけることができないのなら、本当に無味乾燥な生活を送っているということだ。その歌詞にふれて、啓発を受ける同業者は多数なのではないか。

 雄弁にして、スリリング。世の中にはいろんなところがあり、様々な流儀があり、多様な喜怒哀楽があり、神が書いた気まぐれなストーリーがあり。そして、だからこそ、見る者は人間って捨てたもんじゃないな、人の営みって面白いなと、思わずにはいられないだろう。ああ、DIY の素敵……。頭のなかの常識や澱をさあーと吹き飛ばし、心の洗濯や磨き込みを促すこの映画に、ぼくは頭を垂れる。


 追記)キンシャサの目抜き通りっぽい交差点にはヤマハの看板をでっっかく掲げた建物があるのを、映画はちょい映す。ふむ、そのヤマハのオフィスは何を扱っているんだろうか。クルーザーやシステム・キッチンでないのは確かかな。ビリリの連中の持ちモノから推測するに楽器も売れるとはあまり思えないが。それともオートバイの類? 農耕機器? それから、街角や人の表情に機知感をほんの少し感じると思ったら、ぼくはWomex会場で「Jupiter”s Dance」というキンシャサのドキュメンタリー・フィルムを見たこと(2007年10月24日)があったんだー。←実は、ビリリの現在のドラマーのモンタナはそこに出ていたらしい。

フィーダー

2010年6月29日 音楽
 英国人シンガー/ギタリストのグラント・ニコラスと日本人ベーシストのタカ・ヒロセ、現在はそこにサポート奏者を加えて活動している国民的人気を誇るUKバンド(日本の人気との落差はトップ・クラス?)を、代官山・ユニットで見る。新作『レネゲイズ』のプロモーションのためやってきて、これは一回だけやったライヴ。この9月に、彼らはちゃんと日本ツアーをやることになっている。

 ヒロセは英国に渡ってからサッカーに興味を持つようになったそうで、プレミアのチェルシーの応援者。英国ロック界で成功した日本人ベーシストというと70年代前半にフリーやフェイセズといったUK一級バンドに加入したテツ山内のことを思い出してしまうが、よくそれを言われるものの世代的にピンと来ないよう。一方、ニコラスはアーセナルのファンで、ウェールズ出身ながらW杯には絶対出られないからもちろんイングランドを応援している。

 この公演前日に、イングランドはドイツに大敗し、ワールドカップを終了。心中お察っしします。サポート・ドラマーはかなりヘコんでいてちゃんと叩けるか心配だったそうだが(「もし、これがロンドンでのショウなら、大変なことになっていると思う、泣いている人続出みたいな」、ともニコラスは言っていたな。出しているネタは公演の前日にやったインタヴューによる→7月15日の毎日新聞夕刊に記事が出ます)、がつんと3人が噛み合う、パワフルながら、どこか澄んだ情緒を持つ表現を彼らは送り出す。なるほどなるほど。実は、彼らはこの年頭にフィーダーではなく、レネゲイズというバンド名でクラブを回るツアーを英国で敢行。そのココロは、フィーダーというブランドが出来上がってしまったので、それを払拭したところで新曲による裸のギグをしたかった! で、その新鮮な所感を受けた楽曲群は新作『レネゲイズ』としてまとめられ、日本でもレネゲイズのりの新曲ぶちかましギグを一回だけやってしまったというわけなのですね。

 この晩の23時からは、ベスト16に進んだ日本とパラグアイの試合。なんでも、先の日本とカルメーンの試合放映のとき、まさしく彼らはロンドンで新作発表のパーティを日本のビールなどを取り揃えて開いていたのだという。あのときも日本がばっちし勝ったから、今晩もまた勝つよと彼らは言っていたが、PK戦の末に敗退。うーむ、残念じゃ。

 その放映を渋谷のお店で観戦し、そのまままったり飲んでいて、2時半すぎぐらいに雨のなか外にでると、あちこちに青い格好をしたグループが(タクシーを拾えなくて彷徨っている)。相当な、数。常軌を逸した混雑/混乱だろうからハチ公前には近寄りもしなかったが、ものすごい数の人たちが渋谷周辺のお店に集まってそれぞれにTV観戦したのは疑いがないナ。実は日本初戦のカメルーンとの試合のあと、ワタシも少しだけハチ公前にいました……。それを知人に言うと、アンタはいったい何歳なのと言われたりも。

 バック・バンド(鍵盤、ギター、ベース、ドラム、女性バックグラウンド・シンガー)が出てきて、イントロ演奏を始めたときはどうなることかと思った。始めた曲はサヴァイヴァーの手あかにまみれたと書きたくなる82年全米1位曲「アイ・オブ・ザ・タイガー」の有名リフ。なぜ、今さら、こんなのをやるのか。なんかドサ回りのバンドに接した気分になるとともに、サポート陣はみんな20代とおぼしき外見を持つように見えたが、演奏もどこか心もとない。その印象は、ジェイムズが出てきて歌いだすと、だいぶ払拭されたが。やっぱ、主役がイケてれば、回りもそれにつられる……。

 5年ほど前にばっかみたいに歌える、昔気質臭ムンムンのR&B歌手としてワーナー・ブラザーズからデビューし(今は、スタックス/コンコード所属)、好き者から注目を受けた歌える女性歌手。まず目を引くのは、チャカ・カーン(2008年6月5日、他)もびっくりの存在感あるアフロ・ヘア。もう、それだけで、つかみはOKって感じがしちゃいます。で、やっぱし、めっぽう本格派。彼女が自然な感じでディープに歌うと、さあっと“豊かなソウルの森”が表れると言う感じ。どこかに、可愛らしさをもっているのも良い。輝いている! もう、その存在に触れられるだけで、うれしいと感じさせる歌手ですじゃ。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

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