清水靖晃&サキソフォネッツ
2010年2月27日 音楽 今週はようやく気候が温み、ホっとする。それまで2月は、ほんと寒かったア。ながら、冬場は通常ずっと風邪ぎみ(でも、ズボラなんで医者に行こうかとは思わないが)だったりする私なのだが、今期は現在のところ一切風邪の症状とは無縁。うれしいが、どうして? どんどん、体力/抵抗力は下がっているはずなのに。が、クラシック仕様の会場/雰囲気のなかにいて、この日は見事に咳をごほごほしたくなる(いや、少しする)。錦糸町・すみだトリフォニーホール。
ジャズ、ポップ(CM曲で見せる、そっち方面のセンスはすごい)、クラシックなどいろんなジャンルを自在に横断しまくりのテナー・サックス奏者と各種サックス奏者4人が協調するユニット(2000年12月16日、2006年9月26日)の、バッハの「ゴルドベルク変奏曲」(18世紀に、チェンバロ演奏のために書かれたそう)をやりますという出し物。彼のサキソフォネッツは<バッハ曲をサックスのアンサンブルにて紐解き、それを開かれた場にて宙に溶けさせる>という名目を持っていたはずだが、この前みたときはバッハ/クラシックから離れ、いい意味で下世話(民謡的)な五音音階のメロディにのぞむユニットに移行していたはずなのだが、ここではまた前のノリを出す。小パンフを見たら、この会場は<ゴルドベルク変奏曲>をいろんな人が演奏するシリーズを打っているようなので、会場の求めに従い、今回は再びバッハ曲に立ち戻ったのかもしれない。
が、そこは清水のこと、一筋縄で行くはずもなく、クリエイティヴにかっとぶ。鍵盤用に書かれた楽曲をサックス群用に書き直すだけでなく、そこにさらに4人のコントラバス奏者の演奏を加えて(<5本のサクソフォンと4本のコントラバスによる>という、副題がつく)、250年以上も前につくられた曲を今の揺れや色彩感を持つものに持ってこようと、彼はする。編曲段階でかなり引き算したり足し算したり、ときには拡大解釈も加えてもいるようで、オリジナルよりも長目の演奏になったよう。冒頭は清水一人の即興演奏、2曲目から9人により、原曲に従い主題と30もの派生ヴァリエイションが提示されたわけだが、15個目が終わった時点で休憩が入った。
枠を定めない、高尚さと隣り合わせの、開放された音楽行為……。しかし、大学なぞに行かずに現場叩き上げである清水(元マライア。その所属事務所は、確かビーイング)が、芸大出の奏者たちを堂々掌握し、また普段クラシックを聞く人が多いだろう観衆を魅了していく様は愉快千万。うひひひ。
ジャズ、ポップ(CM曲で見せる、そっち方面のセンスはすごい)、クラシックなどいろんなジャンルを自在に横断しまくりのテナー・サックス奏者と各種サックス奏者4人が協調するユニット(2000年12月16日、2006年9月26日)の、バッハの「ゴルドベルク変奏曲」(18世紀に、チェンバロ演奏のために書かれたそう)をやりますという出し物。彼のサキソフォネッツは<バッハ曲をサックスのアンサンブルにて紐解き、それを開かれた場にて宙に溶けさせる>という名目を持っていたはずだが、この前みたときはバッハ/クラシックから離れ、いい意味で下世話(民謡的)な五音音階のメロディにのぞむユニットに移行していたはずなのだが、ここではまた前のノリを出す。小パンフを見たら、この会場は<ゴルドベルク変奏曲>をいろんな人が演奏するシリーズを打っているようなので、会場の求めに従い、今回は再びバッハ曲に立ち戻ったのかもしれない。
が、そこは清水のこと、一筋縄で行くはずもなく、クリエイティヴにかっとぶ。鍵盤用に書かれた楽曲をサックス群用に書き直すだけでなく、そこにさらに4人のコントラバス奏者の演奏を加えて(<5本のサクソフォンと4本のコントラバスによる>という、副題がつく)、250年以上も前につくられた曲を今の揺れや色彩感を持つものに持ってこようと、彼はする。編曲段階でかなり引き算したり足し算したり、ときには拡大解釈も加えてもいるようで、オリジナルよりも長目の演奏になったよう。冒頭は清水一人の即興演奏、2曲目から9人により、原曲に従い主題と30もの派生ヴァリエイションが提示されたわけだが、15個目が終わった時点で休憩が入った。
枠を定めない、高尚さと隣り合わせの、開放された音楽行為……。しかし、大学なぞに行かずに現場叩き上げである清水(元マライア。その所属事務所は、確かビーイング)が、芸大出の奏者たちを堂々掌握し、また普段クラシックを聞く人が多いだろう観衆を魅了していく様は愉快千万。うひひひ。
Shing02(歪曲バンド)、レ・ロマネスク、マイア・バルー
2010年2月25日 音楽 バルーをフロント・アクトに置く、複数の国と繋がりを持つ国際派の3つのアクトが出る興味深くも面白い出し物で、代官山・ユニット。ベースメント・ジャックス(2007年1月11日)のライヴとどっちに行こうかなと少し悩んだけど、こっちで正解と思ふ。
まず、LA在住の日本人ラッパーのShing02が登場。DJ、ヴァイオリン、キーボード、ウッド・べース、ドラムがサポート。独自のクールネスとさあっと清新な風とともに熱を散らすような感覚を持つ態度/フロウは格好良い。キーボードはエミ・マイヤー(2009年7月26日、他)で、途中で1曲フィーチャーされる。
この日はサブ・ステージが横に設けられていて、次はそこにパリ拠点の日本人仮装(王子とメイドを模しているよう)二人組のレ・ロマネスクが登場。チープな歌謡ポップ風打ち込みトラックに乗り、独自の妙味をもわもわ出すパフォーマンスをする。ほう、こんなん。もう10年近くもパリに住み、いまやフランスではトップに知られる日本人であり、活動範囲は欧州/米国に広がっているのだとか。MCはフランス語を茶化した日本語にて、バカじゃできねえなと感じさせますね。世界中に、オバカでクールで洒落の分かるオルタナ日本人像を広めてください。少し、越路姉妹(2009年10月12日、他)を想起させるところもあったか。
そして、ピエール・バルーと日本人の両親を持ち、現在は日本で活動するマイア・バルー(2009年7月26日)。ベースや打楽器二人に、なんとシアターブルックの佐藤タイジ(2005年2月15日、他)も入る編成にて、生理的にとても開かれているポップを展開。当人は、天衣無縫に歌をうたうだけでなく、フルートやギターやキーボードを弾くときも。なんでも出来るんだナ。妙な寸劇みたいなMCも含めて、スケールが違うという感じはひしひし。なんか、かなわねーと感じさせられます。
まず、LA在住の日本人ラッパーのShing02が登場。DJ、ヴァイオリン、キーボード、ウッド・べース、ドラムがサポート。独自のクールネスとさあっと清新な風とともに熱を散らすような感覚を持つ態度/フロウは格好良い。キーボードはエミ・マイヤー(2009年7月26日、他)で、途中で1曲フィーチャーされる。
この日はサブ・ステージが横に設けられていて、次はそこにパリ拠点の日本人仮装(王子とメイドを模しているよう)二人組のレ・ロマネスクが登場。チープな歌謡ポップ風打ち込みトラックに乗り、独自の妙味をもわもわ出すパフォーマンスをする。ほう、こんなん。もう10年近くもパリに住み、いまやフランスではトップに知られる日本人であり、活動範囲は欧州/米国に広がっているのだとか。MCはフランス語を茶化した日本語にて、バカじゃできねえなと感じさせますね。世界中に、オバカでクールで洒落の分かるオルタナ日本人像を広めてください。少し、越路姉妹(2009年10月12日、他)を想起させるところもあったか。
そして、ピエール・バルーと日本人の両親を持ち、現在は日本で活動するマイア・バルー(2009年7月26日)。ベースや打楽器二人に、なんとシアターブルックの佐藤タイジ(2005年2月15日、他)も入る編成にて、生理的にとても開かれているポップを展開。当人は、天衣無縫に歌をうたうだけでなく、フルートやギターやキーボードを弾くときも。なんでも出来るんだナ。妙な寸劇みたいなMCも含めて、スケールが違うという感じはひしひし。なんか、かなわねーと感じさせられます。
青山・プラッサオンゼ。ファースト・ショーだけ見たのだが、パンデイロのソロから始まった頭2曲のグルーヴィなバンド音の大きさにびっくり。おお、何度かここで見る彼女(2009年12月18日、他)の実演の印象からけっこう離れるじゃないか。その場合は、本人も即興性の強い歌い方で攻める。基本、固まった顔ぶれによるワーキング・バンドだし、日々笑顔とともに試みつつ、伸長しようとしているんだな。当たり前のことかもしれないが、確かなミュージシャンシップを感じました。
ハンク・ジョーンズ“ザ・グレイト・ジャズ・トリオ”。ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ
2010年2月22日 音楽 ハンク・ジョーンズ(2006年9月3日)の年齢は、91歳(1918年生まれ)ですぢゃ。わあ。でも、けっこう毎年来ているはずで、ほんとお元気。すごいな、その年齢ながら、飛行機で太平洋を横断するのが苦にならないとは。「機内で、退屈な映画を見れば大丈夫。すぐに、眠たくなるから」と、彼は言っているそうだが。とはいえ、いつ召されてもおかしくない年齢なわけで、ちょい前に飲んだときに彼の話になったことがあり、もう一度ちゃんと見ておきたいなという気持ちになった。ちなみに、彼の弟二人は、ともにハンクさん以上にジャズ史に名を残すと言えるかも(と、書くと、ハンク・ジョーンズのファンは怒るか)。ビッグ・バンド史に燦然と輝くサド・ジョーンズと、スーパー・ドラマーのエルヴィン・ジョーンズ。すでに、彼らは60代と70代で亡くなっている。
ブルーノート東京、ファースト・ショウ。まあ、切れやスピード感(で、もともと売っていた人ではないけれど)は減じているが、するりと枯れたフレイズを綴る。何か余韻のようなものが、そこから広がる。サイド・マンは、ベースがデイヴィッド・ウォン(2009年6月1日)で、ドラマーはリー・ピアソン。みんな正装、それもある種の風情を高める。ゆったりしたMCをするが、まだボケてもいないようだ。長身痩身の彼は歩行も、杖とかついていない。
その後、六本木・ビルボードライブ東京で、UKジャジー・ファンクの代表格バンド(1999年8月2日)を見る。デビュー以来代わらない高校時代からの仲間であるオリジナル・メンバー3人に、サポートのキーボード奏者をいれてのもの。そして、ヴォーカリストは最初の看板シンガーだったエンディア・ダヴェンポート。そこに、さらにバックグラウンド・ヴォーカルとして、日本人シンガーのMARUも加わる。MARUは昨年の彼らのUSツアーにも参加したとかで、いい感じでグループに溶け込む。ダヴェンポート→サイーダ・ギャレット→カーリーン・アンダーソン→ニコール・ルッソ(2002年5月28日)→ダヴェンポート、とリード・シンガーは一周したわけか……。俺、彼女たち全員にそれぞれインタヴューしている。とともに、90年代に2度ほどロンドンでも彼らのライヴを見ていたりして、ちょい近い気持ちを抱いてしまうバンドかもしれない。残念ながらダヴェンポート(いまだ、ニューオーリンズに住んでいるのかな?)の歌声は少し衰えていると感じる部分はあったものの、表現総体はUKらしさを感じさせるもので、R&B/ファンクの本場たるアメリカを大西洋の対岸から俯瞰できる特権を活かした表現をやりたいというメンバーたちの発言を思い出した。彼らの生演奏のうえでギャング・スターやクール・G・ラップらいろんなラッパーたちが乗るという体裁を持つ92 年デリシャス・ヴァイナル発『Heavy Rhyme Experience,Vol.1』は再評価されてもいいかもしれぬ。ザ・ブラック・キーズの同指針盤など、そういうの最近見られるし)、闊達なソウル表現は気分良し。ココロ踊る。
ブルーノート東京、ファースト・ショウ。まあ、切れやスピード感(で、もともと売っていた人ではないけれど)は減じているが、するりと枯れたフレイズを綴る。何か余韻のようなものが、そこから広がる。サイド・マンは、ベースがデイヴィッド・ウォン(2009年6月1日)で、ドラマーはリー・ピアソン。みんな正装、それもある種の風情を高める。ゆったりしたMCをするが、まだボケてもいないようだ。長身痩身の彼は歩行も、杖とかついていない。
その後、六本木・ビルボードライブ東京で、UKジャジー・ファンクの代表格バンド(1999年8月2日)を見る。デビュー以来代わらない高校時代からの仲間であるオリジナル・メンバー3人に、サポートのキーボード奏者をいれてのもの。そして、ヴォーカリストは最初の看板シンガーだったエンディア・ダヴェンポート。そこに、さらにバックグラウンド・ヴォーカルとして、日本人シンガーのMARUも加わる。MARUは昨年の彼らのUSツアーにも参加したとかで、いい感じでグループに溶け込む。ダヴェンポート→サイーダ・ギャレット→カーリーン・アンダーソン→ニコール・ルッソ(2002年5月28日)→ダヴェンポート、とリード・シンガーは一周したわけか……。俺、彼女たち全員にそれぞれインタヴューしている。とともに、90年代に2度ほどロンドンでも彼らのライヴを見ていたりして、ちょい近い気持ちを抱いてしまうバンドかもしれない。残念ながらダヴェンポート(いまだ、ニューオーリンズに住んでいるのかな?)の歌声は少し衰えていると感じる部分はあったものの、表現総体はUKらしさを感じさせるもので、R&B/ファンクの本場たるアメリカを大西洋の対岸から俯瞰できる特権を活かした表現をやりたいというメンバーたちの発言を思い出した。彼らの生演奏のうえでギャング・スターやクール・G・ラップらいろんなラッパーたちが乗るという体裁を持つ92 年デリシャス・ヴァイナル発『Heavy Rhyme Experience,Vol.1』は再評価されてもいいかもしれぬ。ザ・ブラック・キーズの同指針盤など、そういうの最近見られるし)、闊達なソウル表現は気分良し。ココロ踊る。
シカゴ。クランツ・カーロック・ルフェーヴル
2010年2月19日 音楽 シカゴはロックを聞きだした頃から、リアル・タイムに聞いたバンドだった。彼らはブラス・ロックと呼ばれた管セクション付きの大型バンドで、BS&Tとかチェイスとか同型の米国グループは他にもいたが、ちゃんとアルバムを買ったのは彼らだけ。とはいえ、ぼくがちゃんと聞き込んだのは5枚目の『シカゴⅤ』(72年)までで、そのあとはなぜかすうっと潮が退くように興味が失せてしまい、“その他”のバンドになってしまったわけだけど。そしたら、それと軌を一にするように音楽性がどんどん甘くなっていって、80年代に入るころには耳に入れたくない存在となってしまった。ではあるものの、その初期の男っぽく、ツっぱった音楽性のことを思うと、生理的に発汗するぐらいの愛着は今のぼくのなかにもしっかりとある。
そんな彼らは初期においては反体制的なイメージを鬼のように背負って活動をしていたわけだが、曲者音楽家が大挙出演した(ルー・リード、ボブ・ディラン、ランDMC、ルーベン・ブラデス、トニー・ウィリアムズ、デイヴィッド・ラフィン、エディ・ケンドリックス、ビッグ・ユース、ボーノ、ボニー・レイット、ジョーイ・ラモン、アフリカ・バンバータ、ボビー・ウォマック、ジョージ・クリントン、ジミー・クリフ、元ミッドナイト・オイルで現在は“おクジラ様”な態度を横柄に取る豪州国務大臣のピーター・ギャレット、他)、南アの反アパルトヘイトを掲げた85年チャリティ・プロジェクト“サン・シティ”で反面教師的に非難の矢面に立たされたときにはびっくりしたっけ。それは、その名前を冠した白人用の象徴的娯楽施設に彼らが出演していたためで、リトル・スティーヴン主導の同曲の決めのリフレインは"Ain’t Gonna Play Sun City!“だった。ちなみに、その曲はアフリカ風味もまぶしたヒップホップ・ロックの傑作(クリップは、ジョナサン・デミやゴドリー&クリームらが監督)で、「ウィ・アー・ザ・ワールド」やボブ・ゲドルフ主導の「ドゥ・セイ・ノウ・イッツ・クリスマス」と当時相次いた有名人満載チャリティー・ソングのなか、ぼくは「サン・シティ」がダントツで好きだった。
有楽町・東京国際フォーラムのホールA。翌日も行われるが、けっこう入っている。笑っちゃうぐらいに、中年越えの人だらけ。オヤジだけでなくオバハンも目に付き、女性からも受けたバンドであるのを認知する。71、72、73年と連続して日本ツアーを行い、東京公演は必ず日本武道館で、初期の日本ロック興行史のなかではトップに大きな存在であったろうバンド。72年の時は、NYカーネギー・ホールでの4枚組の実況盤を出したばかりなのに、日本では2枚組『ライヴ・イン・ジャパン』としてまとめられ、それは遅れて海外でもリリースされた。故テリー・キャスのギター音のチューニングが甘くて少し気持ち悪いそこには、2曲の日本語ヴァージョンが納められていた。この晩もさっそく、2曲目に愛想良く、彼らは日本語版曲(「クエスチョンズ67&68」だったか)を決める。彼らは、かつてもっとも日本にフレンドリーなロック・バンドでもあったのですね。
ロバート・ラム(ピアノ、ヴォーカル)と3人の管楽器奏者がオリジナル・メンバー(という触れ込みだったようだが、サックス/フルート奏者は少し若目に見えたので、新参かな)。他に、ベース/歌、ギター/歌、キーボード/歌、ドラム、パーカッションという、9人編成によるもの。ステージの両側には大きなヴィジョンが置かれ、メンバーの表情/仕草は手に取るように分かる。で、驚いたのは、歌う人は皆ヘッド・セットのマイクを使用し、ブラス陣はワイヤレスのピックアップをつけていて、かなり動いてパフォーマンスすること。じいさん&おじさんたち、意気軒昂。ノースリーブの上着を着たトロンボーンのジェイムズ・パンコウは特に張り切りまくって動き、見栄を切る(前夜は、遅くまでホテルのバーで飲んでいてぐだぐだになっていたらしいが)。ほう。やはり、ホーン音の絡みは好アレンジのもと良好、ときに取った各ソロは確か。本当に、鍛錬された奏者が意気をもって結成したバンドであることが、改めて分かる。当初からブラス・アレンジも担当したパンコウは当時の全米の大学ビッグ・バンド在籍のトロンボーン奏者のなかピカ一の存在ですぐにジャズ・マンとしても活躍できる、なんて紹介のされかたもしたと記憶するが、それもありなん。
1時間45分ほどのパフォーマンス、演奏曲の半分ぐらいは知っていたので、やはり初期曲比率は高かったんじゃないか。うれしい。一番、リード・ヴォーカルを取る比率が高かったのはベーシスト。ハイ・トーンで歌う人で、彼はオリジナル・ベース奏者のピーター・セテラのノリを踏襲する。だが、ベースの指さばきは普通で、それは残念。実は、セテラはベーシストとしては、ポール・マッカートニーの演奏スタイルを最大級に引き継いでいた人。コードの分解に終わらず、ちゃんとメロディと曲調を読んで手数多くメロディアスなフレイズを置いていた彼は、とても秀逸なロック・ベーシストだったと思う。
そんな部分にも表れているように、ジャズ流れのインスト部に力を入れるだけでなく、ザ・ビートルズから受けたようなポップ性も一部では持つバンドであったし、だからこそコーラスに力を入れた曲もあり、曲種に合わせて複数のリード・シンガーを自在に使い分けたりも、彼らはした。それを活かして対話調の曲を作ったときもあったし、集会音を巧みにコラージュした曲を作ったこともあったし(政治的な意識をリアルに表明するために用いたその指針は、チャーリー・ヘイデンのリベレイション・ミュージック・オーケストラ第一作の行き方と重なり、まさに時期も重なった;2001年11月20日参照)、野心的な長尺曲を披露したこともあるなど、あまりにどん欲にいろんな表現に邁進していたバンド。やはり、娯楽性にも長けたこの晩のパフォーマンスに触れてぼくが感じたのは、そんな燦然と輝く事実であったのは間違いない。やはり彼らは、ロックという表現の定型がきっちりと出来上がらず、自分たちならではのロックを作り出すゾと意欲たっぷりにいろんな事に担い手が臨めた時代(彼らは、69年アルバム・デビュー)の旗手であった! だが、そんな彼らも、70年代中盤を超えると開拓/挑戦することを止め徐々に所謂AORという枠型に自分たちの表現を停滞させることを求めてしまう。……それゆえ、ぼくは彼らを見限ったんだナ、とも、ちんたらした曲もやる今のシカゴのパフォーマンスに触れつつ、再確認した。
終盤、有名曲「サタディ・イン・ザ・パーク」のとき、ラムはなんとショルダー・キーボードを手に前に出てきて歌う。ピアノ・ポップの傑作ながら、途中から風と広がりを持つ、本当良くできた曲。1999年7月31日に記しているように、鮮やかな情景を蘇らせる力を持つ曲でもある。一緒に口ずさめてうれしー。やっぱ、素敵なヴァリエイションや表情や曲をいろいろと持つ大グループ、機会が許せばまた見たいな。
その後は、道路を挟んで位置する丸の内・コットンクラブに流れて、在NYのインストゥメンタル奏者の名前が連記された、昨年に同名義のアルバムを出してもいるトリオの実演を見る。90年代は独エンヤ・レーベルからリーダー作を出していたウェイン・クランツ(ギター)、再結成後のスティーリー・ダン(2000年5月15日)に関与しているキース・カーロック(ドラム)、この3人の中では一番フュージョン色の強いセッションに関わっているティム・ルフェーブル(ベース)という内訳。カーロックとルフェーブルはラダーというギターレス/サックス付き4人組(一部で、ポストMM&Wという評も受けているようだ)を組んでいたりもしますね。3人ともトホホなほど普段着、リズム隊は譜面を前にする。
けっこう熱心なファンがいるようで、拍手/反応はそこそこ受けている。で、3人は辛口フュージョンというよりは、パワー・ジャズと言ったほうが適切と思える演奏を繰り広げる。そう思わせるのは、ちゃんとリアルな対話があったためであり、カーロックが笑っちゃうぐらいに叩き込み型の演奏に終始していたため(グルーヴはあまり感じなかったが、このリズムの上にジェイムズ・ウルマーが乗ってもそんなに違和感ないかもと感じた局面もアリ)。1曲ぐらい、ゆったりした曲をやるのかと思ったら、全部その路線。バラード嫌いのぼくは、おおいに拍手! オープナーはかなり仕掛けに凝った曲でもあり、それは個性あり。それ以降は、もう少し1発っぽい曲をやっていたが。また、1曲だけ、テーマ部でクランツは少し歌った。1曲15分ぐらいの尺で、1時間半演奏。
そんな彼らは初期においては反体制的なイメージを鬼のように背負って活動をしていたわけだが、曲者音楽家が大挙出演した(ルー・リード、ボブ・ディラン、ランDMC、ルーベン・ブラデス、トニー・ウィリアムズ、デイヴィッド・ラフィン、エディ・ケンドリックス、ビッグ・ユース、ボーノ、ボニー・レイット、ジョーイ・ラモン、アフリカ・バンバータ、ボビー・ウォマック、ジョージ・クリントン、ジミー・クリフ、元ミッドナイト・オイルで現在は“おクジラ様”な態度を横柄に取る豪州国務大臣のピーター・ギャレット、他)、南アの反アパルトヘイトを掲げた85年チャリティ・プロジェクト“サン・シティ”で反面教師的に非難の矢面に立たされたときにはびっくりしたっけ。それは、その名前を冠した白人用の象徴的娯楽施設に彼らが出演していたためで、リトル・スティーヴン主導の同曲の決めのリフレインは"Ain’t Gonna Play Sun City!“だった。ちなみに、その曲はアフリカ風味もまぶしたヒップホップ・ロックの傑作(クリップは、ジョナサン・デミやゴドリー&クリームらが監督)で、「ウィ・アー・ザ・ワールド」やボブ・ゲドルフ主導の「ドゥ・セイ・ノウ・イッツ・クリスマス」と当時相次いた有名人満載チャリティー・ソングのなか、ぼくは「サン・シティ」がダントツで好きだった。
有楽町・東京国際フォーラムのホールA。翌日も行われるが、けっこう入っている。笑っちゃうぐらいに、中年越えの人だらけ。オヤジだけでなくオバハンも目に付き、女性からも受けたバンドであるのを認知する。71、72、73年と連続して日本ツアーを行い、東京公演は必ず日本武道館で、初期の日本ロック興行史のなかではトップに大きな存在であったろうバンド。72年の時は、NYカーネギー・ホールでの4枚組の実況盤を出したばかりなのに、日本では2枚組『ライヴ・イン・ジャパン』としてまとめられ、それは遅れて海外でもリリースされた。故テリー・キャスのギター音のチューニングが甘くて少し気持ち悪いそこには、2曲の日本語ヴァージョンが納められていた。この晩もさっそく、2曲目に愛想良く、彼らは日本語版曲(「クエスチョンズ67&68」だったか)を決める。彼らは、かつてもっとも日本にフレンドリーなロック・バンドでもあったのですね。
ロバート・ラム(ピアノ、ヴォーカル)と3人の管楽器奏者がオリジナル・メンバー(という触れ込みだったようだが、サックス/フルート奏者は少し若目に見えたので、新参かな)。他に、ベース/歌、ギター/歌、キーボード/歌、ドラム、パーカッションという、9人編成によるもの。ステージの両側には大きなヴィジョンが置かれ、メンバーの表情/仕草は手に取るように分かる。で、驚いたのは、歌う人は皆ヘッド・セットのマイクを使用し、ブラス陣はワイヤレスのピックアップをつけていて、かなり動いてパフォーマンスすること。じいさん&おじさんたち、意気軒昂。ノースリーブの上着を着たトロンボーンのジェイムズ・パンコウは特に張り切りまくって動き、見栄を切る(前夜は、遅くまでホテルのバーで飲んでいてぐだぐだになっていたらしいが)。ほう。やはり、ホーン音の絡みは好アレンジのもと良好、ときに取った各ソロは確か。本当に、鍛錬された奏者が意気をもって結成したバンドであることが、改めて分かる。当初からブラス・アレンジも担当したパンコウは当時の全米の大学ビッグ・バンド在籍のトロンボーン奏者のなかピカ一の存在ですぐにジャズ・マンとしても活躍できる、なんて紹介のされかたもしたと記憶するが、それもありなん。
1時間45分ほどのパフォーマンス、演奏曲の半分ぐらいは知っていたので、やはり初期曲比率は高かったんじゃないか。うれしい。一番、リード・ヴォーカルを取る比率が高かったのはベーシスト。ハイ・トーンで歌う人で、彼はオリジナル・ベース奏者のピーター・セテラのノリを踏襲する。だが、ベースの指さばきは普通で、それは残念。実は、セテラはベーシストとしては、ポール・マッカートニーの演奏スタイルを最大級に引き継いでいた人。コードの分解に終わらず、ちゃんとメロディと曲調を読んで手数多くメロディアスなフレイズを置いていた彼は、とても秀逸なロック・ベーシストだったと思う。
そんな部分にも表れているように、ジャズ流れのインスト部に力を入れるだけでなく、ザ・ビートルズから受けたようなポップ性も一部では持つバンドであったし、だからこそコーラスに力を入れた曲もあり、曲種に合わせて複数のリード・シンガーを自在に使い分けたりも、彼らはした。それを活かして対話調の曲を作ったときもあったし、集会音を巧みにコラージュした曲を作ったこともあったし(政治的な意識をリアルに表明するために用いたその指針は、チャーリー・ヘイデンのリベレイション・ミュージック・オーケストラ第一作の行き方と重なり、まさに時期も重なった;2001年11月20日参照)、野心的な長尺曲を披露したこともあるなど、あまりにどん欲にいろんな表現に邁進していたバンド。やはり、娯楽性にも長けたこの晩のパフォーマンスに触れてぼくが感じたのは、そんな燦然と輝く事実であったのは間違いない。やはり彼らは、ロックという表現の定型がきっちりと出来上がらず、自分たちならではのロックを作り出すゾと意欲たっぷりにいろんな事に担い手が臨めた時代(彼らは、69年アルバム・デビュー)の旗手であった! だが、そんな彼らも、70年代中盤を超えると開拓/挑戦することを止め徐々に所謂AORという枠型に自分たちの表現を停滞させることを求めてしまう。……それゆえ、ぼくは彼らを見限ったんだナ、とも、ちんたらした曲もやる今のシカゴのパフォーマンスに触れつつ、再確認した。
終盤、有名曲「サタディ・イン・ザ・パーク」のとき、ラムはなんとショルダー・キーボードを手に前に出てきて歌う。ピアノ・ポップの傑作ながら、途中から風と広がりを持つ、本当良くできた曲。1999年7月31日に記しているように、鮮やかな情景を蘇らせる力を持つ曲でもある。一緒に口ずさめてうれしー。やっぱ、素敵なヴァリエイションや表情や曲をいろいろと持つ大グループ、機会が許せばまた見たいな。
その後は、道路を挟んで位置する丸の内・コットンクラブに流れて、在NYのインストゥメンタル奏者の名前が連記された、昨年に同名義のアルバムを出してもいるトリオの実演を見る。90年代は独エンヤ・レーベルからリーダー作を出していたウェイン・クランツ(ギター)、再結成後のスティーリー・ダン(2000年5月15日)に関与しているキース・カーロック(ドラム)、この3人の中では一番フュージョン色の強いセッションに関わっているティム・ルフェーブル(ベース)という内訳。カーロックとルフェーブルはラダーというギターレス/サックス付き4人組(一部で、ポストMM&Wという評も受けているようだ)を組んでいたりもしますね。3人ともトホホなほど普段着、リズム隊は譜面を前にする。
けっこう熱心なファンがいるようで、拍手/反応はそこそこ受けている。で、3人は辛口フュージョンというよりは、パワー・ジャズと言ったほうが適切と思える演奏を繰り広げる。そう思わせるのは、ちゃんとリアルな対話があったためであり、カーロックが笑っちゃうぐらいに叩き込み型の演奏に終始していたため(グルーヴはあまり感じなかったが、このリズムの上にジェイムズ・ウルマーが乗ってもそんなに違和感ないかもと感じた局面もアリ)。1曲ぐらい、ゆったりした曲をやるのかと思ったら、全部その路線。バラード嫌いのぼくは、おおいに拍手! オープナーはかなり仕掛けに凝った曲でもあり、それは個性あり。それ以降は、もう少し1発っぽい曲をやっていたが。また、1曲だけ、テーマ部でクランツは少し歌った。1曲15分ぐらいの尺で、1時間半演奏。
寒い。家から出るとき、なんか雪が降りそうで、傘を携帯する(翌日、午前中にクルマに乗ろうとしたら、フロント・ガラスに雪がそれなりに積もっていたア)。かつては、雪が降るとうれしくてうれしくてしょうがなかった。本当に犬のように外に出かけたくなったし、スタッドレス・タイヤ履きっぱなしのオフ・ロードの車に乗っていた(一時はスキーにハマっていたりもしました)ためもあり、ごんごん周辺ドライヴもしたなあ。が、今は車の車高も低くなったし、ぜんぜんうれしくない。迷惑千万、とも思っちゃう。わー、凄い変化。これも、歳をとった証拠かしら。シクシク。
ジャズ・ヴァイオリン奏者(2008年12月15日、他)の新作をフォロウするツアーの最終日、六本木・スイートベイジル139。で、そんな天候ながら、フル・ハウス。ちゃんと顧客を獲得しているな。ここは大昔、東風(トンプー)という小洒落た中華系レストラン(YMOの同名曲は、ここから来たハズ)があった場所だナなぞと、寒い寒いと心の中でこぼしつつ駅から会場に向かうとき、ふと思い出す。かつて、雪が降った日に行ったことがあったからか。六本木周辺は中華の店が多いという印象をぼくは持つが、昔たまに使っていたのは、鳥居坂ガーデン(けっこう、飯倉片町交差点より。それもだいぶ前になくなったな)にあった温室のような建物を用いたやはりお洒落な中華屋。なつかしいなあ。あの頃は、今ほどは飲んでなかったよなー。
なんて、昔のことを書きたくなったのは、牧山の演奏がそういうビターではない記憶を蘇らせるような、そしてその反すうを許すような、ふくよかなスウィートネスや誘いを持っていたからではないのか。クリヤマコト(ピアノ)、納浩一(縦ベース)、大槻英宣(ドラム)のサポートを受け手のもので、その設定のなかで、ヴァイオリンという楽器が抱える持ち味/世界観をうまく出していたとも書けるだろう。編成は純ジャズそのものだが、選曲や色づけはちょっとした工夫に富んだもので、それもうまく働いていたのか。演奏していたのは、自作曲やいろんな属性を持つ他人曲。スヌーピー(漫画「ピーナッツ」)・ソングの「ライナス・アンド・ルーシー」(作曲は、西海岸派ピアニストのヴィンス・グアラルディ。デイヴィッド・ベノアのヴァージョンが知られるか)がとってもいい曲なのを深く再認識。アンコールはゴスペル調で、第九の有名旋律を紐解く。意外に、合うんだなー。
ジャズ・ヴァイオリン奏者(2008年12月15日、他)の新作をフォロウするツアーの最終日、六本木・スイートベイジル139。で、そんな天候ながら、フル・ハウス。ちゃんと顧客を獲得しているな。ここは大昔、東風(トンプー)という小洒落た中華系レストラン(YMOの同名曲は、ここから来たハズ)があった場所だナなぞと、寒い寒いと心の中でこぼしつつ駅から会場に向かうとき、ふと思い出す。かつて、雪が降った日に行ったことがあったからか。六本木周辺は中華の店が多いという印象をぼくは持つが、昔たまに使っていたのは、鳥居坂ガーデン(けっこう、飯倉片町交差点より。それもだいぶ前になくなったな)にあった温室のような建物を用いたやはりお洒落な中華屋。なつかしいなあ。あの頃は、今ほどは飲んでなかったよなー。
なんて、昔のことを書きたくなったのは、牧山の演奏がそういうビターではない記憶を蘇らせるような、そしてその反すうを許すような、ふくよかなスウィートネスや誘いを持っていたからではないのか。クリヤマコト(ピアノ)、納浩一(縦ベース)、大槻英宣(ドラム)のサポートを受け手のもので、その設定のなかで、ヴァイオリンという楽器が抱える持ち味/世界観をうまく出していたとも書けるだろう。編成は純ジャズそのものだが、選曲や色づけはちょっとした工夫に富んだもので、それもうまく働いていたのか。演奏していたのは、自作曲やいろんな属性を持つ他人曲。スヌーピー(漫画「ピーナッツ」)・ソングの「ライナス・アンド・ルーシー」(作曲は、西海岸派ピアニストのヴィンス・グアラルディ。デイヴィッド・ベノアのヴァージョンが知られるか)がとってもいい曲なのを深く再認識。アンコールはゴスペル調で、第九の有名旋律を紐解く。意外に、合うんだなー。
メイシオ・パーカー・ウィズ・キャンディ・ダルファー
2010年2月16日 音楽 なんと、ファンク・サックスの人気者が一緒にやっちゃうという出し物。ダルファー(2009年5月11日、他)の最大の影響者はパーカー(2009年1月22日、他)であり、ともにプリンスのCDやツアーに関わり、それぞれのリーダー作にも客演しあっていたりもするので、な〜んも違和感は覚えませんね。で、見る者を絶対に笑顔にさせ、身体を揺らさせる、JB表現を下敷きとする熟達ファンキー表現/行為が繰り広げられた。100%保証付き、なんて言い方もしたくなるかな。バンドはパーカーのそれ(8人編成で、昨年来日時とまったく同じ顔ぶれ)で、全体の3分の2でキャンディは和気あいあいと加わる。火の出るようなアルト・サックス同士のブロウ合戦というのはあまりせず、歌やかけ声や身体の動作など総合的な協調で見せきった実演と言えるか。ダルファーはミニのワン・ピースで生足、やっぱ綺麗。そして、いい人そう。パーカーは一時期より若く見えるような。前半の「オン・ザ・フック」のときに騙し絵的にスライの「イン・タイム」を挿入してくれたのは、うれしかった。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。当然、フル・ハウス。会場を出たら、雪がちらついている。今年、何度目の東京の雪だろうか。なんだかんだ言って、今年の冬は寒目だ。
ザップ・フューチャリング・シャーリー・マードック
2010年2月11日 音楽 うひょ、こんなのアリ? と、書きたくなるぐらい、素敵なライヴだったな。
ブーツィ・コリンズ/ジョージ・クリントン(2009年9月5日、他)の後押しで出てきたオハイオの知恵と知識を持つ兄弟主体のファンク・バンドで、統帥ロジャー・トラウトマン(彼は音楽活動の傍ら地元のオハイオ州デイトンで、不動産とか建設とかタクシーといった会社を複合で経営していた。確か、トラウトマン・エンタープライズという名前だったはず)が生きていたころはM&Iの招聘で何度も来日し、冴えた得難い姿を見せていた。彼らは全盛期にザップとロジャーという二つの名前を用いて同志向のアルバムを送り出していたが、99年に兄のラリーがロジャーを射殺、グループは表舞台から消えてしまった(ように、ぼくは感じていた)。
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。最初スケジュールが発表されたときはシャーリー・マードック名義の公演で、それが途中からザップ・フューチャリング・シャーリー・マードックに変更になったと、ぼくは記憶しているが。マードックは80年代中期に同ファミリーが送り出した、女傑系シンガーだ。
まず、マードックが中央に立ち、2曲か3曲、バンドを従えて朗々と歌う。イエイ。もう、ゴスペル臭もたっぷりで、ぼくは彼女だけののショウだとしても、十分な満足を得たに違いない。が、すぐに、彼女とバンドは引っ込んでしまう(彼女はショウの最後のほうで出てきて、少しまた歌う)。そして、場内には音楽が流され一時休憩という感じになり、ステージ両端にはザップ系表現のトレイドマークでもあったトーク・ボックスが配置される(公演後、それを携帯で撮る人も次々)。お、ザップ公演のスタートだあという気になりますね。で、それからの1時間少し、もう山あり谷ありのショウ。黒人音楽の本質がメルティング・ポットで煮詰められたようなパフォーマンスは本当に夢のようだった。
ステージ上には多いときで8人いたはずで、トラウトマン姓は3人のよう。もう、彼らはステージに出たり下がったりで、自在のステージ運び。自由にフォーメイションを変え、いろんな踊りを見せ(お見事!)、本当に頻繁にきらびやかな服装を換える。彼らは一体、何着服を持ってきたのか。皆でアフロのカツラをかぶるときもあった。とにかく、見せる、聞かせる、楽しませる。鮮やか、すぎる! 同軌音も用いていたはずだが(80年代中期は、プリンスと並ぶエレクトロ・ファンクの旗手的存在として捉えられたこともあったのを、ぼくは思い出した)、演奏もまっとう、歌もおいしい。現役感、たっぷり。プロフェッショナル度数、高すぎ。で、その総体はザップ系表現の素晴らしさ全てを括るとともに、キャロ・キャブウェイ時代から現在までの黒人音楽妙味の流れを見事に鷲掴みにする。ほんと、すごすぎ。もしかして、ロジャーがいたころより、今のほうがいいんじゃないかなんても、興奮したアタマでぼくは思った。
案内された席がミュージシャンが出入りする通路の横で、それもまた気分が高まった要因にはなったかな。でも、そんなの抜きにして、極上のファンク・ショウだったのは間違いない。というわけで、今年のブラック系実演のベスト3の一つは、これに決定。もう、毎年きてほしい。切に、そう思う。
ブーツィ・コリンズ/ジョージ・クリントン(2009年9月5日、他)の後押しで出てきたオハイオの知恵と知識を持つ兄弟主体のファンク・バンドで、統帥ロジャー・トラウトマン(彼は音楽活動の傍ら地元のオハイオ州デイトンで、不動産とか建設とかタクシーといった会社を複合で経営していた。確か、トラウトマン・エンタープライズという名前だったはず)が生きていたころはM&Iの招聘で何度も来日し、冴えた得難い姿を見せていた。彼らは全盛期にザップとロジャーという二つの名前を用いて同志向のアルバムを送り出していたが、99年に兄のラリーがロジャーを射殺、グループは表舞台から消えてしまった(ように、ぼくは感じていた)。
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。最初スケジュールが発表されたときはシャーリー・マードック名義の公演で、それが途中からザップ・フューチャリング・シャーリー・マードックに変更になったと、ぼくは記憶しているが。マードックは80年代中期に同ファミリーが送り出した、女傑系シンガーだ。
まず、マードックが中央に立ち、2曲か3曲、バンドを従えて朗々と歌う。イエイ。もう、ゴスペル臭もたっぷりで、ぼくは彼女だけののショウだとしても、十分な満足を得たに違いない。が、すぐに、彼女とバンドは引っ込んでしまう(彼女はショウの最後のほうで出てきて、少しまた歌う)。そして、場内には音楽が流され一時休憩という感じになり、ステージ両端にはザップ系表現のトレイドマークでもあったトーク・ボックスが配置される(公演後、それを携帯で撮る人も次々)。お、ザップ公演のスタートだあという気になりますね。で、それからの1時間少し、もう山あり谷ありのショウ。黒人音楽の本質がメルティング・ポットで煮詰められたようなパフォーマンスは本当に夢のようだった。
ステージ上には多いときで8人いたはずで、トラウトマン姓は3人のよう。もう、彼らはステージに出たり下がったりで、自在のステージ運び。自由にフォーメイションを変え、いろんな踊りを見せ(お見事!)、本当に頻繁にきらびやかな服装を換える。彼らは一体、何着服を持ってきたのか。皆でアフロのカツラをかぶるときもあった。とにかく、見せる、聞かせる、楽しませる。鮮やか、すぎる! 同軌音も用いていたはずだが(80年代中期は、プリンスと並ぶエレクトロ・ファンクの旗手的存在として捉えられたこともあったのを、ぼくは思い出した)、演奏もまっとう、歌もおいしい。現役感、たっぷり。プロフェッショナル度数、高すぎ。で、その総体はザップ系表現の素晴らしさ全てを括るとともに、キャロ・キャブウェイ時代から現在までの黒人音楽妙味の流れを見事に鷲掴みにする。ほんと、すごすぎ。もしかして、ロジャーがいたころより、今のほうがいいんじゃないかなんても、興奮したアタマでぼくは思った。
案内された席がミュージシャンが出入りする通路の横で、それもまた気分が高まった要因にはなったかな。でも、そんなの抜きにして、極上のファンク・ショウだったのは間違いない。というわけで、今年のブラック系実演のベスト3の一つは、これに決定。もう、毎年きてほしい。切に、そう思う。
ダニエル・ジョンストン
2010年2月9日 音楽 一般的な正がすべてではない。。。。。。。。。61年生まれの米国人シンガー・ソングライター、ダニエル・ジョンストンはまさにそんなことを思わせる人。04年に出たトリビュート作にはベック(2009年3月24日、他)やザ・フレイミング・リップス(2006年8月12日、他)らいろんな人たちが参加し、ニルヴァーナの故カート・コベインもファンであったなど、文字通りのミュージシャンズ・ミュージシャンでもあるわけだが、久しぶりの来日公演となったこの日は早々にソールド・アウトであることが伝えられていた。場は、ラフォーレミュージアム原宿。普段は椅子付きで公演が行われることが多い会場だが、この日はスタンディングにて。
精神的な問題で入退院を繰り返していたなどとも過去言われているジョンストンだが、彼のサイトを見るとびっくりするほどツアー・スケジュールが組まれていて、この晩も機嫌良さそうな感じで登場。太っていて、外見はけっこうほのぼのとしている。そして、あまりいい音が出ない小さな電気ギターを手にし、か細い高めの声で歌いだす。歌もギターも心もとない。が、その不安定さが味というか、聞き手はそれこそがジョンストンの音楽だと、その“ほつれ”込みで表現を受け取る。客の反応はかなり温かく、ときに熱い。これが、無名の知らない人だったら、果たしてぼくは賛同できるのかとふと思いもしたけど、とにかく、その半端な歌と演奏の総体はするりと聞く者のなかに入ってきて、おおいに覚醒する。味あるナ、なんかいいゾと思えてしまう。やっぱ、ポピュラー・ミュージックのポイントなんて、いろいろですね。
ともあれ、間違いなく言えるのは、曲がいい、ということ。だからこその訴求力なのだとも感じる。途中、2曲はピアノの弾き語り。そう思う人は少なくないはずだが、ぼくはピアノを弾きながら歌うほうが好き。もう少し聞きたかった。
5分ほどの休憩を挟んで、数曲は友人のギタリストのバックで、さらに歌う。歌に力がもう少し入ったかな? ザ・ビートルズの「悲しみをぶっとばせ」やジョン・レノンの「ソリューション」も披露。彼の原点には、そういう存在があるのか。アンコールが終わり場内照明がついたあとにも、熱心な拍手に促されて、彼はもう一度登場した。
会場ではT-シャツとともに、イラストを描く事でも知られる彼の絵も販売していた。スケッチブックに軽い感じで描いたもので、それを1枚づつバラにしていて、1枚3.000円。その値段だったら買ってもいいよな。が、それに気付いたときは残り1枚で、それも売れた。本当にぼくは注意力がかけている(変なことには、良く気付いたりもするんだけどね)。
追記;販売していたのは、コピーというはなしも。
精神的な問題で入退院を繰り返していたなどとも過去言われているジョンストンだが、彼のサイトを見るとびっくりするほどツアー・スケジュールが組まれていて、この晩も機嫌良さそうな感じで登場。太っていて、外見はけっこうほのぼのとしている。そして、あまりいい音が出ない小さな電気ギターを手にし、か細い高めの声で歌いだす。歌もギターも心もとない。が、その不安定さが味というか、聞き手はそれこそがジョンストンの音楽だと、その“ほつれ”込みで表現を受け取る。客の反応はかなり温かく、ときに熱い。これが、無名の知らない人だったら、果たしてぼくは賛同できるのかとふと思いもしたけど、とにかく、その半端な歌と演奏の総体はするりと聞く者のなかに入ってきて、おおいに覚醒する。味あるナ、なんかいいゾと思えてしまう。やっぱ、ポピュラー・ミュージックのポイントなんて、いろいろですね。
ともあれ、間違いなく言えるのは、曲がいい、ということ。だからこその訴求力なのだとも感じる。途中、2曲はピアノの弾き語り。そう思う人は少なくないはずだが、ぼくはピアノを弾きながら歌うほうが好き。もう少し聞きたかった。
5分ほどの休憩を挟んで、数曲は友人のギタリストのバックで、さらに歌う。歌に力がもう少し入ったかな? ザ・ビートルズの「悲しみをぶっとばせ」やジョン・レノンの「ソリューション」も披露。彼の原点には、そういう存在があるのか。アンコールが終わり場内照明がついたあとにも、熱心な拍手に促されて、彼はもう一度登場した。
会場ではT-シャツとともに、イラストを描く事でも知られる彼の絵も販売していた。スケッチブックに軽い感じで描いたもので、それを1枚づつバラにしていて、1枚3.000円。その値段だったら買ってもいいよな。が、それに気付いたときは残り1枚で、それも売れた。本当にぼくは注意力がかけている(変なことには、良く気付いたりもするんだけどね)。
追記;販売していたのは、コピーというはなしも。
ジョアンナ・ニューサム。ブッカー・T・ジョーンズ
2010年2月8日 音楽 明るい場内に笑顔で出てきた彼女は、赤のノースリーブでミニの軽装ドレス。お、可愛い。なんか、キャピっとした風情も伝わってきて、それはどこか深読みを誘いもする音楽性とは相容れないもの。ブロンドですらりとした体躯、2階席からは相当にイケて見え、モデルですと聞いたら信じちゃうんじゃないか。なーんてことも、外見だけでうれしくなっちゃたぼくは思った。米国のハープを弾き語りする、通受けの20代シンガー・ソングライター。来月に出る彼女の新作、ドラッグ・シティ発『ハヴ・ワン・オン・ミー』はなんと大作3枚組だ。公演中、パフォーマンスをするのが嬉しくてしょうがないという感じを彼女は終始出していたが、純な“音楽のムシ”でもあるんだろうな。
会場は、早稲田の奉仕園スコットホールという所。キリスト教の施設で、クラシックなそこそこ古そうな、生理的な温かさも持つ煉瓦外装の教会でのパフォーマンス(だから、そこの設置照明の都合で、ステージだけではなく客席側も演奏中明るい。最初は少し戸惑ったけど、でも、それもいいナと思えた)。トイレは建物内にないそうだが、椅子は余裕を持って配置されてもいて、たまにポップ系公演が行われる品川教会(2003年11月27日、2006年5月31日、2007年8月29日)より、ぼくはこっちのほうがなんとなく好印象かも。そんな場所でやるこの日は追加公演(150人限定とのこと)で、ソロ・パフォーマンスという触れ込みだったけど、冒頭の2曲を一人でやったあとは、同行メンバーである弦楽器奏者(電気ギター、バンジョー、縦笛など)とドラマー(スティックは用いず、手かマレットでやんわりとアクセントを付けた)が出てきて、とても控え目に主役に寄り添う。前日の本公演はどうだったんだろ?
彼女が奏でるハープは、ぼくが身近に接しているスコティッシュ・ハープ(2005年2月1日、2008年11月9日、2009年12月6日)と比べるととても大きいと思わせる。これがクラシックで用いられるスタンダードな物なんだろうな。優美にして深淵、と言いたくなる音色が放出される。で、記憶の底にあるひっかかりを反芻するかのように、無数の弦音をたぐり寄せてゆったりと歌を乗せていく様はなるほど独自の味あり。それ、時代や固定した様式の狭間を飄々と泳ぎつつ、自分の足跡をイマジネイティヴに残していく、と言いたくなるものでもあるか。歌い込まれた感じもあるアルバムを聞くと、歌のテイストがビュークに近いと思ったりもするが、この晩のほんわかした歌い口と我の柔らかさに触れると、そうはあまり感じず。途中の数曲はハープから離れて、グランド・ピアノの弾き語りをする。そうなると、普遍性指数が上がる。フツーにいい、シンガー・ソングライターじゃないかと実感できる。とかなんとか、場の設定もあり、なかなか得難い公演ではないかという思いを得た。
そして、南青山・ブルーノート東京に向かい、南部ソウルのアイコンであるスタックス・レコードの屋台骨を担ったレジェンダリーなオルガン奏者である、ブッカー・T・ジョーンズ(2008年11月24日、2009年7月25日)の実演を見る。30代だろう東海岸出身の白人のギターとベース、西海岸出身の黒人のギターとドラマーがサポート。それ、昨年のフジ・ロック出演時と同じ顔ぶれということだが。グラミー賞のベスト・ポップ・インストゥルメンタル部門を受賞したロッキッシュなところもある『ポテト・ホール』(アンタイ)のりの演奏で、その新作曲や往年のMGズ/スタックス系ナンバーが送り出される。ギターの演奏はときに乱暴と思わせるところもあった。
今回のぼくの興味は、ブッカー・Tが歌うか否か。だって、上手いわけではないが、フジ・ロックで見たときに歌って、けっこういい味出していたから。そしたら、途中で、中央に出てきてギターを手にし(!)、4曲も歌った。内訳は、MGズがバッキングしたアルバート・キングの67年出世曲「ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン」(ウィリアム・ベルとブッカー・T・ジョーンズの共作)、サム&デイヴの「ホールド・オン」(ドラマーがラップをかましたりも)、オーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」、昨年エミ・マイヤー(2009年1月29日、2009年6月30日、2009年7月26日)とクール・ワイズ・メンが(2009年5月30日)が一緒にCF曲用にカヴァーしたブッカー・Tの異色フォーキー曲(?)「ジャマイカ・ソング」。
弾く鍵盤はハモンド・オルガンだけ、それを右手主体で一筆書きのように彼はあっさりと奏でる。MGズのなかで唯一大学に進んだ人(確か、音楽専攻であったはず)で、当初は学生をしながらスタックスのハウス・バンドのMGズ活動をしていた人物あり、奥さんは白人で(最初の奥さんは、プリシラ・クーリッジ)……。そんなブッカー・Tに接してうれしいのは、その外見。劣化が少なくて、いい音楽人生を歩んでいるんだろうなと思えます。
祝、ニューオーリンズ・セインツ、スーパー・ボウル勝利!
会場は、早稲田の奉仕園スコットホールという所。キリスト教の施設で、クラシックなそこそこ古そうな、生理的な温かさも持つ煉瓦外装の教会でのパフォーマンス(だから、そこの設置照明の都合で、ステージだけではなく客席側も演奏中明るい。最初は少し戸惑ったけど、でも、それもいいナと思えた)。トイレは建物内にないそうだが、椅子は余裕を持って配置されてもいて、たまにポップ系公演が行われる品川教会(2003年11月27日、2006年5月31日、2007年8月29日)より、ぼくはこっちのほうがなんとなく好印象かも。そんな場所でやるこの日は追加公演(150人限定とのこと)で、ソロ・パフォーマンスという触れ込みだったけど、冒頭の2曲を一人でやったあとは、同行メンバーである弦楽器奏者(電気ギター、バンジョー、縦笛など)とドラマー(スティックは用いず、手かマレットでやんわりとアクセントを付けた)が出てきて、とても控え目に主役に寄り添う。前日の本公演はどうだったんだろ?
彼女が奏でるハープは、ぼくが身近に接しているスコティッシュ・ハープ(2005年2月1日、2008年11月9日、2009年12月6日)と比べるととても大きいと思わせる。これがクラシックで用いられるスタンダードな物なんだろうな。優美にして深淵、と言いたくなる音色が放出される。で、記憶の底にあるひっかかりを反芻するかのように、無数の弦音をたぐり寄せてゆったりと歌を乗せていく様はなるほど独自の味あり。それ、時代や固定した様式の狭間を飄々と泳ぎつつ、自分の足跡をイマジネイティヴに残していく、と言いたくなるものでもあるか。歌い込まれた感じもあるアルバムを聞くと、歌のテイストがビュークに近いと思ったりもするが、この晩のほんわかした歌い口と我の柔らかさに触れると、そうはあまり感じず。途中の数曲はハープから離れて、グランド・ピアノの弾き語りをする。そうなると、普遍性指数が上がる。フツーにいい、シンガー・ソングライターじゃないかと実感できる。とかなんとか、場の設定もあり、なかなか得難い公演ではないかという思いを得た。
そして、南青山・ブルーノート東京に向かい、南部ソウルのアイコンであるスタックス・レコードの屋台骨を担ったレジェンダリーなオルガン奏者である、ブッカー・T・ジョーンズ(2008年11月24日、2009年7月25日)の実演を見る。30代だろう東海岸出身の白人のギターとベース、西海岸出身の黒人のギターとドラマーがサポート。それ、昨年のフジ・ロック出演時と同じ顔ぶれということだが。グラミー賞のベスト・ポップ・インストゥルメンタル部門を受賞したロッキッシュなところもある『ポテト・ホール』(アンタイ)のりの演奏で、その新作曲や往年のMGズ/スタックス系ナンバーが送り出される。ギターの演奏はときに乱暴と思わせるところもあった。
今回のぼくの興味は、ブッカー・Tが歌うか否か。だって、上手いわけではないが、フジ・ロックで見たときに歌って、けっこういい味出していたから。そしたら、途中で、中央に出てきてギターを手にし(!)、4曲も歌った。内訳は、MGズがバッキングしたアルバート・キングの67年出世曲「ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン」(ウィリアム・ベルとブッカー・T・ジョーンズの共作)、サム&デイヴの「ホールド・オン」(ドラマーがラップをかましたりも)、オーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」、昨年エミ・マイヤー(2009年1月29日、2009年6月30日、2009年7月26日)とクール・ワイズ・メンが(2009年5月30日)が一緒にCF曲用にカヴァーしたブッカー・Tの異色フォーキー曲(?)「ジャマイカ・ソング」。
弾く鍵盤はハモンド・オルガンだけ、それを右手主体で一筆書きのように彼はあっさりと奏でる。MGズのなかで唯一大学に進んだ人(確か、音楽専攻であったはず)で、当初は学生をしながらスタックスのハウス・バンドのMGズ活動をしていた人物あり、奥さんは白人で(最初の奥さんは、プリシラ・クーリッジ)……。そんなブッカー・Tに接してうれしいのは、その外見。劣化が少なくて、いい音楽人生を歩んでいるんだろうなと思えます。
祝、ニューオーリンズ・セインツ、スーパー・ボウル勝利!
リチャード・ボナ。ジョン・アバークロンビー・オルガン・トリオ
2010年2月5日 音楽 ぼくがボナを東京で見る(2000年12月6日、2002年1月9日、2002年9月14日、2002年12月14日、2004年12月15日、2006年2月16日、2008年10 月19日)のは、8回目となるのか。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。
今回の来日公演同行奏者(皆、軽々という感じで演奏する)は、キーボード、ギター、ドラム、トランペット、トロンボーン。毎度、奏者の(散っている)出身地を紹介するボナだが、ぼくが見た会はしなかったな。二人の管楽器奏者を擁するのは初めてのことで、その二人はセクション音を加えるだけでなく、曲によってはそれぞれソロ・パートを与えられる。ということに表れているように、今回のパフォーマンスは多少ジャズ/フュージョンのフォーマットを強めたと言えるのか。やはり、彼にはフュージョン系愛好者がまず多いと思われ、それは歓迎されたはず。だが、その一方で彼の豊かにしてしなやかなヴォーカルは全開、恒例のジャコ・パストリアス偏愛表明のウェザー・リポート曲カヴァー披露を除いては、すべてしっかりと歌う。歌とベースの噛み合いが、気持ちいい。そして、巧者のドラマーとの噛み合いも同様に。ボナとドラマーのデュオ演奏だけでも、間違いなく聞き手をぐぐいと引き込むはず。そして、アンコールは前回来日時に見せたような、機材を用いての一人多重ヴォーカル表現。才と気持ちが有機的に絡まる様は何度ふれても、すごいなと思わせられますね。
つづいて、丸の内・コットンクラブで、ずっとECMレーベルとの関わりを持っている在NYのヴェテラン・ギタリストであるジョン・アバークロンビーのギグを見る。オルガン奏者(アバンクロンビーの同編成アルバムで弾いているダン・ウォールではなく、スティープル・チェイスやクリス・クロスからリーダー作を出しているゲイリー・ヴェルサーチ)とアバークロンビーとは何かと仲良しなドラマーのアダム・ナスバウム(80年代はジョン・スコフィールドや故ギル・エヴァンスに気に入られましたね)を率いてのものだったが、接していてため息が出たな。
みんな腹6.9分目という感じの力が抜けた演奏をするのだが、ジャズの言葉にならない妙味/凄さと個の技量/音楽観をちゃんと伝えるパフォーマンスを披露。60年代半ばという年齢よりも老けて見えるかも知れないクロンビーさん、綻び感覚やはみ出し感覚を抱えつつ滑らかな部分も持つソロ演奏時はもちろんいい感じだが、オルガン・ソロのバッキングのときの押さえ方も面白すぎ。その間(ま)の取り方とハーモニー感覚に頭をたれる。唯一40代でやたら鼻の高いヴァセイシの演奏も触れられてよかったという妙味を持つ。もう、それは完全に黒人オルガン・ジャズ奏法の文脈から離れて、チロチロ青白い光を照射するような手触りを持っていて。1曲では、プログ(レッシヴ)・ロックの愛好者がとってもニッコリしそうな感覚を持つ演奏を、彼は聞かせた。
演奏曲はスタンダードや自作などいろいろ。1曲、オーネット・コールマン曲(「ラウンド・トリップ」と言っていたか)を演奏したが、そのときはアバンクロンビーの弾き味に少しジェイムズ・ブラッド・ウルマーを思い出す。それ、順当かな。だって、コールマンのハーモロディクス理論の筆頭免許皆伝ギタリストがウルマーだったわけだから。そして、アバーンクロンビーがコールマン曲をちゃんと理解した演奏をするならウルマーと近付くのは当然ではないか。ああ、コールマン〜ウルマー周辺の音に燃えまくった大学生時代がなつかしい。そして、その流れを括り紹介しようとして4社から90年代上半期に出した『フリー・ファンク』というコンピレーションも……。
今回の来日公演同行奏者(皆、軽々という感じで演奏する)は、キーボード、ギター、ドラム、トランペット、トロンボーン。毎度、奏者の(散っている)出身地を紹介するボナだが、ぼくが見た会はしなかったな。二人の管楽器奏者を擁するのは初めてのことで、その二人はセクション音を加えるだけでなく、曲によってはそれぞれソロ・パートを与えられる。ということに表れているように、今回のパフォーマンスは多少ジャズ/フュージョンのフォーマットを強めたと言えるのか。やはり、彼にはフュージョン系愛好者がまず多いと思われ、それは歓迎されたはず。だが、その一方で彼の豊かにしてしなやかなヴォーカルは全開、恒例のジャコ・パストリアス偏愛表明のウェザー・リポート曲カヴァー披露を除いては、すべてしっかりと歌う。歌とベースの噛み合いが、気持ちいい。そして、巧者のドラマーとの噛み合いも同様に。ボナとドラマーのデュオ演奏だけでも、間違いなく聞き手をぐぐいと引き込むはず。そして、アンコールは前回来日時に見せたような、機材を用いての一人多重ヴォーカル表現。才と気持ちが有機的に絡まる様は何度ふれても、すごいなと思わせられますね。
つづいて、丸の内・コットンクラブで、ずっとECMレーベルとの関わりを持っている在NYのヴェテラン・ギタリストであるジョン・アバークロンビーのギグを見る。オルガン奏者(アバンクロンビーの同編成アルバムで弾いているダン・ウォールではなく、スティープル・チェイスやクリス・クロスからリーダー作を出しているゲイリー・ヴェルサーチ)とアバークロンビーとは何かと仲良しなドラマーのアダム・ナスバウム(80年代はジョン・スコフィールドや故ギル・エヴァンスに気に入られましたね)を率いてのものだったが、接していてため息が出たな。
みんな腹6.9分目という感じの力が抜けた演奏をするのだが、ジャズの言葉にならない妙味/凄さと個の技量/音楽観をちゃんと伝えるパフォーマンスを披露。60年代半ばという年齢よりも老けて見えるかも知れないクロンビーさん、綻び感覚やはみ出し感覚を抱えつつ滑らかな部分も持つソロ演奏時はもちろんいい感じだが、オルガン・ソロのバッキングのときの押さえ方も面白すぎ。その間(ま)の取り方とハーモニー感覚に頭をたれる。唯一40代でやたら鼻の高いヴァセイシの演奏も触れられてよかったという妙味を持つ。もう、それは完全に黒人オルガン・ジャズ奏法の文脈から離れて、チロチロ青白い光を照射するような手触りを持っていて。1曲では、プログ(レッシヴ)・ロックの愛好者がとってもニッコリしそうな感覚を持つ演奏を、彼は聞かせた。
演奏曲はスタンダードや自作などいろいろ。1曲、オーネット・コールマン曲(「ラウンド・トリップ」と言っていたか)を演奏したが、そのときはアバンクロンビーの弾き味に少しジェイムズ・ブラッド・ウルマーを思い出す。それ、順当かな。だって、コールマンのハーモロディクス理論の筆頭免許皆伝ギタリストがウルマーだったわけだから。そして、アバーンクロンビーがコールマン曲をちゃんと理解した演奏をするならウルマーと近付くのは当然ではないか。ああ、コールマン〜ウルマー周辺の音に燃えまくった大学生時代がなつかしい。そして、その流れを括り紹介しようとして4社から90年代上半期に出した『フリー・ファンク』というコンピレーションも……。
デヴェンドラ・バンハート
2010年2月4日 音楽 カエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)が流されるなか、バンハートはさりげなく、本当にさりげなく前座に出るバンドのように、他のバンド・メンバーとともに出てくる。手には白ワインが入っているだろうグラス。そして、くだけた感じで、演奏前にメンバー紹介をする。どーにもこーにも、気負いまったくなし。そうした一連の振る舞いに、彼のリヴィング・ルームに招かれた気持ちになった。と、書くと少し大げさか。でも、会場に終始あったのはそんな気安い雰囲気だよな。代官山・ユニット。
少ししか見れなかったのでその際の項では触れてないが、06年のサマーソニックのビーチ・ステージに出てきたときは皆ひげ面長髪で暗い生理的にラフな会場と相まってもろに60年代からタイム・スリップしてきたような感じを受けてうひょーと思った記憶があったけど、今回はメンバーが変わっているのかもしれないが、外見上の“イブツ”度数は減じている。ギター2人、ベース(セミアコ・タイプのそれを弾いていた)、ドラムという編成。ときに手ぶらで歌う曲もあったが、バンハートも多くはギターを出にして、トリプル・ギター編成だァ。うち、一人の一番マジメそうな顔をしたギタリストはブラジル出身とか。自身のことも、生まれはテキサス州なくせに(育った地である)ベネズエラ出身と紹介する。
思うまま、胸がすくぐらいに、天然のパフォーマンス。ときに、大仰なアクションを取ったりもするが、それはなんとなく、往年のボブ・マーリーを思い出させるか。レゲエ調あり、オールド・ロック調あり、ソニック・ユース的局面あり、ラテン調あり。中盤には、生ギター弾き語りパートもあり(キーボードを弾きながら、歌うのも1曲)。ニューヨーク・ドールズにいたジョニー・サンダースの79年曲「ユー・キャント・プット・ユア・アームズ・ラウンド・ア・メモリー」をカヴァーしたりも。でもって、各メンバーたちの前にはマイクが立てられ、実際コーラスを彼らは付けたりもするのだが、俺たちゃ仲良しファミリーといったノリも濃厚に、他のメンバーも1曲づつリード・ヴォーカルを取る。へえ〜。後半には、同行スタッフがテルミンを扱い、乱暴にサイケ度数を高めるときもあり。
いや、見事なくらい子供のように嬉々として、いろんな事にあたる。そこには作為も、受け手の思惑を意識するような邪心もなし。そのすこーんと抜けた様には、すごいなアンタ、と思わずにはいられず。でも、だからこそ、間違いなく見事なほどの風通しの良さやサバけた訴求力が生まれる。それゆえ、彼の表現は年代や地域性も飛び越えた、開かれててしなやかなアシッド要素を発する。……天然、ばんざい。
少ししか見れなかったのでその際の項では触れてないが、06年のサマーソニックのビーチ・ステージに出てきたときは皆ひげ面長髪で暗い生理的にラフな会場と相まってもろに60年代からタイム・スリップしてきたような感じを受けてうひょーと思った記憶があったけど、今回はメンバーが変わっているのかもしれないが、外見上の“イブツ”度数は減じている。ギター2人、ベース(セミアコ・タイプのそれを弾いていた)、ドラムという編成。ときに手ぶらで歌う曲もあったが、バンハートも多くはギターを出にして、トリプル・ギター編成だァ。うち、一人の一番マジメそうな顔をしたギタリストはブラジル出身とか。自身のことも、生まれはテキサス州なくせに(育った地である)ベネズエラ出身と紹介する。
思うまま、胸がすくぐらいに、天然のパフォーマンス。ときに、大仰なアクションを取ったりもするが、それはなんとなく、往年のボブ・マーリーを思い出させるか。レゲエ調あり、オールド・ロック調あり、ソニック・ユース的局面あり、ラテン調あり。中盤には、生ギター弾き語りパートもあり(キーボードを弾きながら、歌うのも1曲)。ニューヨーク・ドールズにいたジョニー・サンダースの79年曲「ユー・キャント・プット・ユア・アームズ・ラウンド・ア・メモリー」をカヴァーしたりも。でもって、各メンバーたちの前にはマイクが立てられ、実際コーラスを彼らは付けたりもするのだが、俺たちゃ仲良しファミリーといったノリも濃厚に、他のメンバーも1曲づつリード・ヴォーカルを取る。へえ〜。後半には、同行スタッフがテルミンを扱い、乱暴にサイケ度数を高めるときもあり。
いや、見事なくらい子供のように嬉々として、いろんな事にあたる。そこには作為も、受け手の思惑を意識するような邪心もなし。そのすこーんと抜けた様には、すごいなアンタ、と思わずにはいられず。でも、だからこそ、間違いなく見事なほどの風通しの良さやサバけた訴求力が生まれる。それゆえ、彼の表現は年代や地域性も飛び越えた、開かれててしなやかなアシッド要素を発する。……天然、ばんざい。
アンドリュー・バード
2010年2月3日 音楽 温かいと書いていたら。1日から急に寒くなっちゃって、雪もちらついた。ヘタすると、10度ぐらい、体感の温度差があるかも。ぶるる。
在シカゴの、一言でいえば、特殊シンガー・ソングライター。浮世離れした感触を与える曲をやりつつも一方で現代的な局面も抱えた人で、ときにはアメリカーナなノリを漂わせるし、オールド・ジャズっぽい味付けをほどこすときもあり。いろんな形でライヴ・パフォーマンスをしているようだが、初来日の今回は完全ソロにて。会場は渋谷・クラブクアトロ。
へえ、一人だと、こんなん。基本はヴァイオリンを持ち、ウクレレのように爪弾くピチカート音や素直な弓引き音などを拾い、ループさせて行く。サンプリングするのはときには鉄琴も。そして、そのループ音に同期して、もっと形の大きな弦楽器の調べが出てきたりもする。そして、そうしたサウンドのもと、彼はふんわか歌う。ときには、ギターを弾きながら歌ったりもする。そっかーと思ったのは、彼はヴァイオリンを弾く際、まっとう(?)な弾き方をしていて、複音を出して乱暴に乗り切るようなフィドル的な弾き方は一切しなかったこと。MCでもクラシックを15年やっていてとか言っていたが、今回のパフォーマンスは音源で触れるよりも、ずっとクラシック的な素養を感じさせたな(ネクタイ姿もそれにあっていた)。でも、だからこそ、性急な現代日常と離れつつも、どこか今っぽくもある不可解な裏切りの感覚を出しているとも、ぼくは思った。ケラー・ウィリアムズ(2000年12月17日、2007年10 月21日)のように機材を用いた一人多重パフォーマンスって、アクロバティックな感覚がどうしても出てくるものだが、それがなかったのはやはり彼がクラシック的要素を抱えていたためか。
とにかく、実演に触れると、かなり変人ぽい人であることもよく伝わってくる。それ、マイナスの印象の材料にはまったくならない。彼に対する興味がより湧いてきて、世の中、おもしろいなーという気持ちになれる。アンコールのあたまの2曲(うち、1曲はボブ・ディランのカヴァーであったよう)はサンプラー不使用の生100パーセントのパフォーマンス。そのときだけ、彼はヴァイオリンをフィドル/アイリッシュ・ミュージックっぽく弾く。おもしろかった。次は、また別の顔を出すだろう、サポート奏者を伴ってのライヴを見たいな。
在シカゴの、一言でいえば、特殊シンガー・ソングライター。浮世離れした感触を与える曲をやりつつも一方で現代的な局面も抱えた人で、ときにはアメリカーナなノリを漂わせるし、オールド・ジャズっぽい味付けをほどこすときもあり。いろんな形でライヴ・パフォーマンスをしているようだが、初来日の今回は完全ソロにて。会場は渋谷・クラブクアトロ。
へえ、一人だと、こんなん。基本はヴァイオリンを持ち、ウクレレのように爪弾くピチカート音や素直な弓引き音などを拾い、ループさせて行く。サンプリングするのはときには鉄琴も。そして、そのループ音に同期して、もっと形の大きな弦楽器の調べが出てきたりもする。そして、そうしたサウンドのもと、彼はふんわか歌う。ときには、ギターを弾きながら歌ったりもする。そっかーと思ったのは、彼はヴァイオリンを弾く際、まっとう(?)な弾き方をしていて、複音を出して乱暴に乗り切るようなフィドル的な弾き方は一切しなかったこと。MCでもクラシックを15年やっていてとか言っていたが、今回のパフォーマンスは音源で触れるよりも、ずっとクラシック的な素養を感じさせたな(ネクタイ姿もそれにあっていた)。でも、だからこそ、性急な現代日常と離れつつも、どこか今っぽくもある不可解な裏切りの感覚を出しているとも、ぼくは思った。ケラー・ウィリアムズ(2000年12月17日、2007年10 月21日)のように機材を用いた一人多重パフォーマンスって、アクロバティックな感覚がどうしても出てくるものだが、それがなかったのはやはり彼がクラシック的要素を抱えていたためか。
とにかく、実演に触れると、かなり変人ぽい人であることもよく伝わってくる。それ、マイナスの印象の材料にはまったくならない。彼に対する興味がより湧いてきて、世の中、おもしろいなーという気持ちになれる。アンコールのあたまの2曲(うち、1曲はボブ・ディランのカヴァーであったよう)はサンプラー不使用の生100パーセントのパフォーマンス。そのときだけ、彼はヴァイオリンをフィドル/アイリッシュ・ミュージックっぽく弾く。おもしろかった。次は、また別の顔を出すだろう、サポート奏者を伴ってのライヴを見たいな。
ママズ・ガン(エリカ・バドゥのアルバム名ですね)は英国人の父親とフィリピン人の母親のもと香港で生まれ育つという属性を持つ英国在住青年である、アンディ・プラッツのリーダー・プロジェクト。昨年デビュー作が出た後、雑誌記事用に質問をださなきゃいけないことがあって、いろいろ調べたのだが、YouTubeを見るとけっこう音楽を知っている奏者たちでアトラクティヴにバンド・サウンドを開いていて、実演には興味大であったのだ。あ、そのさいは、なんとなくスコットランドを拠点とするエル・プレジデンテ(2005年11月21日)を思い出したりもしたか。うぬ、今やそのバンドのことを覚えている人は少ないか。結果は、期待以上(エル・プレジデンテとはあまり重ならないとも思ったけど)。最初はニヤニヤと冷静に見ていたのだが、途中からどんどん高揚してきて、けっこうイエイとか声を出しちゃった。で、うかれて、そのあと深く飲んじゃった。忙しい時期なのに。
ときにギターを弾きながら歌うプラットに加え、ギター、キーボード、ベース、ドラムという布陣にてのパフォーマンス。とくに、豪州出身らしい痩身/お洒落なベーシストはそのルックスもふくめ、とても秀逸なお方。ぼくが望外に興奮しちゃったのは、そのぐつぐついうベース演奏も活きたバンド・サウンド(コーラスもマル)が良かったことが第一。アルバムだとソウル・ポップという感じだが、生だとメロディアスなロッキン・ファンクと言う感じになるんだもの。そして、アルバムだと少し脆弱に思えるところもあるヴォーカルももっといい感じに聞こえたし、次々送り出される曲に触れていると、やはりプラットはソウル/ファンクへの傾倒を下敷きにする広がりある良い曲を書くナと実感できる。
アンコールの2曲目はザ・ポインター・シスターズの73年曲「イエス・ウィ・キャン・キャン」(作曲はアラン・トゥーサン)。うれしい。弾けさせていただきました。この曲の有名リフを用いた曲を00年に発表したジョン・スコフィールドは「スリー・シスターズ」と、その曲を名付けましたね。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。今週はけっこう暖かかった。
ときにギターを弾きながら歌うプラットに加え、ギター、キーボード、ベース、ドラムという布陣にてのパフォーマンス。とくに、豪州出身らしい痩身/お洒落なベーシストはそのルックスもふくめ、とても秀逸なお方。ぼくが望外に興奮しちゃったのは、そのぐつぐついうベース演奏も活きたバンド・サウンド(コーラスもマル)が良かったことが第一。アルバムだとソウル・ポップという感じだが、生だとメロディアスなロッキン・ファンクと言う感じになるんだもの。そして、アルバムだと少し脆弱に思えるところもあるヴォーカルももっといい感じに聞こえたし、次々送り出される曲に触れていると、やはりプラットはソウル/ファンクへの傾倒を下敷きにする広がりある良い曲を書くナと実感できる。
アンコールの2曲目はザ・ポインター・シスターズの73年曲「イエス・ウィ・キャン・キャン」(作曲はアラン・トゥーサン)。うれしい。弾けさせていただきました。この曲の有名リフを用いた曲を00年に発表したジョン・スコフィールドは「スリー・シスターズ」と、その曲を名付けましたね。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。今週はけっこう暖かかった。
デ・ラ・ソウル。ピーボ・ブライソン、レジーナ・ベル
2010年1月28日 音楽 やっぱ、いろんなスタイルがあって、いろんな逸材がいますね。アメリカの黒人音楽界には。
まず、六本木・ビルボードライブ東京で、昨年結成20周年をむかえたヒップホップ・チームのデ・ラ・ソウルを見る。うーん、懐かしい。89年だったのだよなあ。あの年、ぼくはNY、シンシナティ、DC、LAとアメリカを旅したことがあって、その際いちばんうれしかったことは『スティール・ホイールズ』・ツアーをしていたザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)を見れたことだったのだが、もう一つとても印象に残っているのは、NYのビーコン・シアターでデビューしたばかりのデ・ラ・ソウルの実演に触れたことだった(ファイン・ヤング・カニバルズの前座でした)。どんどん新しい態度や視点を持つアフリカ系アメリカ人が出ていることを肌で感じたっけ。黄色+青=緑みたいなカラフルな飛躍を持つ彼らの新世代ラップは当時もっとも鮮やかなポップ表現だったとも思う。
ステージ上にはDJセットだけ。お、潔い。そして、3人が登場し(一人はDJを兼務)、余裕で肉声を重ねる。なんか、姿勢が太いというか、オールドウェイヴじゃ。当時最先端の感覚派ヒップホップ・チームは時代の流れとともに肉感性とまろやかさをましつつ、“人力のヒップホップ”をまっとう。場内の持ち上げ方もときにお茶目にして堂にいったもので、満席の会場もおお盛り上がりだった。
つづいて、南青山・ブルーノート東京。ブライソンのショウのバンドは前回(2008年一月28日)と同じ編成ながら、よりタイトで整備されているという印象を受ける。そんな演奏のもと出てきた彼はまず会場をくまなく回り、客ひとりひとりと握手。そうなんだよな、この人は。ステージに上がって歌い始めるまでに10分ぐらいかかります。そして、歌ったとたんに、そうなんだよな、この人は……と、また痛感させられる。もうたっぷりした声量で確かな音程、本当に歌える。そして、もてなしの心全開(日本語も効果的に使おうとする)で、客に向かう。長目の生ギター・ソロも2曲で彼は聞かせた。
そして、一時間ぐらいして、赤い衣服に身を包んだ、レジーナ・ベルが登場。うわああああ、こんなに歌える人だったの! 歌えるだけでなく、彼女はテンションにあふれ、全身全霊を歌に込めるという風情がなんともきっちり外に表れる人だった。ゴスペル色や痛快な野卑さもあり。87年にソニーからデビューしたときは、メロウな“クワイエット・ストーム”路線で行った人だけに、やはり人間にはいろんな顔がありますね。それから、彼女は大学でジャズやクラシックをやっていた人で曲も書く人(弟は、テディ・ライリーの側近にいたバーナード・ベルですね)だが、ちゃんとバンドを掌握し、音を導く感じがあったのも大マル。身体が丸くなり、とっても大歌手っぽいヘア・スタイルをしていた彼女だが、それも違和感がないような。なんか、R&B界のディー・ディー・ブリッジウォーター(2009年11月27日、他)なんて、言いたくもなる私でした。彼女だけで3〜4曲やり、それから、ブライソンとのデュオ曲を歌い20分強勇士を見せてくれただけだが、ぜひぜひぜひ彼女の単独出演を希望。ほんと、ヴァリューありすぎ。ぶっちゃけ、ブライソンより熱い反応を受けていた(彼女も反応にとても感激していた)ように思えたが、それは贔屓の所感だろうか。
デ・ラ・ソウルもブライソンも、MJやテディ・ペンダーグラスへの追悼を表明していた。
まず、六本木・ビルボードライブ東京で、昨年結成20周年をむかえたヒップホップ・チームのデ・ラ・ソウルを見る。うーん、懐かしい。89年だったのだよなあ。あの年、ぼくはNY、シンシナティ、DC、LAとアメリカを旅したことがあって、その際いちばんうれしかったことは『スティール・ホイールズ』・ツアーをしていたザ・ローリング・ストーンズ(2003年3月15日)を見れたことだったのだが、もう一つとても印象に残っているのは、NYのビーコン・シアターでデビューしたばかりのデ・ラ・ソウルの実演に触れたことだった(ファイン・ヤング・カニバルズの前座でした)。どんどん新しい態度や視点を持つアフリカ系アメリカ人が出ていることを肌で感じたっけ。黄色+青=緑みたいなカラフルな飛躍を持つ彼らの新世代ラップは当時もっとも鮮やかなポップ表現だったとも思う。
ステージ上にはDJセットだけ。お、潔い。そして、3人が登場し(一人はDJを兼務)、余裕で肉声を重ねる。なんか、姿勢が太いというか、オールドウェイヴじゃ。当時最先端の感覚派ヒップホップ・チームは時代の流れとともに肉感性とまろやかさをましつつ、“人力のヒップホップ”をまっとう。場内の持ち上げ方もときにお茶目にして堂にいったもので、満席の会場もおお盛り上がりだった。
つづいて、南青山・ブルーノート東京。ブライソンのショウのバンドは前回(2008年一月28日)と同じ編成ながら、よりタイトで整備されているという印象を受ける。そんな演奏のもと出てきた彼はまず会場をくまなく回り、客ひとりひとりと握手。そうなんだよな、この人は。ステージに上がって歌い始めるまでに10分ぐらいかかります。そして、歌ったとたんに、そうなんだよな、この人は……と、また痛感させられる。もうたっぷりした声量で確かな音程、本当に歌える。そして、もてなしの心全開(日本語も効果的に使おうとする)で、客に向かう。長目の生ギター・ソロも2曲で彼は聞かせた。
そして、一時間ぐらいして、赤い衣服に身を包んだ、レジーナ・ベルが登場。うわああああ、こんなに歌える人だったの! 歌えるだけでなく、彼女はテンションにあふれ、全身全霊を歌に込めるという風情がなんともきっちり外に表れる人だった。ゴスペル色や痛快な野卑さもあり。87年にソニーからデビューしたときは、メロウな“クワイエット・ストーム”路線で行った人だけに、やはり人間にはいろんな顔がありますね。それから、彼女は大学でジャズやクラシックをやっていた人で曲も書く人(弟は、テディ・ライリーの側近にいたバーナード・ベルですね)だが、ちゃんとバンドを掌握し、音を導く感じがあったのも大マル。身体が丸くなり、とっても大歌手っぽいヘア・スタイルをしていた彼女だが、それも違和感がないような。なんか、R&B界のディー・ディー・ブリッジウォーター(2009年11月27日、他)なんて、言いたくもなる私でした。彼女だけで3〜4曲やり、それから、ブライソンとのデュオ曲を歌い20分強勇士を見せてくれただけだが、ぜひぜひぜひ彼女の単独出演を希望。ほんと、ヴァリューありすぎ。ぶっちゃけ、ブライソンより熱い反応を受けていた(彼女も反応にとても感激していた)ように思えたが、それは贔屓の所感だろうか。
デ・ラ・ソウルもブライソンも、MJやテディ・ペンダーグラスへの追悼を表明していた。
ダヴィッド・サンチェス・カルテット
2010年1月27日 音楽 4時すぎ、新作を出す渋さ知らズの不破大輔をCD発売会社で取材。ビールをのみながら取材を受けていた彼にならい、ぼくもビールをいただく。そしたら、次々に飲み物や食べ物が出てきて。取材が終わったあともうだうだと飲んでいて、盛り上がって一緒に丸の内・コットンクラブに行く。電車のなかで二人で酎ハイの缶を飲んでいたんだが、ぼくたちの回りだけ空いていたような。ソニー〜コンコードと花形レーベルと契約してきているサンチェス(2003年8月1〜2日)はギターを擁するワン・ホーンのカルテットでの出演。ピアノではなくギターを起用する時点で一つの意思表出になっているが、マーヴィン・スーウェル(2008年8月11日、他)やリオネル・ルエケ(2007年7月24日、他)のような変調奏者ではなく、けっこう普通に弾くギタリストをやとっていることには、少しあてがあずれたけど。そういう面にも表れているように、端正なストレート・ジャズ。とうぜん、不破さんの耳にはあわない(笑い)。
その後、知人と楽しく飲み、すごーくベロベロとなり、記憶も飛び気味に帰宅。ながら、シャワーをちゃんと(?)浴び、メールとかもチェックしていたら、飲み物を倒してしまい、少ししかかからなかったのに一年間使用のPCがこわれちゃう。あーあ。この原稿はキーのこわれた、反応の薄い別のPCですこしストレスを感じつつ書いている(平仮名が多くなるはず)。修理するか、一年分の原稿をすてて、きれいさっぱり新しいPCを買うか。マックは修理代が高い(2009年8月8日の項を参照)のでそれほどかかる金額は変わらないだろうし、そのほうが生理的には晴れやかな(?)気分になれるだろうけど、、、。ちょいヘコみつつ、思案してマス。
その後、知人と楽しく飲み、すごーくベロベロとなり、記憶も飛び気味に帰宅。ながら、シャワーをちゃんと(?)浴び、メールとかもチェックしていたら、飲み物を倒してしまい、少ししかかからなかったのに一年間使用のPCがこわれちゃう。あーあ。この原稿はキーのこわれた、反応の薄い別のPCですこしストレスを感じつつ書いている(平仮名が多くなるはず)。修理するか、一年分の原稿をすてて、きれいさっぱり新しいPCを買うか。マックは修理代が高い(2009年8月8日の項を参照)のでそれほどかかる金額は変わらないだろうし、そのほうが生理的には晴れやかな(?)気分になれるだろうけど、、、。ちょいヘコみつつ、思案してマス。
ロベルト・フォンセカ
2010年1月26日 音楽 好青年のロベルト・フォンセカ(2003年10月14日)には、2001年のころだったか、インタヴューしたことがあった。ちょうど、ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ(2001年2月9日)がもりあがり、そこにでていたイブラヒム・フェレールやオマール・モルトゥオンドらの覚えもめでたく、バッキングもしている新進ピアニストというのが触れ込みだったとおもう。そしたら、かなり米国のジャズに精通していて、ジャズの影響力を痛感さられたりもし、一方で、ジャズが好きだからこそ、奔放に自分のジャズを求めたいんだとも語っていたことが、好印象につながっている。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。サックス、縦ベース、ドラム、パーカッションを擁してのもの。まさに俊英というに相応しい、ピアノの弾き口を飄々と披露。ときに饒舌に行く場合もあるが、曲趣にのっとって、バンド音とともに自分の絵をときにメロディアスに描いて行く様はそうとう秀逸なピアノの使い手と言えるだろう。が、ぼくがまず彼の今回のパフォーマンスのことを書き留めたくなるポイントは、テーマ部を演奏しているときに、彼がサックス奏者の演奏に合わせるように半数以上の曲で詠唱していたことかな。それ、かなり褒めていうなら、ミルトン・ナシメント(2003年9月23日)のそれに通ずる? ともあれ、声を出す、歌うという行為をあんなにピアノを達者に弾ける人が臆面もなくやってしまっているのが生理的にうつくしい。とともに、それは過剰にジャズでもラテンでもない、<私が感じる、即興を通したロマンティックな音楽>の結実につながっていた。
南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。サックス、縦ベース、ドラム、パーカッションを擁してのもの。まさに俊英というに相応しい、ピアノの弾き口を飄々と披露。ときに饒舌に行く場合もあるが、曲趣にのっとって、バンド音とともに自分の絵をときにメロディアスに描いて行く様はそうとう秀逸なピアノの使い手と言えるだろう。が、ぼくがまず彼の今回のパフォーマンスのことを書き留めたくなるポイントは、テーマ部を演奏しているときに、彼がサックス奏者の演奏に合わせるように半数以上の曲で詠唱していたことかな。それ、かなり褒めていうなら、ミルトン・ナシメント(2003年9月23日)のそれに通ずる? ともあれ、声を出す、歌うという行為をあんなにピアノを達者に弾ける人が臆面もなくやってしまっているのが生理的にうつくしい。とともに、それは過剰にジャズでもラテンでもない、<私が感じる、即興を通したロマンティックな音楽>の結実につながっていた。
シカゴ・ブルース&ソウル・ショウダウン
2010年1月25日 音楽 自分の進む道を規定した音楽範疇にいる名手を自ら呼んで、同好の士とともに楽しみたい。音楽ファンだったら、そんな思いを持つ人は少なくないだろう。シカゴから世に出たアーティストをいろいろ呼ぶ“シカゴ・ブルース&ソウル・ショウダウン”は日暮泰文と高地明、ブルース・インターアクションズ(旧ザ・ブルース誌、P-ヴァイン他)の創設者二人が同社をリタイアし身軽になって企画したイヴェント。ま、70年代にもブルース・インターアクションズは渋いブルース・マンを何度もよんでいるので、アタマの頃に戻ったと言えなくもないのだが。品川・よしもとプリンスシアター。円形ぽい会場、普段はお笑いをやっているのか。
ハウス・バンドはサザン・ソウル歌手として日本でも相当な人気をあつめたO.V.ライトのバンドにいたというブルース・マンのジョニー・ロウルズ(ヴォーカル、ギター)率いるバンドで、サックスと電気ベースとドラムとキーボードが付く。彼らはずっと出ずっぱり、もう少しまとまりが良くてもよかったかな。そして、最初はそこに木下航志(2007年8月29日)が加わって、彼はエレピをひきながら、レイ・チャールズの「メス・アラウンド」とジ・インプレッションズの「ピープル・ゲット・レディ」を熱唱。彼は後の、ジョニー・ロウルズとミッティ・コリアが歌う場面でも出てきて各一曲づつ一緒に歌う。まさに、彼らにとって木下は“驚異の子”だろうな。
木下が下がり、その後は数曲ジョニー・ロウルズが歌い(けっこう、歌声が溌剌としている)、さらに今79歳というバイザー・スミス(ヴォーカル、ギター)が出てきて、シカゴ・ブルースの襞を陽性に開く。彼らのブルースに触れながら、かつてのブルース・フェスはたちの悪い酔っぱらいがいたりもしたけど、今日はいないナと思う。土日はどうだったんだろ? 今日は5日開かれるなかの最終日だ。
そして、次はチェス・レコードと契約し、60年代中期が全盛だった女性R&Bシンガーのミッティ・コリアがローブをはおって登場。今は自分の教会をもって牧師をしているそうで、プリーチ込みということもあってか、ここからは白人の通訳がステージ袖について、発言を訳す(それは、最後のザ・フラミンゴズも同様)。その通訳、ときに辛抱たまらんという感じで、一緒に歌っているのが笑えた。なんでも、教会関係者や同地選出の国会議員も同行しているとのこと、一体何人で来たのか。一緒に来日した国会議員(まだ30代だろう、アフリカ系女性)は今回のイヴェントのお礼として、やはり同地選出のオバマ夫妻の親書を携えていて、主催者であるよしもとクリエイティブ・エージェンシーへの授与式が行われる一幕も。彼女のMCによれば、向こうのアーティスト送り出しのまとめ役をやったのは、大昔リヴィング・ブルース誌の編集長をやっていたジム・オニール(今はミシシッピ州クラークスデイルでレーベルやってんだっけ?)のようだ。ともあれ、コリアのステージはゴスペル色強く、両手を広げて聞き手に訴える。客席からはかけ声もいい感じで飛ぶ。「ホールド・ザ・ライト」という曲では皆に携帯電話の画面光をかざせたりも。もう堂々の、流儀を開いていましたね。そう、やっぱり、ブルースとゴスペルは根にあるものなのだ。ここまでで、2時間と少し、やったかな。
そして休憩を入れて、52年結成のドゥ・ワップのビッグ・グループ、ザ・フラミンゴスが登場。今は四人組で美声のテリー・ジョンソンにくわえ、もう一人が黒人で、あとは白人の男女が一人づつ。もともと都会派黒人コーラスの権化のようなグループだがオールディーズ的なノリで米国では興行が求められるのだろう、その人種構成に表れているように、今は肌の色を超えた万人向けのコーラス・グループとして活動しているようだ。だからこそ、黒人色を前面に出した先の出演者たちとはそれなりの表現志向の乖離も出るわけだが(すべてのトラックで、バンドはいるもののカラオケを併用していたことも大きい)、それも黒人芸能のフレキシヴィリティの表れとも取れなくもないし、なにより垣間みられるマナーには洗練や洒脱を介したがゆえの得難い黒人芸を覚えさせる。とくに、最後にやった59年ヒット曲「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」は本当に身がとろけるような名曲。もう、当時の都会派黒人洗練表現の精華と言いたくなる。そんな彼らは、途中で日本の有名曲「川のながれのように」を堂々披露。ちゃんとカラオケもつくってきて、堂々日本語で。お、望外にいいじゃん。候補曲をおくってもらったなか、この曲がいいと本人たちが選んだようだが、心を込めてちゃんと練習したんだろうな。いや、彼らに限らず、日本でパフォーマンスができてうれしいという気持ちがあふれていたのは、他のアクトも同様であったが。みんな初来日だったのかな。それから、ジョンソン氏はけっこう肌がツヤツヤで若々しく見えた。
そして、最後には全員が出てきて、一緒にやる、3時間半ぐらいは全部でかかったろうな。会場では普段会わないような業界関係者といろいろ会い、5人とそのまま流れる。そしたら、うち一人が、マイケル・ジャクソンの『This Is It』発売のカウント・ダウンをタワー・レコードの渋谷店でやるから観に行かないとのたまう。じゃあ、ついでにとお調子者はむかう。もうちょっと派手なものを予想したけどにゃ。その後、また流れで朝方まで。そのイヴェントの関連者も呼び出したりして。そういえば、皆さんツィッターにご執心。みんな店に入ると、すぐに携帯を見る、打つ。失礼な連中だ。一応、舎弟にさそわれてぼくも入っているが、ほとんどやってません。なんて書いていながら、そのうちハマっていそうでこわいが。みんな、あれだけ画面を覗きたくなるのはそれなりの訳があるのだろう。だが、店に入って一斉に携帯を覗き込むのは異様な光景。ぼくはぜったいにすまい。まあ、携帯を腕時計代わりにつかっているので、ぼくも携帯を手にする回数は多いはずだが。それが、他者には失礼にならないように自戒もしたい。
ハウス・バンドはサザン・ソウル歌手として日本でも相当な人気をあつめたO.V.ライトのバンドにいたというブルース・マンのジョニー・ロウルズ(ヴォーカル、ギター)率いるバンドで、サックスと電気ベースとドラムとキーボードが付く。彼らはずっと出ずっぱり、もう少しまとまりが良くてもよかったかな。そして、最初はそこに木下航志(2007年8月29日)が加わって、彼はエレピをひきながら、レイ・チャールズの「メス・アラウンド」とジ・インプレッションズの「ピープル・ゲット・レディ」を熱唱。彼は後の、ジョニー・ロウルズとミッティ・コリアが歌う場面でも出てきて各一曲づつ一緒に歌う。まさに、彼らにとって木下は“驚異の子”だろうな。
木下が下がり、その後は数曲ジョニー・ロウルズが歌い(けっこう、歌声が溌剌としている)、さらに今79歳というバイザー・スミス(ヴォーカル、ギター)が出てきて、シカゴ・ブルースの襞を陽性に開く。彼らのブルースに触れながら、かつてのブルース・フェスはたちの悪い酔っぱらいがいたりもしたけど、今日はいないナと思う。土日はどうだったんだろ? 今日は5日開かれるなかの最終日だ。
そして、次はチェス・レコードと契約し、60年代中期が全盛だった女性R&Bシンガーのミッティ・コリアがローブをはおって登場。今は自分の教会をもって牧師をしているそうで、プリーチ込みということもあってか、ここからは白人の通訳がステージ袖について、発言を訳す(それは、最後のザ・フラミンゴズも同様)。その通訳、ときに辛抱たまらんという感じで、一緒に歌っているのが笑えた。なんでも、教会関係者や同地選出の国会議員も同行しているとのこと、一体何人で来たのか。一緒に来日した国会議員(まだ30代だろう、アフリカ系女性)は今回のイヴェントのお礼として、やはり同地選出のオバマ夫妻の親書を携えていて、主催者であるよしもとクリエイティブ・エージェンシーへの授与式が行われる一幕も。彼女のMCによれば、向こうのアーティスト送り出しのまとめ役をやったのは、大昔リヴィング・ブルース誌の編集長をやっていたジム・オニール(今はミシシッピ州クラークスデイルでレーベルやってんだっけ?)のようだ。ともあれ、コリアのステージはゴスペル色強く、両手を広げて聞き手に訴える。客席からはかけ声もいい感じで飛ぶ。「ホールド・ザ・ライト」という曲では皆に携帯電話の画面光をかざせたりも。もう堂々の、流儀を開いていましたね。そう、やっぱり、ブルースとゴスペルは根にあるものなのだ。ここまでで、2時間と少し、やったかな。
そして休憩を入れて、52年結成のドゥ・ワップのビッグ・グループ、ザ・フラミンゴスが登場。今は四人組で美声のテリー・ジョンソンにくわえ、もう一人が黒人で、あとは白人の男女が一人づつ。もともと都会派黒人コーラスの権化のようなグループだがオールディーズ的なノリで米国では興行が求められるのだろう、その人種構成に表れているように、今は肌の色を超えた万人向けのコーラス・グループとして活動しているようだ。だからこそ、黒人色を前面に出した先の出演者たちとはそれなりの表現志向の乖離も出るわけだが(すべてのトラックで、バンドはいるもののカラオケを併用していたことも大きい)、それも黒人芸能のフレキシヴィリティの表れとも取れなくもないし、なにより垣間みられるマナーには洗練や洒脱を介したがゆえの得難い黒人芸を覚えさせる。とくに、最後にやった59年ヒット曲「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」は本当に身がとろけるような名曲。もう、当時の都会派黒人洗練表現の精華と言いたくなる。そんな彼らは、途中で日本の有名曲「川のながれのように」を堂々披露。ちゃんとカラオケもつくってきて、堂々日本語で。お、望外にいいじゃん。候補曲をおくってもらったなか、この曲がいいと本人たちが選んだようだが、心を込めてちゃんと練習したんだろうな。いや、彼らに限らず、日本でパフォーマンスができてうれしいという気持ちがあふれていたのは、他のアクトも同様であったが。みんな初来日だったのかな。それから、ジョンソン氏はけっこう肌がツヤツヤで若々しく見えた。
そして、最後には全員が出てきて、一緒にやる、3時間半ぐらいは全部でかかったろうな。会場では普段会わないような業界関係者といろいろ会い、5人とそのまま流れる。そしたら、うち一人が、マイケル・ジャクソンの『This Is It』発売のカウント・ダウンをタワー・レコードの渋谷店でやるから観に行かないとのたまう。じゃあ、ついでにとお調子者はむかう。もうちょっと派手なものを予想したけどにゃ。その後、また流れで朝方まで。そのイヴェントの関連者も呼び出したりして。そういえば、皆さんツィッターにご執心。みんな店に入ると、すぐに携帯を見る、打つ。失礼な連中だ。一応、舎弟にさそわれてぼくも入っているが、ほとんどやってません。なんて書いていながら、そのうちハマっていそうでこわいが。みんな、あれだけ画面を覗きたくなるのはそれなりの訳があるのだろう。だが、店に入って一斉に携帯を覗き込むのは異様な光景。ぼくはぜったいにすまい。まあ、携帯を腕時計代わりにつかっているので、ぼくも携帯を手にする回数は多いはずだが。それが、他者には失礼にならないように自戒もしたい。
akiko、ブッゲ・ベッセルトフト
2010年1月24日 音楽ユニバーサル・ミュージックとジャズをはじめとする自国音楽プロモートに力を入れるノルウェー大使館が組んだ、“ノルウェー音楽リスニング・パーティ”というイヴェントに夕方行く。渋谷・J‘zブラット。共演作を作ったakiko(2007年5月21日、他)とブッゲ・ベッセルトフト(2008年9月21日、他)が出てきて、少しパフォーマンス。ベッセルトフトは生ピアノ中心の伴奏、そこにakikoがすうっと歌を広げていく。ベッセルトフトの誘いでノルウェーのどこかの街で開かれたジャズ祭に二人でで出た際の映像も途中で紹介されたが、ベッセルトフトのエレクトロニクス音の上で日本の曲「さくら」を低い声でウィスパリングする様はなかなかいい感じだった。ベッセルトフトはソロで1曲やったりも。それを聞くと、また新しい、淡い電気音利用のネタを得ているナという印象を得たか。帰り際にベッセルトフトに挨拶したら、人当たりがよくなっている。主宰するジャズランド・レーベルも続いているし、自信がどんどん溜まっている部分もあるんだろうな。会場で白ワイン飲んで、次に台湾料理屋で紹興酒を飲んで、そのあと場所を変えて焼酎を飲んで……。まだまだ、正月だァということにしておく。
ザ・ニュー・マスター・サウンズ
2010年1月23日 音楽 満員。もう、受け受け、大受け。やっている本人たちも、本当に光栄でしょうがなかったんじゃないか。結成して10年のインスト基調のUK4人組ファンク・バンド(2006年8月6日)にアルト・サックス/フルート奏者がゲストで加わったライヴは、いくらでも演奏できるんですという感じで二部制にて。セカンド・セットはそれだけで1時間半を超えていた。
けっこう、不思議なバンド。だって、そんなにすごいことやっているわけではないし、荒いところもあるのだが、確実に聞き手を高揚させるもの。自然に腰が動くし、イエイとかけ声も出したくなる。一番薫陶を受けているのはザ・ミーターズ(2007年2月3日、2009年7月25日)だろうが、ほんとアップ曲は鼓舞する力を持っている。その反面、ミディアム調は面白くなくて、こんなのやんなくてもいいのにと、ぼくは思った。普段着の構成員のなか、MCもするギタリストだけがモッドなスーツで身を固める。そのソロはプレスティッジ後期の変調ソウル・ジャズ・ギタリストのブーガールー・ジョー・ジョーンズの弾き口がいっぱい。これで、サックスがエディ・チャンブリーに傾倒しているような扇情的なブロウを噛ましていたら、会場はもっと湧きまくったろう。
渋谷・クラブクアトロ。それにしても、やはりここのお酒販売の流儀はおかしい。演奏中はいくら飲み物を買う人がウェイティングしていても、カウンター内には一人しか立たない決まりになっているようで、他の販売員はしらんぷりという感じで、奥の控え処に引っ込んでいる。この晩も買い求める人で、物凄い列。ありえねー。絶対、要改善と思う。
けっこう、不思議なバンド。だって、そんなにすごいことやっているわけではないし、荒いところもあるのだが、確実に聞き手を高揚させるもの。自然に腰が動くし、イエイとかけ声も出したくなる。一番薫陶を受けているのはザ・ミーターズ(2007年2月3日、2009年7月25日)だろうが、ほんとアップ曲は鼓舞する力を持っている。その反面、ミディアム調は面白くなくて、こんなのやんなくてもいいのにと、ぼくは思った。普段着の構成員のなか、MCもするギタリストだけがモッドなスーツで身を固める。そのソロはプレスティッジ後期の変調ソウル・ジャズ・ギタリストのブーガールー・ジョー・ジョーンズの弾き口がいっぱい。これで、サックスがエディ・チャンブリーに傾倒しているような扇情的なブロウを噛ましていたら、会場はもっと湧きまくったろう。
渋谷・クラブクアトロ。それにしても、やはりここのお酒販売の流儀はおかしい。演奏中はいくら飲み物を買う人がウェイティングしていても、カウンター内には一人しか立たない決まりになっているようで、他の販売員はしらんぷりという感じで、奥の控え処に引っ込んでいる。この晩も買い求める人で、物凄い列。ありえねー。絶対、要改善と思う。