サム・ムーア

2011年7月27日 音楽
 サム・ムーア(2010年12月15日、他)の公演は基本のノリはこれまでどおり。歌う曲に少し変化はあるものの。彼はサム&デイヴの黄金のダイナマイト曲だけでなく、ルイ・ジョーダン曲、アラン・トゥーサン曲、スライ・ストーン曲、エディ・フロイド/スティーヴ・クロッパー曲、アン・ピープルズ/ドン・ブライアント他曲、レイ・チャールズ曲など、アフリカン・アメリカンの財産を太っ腹にくくる方向の選曲を取り、バンドも日本で入れた2人の管楽器奏者ともども、ほぼこれまでと同様のメンツ(ステージ上には13人)。と、思っていたら、あれれと思うことが。MCをする奥さんをはじめ、彼はバンドの構成員を白人でまとめているのだが、4人いる女性コーラスの一人がなんとアフリカン! よく見ると、彼女は東京在住の喉自慢、ブレンダ・ヴォーンではないか。たぶん。ブルーノートのHPには彼女の名前は載せられていないので、急遽加わることになったのか。でも、彼女も一部でムーアとのかけあいをまかされたりして、輝いていましたね。

 南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ、満員。過去、彼の公演は喉の消耗を考慮に入れてだろう1日1回で興行されていたが、この日の2度目のステージもなんら問題なし。75歳矍鑠、何度触れても熱くなれ、気持ちよくなれる、珠玉のR&B名人芸なり。なお、24日には北海道の岩見沢でやった邦楽中心のフェスに出たそう。そして、このリヴィング・リジェンドなソウル・マンは、この週末にはフジ・ロックに出演する。彼のことをあまり知らない聞き手をノックアウトしてほしい。


<今日のワタシの考え>
 このブログでも何度か触れてきているが、エアコンを使わないなど、省エネ志向の生活を2009年からやっている。軽い気持ち、ゲーム感覚で。まあ、ぼくもおしげもなく電気を浪費しているところはあるだろうし〜やっぱし音楽愛好は電気を使うと思う〜、まあ可能な部分は少しでもしちゃいまーすという感じ。だから、電気は喰ってもライヴ会場ではちゃんと冷房を効かせてほしいと、ぼくは切に思う。汗だくで、ライヴを享受するのはやはり勘弁。そのかわり、汗だくでいても第三者の目にも触れず、不快感を与えないだろうプライヴェイトな場では頑張ってみようかと思ったりするわけです。ぼくの場合は無駄にクルマにも乗っているし、やはりそれについてのなんらかのペナルティは負うべきだとも思う。
 節制しなくても現在電力会社が供給している電気量でなんとかなるし、夜間は電気が余剰となるのだから、ガンガン使ってしかるべきという人もいる。そうかもしれないが、皆でちょっとづつ電気の使用量を抑えることで全体の消費量が減じれば、それにともない電力会社の発電計画も縮小見直しにつながらないか。なにも、現在供給されている量を是としちゃうこともないだろう。それに、火力にせよ原子力にせよ、電気を作る量を減らした方が後の環境には優しいはずで、地球の寿命ものびるはず。ぼくは、そういう思いで、なるべく自宅では我慢するようにしている。

日野皓正

2011年7月25日 音楽
 基本1コードの怒濤&混沌のビート・サウンドに、アブストラクトなトランペット・ソロが炸裂! それが、1時間50分! 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 新作『アフターショック』に基づく実演で、日野(2011年3月28日、他)御大に加え、DJのdj honda、アコースティック・ピアノの石井彰(2006年11月3日、他)、電気ギターの小沼ようすけ(2011年3月28日、他)、電気ベース/ラップの日野賢二(2006年1月9日、他)、キーボードのPenny-k(2007年11月27日。アルバムに参加していた佐藤允彦の代役)、コントラバス/タブラの須川崇志(2010年3月14日)という面々。ようは、ドラムレス編成で、ビートはスクラッチングもするDJホンダが送り出し、そこに2ベースと2鍵盤、ギターがえいやって入るというものなり。

 一言でいえば、尖った楽器ソロがのった、“極左”と言うしかない、フリーでヴァイタルなファンキー・ジャズ表現が展開される。演奏した多くの曲は『アフターショック』に入っていた日野曲だったようだが、この設定で、「メリー・ゴーランド」や「アボリジナル」など彼の81年作『ダブル・レインボウ』(CBSコロムビア。菊地雅章の『ススト』と対になるような逸品)の曲をやってほしいと思ったか。あ、話はズレるが、ビュークの「ペイガン・ポエトリー」(2001年『ヴェスパタイン』収録)を聞くと、ぼくは『ダブル・レインボウ』収録の「イエロー・ジャケット」を思い出す。

 熱とどう転がるか判らない現場性をたたえたライヴに触れながら、こんなことも考えた。……マイルス・デイヴィスが亡くなったのは65歳。80年代中ごろ以降はバッキング・トラック作りを丸投げし、本人は素直なメロディをなぞることに徹した。ま、それはそれでいい。が、現在、68歳の日野はなんら枯れるなく(今回の設定は息子の賢二がけっこうお膳立てしたようだが)、アブストラクトでフラッシイなトランペット演奏を青筋立てて怒濤のビートにのせまくり、身軽に踊りまくる(ショウの後半)。ほんと、日野はモンスター。破格にして、賞讃するにあまりある。

 そのトランペット演奏にある名人芸たる冴えたフレイジングや心狂おしい含みは、もしかすると70年代中期には完成していたもの、披露していたものかもしれない。だが、これだけエモーショナルな曖昧〜ジャズたる輝かしい暗黒と直結した何かを“今”とつながりつつ出せる人は、そうはいないのではないか。やはり、ぼくは日野皓正のことが大好きなよう。自虐的というか、どんどんコワれていくMCはちょいしんどいが。

<今日の記憶>
 日野皓正というと、思い出すことがある。彼の公式サイトのディスコグラフィーには載せられていないが、89年に東芝EMIから『オン・ザ・ロード』というスペイン録音のアルバム(ワールド・ミュージック旋風を受けた内容、とも言えるか)を出したことがあった。が、なぜかジャケット・カヴァーはタイのプーケットで撮影し、取材はそこで受けますとなった。ああ、バブリーなころ。レコード会社の人間や撮影スタッフなどに加え、確か二媒体がその撮影ツアーに呼ばれ、ぼくはそのうちの一媒体のインタヴューアーとしてプーケット行きに加わった。
 行きは日野さんも一緒。成田空港の免税店で、彼は沢山の洋酒を買い求めた。ああ、お酒大好きなんだ……。リゾート・ホテルでは一緒にテニスをさせてもらったり、ディスコに行ったり。ディスコに入るやいなや、彼は派手に踊りっぱなし。ああ、楽しむ事にも一流で、何をやるのも全力投球なんだァと了解できた。そして、彼はお酒も煙草も嗜まない人であることも。
 取材陣が帰国する前夜、彼は一緒に来た人間を一人づつ部屋に呼んだ。「こんなボクのためにわざわざ一緒に来てくれて、本当にありがとう」。そう言って、彼が渡したのは、成田で買い求めたお酒だった。


アン・サリー

2011年7月24日 音楽
 場所は座・高円寺2。高円寺駅を降りて線路沿いを歩いていったら、老舗ヴェニューのジロキチの先のほうに、この複合文化施設はあらわれた。公の建物で、NPO法人が運営しており、阿波踊りの練習もここでやっているそうな。

 独自の位置を得ている、女性歌手(2011年4月24日)のショウ。伴奏はピアノ、アコースティック・ギター、トランペット(ニューオーリンズで出会った旦那さんとか)というシンプルなもので、それは隙間の妙、いろんな音楽が交錯するがゆえの“綾”を持つ。そんな伴奏のもと、アン・サリーはさらりと、自然体で歌って行く。取り上げる曲はボサノヴァ曲「あなたと私」、スタンダードの「アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ」や「スマイル」、オリジナルの「新しい朝」、50年以上も前に発表された「夏の思い出」や「蘇州夜曲」、阪神淡路大震災から生まれた「満月の夕」、など。また、途中にショーロ・クラブ(2002年3月24日)のコントラバス奏者の沢田穣治(2010年4月19日)が出てきて、彼女が参加した彼の武満徹曲集に収録された2曲をデュオでやる。

 アンコール最後の曲は、マリア・マルダー(2010年6月18日、他)で知られる妖艶洒脱曲「ミッドナイト・オアシス」。マルダーが今歌うと喉の衰えもありかなりわちゃくちゃになってしまうメロディ取りが難しい曲を、アン・サリーはさりげなくもソツなく歌う。秀でた佇まいを持つ歌手であるだけでなく、歌の上手な人物であると、実感できました。とともに、彼女の確かな居場所/支持者の存在は洋楽享受文化の積み重ねがあってこそのものである、ということも。


<今日のレコード>
 なにをトチ狂ったか、モノを捨てなきゃと思い続けているのに、さいきんアナログ熱が復活し、よく中古盤屋を覗いている。23日に四ッ谷の“いーぐる”でお話しして音楽をかけた際にも、すべてアナログを用意した。ちゃんとした装置で聞くと、より良さを実感できるよな。アナログを用意したことについては、来た方からお褒めも受けた。今日もライヴ前にレコード屋に寄りそうになったけど、手ぶらで会場入りしたかったので我慢がまん。アナログ購入はお店で買うのを決まりとし、絶対にネット買いはしない。。。それだけは、守るようにと、自分に言い聞かせている。


 南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。モダン・ジャズのヴァイブラフォン奏法の第一人者たるバートン(2005年8月21日)は、冒頭に客とヴェニューに対し謝辞を言う。淡々、どってことないが、なんか気持ちが伝わってきて、いい感じ。43年生まれ、なんかキャリアの重みをそこに感じたかな。

 ドラムのアントニオ・サンチェス、ギターのジュリアン・レイジ(2009年6月24日、他)、ベースのホルヘ・ローデル(ペルー出身)をともなってのもの。バートンの新作『コモン・グラウンド』(Mack Avenue)に倣う編成で、ベース奏者だけレイジのバンドのローデルに変更、そしてセルビアやクロアニチアを含む欧州ツアーをへて、日本にやってきた。

 寛ぎに満ちた(でも、ときにスピード感も保つ)、我々のリヴィング・ルームの営みへようこそ、てな、ノリの実演。さりげない手触りのなかに、質や一握りの閃きが見え隠れ。それぞれの手に2本のマレットを持ち、自在に鍵を軽快に叩くバートンの様は意外性はまったくないもののさすが。やはり、クリスタルな感覚、アリね。そんなアフリカや民俗音楽に大きな興味を持たなかった世代ならではのマレット裁きに触れつつ、今のヴァイヴ奏者だと膨大な情報を受けざるを得なく、それだけである種の透明感からは離れざるを得ないよなと思う。大御所らしく固定のファンもいるのか、いつもの場内の雰囲気とも少し違うと感じたか。90分のパフォーマンス、サンチェス作の同時代感覚にあふれる曲から、「アフロ・ブルー」や「バグス・グルーヴ」(MCで、ミルト・ジャクソンに触れる)などの有名曲まで、いろんな曲をやった。

<今回のジュリアン>
 翌々日に、ギタリストのレイジには取材。朝、10時から。場所は一等地ながら駅からは離れたホテルゆえに、車で行く。道の混雑状況が見えないため、70分前に家を出たら、道がびっくりするぐらい空いていて、15分でついてしまった。この時間帯だと多少通勤ラッシュにもかかるはずなんだが、なんでー? 帰り道も空いていたが、それはたまたまなのか。
 クラシックとブルーグラスやフォーク・ミュージックを同一軸に捉えることができ、チェロ奏者を含む変則ワーキング・バンドを南米各国出身者で固めるレイジは、まだ23歳。前回来日時も取材したので、スムースにその続編といった感じで話は弾む。ステージにちゃんとネクタイをしてステージにあがっていた(4人中、彼だけ)が、それはバートンに敬意を表してだそう。開始時間に爽やかに取材場所に表れた彼、朝は強いのかと思ったら、スタッフにはもう少し時間が遅くならないのとこぼしていたそう。


 結構、デカい台風が南日本を襲っているというニュースがトップ項目にある日。なんとなく、代官山のヴェニューを2つはしご。

 まず、晴れたら空に豆まいてで、世武裕子(2009年6月19日、他)を見る。渡辺琢磨(2011年5月22日、他)や南博(2011年3月2日、他。この日は、津上健太;2011年6月23日他、とのデュオであったよう)らピアニストを集めた出し物の、1番目の出演者としての出演。ゆえに、この日のパフォーマンスはインスト中心にて。

 一応ピアノの前に譜面を置き、少しモチーフは用意しつつも、基本は即興でやっていたんだろうな。反復系のフレイズをだす左手音に、自由に右手でいろんな気持ちをのせていくようなパフォーマンス。即興作曲演奏? クラシックでもあらずジャズでもあらずポップでもあらず、とここでは書いておこうか。確か、10分ぐらいのソロ・ピアノ演奏を4曲、4曲目の途中からはドラマーが加わる。彼女のような弾き手にグルーヴを求めようとは思わないが、もう少し強弱のダイナミズムがあってもいいかも、それだともっと、指から紡ぎ出される旋律が輝くのにと少し思ったか。最後の曲はヴォーカル曲(決してポップな感じではなかったが、面白い曲だと感じた)で近く出るシングル曲と言っていたか。いろんな個性と広がりを持つ人だが、ぼくは歌付き表現のほうが好きかな。

 そして、ユニットに移動。そちらは、すげえ芸名を持つ、香港生まれ英国育ちの女性シンガー・ソングライターのショウ。ちょうど、始まる前に着く。

 生ギターを手に出てきて、弾き語りを聞かせる彼女に触れ、へえと思う。屈託なく、自分のノリをさらりと出して、一人ながら会場をそれなりに自分の掌握する空間にしている。MCはけっこう日本語でしようともする。そんな彼女はけっこう同業者受けしている人だが、4曲目ぐらいからは、ちょうど来日中のアッシュのティム・ウィーラーがやはり生ギターを手に出てきて、以後はデュオによるパフォーマンス。まあ、やっていることは別に特筆すべきことではないが、次々にストレスなくエミーやアッシュの曲を繰り出し、ヴォーカル・パートの分け方やハモりがとてもこなれていて、こりゃ過去にも2人は人前で一緒にやっているナといいうのは了解。まあ、他愛ないが、娯楽としてアリ。ウィーザーの曲もやったな。気さくにMCに日本語をまぜるのは、ウィーラーも同じ。彼は、「ナデシコ・ジャパン、イチバン」なんても言ったか。


<ここんところの憂慮>
 見事に、夏カゼにかかっている。1週間強前に、扇風機の強めの風にあたったまま昼寝していらい。もう嚔や咳がすごく、鼻水だらだら。ティッシュの使用量がすごい。扁桃腺が少し晴れ気味なので、たぶん微熱もあると思う。が、外気が暑いので、それでダルいのか、熱でダルいのか判別つかず。えーん、酷い夏風邪をひくのは、初めてのことだな。市販薬を3日分摂ったが、まるで効かない。16日からの世間の三連休に入れていたイヴェントも、それですっとばす。おかげで、女子サッカーのワールド・カップの決勝はゆっくり見る事ができたが。しかし、サッカーのW杯で優勝なんて、超すげえ。これが男子だったら、世間はもっと大騒ぎだろう。その中継をなじみのバーで大画面で見たあと、ちょい起きはしたものの、19時間ぐらい延々と寝てしまったのにはびっくり。その前だって、ならせば1日11時間ぐらいは、寝ていたはずなのに。身長、0.3ミリぐらい、伸びたかな。てな、体調なので、ユニットの後は流れず、素直に帰宅。電車に乗る気になれず、タクったのだが、車内冷房が目茶効いていて、仰天。運転手はおじいちゃん、こんなに寒い中ずっといて、平気なんですかあ。普通なら冷房を落としてと言うはずなのに、すぐに着くからとも思い我慢しちゃったぼく……。体調不良で、なんか弱気、消極的になってんなーと実感。
 

タワーレコード渋谷店/ステージ・ワン(地下階ステージ)。オーディションを経てタワーレコードからCDを発売するアーティストが3つ出る催しで、2つの出演者を見る。まず一つは、4人組ビート・バンドのTHE PINBALLS。過剰に青筋も立てず、かといって、甘くもなく。この手のバンドってアップ・テンポ曲は勢いでもっていけちゃう一方、スロウ/ミディアムだと辛いと思わせられる(それは、ぼくの場合、けっこう有名なバンドでも)場合が多いが、彼らの場合、ミディアム曲が魅力的。ぜんぜんかったるく聞こえないのにはびっくり、にっこり。そして、もう一つは女性シンガー・ソングライターの個人ユニットであるような、yumeiroecho。普段はバンドでやっているとのことだが、この日は生ギターの弾き語りにて。ぜんぜん、問題ない。コードを良く知っている、洋楽好きの質の高い作曲家が作ったと書きたくなるような高品質な曲を、印象的な声質を介して開く。個人のなかで曲作りから歌うことまでがきっちり消化され、綱弾きしているため、それは確かな輝きを持つ。今日きいた2つの出演者は、ちゃんと曲が書けるなあと思った次第……。


<今日の食パン>
 パン党かご飯党か。そう、聞かれたら、両方デスと答えるかな。朝はパンを食べる方が断然おおいし、夜はフレンチとかイタリアンなどのレストランで食事をする以外はご飯を食べたい。インディアンに行っても、ナンではなく、だいたいはサフラン・ライスを頼む。ご飯のほうが、いろんなカレーを楽しむのが楽だから。ナンでそれをしようとすると、もう指がカレーだらけになっちゃう。って、そんなことを書きたいのではなく、いつからか、普段食べる食パンになんか、ちょい違和感を感じている。フワフワしすぎで、それが長持ちしすぎ。なんか、トーストしてもいまいちと感じるときがある。それと、昔よりもカビが生えにくくなっているとも感じる。それは、商品管理がより厳しくなっているのを示すのか。ちゃんとこだわりを持つ人間ならお気に入りのパン屋さんがあって、そこで買い求めていたりもするのだろうが、スーパーで適当に購入しているぼくゆえ、いい加減な感想ではありますが。

 ブラジル人のギター名手(2009年5月1日)とボサノヴァ弾き語りの日本人女性第一人者の小野リサの共演ステージは、六本木・ビルボードライブ東京にて。お、ぼく、小野リサを見るのは初めてだ。MCによれば、10年前に小野はネヴィスのプロデュースでアメリカの曲をボサ調で紐解くアルバムを作ったんだそう。ネヴィスも英語でMCをするが、本当に日本が好きなようだ。

 アタマの方はネヴィスの寛いだ、歌こみのパフォーマンス。バンドはフェビアン・レザ・パネ(2005年9月14日)、杉本智和(2011年4月10日、他)、吉田和雄(2010年7月6日)、ボブ・ザング(フルート)という面々。途中から、小野を呼び入れ、一時はバンドがさがる。名人が横にいるためか、小野はギターを持たずに歌う場合のほうが多い。ネヴィスは一部で、足下のペダルのコントロールでギター音に連動するキーボードっぽい音を出したりも。なんにせよ、特に夏にはありがたやーとなる清涼感あり。

 次は、丸の内・コットンクラブ。出演者のダン・ベイカーはUKジャズ・ファンク・バンドのザ・ベイカー・ブラザーズ(2008年12月11日、他)のギタリスト/キーボーディスト。O.M.D.とはワン・マン・バンドの略で、ようは彼の昨年暮れに出されたソロ・アルバムがそうであったように、一人でバンド音を出しちゃいます、という趣向のパフォーマンスを見せる。昔のポール・マッカトニーやトッド・ラングレンをはじめ、一人多重録音する人は少なくないが、彼のポイントはリアル・タイムでいろんな楽器音を出して、歌ってしまうこと。なお、すべての曲で彼は歌を披露するが、とっても一本気に朗々と歌う。
 
 まず独自なのはドラム音で、鍵盤ペダル一つ一つにハイハットやタムなどの各種ドラムのパート音を仕込み(13種類らしい)、器用に両足で鍵盤ペダルを踏んでドラム音を組み立てる。そして、それに合わせてキーボードかギターを弾きながら、彼は歌い、楽器ソロを取る。ベース音はキーボードを左手で弾いて出すが、ギターを弾いているときもそれは出ていたので、その場合は足鍵盤で出していたのかもしれない。基本、サンプラーは用いず、実直に一人バンド音をヴィヴィッドに出しながらのパフォーマンス。曲はスティーヴィ・ワンダー、ザ・ポリス、ジミ・ヘンドリックス、ザ・スペシャルズ、ブッカー・T・ジョーンズなどを取り上げる。カヴァーのほうが、その酔狂な回路の妙味はよく判りますね。個人的に、こりゃいいと思ったのは、スライの「イフ・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ステイ」だったかな。

 アンコールを含めると、90分以上やった。さすがに幅が広いわけではないので途中からちょい飽きたが、なんか嬉しそうにやる様には、少年期からのささやかな夢の実現の成就と言えるかどうかは判らないが、ポップ・ミュージックにまつわる幸福な風景があったと思う。

 そして、3つ目のギグは、渋谷のバー・イッシーでのもの。(2010年1月9日、他)ハル宮沢(ギター)、泉邦宏(アルト・サックス、ソプラノ・サックス、クラクション。2010年1月9日、他)、不破大輔(電気ベース)、植村昌弘(ドラム。2010年6月7日)。渋さ知らズの初期メンバーが集ってのもの。珍しくも、興味深い出し物に、店は満員。4人の演奏は、けっこう立ったビート感覚のもと、ノンストップで、狼藉する感覚を孕みつつ、ぐばぐば流れて行く。やっぱ、おもしれー。ファーストの最後のほうの不破のベースはダグ・ローチ(サンタナ)みたいだった。泉はけっこう、2本くわえ奏法を見せる。やはり、素晴らしい吹き手。アンコールの2曲は“有り曲”のようで、マイナー・キーのブルース、そして渋さ萌芽期のリフ曲だったよう。

<今日の所感>
 日中、外に出ると、ある意味、素晴らしい日差し。週末に梅雨明けしたらしいし(今年は雨が少なかったはず)、もう完全に夏。ながら、今日は過剰に湿度は高くなく、風もほのかに感じる。ソウダ、私ハりぞーとニ来テイルノダ、と、無理矢理思う事にする。そう思えば、多少は楽しくなる、か。
 ここのところ、暑さもあるのだろう、寝ても4時間ぐらいで目が覚める。そのぶん、シエスタは気ままにとっている。寝たいときに寝て……、それもある意味リゾートの時間の使い方だよな。と、思う事にしよう。今、ほのかな願望は、ベッド・サイドに小さな冷蔵庫を置きたいナ。寝ていて喉が渇いたときに、台所まで出向かず、寝ぼけたまま冷水を摂るのを可能とするために。どんだけ、無精? あ、それでホテル宿泊感覚を得たい? そのうち、ルームサーヴィスお願いとか、寝ぼけて誰かに電話したりして。昨年の猛暑を経験して、こんなに暑い夏は今後そんなに経験することもないだろうと思ったが、今年ももしや……。
 10月に新宿周辺でやる音楽見本市のプレ・イヴェント。5つ出たうちの、後半の2つのバンドを見る。新宿・Motion。懐かしい知り合いと、何人か遇う。

 まず詩人の東雄一郎ひきいる、彼のスポークン・ワードを中央に置くFlight Of Idea。たまにアルト・サックスも吹く東はけっこう即興で、言葉を綴ってもいたのかな。客から3つのお題目をもらい、それでストーリーを作っていったりも。そんな彼の行為/言葉を持ち上げるヴァイオリン、ギター、ベース、ドラムからなるバンドはかなりバンク・ジャズ的。いいバンドを抱えているじゃないかと、頷く。NYほか海外でギグもしているようだが、そのときも日本語でやっているのだろうか。彼らの『Blue Colours』というブックレット付きCDには、ロシアの綺麗な若い娘の写真がいろいろ載せられている。ネットで知り合ったそうだが、いろいろな枠を超えた先にある芯と行動力ある個のイマジネイティヴな起立を、それはきっちりパッケージしている。

 それから、もう一つ見たのは、THE RUBIES。毎年、米オースティンのサウス・バイ・サウス・ウェストに出ているそうな、4人組ロックンロール・バンド。ショウの始まりはマイケル・ジャクソン曲を流してメンバーの一人が客席フロアで踊る。彼はタンバリンやかけ声〜盛り上げ担当で、音楽自体は他の3人でまかなっていると言えるか。なるほど、見せ方/エンターテインメント性の出し方に気遣い、企業努力をしているナと思う。熱意、あり。終盤はバンドもフロアに出てきて、客をまきこんでぐるぐる回ったりも。好意的に書けば、R&Rのイナせな馬鹿っぽさを真摯に追求。曲はエモも入ったと言うノリもあるが、ラモーンズ調の出だしから甘ったるい旋律が出てきたりして、個人的にはずっこけたりも。3曲入りのCD-Rをもらったが、音自体はライヴで聞けたものよりもそっちのほうが良いと思った。
 
<今日の懺悔>
 夜の8時以降は絶対モノを喰わねー、と、6月中旬に言っていたことがあった。バーに行っても、そう言って、お通しさえも頑に拒否したり。何軒かで、エラソーにそれを宣言していたな。有言実行、を求めて(笑い)。
 いくら飲んでもいいから、食べ物は摂らない……そう、ぼくに決心させたのは、メタボなお腹。こ、こりゃイカン。とはいえ、お酒はやめられるはずがないので、せめて食べ物だけは夜たべるのは、やめようと思った。が、ぼくの生活パターンだと、それは無理。コンサート後に知人と流れても飲むだけになってしまうし、今はけっこう深夜型になっていて、夜が長い。ワタクシ、体内時計が微妙に狂っていて、時期によって、生活の時間パターンがおおいに変わるの→そのため、海外渡航時のジェット・ラグにはそれほど悩まされない。まあ、いま心地よく感じる時間割は、午前1時半就寝〜午前8時半起床なんだけどナー。あれ、週に何回、1時半以降も飲み屋にいる?
 ともあれ、20時以降喰わない宣言をした店に行って、軽く挫折したことことを告げると、(1週間ぐらいは続けたので)三日坊主よりはマシじゃないと、妙ななぐさめされかたをされた。おだてられて木に登るオレとしては、ありがてえ。

 完全に夏の日差しがバルコニーに注いでいる(眩しいっ)が、一方ではとても風が強く、気持ちよく仕事部屋を風が吹き抜けて行く。なんか快適、鳥の鳴き声も聞こえてきたりして、一瞬ここは何処てな感じで、リゾート気分になる。気持ち良い。

 日暮れ以降は、例によって“飲みの時間”。まずは、丸の内・コットンクラブに行って、元サンディー&ザ・サンセッツのサンディーのライヴを見る。近年はハワイ育ちという属性を活かしハワイアン音楽とのつながりを前に出した方向に出るとともに、フラ・ダンスの教室を持ち成功しているのはなんとなく知っていたが、MCで「(フラのほうの印象が強くて)私が歌っていたことを知らない人も少なくない」というようなことを本人も言っていた。会場内は女性客が多し。肩がでた薄手のマタニティ・ドレス(本当はちゃんと呼び名があるんだろうけど)みたいな格好をしている人の比率が高い。彼女のフラ・スタジオの生徒なのだろう。ステージの向かって右側は楽器などを置かずスペースが作られていたが、3、4曲では計4人のダンサーが出てきて、音楽に合わせて踊ったりもした。

 と、書くと、かなりハワイアンなノリのパフォーマンスだったみたいだが、伴奏を担ったのはチャクラやキリング・タイムをやっていたピアニストの清水一登(2010年3月20日)ということもあり、好奇心広がる開かれたポップ表現になっていたのではないか。非ハワイアン曲も歌ったろうし。サンディーと清水はずっと一緒にやっているようだ。それから、菅木真智子がコーラスをつけるが確かなハモりを提供し、なかなかの実力者と見た。サンディーのステージは初めて見るが、MCや振る舞いに触れると、びっくりするぐらい無邪気な人という印象を持つ。

 後半は、コンテンポラリー・ハワイアン・ミュージックのハパにいたこともあるようなネイサン・アウェアウが出てきて、ソロでやったり、サンディーたちとかさなったり。ギターやベースを達者に弾きばがら、伸びやかで透明度の高い歌を披露。それに接し、彼はハワイに生まれていなくても、音楽でそこそこ名をなすに値する才を持つ人なんだろうなと感じる。彼は子供の事から親しんだ歌と言って、昔の日本の健やかな曲を日本語で歌った。ハワイと日本の交流関係の積み重ねに思いをはせかけたが、ハワイに行ったことがないぼくには、それは無理ってもん。ちょうど今、子供に学校を休ませてハワイに家族旅行に行っている知人がいるなー。

 その後は、南青山・ブルーノート東京で、渡辺貞夫のショウを見る。アーロン・ゴールドバーグ(ピアノ)、マット・ペンマン(ベース。2010年9月5日、他)、ジョー・ダイソン(ドラム。ニューオーリンズ出身で、まだ21歳とか)、在NYの生きのいい奏者をともなってのもの。彼は6月中旬にNYで新作のレコーディングをしてきている(それは前作の録音メンバーと同じ、ようは2009年9月3日のライヴの顔触れと同じ)が、それとはまったく異なる奏者を呼んでのパフォーマンス。3.11後の寒い日々のなか書いた「ウォーム・デイズ・アヘッド」と紹介したバラードをはじめ、新作に入る曲もやった。やはり震災後に書いたと言ってやった曲(「ホワット・アイ・シュッド」というタイトルだったか。よくおぼえていない)はかなりグーヴィな曲だった。


<今日の、????>
 サンディーの初ソロ・アルバム『Eating Pleasure』(アルファ、80年)は細野晴臣(2010年11月21日、他)のプロデュースで、バッキングはYMO+久保田麻琴(2010年12月4日、他)。それ、今聞くと、その後のザ・サンセッツ作のプロト・タイプ? 4曲は細野曲で、他は久保田曲や高橋幸宏(2009年10月31日)曲やロニー・バロン曲やモータウン曲などを取り上げている。で、なぜか家のレコード棚には『Eating Pleasure』が2枚あるんだが、ジャケット・カヴァーが違う! 1枚は通常良く知られているピンク色の背景色のもの(サンディはヒョウ柄の水着かレオタード)で、もう一枚は背景色がグレイでサンディはキャベツ柄の布をおっぱいに当てている。後者のジャケ盤はどういう経緯を持つのだろうか。だれか、知っている人いないかなー。近藤さ〜ん、おせーて。

 再結成した日本人トリオ・バンドのGREAT ADVENTUREとのスプリット公演(という言い方をしていいのかな?)、後に出てきたMountain Mocha Kilimanjaro(2008年10月15日)のショウだけを見る。03年結成のレッド・ホット・チリ・ペッパーズのコピー・バンドに端を発する2管つきの6人組のファンク・インスト・バンド、実は先日の近藤房之介のショウ(6月16日)のときの選抜メンバーが参加したバンド音がおいしかったので、ちょい見たくなった次第。渋谷・クラブクアトロ。

 面々は、思い思いにスーツ、ネクタイ、帽子を身に付けている。で、こんなだったかなと、興味を感じるところは多々。とにかく、こんなにバンドの質感がゴリゴリだったっけか。ベース音がそういう印象を導く音質を採用していて、それに無理なく重なるバンド音がそうした所感を強める。で、ソロを聞かせる場合もなくはないが、基本は太いリフ/アンサンブルでぐいぐい流れて行くパフォーマンスを聞かせる。無骨。けっこう曲も、切れ目なしにつなげられて届けられる。ジャム・バンド濃度を増しているという、感想も得たか。他のレア・グルーヴ視点を持つ、ジャズ・ファンク系バンドと差別化を図れるところがあるなあと、納得。一度取材したとき、海外進出志向を口にしていた(すでに英国からアナログがリリースされたり、豪州ツアーをしていたりするが)が、そんなポイントは武器になるだろう。

<昔からの、ほのかな願望>
 だいぶ昔から暇なときにしてみたいと、思っていることがある。それは、家の最寄りが池尻大橋駅なので、外出するときに基本つかっている田園都市線を、隅から隅まで乗ってみたいナということ。ぜんぜん、鉄道マニアじゃないんですけどね(子供のころは電車よりバスのほうがべらぼうに好きでした)。田園都市線は地下鉄半蔵門線、さらには東武伊勢佐木線もしくは東武日光線まで一本で繋がっているのだが、それは100キロ近くと相当に長く、全部乗ると2時間半はかかるのだそう。うぬ、ちょっとした旅行だな。平日昼間に、端(田園都市線の奥は、神奈川県の中央林間)から端(埼玉県の久喜か南栗橋)までのんびり乗車して、街や人々の様の変化に触れてみたいものよのう。で、帰りは東武の下町の駅でひょっこり下車して、一杯飲む。かなり前からそんな願望をほのかに持っているのだが、残念ながら、まだ実行していない。そういえば、今日の二つのバンドは埼玉県加須市の先輩後輩にあたるようだが、加須駅にだって一本で行けちゃうんだよなー。

追記)なんて、吞気なことを書いていたが、加須市は福島第一原発のお膝元で全住民が皆退去させられた双葉町の住民が一番移ってきていて、借りの町役場も同市に置かれているのを知る。……。……。


 まず、前座で、タヒチ80の面々がアルバム・プロデュースしている仏人シンガー・ソングライターであるメディ・ザナードの個人プロジェクトであるフグが少しパフォーマンス。キーボードかギターによる、ほんわかポップ曲の弾き語り、1曲だけタヒチ80のリード・シンガーが出てきてギターを弾く。逆に、ザナードはタヒチ80のショウに鍵盤奏者として加わっていた。恵比寿・リキッドルーム。この3月下旬に予定されていた延期公演の仕切り直し、かなり混んでいた。

 少し間を挟んで、フランスの洒脱ポップ・ロックの担い手、タヒチ80のショウがはじまる。何度も日本に来ていて一度ぐらいは見ているはずだが、いつ見たか思い出せない。ともあれ、その実演に触れてすぐに思い浮かんだ感想は、ほぼパーフェクト! 歌にしろ演奏にしろ、曲の水準にしろ、どれもが軽妙にして高レヴェル。わー、すげえ。アルバムで聞けるものよりもより立体的&精気に満ちているな。こんなにも、実力者たちだったなんて。かなり、感心。日経新聞の公演評(7/13、夕刊掲載予定)と重なるといけないので、このぐらいにしておく。


<今日の、疑問>
 日暮れ前はだいたい家にいるが、在宅でも居間の照明を消すなど、節電意識は高めかと思う。ながら、PCだけは例外で、外出しているときでも基本スウィッチを入れっぱなしにしている。それ、マメにON/OFFやっているとPCの寿命が短くなると聞いたことがあるのと、画面を見たかったり、原稿を書きたいときに、すぐにそれが可能なほうが快適だから。が、知人から、PCはスリープ状態になっていてもけっこう電気は喰うはずと指摘され……。本当のところはどうなんだろう?




吉澤陽子、他

2011年6月25日 音楽
 ベネズエラって石油がとれるので南米のなかでは裕福な国であるという事実は、この日初めて知った。だから、チャベス大統領は米国にたいして強気に出れるのか。

 日本で唯一のベネズエラ音楽を演奏するアルパ(ハープ)奏者である吉澤陽子を、ベネズエラ愛好家たちが囲む出し物。南青山・プラッサオンゼ、出演者/グループの数も多かったが、お店はフル・ハウス。クアトロやマラカスなんかが活躍し、伸びやかな歌が入ったりも。同国の一番知られる曲は「コーヒー・ルンバ」のようだが、前のめりに進んで行って、リズムが余りそうなところイン・タイムで終わるみたいな感覚を持つ曲が多いなあ、なんても、見てて思う。

 1部と2部は次々に出演者が交代でステージにあがり、3部はジャム・セッション。プロとアマの垣根もなく、同好の士がおおらかに愛着を重ね合う様に触れて、音楽を育もうとする日常と隣り合わせの場を目の当たりにしたという気持ちにもなったか。詳細は、次号のラティーナ誌で。


<今日のもやもや>
 知人から、安くするので車かわない、と唐突に提案される。不可能な額ではない。前から、いいよねと、ほめていた車。スポーティな欧州車で、乗り回していたら、羽振りいいんだなと思われるそうなやつ。ハハハ。ネックはオートマティック車であること、長年マニュアル車にばっか乗っていて、オートマを運転するのがマジ恐い。やっぱ、渋滞してなきゃマニュアル車は運転していて楽しい。あまりとばさなくなってきた今のほうが快感を覚えるギア選択をフフフとするようになったりもしている。それ、燃費のことを考えたら×だが、逆にたまに目一杯エコ・ランを求めたりもし、それもまた楽しい。それに、今のっている車は当たりだったようで故障もあまりないし(でも、新車で購入し2万キロも走っていないのに、ディーラーからはタイミング・ベルトの交換を薦められている。15万円弱は高いなあ)、なんの不満も持っていない。とかなんとか、おそらく、購入話はスルーするだろう。とはいえ一方で、車種がハマー(知り合いの米国人は、愛着をこめてハンビーと呼ぶ)だったら、話に乗っちゃったりして。ヘヴィ・デューティなオフロード車はとっくに卒業したと思っていたが、最後にもう一花ぶぶいと(?)そっち系のクルマでカマしてみたい自分がいるのかも。ココロ、微妙に揺れる。


 恵比寿・リキッドルームで、SOIL & “PIMP”SESSIONS(2011年1月30日、他)とハナレグミ(2011年5月21日、他)の共演するパフォーマンスだけを見る。いちおう、SOIL公演にハナレグミがゲストという形だが、けっこう長々と絡んだんじゃないかな。SOILの全員を伴奏者にしハナレグミ曲を披露するだけでなく、管楽器奏者2人のサポートで歌ったり、リズム隊だけがバッキングしたり。いろいろ。なるほど、ウマがあって、いい関係を持っているのがよく判る。また、マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」を<いいネ!>と置き換え、気ままな日本語歌詞で披露したり、ブッカー・T・ジョーンズ(2010年2月8日、他)のピースフル曲「ジャマイカ・ソング」を披露したりも。その際、観客とのいい感じのやりとりもあって、近年いろんな人にカヴァーされる曲だと思うが、今晩のヴァージョンはぼくが触れた「ジャマイカ・ソング」のなかで一番幸せ度数が高かったんじゃないか。有意義なかさなり、有意義なライヴ、音楽の素敵がそこにあった。

 その後は、代官山・晴れたら空に豆まいてで、ジャズ・ピアニスト率いるオーケストラの実演。セカンド・ショウから、見る。渋谷毅(2005年12月20日、他)、松風鉱一(2005年12月20日)、峰厚介(2009年1月22日、他)、津上研太(2006年10 月25日、他)、林栄一(2009年7月19日、他)、松本治(2005年2月19日、他)、石渡明廣、植村勝正、外山明(2007年1月27日)という、そうそうたる面々。悠々にして豊穣、そしてほんの少しのスパイスがきらりと光る。


<今日の、移動>
 午後3時前に外出したら、とっても夏の日差し。わあああって、言いたくなる。まず、渋谷で小一時間、打ち合わせ。それから、ビクターが新たに売り出す<K2HD HQCD盤>試聴のため、青山ビクタースタジオに行く。外苑前駅からスタジオに向かおうとすると、ベルコモンズに入っているお店がファミリー・セールをやっているようで、歩道にオバサンたちの列。炎天下のもと、ごくろうなこと。スタジオでは、従来の盤との比較試聴が用意される。その差異は歴然なのだが、とにかく、いい装置でそれなりの音量で聞くのはまこと快感。ただし、スタジオ内、冷房ききすぎ。即、汗がひき、上着を着ることをしいられる。それについては、熱を発するキカイがあるから、と言う人がいたが。
 その後、馴染みの事務所とレコード会社にちょい寄りする。前者は冷房控え目、後者はかなりキツい。急に、今日から強くなったそうだが。ぼく、個人としては一昨年、昨年と基本冷房なしですごしているので、今年もそうするつもり。去年の猛暑をなんとかこなしたワタクシ、なんとかなるでしょう。
 最後の店で、財布のなかの1万円札が消えていることに気付く。気のせい? なわきゃあなく、どこでなくした? 早くも、夏ボケか。今後が思いやられるが、他人に迷惑をかけないならば、良しとしよう。夜半の野外は、強めの風があってあつくはなかった。

ルーファス

2011年6月22日 音楽
 チャカ・カーン(2008年6月5日、他)を送り出したルーファス(2008年12月4日、2010年1月20日)はけっこうオルタナティヴなバンドだったと思う。型破りな若年アフリカ系女性歌手(カーンのことですね)をフロントにたてた白黒混合編成を持つ集団で、77年ごろまでの内実は一筋縄ではいかないロッキン・ソウル・バンドというものだった。で、それゆえファンになったろうスティーヴィー・ワンダー(2005年11月3日、2010年8月8日)は74年に「テル・ミー・サムシング・グッド」をプレゼントしたりもしたのだ。話はズレるが、その2、3年前には、ジェフ・ベック(2009年2月6日)に「迷信」を贈っていますね。あの曲、似たような時期にワンダーのヴァージョンも発表されているが、元々はかっとび具合を愛でたワンダーがベックのために書いた曲なのだ。

 そんなわけだから、ルーファスは才豊かなミュージシャンが在籍し、特にプロデューサー的資質に恵まれた人が多かった。ドラマーのアンドレ・フィッシャー(一時は、MCAレコードの副社長にもなったはず)、ドラマーのジョン・ロビンソン、鍵盤のデイヴィッド“ホウク”ウォリンスキらは、一頃はほんとうに制作者として華々しかったな。ルネ&アンジェラを制作したこともあったベースのボビー・ワトソンは一時期日本の音楽界でプロデュース活動していたことがあって、宮沢りえにデイヴィッド・ボウイの75年全米1位曲「フェイム」(ボウイとジョン・レノンとアルロス・アロマーの共作)の日本語詞曲(「GAME」)を歌わせたっけ。

 そんななか、トニー・メイデンは純粋なプレイヤー型ミュージシャンだったが、それゆえ彼はルーファスに在籍しつつ、ビリー・プレストン、ジ・アイズレー・ブラザーズ(2004年3月1日、他)、カーク・ウェイラム(2011年2月28日)、アル・ジャロウ(2003年3月13日)など、いろんな人のアルバムでギターを弾いていたりもする。現在のルーファスはメイデンが100%掌握するバンドであり、それによりガチっとした黒い芯や明快なファンキーさをだすようになった。そして、音楽的に賢い彼はチャカ・カーンの穴を埋めるのに複数のシンガーをカラフルに配する方策はアリと考えていて、このところの来日公演はいろんなシンガーを連れてきているわけだ。
 
 そして、今回は<ザ・ドウターズ・オブ・ファンク>という名目のもと、前回同行した自分の娘(アマンダ・メイデン)とカーンの娘(インディラ・カーン)に加え、スライ・ストーンの娘であるファン・ロビンソン・ストーンの3人のヴォーカル陣のもと、ショウを行なった。メイデンも過去同様、随所で歌う。曲はルーファスの有名曲(それをカーンの娘が歌うだけで、うれしくなる)を中心に。途中、アコースティック・ギターを手に取り、アコースティック調で行くパートもあり。その際、日本の被災を受けて作った「ホールド・オン・トゥ・ア・フレンド」という新曲もアマンダ・メイデンのリードで披露した。

 スライ・ストーンの娘は他の2人のシンガーがかなり小柄なので、少し大きく見える。スライは背が低いが、お母さんは大きな人なのだろうか。年齢は20代半ばあたり? 最初サングラスをしていて、そのときはツっぱって見えて、ザップ・ママのマリー・ドルヌ(2004年12月16日)に似ていると思った。でも、途中からそれを取ったら、朗らかな感じで可愛らしい。スライ・ストーンの74年作『スモール・トーク』(エピック)のジャケット・カヴァーは、彼と妻の白人女優キャスリーン・シルヴァと生まれてそんなにたたない息子のポートレイト。2人はすぐに離婚し、ファン・ロビンソンはその後のスライ・ストーンがより人間をやめるようになってからの娘と考えられるが。そういえば、オリジナル・メンバーのシンシア・ロビンソン(トランペット。2008年9月1、2日)との間にも子供をもうけたという話もあるが、どうなのか。ともあれ、前半に偉大なスライ・ストーンの娘とファンが紹介されて「サンキュー」が始まり、彼女がリード・ヴォーカルを取るかと思ったら、皆で歌う。ありゃりゃ。その後も、彼女だけはリードのパートを与えられず、他の2人より実力が劣るのかと思ったが、アンコール最後のスライ・ストーン曲「アイ・ワナ・テイク・ユー・ハイヤー」で彼女はようやくリード・ヴォーカルを取った! なんだあ、別に問題なく歌えるじゃん。ホっとした。……やっぱ、楽しかったなー。
 
 なお、今回はメイデンと同じオリジナル・メンバーである白人キーボード奏者であるケヴィン・マーフィーは体調不良で同行キャンセル。が、彼は過去の実演でも控え目に鍵盤を押さえているだけなので、実害はゼロであったと思う。彼はルーファス作以外に入っているアルバムが殆どないという、ルーファス一直線の人ではあるけれど。

<ここのところの、アンジェロ>
 CDリリース/販売がどんずまりになったミレニアムにおいて、米国で話題になったCDリリースの方策/販売会社が、2003年から活動を始めている<アーティストシェア>と言えるだろう。
 ようは、このアーティストがこうこうしかじかなアルバムを作りたいという告知を、<アーティストシェア>を通して出して出資者を募る。そのアーティスト/内容に賛同した聞き手は出資するよーんのメールをおくり、設定予算にそれが達するとアーティストはレコーディングし、CDを製作する。面白いのは、出資額にべらぼうに幅があって、一番低いほうの額は音や付属マテリアルのダウンロード権やCDが送られるだけだが(<アーティストシェア>のビジネスはネット配信や通販ビジネスの一般化を下敷きにするものと言えるだろう)、高額だとエグゼクティヴ・プロデューサーとして名前が出せたり、レコーディングに立ち会えたり、はてはライヴ・ショウに楽屋訪問を含むV.I.P.招待やプライヴェイトの実演を受けられるものまで、それはアーティストによっていろんな特典がもうけられていること。一言で言えば、ネット時代のパトロン制度ですね。
 本国ではけっこう注目を受け、クラシックからポップまでいろんなアーティストが<アーティストシェア>を通してアルバムを出しているようだが、ぼくが認知している<アーティストシェア>作品はマリア・シュナイダー(同社発の07年作がグラミー賞を取って、アーティストシェアの知名度を高めた)、ジム・ホール(2005年1月18日)、クオン・ブー(2002年9月19日)、ダニーロ・ペレス(2004年2月9日、他)、カート・ローゼンウィンケル(2010年3月12日、他)、ジェフ・キーザー(2005年1月18日)、ジェラルド・クレイトン(彼のCDはアーティスシェアのロゴをまといつつ、ユニヴァーサル系列エマーシィからリリースされた。2009年9月3日、他)らのジャズ・ミュージシャンのものだけ。だが、近年は<アーティストシェア>方式が一般にそれなりに知名度を得たためもあってか、その回路を自分流にアレンジし、個人単位でCDリリース賛同者を求めている人も散見される。
 そして、ここからが本題なのだが、フィッシュボーン(2007年4月6日、他)のアンジェロ・ムーアも<キックスターター>(音楽に限らずいろんな商行為達成のために見返りを明記し、資金調達達成を仲介するよう)を用いて、ドクター・マッドヴァイブ(2009年11月25 日)名義の新作を作るために目標$25.000にて出資者を募っている。25ドルから10.000ドル以上(これだと、LAへの航空券/宿つきのもと、ムーアによる誠心誠意の接待が受けられる)まで、10段階に出資額が設定されていますね。この夏に久しぶりの来日公演を果たすフィッシュボーンだが、現在のところ目標額の10分の1弱の調達。締め切りは来月22日のようだ。
http://www.kickstarter.com/projects/137991710/dr-maddvibe-brings-you-the-angelo-show
 フィッシュボーンは東京スカパラダイスオーケストラが主宰するトーキョー・スカジャンボリー(今年は8月6日)にも出演するが、スカパラの8月アタマ売りのミニ・アルバムにはアンジェロが歌う「All Good Ska is One」を収録。なだけでなく、本田圭祐が出ているコカコーラ社アクエリアスのTV-CFでその曲が使われているらしい。ぼくんちでは地上波が映らないので未確認だが、アンジェロの歌声がTVから毎日流れる……うわあ、なんて夢のような素敵なことなんだあ!

 マリーナ・ショウ(2003年6月11日)は<R&Bとジャズ>とか<野卑さと洗練>というような極に片足づつ置き、腰をぐいぐいグラインドさせているような42年生まれのアフリカ系シンガーだ。そんな彼女をアイデンティファイする有名作が、当時新進であったベナード・アイグナーがプロデュースした『フー・イズ・ディス・ビッチ、エニウェイ?』(ブルーノート、74年)。同作の再評価気運の高さからか、彼女はオリジナル作に参加していた著名奏者を集めたライヴをやっていて、ここのところその設定で毎年来日している。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。

 バンドの構成員は、ピアノ/電気ピアノのラリー・ナッシュ、ギターのデイヴィッド・T・ウォーカー(2010年12月11日、他)、ベースのチャック・レイニー(え、ぼくが生で彼を見るのは初めて? まさか。でも、記憶にない。奏者紹介のさい、拍手が一番大きかったのが彼だったかも)、ハーヴィ・メイソン(2010年7月9日、他)という面々。かつてのアルバムにはビル・メイズ(2011年3月26日。名前は出していないが、フィル・ウッズ・カルテットでピアノを弾いていたのは彼)やデレク&ザ・ドミノズやトラフィックに入ったこともあったドラマーのジム・ゴードンをはじめ、他にもプレイヤーは参加していたが、その奏者選択はなんとなく納得ですね。ロスのユナイテッド・アーティスツ傘下に置かれ、ジョージ・バトラーが上に立った体制での当時のブルーノートにおいて、T・ウォーカーやレイニーやメイソンは殆どハウス・ミュージシャンという感じであった。

 というわけで、披露した半数強の曲は『フー・イズ・ディス・ビッチ、エニウェイ?』に入っていた曲。同作は女性のサバけたしたたかさを出すような他愛ない男女の会話「ストリート・ウォーキング・ウーマン」で幕を開けるが、2曲目でショウはメイソンと共にそれを臨機応変に再現。そのとき、ナッシュはBGM風にピアノを弾いたが、その曲はリヴァーサイド・レーベルからリーダー作を出していたヴァイブラフォン奏者のジョニー・リトルの「ソウル・タイム」。リトルともどもそんなに有名な曲ではないと思うが、93年に組んだソウル・ジャズのコンピ盤シリーズ<ソウル・ソサエティ>の『スウィート・アン・サワー』(ビクター)でこの曲をぼくは選んだことがあった……。

 歌も演奏も手慣れたもん、無理なく、いい感じ。T-ウォーカーはソロ・パートで大張り切り。素晴らしいっ。そして、マリーナ・ショウの歌い方はいい意味で我が道を行く気分屋さんぽいノリが出ていて、きっと歌詞もノリで歌い飛ばしているんだなろうなーと思わずにはいられず。だが、そういう<いい加減>さも米国黒人音楽の美徳なのだ。と、彼女の存在感ある歌はそう実感させますね。そういえば、マリーナ・ショウは歌っていてキブンで別の曲をちょい歌ったりもしたが、そういう“引用”は大昔からジャズ器楽奏者は頻繁にやっていたこと。ヒップポップのサンプリングはずっと引き継がれてきたアフリカン・アメリカン芸であるのだと鮮やかに示唆する部分もあって、いろんな部分で満たされた気持ちになった。


<今日の車内広告>
 帰りの地下鉄、車内広告を見ていたら、セゾン保険の自動車保険の広告がドアの窓にペタリと張られている。昔からあるのかもしれないが、西武も乗り出しているのか。ソニーが保険業に参入したときにも驚いたが、ホケン業ってそんなにもうかるの? 安そうだった(念入りに調べてないので、そういう書き方になる)ので、自動車保険はソニー損保のものに入っているワタシではありますが。
 昨年から始まった、米国サウス・バイ・サウスウェストのような東京発の音楽見本市(2010年9月3日、参照)のプリ・イヴェントで、5組の新進が出るもの。新宿・マーズ。

 会場に着くと、2番目の出演者であるような、生ギター弾き語りの女性がやっている。ぼくの好みとはあまりにかけ離れていて(でも、真っすぐな情緒は零れでていたかな)、以後もこういう音楽性の出演者が出てくるのかと危惧したら、続く3組は完全に洋楽と横並びの音を聞かせるバンドで、とってもにっこり。

 次に出てきたのは、Arisa Safu and the Rovers。伸びやかな風情を持つ女性シンガー/ギタリストをフロントに置く5人組で、なんと選任のハーモニカ奏者がいる! それだけで、J.ガイルズ・バンドやウォーが大好きなぼくのメーターはあがる。で、そんな彼女らは勘所をおさえたアーシィなロックを、なんとも瑞々しく送り出す。いいじゃないかっ。で、最初B1Fから見下ろす感じで見ていたんだが、こりゃたまらんと下のステージ・フロアに降り、真正面から受けとめる。すげえ、1曲でぼくのココロをつかんじゃったゾ。曲も作っているArisa嬢はインターナショナル・スクールを経てモントリオールの大学を出ているそうで作る曲は英詞を用いるが、普遍的なものとばっちり繋がった表現は地に足をつけつつキラキラ輝いていて、これは良い。昨年のフジ・ロックにも出ているようだが、ぼくがレコード会社のA&Rなら速攻で取っちゃうと思った。後で2010年制作の4曲入りCDを聞いたら過剰にのぼせ上がるものではなかったが、それも日々成長している証左であるだろうし、ライヴのほうが数段魅力的である(実演のほうが、黒っぽくも感じる)ほうが前途有望ではないか。

 続く、Metro Orgenは米国のスリル・ジョッキーからアルバムを出しているんですよと聞かされても、そうかと思ってしまう4人組。先のバンドより、よりコンテンポラリーな地点で洋楽に感化された自分たちの音を作ろうとしている連中と言えそうで、それにも好印象。ギターの2人が男性で(リード・ヴォーカルはうち一人が取る)、ベースとドラムが女性という編成も魅力的。2002年結成というからそれなりにキャリアはありそうだが、バンド活動に疲弊していると見受けられる部分も皆無だし、これも応援するにたる。その『EDEN』という新作も良く練られている。

 そして、この晩の最後の出演者はcounterpartsというギター・バンド。これももろに洋楽的な音(少し、マンチェ系?)を送り出す連中で頷く。昨年の同イヴェントで海外関係者から評価がたかったという話にも納得。そのバンド音志向への共感度は前の二つより少し落ちるが、彼らの場合、トリを務めるのを納得させるような線の太さ〜押しだしの明晰さのようなものを感じさせてくれたな。それも、バンド力、なり。

 皆さん、意気にもえて、頑張っていらっしゃる。ちょっと見ただけでも感心しっぱなしなんだから、現在やっぱり日本の魅力的な若手バンドは多いんだろうなーと思わずにはいられない。ま、主宰団体のセレクションも当を得ているのかもしれないが。ともあれ、本当にそれを追おうとするなら、気が遠くなる作業であるとも痛感。ぼくは洋楽中心で書いているものでポリポリという狡いエクスキューズが頭のなかに渦巻いた(本当は、そんなの区別するべきではないよね)が、邦楽をメインに仕事をしている方々、一体どうしているのだろう。

 ともあれ、見れて有意義と思わずにはいられず。同プリ・イヴェントの次回は7月7日だそう。そして、今年は10月23〜25日にわたって、正イヴェントは開かれるという。
http://tokyobotup.jp/

<今日の、新宿>
 会場に行くために、ひさしぶりに歌舞伎町にはいる。足を踏み入れるのは、新宿にリキッドルームがあったころ以来だから、8年ぶりぐらいか。驚いたことに、まだリッキッド・ルームの建物はあった。閉館となったコマ劇場もまわりに策が作られつつ、まだあった。新宿は基本、ぼくにはなんの縁もない街……。

近藤房之助

2011年6月16日 音楽
 すんごく、愛とココロのあるショウだったな。もうウキウキ、ポカポカした気持ちになれました。

 熟練ブルース歌手/ギタリスト(2006年7月23日)が若手のファンク系バンド複数と重なり、これまで彼が歌わなかったろうソウル/ポップ曲をカヴァーするという新作『黒くなれ』のリリースを祝う公演。目黒・ブルースアレイ。同作をプロデュースしたキーボード奏者のSWING-Oをバンド・リーダーに、録音に関わっていたMountain Mocha Kilimanjaro(2008年5月30日、2010年5月23日)他のバンドの選抜群者7人(三管)によるサポートなり。で、驚いたのは、その寄せ集めバンドの音/佇まいの良さ。それ、アルバムで聞かれるものより、ずっとぼくの耳にはグっと来た。偉大な先輩にハジかかせちゃいけねえと、けっこうリハもやったのかな。あと、フフフとなれたのはMC(とバッキング・ヴォーカル)もこなしたSWING-Oの気安くも実直なノリ。たぶん、ぼくは彼に初めて接すると思うが、いい感じを出す人だった。なんでも、40代の彼が上の世代(近藤)と下の世代(伴奏陣)をつなぐ意図もアルバムにはあったという。彼、ローズ、オルガン音を代用させるノード・エレクトロ、ピアノを用いていたが、それは昨日のアジムスのホセ・ロベルト・ベルトラミと同じ。

 還暦を迎えてしまった近藤は若々しく、チャーミング。声も良く出ている。当然、歌い口はアーシーでもあるんだが、そうでありつつ澄んだ情感を聞き手に与えるのは彼の大きな美点だと再確認。途中、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」ではアルバムでバッキングしていた女性4人組バンドのズクナシの面々がソウル・シスターな格好で出てきて、歌をつける。この晩の前座は、米国ツアーを3月にやった彼女たちがやったはず。本編しか見れず、とっても残念。

 ステージ上のミュージシャン間で、ステージと客席側とで、熱い気持ちの交歓があり。ぼくは無形の音楽の素敵をたっぷり実感した。

<今日の感慨>
 高揚し流れた先で、もう1年たつんですねー、と言われる。へ? サッカーのW杯のことであった。そっかー、昨年の今頃は家でTVが見れないもんだから、TV放映をもとめてジプシー化していたんだよなー。6月11日から7月11日にかけての本欄の原稿もけっこうそれに触れているもんなー。1ヶ月もワールドカップ主体の生活を送ったのか。気張っていたな、オレ(笑い)。まあ、試合結果に一喜一憂していたのは多くの来日ミュージシャンも同じだったわけだが。今年は梅雨入りは早かったが、雨量は少ない。また、暑さも昨年からみれば、控え目なり。

アジムス

2011年6月15日 音楽
 南青山・ブルーノート東京で、35年のキャリアを持つ著名ブラジリアン・フュージョン・グループのショウを見る。ファースト・ショウ、かなりの客の入り。キーボード、電気ベース、ドラム(ちょい披露したパンデイロのソロ、うれし)、彼らはオリジナル・メンバーであったのかな。ブラジル的機微と、米国的グルーヴ/フュージョン的ハーモニー感覚を重ねたインスト主体表現を届ける。オリジナルに加え、ジョビン「3月の雨」なども披露。けっこういい年をしたおじちゃんたち、悠々のステージングなり。

<今日のメール>
 元ジャネイのジーン・ベイラー(2007年12月13日)から、唐突の案内メールが届く。この17日の20時にフィラデルフィアのリンカーン・ノワールというところで、ジャズ・ルーツに立ちかえった無料のショウを行なうよし。添付されていた写真も容色おとろえていないし、もう一発花を開かせてほしいが。

 パンク・ニューウェイヴ旋風が吹き荒れていた70年代後半のNYには、パンク、フリー・ジャズ/ノイズ、ファンクとかを駄々っ子のように重ね合わせようとした一団がいて、それは<ノー・ウェイヴ>と呼ばれもしたが、アート・リンゼイ(当時は、DNAというバンドをやっていた。彼はザ・ラウンジ・リザーズのデビュー作にも参加)はまさにそうしたなかから出てきた最たるスター(1999年12月9日、2002年9月9日、2004年11月21日)と言えるか。オ−ネット・コールマン一派や彼に傾倒しなかったら、90年代上半期に4社からだしたコンピ・シリーズ『フリー・ファンク』を組む事もなかったかもなー。ちょうど、組んでいたときに来日が重なったことがあり、彼に選曲リストを見せて、感想をもとめたこともあったな。

 渋谷・デュオ。ショウの一部は完全ソロ。アンビシャス・ラヴァーズを組んでいたとき(87年ごろ?)に、六本木のロマニシェス・カフェでソロ・パフォーマンスのギグをやったことがあったが、彼のソロ演奏に触れるのはそれ以来だ。まったくチューニングしない12弦ギター(弦の数が多い方が楽器音の厚み/インバクトを得る事ができ、また偶発的な音ヴァリエーションは増える)を無勝手流にかき鳴らしたり爪弾いたりするというのは、あのときと同様。四半世紀前のときはアンプのイコライザーを中抜き(高音と低音の音比重をあげていて、音の立ち/扇情性を増させていた)にしていたが、今回はどうだったのだろう。少し、使用エフェクターは増えていたのかな? そりゃ長年やっているぶん、ギターの狼藉音表出方策のヴァリエーションは増えているが、年とったぶんだけ瞬発力は減り、こっちもいろいろと接してきているぶん予定調和な感覚は残念ながら増していると感じちゃうところはあったと思う。ただ前はインストの比重が高かったところ、今回はすべての曲/塊で詠唱と言いたくなる彼ならではの漂う歌をかましてくれたわけで(その際、ギターは打楽器音のように入れられるわけね)、それはまた新たな感興を生むに至っていたか。歌はポルトガル語か英語にて、ポルトガル語曲はけっこう有名なブラジル曲も歌ったようだ。その歌とギターのかみあいは妙な個体のゆらぎ、オリジナルな存在の発露を感じさせてくれるわけで、すっこーんと枠を抜けたしなやかさ/ちゃらんぽらんの素敵を受け手に与えたはず。やっぱ、華奢でお洒落な人だけど、我が道を行く芯の太さは相当なものだよなー。ブライアン・イーノからデイヴィッド・バーン、坂本龍一まで、いろんな人から頼りにされるのは、そんな部分も大きいのではないか。

 そして、2部はリンゼイと大友良英(2009年5月31日、他)のデュオ。2人の顔合わせは、今回が初めてだそう。世代的に大友も<ノー・ウェイヴ>体験を持つはずで、そっちのほうに怒濤の流れ込みを見せる?かと、一抹の期待をしたが、一部ノイジーな重なりを見せはするものの、それはなし。基本は、一部で見せたリンゼイのパフォーマンスがあり、その曲(調)を敏感に察知する大友が調性を持ちつつ寄り添い、そこからやんわり発展するという感じ。1曲目の大友の演奏はビル・フリゼール(2011年1月30日、他)みたいだった。けっこう、リンゼイは思いつきで曲を噛ます〜横の譜面立てに沢山歌詞カードをおいていて、どっしよーかーという感じで選んでいた〜ので、大友は次は何が出てくるのか戦々恐々のところあったみたい。でも、経験豊かで研ぎすまされた彼は愛たっぷり、相手役をこなす。途中、「オレも歌っているんだから、オモエも歌えと言われてブルーなんですけど。しょうがないんで、昔のフォーク・ソングを歌います」というようなことを言って、大友は1曲訥々と歌う。味、ある。それ識者によれば、加川良の曲であるそう。

<今日の初めて>
 なんとアート・リンゼイは開演時間よりも2分ほど早くステージに出てきて、パフォーマンスを始める。時間きっかりという人は過去いたはずだが、早く出てきた人は初めて接するような。18歳までブラジルで育ち、ここ10年強はきっちりブラジルに住んでいるはずのアートではあり、かなりすちゃらかした部分も持つ(そのため、結婚しバイーア居住だったところ、奥様から三行半を突きつけられ、現在はリオ住まいになったみたい)が、時間の部分においてはきっちりせっかち? 
 「日本人ってすごいよね。自分が好きな事や興味ができると気軽に外に飛び出して、その中枢に入りこんでいる。どこに行ってもそういう日本人はいて、それを目の当たりにすると、日本人にはかなわないと思っちゃう」といういうようなことを大昔にインタヴューしたさい言っていたのは、シンガポール発のグローバル視点を持つキッチュなポップ・ミュージック表現で一世を風靡したディック・リー。その後、シンガポールのソニー・ミュージックだかのお偉方にも就く彼だが、英国留学経験もあり、人一倍しなやかなでもある彼がそう思うのかと、軽い違和感をぼくは覚えたことがあった。でも、ヴァイオリニストの香月さやか(2011年1月21日)はまさしく、そういう行動力を持つ、かなわないなあー的な日本人と言う事ができるんだろう。彼女はキューバ音楽にやられてキューバに住んで流儀を獲得するとともに様々な人と付き合いを重ね、その後も日本とキューバを行き来している。ついでに、その人脈の流れから、ニューエイジ・ミュージックの大スターのヤニーのツアーに参加する機会を持ち、お大尽楽旅を経験したこともあった。

 青山・プラッサオンゼ。生ギター奏者を従えて(うち、柴田はフラメンコ系の奏者)のくだけたギグ。キューバ曲だけでなく、タラフ・ドゥ・ハイドゥークス(2007年9月26日、他)に入れるじゃんと思わせるジプシー調の曲をやったり。けっこう、歌も歌う。自己アルバムはSAYAKA名義で出している彼女はこの秋に来日するオマーラ・ポルトゥオンド(2001年2月9日)の来日公演にも参加するという。


<今日の備忘録>
 10月8日に慶事があることを告げられる。万難を排して行きます、と言ったものの、父の七回忌もそのあたり。あちゃー、ぜんぶ母親にまかせっぱなし。こうやって書いておくと、きっと重なることはなくなるはず? おまじない、じゃ。

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