7時開演予定だったのが、8時開演に変更された。前々日の同じスマッシュ打ちのギャラクティック公演も7時半開始だったが……。公演終了後の飲みの時間が短くなる(電車でちゃんと帰る場合は)のは痛し痒しだが、開演時間が遅い方が気安い感じもなくはないかな。勤め人は歓迎する人が多いのか?

 濁った質感を持つ現代ロックの水先案内人的な評価を獲得しているホワイト・ストライプス(2003年10月21日、2006年3月5日)他のジャック・ホワイトが主導する、ザ・キルズ(2003年5月14日、2004年12月13日)の女性ヴォーカリストのアリソン・モシャート嬢をフロントに立てた4人組。ホワイトは基本ドラムを叩き、他にギター/キーボード担当者とベーシストの男性が二人。

 雑な、基本レトロでブルージィなロックが屈託なく展開される。なるほど、ホワイトはかつてドラムをやっていたことも納得の、ツボを押えたドカスカしたドラムを過不足なく供給。一部、前に出てきてギターを手にして歌う曲もあったが、ザ・デッド・ウェザーはホワイトがドラムを叩きたくて組んだバンドなのだなと実感。新しいネタはあんましないが、旧どすこいロック表現の襞を趣味良く集めたような実演は、その手のパターンをさんざん聞いているはずなぼくでも、これでいいじゃん。ホワイトの個性が強いためか、モシャートはザ・キルズのときより素直というか、自分のバンドのときのほうがシアトリカルに歌っていると感じたりも。披露した曲は近く出るセカンド作の曲もやったのかな。

 青海・ゼップ東京。往路はその前にやったインタヴュー場所の関係でガラガラのゆりかもめで行き(橋を渡ったあとの空き地群をみて、都知事が青島に変わらず鈴木のままだったら、この光景はだいぶ違っていたのかナとも、ふと思う)、帰りは知人とりんかい線ですうっと渋谷まで戻る。ゆりかもめのトロさはハンパなく(乗車賃はともに高い)、その椅子の形状/大きさも実に中途半端な阿呆設計。これに、ぼくの税金がほんの少しでも投入されているのか否や? 

 今のニューオーリンズを代表するファンク・バンド(2007年12月11日、他)の、10年の来日はなんとザ・ネヴィル・ブラザーズ(2004年9月18日)のシリル・ネヴィル(2008年8月12日)と同地の若手トロンボーン奏者のコレイ・ヘンリー(トレメ・ブラス・バンド;2003年10月15日やニュー・バース・ブラス・バンドやザ・リバース・ブラス・バンド;2007年2月6日、他のアルバムにも名前が見られる)を同行させてのもの。わーい。ともに、両者ゲストという以上の存在感あるパフォーマンスを見せる。イエーイ。渋谷・クラブクアトロ。

 派手なシャツを着た(←それを、見ただけでなんかうれしくなっちゃう)ネヴィルさんはパーカッションを叩くだけでなく時に前に出てきてマイクを手に歌うし、ヘンリーくんは勘所あるセクション音をメンバーのベン(サックス、ハーモニカ)と組んで出したりぶっとくソロを取るだけでなくラップを聞かせたりも(←格好も、それ風)。でもって、終盤はトロンボーンを手に単身フロアに降りて、大盛り上げまくり。途中から浮かれたぼくはフロアの真ん中あたりに踊りながらいたので、もろ横で彼を見ちゃったな。人気者のドラマーのスタントン・ムーアもそうした熱に煽られ(?)、普段よりも野生ある演奏をしていたような。とっても酔っぱらっちゃったせいもあるかもしれぬが、すんごく楽しかった。はは。2時間半ぐらいはやったっけ? 少し冷静なことを書いておくと、その新作『ヤ・カ・メイ』は曲ごとにニューオーリンズ新旧の担い手を入れてのものだったが、それを踏まえつつも、彼らの歴史と同地ファンクの積み重ねを鷲掴みにしておおらかに押し出した実演と言えるものだったのでは。
 
 その後、混ざるはずだった花見はとっくに、飲み屋宴会に。そりゃそーだ、あまりに寒すぎ。だめだお、こんなに寒くちゃ、、、。

 代官山・晴れたら空に豆まいて。オープニング・アクトは、若手日本人ジャズ・グループのInformel 8。作曲/アレンジ/MC担当者(三輪裕也)がリーダーシップを取り、三管とリズム(ピアノ、縦ベース、ドラム)が演奏する集団。パっと触れたぶんには、基となる楽曲はそんなに才気走っていなかったが、自覚を持ってジャズを作ろうとしているのはよく伝わる。そのリーダーは菊地成孔(2009年7月22日、他)の講座のアシスタントを勤めているとかで、部分的にはなんと菊地も加わり、フロントは四管に。もちろんその際、彼はソロを取る。

 そして、メイン・アクトは、菊地が兄貴と慕うピアニストの南博(2001年10月29日、2005年6月9日、9月11日、2006年10月25日、2007年4月12日、10月17日)のトリオ(土井孝幸、松山修)に、ドイツ人シンガーのメラニー・ボングが重なるというもの。南は新作を出して間もなく、ボング嬢は途中から加わるのかと思ったら、1曲トリオでさらりと演奏した後にすぐに彼女は登場。あとは、完全に彼女が主役。2度目の来日となるそうな彼女は、身体の線が凄く出る赤いドレスを着ている。

 というところに表れているように、彼女はおやじ向き系女性ジャズ歌手としては王道(?)の行き方をこの晩は踏む。とうぜん、スタンダードがレパートリー。実は、父親がシンティ(ドイツ語における、ロマの意味。英語でMCしていた彼女は最初はロマと言っていたが、後のほうではシンティと言っていた)であるそうで、そちらの属性を適時重ねた行き方をぼくは期待したのだが。実は、ボングは純ジャズ歌手としては過剰に上質ではなく、個性が見えにくかったんだよなー。でも、途中で、アカペラでシンティの歌をのべ2曲披露。それはぼくを射抜く力を持っていて(マイクもジャズ曲を歌う時の3倍は離して歌っていた)、もっと聞きたかった。南トリオがもう少し彼女の奥にあるレパートリーに寄り添うことはできなかったか。ともあれ、シンティたる自負を前に出した曲を聞いた後だと、もっと襞の深さが表れるような感じがして、彼女のフツーのジャズ・ヴォーカル表現により楽に触れられたのは確か。最後まで成り行きを見届けたかったが、10時から別の用事があるため、1時間ほどそのパフォーマンスに触れて移動。その後、シンティ曲を歌ったかな?
 
 蛇足だが、今ロック界ではロマ味が注目の的? というのも、その味をがらっぱちなストリート表現に応用したNYの多国籍集団(本当にメンバーの出自は散っている)のゴーゴル・ボルデロが台風の目になりそうだから。その新作は名士リック・ルービンがじっくり面倒を見ていて、彼のアメリカン・レーベルからのリリース。レニーニ(2000年6月16日)をホーボーな感じにした風体を持つリーダーのウクライナ出身のユージン・ハッツはなんかキャラも立っていて、マドンナ(2005年12月7日)やブランドのグッチ他いろんな方面から引っ張りだこらしい……。昨年のフジ・ロック出演を端に発する、ロック・リスナーからのレーヴェン(2009年7月25日)人気もそういう流れで見ると理解しやすいか。今、何度目かの、非西欧的草の根価値観のロック界席巻が起こるか? なら、とても楽しいが。

 ドミニカとキューバ、スペイン語圏の二人の熟達ピアニストが重なる出し物。グランド・ピアノが二つ置かれ、彼らは向き合いつつ、ピアノ音を重ねていく。ときには、じゃれ合うという言い方もできる? MCは年下のカミロ(2002年10月3日)が担当、バルデス(2009年9月14日)は悠長に構える。MCによれば、7年前にこのデュオで大々的にフェスを回る欧州ツアーをやったことがあるそう。

 この曲は、どう? おお、それで行く……てな、感じで、一方がきっかけを出し、もう一方はそれに合わせる。うんうんそう弾くんだァ、ならオイラはこう行っちゃうかなあ。てな、感じの臨機応変な、気安いデュオ演奏が披露される。二人の共通理解項となる、知ったスタンダード曲はいくらでもあるだろうし、やろうと思えばいくらでもできるんだろうな。演奏開始40分ぐらいから、会場の後ではバルデスのサイド・マンらしいベース奏者、ドラマー、打楽器奏者が待機。だが、彼らは悠然と弾き合う。結局、リズム隊を呼んだのは1時間は二人でやってからで、そこでマイルス・デイヴィス作(ピアノ・ファンならビル・エヴァンスの指さばきで親しんでいるかもしれない)の有名曲「ソーサラー」をラテン調でやって本編はおわり。そして、アンコールでは「ベサメ・ムーチョ」を情緒豊かに。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。見事に、フル・ハウス。 

 英国ひねくれビート・ポップの雄たるスクイーズにいたキーボード奏者で、今はTV音楽番組の司会者をやっていて本国では相当な知名度を持つというジュールズ・ホランドがずっと抱えている大所帯R&Bプロジェクトを日本で見れるとは! 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。外国人客比率たかかったかな。

 ステージには、五管(テナー、アルト、トランペット、2トロンボーン)、ギター、ベース、ドラムが並び、そこに3人の女性歌手が加わる。多くは、ホランド表現の常連のよう。ドラムのギルソン・デイヴィスは初期からスクイーズで叩いていた人物。見た目が一番渋いギター奏者(マーク・フラナガン)はロバート・プラントやレイ・デイヴィス作なんかにも名前が見られる。また、トロンボーン奏者の一人はスカ偉人のリコ・ロドリゲス! 一番反対側の奥にいてあまり見えなかったがセクション音演奏にはあまり参加していなかったような。彼は2曲で前に出てきて余裕でソロを取った。

 ブギウギっぽいピアノの弾き方を多用する(なんか、ニューオーリンズ的な奏法もするというイメージを持っていたが、それはなし)ホランドのリーダーシップのもと、R&Bやスカなんかの要素が絡む、とても娯楽性に富んだパフォーマンスが続けられる。やっていること自体の難易度は高くなく、皆で楽しめればいいじゃん的な志向をそれらは持つ。曲のおおくは懐メロのカヴァーだったのかな? スクイーズはグレン・ティルブルック(2009年7月26日、他)とクリス・ディフォードの共作曲をやるバンドだったしね。ホランドはよく通る声で歌うが、あまりコクはない。3人のシンガーは曲によっては中央にでてきてリード・ヴォーカルを取るが、太っちょのシンガーがなんとルビー・ターナーと紹介されてびっくり。80年代中期にジャイヴ・レコードを通して、歌えるUKソウルの新進としてかなりプッシュされた人。ぼくは、87年にロイヤル・アルバート・ホールで見たことがありました。

 英国人のR&B好きの襞、あっけらかんと表れる。どこか、パブ・ロック的なまったりさが出ていたところもあったか。そんな彼ら、年内コンスタントに各所でライヴをする予定が入っている。

 先の来日(2008年9月22日)から、1年半。ロメロ・ルバンボらサポートは同様に4人(ギター、ピアノ、ベース、ドラム)ながら、ドラムだけ変更があって、今回はテリオン・ガリー(2006年9月17日)。彼、今回はスネアは一つしか置いてなかったようだが、シンバル類はもう所狭しと重ねてセッティングしていたな。

 前回は新作『ラヴィン・ユー』に入っていた曲をやっていたはずだが、今回はそのアルバムにこだわらず、過去取り上げたナンバーなども含め、広くレパートリーを求める。純ジャズと大人なポップ感覚の間を自在に行き来するサウンドを受けて、ジャズで培ったバーサタイルな喉を正々堂々〜悠々と噛ましていく様には相変わらず惚れ惚れ。六本木・ビルボードライブ東京、ファースト・ショウ。

 昨年でメジャー(アトランティック)からデビューして、もう35年。でもって、今の同じ顔ぶれで活動して、もう30年にもなるそうな。そんな、ジャズ界きってのヴォーカル・グループの公演を、ブルーノート東京(セカンド・ショウ)で見る。面々(男性二人女性二人)は70代〜50代、さすがステージに出てきた4人を見て、老けたなあと思う。人間だったらグループをずっと続けていくにはいろいろ大変なこともあるだろうけど、見た目には、そういう部分を一切感じさせないのはさすが。メジャー契約は失っているものの、だからこそ今も第一線で活躍できているのだろう←なんか、当たり前の言い方だなあ。それから、趣味良く演奏するピアノ/キーボード奏者も79年以降、ずっと音楽監督を務めていると、MCで言っていた。

 伝統を受けつつ、洒脱に、自在に声を重ねる。アリっす。洒脱技巧ジャズ・ヴォーカルの雄ジョン・ヘンドリックス絡みの曲を複数やって、彼が在籍したランバート・ヘンドリックス&ロスあたりは、その起点にあるものなのかなとふと思う。ふむ、そのうち、ちゃんとジョン・ヘンドリックスのこともいろいろ探求したいナ。マンハッタン・トランスファーの新作はチック・コリア曲集だが、コリアの「ジ・ワン・ステップ」をヴァン・ダイク・パークスとメンバーのアラン・ポールがヴォーカル曲にした「ワン・ステップ・クローサー」にはるんるん。ぼくはそれほどコリアにはまった事はないが、その曲がオープナーに置かれた彼の78 年作『フレンズ』は大昔にジャズ入門盤としてよく聞いたのだ。

 後半はベース奏者が電気に持ち替えて、わりと80年前後の一番売れたハイパー期のナンバーを続ける。最後の2曲は、その代名詞的な「トワイライト・ゾーン」と「バードランド」2連発。へえ、2曲ともリードはジャニス・シーゲルがとっていたのか(ファンなら皆、知っていることかもしれぬが)。彼女はボビー・マクファーリン(2004年2月3日)の野心的ヴォイス・オーケストラに加わるなど、メンバー4人のなかでは一番前を向いた興味を持っているという所感を持っていましたが。

 南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。昼間は完全に春だったが、日暮れとともに気温は急降下。帰り道、風があることもあって、寒すぎ。どこにも寄らずに、帰宅。気候が温んでからの寒さは本当にこたえます。

 新宿ピットイン。梅津和時(2009年6月5日、他)を主役に置く出し物が日替わりにて、1週間の帯で開かれるなかの一つ。この晩に披露されたのは昨年の彼の還暦イヴェントをやる際に生まれた単位だそうで、出演者は梅津(sax)に加え、多田葉子(sax。2009年7月29日、他)、鬼怒無月(g。2009年10月8日、他)、清水一登(p,key)、高橋香織(vl)、早川岳晴(bass。2009年6月5日、他)、夏秋文尚(ds)、仙波清彦(per)。

 この出し物のポイントは、70年代後期に彼が率いていたサン・ラー・アーケストラ(2002年9月7日、他)影響下にあった生活向上委員会を筆頭に、ドクトル梅津バンドやシャクシャイン他で披露済みの古めの彼のオリジナル曲をもう一度今の視点/この顔ぶれで広げてみよう、というもののよう。ビートはどれも非4ビート(スカ調もアリ)で、けっこうエスノぽかったりするときも。ドクトル梅津バンド時代のパンク・ジャズ調曲は発汗。好きだったんだよなー。とかなんとか、秀でたリード奏者/ソリストであった梅津は当初からメロディや曲の酔狂な意匠にも自覚的であったということをそれは示すかな。そんな彼の才や持ち味をアピールしようとするものにも関わらず、エゴをまるで感じさせないのは人徳だろうか。

 1部の終わりでは、名前の紹介とともに出演者が一人一人去って行く。そして、梅津と多田と早川だけとなったとき、二管はハッピー・バースデイのフレイズを突然吹き出し、ロウソク付きケーキとともに引っ込んだメンバーがまた出て来て、前日が誕生日である早川(56歳だという。さすがサイクリスト、身体はスリムだなあ)をサプライズ的に祝う。他愛ないけど、そーゆーのいいナ。また、アンコール曲もうれし。なんと披露したのは、ザ・ビートルズの「ホエン・アイ・ワズ・64」。その際、清水はベース・クラリネットを手にしたが、面々はいい感じにヤレたボードヴィル調にて演奏。そして、梅津は途中から愛らしくも正々堂々と、日本語の歌詞をつけた(じじいにはじじいのうれしい生き方がちゃんとある、といったような内容のもの)歌をうたう。仲良しだった忌野清志郎(2005年7月29日、他)のカヴァー曲に繋がるようなそれ、最高でした。

 実は、ピットインに向かうときに、マフラーを落とす(この日は温かくて、途中から外してポケットにいれていたのだが)。ぼくが持っているマフラーのなかで一番高価なもので、エエン。おまけに、何度も行っているくせに、新宿三丁目駅の出口を間違えたら、なぜか道を失う。歳をとって、方向感覚が悪くなっているのはまちがいないなあ。ぐすん。だからこそ、梅津版「ホエン・アイ・ワズ・64」を余計にいいと思えたのか。で、帰りに副都心線の渋谷駅についたとき、降りたホームにちょうど駅員がいたので、なんとなく駄目もとで「落とし物はどこで確認できますか」と問う。そしたら、駅員は「どういうものですか」とかいろいろ聞いて、それが届いていないか手際良く無線で調べてくれ、「該当しそうなものが、届いてます」と教えてくれる。うわあ、すげえ親切でプロフェッショナル。助役代理という肩書きがネームプレイトに付いていたような気がしたが、そんなに歳はいっていない長身痩身の人。ぼくは、あなたの対応にいたく感激しました。

 金、金、金、金……と、こんなにも連呼する日はもうねえかもなあ。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。2年ぶりの来日、前回はミスしていたので、気持ち昂る〜。

 ワシントン・ゴー・ゴー。チョコレート・シティ/黒人都市である米国首都ワシントンDCで70年代後期から育まれているノンストップの超ど級真っ黒ファンク・ミュージックのことを指す。ノンストップであるのは完全にダンス用のライヴ・ミュージックとして出てきたためで、P-ファンク的な純正ファンク・サウンドにラテン・パーカッション的な打楽器音を効果的にかませて弾力度数/横揺れ度数を高めるとともに、独特なタムの連打音が効果的アクセントとして用いられる。なんて、同表現はおおまかには説明できるか。日本で大々的に紹介されたのは、英アイランド・レコードがレゲエに続く商売になる土着表現として着目し、同ムーヴメントを現地レーベルを傘下に抱えて送り出した85年(アイランドはレゲエ売り出しのときに、そのプロパガンダの材料として映画「ハーダー・ゼイ・カム」を制作したが、ゴー・ゴー売り出し時も「グッド・トゥ・ゴー」という映画を作った。その主演はアート・ガーファンクル)。いやあ、あんときゃ、これぞ俺のサウンドだァって燃えて、自分が事務所を持つとしたらゴー・ゴー・オフィスっていう名前しかねえとなぜか思い込んだ。事実、友達と遊びの名刺を作ったときには、その名前を冠したっけ。ね、よっちゃん&くどうちゃん。名刺には、俺んちを<ヘッド・オフィス>とし、深川に住んでいる奴んちは<スタジオ>で、町田の方は<ファーム>と印刷したっけ。ついでに、当時LAに住んでいたドラマーの住所を借りて、それは<LAブランチ>としたよなあ。他愛ないけど、楽しかったなー。

 チャック・ブラウンはそのゴー・ゴーができる前から同地で活動しているファンカーで、当然その成立過程の中枢にいたこともあり、ワシントン・ゴー・ゴーのゴッドファーザーと呼ばれる人。ぼくがこの御大を見るのは87年以来かな。

 で、ステージに出てきたチャック・ブラウンは現在73歳だそうだが、ぜんぜん老けてない。な、だけでなく、とてもヤクザないい味を鬼のように出していて、一瞥するだけで発汗できる。イエイ。バンドは、ドラム、打楽器、ベース、キーボード(綺麗な女性で、シックでも来ている)、そして、トロンボーンとトランペットとサックス。3人の管楽器奏者はちゃんとスーツをきていて、唯一の白人であるトランぺッターはショーン・レノン(2009年1月21日)を長身にしたみたいな感じの人。得意げにソロを回すその3人はジャズ畑の奏者のようにも見受けられたが、踊りなどにもちゃんと参加し、普段着の他のバンド員と違和感なく重なる。とともに、ブラウンはワシントン・ゴー・ゴーの担い手のなかでももっともジャジーな手口を見せる人であることも、そうした違和感のなさに繋がっているか。ブラウンはときにジャジーな弾き口のギター・ソロを取るとともに、伸縮性に富んだビートに楽々といろんなジャズ・スタンダードからマイルス・デイヴィスの「ツツ」までを自在に乗せてきている人なのダ。

 ショウは娯楽ジャズ系有名曲「ハーレム・ノクターン」で幕を明け、約1時間半ノンストップで、次々に曲を泳がせていく。ブラウンのダミ声も健在、前よりもギターは前に出さなくなったようにも感じたが、曲の流れの変化は全面的に彼が出しているのだと思う。実は、先に触れたタムの連打音をザ・ソウル・サーチャーズはあまり使わないが、それはブラウンの仕草やギターが全面的に変化のきっかけを与えていることとも関係があるのではないのか。

 途中から派手なヘア・スタイルの若い娘が出てきて、一部でそれほどは上手くないラップを噛ます。そのときにビートはラガ調が加味されるが、彼女はブラウンの娘なのだとか。ほほほ。また、その後には、小柄なおっさんが出てきてラップ調ヴォーカルやトランペット・ソロをとるが、それはリトル・ベニーのよう。おおお。80年代中期のゴー・ゴーの世界進出期のときから、名が出ていた人ではないか。今回は違うけど、前回来日時はドラマーがゴー・ゴー界きってのスター奏者である元EU(かつて、ヴァージンと契約したことあり)のウィリアム・ジュジュ・ハウスだったらしいし、キーボード奏者はシック(2009年4月6日、他)と持ち合っている事になるし、なるほどブラウンはいまだライヴ・アクトとしてきっちりプライオリティを持つのだな。

 驚いたのは、彼らのショウの曲目や流れを熟知しまくった、一部のお客さんの反応。のっけから、見事にコール&レスポンスする。それは確実にショウが濃いものとなる力を与えていたはず。アンコールは、<カードなんか糞食らえ、現金こそベスト>と歌われる彼らの84年のヒット曲である、生理的にも超ファンキーな「ウィ・ニード・サム・マネー」。その際、そのエンスージアストたちはパーティ用の$札の束を持参してきていて、他のお客さんにも渡す。ぼくのほうにも回ってきて、お金をかざして、マニ・マニ・マニ・マニ・マニ!と連呼できて、ほんとバカみたいに楽しかった。グッゴー! はあ、電車あるうちに帰宅するのが辛かったァ。仕事がたまり気味なので(朝までコースやっちゃうと、次の日ツブれちゃうから)、悲しく自制ナリ。ゴー・ゴーじゃなかったぼく……。

 NY(ブルックリン)を拠点とする、現在6人組(オトコ3人、女性3人)のバンドだが、いやー、その実演はまったくもって降参。アルバム群は才気あふれおおいに耳を引くものであったが、それに輪をかけて実演能力も備えていたとは。恐れ入りました。渋谷・クラブクアトロ。

 歌う歓び、楽器を演奏する歓び、アイデアを出す歓び、それを実践し発展させる歓び。そうしたことを、開かれた場であれほど鮮やかに出せちゃうとは。ノリとして、アフリカ的な語彙を使いだしたころのトーキング・ヘッズを思い出せるところはあるが、この晩の実演に降れ、彼らのほうがずっと豊かでしなやかで歌心に富んでいるところがあるんじゃないかと思える部分もあって、ワワワ。ヘッズを率いたデイヴィッド・バーン(2009年1月27日)は今まさしくロック賢人として君臨しているわけで、その中心人物デイヴ・ロングストレス(ジミ・ヘンドリックスのように、右利き用ギターを逆さに構える)は30年後いったいどんな凄いことになっておるのか、なんてこともぼくは思ってしまった。我が道を行く工夫や洒脱があり、アフリカ音楽(それはリズムやギター演奏だけでなく、女性3人の歌の絡みにも反映)やキャプテン・ビーフハートなどいろんなマニアックな語彙にも精通しているような美味しい広がりあり。見事に心意気あるロックであり、さばけた愛らしいアートであり。なお、そんな彼らは通受けもしていて、そのデイヴィッド・バーンやビョーク(2008年2月22日、他)らと絡んだりもしていますね。

 今年一番となるロック・アクトの公演かも。そんな彼らのライヴは満員で、歓声も熱い。みんなで、うひょお〜と感嘆し、会場が共鳴しているような感じがあった。その場にいて、とても生理的にヘルシーに思えるライヴでもありました。

 なお、前座として、ジュリー・ドワオンと一緒にツアーをしていたマウント・イアリが登場し、なんかティム・ハーディンとかを少し想起させもする、シンプルなギター弾き語り表現を聞かせてくれた。

 まず、六本木・ビルボード東京で、45年生まれのUKフォーク・シンガーを見る。60年代中期にストーンズのマネイジャーだったアンドリュー・オールダムの手によりデビューし、第2のマリアンヌ・フェイスフルなんて言われた人だそう(さすが、それは知りませんでした)。70年代初頭いこうは引退、ながら近年積極的な活動をはじめ、アニマル・コレクティヴ(2008年3月18日)、ディヴェンドラ・バンハート(2010年2月8日)、ジョアンナ・ニューサム(2010年2月4日)といった個と才を持つ若手たちとも絡んでいたりする。

 ステージ上には、生ギターを弾きながら歌う彼女に加え、生ギターの男性、ピアノ/フルート/鉄琴の女性、ヴァイオリン/ピアノの女性という布陣。サポート陣はかなり若く、みんな思慮深そうな感じが似ていて、最初は親子なのかと思ってしまった(紹介を聞くと、みんな異なる姓であったけど)。なるほど、シンプルで清潔感のあるフォーク表現を淡々と披露。ケルト的要素はなく、それはイングランド発の表現だと思わせられるか。なんか、木や石の感覚を持ち、暖炉が横にあるような場で聞いたら、キブンなんじゃないかと思えたりも。

 続いては、南青山・ブルーノート東京。名プロデューサー/キーボード奏者のジョージ・デューク(2004年10月28日)のショウを見る。最初の3曲は、本人、ギター、ベース、ドラムで、フュージョン調インスト。そのあとは、キーボードと男女のバッキング・シンガーが出てきて、演奏部の広がりにも留意した歌モノ〜ジャジー・ソウル調でせまる。やっぱ、なんかいい人そうで、温かみあり。蓄積もあり。でも、今回はリクエスト大会やフランク・ザッパ彷彿部はなし。ギタリストは当初は前回も同行していたフィラデルフィアの怪人ジェフ・リー・ジョンソンの予定だったが、LA在住の秋元武(2007年3月31日)が同行。

山中千尋

2010年3月14日 音楽
 NY在住の、ジャズ・ピアニスト(2005年8月21日、2009年6月7日)。日本人リズム・セクション(須川崇志と岡田慶太)を率いてのもので、六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)。やはり、やんちゃというか、変わった人だよな。マジック・ショーの定番みたいなちゃらい音楽をかけるなかステージに登場し、本編の演奏は1時間ちょうど。が、アンコールで出てきて「2部のスタートです」、みたいなベタなMCをしたあと、30分ぐらいは演奏。なんか、変。私は私であらんとする様がMCや演奏〜構成の随所からこぼれる。はは。

 冒頭は、シカゴ(2010年2月19日)の「サタディ・イン・ザ・パーク」とスウィング・ジャズの超スタンダード「シング・シング・シング」を騙し絵的に何度か交錯させたもの。で、そのとき、スタンウェイのグランド・ピアノは電気加工されたキーボード的な音を出す。??? なんでも、モウグ社のピアノ・バーというエフェクターを使用、それはピアノ音をバーでスキャナーしデジタル音化するという、けったいなものらしい。彼女はこの曲と後でやった「ジャイアント・ステップス」でも大々的にこの装置を使った。あと、引用と言えば、彼女はアンコールでやった「クレオパトラの夢」(バド・パウエル曲)では、日本の懐メロ「学生時代」を飄々差し込む。

  残りは一応まっとうな純ジャズのフォーマットでやったはずだが、やはりなんか一筋縄で行かないと言うか、本人がどこかではっちゃけないと気がすまないというか。曲もファースト・セットでやらない曲をやろう、と言っていたな。ときには、ストライド調で行くなど、演奏語彙もいろいろ。とかなんとか……その総体は彼女はどーにもジャズを愛しているんだなと皮膚感覚で思わせるものではなかったか。ダカラコソ、彼女ハ奔放ニ、自分ノ思ウママ振ル舞ッテイル!

 在NYの真性ジャズ・ギタリスト(1970年、フィラデルフィア生まれ。2009年3月1日)、白人のウッド・ベース奏者、黒人ドラマーを率いたトリオでのパフォーマンス。赤レンガ倉庫・モーション・ブルー・ヨコハマ。とても満員、土曜と日曜の新宿ピットイン公演も激売れだそうで、新しいジャズ・ギター・ヒーローの座を得ているナとほのかに思わずにはいられず。受けていて、彼も嬉しそうだった。

 本来は生理的にほころびたり立っていたりする自作曲のもと敏感なギター演奏を繰り出す彼(その際はサックス奏者や鍵盤奏者がバンドには入る)だが、昨年盤はトリオによる正調ジャズ傾向作で、今回の実演もそれにならうもの。チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、マイルズ・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ウェイン・ショーターらジャズ巨人の曲を、彼は誠実に紐解いて行く。少しぐらいはかつて見せていたはみ出した自作曲素材の行き方を出してもいいのにと思ったが、今回はそういう設定ではないもん、というのが彼の気持ちらしい。ま、なんにせよ、ジャズ奏者としての高い資質、確固とした矜持がすうっと出た演奏だったのは間違いない。1時間半ぐらいのセットを二つやる。

 六本木・ビルボードライブ東京(セカンド・ショウ)。ピンク・マティーニはオレゴン州ポートランドをベースとする洒脱&酔狂集団。その求めるところは、憩いある広義のラウンジ・ミュージック/野卑にならないキャバレー・ミュージックを提供しよう……。だからこそ、彼らはスウィンギンなジャズ調曲、ラテンやブラジル調曲、シャンソン曲、そして果ては日本の歌謡曲までを涼しい顔して取り上げてしまう。そして、その先にはしなやかな音楽観や生活観が広がっており、アメリカにも変テコな愛い奴らがいるじゃんと思わせられるわけだ。かなり洒落のめした、外しのグループと言えるわけで、日本だとダブル・フェイマスとかASA-CHANG&ブルーハッツなんかは少しは近い? ただ、ピンク・マティーニはみんな中年以上なので少し落ち着いているところはあるか。とともに、中心人物のピアニスト(オフは、日本の赤いランドセルをしょっている)と女性歌手(母親はアフリカン・アメリカンで父親はアイリッシュとどこか、と言っていたな)はハーバード大出だそうで、いろんな言語で歌う部分をはじめ、どこかに知性のありかを透けさせているところはあるかも。90年代中期から活動している人たちだが、演奏は過剰には上手くないので、当初はほんと密かな愉しみ的なノリでスタートしたのかもしれない。

 ステージ上には、12人。ピアノ/MC(一生懸命、たどたどしい日本語を連発)、女性ヴォーカル、サブの男性ヴォーカル、トランペット、トロンボーン、ヴァイオリン、チェロ、ギター、ウッド・ベース、ドラム、パーカッション2。もちろん、みな正装。さらに、途中にマヒナスターズの曲「菊千代と申します」をやるときは琴奏者も出てきて、大正琴のような演奏を聞かせる。やはり、日本語の曲はウケる。その際、シンガー陣は綺麗な日本語発音で歌う。格好いい男性シンガーは日本姓を持つ美声の持ち主で、ジェロと絡んでほしいと思った? 終盤に再び日本語曲の「タ・ヤ・タン」。そしたら、横からオリジナル・シンガーの由紀さおりが出てきて、一緒に歌う←さすがの歌い口、物腰。そりゃあ、湧きます。ぼくはともにそれらの日本語曲をピンク・マティーニの前に聞いたことはなかったが、原典を知っている人だと、また別の感慨があるかも。

 ところで、ポートランドというと、インディ系のロック・バンドがいろいろ出ていてちゃんとした音楽シーンを持つ街という印象を持つ(ヘルメットにいたペイジ・ハミルトンもそこの出身だよな)が、レコード市場も充実しているよう。なんでも、マヒナスターズや由紀さおりの曲は同地の中古盤屋で買って、知ったのだとか。ほお。なお、彼らのマネイジメントはノラ・ジョーンズ(2010年1月21日、他)とかメロディ・ガルドー(2009年9月5日、他)とかダイアナ・クラール(1999年5月21日)とかが所属する事務所。彼らはインディからアルバムを出しているが、けっこうツアーもやっているようであり、日本盤も出た最新作『草原の輝き』はそこそこ米国総合チャートでも健闘した(客は外国人も少なくなかった)のは、そのご利益もあるのだろう。初来日だと思っていたら、彼らのことを企業絡みの公演でかつて見た(アストロ・ホール)という人がいましたが。

 18時すぎ、家を出ると、雨が雪に変わっている。うわ、そりゃ寒いはずだ(夜半に帰宅するときは雨になっていたが、それなりに積もっていた)。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 いいライヴだったネ、見終わった後、自然にそんな感想が生まれてきそうな実演だったな。リンス(2002年5月1日、2009年3月17日)は今回少し趣向を変えて(?)ホーム・タウンであるリオにまつわる歌をいろいろ歌ったようだが、ほんわか歌心が舞う様はほんといい感じ。毎度おなじみのメンバー(鍵盤、電気ベース、ドラム)との実演、その3人のバッキング・ヴォーカルもいい風情を出しており、それは音楽が生まれる場の歓びを呼んでいたのは間違いない。レギュラーのサックス奏者をオミットしてのパフォーマンスだったのだが、フュージョンぽさをあまり感じさせなかったのは、そのせいもあるのかな。とにかく、インティメントなバンド力学のもと開かれるブラジル的なくつろぎの気持ちににっこり。昨年出た、蘭のフル・オーケストラを従えたライヴ盤もかなり良かったが、リンスさん好調のようだ。

 ステージ横にマイクと譜面台が置いてあるぞと思ったら、後半部にはトロンボーン奏者の村田陽一(2005年1月7日、他)が出てくる。村田は1月にリオでイヴァン・リンスとの共演アルバムをレコーディングしたばかり、そりゃ客演も当然か。で、アンコール曲も含めて、じっくり5曲も一緒にやる。演奏曲はそのアルバムに入る両者が書いたオリジナル曲のようだが、あたかもそれらは、ゆったりしたサウンドやメロディに乗って、リンスの歌と村田のトロンボーンがしなやかにデュエットしているよう。この晩、改めてトロンボーンが肉声の音域に近い楽器であるのを再確認させられました。その共演作が楽しみ。

 恵比寿・リキッドルーム。昨日の項で、客の熱烈な反応について触れているが、今日もそれについては破格なもんがあった。凄かった。そんなコブラ・スターシップはNYの態度の軽いダンス・ロック・バンド。で、サマーソニックやフジ・ロックにも出演歴アリというが、会場入りし入場者を見て、まずはうなる。多くは10代のようで女性が多く、フツーのロック系公演客の感じとは違う。もう、完全に歌謡アイドル系ですね。で、やる曲もその手のダンス・ポップをバンドでやっているという感じ。

 ヴォーカル、ギター、ベース(鍵盤ベースも使う)、ショルダー・キーボード(女性)、ドラマーという布陣にて、同期音併用のもと、あっけらかんとコンパクトにまとまった曲を大歓声のなか開いて行く。とにかく感心しちゃったのは、メンバーの物腰/ステージマナー。これだけ受けてたら尊大さが顔を出してもおかしくないのに、彼らはイキがらず笑顔&真心にてショウを遂行。オ客様ハ神様デス……。うわあ、プロ意識たっぷり、人間できている! その様にはちょっとびっくり。すごいすごい。音楽性はちゃらいが実演能力は上々、歌は前に出ているし、ドラマーやギタリストはけっこう腕がたつと思わされた。

 続いて、南青山・ブルーノート東京。現代ジャズ界を代表するサックス奏者(2001年10月24日。今はテナーとソプラノを吹く)のワーキング・グループを見る。もう、ハード・ロックならぬ、ハード・ジャズ。もう、笑っちゃうぐらいに。共通理解項をもとに、後は行くしかねえべ的に腕に覚えりまくりの奏者たちが絡まり、突っ走って行く。

 彼は長年、顔ぶれが同じグループを率いて録音&ライヴをやってきているが、今回ドラマーはジェフ・ワッツ(2007年12月18日)からフィラデルフィア育ち若手のジャスティン・フォークナーという人物に変わっていたが、その叩き口がまたうれしい。どんなハード・コア・(ロック・)バンドにも入れるんじゃないか、なんてね。実は、この帯公演のアタマの3日間はピアニストのジョーイ・カルデラッツオが来日できなかったようで、片倉真由子と小曽根真という米国の活動歴/コネクションも持つピアニストが代役で入ったようだが、どうだったんだろ? この晩のようなお互いを分かり合っての濃密さや諧謔〜破綻の表出はなかったろうが、一期一会的なジャズをジャズたらしめる何かはあふれるものだったかも。

 雨天で、寒い。昨日は見に行く予定だっサッカーJ1開幕の東京と横浜の試合を、同様の天候のためパス。今日もライヴ・ショウだけだと気持ちが揺らいだかもしれないが、昼下がりに知人の新居お披露目パーティ(気張ったなア。車は手放したそうだが、ちょい不安デスとぽつり。でも、きっと大丈夫。新居にはちゃんとヒカリがあったもの)があり、そのまま会場の赤坂・ブリッツに流れる。なんて、ヘタレなこと書いていて申し訳ない。熱心なファンが詰めかけたこの晩の公演はソールド・アウトで、実際オーディエンスの反応はすごかった。

 05〜08年の間は解散していた、澄んだ性根/歌心を鮮やかに出すような、人なつこい青春ロックを聞かせるカンサス州拠点の5人組(ベースはトラだったよう)の、再結成後の初来日公演。もう1曲目から、モッシュが始まるとともに、結構な人が片腕を差し上げて、リフレインを合唱する。うわー、すごい光景。一緒に歌える曲なぞ1曲もない外様客のぼくではあるが、その様に触れることができて良かったと素直に思えた。それはやはり、生のアクトに触れたい/やり取りを持ちたいという受け手はしっかりいて、ライヴの場は不滅なのダという思いを導くものであったから。出演者がぼくの好みのストライク・ゾーンにいる人だったら、もっと有頂天になれただろうな。でも、気持ちよ〜く、お酒は進みました(この晩のここのビールは泡が多すぎ。もう少し丁寧に注いでほしい)。バンドの再結成は綺麗ごとが喧伝されたりもするが、大方はお金を得たくてなされる。ザ・ゲット・アップ・キッズの場合はどういう理由でまた活動を再開したかは知らないが、そういうロマンに欠ける理由であっても、これだけ熱く受けている(ありがとう、なんて声が客から飛んだりも)なら、続けるべきだとも、ぼくは思った。
 夏木マリをフロントに置く、オールド・ウェイヴ・ロック・バンドと言っていいのか。オープナーは、ジャニス・ジョプリン曲を日本語詞にて披露。以下は日本人曲(ウルフルズのカヴァーは2曲あったよう)をやる。どっしりしたサウンド(ドラマーはかつてクリエイションをやっていた人。あんまり外見は老けてないな)を受けてキャラクタリスティックなヴォーカルを乗せ、その総体はある種のあやしい情緒を浮上させたりもする。

 場所は渋谷に新しくできる、プレジャー・プレジャーという新しい音楽用のハコで、このミニ・ライヴはそのお披露目を目的としたもの。田園都市線駅直結となる渋谷プライムの6階(下のほうは、ユニクロになるなど、ビル自体がかなりリニューアルになるのかな)で、隣はシネ・セゾン。ここも元々は映画館だったようで、席はそれをそのまま用いているのだろう、基本着席のスタイルをとる。ぼくは2階から見たが、見やすかった。客席数は300人強、大人向きの日本のアーティスト中心に出演させていくよう。

 代官山・ユニット。豪州ベースのルーツィなロック・バンド(2008年4月4日)のギグ。レコード会社が新作リリースのプロモーションのため呼んじゃってのショーケースで、入場者はネットで募ったよう。1時間の予定と言われていたが、1時間半はやったはず。この下旬から、彼らは新作『エイプリル・ライジング』(このアルバムから、バンド名から定冠詞が抜けたみたい)をフォロウする全米ツアーに入る。
 
 バトラーは気合いの入ったドレッド・ロックスがトレイド・マークであったが、今は短髪に(なんでも、その理由を聞かれると、答えを濁すそう。父親になったのが、関係あったりして)。が、それ以上に大きいと言えるかもしれない変化は、なんとリズム・セクションが二人とも変わったこと。ドラマーは04 年作でも絡んだことがある義理の兄で、ベーシストはメロウなグルーヴ表現を聞かせるシドニー拠点のザ・レイ・マン・スリーのメンバー。彼らは今年のグリーンルーム・フェスに来るが、ちょうどバトラーのツアー中でどうするべかという感じらしい。ここで、彼は一部でウッド・ベースも弾く。ともあれ、すぐに了解できたのはバンドの音圧もそうだが、何よりバトラーの歌が少し雄々しくなっていること。それには、うれしくなる。最後の方では、3人でドラムを叩いたりしてチーム・ワークもばっちりな感じ。

 実はジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」のカヴァーを披露するのをほのかに期待していたのだが、それはなし。彼のウェッブには、ラジオ番組に出演したとき披露した新作からの先行シングル「ワン・ウェイ・ロード」と「アイ・ウォント・ユー・バック」がアップされていて、なかなかいい感じであったから。普通は、アーティストのサイトをマメに見ることはあまりないが、インタヴューをすることになっていたので、ちゃんとチェックしていた次第……。ブルガリアにルーツを持つバトラーだが、彼が豪州で人気者になった理由はアーシィな事をやっているのに優男であったことも働いているんじゃないだろうか。そんな彼、弦を押さえない右手の指と左手の親指は爪を伸ばしていて、白いマニュキアを塗っていた。

 女性ジャズ・ヴォーカリストの日。曲線と直線、両者の違いを誇張して言うなら、そう言えなくはないかな。

 まず、現在はコンコード(ものすごく間口を広げた今も、同社は伝統に則り、女性ジャズ・ヴォーカリストを厚遇しようとしている、とは言えるか。ニーナ・フリーロンの近く出る新作も相変わらずの水準をキープ)と契約しているNY州出身のモンハイトを見る。ピアニストと縦ベーシストをバックに、細心の心持ちのもと山と谷のあいだを移っていき、綺麗な放物線を描くような歌を笑顔で(なんか、ちょっとした所でお茶目なキャラクターの持ち主であるのも伝わってくる)披露。やっぱり物理的な歌のうまさを超えるサムシングを多大に出していて、大スタンダード「ザッツ・オール」の素晴らしさをびっくりするぐらい再確認させられたり、コリーヌ・ベイリー・レイの可憐な「ライク・ア・スター」がしっとりした大人の歌に変わっていてホオっとなったり。ジョビン曲「3月の雨」のときは、ピアニストはドラムを叩いた。

 前回みたときは写真とゲンブツの体つきの落差にびっくりしちゃって、そのことばかり書いているはず(そのときの日付がわからい)だが、太っていても(この日も、身体の線がしっか出る格好ナリ)しっかりと名声を獲得しているわけで、本当に喉の作法で居場所を得ている人という感を強くする。そんな彼女には、歌を習ってます風な女性を含め、しっかりと支持者がついているようで、会場はとても入っていた。実はこの晩は、旦那さんでもあるドラマーが急病で出演できずにピアノとベースのバッキングとなったようだが、それもなんら問題はなく。逆に、下手をうってはイカンと普段以上に出演者はプロの矜持とともに気持ちを入れてやるはずで、貴重と言えるかもしれない。帰り際、お詫びでチャージ無料の優遇チケットを渡された。丸の内・コットンクラブ、ファースト・ショウ。

 続いて、現在米国ではエマーシィ/ユニヴァーサルからアルバムがリリースされている、イタリア出身のガンバリーニ(2008年9月16日、2009年4月22日)を南青山・ブルーノート東京で見る。例によってカラダを張っていて、この晩は薄手のワンピース。そして、よく整備されたピアノ・トリオをバックに思うまま、歌っていく。けっこう、その場で臨機応変に曲を決めている感じもあり、まさに悠々。スキャットも往々にかまし、やっていることの難易度はモンハイトより彼女の方が高い。が、それゆえ、情緒的にゆったりしているモンハイトのほうが少し攻撃的な姿勢を持つ彼女よりくつろげて聞けていいという人も少なくないだろう。だが、それでも私はきっちりインプロヴィゼイショナルな歌に向かうという覚悟のようなものもガンバリーニには感じ、ぼくは冒頭で直線という形容を用いたわけだが。それと、今はNYに住むとはいえ、イタリアで生まれてジャズ歌いを激マジで志したという経歴はその姿勢に繋がっているかもしれない。本場のジャズの流儀をモノにしたい、どうせやるなら核心に通ずることを志したい……その純にして澄んだ気持ちはよりオーセンティックなジャズ・ヴォーカル表現に向かわせているところはあるんじゃないだろうか。

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