スワンプ・ドッグでもいいし、ジョニー・ギター・ワトソンでもいいし、チャールズ・ミンガスでもいい。ツっぱって、自分の音楽/領域を持ったアフリカン・アメリカンには変てこさ〜強固な個性と表裏一体のクールネスをたたえた人が散見されのは間違いない。ちゃんと見えているからこそ、ストリートに根ざしたところで頭が切れるからこそ、彼らは一見突拍子もない諧謔を伴った蛮行(それは、良質のエンターテインメント感覚に転化する場合が多い)に撃って出て、それは妙味と視点ある音楽として花開く。やはり、それを導く最大の要因は白いアメリカのカラードに対する差別であるのか。

 70年代後半から80年代にかけてきっちり天下を取っていたキャミオを率いるラリー・ブラックモンもまた、酔狂さ/マンガの奥に抗しがたいクールネスを感じさせる人物だ。アトランタ・アーティスツという事務所を持っていた(いや、今も持っているのかな?)彼は、90年前後に同社の日本部門を設立したがっていて(日本人ソウル系アクトを制作したり、サポート奏者を仕出しするという、目論みを持っていた。結局、実現しなかったはず)、公演とは別に複数回来日した事があった。そうしたおり、一度インタヴューする機会を得たが、趣味の良いチェックのシャツを着た彼はこなれた黒人エグゼクティヴ感覚がむんむん。ステージでの姿との落差は清々しいぐらい大アリ。そして、きっりちと視点(と、確かな音楽知識。彼はブラック・ミュージックのメインストリームの変遷にも確かな見識を持っていた)を抱えて音楽活動にあたっているのが手に取るように判る発言を連発してくれたっけ(←そういう人が繰り出すファンクだけに、アンダーワールドのカール・ハイドも大好きだったはず。2010年6月24日、参照)。その尽きぬ意欲の様に、すでにちゃんとエスタブリッシュされているのに凄いですねみたいなことをぼくが言うと、「いや、マイケル・ジャクソンみたいな成功を収めないと、成功したとは言えない」と、真顔で答えたのは印象に残っている。で、彼はまだまだ上昇していくはずと思っていたら、すうっと前線から消えてしまったんだよなー。

 丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。個人的には、90年代初頭に横浜で公演をやったとき以来(きっちりショウアップされていたはずの実演のことよりも、帰りに車に乗せてほしいという人が複数いて定員オーヴァーで東京に戻ってきたこと、第3京浜をおりてからの深夜の環八がハンパなく渋滞していたことのほうが、鮮明に覚えているなー)見るキャミオのショウ。ステージ後方に位置するドラマーと二人のキーボード以外、フロントに立つ2ヴォーカル、2ギター、ベースは全盛期の顔ぶれ。もう、ぼくはジミ・ヘンドリックス耽溺野郎のチャーリー・シングルトン(昔は、左利き用のストラトを逆さにして、弾いていた。右利き用ギターを逆さにして弾いていたサウスポーのヘンドリックスの逆ですね。関係ないけど、ブラック・ロック・バンドの24-7スパイズのギタリストはヘンドリックスとエディ・ヘイゼルの名を取り、ジミ・ヘイゼルと名乗っている)がいるだけで大盛り上がり。そのシングルトンは右利き用のギターを持っていたものの、それはバンジョーをサイバーに加工したような特注ギター。でもって、メタリックの仮面をしつつ、上半身ははだけていて、ツっぱった変な黒人度数はぜんぜん衰えておらす、感激。演奏はヘンドリックス調ギター・ソロをとってもいたって危なげない常識的演奏でガッカリさせてくれたが。当のブラックモンはあんまし老けたという感じはないが、少し太っていた。股間にはかつてのトレードマークであった赤色のカップを未だ付ける。また、ベースのアーロン・ミルズは頭に王冠をつけていて、ベース・ソロは首の後ろにジミ・ヘンドリックスのようにベースを回し、涼しい顔して手弾き演奏をする。おお、ベースでそういうことをやる人を見るのは初めてのような。拍手。

 演奏曲は当然、ヒット曲群連発。それをノンストップ気味に、開いて行く。ちょいスロウ目の曲にはホーン音が欲しいと感じたりもしたが、すうっとマイルズ・デイヴィスのミュート音が聞こえてくる気がした局面も。それ、88年作『マチズモ』にデイヴィスが客演していた事実が頭にあるからか。ブラックモンの父親が体つき貧相コンプレックスだったデイヴィスのボクシングの先生をしていたことがあって、両者は顔見知りであることから、その共演は実現したんだっけか。演奏時間は60分ちょうどで、アンコールはなし。ブラックモンが“ナショナル・アンセム”と言ってやった「ワード・アップ!」が最後の曲。アメリカの「名前のない馬」と並ぶ、史上最も単純な構造を持つ(ある意味、魔法が働いている)大ヒット曲。さすが、このあたりで場内はほぼ総立ちになったが、このハコのブラック・アクト系オーディエンスには珍しく、お客さんはけっこうおとなし目。こういうときもあるんだァという感じ。

 この後に南青山・ブルーノート東京で見たUKインスト・バンドのザ・サウンド・スタイリスティックスは知名度ということにかけてはキャミオの足元にも及ばないが、熱心な聞き手がついているのか、最初から客席側がわいていたな。

 英国のセッション系奏者が集まっているんだろう、6管(2トロンボーン、2トランペット、2サックス〜うち、一人はバリトンを多用)を持つ大所帯バンド。打楽器奏者を除いては皆30代か。MCは手慣れた感じでトランペット奏者がするが、タイト&ファンキーなビートのもと、菅のセクション音が屈託なく踊る様には、難しいこと考えることなく、のせられる。テナー・サックス、キーボード、ギター、ベース、ドラムあたりはなかなかの手練。イギリス人もやるな。好ファンク曲の要素を上手く抽出した(たぶん)オリジナル曲をやるなか、ジャクソン5の「ウォント・ユー・バック」とアイズリーズの「イッツ・ユア・シング」のメドレーも。前者は少し手を加え過ぎで、少し気持ち悪かった。

 日本に何度も来ていたハウゴー&ホイロッップ(2005年12月10日、2008年12月13日)の1/2、育ち良さそうなフィドル青年を中心とするショウ。渋谷・クラブクアトロ。彼に加えて男性ギター/マンドリン奏者、女性チェロ奏者、そしてハウゴーが可愛がっている歌/ギター/フィドルのヘレーネ・ブルームという女性が加わって華を添えたりも。みんなデンマーク人のよう。で、清らかなトラッド〜ケルト系フォークといったアコースティック表現を細やかに編み上げる。ハウゴーのフィドルの艶やかさ/まろみは相当なもん、と、改めて思う。それを認知し、これまでそれほどデンマークに行きたいと思ったことはないが、行ったら心地良さそうだなと思えたりもしたか。

 2部構成のショウ。1部ではハンバート・ハンバート(2009年10月7日、他)、2部では大貫妙子(2009年1月16日、他)が入って部分的にデンマーク勢と絡む。ちょっと一緒にやってみましたという水準を超えた細やかな重なり方にも、デンマーク勢の真摯さが表れる。でもって、ジャズ的なインタープレイという文脈とは別のところで、他者と敷居低く協調できちゃったり、歩み寄り合ったりできちゃうのが、フォーク・ミュージックの美点なのだと思わせられた。

 また、大貫はアンコールで、日本の古い歌「この道」(作詞/北原白秋、作曲/山田耕筰)を、ハウゴーたちをバックに歌う。ヘレーネ・ブルームも歌で加わる。すうっと時間が止まる。うわああ、耳に自然に入る歌詞も含め、いい歌なんだあ。なんか、感じ入ってしまったな。そして、それが地域/文化違いの担い手たちが重なって無理なく重なり、新たに開かれる風情のいい感じといったなら。先(2010年8月24日)の「上を向いて歩こう」もそうだが、トップ級にイケてる日本の歌なのではとも酔っぱらった頭で思った。流れた先に博識な方がいて、山田耕筰は軍歌や校歌なんかもいろいろ作っていたそうだが、ちゃんと海外で学んだクラシック畑の御仁だと知る。でもって、お金と女性にきれいではない、山っけたっぷりの人だったんだよとも教えられる。そうなのか。なんにせよ、この晩の「この道」はぼくの胸にするりと入り、大きな波紋を残したのは間違い。ぼくにとってのこの晩のハイライトは、間違いなくこの曲を披露した場面でした。

橋本一子

2010年9月14日 音楽
 越境と創意をすばらしく美的感覚に満ちた形で聞かせるピアニストの橋本一子(2009年11年19日、他)の、ストリング・カルテットと重ならんとした公演。弦担当は金原千恵子ストリング・カルテット、そこにこれまた越境し漂える驚異のシンガーである橋本眞由己が重なったり、橋本と現在はUb-X(2006年10月25日)という名前で活動している縦ベースの井野信義(2005年8月19日)とドラムの藤本敦夫(少し前に『どこにもないランド』という、マルチ奏者である美点が生きた歌モノ主体アルバムを出した。多彩な興味と音楽経験が活かされた、笑顔の“なんちゃって”が弾む小品が20曲以上入った玩具箱的作品。解き放たれたしなやかなさやお茶目さが横溢)が入ったり。20年以上前に書いたスコアを元にするものもあるようだが、楽譜を整えたり、リハやったり大変だろうな。と、少し思う反面、実演には歓びや輝きが満ちているので、心地よい刺激を受けつつ、なんのストレスもなく、うっとりと聞いちゃうわけだが。しかし、きっちり自分の考える研ぎすまされた(と言いつつ、ストリングを介する表現は十分にメロウで浸り易くもある)大人の音楽を毅然と押し出そうとする姿勢には感服至極……。

 渋谷・Jzブラット。バー・カウンターの後ろにステージの模様が映されるのだが、橋本の手元もちょくちょく映されていて、興味深い。大昔、モーション・ブルーの菊地雅章公演でも終始手元がステージ背景に映し出されて膝を打った事はあったが。なぜ、ステージの絵が映し出せる会場はもっと積極的に客席側から見えにくい奏者の手元を見せてあげようとしないのか。音楽によってはそれが味わいを減らす場合もあるかもしれないが(奏者によっては映されるのを嫌がる人もいるかもしれないが、基本そういう担い手はライヴ・アーティストとしては淘汰されるべき)、大方はその方がその場で送り出される音楽をリアルに感じ取れるはず。旧来の送り方をのうのうと踏襲せず、もっと音楽ヴェニューは実演提供の改新を模索してもいいのではないか。

 定期的に開かれているインプロ系てんこもりイヴェント、渋谷・青い部屋。ここでやるのは今回が最後で、次からは別の会場で開かれるという。主催者のBar Isshee(2010年5月12日、他)店主の石田さんの思いつきで参加者は呼ばれ、組み合わされるよう。だから、そんなに事前リハは行われてないはずだが、担い手がちゃんとしていれば、即興音楽ならなんも問題ないですね。

 4つの組み合わせが披露される。1番目は当の石田俊一(電気ベース)率いるギター・トリオのFilth と、歌+αのヒグチケイコ(2010年5月15日)が渡り合う。続く2つも女性ヴォーカリストが絡むもので、次は蜂谷真紀(2009年1月8日、他)+キーボードの坂口光央+ウッド・ベースの瀬尾高志+ドラムの湊雅史(2007年1月8日) という単位。実にいけてるフリー・ジャズ演奏に蜂谷がもうグイ乗りで挑み、反応し合う。蜂谷、声でけ〜。彼女、真夜中に西荻でまたギグをやるそうな。すげー。

 3番目は歌のイーヨ+アコーディオンの佐藤芳明(2009年10月8日)+ギターの大島輝之(2006年10月19日)+ドラムの千住宗臣 (2009年10月31日、他)という組み合わせ。不思議ちゃんヴォーカルがちょい演奏陣と合わなかったような。そして最後は、ドラムの山本達久(2010年6月7日、他)+ギターの内橋和久 (2009年9月27日、他)のデュオ。それぞれに自分の個とつながる即興表現ヴァリエーションを山ほど持っていて、それを無理なく、効果的に繰り出しあう。エフェクター経由の内橋のギター表現の幅の広さはひきつけられるな。 

 アトランティック・レコードは、かつて黒人音楽を送り出すレーベルだった。そんなアトランティックにとって初の白人アーティストが66年にデビューしたザ・ヤング・ラスカルズで、キャヴァリエはその中心人物だったシンガー/キーボード奏者。ザ・ヤング・ラスカルズはとってもソウル・オリエンテッドな音楽性を持っていたことで、アトランティックは契約することに踏み切ったわけだが、キャヴァリエはずっと“ブルー・アイド・ソウル”と呼ばれる語彙の代表者でありつづけている名士ですね。近年、彼はザ・MGズ(2008年11月24日)のスティーヴ・クロッパー(2009年7月19日、他)との双頭名義作を2枚、新生スタックスからリリースしている。

 キーボードを弾きながら歌う彼(ハモンド・オルガン演奏はさすがの味を持つ)に加えて、ギター、ベース、ドラム、女性コーラス(キャヴァリエの娘さん)という布陣にてパフォーマンス。けっこうまとまっていて、この編成で普段ライヴをやっているのかと思わせる。当のキャヴァリエはそんなに老けていなくてスタックス発アルバムを聞いても判るように、喉が衰えていない。その歌はスティーヴ・ウィンウッドと結構似ているナと思わせたりするのだが、今回の生だとなんかフィル・コリンズを思い出させたりも。なんにせよ、黒人音楽に耽溺した白人のワビサビをたたえたその歌は、それだけでお金が取れる。演目はザ・ヤング・ラスカルズの曲が比率的には高かったはずだが、随所でオーティス・レディング曲やモータウン曲やマイケル・ジャクソン曲など著名ソウル曲断片を挟み込んだりも。また、終盤にジミ・ヘンドリックスやアトランティック・レコードの白人後輩であるレッド・ツェッペリンのカヴァーもやる。ザ・ヤング・ラスカルズも60年代後半に入るとサイケ・ロック色を強めたりもしたが、そのうれしそうなカヴァー披露に触れて、キャヴァリエはアート・ロック(60年代後半の意気揚々なロック勢に昔用いられたターム)隆盛に一役買ったという自負を持っているのかもナと、ぼくは感じたのだった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

 昨年見たの公演の中で一番ぼくが感激し、昇天しちゃったのが、ブライアン・カルバートソンのショウの特別ゲストで出たグラハムのパフォーマンス(2009年9月29日)。もう、思い出しただけでも、カアっとなる。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 唯一無二の御大に加え、ギター、2キーボード、ドラム、女性コーラスという布陣。グラハムはここんとこ12年間はミネアポリス(プリンスん家の隣)に住んでいるが、他の人は皆オークランド在住とか。イエイ。あら、モニターの上にはデカい時計がおかれている。許される範囲内で目一杯長くやりましょうという配慮のもとか。そういえば、90年代前半の来日公演(そうだ、mimi;2006年12月16日他がメンバーだったんだ)は3時間たっぷりやったしな。でも、今でも彼は事情が許せば、3時間のショウをやるという。蛇足だが、ミネアポリスに住む前の7年間は家族とともに、ジャマイカに居住。日本公演をやってしばらくして、彼は音楽界を離れ、聖書の解説/販売のためにカリブ海の島に住んだのだった。

 ファンクのオン・パレード。誠心誠意の、正のミュージシャンシップ行使のてんこ盛り。80年代中期にはバラーディアーとして天下もとった彼だが、そんなの見向きもせず(?)、立った曲を次から次へと繰り出して行く。前回やった事を自己バンドで2倍強の長さで届けたという感じか。終盤、もう一人派手なアクションをかます女性が出てきて、誰かなあと思ったら……。翌日、取材して判ったのだが、それは彼の奥さん。ほんと仲良さそうで、彼女もちゃんと旦那の事を理解していて、という感じで、ぼくが知るミュージシャン夫婦のなかではもっともいい感じのカップルなんじゃないだろうかと思った。服はいっぱい持ってきているそう。オフはまた善人かつ、クールなお人でした。ポっ。

クラクソンズ

2010年9月8日 音楽
 2007年アルバム・デビューの英国ロック・バンド、フェスを含め2、3度来日しているはずだが、ぼくは今回初めて見る。渋谷・クラブクアトロ。客層、若い〜。

 妖艶ロック味と刹那的ダンス衝動を繋いだデビュー作1枚できっちりと立ち位置を確保した彼らの、やっとリリースされた2作目発表後のライヴ。補助キーボード奏者を入れた5人による実演で、声質の似たベース奏者とシンセ奏者がけっこうユニゾンで歌う。へえ、それだと押し出しは強くなり、無理なく歌力をアピールできるよなー。それに噛み合うように、演奏も凝ってはいないが十分に歌を支え、聞き手を鼓舞する。実は彼らについては、ヘタくそという物言いもあったわけだが、ほぼ生音で勝負したはずのこの晩のライヴはかなりまっとうなものであり、客の熱い受け方もアリだなと感じた。発散のロックの美学、なんて書くと大げさだけど、そういうものを、彼はちゃんと出していたもの……。

東京ジャズ

2010年9月5日 音楽
 この日は、ずっと有楽町の東京国際フォーラム界隈にいて、東京ジャズの出しものに触れる。明るいうちは地上広場と名付けられたスペースで開かれている無料ステージでうだうだ。まず、昼下がりダヴィッド・ラインハルト(2010年9月1日)のトリオ。オルガン奏者(普段はピアノを弾いているそう)とドラマーを率いて、懐古主義に陥らない、ギターが前にいるオルガン・ジャズ表現を正々堂々繰り広げる。それ、もう何年も続いているワーキング・バンドだそうだ。奏者としてのエゴをだしつつも、ちゃんと聞き手に対して腕を広げる柔らかさもあり、彼らはアンコールにも応えていた。ダヴィッドは今年1月に同い年のマヌーシュの女性と結婚したばかり、秋にニューカレドニアで演奏することになっていて、2時間だけ成田に滞在するそう。他にも、マダガスカルでもやるとか、いろんな所から呼ばれるんだな。

 その後に登場したのは、NYフリー・ジャズ系ヴァイオリン奏者のビリー・バン(1999年12日12日、参照)。彼は今、羽野昌二(ドラム)とトッド・ニコルソン(ベース)と日本ツアー中で、その単位での出演。アヴァンギャルドな演奏もやればベタなスタンダード演奏もあり(それで、保守的な聞き手に対するツカミはOK)、いろいろ場数踏んでいるんだろうなと思わせる演奏を“いいオヤジ”度数(キャップとシャツはNYヤンキースのロゴ入り。日本だと、読売巨人軍の帽子をかぶって場外馬券場にいそうな風情?)横溢のもと披露。蛇足だが、いまビル・ラズウェル(2007年8月3日、他)も東京にいる(彼も、東京ジャズに出ちゃえば良かったのに。2005年には大々的にかかわっているし)が、ビリー・バンもノーナ・ヘンドリックス(2010年9月4日)も80年代上半期にラズウェルにはたいそう世話になっていますね。彼らは今回、東京で会っているだろうか。

 やはり、暑い。知人たちとまったり飲食をしたのちまた広場に行くと、アイヴィン・オールセット(2003年6月28日、2008年11月14日)がやっている。お、ツイン・ドラムの変則編成でレディオヘッドみたいなことやってんじゃん。興味深〜いと思ったら、最後の曲で、演奏は終わってしまった。残念! この後、ここの無料ステージには前日に触れたアーリル・アンダーシェンやマティアス・アイク(彼もツイン・ドラム編成だったそう)が登場したはずで、今年のこの日の、東京ジャズの無料ステージの顔ぶれの充実し具合は尋常ではない。よくぞ、ブッキングしたな。近くの丸ビルでもフリー・ステージが開かれていたはずだし、送り手側はその太っ腹さをもっとアピールしてもいいのでは。ジャズに興味を持つ背伸びしたい中坊が友達と気軽に見に来るというのは大あり。斑尾のジャズ・フェスに子供のころ家族と見に行きヤラれPe’zのリーダーはジャズ・トランぺッターを志したように、そこからまた新しい芽が出たらいいよなー。

 で、夜はメインとなる会場である、国際フォーラムのホールAに。まず、出てきたのは、欧州フリー・ジャズの大御所である、オランダ人ドラマーのハン・ベニンク。アイデアと茶目っけと技量がすうっと重なる、独創的にして人間味あふれるソロ・パフォーマンスを披露。これも、敏感なコドモが見たら無限大の啓発を受けるだろうなーと思わずにはいられず。やっぱ、イバラの世界で突出できた人は凄いと実感。

 2番目はジョシュア・レッドマン(2003年1月16日)の、マット・ペンマン(2008年11月19日、他)とグレゴリー・ハッチンソン(2008年9月29日、他)というリズム隊を率いたピアノレス・トリオ。ストロング、甘さを排し、ときに思索しつつ疾走。

 3番目は、渡辺香津美のマイク・マイニエリが制作した80年名作『TO CHI KA』を20年ぶりに再現する、いや同作をフォロウする日本ツアーを同様のメンバーで今に持ってこようとする出し物。ヴァイブラフォンのマイク・マイニエリ(サイド・ギターならぬ、サイド・ヴァイブと言った感じの演奏にはかなり感心させられた。都会性がすうっと出る。やっぱ、才あるんだ)、キーボードのウォーレン・バンハート、ベースのマーカス・ミラー(2010年9月3日、他)、ドラムのオマー・ハキム(2010年9月1日、他)という顔ぶれによる。MCによれば、マーカスと竹馬の友であったハキムはスティーヴ・ジョーダン(2006年12月22日、他)の代役で、その来日ツアーが初の華々しい活動だったよう。渡辺は「マイニエリは尊父のような存在で、ハキムは可愛い息子のよう」なんても、言っていたか。当時フリー・ジャズやブラック・ジャズは片手間に聞いていても、フュージョンにはほとんど触れていなかったぼくではあったが、同作のリード曲「ユニコーン」はリアルタイムで耳馴染み。というのも、当時オーディオ・コンポのTV-CMに使われ、本人も画面に登場していたから。飲み屋で隣のおじさんからまじまじと見つめられたりして、(お茶の間に顔を出した)あの頃は恥ずかしかった、なんて、彼は言っていたこともあったはず。サイド・メンは本当に20年ぶりに演奏する曲だろうが、きっちり重なる。それなりにリハもやったのだろうけど、みんなプロ。それは『Tochika』の真価や20年という時の流れの襞を浮かび上がらせるものでもあったか。とともに、あの頃の渡辺はかっとぶ鮮烈ギタリストとというだけでなく、ギターの素敵を出しまくれる好フックを持つ曲や美曲を作れる作曲家として冴えまくっていたのではないか、なんてことも、ぼくはこの晩の演奏に触れて思った。

 トリはザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)。喉を潤したくて目がかすんできたので、退出。いっぱいライヴ見たなー。

 11時半から某ホテルで、エスペランサ・スポルディング(2008年9月5日)の取材。わあ、気だて良く、頭の回転も早そう。完全、スッピンでした。前回同様に、テリ・リン・キャリントンのバンド(2008年12月1日)の一員として来日。東京ジャズに出演するキャリントン・バンドは全員女性で、モザイク・プロジェクトと名付けられている。

 午後1時半から代官山・晴れたら空に豆まいて。基本ECMと契約するノルウェイ人重鎮ベーシスト(これまでは、アリルド・アンダーセンと日本では表記されてきた)の公演を見る。テナー・サックス奏者とドラマーを率いてのパフォーマンス。剛毅に疾走したりアウトしたりするするものから、メロディアスなぽわーんとしたものまで、臨機応変に自分たちの信じるジャズの形を人間味を出しつつ送り出す。うぬ、さすがの実力者たちではありましたね。実は午前中の同所には、今年のフジ・ロックに出演したジャガ・ジャジストのメンバーで、ECMからリーダー作も出しているマティアス・アイクのグループが出演したはず。彼ら、今朝の9時半に成田に着くとの話をきいたが。両方を見た過剰なジャズ・ファンじゃない知り合いはマティアスのほうが面白かったと言っていた。アンダーシェンのバンドもアイクのバンドも明日の東京ジャズの無料ステージの出演者ですね。

 一息入れて日暮れに、渋谷・オーチャードホール。ベルギー王立モネ劇場制作とお題目された「アポクリフ」という、3人の踊り手による舞台を見に行く。演出と振付をシディ・ラルビ・シェルカウイというモロッコの血の入ったベルギー人ダンサーが担い、さらに日本人の首藤康之とフランス人のディミトリ・ジュルドが絡む。で、そこに音楽担当者として登場するのがア・フィレッタ(2010年8月25日)の面々、ということでぼくは見に行ったのだ。ア・フィレッタの面々はデザインされた空間のいろんな所に出てきて(←それが、とても効果的。動的であったり、空間的であったりする変化/風通しを何気に舞台に与える)アカペラで歌うわけだが、なるほどコレは見ることができて良かった。宗教的な事を題材とするようだが、そんなの抜きに(いや、暴言を吐くなら、知らない方が吉と出るのではないか)、発想と肉体力の限りを尽くしたコンテンポラリー・アート表現に野郎7人の歌唱行為は合うし、よりエッジィかつ人間的な感興をそこに加えていたのではないか。いや、彼らがいてこその出しモノと感じる人も少なくなかったのでは。やはりア・フィレッタは、島の伝統的歌唱グループではなく、先にごんごんと飛び出して行くクリエイティヴ集団なのは間違いなし。そんな彼らをかなり感心しちゃう使い方で起用したシェルカウイという人も鋭い。まあ、かように欧州の進歩的なアート・サークルにおいてア・フィレッタの神通力は認知されているということかもしれないが。

 そして、またハシゴで、南青山・ブルーノート東京に。「アポクリフ」が60分ちょいで終わったので、余裕でセカンド・ショウ(土日は8時45分からと早い)に間に合う。ニっ。こちらの出演者は翌日の東京ジャズの昼の部に出る、冒頭で触れたテリ・リン・キャリントンの女性バンド。受け付け階に降りて行くと、エミ・マイヤー(2010年5月31日、他)がニコニコいる。あれ、なんでいるの? なんでも、米ワシントン州で開かれているジャズのサマー・キャンプみたいのに今年も含めずっと参加していて、そこでの彼女の先生であるイングリッド・ジェンセンがモザイク・プロジェクトの一員ゆえに見に来たのだとか。彼女、エスペランサは素敵♡と言ってました。

 出演者の内訳は、ドラマーのキャリントンに加え、ベース奏者(もちろん、一部では歌う)のエスペランサ・スポルディング、米国人トランぺッターのイングリット・ジャンセン(とても毅然とした人。結構、マイルス・デイヴィス・マナーを持つ)、オランダ人サックス奏者のティネカ・ポスマ(2007年10月10日)、ピアノやキーボードを弾くヘレン・サン(ウェイン・ショーターのグループに抜擢されてもなるほどと思わせる指さばき也)という演奏陣に、我が最愛の女性歌手の一人であるノーナ・ヘンドリックス、そしてブラジル人新進のパトリシア・ロマニアというシンガーも加わる。二管をフィーチャーしたもろジャズ演奏(芸がないと言えなくもないか)から、ノーナ(60歳半ばは行っててもおかしくないのに、そんなに老けていない)の芸人感覚爆発のR&B曲までいろいろ。盛りだくさんすぎたが、ヘンドリックス姐さんの勇士が見れてこの私になんの文句がありましょうか。どんッ。

 怒濤の3日間のはじまり……。明日取材とバッティングして見ることができないので、東京ジャズの出し物であるマーカス・ミラー(2009年9月15日、他)・バンドとNHK交響楽団の共演のリハを午前中に少し覗かせてもらう。広い東京国際フォーラムのホールAのステージにフルのオーケストラ員がどばあっといるのは壮観。で、その人たちが一斉に音をだしたら、やっぱ誘いあるよなー。指揮はデイモン・ガプトンというアフリカ系の人物、ミラー側が用意したという。コンサート・マスターは昨年のMONOのオーケストラ付き公演(2009年12月21日)にも関与していた人、特徴的な風貌なので判る。リハ自体は昨日もやっているそうで、それでだいぶ決まったのか、ストレスなく音の流れをチェックしている感じか。今年リリースされたモナコでの同様のライヴ盤はあまり興味ひかれなかったが、これなら、見てえ、と思った。ゲスト出演することになっているクリスチャン・スコットはリハの最後の方に殿様のように来て、ププイっと鳴らす。痩身で小顔のミラーはやっぱ格好いいな、と再認識。

 晴天にて、相変わらず暑い。ご飯を食べ、西新宿5丁目に移動し、音楽ドキュメンタリー映画の大家マレー・ラーナーが講演/対談をするのを覗く。この3、4、5日に新宿のいろんなライヴ・ハウスを舞台に行われる音楽見本市、Tokyo Boot Upがはじまるのに際しての、オープニングの特別催し。西新宿5丁目・東放学園映画大学校。

 ラーナーさんはもう80歳とかの、白髪の好々爺。奥さんも同行、横に座っている。ロック映画だと、ワイト島のフェスのドキュメンタリーや近年のザ・フーの「アメイジング・ストーリー」(2008年10月1日)などを撮っている人。大学時代は音楽好きの文学青年だったようであり、映像美学にはかなりのこだわりと周到さを持っていたのが伺える。また、彼は3D映像にも目を向けている人のようだ。その後に、やはり彼が監督した60年代上半期のニューポート・フォーク・フェスティヴァルのモノクロ記録映画「フェスティヴァル」を上映、時間の許す限り見る。字幕付きDVDも出ているようだが、フォークが苦手の僕は初めて見る。が、当時の自由を標榜するフォーク・フェスの常なのかどうかは知らないがブルース・マン(サン・ハウスが出てくるシーンは、ラーナーのお気に入りの箇所のよう)やザ・ステイプル・シンガーズらゴスペル勢もいろいろ出ていて、4分の1の出演者は黒人。隔世の感アリの観客の風体を見れば判るように、ニューポートは裕福な東海岸白人の避暑地なわけで、リベラルな理念のもと同フェスが運営されていたのかもしれないけど。ともあれ、映画を見ていてそっかあと感じたのは、日常とは線を引いた所にあるワクワクしちゃうものとして、40年前にも音楽フェスはしっかり機能していたこと。マウンテン・ミュージックのダンス・グループ等も出てきて、それはアフリカ系アクトとともに今で言うところのワールド・ミュージック的な広がりをフェスに与えていたかも。人間の趣向/営みなんて、変わらない部分も多いんだろうなあ。なんか、少し感傷的なキブンにも。ジョーン・バエズの動く姿にはじめて触れた(音楽を聞くのも初めてかな。けっこう肌の色が黒く写っていたけど、何系なんだろう)が、ちゃんと才を持つ人なんだな。

 以前にも少し触れたがTokyo Boot Upは、日本人アクトも多数出ているテキサス州オースティンのサウス・バイ・サウスウェストの日本版をめざすような、今年から始まった催し。地域内にあるいろんなライヴ・ヴェニューに明日を見つめんとするバンドが次々と出演し、逆に送り手側にいる人間や好奇心おう盛な聞き手が有望な担い手をリサーチする……。80年代NYのニュー・ミュージック・セミナーや90年代NYのCMJミュージック・マラソンなど、米国には本当に規模の大きな地域一括型ロック見本市があったわけで、そういうものが東京でも開かれるのはおおいに楽しそう。が、東京ジャズともろにバッティングしていて、接せられな〜い。  

 が、変わりに、ではないけれど、ちょいシンクロニシティ的なことも。ぼくはニュー・ミュージック・セミナーは一度、CMJミュージック・マラソン(当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったCMJ=カレッジ・ミュージック・チャートが大々的にスポンサードしていた)は2度行ったことがあった。それぞれにいろんな感興があり、出会いがあったわけだが、そうしたなか、大きな思い出として残っているのは、90年上半期に行った1度目のCMJミュージック・マラソンのとき。そのとき、ぼくは当時活動休止中だったノーナ・ヘンドリックスとスカンク・アナウンシーのライヴ会場で邂逅、元祖女性黒人ロッカーたる彼女は英国新進の女性ブラック・ロック歌手がフロントにいる同バンドを見に来ていたのだった。そのアトラクティヴな風貌はすぐに彼女と判るもので,大感激しつつぼくは大ファンであることをつげ、名刺を交換したりした(そのとき、ミュージシャンじゃない名刺を彼女は持っていたんだよなー)。そしたら、東京ジャズに出演のため来日(84年のパルコ主催の来日公演いらい?)していた彼女と夕方に会うことがきて、ぼくは感無量……。昔のNYでの顛末のことを言ったら、彼女は覚えてはいなかったが。

 夜は有楽町・東京国際フォーラム(ホールA)で、東京ジャズの初日プログラムの、クリスチャン・スコット(2009年9月15日、他)とケニー・バロン(2009年1月7日、他)、二つの出し物に触れる。スコット・グループの演奏にはタップダンサーの熊谷和徳がゲストで入り、要所で打楽器奏者のように足さばきによる音を加える。クリスチャンはレディオヘッド信奉者だが、彼はついにトム・ヨークのアトム・フォー・ピースとNYで共演したらしい。おめでとう! 後者はロン・カーター(2010年5月6日、他)とレニー・ホワイト(2010年9月1日)とのトリオにて、堂々ひたひたの演奏。その途中で、向かいにあるコットンクラブに。

 そちらの出演者は明日の東京ジャズの昼の部の出演者である、メイシオ・パーカー(2010年2月16日、他)。バンドの顔ぶれはまったく前回と同じ、ながら(基本構成は同様ながらも、変えたり、自然発生的に変わっている部分も)やはり高揚。。。。

 東京ジャズのプリイヴェントとして催された、渡辺香津美(2004年12月15日)を中心とする出し物。ヤマハ銀座・スタジオ。1部は納浩一(縦/電気ベース。2010年2月17日)とレニー・ホワイト(ドラム)のトリオにて。昨日、コーネル・デュプリーで聞いた「フリーダム・ジャズ・ダンス」を彼らもやる。MCによると、渡辺の初NY録音作品『ロンサム・キャット』のレコーディングの際にやりたいと切望したドラマーがホワイトで、今回はあのとき以来の顔合わせなのだとか。で、3人はそのタイトル・トラックもやったが、それは、いい感じの前を見た立ったジャズ曲。そのとき、彼は24才であったのか。ちょい手探りのところもあったが、それぞれの力量で噛み合う剛毅な実演。

 第2部は、渡辺と24歳のフランス人ギタリストのダヴィッド・ラインハルトのデュオ演奏から始まる。ダヴィッドはその姓が示すように、ジャンゴ・ラインハルトの孫。彼の父親はジャンゴの次男の、01年に亡くなってしまったバビック・ラインハルト。かなりジャズ・フュージョン的なアルバムもリリースしているバビックだが、本当はトニー・ガトリフの映画「僕のスウィング」(2003年1月8日)に主演する予定だったと聞いたことがあるナ。が、亡くなってしまい、チャボロ・シュミット(2008年6月23日、他)が代わりに出演したそう。澱みない渡辺のMCによれば、98年のジャンゴ・ラインハルト・フェスティヴァルに出演したさい(ジャンゴが住んだフランスのサモアで行われているよう)、ビバックも出演し、子供だったダヴィッドも父親にtついてきていたのだそう。その際のことを、両者ともに覚えているという。ジャンゴ曲をデュオで2曲。ダヴィッドはちょい緊張している感じもあったが、なるほどよく指が動く。このとき、渡辺はマヌーシュのギター奏者が持つタイプのギターを持ち(ダヴィッドは普通のセミアコ)、堂にいってそっちのほうのマナーを繰り出す。ほんと、なんでもできちゃうよなー。デヴィッドもはみ出す行き方は嫌いじゃないだけに、両者は絡まりながら、どんどん螺旋状の弧を描きながら舞い上がって行く。ヒヒヒ。そのうち、一緒にアルバムを作るのもアリなのでは。そして、リズム隊が加わり、ウエス・モンゴメリー曲など、さらに2曲、3曲。その後、また1部と同じ布陣で少しやり、アンコールではまた4人で演奏した。それにしても、ギターの上手い人が本当にそれを愛でている感じの演奏の様に触れると、どうしてギターに無心で対峙していた子供の頃の姿が容易にに透けて見えるんだろう? 

 そして、丸の内・コットンクラブに移動。イタリア系アメリカ人女性ピアニストのレイチェル・Zと、彼女の教え子でもあったそうな25歳になる(でも、高校生にしか見えない)女性電気アップライト・ベース奏者のメイヴ・ロイス、そして百戦錬磨ドラマーのオマー・ハキム(2006年4月16日)からなるピアノ・トリオの出演。レイチェル・Zの新作での顔ぶれだが、今回は熟練組二人の名前の一文字を持ってきて、ザ・トリオ・オブ・オズ(OZ)と名乗っている。録音してみたら、いい感じなのいで、ちゃんとグループ名にしてみましたという感じだろうか。

 ステージに出てきたレイチェル・Z(ニコラッゾ)にはあらあら。白のかなりミニのワンピースをお召しになっている。ベースのロイス嬢も膝上丈の黒いワンピース。ちなみに、レイチェル・Zはステップス・アヘッドやウェイン・ショーター(2004年2月9日)表現に関与するとともに、ミレニアム後のピーター・ゲイブリエル・バンドにも入っていたりもする奏者。そんな彼女はロック曲をどジャズ・アレンジで聞かせることを長年リーダー作で披露しているが、この晩もアリス・イン・チェインズの「アングリー・チェアー」など、その手の曲もスタンダード曲などともに悠々と披露。きっちりジャズだけど、いろんな風通しやもう一つの意思が見え隠れ……。

 終演後、ハキムが入り口のところで誰かとじゃれている。おやおや、さっき叩いていたレニー・ホワイトではないか。ハキムはハキムで、東京ジャズの日曜夜のプログラムで渡辺香津美と一緒にやりますね。

 お、デュプリー。久しぶりだな。ソウル・サヴァイヴァーズ名義では近年もけっこう訪日しているはずだが、同郷先輩(テキサス州フォートワース)のキング・カーティスのバンドに入って60年代アトランティック・ソウルを支えた、この個性派ギタリストをぼくが見るのは、2002年6月25日(極東ワールド・カップの期間中でした)以来。サポートするのは、コンパス・ポイントに住む前(70年代初期〜中期)の故ロバート・パーマーに重用されたことで知られるジェイムズ・アレン・スミス(キーボード)、この7月にはリーダーとしてブルーノートに出演していたロニー・キューバー(サックス)、デュプリーも在籍したスタッフのリーダーだったゴードン・エドワーズ(ベース)、やはりサポートで6月にブルーノートに出演しているバディ・ウィリアムズ(2009年6月17日、他)という面々。キューバー以外はアフリカ系。あ、キューバーとデュプリーはキング・カーティスのザ・キング・ピンズの大人な発展を主目的としたザ・ガッド・ギャング(80年代後期にスティーヴ・ガッドが組んだ、“ポスト・スタッフ”的なバンド)の仲間でもありましたね。

 ちょい遅れ気味に、面々は出てくる。え、と少し息を飲む。というのも、エドワーズは杖をつき、デュプリーは機械と繋がったチューブを鼻に差し込んでの登場ではあったから。やはり、痛々しい。と、思うのもつかのま、デュプリーの緩〜いMCもあり、スーダラした乗りがすぐにぽわーんと出てくるわけだが。手には(多分)バーボンのロック、デュプリーは途中でおかわりも要求した。飲んでいたのは、彼だけだったな。90年代前半に取材したとき、(NYから)故郷のフォートワースに戻ったんだと言っていた彼だったが、今はどうなんだろう。確かに90年代に入る頃からデュプリーの参加セッションは激減したはずだが。そんな彼の最後の方のビッグな仕事は、マライア・キャリーの『エモーションズ』(91年)のレコーディング参加。どういう経緯で入ったのとそのとき聞いたら、ウィル・リー(2009年8月19日、他)からの連絡だったとか。そして、スタジオに行ったら「(デュプリーがバッキングをした)アリサ・フランクリンの雰囲気を求めたくて、あなたを呼びました。よろしくお願いします」と、本人から言われたそう。
 
 オープナーはエディ・ハリスの「フリーダム・ジャズ・ダンス」。で、ぼくはいささかびっくり。そして、引き付けられる。あのグルーヴィにして複雑なテーマを持つ曲を見事に彼ら流に解釈してやっていたから。定型コード進行のもとちんたら楽器音を流すのではなく、ちゃんと自分たちの意義を理解し、意気と共に重なりあうのダという意思にそれは満ちていた。な〜んて、実は来日時に毎度手癖で披露するおなじみのレパートリーだったりするのかもしれないけど。でも、間違いなく、デュプリーはイケてる。8年前に見たときより確実に引っかかりを持ってぼくを引き付けたのは確か。オーイエイ。何度もぼくは演奏中に、ココロの中で喝采しました。

 途中で1曲、もろなスロウ・ブルース。良い、味ありすぎ。7分目で弾いているのもグっとこさせ、ここにしっかりと伝統を抱えたオーセンティックな大人のブルース・ギター弾きがいると感激できた。また中盤には、ザ・ビートルズの「サムシング」を演奏したりも。いい感じで開かれるそれを聞いて、ぼくはこのジョージ・ハリソン作の曲を一瞬ジョン・レノン主導の曲かと勘違いしちゃった。だって、なんか掛け替えのない心の欠片が一杯そこに見えたんだもの。ゴードン・エドワーズのことをレノンが気に入り、かつて起用していたことを思い出していたからかもしれないな。エドワーズは1曲、お茶目に歌う。それ、スタッフのアルバムに入っていたっけ?

 終盤、デュプリーがリクエストはとかMCをしていると、奥からマネージャーだろうおばさんが「ウォッチング・ザ・リヴァー・フロウで、とっとと締めなさいよ」みたいな感じの声をあげる。無視して、また少し話した後、ボブ・ディラン曲だよと言って、ザ・ガッド・ギャングの定番曲だった、その「ウォッチング・ザ・リヴァー・フロウ」を悠々演奏。熱い拍手。それでおしまいかなと思ったら、デュプリーは声援に応えるようにもう一曲演奏しようとし……そしたら、また件の女性が「なにやろうとしてんの。ケツかっちんの時刻を8分も過ぎてるんだから、もう駄目よ」とか、わめく。が、彼はそんなこと知るかといった感じ(にやりと腕時計を見たりも)で、やはりザ・ガッド・ギャングでやっていたザ・クルセイダーズ(2005年3月8日)がオリジナルの「ウェイ・バック・ホーム」を、まさにクロージングのテーマ曲のようにおおらかに演奏しはじめる。その瞬間におばさん、「オー・マイ・ガッド」と嘆く。あはは、最高。客が喜んでくれるならオイラはそれに応える、といったような澄んだ音楽家侠気をぼくはそこにおおいに見ちゃったナ。素晴らしい! でも、楽屋に戻り、彼は怖いマネージャーにこってりしぼられたんじゃないだろうか(←でも、暖簾に腕押し、かな)。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 ア・フィレッタはフランスのコルシカ島の、驚異のアカペラの男性コーラス・グループ。銀座・王子ホール。PAなしで、生声勝負のパフォーマンスなり。公演終了後、音楽作りもしている論客同業先輩が、「ヌスラットを聞いたとき以来の衝撃。こんなプログレ、聞いたことない」と、コドモのように感嘆しまくっている。

 地中海に浮かぶコルシカ島はフランスに属しつつも、独自の言葉を持つことに顕われているように、我が道を行く文化や流儀やツっぱりを持つそうで、島のアイデンティティ復興の機運とともに、同地で育まれてきたポリフォニーなヴォーカル表現をちゃんとやろうという流れが出てきたのだとか。その代表格である彼らは78年の結成、プロとしてやるようになって、10数年たつそうだ。リーダーのジャン・クロウド・アクアヴィヴァは40代半ば、結成時は13歳だったそうで、多くのメンバーは25年以上やっているという。

 ステージ上には、黒いシャツと黒いパンツで固めたおっさんとあんちゃん(←まさしく、そういう風情。ちゃんと音楽教育を受けた人はいないそう)が7人。彼らは思うままに重なり、流動性の高い肉声表現を自在に送り出す。なぜ、男性だけ? それはコルシカのコーラス表現の伝統だそうで、労働歌を歌っていた側面もあるし、男性だけのほうがすっきり幅が出るから、みたいなクロウドさんの答え。あなたたちの表現は癒しを与えたり、ときには刺激とともに導きを与えるようなところもある、聖職者が男性であるように、だから男性だけで歌われるのかと思ったと質問を続けると、「ああ、それもある。宗教歌流れの曲もあるしね」

 ちらしを見れば、この晩歌われた曲の多くはオリジナル曲で、それがなんともとりとめもなく自在に変化していく感覚を持つのだが、彼らはちゃんと道は見えていると言った感じで重なり(それ、おいしい紋様を描くような感じもあったか)、メロディ的にもテンポ的にも展開が読めない曲を完成させていく。スパっと終わるのも不思議。クロウドが言うには、かなり即興性を持つものだそうで、今はPC(楽譜に基づいて音を出すソフト)を使いメンバーは曲を覚えたりもするそうで、それを言ったあと、クロウドは我々の幻想をぶちこわすような真実を言っちゃったネと笑う。あと、グルジアのコーラス表現との偶然の相似性について、彼は強調していたナ。なんでも、同地に行くと、気候も似ていて地元にいるみたいに寛げるそうだ。

 コーラスはときに音叉やハーモニカで音を取ったあと、始められたりも。選抜隊3人で歌われる曲もあった。メンバーが自分の声の音程を把握しやすくするため、耳に手を当て歌う場合が多く、リーダーのクロウドは両手を広げて、時には指揮をするように歌う。その彼のポーズは祈りという言葉を想起させ、絵になるもので、なんか俳優みたいだとも思わせる。男性コーラスやっているとコルシカではモテたりするんですかと聞くと、いやカッコいい奴に負けちゃう(笑い)、との返事でした。なお、いま積極的に外の人たちともいろいろ絡むようにしている彼らは国外向けと島向けとで演目を変えているそう。取材はソトコト誌記事用にやったが、いろんなNPOにも関与しているクロウドは雑誌の内容を喜んでいました。

 そして、六本木・ビルボードライブ東京に移動。数々のソウル曲を書いた南部のリジェンダリーな名ソングライター(41年、アラバマ州生まれ)のショウ。エルヴィス・プレスリーをはじめメンフィスでいろんな人をサポートしている鍵盤奏者(ハービー・マンの『メンフィス・アンダーグラウンド』にも参加)を伴ってのもの。その痩身エモンズさん、終始ニコニコしていて、いい味ふりまく。

 主役のペンはずんぐりむっくり体系というのはともかく、ジーンズのオーヴァーオールを着用。おお、オーヴァーオールを身につけた人をほんとうにしばらくぶりに見たゾ。で、アコースティック・ギターを爪弾きながら、彼は歌うのだが、朗々としていて、声明瞭。先日のジョン・フォガティ(7月31日)もそうだが、じじいたち余裕で矍鑠としているなー。そんな彼に、エモンズは簡素な音色を持つキーボード演奏で地味に寄り添う。

 オーティス・レディング、ジェイムズ・カー、アレックス・チルトン他、曲の説明にはそうそうたる名前が次々に出てくる。簡素なアコースティック伴奏であるためもあり、ソウル・マン提供曲を歌ってもそれほどソウルっぽい感じはないが、年輪はじわーんと広がる。一部は声量のあるエリック・クラプトン(2006年11月20日)なんて思わせるところもあった。蛇足だが、ECの新作はカヴァー主体のとても枯れたアルバムで、スタンダードの「枯葉」を気色悪くキブンだしてやっていたりもする。ライ・クーダーが昔カヴァーしていた曲等もやり、ある意味、ルーツィな米国白人の襞のようなものを解き放っていたところもあったか。

 出てきたとたん、この人にはかなわないと、なんか皮膚感覚で痛感しちゃったナ。

 アルゼンチンのシンガー・ソングライター、と、書いてしまっていいのかな。だって、そういう一般的な言葉で括っちゃうのが申し訳ない、我が道を行くノリや世界観をあっさり出しているから。打楽器(時にエフェクターをかます)を叩きながら歌う……と、書くと、なんともアレだが、それで、アルゼンチンの伝統と翔んでる先鋭感覚をメビウスの環の上で同居させたような、澄んだ肉体的表現をずばり送り出してしまう人。言葉を超えた、驚異のヴァイブあり。それは聞く者の息を飲ませたり、別の所に連れて行ったり。そんな彼女は、ときにはチャランゴを弾きながら歌ったりもした。また、一部は日本在住だろうアルゼンチン人アーティストが二人、それぞれギターで重なる(うち、一人はアリエル・アッセルボーン)。

 彼女はほぼ完璧な発音で、「上を向いて歩こう」をフルで歌ったりもした。なんでも、彼女はこの歌をアフリカで教わったらしい。←おお、一番インターナショナルな、日本のポップ曲。また、曲間でも、彼女はこれが私の呼吸の仕方なのと言うかのように、淡いメロディを口ずさんでいたりも。その風情が良い。とかなんとか、いろんな意味で規格外であり、なんかすげえ自分の領域を持っている音楽のムシなり。アルゼンチン、やっぱすごいよー(10月中旬には、これまた注目のカルロス・アギーレの初来日公演がある)。ここからそんなに遠くない某所で早起きのニューヨーカーに電話インタヴューしなきゃいけなくて、本編のみで退出しなければならなかったのは残念。アンコールはどんな世界が展開されたのか。南青山・マンダラ。

 前に来日したとき(2007年11月21日)、あまりの生理的ヘヴィネスと闊達さでぼくが降参したルバルカバのクインテットがまた来日した。前回時はすでに同じ設定による『アヴァター』を録音済みで、新作を引っさげてのもの(と、言いつつ、世界的に発表前であったが。来日時にインタヴューしたら、録音後のツアーで一段と集団表現に磨きがかかってきて、本当はツアーが一段落してから新作を撮りたかったアということも言っていた)だったが、ルバルカバはあれ以来、ずっと在籍しているブルーノートからアルバムをリリースしていない。

 今回のクインテットはピアノの当人に加え、ヨスバニー・テリー(アルト・サックス、ソプラノ・サックス、鳴りもの)、アヴィシャイ・コーエン(トランペット)、ジュニオール・テリー(ベース)、マーカス・ギルモア(ドラム)という顔ぶれ。前回のクインテットとは、トランぺッターとベーシストが変わっている。トランペット奏者はもちろん同姓同名のベーシスト(2006年5月17日)とは異人(でも、ともにイスラエル出身)で、ヨスバニ・テリーとは仲良しで、お互いのリーダー作に入り合っている。物凄く真摯で力量を必要とされるジャズということは前回と共通するものの、今回のクインテット演奏はまた別のところを向いていたところはあったんではないかな。

 アブストラクトさ/いい意味での難解さは今回も持つものの、ストレートさというかエネルギッシュさでは前回の方が上。ただし、前回はいわゆる新主流派(60年代に出てきた、フリー・ジャズ的局面も見た、覇気一杯のブラック・ジャズ)ノリを直裁になぞるところがあったものの、今回はもっと含みや微妙な集団構成美学が徹底されたものになっていて(ビートもより純粋な4ビートから離れようとする意思は強まっていた。なお、蛇足ながら、ラテン濃度はほぼゼロ)、ぼくはうっすら発汗しつつ、頭をたれた。曲のイントロなんかでの、ルバルカバのソロの指さばきは、粒立ちつつ綺麗。なるほど、1日だけソロでピアノを弾く日も設定されているが、聞きたいかもとちょい思う。←ライヴ三昧をずっと読んでいる人なら知っている人もいるかもしれないが、ずっとぼくはルバルカバを嫌い、評価していなかった。

 以上、丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。そして、南青山・ブルーノート東京に移動し、現在はLAに住むネオ・ソウル系実力派シンガーを見る。

 99年アルバム・デビューし、今年で40歳。あれれ、ぼくが良いわあと感激した前回公演(2005年11月25日)よりか、若く見えるし、何より痩せた。実力者ながら不遇をかこっていた感じもあったが、昨年にコンコード/スタックスとディールを持ったことと、それは関係あるか。でもって、ヘアスタイルは超ヤンキー調、と言いたくなるもの。バックは女性コーラス、キーボード、ベース、ドラム。みんな、20代かな。コーラスと鍵盤は相当なビッグ・ママ体系かつ姓が同じなので姉妹かもしれぬ。

 前回ほどの感激は覚えなかったが、触れてうれしいショウ。バック・コーラスのサラ・ウィリアムズは相当な実両者。純粋な歌のうまさだったら、エンダビより上と感じた。けっこうキャリアを重ねているはずのエンダビだが、なぜかMCの挟み方が下手。まあ、初々しいとも言えるかもしれないが。なお、彼女のショウは通常とちがい、1日1ショウ。そのため、会場はもうフルハウス。でもって、フルの長さのショウをやったはず。

 彼女たち(2009年2月13日、他)、おおいに進化しているな、と思った。それは演奏陣(今回はクレアの旦那を含む、男性3人による)がよりいろんな楽器を持ち替えするようになったことにも表れているし、クレア嬢のどこか清涼感を持つ小悪魔的ヴォイスの訴求力もそう。ぼくはアルバムに関しては昨年出た2作目よりデビュー作のほうが質が高いと感じていたけど、ライヴに触れながら、その感想をもう一度再検討したほうがいいのかとも感じた。……それ、まっとうな力に満ちていた実演であることの証左となりますね。

 初っぱなクレア嬢(すごい背中の空いたワンピースを来ていたナ)はウォッシュボードを首から下げて歌う。演目は半数以上は2作目から。でも、演奏にあたる人数も違うし、この場で新たに曲を開くワという感覚でギグを遂行していたのではないか。MCで東京が最後の晩で悲しいみたいなことを言っていたが、なるほど一歩退いた感じを持つ、その物腰は平均的なアメリカ人感覚からは慣れるものではあったよね。クロスビート誌のライヴ評(かなり、ほめると思う)を頼まれているので、このぐらいにしておく。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 行きの車中、届いて間もない、スティヴィー・ワンダーの3枚組ベスト盤をかける。気分、高まる。と思ったら、首都高もすいていて30分強で着いちゃう。もっと、聞きたかった? 以下、前日に続き印象に残ったアクトを羅列。

* バンド・オブ・ホーセズ シアトルの実直バンド。新作は結構チャート上位に入っているが、“英高米低”な日本のロック・リスナーの注目度はそれほどは高くないはずで、これはフェスだからこそ呼べたアクトで、フェスありがたや〜と思わずにはいられないか。さすが、整合感とじっくり感のある素朴ロックを送り出す。が、ずっと聞いていると、妙な真面目さ、遊びのなさに窮屈さを覚えたりも。それ、想定外。期待したほどではなかった。単独で来日したら、また見に行くと思うけど。*ホール:逆にぜんぜん期待していなかったのに、おお存在価値あるナと思ってしまったのは、おさわがせ女性ロッカーの彼女。なんか、力と存在感アリ。これがワタシよとどっかんと自分を出していく様はある種爽快でもあり、ロックはバカ者の粋がった音楽であるという側面を鮮やかに浮き上がらせていると思った。*ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブ 我が道を行くという部分においては、シスコの彼らもそう。*ヨンシー:シガー・ロス(2006年4月5日、他)のフロント・マン、ソロ作も素晴らしい出来だったが、ライヴも滅茶素晴らしい。美意識に富みまくり滋味に溢れているのに、こんなにもドキドキさせ、音楽をやる歓びにあふれた実演をしちゃうとは。見せ方のいろんな工夫もピタリとはまる。全てにおいて、素晴らしかった。今年の、ワタシのサマーソニックのベスト・アクト。→日経新聞に書いたライヴ評には、彼のカラー写真が使われていて、うれsee。*スティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日):いつも以上にメドレーが多かったが、ロック・ファンの前で自分を開かんとする意気あふれる。声も良く出ていた。

 今年は、また2日間開催。が、周辺駐車場は昨年よりは少しは混み具合は柔らかかったような。ビーチ・ステージは今年大きくなっていた。以下、印象に残ったアクトをさくっと書いておこう。

* リチャード・アッシュルロフト&ザ・ユナイテッド・ザ・ネイションズ・オブ・サウンド:元ザ・ヴァーヴのフロント・マン。アルバムはけっこう判り易い(ありがちな)コード進行の曲が並んでいてアレレと思うところもあったが、なんか憎めない。歌が前に出ていて、ロッカーとして正しい姿勢を感じさせられたかな。女性や黒人を含むバンドの感じも良。フェス的でもあると、言えるか。*ジェイ・Z:スタジアムのスタンドに座って開演を待っていると、ヴィジョンに数字表示が出る。それは1秒刻みで減っていって、ちょうど00:00になるとショウは開始。プリセット音とか照明とかすべてきっちりプログラムされていることがそれで判りますね。数年前の英ブラストンベリー出演に際して物議をかもした彼だが、パケージ度の高いパフォーマンス(格好やステージ美術などは黒と赤を基調とする)を堂々、披露。ま、それは“産業ラップ”という感想をひきださなくもないが、色彩感を伴う、プロのパフォーマンス。音はDJ音に生ドラム奏者が付いたりもした。

 90年代と00年代の米国ロック界の重要バンドにいた二人、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(2008年2月9日、他)のラッパーであるザック・デ・ラ・ロッチャとザ・マーズ・ヴォルタ(2002年4月7日、2004年1月7日、2006年11月21日、2008年6月18日)にいたジョン・テオドアが組んだユニットがワン・デイ・アズ・ア・ライオン。初来日となる今回は、そこに変調叩き込み激ロック・バンドのザ・ロウカストのキーボード奏者のジョーイ・カラムを加えたトリオにてのもので、フジ・ロックの中日に出演して以降ずっと滞日、この日が東京お披露目なる。会場で会った知人が、(明日から始まる)サマーソニックにも出ちゃえばいいのにと言っていたが、確かにそれはそれで面白い。代官山・ユニット。

 なるほどの、バンド。一声を聞いただけで彼と判るデ・ラ・ロッチャの声には甘酸っぱさとともに発汗できるし、セオドアのタイトで立体的なドラミングもうれしい。ま、それは予想どおりのものだったんだが、カラムの鍵盤音には生で触れていささか驚く。素っ気なく書くと、キーボードでギターで出すようなリフを弾き倒すとなるのだが、その通常のキーボードの演奏から逸脱した聞き味はおおいに個性と妙味あり。それは、明らかにロック・ラップという行き方に視点あるひねりと個性を与えていたのはまちがいない。

 10曲ぐらいやって、半数は新曲。演奏時間は50分弱だったか。3人だけのパフォーマンスで曲趣はけっこう似ていたりもするので、フレッシュに彼らを楽しむのには適切な長さであったかも。

 そして、移動。新宿・ピットイン。先のライヴが早く終わったので、予想していた以上に一杯見れて笑顔。フリー・ジャズも知る、信念を持ち開かれている米日の女性ピアニスト二人が共演する出し物。ピットインのステージには互い違いでグランド・ピアノが置かれる(この前後には、ピアノのデュオによる公演がここで4日間企画されたよう)。昨年には共演作『Under the Water』を出していたりもする両者が知り合うきっかけになったのは、80年代後期の藤井(2010年6月7日、他)の留学期とか。同じ年代で同じような背丈のピアニストの公演があるからと、師事していたポール・ブレイ(1999年6月1日)に誘われてメルフォードの公演を藤井は見に行ったのだそう。

 実はメルフォードにはインタヴューもしたのだが、少女ぽさも確実に残す、とってもほんわかした感じを持つ人でへええ。なんか、新しいこと、興味深いことを、日々コドモのように追っている、という感じもあったかな。ピアノは小さい頃からやっていたものの大学は理系学部を出て、その後やっぱしピアノよねと、我が道を進んできている人物だ。ミレニアム前後はインドに1年近く住んだそうで、なんとなくヒッピー的な資質をもつところもあるかも(だが、アメリカ人的な傍若無人なノリは皆無)。日本にも何度か来ているが、音楽抜きで遊びでということもあったらしい。格好は、白と黒でまとめた“森ガール”調、と言えなくもない? ずっとNYに住んでいるのかと思ったら、04年以降はカリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとっており、同地在住とか。

 ほぼ即興で、ピアノという楽器を手段に、気持ちを交錯しあう。ときに、ガンガンガンと鍵盤を鳴らすときもあるが、概してはメロディアスでしなやかな丁々発止の連鎖と説明できるか。二人とも鍵盤を押えるだけでなく、上部から直接弦をいじって音を出す局面も。その際、どうしてこんな音が出るのと思わせときもあった。2部ではまずメルフォードがソロでパフォーマンス。とっても弾き口が細やかなであるのも、過剰なアヴァンギャルド臭から離れさせているのだナと、了解。そして、藤井が加わり、さらには田村夏樹(トランペット)と大熊ワタル(クラリネット、ベース・クラリネット)が加わる。シカラムータ(2001年3月24日)を率いる大熊の生の姿に触れるのは本当に久しぶり。飄々と、フリー流儀演奏を繰り出す。4人でやったうちの1曲は周期的に各奏者が順繰りでサインを送り、みんなでそれを実践するという趣向。指4本の場合は“肉声をみんなで出し合う”というもの、だった。

 フジ・ロックにそれぞれ出ていたアクトがジョイントする公演、渋谷・クラブクアトロ。まず、エゴ・ラッピン(2009年8月8日、他)が出てきて、40分ほど(だったけかな)管楽器を擁する設定で、じわり自分たちの持ち味を開く。中納良恵(2009年11月1日)はいつ見ても、眩しいぐらいまっすぐ。そして、モリアーティ(2010年7月31日、他)の出番だが、ローズマリーは浴衣を着て登場(途中で、普通の格好に戻ったが、着替えの早いこと)。先のフジ・ロックの項で書いたことと同様の乗りだが、本人たちが本当に楽しんでやっていることもあり、フレッシュ度や訴求力は続けざまに見ても全然減じない。この晩はこの後にももう一本ありで、後ろ髪ひかれつつ、途中で抜ける。

 そして、六本木・ビルボードライブ東京へ。ニューオーリンズのマルディグラ・インディアンのりを全面に出す、すでに40年近い積み重ねを持つファンキー集団の出演、セカンド・ショウ。

 のっけの30分は、ニューオーリンズ在住で90年代中期からザ・ワイルド・マグノリアス(2007年2月3日、他)に加入した山岸潤史(2009年5月19日、他)を中心とするインスト・バート。フレディ・キングの弟ベニー・ターナー(2007年2月3日)を日本の聞き手にちゃんと紹介したいという気持ちが山岸にはあったようで、ターナーもそれにこたえて中央に出てきて、がんがんベースを弾いたが、かなりショウマンシップに長けていて、ほう。山岸もブルース・ギターをぎんぎん鳴らす。

 そして、それ以後は、マグノリアスのショウ。そこから、1時間はやったよな。セカンド・ライン調ビート(だったけかな?)に乗って、マルディグラ・インディアンの派手な衣装を身にまとった3人が登場、あれれ、その衣装が新しい感じのもので新調したかな。その3人はそこそこ若そう、07年にニューオーリンズで見たときはボー・ドリスがいたはずだが、もともと健康上の不安もあり、今は離れたようだ。基本リード・ヴォーカルはパーカッション奏者が取り、フロントの3人はかけ声やタンバリンでの盛り上げ役。コーラスは皆でとって、盛り上げる。おそらくいまだミュージカル・ディレクターを勤めているだろう山岸は要所を締める。キーボードは前回見たときと同様にニューオーリンズ在住の小牧恵子(音大の電子オルガン科出ているんだってね)、ドラマーは入って間もないようだ。マルディグラのパレード(2007年2月3日)の習わしにならい、彼らはニューオーリンズ仕様ビーズや玩具(それらは、とっても他愛ないもの〜同地の土産物屋でも安価で売っている〜だが、縁起物ですね)をほいほいと投げて配る。あー、やっぱニューオーリンズ。

 ただ、山盛りすぎるというか、焦点ちりがち。それなら、山岸潤史プレゼンツNOLA(現地で良く用いられる、ニューオーリンズの略称。LAはルイジアナ州のこと)てな感じの打ち出しでやったほうがすっきりするのではないか。いや、パパ・グロウズ・ファンク(2009年7月27日、他)とか、マーヴァ・ライトとか、その他とかいれて、大々的にそういう出し物を日本でやるのはアリなんじゃないかと思う。フジのオレンジ・コートの丸半日がそんな感じで、ニューオーリンズ“ガンボ”デイとか、なんないかな〜。

< 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 >