ストーリー・オブ・ザ・イアー
2010年6月24日 音楽 W杯万歳モードは続く。そこに、月末の締め切りラッシュが重なり、もーてんてこまい。
そんなわけで、インタヴューのときはワン・パターンにワールド・カップ話をマクラに持って行くワタシ……。イングランドの第2戦(アルジェリアと引き分け。2試合でまさかの勝ち点2)の翌日には、アンダーワールドのカール・ハイドにインタヴューしたのだが、やはりワールドカップの話題から入る。そしたら、「おいおい、あんな試合をやったすぐ後に、そんなことを聞くのかい」と、彼は苦笑い。ちゃんと日本の日程も把握していて、「イングランドのことについては一切話さないよ。(今日ある)日本とオランダの試合のことは語ってもいいけどね」。
彼はマンチェスター・ユナイテッドのクレイズとか。彼の血縁者はみんなアストン・ヴィラを応援しているそうだが、子供のころにジョージ・ベストの大ファンになったためハイドは彼が所属したマンUを応援するようになったという。確かにベストはロック・ミュージシャンと同列で格好良かったですよねと応対すると、「そう、彼はザ・ビートルズと同じような存在だった。あと、モハメド・アリもね」。フットボールは好きだったものの子供の頃からヘタでその道に進むなんてことはこれっぽちも思わなかったそうだが、代々ハイド家周辺はサッカーが上手な人が多くて、僕は親族から駄目な奴と非難轟々だったと、彼は言ってもいた。
そんなハイドは8月下旬から9月中旬かけて彼が描いたペインティングを70点ほどそろえた(ブライアン・イーノとの協調曲も収められたコンピ盤『Athens』のジャケット・カヴァーになっていた絵のようなものが、主となるらしい)展覧会をラフォーレミュージアム原宿で開くことになっている。それは、“What’s Going on in Your Head When You’re Dancing?”と名付けるそう。なんか、マーヴィン・ゲイ(『ホワッツ・ゴーイン・オン』)とオーネット・コールマン(『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』)のアルバム・タイトルをくっつけたみたいですねというと、思いもしなかったそうだが、その指摘にとっても喜ぶ。そこから、R&Bやジャズの話になだれこんだりもしました。彼とキャミオ/ラリー・ブラックモンの話をするとは思わなかった。でもって、ハイドは何よりマイルス・デイヴィス命で、彼の話をするともう止まらないという人でありますね。
話題は変わるが、そういううれしいい意外性をレーベル単位で見せているのが、エピタフ/アンタイではないか。もともとエピタフは80年代初頭に西海岸パンク・バンドのバッド・リリジョンのメンバーが立ち上げた理想主義を持つインディだが、パンク系バンドを送り出すだけでなく、90年代後期に入るとヘル・キャットやアンタイといった傍系レーベルを持ち、またミシシッピ州の慧眼アリのぶっ壊れブルース・レーベルのファット・ポッサムを傘下に引き寄せちゃうなど、本当に音楽ジャンルの枠を超えた“自由”をプロダクツ送出で体現しているレーベルだよな。とくに、アンタイからは、アンティバラス(2005年1月21日、他)、マイケル・フランティ(2006年10月5日、他))、ブッカー・T(2010年2月8日、他)、メイヴィス・ステイプルズ、デヴォーチカ等、本当に興味深い人のブツが沢山出ている。自身も同レーベルに所属し、ソロモン・バーク(2010年5月29日、他)、ベティ・ラヴェット(2007年10月9日)、モーズ・アリソンらプロデュース作もそこから出してもらっているジョー・ヘンリー(2010年4月2日、4日)も、「アンタイはいい、やり易い。企画を持って行くと乗ってくれるし、このままの関係を続けたい」、と言っていたもの。どういう人が現場の担当者なのかは知らないが、本当に“眼”のある仕事をしていると思う。
と前置きが長くなったが、ストーリー・オブ・ザ・イアーはそのエピタフ所属のバンド。デビュー時はマドンナのマーヴェリックが契約したというのもくすぐるし、積極的にCDを聞こうとは思わないけど、その周辺状況に対する興味のひかれ具合もあり、ライヴ・ショウに言ってみた。渋谷・O-イースト。
入りは上々。熱い反応。ぼくの音楽履歴においてはなかなか形容の言葉遣いに困る、激情型太平楽ロック表現をサーヴィス満点に示す連中。かつて見たフォール・アウト・ボーイ公演(2007年2月27日)のように、ステージの前面へりにはお立ち台が左右に二つおいてある。で、時々メンバーがそこに立ち、見栄を切り、客を湧かす。メンバーの一人が、今回は日本人とのハーフの子供を作って帰りたい、みたいな40年前の外タレみたいな発言もかます。なる程ねーという感じで、45分見させてもらいました。
その後(というか、翌日の3時半から)はW杯の日本vs.デンマーク。おお、素晴らしい勝利。これほど素敵なTVプログラムもそうはないのでは。グループ・リーグ突破、万歳。知人と燃えまくる。こういうこともあるのだなー。ラッキーよ、続け! おねがいっ。
そんなわけで、インタヴューのときはワン・パターンにワールド・カップ話をマクラに持って行くワタシ……。イングランドの第2戦(アルジェリアと引き分け。2試合でまさかの勝ち点2)の翌日には、アンダーワールドのカール・ハイドにインタヴューしたのだが、やはりワールドカップの話題から入る。そしたら、「おいおい、あんな試合をやったすぐ後に、そんなことを聞くのかい」と、彼は苦笑い。ちゃんと日本の日程も把握していて、「イングランドのことについては一切話さないよ。(今日ある)日本とオランダの試合のことは語ってもいいけどね」。
彼はマンチェスター・ユナイテッドのクレイズとか。彼の血縁者はみんなアストン・ヴィラを応援しているそうだが、子供のころにジョージ・ベストの大ファンになったためハイドは彼が所属したマンUを応援するようになったという。確かにベストはロック・ミュージシャンと同列で格好良かったですよねと応対すると、「そう、彼はザ・ビートルズと同じような存在だった。あと、モハメド・アリもね」。フットボールは好きだったものの子供の頃からヘタでその道に進むなんてことはこれっぽちも思わなかったそうだが、代々ハイド家周辺はサッカーが上手な人が多くて、僕は親族から駄目な奴と非難轟々だったと、彼は言ってもいた。
そんなハイドは8月下旬から9月中旬かけて彼が描いたペインティングを70点ほどそろえた(ブライアン・イーノとの協調曲も収められたコンピ盤『Athens』のジャケット・カヴァーになっていた絵のようなものが、主となるらしい)展覧会をラフォーレミュージアム原宿で開くことになっている。それは、“What’s Going on in Your Head When You’re Dancing?”と名付けるそう。なんか、マーヴィン・ゲイ(『ホワッツ・ゴーイン・オン』)とオーネット・コールマン(『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』)のアルバム・タイトルをくっつけたみたいですねというと、思いもしなかったそうだが、その指摘にとっても喜ぶ。そこから、R&Bやジャズの話になだれこんだりもしました。彼とキャミオ/ラリー・ブラックモンの話をするとは思わなかった。でもって、ハイドは何よりマイルス・デイヴィス命で、彼の話をするともう止まらないという人でありますね。
話題は変わるが、そういううれしいい意外性をレーベル単位で見せているのが、エピタフ/アンタイではないか。もともとエピタフは80年代初頭に西海岸パンク・バンドのバッド・リリジョンのメンバーが立ち上げた理想主義を持つインディだが、パンク系バンドを送り出すだけでなく、90年代後期に入るとヘル・キャットやアンタイといった傍系レーベルを持ち、またミシシッピ州の慧眼アリのぶっ壊れブルース・レーベルのファット・ポッサムを傘下に引き寄せちゃうなど、本当に音楽ジャンルの枠を超えた“自由”をプロダクツ送出で体現しているレーベルだよな。とくに、アンタイからは、アンティバラス(2005年1月21日、他)、マイケル・フランティ(2006年10月5日、他))、ブッカー・T(2010年2月8日、他)、メイヴィス・ステイプルズ、デヴォーチカ等、本当に興味深い人のブツが沢山出ている。自身も同レーベルに所属し、ソロモン・バーク(2010年5月29日、他)、ベティ・ラヴェット(2007年10月9日)、モーズ・アリソンらプロデュース作もそこから出してもらっているジョー・ヘンリー(2010年4月2日、4日)も、「アンタイはいい、やり易い。企画を持って行くと乗ってくれるし、このままの関係を続けたい」、と言っていたもの。どういう人が現場の担当者なのかは知らないが、本当に“眼”のある仕事をしていると思う。
と前置きが長くなったが、ストーリー・オブ・ザ・イアーはそのエピタフ所属のバンド。デビュー時はマドンナのマーヴェリックが契約したというのもくすぐるし、積極的にCDを聞こうとは思わないけど、その周辺状況に対する興味のひかれ具合もあり、ライヴ・ショウに言ってみた。渋谷・O-イースト。
入りは上々。熱い反応。ぼくの音楽履歴においてはなかなか形容の言葉遣いに困る、激情型太平楽ロック表現をサーヴィス満点に示す連中。かつて見たフォール・アウト・ボーイ公演(2007年2月27日)のように、ステージの前面へりにはお立ち台が左右に二つおいてある。で、時々メンバーがそこに立ち、見栄を切り、客を湧かす。メンバーの一人が、今回は日本人とのハーフの子供を作って帰りたい、みたいな40年前の外タレみたいな発言もかます。なる程ねーという感じで、45分見させてもらいました。
その後(というか、翌日の3時半から)はW杯の日本vs.デンマーク。おお、素晴らしい勝利。これほど素敵なTVプログラムもそうはないのでは。グループ・リーグ突破、万歳。知人と燃えまくる。こういうこともあるのだなー。ラッキーよ、続け! おねがいっ。
マリア・マルダー・ウィズ・ダン・ヒックス
2010年6月18日 音楽 1943年生まれと41年生まれ、ルーツ・ミュージックに対する愛好と理解を根に置きながら70年代に視点ありのノスタルジックさや&洒脱さを時代の先端を行くような感じで広げて天下を取ったり、きっちり米国音楽史に居場所を作ったヴェテランの女男が共演した公演を見る。六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。
バンドは、ピアノ、ギター(帽子ともども、近年のジェイムズ・テイラーに見てくれが似ている?)、ウッド・ベース(女性)、ドラムという布陣。それ、マルダーの新作にも名前が見られる人たちなので、マルダーのバンドだろう。で、彼らがかなりまっとう。渋く、どこか粋でジャジーな伴奏を飄々と紡ぐ様はいい感じ。それゆえ、マルダーの前回公演(2006年8月23日)のバンドは一体なんだったのかとも思ってしまったが。ミレニアム以降もとっても順調にリーダー作を出しているマルダーだが、残念ながら喉のほうは駄目になっている。だが、このバンドと重なるのならOKとも思えたわけで、ちゃんと大人の枯れた米国のお伽噺みたいなものを浮かび上がらせていましたね。
彼女が数曲歌い、そこにヒックスが登場し1曲共演し、その後はマルダーが退出しヒックスのパフォーマンスが続けられ、後半はまたマルダーが出てきて一緒に数曲やり、そしてアンコールという構成。ようは、対等のフィーチャーのされ具合なり。いや、後に出てきたぶん、ヒックスのほうの印象が強くなるか。
生ギターを弾きながら歌うダン・ヒックス(2009年5月27日、他)のほうもそりゃ全盛期から見ればだいぶ老けてはいるが、お茶目な踊りや仕草をはじめ、この人だけが持つ豊穣な何かがあふれるもので文句なくニッコリできる。バンドとの噛み合いも良好。というか、ジャジーという観点ではマルダー・バンドのほうが今の彼のワーキング・バンドより達者であるのは間違いなく、通常のヒックス公演とは別の妙味が出されていたのではないか。なんか、いい時間を過ごさせてもらっているという気持ちになりました。
バンドは、ピアノ、ギター(帽子ともども、近年のジェイムズ・テイラーに見てくれが似ている?)、ウッド・ベース(女性)、ドラムという布陣。それ、マルダーの新作にも名前が見られる人たちなので、マルダーのバンドだろう。で、彼らがかなりまっとう。渋く、どこか粋でジャジーな伴奏を飄々と紡ぐ様はいい感じ。それゆえ、マルダーの前回公演(2006年8月23日)のバンドは一体なんだったのかとも思ってしまったが。ミレニアム以降もとっても順調にリーダー作を出しているマルダーだが、残念ながら喉のほうは駄目になっている。だが、このバンドと重なるのならOKとも思えたわけで、ちゃんと大人の枯れた米国のお伽噺みたいなものを浮かび上がらせていましたね。
彼女が数曲歌い、そこにヒックスが登場し1曲共演し、その後はマルダーが退出しヒックスのパフォーマンスが続けられ、後半はまたマルダーが出てきて一緒に数曲やり、そしてアンコールという構成。ようは、対等のフィーチャーのされ具合なり。いや、後に出てきたぶん、ヒックスのほうの印象が強くなるか。
生ギターを弾きながら歌うダン・ヒックス(2009年5月27日、他)のほうもそりゃ全盛期から見ればだいぶ老けてはいるが、お茶目な踊りや仕草をはじめ、この人だけが持つ豊穣な何かがあふれるもので文句なくニッコリできる。バンドとの噛み合いも良好。というか、ジャジーという観点ではマルダー・バンドのほうが今の彼のワーキング・バンドより達者であるのは間違いなく、通常のヒックス公演とは別の妙味が出されていたのではないか。なんか、いい時間を過ごさせてもらっているという気持ちになりました。
自分でもびっくり。もともとサッカー好きとはいえ、今回の南アのW杯については日本の代表チームに心から感情移入できない部分もあったりしてどこか醒めていたのだが、始まったとたんこんなにTV試合観戦に燃えるとは思わなかった。まあ、先に書いたように、初日の偶然の成り行きで観戦三昧のドアがガバっと開かれたという感じか。そんなわけなんで、ここのところ不規則な生活パターンを送ちがちだったのだが、よけいに歪むゥ。まあ、それが出来るうちが花。やっちゃえばァと、俺の本能が言っている。昨日も友達んちで、23時からのコートジボアールvs.ポルトガル戦を見ていたら盛り上がっちゃって、早朝3時半からのブラジルの初戦(対北朝鮮というのも興味深くもあり)もがぜん見たくなっちゃう。が、地上波放映予定はなく、どこかで見れないものかと馴染みの店に見られまっかと電話すると、そこでは見られないものの、ちょうどその店に来ている知人がこの後に別のお店に行って観戦する手はずになっているという。やりい、それに便乗。そんなん、ばっか。成り行きが一番……。だらだら行けば海路の日和あり、ぢゃ。
とかなんとか、仕事の合間にサッカー放映を楽しむでなく、TV観戦&関連もろもろの合間に仕事をすますという感じにもなっちゃっている(締め切りにはちゃんと原稿を出すぼくが、一件泣きの電話を事前に入れちゃったりもした)のだが、なんかライヴに行くのも久しぶりという感じ(←でもないか)で、この日はライヴを2つハシゴ。偶然、LAスタジオ勢とNYスタジオ勢がそれぞれ集った出し物だ。
まずは、丸の内・コットンクラブ。アリサ・フランクリン、ボブ・ディラン、リッキー・リー・ジョーンズ、デイヴィッド・サンボーン他様々な録音セッションに関与するとともに、自己バンドのフル・ムーンやラーセン・フェイトン・バンドでも根強い支持者を持つ、西海岸の大物セッション・ギタリストのリーダー・バンドによる公演。で、びっくり。“ファットバック”というどすこいファンク傾向フィーリングを示す言葉があるが、まさしくファンキーと言うよりはファットバックながちんこインスト主体表現をこれでもかと送り出してくれて。ショウが始まったとたん、ぼくの身体は揺れっぱなし、ときに心のなかでイエィと声をあげる。確かに黒っぽい弾き方も示していた人と思うが、こんなにグルーヴを柱に置く御仁とは知りませんでした。
その聞き味を支えるのは、もうドカチンなドラミングを披露するジェイソン・スミスと達者な指さばきを見せるオルガンのジョン“JT”トーマス。そんなに有名じゃないけど、なんだコイツら。そこに5弦電気ベースのJVコリアー(彼のみ、アフリカ系)とサックスのブランダン・フィールズ(テナーのみ使用。ぶいぶい、音色を吹き分けた)、そしていなくてもなんら問題はないサイド・ギターのアレクサンドラ・ゼファーという人たちが加わる。若い頃はけっこう綺麗だったんだろうなと思わせる長身のアラフォー女性である彼女は実はフェイトンの彼女らしい(フェイトンともども彼女はテレキャス系のモデルを弾いていた)。ドイツ生まれで00年からLAに住むようになった彼女は本来シンガー・ソングライターで、ネットでチェックしたら、もろに初期のリッキー・リー・ジョーンズ(2010年5月23日、他)を想起させる表現をやっている。ようは、アリ。この晩も2曲で前に出て歌ったが、ながら、その際はやはりがちんこなサウンドに乗っての黒っぽくもロック度数の強い曲を歌っていて、それはネットで聞けたものとはあまりに違う。このバンド、こういう豪腕モノしかできないのか?
実は、フェイトンが前にいるとき、1曲だけ茫洋としたスロウ曲をやった。その際、JTはオルガンではなくキーボードを実にどんくさく弾いたのだが、その総体の聞き味の悪さには驚愕。親族がこんな音楽をやっていたら幻滅し世間様に申し訳なくなって自決しなきゃと思うんではないか。その曲の間、いやでイヤでたまらないぼくはそんなことを考えていた。が、そんなことを思ったのも、他のアップ曲の味や手触りが素晴らしすぎるからナリ。
で、主役のフェイトンさん、刻みはいい感じで、単音主体のソロ(ライトハンド奏法も適時くりだす)も手際の良いフュージョンに陥らない刺あり。また、オープナーとクローザーでは歌った。とともに、ほうと思わされたのは、Tシャツ&ジーンズ、短髪という出で立ちの初老の彼の風体や足を踏ん張ってギターを弾く姿の奥に容易に少年時代の姿を透かせ見させるところがあったこと。ほんと、この人はギターを手にしたまま成人し、エスタブリッシュされ、先が見えつつも納得できる現在があるんだろうなと実感させられました。
そして、南青山・ブルーノート東京で、80年代中期からNYのポップ・フュージョン界でプログラミング/キーボード演奏で相当数の仕事をし、企画モノっぽいリーダー作(ぼくはあまり好きではない)を何作もだしているジャイソン・マイルズを元締めに、ギターのニック・モロク(2003年7月18日、他)、ベースのジェラルド・ビーズリー(2004年3月24日)、ドラムのバディ・ウィリアムズ(2002年6月25日)、サックスのアンディ・スニッツァーら同シーンの売れっ子セッション・マンが絡む公演。彼らは1ワクを挟んだ先週に行われた、グローヴァー・ワシントン・トリビュート・プロジェクトに参加していた5/7の面々。そして、そこにブレイズ頭が綺麗な喉自慢シンガーのライアン・ショウ(2008年3月1日、2008年11月24日)がアンコールを含めて5曲で入る。過去の彼の公演は簡素なギター・トリオが伴奏するものであっただけに、それなりに洗練された厚いサウンドが付けられた今回公演はそれだけでも意義がある。
くだけた、ソウル&ビヨンドの、インスト部にも時間をかける都会派洗練表現の夕べ、てな言い方も可能か。マイルス曲カヴァー(「ジャン・ピエール」)のインストもあれば、「ピープル・ゲット・レディ」の熱唱もありという感じでちょい間口を広げ過ぎ。個人的には、ライアンが歌う曲だけでまとめてほしかったな。
とかなんとか、仕事の合間にサッカー放映を楽しむでなく、TV観戦&関連もろもろの合間に仕事をすますという感じにもなっちゃっている(締め切りにはちゃんと原稿を出すぼくが、一件泣きの電話を事前に入れちゃったりもした)のだが、なんかライヴに行くのも久しぶりという感じ(←でもないか)で、この日はライヴを2つハシゴ。偶然、LAスタジオ勢とNYスタジオ勢がそれぞれ集った出し物だ。
まずは、丸の内・コットンクラブ。アリサ・フランクリン、ボブ・ディラン、リッキー・リー・ジョーンズ、デイヴィッド・サンボーン他様々な録音セッションに関与するとともに、自己バンドのフル・ムーンやラーセン・フェイトン・バンドでも根強い支持者を持つ、西海岸の大物セッション・ギタリストのリーダー・バンドによる公演。で、びっくり。“ファットバック”というどすこいファンク傾向フィーリングを示す言葉があるが、まさしくファンキーと言うよりはファットバックながちんこインスト主体表現をこれでもかと送り出してくれて。ショウが始まったとたん、ぼくの身体は揺れっぱなし、ときに心のなかでイエィと声をあげる。確かに黒っぽい弾き方も示していた人と思うが、こんなにグルーヴを柱に置く御仁とは知りませんでした。
その聞き味を支えるのは、もうドカチンなドラミングを披露するジェイソン・スミスと達者な指さばきを見せるオルガンのジョン“JT”トーマス。そんなに有名じゃないけど、なんだコイツら。そこに5弦電気ベースのJVコリアー(彼のみ、アフリカ系)とサックスのブランダン・フィールズ(テナーのみ使用。ぶいぶい、音色を吹き分けた)、そしていなくてもなんら問題はないサイド・ギターのアレクサンドラ・ゼファーという人たちが加わる。若い頃はけっこう綺麗だったんだろうなと思わせる長身のアラフォー女性である彼女は実はフェイトンの彼女らしい(フェイトンともども彼女はテレキャス系のモデルを弾いていた)。ドイツ生まれで00年からLAに住むようになった彼女は本来シンガー・ソングライターで、ネットでチェックしたら、もろに初期のリッキー・リー・ジョーンズ(2010年5月23日、他)を想起させる表現をやっている。ようは、アリ。この晩も2曲で前に出て歌ったが、ながら、その際はやはりがちんこなサウンドに乗っての黒っぽくもロック度数の強い曲を歌っていて、それはネットで聞けたものとはあまりに違う。このバンド、こういう豪腕モノしかできないのか?
実は、フェイトンが前にいるとき、1曲だけ茫洋としたスロウ曲をやった。その際、JTはオルガンではなくキーボードを実にどんくさく弾いたのだが、その総体の聞き味の悪さには驚愕。親族がこんな音楽をやっていたら幻滅し世間様に申し訳なくなって自決しなきゃと思うんではないか。その曲の間、いやでイヤでたまらないぼくはそんなことを考えていた。が、そんなことを思ったのも、他のアップ曲の味や手触りが素晴らしすぎるからナリ。
で、主役のフェイトンさん、刻みはいい感じで、単音主体のソロ(ライトハンド奏法も適時くりだす)も手際の良いフュージョンに陥らない刺あり。また、オープナーとクローザーでは歌った。とともに、ほうと思わされたのは、Tシャツ&ジーンズ、短髪という出で立ちの初老の彼の風体や足を踏ん張ってギターを弾く姿の奥に容易に少年時代の姿を透かせ見させるところがあったこと。ほんと、この人はギターを手にしたまま成人し、エスタブリッシュされ、先が見えつつも納得できる現在があるんだろうなと実感させられました。
そして、南青山・ブルーノート東京で、80年代中期からNYのポップ・フュージョン界でプログラミング/キーボード演奏で相当数の仕事をし、企画モノっぽいリーダー作(ぼくはあまり好きではない)を何作もだしているジャイソン・マイルズを元締めに、ギターのニック・モロク(2003年7月18日、他)、ベースのジェラルド・ビーズリー(2004年3月24日)、ドラムのバディ・ウィリアムズ(2002年6月25日)、サックスのアンディ・スニッツァーら同シーンの売れっ子セッション・マンが絡む公演。彼らは1ワクを挟んだ先週に行われた、グローヴァー・ワシントン・トリビュート・プロジェクトに参加していた5/7の面々。そして、そこにブレイズ頭が綺麗な喉自慢シンガーのライアン・ショウ(2008年3月1日、2008年11月24日)がアンコールを含めて5曲で入る。過去の彼の公演は簡素なギター・トリオが伴奏するものであっただけに、それなりに洗練された厚いサウンドが付けられた今回公演はそれだけでも意義がある。
くだけた、ソウル&ビヨンドの、インスト部にも時間をかける都会派洗練表現の夕べ、てな言い方も可能か。マイルス曲カヴァー(「ジャン・ピエール」)のインストもあれば、「ピープル・ゲット・レディ」の熱唱もありという感じでちょい間口を広げ過ぎ。個人的には、ライアンが歌う曲だけでまとめてほしかったな。
スピーカー・サージェント、ボヘミアンブードゥー
2010年6月14日 音楽 渋谷・JZブラット。P-ヴァインが新たに出すという新人ジャジー系バンドが二つ出る公演を見る。会場入りすると、ボヘミアンブードゥーという4人組がやっている。名前が与える印象と異なり、アコースティックな音質のギター演奏を前に置く、物わかりのいい爽やかフュージョンを展開。その後、休憩を挟んで、スピーカー・サージェントが登場。3ピースのグルーヴ・ジャズ・トリオという触れ込みであったが、いい意味でぼくの想像から離れた音を出す連中だった。間をいかしつつ3人が重なりグツグツと進んで行くようなパフォーマンスを披露するのだが、少なくてもシンプルな音構成になるライヴにおいては、そんなに誰々風というところがなくて、へーえ。ベースはザ・レイ・マン3(2010年5月25日)を思い出させたり、ギターのつま弾き方はジョン・スコフィールド(2008年10月8日、他)好きそうとか思わせたりもするのだが、今のファンキーなインスト勢にありがちなザ・ミーターズ風とかザ・JBズ風とかいう回路からはするりと抜け出ているところがあって、ぼくは頷いた。途中から、トランぺッターやキーボーディストが加わったりも。
彼らのショウは2部制であったが、W杯の日本の初戦を見るために、ファースト・ショウのみで会場をあとにする。試合の開始は11時からだが、いろいろ買い出しとか準備があってサ。実は、今うちの受像器は地上波放送が良く映らなくて(光ファイバーTVが映れば問題ないという感じで放っている。このまま行けば、地デジに完全移行してもモニターの買い替えはしないと思う)、基本W杯観戦は知人の家かお店でしなきゃならないこともあり、完全に外向きお祭りモードなり。
対、カメルーン戦。まさか、神風が吹くとは。それで、駄目ダメ指揮官をほめようとはこれっぽちも思わないが(彼が就任してからの2年間はホントいったい何だったのだろう)、でも皆で見ていて燃えたア、沸いたア。わーい。これで、あと10日間は当事者キブンでも楽しめる。このまま、幸運が続いてほしいっ。
彼らのショウは2部制であったが、W杯の日本の初戦を見るために、ファースト・ショウのみで会場をあとにする。試合の開始は11時からだが、いろいろ買い出しとか準備があってサ。実は、今うちの受像器は地上波放送が良く映らなくて(光ファイバーTVが映れば問題ないという感じで放っている。このまま行けば、地デジに完全移行してもモニターの買い替えはしないと思う)、基本W杯観戦は知人の家かお店でしなきゃならないこともあり、完全に外向きお祭りモードなり。
対、カメルーン戦。まさか、神風が吹くとは。それで、駄目ダメ指揮官をほめようとはこれっぽちも思わないが(彼が就任してからの2年間はホントいったい何だったのだろう)、でも皆で見ていて燃えたア、沸いたア。わーい。これで、あと10日間は当事者キブンでも楽しめる。このまま、幸運が続いてほしいっ。
カサンドラ・ウィルソン
2010年6月13日 音楽 ジャズを根に置く広角型シンガーの今回の実演は、マーヴィン・スーウェル(ギター、ミュージカル・ディレクター)、ロニー・プラキシコ(ベース)、ジョナサン・バティステ(ピアノ)、ハーリン・ライリー(ドラム)、レカン・ババロラ(パーカッション)という面々のサポート。前回公演(2008年8月11日)の同行者と重なるのは、スーウェル(メンバー紹介のMCで、彼だけが拍手がデカかった)とババロラ。ながら、バティステ以外は今のところ一番新しいアルバムとなる『ラヴァリー』参加者となる。←おお、全員、肌の黒い人たちですね。蛇足だが、本来ならこの頃には新作が出るとも言われていた。ながら、(彼女が所属している)ブルーノートの新作リリース情報のリストから現在は名前がドロップしてしまったという。うぬ、新作どーなる?
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。冒頭、ブルージィなインスト。おお、ウィルソンが出てこなくてもこれだけで1時間半持つじゃないかと、頷く。そして、彼女が加わり、嬉しい含みや襞や隙間を感じさせるジャズ・ヴォーカル表現を悠々と出して行く。我が道を行く迂回する感覚を強く含みつつ、新作がそうであったように、これまでではトップ級にジャズ色が強いパフォーマンスとも言えるのか。かなり覚醒した感覚で開かれた「ムーン・リヴァー」をやるなど、スタンダードも数曲うたったし。意外だったのは、大スタンダードの「ラヴァー・カム・バック・トゥ・ミー」(新作のオープナーでもあるが)を歌い始めたときの歓声が異常に大きかったこと。はみだした傾向にある彼女だが、実は普通のジャズ愛好者もお客は少なくなかった?
今回、奏者で一番感心したのはライリー(2000年3月9日、2007年9月7日)。80年代中期にアーマッド・ジャマルに可愛がられるとともにウィントン・マルサリスやハリー・コニックJr.やドクター・ジョンらニューオーリンズのバッキングが目立った人なのでおそらくそこの出身なのだろうけど、その純ジャズから大きく離れるどこかいい感じのバラけた叩き口にはかなり驚く。おまけに彼はときどき大声でかけ声をあげたりもして、それも良い。そのリーダー作を聞くとまっとうなハード・パップを自作曲のもと披露しているが、うーんいいドラマーだ。それから、ほとんど無名のバティステもその名前から察するに根はニューオーリンズか。延々と右手のみでシングル・トーンのソロを弾いたり、突然セロニアス・モンク風のコワレを入れたりとか、変な弾き口を披露。上手いんだかそれほどでもないんだかはいまいち判別が付かず。ババロアの打楽器群にはテルミンも置いてあったが、使用せず。
総じて奏者ソロを回す頻度はいつもより高めであったか。ま、純ジャズ・ヴォーカルとして触れるぶんには、それは普通の行き方ではあるのだけど。だけど、扇子さばきもお上手なカサンドラが中央にいると、すべては彼女が掌握するものであり、全部を統括してこその、アタシのヴォーカル表現なのよというノリも大いに出てくるわけだ。ただ、毎度の如く多大な説得力を持つ余裕綽々な彼女ではあったが、いつもより歌声がかすれ気味で、少し喉は本調子でないのかもと思えた。ともあれ、毎度のごとく、素晴らしく視点のある統合的アフリカン・アメリカン・ミュージックを聞かせてくれたのは間違いないし、やはり示唆も受けました。
六本木・ビルボードライブ東京、セカンド・ショウ。冒頭、ブルージィなインスト。おお、ウィルソンが出てこなくてもこれだけで1時間半持つじゃないかと、頷く。そして、彼女が加わり、嬉しい含みや襞や隙間を感じさせるジャズ・ヴォーカル表現を悠々と出して行く。我が道を行く迂回する感覚を強く含みつつ、新作がそうであったように、これまでではトップ級にジャズ色が強いパフォーマンスとも言えるのか。かなり覚醒した感覚で開かれた「ムーン・リヴァー」をやるなど、スタンダードも数曲うたったし。意外だったのは、大スタンダードの「ラヴァー・カム・バック・トゥ・ミー」(新作のオープナーでもあるが)を歌い始めたときの歓声が異常に大きかったこと。はみだした傾向にある彼女だが、実は普通のジャズ愛好者もお客は少なくなかった?
今回、奏者で一番感心したのはライリー(2000年3月9日、2007年9月7日)。80年代中期にアーマッド・ジャマルに可愛がられるとともにウィントン・マルサリスやハリー・コニックJr.やドクター・ジョンらニューオーリンズのバッキングが目立った人なのでおそらくそこの出身なのだろうけど、その純ジャズから大きく離れるどこかいい感じのバラけた叩き口にはかなり驚く。おまけに彼はときどき大声でかけ声をあげたりもして、それも良い。そのリーダー作を聞くとまっとうなハード・パップを自作曲のもと披露しているが、うーんいいドラマーだ。それから、ほとんど無名のバティステもその名前から察するに根はニューオーリンズか。延々と右手のみでシングル・トーンのソロを弾いたり、突然セロニアス・モンク風のコワレを入れたりとか、変な弾き口を披露。上手いんだかそれほどでもないんだかはいまいち判別が付かず。ババロアの打楽器群にはテルミンも置いてあったが、使用せず。
総じて奏者ソロを回す頻度はいつもより高めであったか。ま、純ジャズ・ヴォーカルとして触れるぶんには、それは普通の行き方ではあるのだけど。だけど、扇子さばきもお上手なカサンドラが中央にいると、すべては彼女が掌握するものであり、全部を統括してこその、アタシのヴォーカル表現なのよというノリも大いに出てくるわけだ。ただ、毎度の如く多大な説得力を持つ余裕綽々な彼女ではあったが、いつもより歌声がかすれ気味で、少し喉は本調子でないのかもと思えた。ともあれ、毎度のごとく、素晴らしく視点のある統合的アフリカン・アメリカン・ミュージックを聞かせてくれたのは間違いないし、やはり示唆も受けました。
パット・メセニー オーケストリオン
2010年6月12日 音楽 夕方、錦糸町・すみだトリフォニー・ホールに。地下鉄半蔵門線の錦糸町駅の次の駅は押上。そう、何かと話題になっている東京スカイツリー(ぼくの知人は、語呂も東京タワーと似ているし、経営会社の名前を取って東武タワーでいいじゃん、と言っている。賛成かも)がある駅ですね。天気もいいしホールに行く前にスカイツリー周辺探訪をしようかと思ったが、さすが昨日の12時間に渡る痛飲のためハング・オーヴァー気味で、やめにする。でも、すみだトリフォニー・ホールの側からも通り一直線先にタワーが見える箇所があった。そういう所は、必ず携帯かざして写真を撮っている人がいるのですぐに分かる。現在400メートル弱だそうだが、工事途中のそれはぼくが想像していたよりも低く見えた。うーぬ、家から見えるところでこんなの作っていたら、ワクワクするかな。いや、絶対するだろうな。そして、タワーが見えないところにいると、落ち着かなくなっちゃったりするんだろーな。
今年早々にリリースされた現代ジャズ・ギター界の大スター(1999年12月15日、2002年9月19日)の新作『オーケストリオン』はオーケストリオンという同名の自動演奏装置が奏でるサウンドのもとギターを弾いたアルバムで、今回の来日はそのオーケストリオンを持ってきてのソロ・パフォーマンス。東京2日間のみのもので、それは早々に売り切れとなったようだ。
冒頭の数曲は、生ギター、バリトン・ギター、ピカソ・ギター、エレクトリック・ギターなど各種ギターを手して、ソロで1曲づつ弾く。その後はオーケストリオンを用いてのものだが、ナンダコレハと接した者は感じずにはいられない装置だよな。左右と背後に、各種パーカッション、鍵盤類、その他いろんな楽器/鳴りもの(全部で、100ぐらいはある?)が少しアートぽく置かれていて、それはいかなる仕掛けかは分からぬが、その場で動いて音を出し(例えば、シンバルだったらスティックが動いて対象を叩く)、その一個一個の音が重なり一つのサウンドが作られる。それは、物凄く大掛かりで、手間とお金がかかった“明和電気なるもの”なんて、言い方も少しは出来ようか。なんでも、子供のころに親類の家にあった自動演奏装置に対する好奇心がその根にあるようだが、とにもかくにも、酔狂。そのシステムを成り立たせるまでの労力や時間やコストのことを考えると本当に気が遠くなる。とともに、そのアナログな複雑装置が一切トラブルなしで動いている様にも驚く。ここまで安定させるまでには、相当な苦労があったろうて。ちなみに、バンドのときよりスタッフ数は多いそうだ。
というわけで、ステージ上には寛いだ雰囲気が流れていたが、生理的に壮絶。ガキのころの夢を温め続けて、それを見事に形にしちゃった、メセニーの行動力や気持ちの強さにゃ感服。あんた馬鹿、いや大バカだ。で、そんなオーケストリオンがリアルタイムで出す音群に合わせて、メセニーは思うまま、得意気にギターを弾く。ギターのフレイズに連動して機械が動くところもあるのかもしれないが、基本そのオーケストリオンが出す音にヴィヴィッドな即興性があるわけではないし、採用楽器や装置の回路上やはりサウンドの傾向は一方向を向きがち。それだけを取るなら、バンドをバックにしたほうが生々しいことはできるだろうし、いろんな音を思うまま重ねたプリセット音を流してそれに合わせてギターを弾いたほうが多様に飛び散る表現はできるはず。それゆえ、純粋な音楽面においての新しさの獲得は皆無と言える。音楽的にも新たな境地に達したなんて言う人はメセニー狂信者か、耳のくもっている人と、ぼくは思う。CD『オーケストリオン』のリード・トラックたる1曲目なんて、マイク・オールドフィールドが70年代初頭に発表した「チューブラー・ベルズ」の聞き味からそんなに変わってないでしょ?
意地悪なことを書けば、メセニーのバンド表現におけるサウンド構築のヴァリエーションや純粋なギター演奏語彙は行き詰まっているところはあるはず。それを敏感なメセニーは察知しているからこそ、彼はこういうプロジェクトにも望んだとも言えなくはないだろう。でも、経過はどうであれ、その変テコでやっかいな筋道を通ってのメセニーのギター表現は言葉を超えた感慨を引き出し、輝きや妙味を持つものとして、あの場にいた受け手に向かいまくっていたのは間違いのないこと。なんか、掛け替えのない何かが存分にあの場にはあった!
<パット・メセニー、私とギター、そしてその音楽人生……>そんな副題が付けられそうな、メセニーのギターや音楽に対する並外れた執念がこれでもかと放出された公演。途中からは達成感を下敷きにするだろう心のこもったMCを1曲ごとに挟んだりもし、3度やったアンコール曲も含めると、3時間にも及ぶショウとなった。そういえば、最後のほうになると、メセニーのギター演奏に関しては、そのライヴ・ギター音をサンプリングしそれをループして行く手法も取ったりもした(それ自体はリチャード・ボナ他いろんな人がやっていることで新味なし)し、オーネット・コールマン(2006年3月27日)の「ピース」をやったりもした。オーケストリオン装置は豆電球が光ったりもする(それ、演奏しているものが光るという話もあるが、遠目にはピカピカ光っているようにしか見えなかった)が、照明ともどもそれは子供っぽい感じを与えるもので、趣味がいいとは言いがたい。まあ、そこらあたりは服装に無頓着な彼らしいと思わせるか。
あのからくり装置のお化けのようなものを介する生サウンドにギター演奏を重ねる様に触れて、メセニーは強大な“スカイツリー”を一人で見事に作り上げちゃたんだなーと、思ったりも。無駄なことを嬉々としてやるパワー、その創造性や権力の自由な行使にはおおきく心を動かされちゃったナ。メセニー、あんたって人は……。巨大なおもちゃを前に永遠のギター少年が思うまま振る舞う様に、ピーターパンという言葉を思い出したりも。これをMJ(マイケル・ジャクソンのことです)が見たら、メセニーと共演したくなったんじゃないか。なんか、ぼくはそんな唐突なことも思った。
この日は、オーケストリオンをひっさげてのツアーの最終日。秋にはまたこのプロジェクト・ツアーをやるという話もあるが、この欧州サマー・フェス・ツアーはカルテット(ラリー・メイズ、スティーヴ・ロドビー、アントニオ・サンチェス)でやるようだ。
今年早々にリリースされた現代ジャズ・ギター界の大スター(1999年12月15日、2002年9月19日)の新作『オーケストリオン』はオーケストリオンという同名の自動演奏装置が奏でるサウンドのもとギターを弾いたアルバムで、今回の来日はそのオーケストリオンを持ってきてのソロ・パフォーマンス。東京2日間のみのもので、それは早々に売り切れとなったようだ。
冒頭の数曲は、生ギター、バリトン・ギター、ピカソ・ギター、エレクトリック・ギターなど各種ギターを手して、ソロで1曲づつ弾く。その後はオーケストリオンを用いてのものだが、ナンダコレハと接した者は感じずにはいられない装置だよな。左右と背後に、各種パーカッション、鍵盤類、その他いろんな楽器/鳴りもの(全部で、100ぐらいはある?)が少しアートぽく置かれていて、それはいかなる仕掛けかは分からぬが、その場で動いて音を出し(例えば、シンバルだったらスティックが動いて対象を叩く)、その一個一個の音が重なり一つのサウンドが作られる。それは、物凄く大掛かりで、手間とお金がかかった“明和電気なるもの”なんて、言い方も少しは出来ようか。なんでも、子供のころに親類の家にあった自動演奏装置に対する好奇心がその根にあるようだが、とにもかくにも、酔狂。そのシステムを成り立たせるまでの労力や時間やコストのことを考えると本当に気が遠くなる。とともに、そのアナログな複雑装置が一切トラブルなしで動いている様にも驚く。ここまで安定させるまでには、相当な苦労があったろうて。ちなみに、バンドのときよりスタッフ数は多いそうだ。
というわけで、ステージ上には寛いだ雰囲気が流れていたが、生理的に壮絶。ガキのころの夢を温め続けて、それを見事に形にしちゃった、メセニーの行動力や気持ちの強さにゃ感服。あんた馬鹿、いや大バカだ。で、そんなオーケストリオンがリアルタイムで出す音群に合わせて、メセニーは思うまま、得意気にギターを弾く。ギターのフレイズに連動して機械が動くところもあるのかもしれないが、基本そのオーケストリオンが出す音にヴィヴィッドな即興性があるわけではないし、採用楽器や装置の回路上やはりサウンドの傾向は一方向を向きがち。それだけを取るなら、バンドをバックにしたほうが生々しいことはできるだろうし、いろんな音を思うまま重ねたプリセット音を流してそれに合わせてギターを弾いたほうが多様に飛び散る表現はできるはず。それゆえ、純粋な音楽面においての新しさの獲得は皆無と言える。音楽的にも新たな境地に達したなんて言う人はメセニー狂信者か、耳のくもっている人と、ぼくは思う。CD『オーケストリオン』のリード・トラックたる1曲目なんて、マイク・オールドフィールドが70年代初頭に発表した「チューブラー・ベルズ」の聞き味からそんなに変わってないでしょ?
意地悪なことを書けば、メセニーのバンド表現におけるサウンド構築のヴァリエーションや純粋なギター演奏語彙は行き詰まっているところはあるはず。それを敏感なメセニーは察知しているからこそ、彼はこういうプロジェクトにも望んだとも言えなくはないだろう。でも、経過はどうであれ、その変テコでやっかいな筋道を通ってのメセニーのギター表現は言葉を超えた感慨を引き出し、輝きや妙味を持つものとして、あの場にいた受け手に向かいまくっていたのは間違いのないこと。なんか、掛け替えのない何かが存分にあの場にはあった!
<パット・メセニー、私とギター、そしてその音楽人生……>そんな副題が付けられそうな、メセニーのギターや音楽に対する並外れた執念がこれでもかと放出された公演。途中からは達成感を下敷きにするだろう心のこもったMCを1曲ごとに挟んだりもし、3度やったアンコール曲も含めると、3時間にも及ぶショウとなった。そういえば、最後のほうになると、メセニーのギター演奏に関しては、そのライヴ・ギター音をサンプリングしそれをループして行く手法も取ったりもした(それ自体はリチャード・ボナ他いろんな人がやっていることで新味なし)し、オーネット・コールマン(2006年3月27日)の「ピース」をやったりもした。オーケストリオン装置は豆電球が光ったりもする(それ、演奏しているものが光るという話もあるが、遠目にはピカピカ光っているようにしか見えなかった)が、照明ともどもそれは子供っぽい感じを与えるもので、趣味がいいとは言いがたい。まあ、そこらあたりは服装に無頓着な彼らしいと思わせるか。
あのからくり装置のお化けのようなものを介する生サウンドにギター演奏を重ねる様に触れて、メセニーは強大な“スカイツリー”を一人で見事に作り上げちゃたんだなーと、思ったりも。無駄なことを嬉々としてやるパワー、その創造性や権力の自由な行使にはおおきく心を動かされちゃったナ。メセニー、あんたって人は……。巨大なおもちゃを前に永遠のギター少年が思うまま振る舞う様に、ピーターパンという言葉を思い出したりも。これをMJ(マイケル・ジャクソンのことです)が見たら、メセニーと共演したくなったんじゃないか。なんか、ぼくはそんな唐突なことも思った。
この日は、オーケストリオンをひっさげてのツアーの最終日。秋にはまたこのプロジェクト・ツアーをやるという話もあるが、この欧州サマー・フェス・ツアーはカルテット(ラリー・メイズ、スティーヴ・ロドビー、アントニオ・サンチェス)でやるようだ。
ソイル&ザ・ピンプ・ザ・セッションズ(2009年6月12日、他)のリズム隊(ピアノ、縦ベース、ドラム)、新作リリースを追うツアーの初日。赤レンガ倉庫・モーション・ブルー・ヨコハマ、ファースト・ショウ。フル・ハウス、定期的にここではやっているようで、しっかり固定の客がついているのだと思わせられる。一応、純アコースティックな編成にてジャズな行き方=インタープレイを柱に据えた表現をしていく。ながら、立ったリズムの採用やポップ側に軸足をかけたメロディ感覚を持つなどもし、そこから浮き上がろうとするピアノ・トリオ表現を標榜しているという書き方はできるはず。もう少し暴れてほしいところもあったが、それは着席会場での実演という部分もあったのか。
その後、怒濤。この日は昨年までパリ在住だった米日ハーフの娘とフランスから来日中の男女と見に行ったのだが、うちアパレル関連従事者であるフレデリックは、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」で人生が変わったんだとか。あの映画に触発されて離婚し、それまで無縁だった酒とタバコを享受するようになり、クラシック以外の音楽も聞くようになったのだそう。とうぜん、舞台となった新宿のホテルに行って大感激したという。彼はサッカーには興味がないそうだが、翌日だか東京ドームに野球を見に行くのが楽しみと言っていた。なんで、野球?とサッカー派のぼくが問うと、スタジアムの感じが好きなんだそう。モーションでワインのボトルを2本あけていたけど、その後はまず野毛の立ち飲みに行って、乾杯〜。
そして、渋谷に戻り、フランス組が行きたがったお店に行き、さらにもう1軒。今日からワールドカップの開幕で、オープニングのセレモニーは見ることはできなかったが、開幕の南アフリカvs.メキシコの試合はお店で見れた。期間中、試合を放映しますというお店は多いんだろうな。とくに、後のほうのお店の大型プロジェクター映像はとても綺麗でびっくり。その後、深夜2時過ぎ、ハーフ娘の手引きでとんこつラーメン屋へ。俺、なぜか豚骨ラーメンはほとんど食べたことがなく(昔、博多に行ったとき、屋台で食べたことがあるだけ?)、替え玉初体験かも。ましてや、深夜ラーメンなんていつ以来だ?
3時半からは開幕第2戦のフランスとウルグアイの試合がある。で、誘われるままにイケイケで、フランス人が集まってフランス戦を応援しているという個人宅におじゃましちゃう。大学教授と証券マンとか、みんな10年以上日本に住んでいるとかで日本語もできる。すでにだいぶシャンパンを開けているとのことだったが、この後もシャンパンがまさに次々に出てくる。最初は少し銘柄を気にしていたが、途中からそんなことどーでもよくなった。たぶん、この早朝が生涯で一番“泡”を飲んだ日になるんだろうナ。一度、ホストがシャンパンを開けるときにこぼすと、シャパーニュ地方の出の一人がそうゆう無様なのはなんだかかんだかと口を出す。こだわりをもっているみたい。
疑惑の判定(2009年11月24日、参照)でW杯出場を決めたり、大会前の練習試合で出場できない中国に破れたりと前大会準優勝チームながらなにかと評判の悪いフランス代表チームだが、試合が始まって10分もしないうちに、「こりゃ駄目だ。0-0だな」とかフランス人たちは話しだす。サディスティックな俺(2002年6月11日、参照)ではあったが、そこは一飲の恩を感じ、「いやあ、サッカーは最後まで分かりませんから、まだまだこれからです」とか、いい人発言をする。彼ら、試合そっちのけで「なんで黒人選手はあんなにいいケツの形してんのか」とか、そんな話を延々としていたようだ。
結局、0-0。だが、酔っぱらいまくりつつ、見ていて楽しかった。今年のW杯はあんまし燃えず、TV放映予定なんかも全然チェックせずにいたのだけどなあ……。試合終わったあともうだうだ皆で飲んでいて(テラスに出たりもしたが、あの時間にあんなにデカい声で話していて苦情はこないのか?)、たぶん6時半ぐらいにおいとましたが、すげえ天気がいい。うひょ。
その後、怒濤。この日は昨年までパリ在住だった米日ハーフの娘とフランスから来日中の男女と見に行ったのだが、うちアパレル関連従事者であるフレデリックは、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」で人生が変わったんだとか。あの映画に触発されて離婚し、それまで無縁だった酒とタバコを享受するようになり、クラシック以外の音楽も聞くようになったのだそう。とうぜん、舞台となった新宿のホテルに行って大感激したという。彼はサッカーには興味がないそうだが、翌日だか東京ドームに野球を見に行くのが楽しみと言っていた。なんで、野球?とサッカー派のぼくが問うと、スタジアムの感じが好きなんだそう。モーションでワインのボトルを2本あけていたけど、その後はまず野毛の立ち飲みに行って、乾杯〜。
そして、渋谷に戻り、フランス組が行きたがったお店に行き、さらにもう1軒。今日からワールドカップの開幕で、オープニングのセレモニーは見ることはできなかったが、開幕の南アフリカvs.メキシコの試合はお店で見れた。期間中、試合を放映しますというお店は多いんだろうな。とくに、後のほうのお店の大型プロジェクター映像はとても綺麗でびっくり。その後、深夜2時過ぎ、ハーフ娘の手引きでとんこつラーメン屋へ。俺、なぜか豚骨ラーメンはほとんど食べたことがなく(昔、博多に行ったとき、屋台で食べたことがあるだけ?)、替え玉初体験かも。ましてや、深夜ラーメンなんていつ以来だ?
3時半からは開幕第2戦のフランスとウルグアイの試合がある。で、誘われるままにイケイケで、フランス人が集まってフランス戦を応援しているという個人宅におじゃましちゃう。大学教授と証券マンとか、みんな10年以上日本に住んでいるとかで日本語もできる。すでにだいぶシャンパンを開けているとのことだったが、この後もシャンパンがまさに次々に出てくる。最初は少し銘柄を気にしていたが、途中からそんなことどーでもよくなった。たぶん、この早朝が生涯で一番“泡”を飲んだ日になるんだろうナ。一度、ホストがシャンパンを開けるときにこぼすと、シャパーニュ地方の出の一人がそうゆう無様なのはなんだかかんだかと口を出す。こだわりをもっているみたい。
疑惑の判定(2009年11月24日、参照)でW杯出場を決めたり、大会前の練習試合で出場できない中国に破れたりと前大会準優勝チームながらなにかと評判の悪いフランス代表チームだが、試合が始まって10分もしないうちに、「こりゃ駄目だ。0-0だな」とかフランス人たちは話しだす。サディスティックな俺(2002年6月11日、参照)ではあったが、そこは一飲の恩を感じ、「いやあ、サッカーは最後まで分かりませんから、まだまだこれからです」とか、いい人発言をする。彼ら、試合そっちのけで「なんで黒人選手はあんなにいいケツの形してんのか」とか、そんな話を延々としていたようだ。
結局、0-0。だが、酔っぱらいまくりつつ、見ていて楽しかった。今年のW杯はあんまし燃えず、TV放映予定なんかも全然チェックせずにいたのだけどなあ……。試合終わったあともうだうだ皆で飲んでいて(テラスに出たりもしたが、あの時間にあんなにデカい声で話していて苦情はこないのか?)、たぶん6時半ぐらいにおいとましたが、すげえ天気がいい。うひょ。
小窓ノ王(航)、辻隼人、ファースト・ミーティング
2010年6月7日 音楽 MIKA(2009年11月30日)の公演もこの日にあって、約半年の間に彼がどのぐらい変化しているかというのことに非常に興味があったのだが、最近知りとっても興味そそられたアーティストがいてライヴをやるので、そちらの方を取る。吉祥寺・MANDA-LA2。
そのアーティストは航という女性シンガー/ピアニスト。小窓ノ王というのは彼女とドラマーの植村昌弘のユニット名で、その単位にチェロ奏者やトランペット奏者も曲によっては入るアルバム『Do-Chu』は航名義のものになっていて、この晩のライヴはそのアルバム発売を受けてのものとなる。
まず、辻隼人というシンガー/ピアニストがソロでパフォーマンス。初めて触れるが、ほう。けっこうレディオヘッド(2008年10月4日、他)やジェフ・バックリーなどを想起させる曲をピアノ弾き語りでやっているという印象を受ける。ときにアヴァンギャルドなかき回しピアノ奏法を見せたり、歌声とは離れる金切り声をあげたりも。何語で歌っているのかは、ぼくの耳には判別できなかったのは残念(←追記。後からCDを聞いたら、自分なりの擬音/感覚韻で歌っているみたい)。が、なんにせよ、きっちり自分の美意識のもと音楽と対峙しているのが分かる人で、たとえばシガー・ロス(2006年4月5日、他)の前座としてひょいっと出てきたりしたら、話題を呼ぶのではないか。MCによれば、彼はリーダー作を複数出しているようだ。
2番目は、航のファースト作をプロデュースしている藤井郷子らのファースト・ミーティング(2010年1月9日)。この日のギグは、オーストラリア人で現在はシンガポールに住んでいるそうなアルト・サックス奏者のティムさんという人が加わる。30分1本の、彼女たちならではの、丁々発止。
そして、小窓ノ王。ぼくは航の『Do-Chu』を聞いて、“リアル・ジャズ環境にいるUA(2009年5月30日、他)”と説明したくなることを、凛とした佇まいのもと見事にやっている人だなあという感想を持った。で、実演を聞いても、ちゃんとした芯と視点と閃きと気を有する才ある人物という印象は減じず。途中でトランペットの田村夏樹(2004年10月10日、2005年2月10日、他)が加わったりも。アンコールは童謡「月の砂漠」を自分流に広げたカタチでやったが、それを聞いて、矢野顕子(2009年12月13日、他)のことも好きなのかとも思う。終演後に聞いたら、矢野の一番好きなアルバムは『ジャパニーズ・ガール』であるそう。
そのアーティストは航という女性シンガー/ピアニスト。小窓ノ王というのは彼女とドラマーの植村昌弘のユニット名で、その単位にチェロ奏者やトランペット奏者も曲によっては入るアルバム『Do-Chu』は航名義のものになっていて、この晩のライヴはそのアルバム発売を受けてのものとなる。
まず、辻隼人というシンガー/ピアニストがソロでパフォーマンス。初めて触れるが、ほう。けっこうレディオヘッド(2008年10月4日、他)やジェフ・バックリーなどを想起させる曲をピアノ弾き語りでやっているという印象を受ける。ときにアヴァンギャルドなかき回しピアノ奏法を見せたり、歌声とは離れる金切り声をあげたりも。何語で歌っているのかは、ぼくの耳には判別できなかったのは残念(←追記。後からCDを聞いたら、自分なりの擬音/感覚韻で歌っているみたい)。が、なんにせよ、きっちり自分の美意識のもと音楽と対峙しているのが分かる人で、たとえばシガー・ロス(2006年4月5日、他)の前座としてひょいっと出てきたりしたら、話題を呼ぶのではないか。MCによれば、彼はリーダー作を複数出しているようだ。
2番目は、航のファースト作をプロデュースしている藤井郷子らのファースト・ミーティング(2010年1月9日)。この日のギグは、オーストラリア人で現在はシンガポールに住んでいるそうなアルト・サックス奏者のティムさんという人が加わる。30分1本の、彼女たちならではの、丁々発止。
そして、小窓ノ王。ぼくは航の『Do-Chu』を聞いて、“リアル・ジャズ環境にいるUA(2009年5月30日、他)”と説明したくなることを、凛とした佇まいのもと見事にやっている人だなあという感想を持った。で、実演を聞いても、ちゃんとした芯と視点と閃きと気を有する才ある人物という印象は減じず。途中でトランペットの田村夏樹(2004年10月10日、2005年2月10日、他)が加わったりも。アンコールは童謡「月の砂漠」を自分流に広げたカタチでやったが、それを聞いて、矢野顕子(2009年12月13日、他)のことも好きなのかとも思う。終演後に聞いたら、矢野の一番好きなアルバムは『ジャパニーズ・ガール』であるそう。
前回のマイク・スターン公演(2009年6月18日)のカルテット編成バンドのベーシストだけ替わり、ボナ(2010年2月5日、他)が新たに入ってのパフォーマンス。ギターのスターンは好漢まるだしの張り切りさん演奏、トランペットのランディ・ブレッカーはすべて電気を通しての演奏で、その聞き味には疑問。衰えていて生音では勝負できなくなっているのかどうかは知らぬが、あれだと別に鍵盤でやっても同じような音をだせちゃう感じで、トランペットという楽器を用いる美点は何もないじゃないか。そんな音を出す人(といっても、ときに一緒にテーマを弾いたり、ソロを取ったりするだけで、消えている時間はかなり多いが)を雇うスターンにも少し首をかしげる。ボナはやはり自分のバンドのときよりは控え目な存在感にて、となるか。デモ、イテクレルダケデウレシイ? 例のサンプリング/ループを用いてのヴォーカル小宇宙創作を披露する局面もありました。で、そうしなか、今回おおおおすげえじゃんと耳を引き付けたのが、ドラマーのデイヴ・ウェックル。ワザありの先に小気味いいタイトさやパワーをばっちり出したドラミングを披露していて、これはおいしい。最後のがちんこな曲を終えたとき、メンバー紹介をするスターンは彼のことを「ドラムは、ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)」と言っていた。アハハハ。米国フュージョン/スタジオ界にいる人でロック側でも売れっ子のドラマーというとまずヴィニー・カリウタのことが思いだされるが、ぼくがジェフ・ベック(2009年2月6日)だったらカリウタではなくウェックルのことを迷わず指名するナとも、そのうれしいドラミングに触れつつ思った。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。
シュガーフット(ズ・オハイオ・プレイヤーズ)
2010年6月4日 音楽 O-H-I-O!
O(両腕を上げて両中指をくっつけて丸を作る)、H(両腕を平行に頭上に出す)、I(片腕をあげる)、O(最初と同様)。終盤、メンバーがそうしたジェスチャーをオーディエンスにうながすのに触れて、だいぶ前のオハイオ・プレイヤーズのライヴを見たときのことを、もあもあ思いだす。オレ、嬉々としてそれをやったはず。おお、フリって意外に記憶に残るものなんだな。とともに、彼らの両腕を使ったO-H-I-Oサインは音楽界トップ級に明解で、ココロをつかむものではないか。イエイ。
まあ、月末/月頭は締め切りが立て込んで落ち着かないというか、テンパリ気味になるものだが、うー落ち着かない。おちおち飲んでもいられない(←そりゃ、嘘になるな)。おまけに、体内時計が狂っていて、やたら寝る/起きるが不規則になっていて困ってシマウマ。と、シマウマなぞと趣味の良くない書き方をしているところに、私の困惑というか、浮き足立った状態が表れていますね。
それとは全然関係ないのだが、ここのところ、けっこう、ぼくにしては歩いている。といっても、2キロぐらいだが。寒からず暑からずという感じで、気候が歩き易いせいもあるだろう。真冬や真夏だったら、やっぱ歩くのヤだもん。
お昼に、渋谷でご飯を食べながら、ほんわか打ち合わせ。天気もなかなか良好でそのまま広尾まで歩こうとしたが、距離的にも時間的にも無理なことを途中で認知し、タクる。やはり、タクシーが拾いやすいというのは精神衛生上よろしい。だからこそ、歩く気にもなります。3時から、フランス大使館でエミリー・シモンをインタヴュー。もともとフランスのケイト・ブッシュなんて感じの音楽をやる人で、NYに居住しての新作『ザ・ビッグ・マシーン』はエレ・ポップ度数を高める。わあ、頭小せえ、なかなか可愛い。ちゃんと、ミュージシャンシップを持ってもいるな。この9、10月に彼女はまた来日するかも。
そして、5時からは六本木のブルース・インターアクションズで某有名UK大人テクノ・ポップ・ユニットの9月に出る新作の試聴会(7日まで、それに関することをブログ等でも口外しない、という誓約書を書かされる。だから、名前を伏せます。そのメンバーが近くプロモ来日して取材する予定になっているので、行かざるを得なかった)。時間は十分、広尾から六本木(地下鉄で、一駅ぶん)まで歩く。有栖川公園の横をのぼって行くとある中国大使館の周辺にやたら警察官がいる。が、後で、その2時間前に乱入事件があったことを知る。六本木ヒルズ下から鳥居坂を登り、東洋英和の横を通り、試聴会10分前にオフィス入り。けっこう小さな音で流したのにはびっくり。某音楽雑誌の編集部は大挙全員で来ていたナ。
その後、同じ社内のbmr編集部(同誌は近々出る号からリニューアル。とともに、ネット記事もかなり熱心に配信していて、よく3人でやっているナ)で油を売り、時間調整をした後に、同じく六本木のビルボードライブ東京へ。で、70年代にウェストバウンドやマーキュリーからアルバムを出し天下をとっていた(75年のアルバム『ファイアー』は総合/R&Bともにチャート1位)アトラクティヴなファンク・バンドであるオハイオ・プレイヤーズを率いていたシュガーフットを中央に置くバンド(シュガーフットのオハイオ・プレイヤーズというアーティスト表記なり。他の人たちが率いているオハイオ・プレイヤーズもあるのだろうか)を見る。その名前にあるように、オハイオ州(のデイトン)で結成のバンドで、ザップ/ロジャー(2010年2月11日)は同郷の後輩バンドだが、キーボード奏者のビリー・ベックは後にザップ作に関与したりしたはずだ。また、同じくオハイオ・プレイヤーズのマルチ系奏者のウォルター“ジュニー”モリソンはP-ファンク入りして活躍しましたね。当のルロイ“シュガーフット”ボナーはハービー・ハンコック(2005年8月21日、他)の『パーフェクト・マシーン』(コロムビア、88年)でブーツィ・コリンズと共演。それを仕掛けたのは、ビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、他)ですね。
トロンボーン、トランペット、アルト・サックスの三管、2キーボード、ギター、ベース、ドラムの編成を取るバンドに、ヴォーカルのシュガーフットが重なる。みんな白い色の格好をしていて、それはシュガーフットも同様。痩身のシュガーフットは杖をついて出てきたりもし、椅子にふんぞり返って歌ったり(立って歌う場合もある)するのだが、なんかスライ・ストーン(2010年1月20日、他)ともどこか重なる真性ファンカーにありがちなヤクザな風情をステージ上ではなんとなく出していて、それだけでウププ。声のよれとかも、それに繋がる? ラスト2曲は大ヒット曲の「ラヴ・ローラーコースター」と「ファイアー」。俺、ちゃんとリアル・タイムに聞いてんるんだよなー。実は、他のファンク系公演と比べるとすっこ〜んと昇天できない部分もあったのだが、ともあれ、冒頭にあるように、O-H-I-O!
その後、2軒流れたんだが、途中から雨ふってきちゃったりも。うえーん。そして、翌日起きたら15時。オレ、どうやら疲れてんだなー。
O(両腕を上げて両中指をくっつけて丸を作る)、H(両腕を平行に頭上に出す)、I(片腕をあげる)、O(最初と同様)。終盤、メンバーがそうしたジェスチャーをオーディエンスにうながすのに触れて、だいぶ前のオハイオ・プレイヤーズのライヴを見たときのことを、もあもあ思いだす。オレ、嬉々としてそれをやったはず。おお、フリって意外に記憶に残るものなんだな。とともに、彼らの両腕を使ったO-H-I-Oサインは音楽界トップ級に明解で、ココロをつかむものではないか。イエイ。
まあ、月末/月頭は締め切りが立て込んで落ち着かないというか、テンパリ気味になるものだが、うー落ち着かない。おちおち飲んでもいられない(←そりゃ、嘘になるな)。おまけに、体内時計が狂っていて、やたら寝る/起きるが不規則になっていて困ってシマウマ。と、シマウマなぞと趣味の良くない書き方をしているところに、私の困惑というか、浮き足立った状態が表れていますね。
それとは全然関係ないのだが、ここのところ、けっこう、ぼくにしては歩いている。といっても、2キロぐらいだが。寒からず暑からずという感じで、気候が歩き易いせいもあるだろう。真冬や真夏だったら、やっぱ歩くのヤだもん。
お昼に、渋谷でご飯を食べながら、ほんわか打ち合わせ。天気もなかなか良好でそのまま広尾まで歩こうとしたが、距離的にも時間的にも無理なことを途中で認知し、タクる。やはり、タクシーが拾いやすいというのは精神衛生上よろしい。だからこそ、歩く気にもなります。3時から、フランス大使館でエミリー・シモンをインタヴュー。もともとフランスのケイト・ブッシュなんて感じの音楽をやる人で、NYに居住しての新作『ザ・ビッグ・マシーン』はエレ・ポップ度数を高める。わあ、頭小せえ、なかなか可愛い。ちゃんと、ミュージシャンシップを持ってもいるな。この9、10月に彼女はまた来日するかも。
そして、5時からは六本木のブルース・インターアクションズで某有名UK大人テクノ・ポップ・ユニットの9月に出る新作の試聴会(7日まで、それに関することをブログ等でも口外しない、という誓約書を書かされる。だから、名前を伏せます。そのメンバーが近くプロモ来日して取材する予定になっているので、行かざるを得なかった)。時間は十分、広尾から六本木(地下鉄で、一駅ぶん)まで歩く。有栖川公園の横をのぼって行くとある中国大使館の周辺にやたら警察官がいる。が、後で、その2時間前に乱入事件があったことを知る。六本木ヒルズ下から鳥居坂を登り、東洋英和の横を通り、試聴会10分前にオフィス入り。けっこう小さな音で流したのにはびっくり。某音楽雑誌の編集部は大挙全員で来ていたナ。
その後、同じ社内のbmr編集部(同誌は近々出る号からリニューアル。とともに、ネット記事もかなり熱心に配信していて、よく3人でやっているナ)で油を売り、時間調整をした後に、同じく六本木のビルボードライブ東京へ。で、70年代にウェストバウンドやマーキュリーからアルバムを出し天下をとっていた(75年のアルバム『ファイアー』は総合/R&Bともにチャート1位)アトラクティヴなファンク・バンドであるオハイオ・プレイヤーズを率いていたシュガーフットを中央に置くバンド(シュガーフットのオハイオ・プレイヤーズというアーティスト表記なり。他の人たちが率いているオハイオ・プレイヤーズもあるのだろうか)を見る。その名前にあるように、オハイオ州(のデイトン)で結成のバンドで、ザップ/ロジャー(2010年2月11日)は同郷の後輩バンドだが、キーボード奏者のビリー・ベックは後にザップ作に関与したりしたはずだ。また、同じくオハイオ・プレイヤーズのマルチ系奏者のウォルター“ジュニー”モリソンはP-ファンク入りして活躍しましたね。当のルロイ“シュガーフット”ボナーはハービー・ハンコック(2005年8月21日、他)の『パーフェクト・マシーン』(コロムビア、88年)でブーツィ・コリンズと共演。それを仕掛けたのは、ビル・ラズウェル(2004年9月5日、2005年7月30日、2005年8月20日、2005年8月21日、2006年1月21日、2006年11月26日、2007年8月3日、他)ですね。
トロンボーン、トランペット、アルト・サックスの三管、2キーボード、ギター、ベース、ドラムの編成を取るバンドに、ヴォーカルのシュガーフットが重なる。みんな白い色の格好をしていて、それはシュガーフットも同様。痩身のシュガーフットは杖をついて出てきたりもし、椅子にふんぞり返って歌ったり(立って歌う場合もある)するのだが、なんかスライ・ストーン(2010年1月20日、他)ともどこか重なる真性ファンカーにありがちなヤクザな風情をステージ上ではなんとなく出していて、それだけでウププ。声のよれとかも、それに繋がる? ラスト2曲は大ヒット曲の「ラヴ・ローラーコースター」と「ファイアー」。俺、ちゃんとリアル・タイムに聞いてんるんだよなー。実は、他のファンク系公演と比べるとすっこ〜んと昇天できない部分もあったのだが、ともあれ、冒頭にあるように、O-H-I-O!
その後、2軒流れたんだが、途中から雨ふってきちゃったりも。うえーん。そして、翌日起きたら15時。オレ、どうやら疲れてんだなー。
エドゥアルド・ベタンクール&ルイス・ピノ
2010年6月1日 音楽 パラグアイをはじめラテン・アメリカのフォルクローレでアルバ(ハープのスペイン語)がポピュラーな楽器として用いられるのはなんとなく知っていたが、なるほどなー。その実演に触れて、また見聞を広めました。ありがたいことです。青山・草月ホール。
ベネズエラからやってきた二人が中心となる公演。ベタンクールさんはアルバ奏者で、ピノさんはクアトロ(4弦の小さなギターみたいな弦楽器)奏者、二人とも30代か。アルバは普通36弦から38弦だそうで、大きさはちょうどスコティッシュ・ハープと同様。だとすると、けっこう軽く持ち運びしやすそう(カトリオーナ・マッケイ;2009 年12月12日他によれば、スコティッシュやアイリッシュ・ハープは馬に乗って待ち運びできるようにあの大きさなのだという)。今回ベンタクールはより持ち運びしやすい32弦の特注アルバを持ってきているそうな。というような情報は、今回招聘したというパラグアイのアルバ表現をずっとやっているルシア塩満という女性(あっち育ちで、けっこう南米に行っていて、ベタンクールとはフェスで知り合ったらしい)のいろんな説明MC(とってもよどみなく、朗々と分かり易くなさる。ナレーションの副業をやってましたと言われたら、信じそう)から得た。また、彼女は半数近くの曲では一緒に無理なく演奏したりも(他に、二人の日本人奏者も少し入ったときも)。
演奏されるのはフォークロア曲。パラグアイとベネスエラのアルバ表現はまた少し違うのだろうが、そんなことは門外漢には分かるはずもなく、繊細と大胆さ、素朴さと優美さ、そして積み重ねられた伝統の膨大さを指し示す技巧、といったものが入り交じる、確実に別な文化で育まれたことが了解できる、アコースティックな弦音協調演奏が示される。ステージ背景には曲説明が映し出されるとともに、彼らの手元なんかも追う映像も映し出されたか。ときに、とってもインタープレイされる曲もあり、その際のアルバ演奏はなかなかに壮絶。ベタンクールは一部マラカスも手にして演奏したが、それもすこぶる上手い。うーん、ハイ・クォリティなミュージシャン。当たり前だが、世界は広い。。。
ベネズエラからやってきた二人が中心となる公演。ベタンクールさんはアルバ奏者で、ピノさんはクアトロ(4弦の小さなギターみたいな弦楽器)奏者、二人とも30代か。アルバは普通36弦から38弦だそうで、大きさはちょうどスコティッシュ・ハープと同様。だとすると、けっこう軽く持ち運びしやすそう(カトリオーナ・マッケイ;2009 年12月12日他によれば、スコティッシュやアイリッシュ・ハープは馬に乗って待ち運びできるようにあの大きさなのだという)。今回ベンタクールはより持ち運びしやすい32弦の特注アルバを持ってきているそうな。というような情報は、今回招聘したというパラグアイのアルバ表現をずっとやっているルシア塩満という女性(あっち育ちで、けっこう南米に行っていて、ベタンクールとはフェスで知り合ったらしい)のいろんな説明MC(とってもよどみなく、朗々と分かり易くなさる。ナレーションの副業をやってましたと言われたら、信じそう)から得た。また、彼女は半数近くの曲では一緒に無理なく演奏したりも(他に、二人の日本人奏者も少し入ったときも)。
演奏されるのはフォークロア曲。パラグアイとベネスエラのアルバ表現はまた少し違うのだろうが、そんなことは門外漢には分かるはずもなく、繊細と大胆さ、素朴さと優美さ、そして積み重ねられた伝統の膨大さを指し示す技巧、といったものが入り交じる、確実に別な文化で育まれたことが了解できる、アコースティックな弦音協調演奏が示される。ステージ背景には曲説明が映し出されるとともに、彼らの手元なんかも追う映像も映し出されたか。ときに、とってもインタープレイされる曲もあり、その際のアルバ演奏はなかなかに壮絶。ベタンクールは一部マラカスも手にして演奏したが、それもすこぶる上手い。うーん、ハイ・クォリティなミュージシャン。当たり前だが、世界は広い。。。
代官山・晴れたら空に豆まいて。いろんなスケールの抱え方が興味深いシンガーソングライター(2009年7月26日、他)、日本語曲による新作『パスポート』をフォロウするツアーの最終日。遅れて行ったら、後ろのほうまで人がびっしり。シアトルから両親も来ていたよう。基本のリズム・セクションは彼女もキーボード奏者として参加するShingo02の歪曲バンド(2010年2月25日)の構成員のようで、さらにパーカッション、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ奏者も曲によってはそこに加わる。これまで見たなかで、一番安定感が本人の歌にはあったんではないか。また、アンコールではShingo02、サックス奏者、中国人ピアニストなんかも登場。新曲もやったが、ファースト作と同じように英語曲で固めたアルバム(かなり、しっとりしているらしい)もとっくに完成しており、そこからの曲もあったのかな。
ステフォン・ハリス。ベンジャミン・スケッパー
2010年5月30日 音楽 ハリスは1973年NY州生まれのジャズ・ヴァイブラフォン奏者で、90年代後半以降ずっとブルーノートからアルバムを発表しつづけてきた(昨年出た新作は、コンコードから)俊英のヴァイブラフォン奏者。ブラックアウトと名付けたワーキング・バンドを率いてのものだが、すごいメンツがそろったバンドで、サックスとヴォコーダーのケイシー・ベンジャミン(2009年12月19日)、ピアノのサリヴァン・フォートナー(ハリスの演奏と被らないように地味にキーボードを弾いていたが、1曲でとったピアノ・ソロは非凡)、ウッド・ベースのベン・ウィリアムズ(2009年5月18日、2009年9月3日)、ドラムのテリオン・ガリー(2006年9月17日、2010年3月23日)という面々。それは新作『ウルバヌス』と同様の顔ぶれだが、実演はそれに寄りかからないものであったな。というか、1曲ごとに大きく表情が変わるものを涼しい顔してをやる。ベンジャミンの変テコなヴォーコーダーをフィーチャーした曲もやれば、比較的ストレート・アヘッドなこともやれば、ちょいフュージョンに流れた感じのものもあり、自作もやればスタンダードもやるし、スティングのサントラ曲もやるといった具合。散ったことを、あまりにやり過ぎ。が、共通しているのは、どんな曲調のものをやっても達者なステフォンのソロ(マレットは左右2本づつ使用。ヴァイブラフォンとマリンバを使い分ける)が入るところ。なるほど、若いころから看板はっているだけに、達者。ながら、その音圧のない音色ゆえ、聞き手は(少なくても、ぼくの場合は)確固たる焦点を結びにくいとも感じちゃう。まじ、優秀な弾き手とは思いつつ。そういう意味では、ヴァイブラフォンはクラリネットがそうであるように、ビートが強めの現代ジャズでは生きにくい楽器であると、ハリスのライヴを見てぼくはおおいに再確認したりもした。ながら、彼は安易にシンセ・ヴァイブラフォンに可能性を求めることはせず(大賛成!)、これは俺が選んだ楽器なんダという自負とともに、サウンドや曲調の工夫を凝らしつつ、現代ジャズ・ヴァイブラフォン表現の生き残りの方策を日々模索しているということなのだと思う。ハリスの感じは好青年ぽく、また過剰に尖ってはいないが、表層に表れるもの以上にその表現はストラグルを抱えているのだと思った。
続いて、早稲田にある早稲田奉仕館スコットホールに行って、豪州と日本のハーフというイケ面のベンジャミン・スケッパーのソロ・パフォーマンスを見る。チェンバロの音を次々にサンプリング/ルーピングし重ねていき(その際、少し音色変換もされるか)、そこにさらにチェロ音も同様に重ねて最終的にはまとまった固まりを提示、というようなことをやる。妙味あり、メロディアス&スペクタクル。巧みで、完全にその行き方は出来上がっているよう。ある種の映画にはしっくり合いそうな音世界をあっという間に一人で作ってしまうわけで、予算のない映画やアート・パフォーマンスの出し物には吉ですね。
続いて、早稲田にある早稲田奉仕館スコットホールに行って、豪州と日本のハーフというイケ面のベンジャミン・スケッパーのソロ・パフォーマンスを見る。チェンバロの音を次々にサンプリング/ルーピングし重ねていき(その際、少し音色変換もされるか)、そこにさらにチェロ音も同様に重ねて最終的にはまとまった固まりを提示、というようなことをやる。妙味あり、メロディアス&スペクタクル。巧みで、完全にその行き方は出来上がっているよう。ある種の映画にはしっくり合いそうな音世界をあっという間に一人で作ってしまうわけで、予算のない映画やアート・パフォーマンスの出し物には吉ですね。
ジャパン・ブルース&ソウル・カーニヴァル
2010年5月29日 音楽 日比谷野外大音楽堂。雨という予報だったが、かろうじて降らず。気温は低かったが、良かった良かった。野音でのこの公演は翌日も予定されていて、そちらも雨天の予報だったが、降らずにすみましたね。なにより何より。正義はあると、思うことにしよう。
開演時間を間違えてしまい、小一時間周辺を探索。日比谷公園の奥のほうでは、<日比谷オクトーバーフェスト>とうのをやっていた。ドイツのお祭りを日本に持ってこようとしたものなのかどうかは知らないが、いろんな種類のドイツ・ビールを売るテントや食べ物を売るテントなんかが一杯出ていて、椅子とテーブルもとても沢山出て、相当なにぎわい。大勢の人が寒空の下、和気あいあいとゴクゴクやっている。へえ、こんな催しやっているんだあ。ビールをドイツ仕様のグラスで売っているのはいいが、大きめながら1500円ぐらいと安くはない。一角にステージがあり、アコーディオン奏者他を擁する若いドイツ人のバンドが民俗衣装みたいなのを来て演奏(何調といえばいいのか。ポルカみたいに、ダサいのが味という類いのもの)。それ、ステージ前につめかけたビール片手の若者たちに大受け。その様は、フジ・ロックでのレーヴェン(2009年7月25日)の受け方みたいだった? なんか、その場にいて、ぼくも楽しかった。
で、野音。雨は降らないのはいいが、寒かったなー。まずは、ローラーコースター(MCでは、ドラムの山崎よしきがリーダーと言われていたような)に達者ゲストが入っての出し物。ジャングル・ホップ(2005年6月16日)の面々がいて、吾妻光良(2007年7月22日、他)もいて。吾妻のトリッキーなギターは切れきれ、おおいに客は沸く。日本人のおやじって、ブルースうまいなあと素直に思う。
続いて、ジョー・ルイス・ウォーカーと彼のバンド。本当はバーナード・アリソンが出る予定だったが、急病とかでウォーカーが代わりに日本の地を踏んだ。どっちを見たかったと言えば、アリソンかもしれないが、格としてはかつてフランスのユニヴァーサルとも契約していた年長者でもあるウォーカーのほうが上ではないか。日本人のバンドのあとだと、荒く感じる部分もあるが、コテコテさと一握りの意欲を出しつつ、実演。まあ良く急遽来なすった。
そして、トリは同カーニヴァル25周年記念という名目のもと満を持して呼んだ巨人、ソロモン・バークの登場。そのパフォーマンスに関しては、テキサス州オースティンのフェスで見た際のびっくり具合を2004年9月19日の項で触れているが、それを知っていても、すごいすごいすごい、うれしいうれしいうれしい、あっぱれあっぱれあっぱれ、てな、感謝感激の嵐のテンコ盛りであったな。”キング”なでかい椅子に座って歌う巨漢の彼をバック・アップするのは、キーボード2、ギター2、管楽器4、ベース、ドラム、ヴァイオリン2、男女コーラスと大所帯。その二人のバックグラウンド・シンガーはバークの子供たちだそう(子供や孫はたくさんいるハズ)。で、二人のヴァイオリン奏者や一人のサックス奏者ら女性は黒のボディコン調でまとめているが、けっこうヴァイオリン音はストリングス系音として効いていた。……なんてことは、些細なこと。そうした集団を従えてのバークの歌声や語り、佇まいの存在感の有り様といったなら。もう、R&B表現の精華というべきものであり、他にはなかなか触れられないだろうそれには高揚させられつつ、もう感無量。これは日本の黒人音楽愛好家の間で語り継がれるべき、ライヴではなかったか。彼の最新作『ナッシングズ・インポッシブル』は、ハイ・レコードのウィリー・ミッチェル制作(彼の遺作となった)によるものだが、そのライナーノーツを書いたことがなんとも光栄なことに思えてしかったなかった。いいもの、見せてもらいました。ありがたや〜。ジャパン・ブルース&ソウル・カーニヴァル、今後も続いてほしいっ。
開演時間を間違えてしまい、小一時間周辺を探索。日比谷公園の奥のほうでは、<日比谷オクトーバーフェスト>とうのをやっていた。ドイツのお祭りを日本に持ってこようとしたものなのかどうかは知らないが、いろんな種類のドイツ・ビールを売るテントや食べ物を売るテントなんかが一杯出ていて、椅子とテーブルもとても沢山出て、相当なにぎわい。大勢の人が寒空の下、和気あいあいとゴクゴクやっている。へえ、こんな催しやっているんだあ。ビールをドイツ仕様のグラスで売っているのはいいが、大きめながら1500円ぐらいと安くはない。一角にステージがあり、アコーディオン奏者他を擁する若いドイツ人のバンドが民俗衣装みたいなのを来て演奏(何調といえばいいのか。ポルカみたいに、ダサいのが味という類いのもの)。それ、ステージ前につめかけたビール片手の若者たちに大受け。その様は、フジ・ロックでのレーヴェン(2009年7月25日)の受け方みたいだった? なんか、その場にいて、ぼくも楽しかった。
で、野音。雨は降らないのはいいが、寒かったなー。まずは、ローラーコースター(MCでは、ドラムの山崎よしきがリーダーと言われていたような)に達者ゲストが入っての出し物。ジャングル・ホップ(2005年6月16日)の面々がいて、吾妻光良(2007年7月22日、他)もいて。吾妻のトリッキーなギターは切れきれ、おおいに客は沸く。日本人のおやじって、ブルースうまいなあと素直に思う。
続いて、ジョー・ルイス・ウォーカーと彼のバンド。本当はバーナード・アリソンが出る予定だったが、急病とかでウォーカーが代わりに日本の地を踏んだ。どっちを見たかったと言えば、アリソンかもしれないが、格としてはかつてフランスのユニヴァーサルとも契約していた年長者でもあるウォーカーのほうが上ではないか。日本人のバンドのあとだと、荒く感じる部分もあるが、コテコテさと一握りの意欲を出しつつ、実演。まあ良く急遽来なすった。
そして、トリは同カーニヴァル25周年記念という名目のもと満を持して呼んだ巨人、ソロモン・バークの登場。そのパフォーマンスに関しては、テキサス州オースティンのフェスで見た際のびっくり具合を2004年9月19日の項で触れているが、それを知っていても、すごいすごいすごい、うれしいうれしいうれしい、あっぱれあっぱれあっぱれ、てな、感謝感激の嵐のテンコ盛りであったな。”キング”なでかい椅子に座って歌う巨漢の彼をバック・アップするのは、キーボード2、ギター2、管楽器4、ベース、ドラム、ヴァイオリン2、男女コーラスと大所帯。その二人のバックグラウンド・シンガーはバークの子供たちだそう(子供や孫はたくさんいるハズ)。で、二人のヴァイオリン奏者や一人のサックス奏者ら女性は黒のボディコン調でまとめているが、けっこうヴァイオリン音はストリングス系音として効いていた。……なんてことは、些細なこと。そうした集団を従えてのバークの歌声や語り、佇まいの存在感の有り様といったなら。もう、R&B表現の精華というべきものであり、他にはなかなか触れられないだろうそれには高揚させられつつ、もう感無量。これは日本の黒人音楽愛好家の間で語り継がれるべき、ライヴではなかったか。彼の最新作『ナッシングズ・インポッシブル』は、ハイ・レコードのウィリー・ミッチェル制作(彼の遺作となった)によるものだが、そのライナーノーツを書いたことがなんとも光栄なことに思えてしかったなかった。いいもの、見せてもらいました。ありがたや〜。ジャパン・ブルース&ソウル・カーニヴァル、今後も続いてほしいっ。
キム・チャーチル。ソウライヴ
2010年5月28日 音楽 キム・チャーチルはまだ19歳(1990年生まれ)だという、サーフィン大好きの、豪州のシンガー・ソングライター。けっこう、マイケル・ヘッジスのようなタッピング多用のどんなもんだい的技巧に富むギター演奏とボブ・ディランも嫌いじゃないんだろう的な渋味ギター弾き語り演奏(デビュー作ではわざとそれが出ないようにしたそう)を重ねたことをする。ま、なんにせよ、その年齢よりはだいぶ上のようなことをやるとは言えるか。
三田・オーストラリア大使館での、ショーケース・ライヴ。横のテラスではバーベキューをやっていたりして、くだけたなかでの、普段着の一人実演。ハーモニカをサスペンダーで下げ、プラグした生ギターを弾きつつ(足元には数個のエフェクター)、歌う。生だと、ギター演奏を聞かせようとする曲と、しっとり歌心を開こうとする曲を分けている印象をCDより受けるか。けっこう小柄で痩身、ルックスも悪くないので、日本では別の文脈で人気が出ても不思議はないとも思う。後日に取材したら、なるほどの好青年で現在は1日に3曲とかのペースで曲をごんごん作っているという。今、歌詞作りにも新たな目覚めがあって、制限を作らないめに歌詞をメロディよりも先に作る場合が多いという。ピッキングのため、彼は右手の中指とかを伸ばして保護のためもあるのだろうマニュキアをしているが、ネイル・サロンに出入りするのが恥ずかしいとか。そんな彼は現在トレイラー生活者だ。
1名だけが当たるワイン賞品くじ引きでなぜか当たっちゃって(シラーズではなく、カベルネでした)、ほくほくで六本木・ビルボードライブ東京へ。先に渋谷の飲み屋に持っていってと、大使館で会った女性におねがいしちゃう。こういうところの要領はほんといいな。で、ソウライヴ(2009 年7月8日、他)のセカンド・ショウ。あれれ、なんかオーセンティックなソウライヴ……てな、所感をすぐに持ったが、そっか過去の3度ほどの来日公演はシンガーを入れたり、ホーン・セクションがついてのものだったんだよな。その点、今回はオリジナルの演奏陣三人ぽっきりによるパフォーマンス。とともに、初期のソウライヴはきっちりとスーツを着るのがトレードマークだったのだが、この晩の三人は昔に戻ってばしっと正装していた。そのことも、ぐぐいと初期の姿を思い出させたのかもしれない。
実際、演奏も3人だけなので、すぱっと直球のパフォーマンス。鼓舞される。彼らの新作『ラバー・ソウライヴ』はザ・ビートルズ曲集だが、途中には3曲ぶんメドレーで披露も。バブロフの犬になっちゃいますね。あと、ずっとスキンヘッドだったリーダー格のアラン・エヴァンス(ドラム)がライオン丸のようなヘアスタイルになっていました。
三田・オーストラリア大使館での、ショーケース・ライヴ。横のテラスではバーベキューをやっていたりして、くだけたなかでの、普段着の一人実演。ハーモニカをサスペンダーで下げ、プラグした生ギターを弾きつつ(足元には数個のエフェクター)、歌う。生だと、ギター演奏を聞かせようとする曲と、しっとり歌心を開こうとする曲を分けている印象をCDより受けるか。けっこう小柄で痩身、ルックスも悪くないので、日本では別の文脈で人気が出ても不思議はないとも思う。後日に取材したら、なるほどの好青年で現在は1日に3曲とかのペースで曲をごんごん作っているという。今、歌詞作りにも新たな目覚めがあって、制限を作らないめに歌詞をメロディよりも先に作る場合が多いという。ピッキングのため、彼は右手の中指とかを伸ばして保護のためもあるのだろうマニュキアをしているが、ネイル・サロンに出入りするのが恥ずかしいとか。そんな彼は現在トレイラー生活者だ。
1名だけが当たるワイン賞品くじ引きでなぜか当たっちゃって(シラーズではなく、カベルネでした)、ほくほくで六本木・ビルボードライブ東京へ。先に渋谷の飲み屋に持っていってと、大使館で会った女性におねがいしちゃう。こういうところの要領はほんといいな。で、ソウライヴ(2009 年7月8日、他)のセカンド・ショウ。あれれ、なんかオーセンティックなソウライヴ……てな、所感をすぐに持ったが、そっか過去の3度ほどの来日公演はシンガーを入れたり、ホーン・セクションがついてのものだったんだよな。その点、今回はオリジナルの演奏陣三人ぽっきりによるパフォーマンス。とともに、初期のソウライヴはきっちりとスーツを着るのがトレードマークだったのだが、この晩の三人は昔に戻ってばしっと正装していた。そのことも、ぐぐいと初期の姿を思い出させたのかもしれない。
実際、演奏も3人だけなので、すぱっと直球のパフォーマンス。鼓舞される。彼らの新作『ラバー・ソウライヴ』はザ・ビートルズ曲集だが、途中には3曲ぶんメドレーで披露も。バブロフの犬になっちゃいますね。あと、ずっとスキンヘッドだったリーダー格のアラン・エヴァンス(ドラム)がライオン丸のようなヘアスタイルになっていました。
ザ・レイ・マン・スリー。マルコス・ヴァーリ・ウィズ・ホベルト・メネスカル
2010年5月25日 音楽 まず、渋谷・デュオで、オーストラリアの技ありソウル・オリエンテッドなバンド表現を聞かせるレイ・マン・スリーを見る。スリーってくらいなもんで、ギターを弾きながら歌うレイ・マンを中心に、ベーシストとドラマーの3人組。で、アーティスト写真もそうだったが、みんなネクタイをしている。2010年3月3日の項で触れているように、ベーシストはジョン・バトラー・トリオのワールド・ツアーに取られているので、代役ベーシストが入ってのもの。ながら、彼は譜面台を前におくこともなく、堂に入った演奏を披露し、ときにはコーラスもつけるなど、なんの問題もなかったはず。
ディアンジェロ表現に憧れた面々のバンドなんて言われ方もするように、半分の曲はディアンジェロの曲を簡素化してやってますよと言われても、それほど違和感はなさそう。確かな肉体感と好感の持てる簡素さやゴツゴツ感を掛け合わせたサウンドのもとメロウにしてちろちろとソウルネスを放つメロディを訥々と開いて行く様は得難い妙味あり。やっぱ、いいじゃないか! この日は、同じ豪州のブルー・キング・ブラウン(2007年5月26日、他)の前座としての出演。そのため、演奏時間が短かったのがとても残念。
その後、南青山・ブルーノート東京。ブラジルの洒脱スーダラ好漢おやじ(2008年4月28日)のステージに触れる。女性シンガー、サックス/フルート奏者、リズム隊を率いてのステージで、そこに曲によっては作曲家としても名高いホベルト・メネスカルもギターで加わる。彼、ニコニコとけっこうラフな演奏していたな。二人一緒にやるときがあれば、どちらかだけがステージ上にいるときも。ヴァーリはギターも弾く人だが、今回はメネスカルがいるためだろう、キーボードだけを弾く。響きの輪郭/音の立ち上がりに違いを持つフェンダー・ローズとエレピ音に設定された電気キーボードを曲によって使い分ける。それ、雑な人だったら、どちらか一つで通しちゃう? ともあれ、やはり今回も嬉しい不可解な広がりや柔和さ→ブラジル的美点を出していたか。彼は70年代渡米期とかにリオン・ウェア(2009年8月23日)とも関わりを持ち、協調アルバムも作っているが、共作曲も披露した。
ディアンジェロ表現に憧れた面々のバンドなんて言われ方もするように、半分の曲はディアンジェロの曲を簡素化してやってますよと言われても、それほど違和感はなさそう。確かな肉体感と好感の持てる簡素さやゴツゴツ感を掛け合わせたサウンドのもとメロウにしてちろちろとソウルネスを放つメロディを訥々と開いて行く様は得難い妙味あり。やっぱ、いいじゃないか! この日は、同じ豪州のブルー・キング・ブラウン(2007年5月26日、他)の前座としての出演。そのため、演奏時間が短かったのがとても残念。
その後、南青山・ブルーノート東京。ブラジルの洒脱スーダラ好漢おやじ(2008年4月28日)のステージに触れる。女性シンガー、サックス/フルート奏者、リズム隊を率いてのステージで、そこに曲によっては作曲家としても名高いホベルト・メネスカルもギターで加わる。彼、ニコニコとけっこうラフな演奏していたな。二人一緒にやるときがあれば、どちらかだけがステージ上にいるときも。ヴァーリはギターも弾く人だが、今回はメネスカルがいるためだろう、キーボードだけを弾く。響きの輪郭/音の立ち上がりに違いを持つフェンダー・ローズとエレピ音に設定された電気キーボードを曲によって使い分ける。それ、雑な人だったら、どちらか一つで通しちゃう? ともあれ、やはり今回も嬉しい不可解な広がりや柔和さ→ブラジル的美点を出していたか。彼は70年代渡米期とかにリオン・ウェア(2009年8月23日)とも関わりを持ち、協調アルバムも作っているが、共作曲も披露した。
ザ・グリーンルーム・フェスティヴァル
2010年5月23日 音楽 なんてこったい。
あ〜、雨天。それにより、この港ヨコハマ5月下旬恒例のフェスの魅力は10分の1ぐらいになっちゃったんじゃないか。過去2回の原稿(2007年5月26日、2009年5月30日)で、会場となっていた大桟橋ホールは床の尋常ならぬ揺れ方のため音楽公演には用いてはいけない場所じゃねーのと指摘していたが、今回は同じ横浜の海沿いながら、より地下鉄駅にも近い赤レンガ倉庫周辺に場所を移しての開催となった。今年はテレビ朝日が主催についてより規模は大きくなった、とも書けるのかな。
土日2日間開催の、2日目。晴天だった前日と異なり、この日は結構な降雨とともに風もそこそこあり、相当に寒い。それゆえ、昼下がりからやっているはずだが、夕方に着くように東横線に乗る。赤レンガ倉庫の敷地+αを全面的に使用。こんなに余白スペースがあったんだという海に面した広場に二つの野外ステージや物販場や寛ぎ場など。ただし、雨ふっていちゃあ、な。少し離れたほうにも野外ステージと船を用いたDJステージがあったよう。そっちのほうには雨と寒さのために気持ちが萎えて行く気がおきませんでした。その船ステージはときどき出航して完全に海の上でどんちゃかやる設定になっていたようで、一度だけ赤レンガ倉庫沖を進んで行くその船(屋形船感覚とも言える?)を確認。うーん、それはとっても楽しそうに見えました。
また、赤レンガ倉庫2練のうちの1練も展示場や室内ステージとして用いられており、そのステージはぼくが行ったときには内外ミュージシャンがいろいろ上がってのセッション大会。ちらしによれば、F.I.Bジャーナル(2009年10月19日)、ソイル(2009年6月12日、他)、ダブル・フェイマス(2004年2月15日、他)、マウンテン・モカ・キリマンジャロ(2008年10月15日)、クール・ワイズ・メン(2009年5月30日)らの人たちが出たみたい。セッションという企画、アリであり、意義も感じさせるもので、いいんでない。実際、誰が仕切っていたかは知らないが、程よくまとめられていたのも事実。
海に面したスペースも広いし、さぞや晴天であったらくつろげて気分良く、楽すィとなったはず。晴天なら、また行きたいぞお(この日は入りが悪かったが、今後も続いてほしい)。あ、それから、いろんな飲食店やショップが入っている赤レンガの別練ももちろん一般の人がそうであるように出入りできて(モーション・ブルー・ヨコハマはこちらに入っているが、お休みをとっていた)、雨をさけるため、ぼくはそちらで茶をしっぱなし。そういう意味では、雨天だからといって、行き場に困るわけではないイヴェントであることも付記しておきたい。
最後になったが、見た出演者(避難ばかりしていて、ちょい見ばかりだけど)にも簡単に触れておく。サンパウロ(2004年1月30日、他)→沼澤尚(2010年1月12日、他)が抜けてしまった彼らだが、久しぶりに見る。会場入りしたらやっていて、おーやってるやってると思いつつ、少し触れた。オリジナル・ラヴ→数年前にトーキング・ヘッズの影響大なことをやったときには少しがっかりしたが、おお今はこんなことになっているのか。最小限のバンド編成でワイルド&ソウルフル、勃起したチンチン丸だしという感じの田島貴男(2002年7月7日)のパフォーマンスにはびっくり。時に透けて見える、モボな襞も魅力的。支持する。今はグレアム・グールドマンだけが残っている10cc→74年作収録の「ザ・ウォール・ストリート・シャッフル」で幕を開け、73年デビュー作収録の「ラバー・バレッツ」で終わったステージ。荒くおやじ臭かったが、聞かせどころはいろいろ。ふふ。リッキー・リー・ジョーンズ(2005年12月31日、他))→リズム隊を率いての生一本、精気と意思あふれる質の高すぎるパフォーマンス(を、展開したハズ)。
ザ・ビートルズやトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)が大好きだったぼくは10ccも本当に大好きでした(そこからの2分の1のゴドリー&クリームは余計に)。だから、今でも70年代のものだったら曲名もすぐに言えちゃう。でもって、ぼくは再結成10ccというと、ウェッジウッドの少し古めの皿を思い出す。ポリドールと切れたグレアム・グールドマンとエリック・スチュアートによる10ccは90年代中期にエイベックスと関係を深め(インタヴュー時にスチュアートだったと記憶するが、エイベックスの出資でスタジオを持ったなんて言っていたはず)、同社から新作(『ミラー・ミラー』だったか)をリリースし、ロンドンのザ・シティ地区の変な造形を持つ有名ビルであるロイズ・ビル内で新作発表パーティをやったことがあった。バブルなころなんで行かせてもらったんだが、そのときの会場のテーブルには件のいい柄のお皿が一杯置かれていて……。そのころ、けっこうその手のものに興味を持っていたぼくは……。ハイ、国際窃盗犯です。
あ〜、雨天。それにより、この港ヨコハマ5月下旬恒例のフェスの魅力は10分の1ぐらいになっちゃったんじゃないか。過去2回の原稿(2007年5月26日、2009年5月30日)で、会場となっていた大桟橋ホールは床の尋常ならぬ揺れ方のため音楽公演には用いてはいけない場所じゃねーのと指摘していたが、今回は同じ横浜の海沿いながら、より地下鉄駅にも近い赤レンガ倉庫周辺に場所を移しての開催となった。今年はテレビ朝日が主催についてより規模は大きくなった、とも書けるのかな。
土日2日間開催の、2日目。晴天だった前日と異なり、この日は結構な降雨とともに風もそこそこあり、相当に寒い。それゆえ、昼下がりからやっているはずだが、夕方に着くように東横線に乗る。赤レンガ倉庫の敷地+αを全面的に使用。こんなに余白スペースがあったんだという海に面した広場に二つの野外ステージや物販場や寛ぎ場など。ただし、雨ふっていちゃあ、な。少し離れたほうにも野外ステージと船を用いたDJステージがあったよう。そっちのほうには雨と寒さのために気持ちが萎えて行く気がおきませんでした。その船ステージはときどき出航して完全に海の上でどんちゃかやる設定になっていたようで、一度だけ赤レンガ倉庫沖を進んで行くその船(屋形船感覚とも言える?)を確認。うーん、それはとっても楽しそうに見えました。
また、赤レンガ倉庫2練のうちの1練も展示場や室内ステージとして用いられており、そのステージはぼくが行ったときには内外ミュージシャンがいろいろ上がってのセッション大会。ちらしによれば、F.I.Bジャーナル(2009年10月19日)、ソイル(2009年6月12日、他)、ダブル・フェイマス(2004年2月15日、他)、マウンテン・モカ・キリマンジャロ(2008年10月15日)、クール・ワイズ・メン(2009年5月30日)らの人たちが出たみたい。セッションという企画、アリであり、意義も感じさせるもので、いいんでない。実際、誰が仕切っていたかは知らないが、程よくまとめられていたのも事実。
海に面したスペースも広いし、さぞや晴天であったらくつろげて気分良く、楽すィとなったはず。晴天なら、また行きたいぞお(この日は入りが悪かったが、今後も続いてほしい)。あ、それから、いろんな飲食店やショップが入っている赤レンガの別練ももちろん一般の人がそうであるように出入りできて(モーション・ブルー・ヨコハマはこちらに入っているが、お休みをとっていた)、雨をさけるため、ぼくはそちらで茶をしっぱなし。そういう意味では、雨天だからといって、行き場に困るわけではないイヴェントであることも付記しておきたい。
最後になったが、見た出演者(避難ばかりしていて、ちょい見ばかりだけど)にも簡単に触れておく。サンパウロ(2004年1月30日、他)→沼澤尚(2010年1月12日、他)が抜けてしまった彼らだが、久しぶりに見る。会場入りしたらやっていて、おーやってるやってると思いつつ、少し触れた。オリジナル・ラヴ→数年前にトーキング・ヘッズの影響大なことをやったときには少しがっかりしたが、おお今はこんなことになっているのか。最小限のバンド編成でワイルド&ソウルフル、勃起したチンチン丸だしという感じの田島貴男(2002年7月7日)のパフォーマンスにはびっくり。時に透けて見える、モボな襞も魅力的。支持する。今はグレアム・グールドマンだけが残っている10cc→74年作収録の「ザ・ウォール・ストリート・シャッフル」で幕を開け、73年デビュー作収録の「ラバー・バレッツ」で終わったステージ。荒くおやじ臭かったが、聞かせどころはいろいろ。ふふ。リッキー・リー・ジョーンズ(2005年12月31日、他))→リズム隊を率いての生一本、精気と意思あふれる質の高すぎるパフォーマンス(を、展開したハズ)。
ザ・ビートルズやトッド・ラングレン(2008年4月7日、他)が大好きだったぼくは10ccも本当に大好きでした(そこからの2分の1のゴドリー&クリームは余計に)。だから、今でも70年代のものだったら曲名もすぐに言えちゃう。でもって、ぼくは再結成10ccというと、ウェッジウッドの少し古めの皿を思い出す。ポリドールと切れたグレアム・グールドマンとエリック・スチュアートによる10ccは90年代中期にエイベックスと関係を深め(インタヴュー時にスチュアートだったと記憶するが、エイベックスの出資でスタジオを持ったなんて言っていたはず)、同社から新作(『ミラー・ミラー』だったか)をリリースし、ロンドンのザ・シティ地区の変な造形を持つ有名ビルであるロイズ・ビル内で新作発表パーティをやったことがあった。バブルなころなんで行かせてもらったんだが、そのときの会場のテーブルには件のいい柄のお皿が一杯置かれていて……。そのころ、けっこうその手のものに興味を持っていたぼくは……。ハイ、国際窃盗犯です。
エリック・シールマンス、高岡大祐、タカダアキコ
2010年5月22日 音楽 祖師ケ谷大蔵・カフェムリウイ。小田急線の祖師ケ谷大蔵の駅には、初めて下車する。それほど広くない道を挟む商店街が駅前から伸びた先に、目指す場所はあった。2階立ての建物の屋上にあるようなお店で、とっても開放的な作り。周りに高い建物がないので、眺めがいい。途中、何度も購入しなくてもいいようにマイヤーズをダブルで頼んだら、うちはダブルで出しています(ながら、500円!)と、お店の方。ささやかな幸福を感じる、安上がりなぼく。
チューバ奏者の高岡大祐が、ベルギーのドラマーのエリック・シールマンスを呼んでのツアーの一環ナリ。実は、そのシールマンスのスネア演奏が凄すぎという信頼できる知人の情報を受けて、出向いた。
一部は、三者がそれぞれに、ソロのパフォーマンス(一人、15分ぐらい?)を披露。最初は、高岡。右手によるピストン(メロディ)操作はほとんどなしで、息づかいと小物を用いた効果音的音使いで、目に見えぬ何かと交信するような静的演奏を披露。2番目はタカダ(2008年1月30日)のダンス+α。ときに、身につけている衣服や肉声(それが、デカい)やベルなども用いて、アタシの世界を表出。そして、シールマンスはスネアだけをダダダダダと叩くソロ。文字にすると、とてもシンプルだが、そのスネア連打音/パルスはいろんな含みをもって、自在に広がって行く。倍音(と、言ってもいいのかな?)の神秘や連呼音の不思議、抑揚の誘いがいっぱい。なるほどォ、こういうパフォーマンスであったか。
そして、休憩を挟んでの2部は3人一緒に重なり、やりとり。実のある、インタープレイの夕べ。シールマンスはシンバルも控え目に用いたりも。終演後、40歳ちょいの彼と少し話をしたら、もともとクラシックの打楽器を学んでいて、マリンバやティンパニーも得意らしい。そして、クラシックに行き詰まりを感じて、ジャズとか即興の世界に興味を持つようになったようだ。
チューバ奏者の高岡大祐が、ベルギーのドラマーのエリック・シールマンスを呼んでのツアーの一環ナリ。実は、そのシールマンスのスネア演奏が凄すぎという信頼できる知人の情報を受けて、出向いた。
一部は、三者がそれぞれに、ソロのパフォーマンス(一人、15分ぐらい?)を披露。最初は、高岡。右手によるピストン(メロディ)操作はほとんどなしで、息づかいと小物を用いた効果音的音使いで、目に見えぬ何かと交信するような静的演奏を披露。2番目はタカダ(2008年1月30日)のダンス+α。ときに、身につけている衣服や肉声(それが、デカい)やベルなども用いて、アタシの世界を表出。そして、シールマンスはスネアだけをダダダダダと叩くソロ。文字にすると、とてもシンプルだが、そのスネア連打音/パルスはいろんな含みをもって、自在に広がって行く。倍音(と、言ってもいいのかな?)の神秘や連呼音の不思議、抑揚の誘いがいっぱい。なるほどォ、こういうパフォーマンスであったか。
そして、休憩を挟んでの2部は3人一緒に重なり、やりとり。実のある、インタープレイの夕べ。シールマンスはシンバルも控え目に用いたりも。終演後、40歳ちょいの彼と少し話をしたら、もともとクラシックの打楽器を学んでいて、マリンバやティンパニーも得意らしい。そして、クラシックに行き詰まりを感じて、ジャズとか即興の世界に興味を持つようになったようだ。
ジェイムズ・チャンス&ザ・コントーションズ、フリクション、SADY &MADY
2010年5月19日 音楽 雨天、ここのところ、まあ涼しい。恵比寿・リキッドルーム。会場入りすると、SADY & MADYというユニットがやっている。ギターを持っている二人がそのメンバーなのか、さらに二人のドラムや効果音担当者がステージ上に。そんな編成による実演はかなり開放系のものに聞こえた。感想を書けるほど触れることはできなかったが、悪い印象はない。
続いて、近く各所のライヴで収録されたプロダクツをまとめた2枚組(音質は良くないが、いろいろ興味深い)をリリースするフリクション(2008年5月21日、他)が登場。もちろん、レックと中村達也の二人による。きっちり、剛性感の高い演奏。ながら、今回のそれはカチっとまとまり過ぎのようにもぼくには思え、どこかスリルに欠けると感じた。ファンによれば、フリクションのギグの予定は当分ないらしい。
そして、休憩を挟んで、フリクションを組む前のレックが渡米時代に関わりを持ったこともあった、NYのリジェンダリーなファンク・パンク・ジャズの担い手であるジェイムズ・チャンス(2005年7月16日、2007年6月13日は単独)と彼のバンドのショウ。アルト・サックスとオルガン音を出すキーボードとヴォーカルを担当する本人に加え、テナー・サックス兼キーボード(チャンスとともにセクション音をだすことはない。また、キーボードは同じものを弾く。つまり、両者の鍵盤音は重ならない)、絵に描いたようにひしゃげた情緒を出すギター、かなりタイトで肉感的なリズム・セクションという構成。
なお、今回のザ・コントーションズのベーシストは、ザ・ラウンジ・リザーズにもいた名手エリック・サンコではなかった。実は3年前に偶然に知ったのだが、サンコの01年リーダー作『Past Impaerfect,present Tense』(Jet Set)は素晴らしく風情のある自給自足なシンガー・ソングライター作。リアルタイムで聞いたなら、きっとその年のベスト10に入れていたかもと唸らせる出来で、あえて説明するなら、“音響の入った、NYのロバート・ワイアット”と言いたくなる? 蛇足だが、サンコほど結びつきは太くないが、やはりザ・ラウンジ・リザーズに入っていたことのあるギタリストのオーレン・ブロードウも歌モノ作に冴えを見せる異才だよな。ザ・ニッティング・ファクトリー・ワークス他からリーダー作を出すとともに、一方で彼は女房と一緒にエリージャン・フィールズという倦怠ポップ・ユニットも組んでいますね。そのデビューはメジャーのMCAで、サンコ作をだしたジェット・セットや仏のナイーヴからもアルバムをリリースしている。
話を戻そう。始まる前には、フェラ・クティとおぼしきアフロ・ビート表現が流れていたが、1曲目の冒頭でチャンスが弾いた鍵盤ソロはその流儀を引き継ぐもので笑う。もっととっちらかったキーボード・ソロを取る人のハズなのに。いまだインプルーヴしている、ということ? それはともかく、彼がクティを好きなのは間違いない。
率いたバンド員の腕は確か(それは、前回以上と思えたかも)、いくらコワれていても、あのちゃんとした伴奏が下敷きになっていれば、それなりに形にはなるよナ。まっとうなパンク・ファンク・サウンドに乗って、御大は気ままな感じでサックスをいななかせたり、キーボードを押えたり、奇妙さを持つ歌を聞かせたり、変テコなダンスを見せたり。ま、過去の繰り返しでもそれなりに絵になるし、人を引き付けるよナとニヤニヤ見ていたんだが、途中からそっかアと感じたことが一つ。それは、外見的にはすっかり落ち着いたようにも見える彼が、いまだ収まりの悪い自意識というか、朽ちぬフラストレーションのようなものを垣間見せていたこと。で、以下は勝手な曲解を経てのワタシの感想。
実は、チャンスは70年代中期にNYに出てきたとき、ハードボイルドな美意識とともに、純ジャズ・マンを目指したという。会場で聞いたのだが、彼はパンク・ファンク表現に手を染める前に、当時間違いなく世界一の先鋭ジャズ・サックス奏者であるデイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6日)にサックスを習ったことがあったらしい! それは彼が本格派のフリー・ジャズの奏者を目指さんとしていたことの証にはならないにせよ、真摯にジャズと対峙しようとしていたのを示す。ながら、当時の時勢や本人の年齢やツっぱりもあったろうが、彼がZEレーベル経由でセンセーショナルに登場した際は、ジャズ文脈とは離れた、ひしゃげたビート・ポップの領域にて。で、紛い物/異物として振る舞ったら受けただけでなく、そうした方面でいまやカリスマ的な存在になってしまっている……。それ、アウトローなものや破壊的なものを愛でたり、どこか米国的なサムライ感覚を持つ彼の資質が花開いたものではあったろう。だが、一方では、穏健にジャズや文学を愛好する正統的(?)モダニストとしてのチャンスもずっといるわけで、彼としてはその間にある隔たりに決着をつけておらず、いまだ折り合いの悪さを感じている部分があるのではないか。そして、そうした事実に彼は生理的にイラだち、心のなかでのたうつ。それが、明解な道化的所作に繋がったりもする。しかしながら、それゆえ、彼のパフォーマンスは過去のパロディではなく、生きた人間的行為であり続けているのではないだろうか。
フリクションにせよ、チャンスにせよ、ともに時代を切り取るような感じでぶいぶい言わせていたのは30年も前のこと。客もそれなりの年長者が多くてもなんら不思議はないはずだが、意外に客層はそうではなかった。両者が登場したとき、まだ生まれていない人もそれなりにいたはずだ。それには、おおいにマル。
続いて、近く各所のライヴで収録されたプロダクツをまとめた2枚組(音質は良くないが、いろいろ興味深い)をリリースするフリクション(2008年5月21日、他)が登場。もちろん、レックと中村達也の二人による。きっちり、剛性感の高い演奏。ながら、今回のそれはカチっとまとまり過ぎのようにもぼくには思え、どこかスリルに欠けると感じた。ファンによれば、フリクションのギグの予定は当分ないらしい。
そして、休憩を挟んで、フリクションを組む前のレックが渡米時代に関わりを持ったこともあった、NYのリジェンダリーなファンク・パンク・ジャズの担い手であるジェイムズ・チャンス(2005年7月16日、2007年6月13日は単独)と彼のバンドのショウ。アルト・サックスとオルガン音を出すキーボードとヴォーカルを担当する本人に加え、テナー・サックス兼キーボード(チャンスとともにセクション音をだすことはない。また、キーボードは同じものを弾く。つまり、両者の鍵盤音は重ならない)、絵に描いたようにひしゃげた情緒を出すギター、かなりタイトで肉感的なリズム・セクションという構成。
なお、今回のザ・コントーションズのベーシストは、ザ・ラウンジ・リザーズにもいた名手エリック・サンコではなかった。実は3年前に偶然に知ったのだが、サンコの01年リーダー作『Past Impaerfect,present Tense』(Jet Set)は素晴らしく風情のある自給自足なシンガー・ソングライター作。リアルタイムで聞いたなら、きっとその年のベスト10に入れていたかもと唸らせる出来で、あえて説明するなら、“音響の入った、NYのロバート・ワイアット”と言いたくなる? 蛇足だが、サンコほど結びつきは太くないが、やはりザ・ラウンジ・リザーズに入っていたことのあるギタリストのオーレン・ブロードウも歌モノ作に冴えを見せる異才だよな。ザ・ニッティング・ファクトリー・ワークス他からリーダー作を出すとともに、一方で彼は女房と一緒にエリージャン・フィールズという倦怠ポップ・ユニットも組んでいますね。そのデビューはメジャーのMCAで、サンコ作をだしたジェット・セットや仏のナイーヴからもアルバムをリリースしている。
話を戻そう。始まる前には、フェラ・クティとおぼしきアフロ・ビート表現が流れていたが、1曲目の冒頭でチャンスが弾いた鍵盤ソロはその流儀を引き継ぐもので笑う。もっととっちらかったキーボード・ソロを取る人のハズなのに。いまだインプルーヴしている、ということ? それはともかく、彼がクティを好きなのは間違いない。
率いたバンド員の腕は確か(それは、前回以上と思えたかも)、いくらコワれていても、あのちゃんとした伴奏が下敷きになっていれば、それなりに形にはなるよナ。まっとうなパンク・ファンク・サウンドに乗って、御大は気ままな感じでサックスをいななかせたり、キーボードを押えたり、奇妙さを持つ歌を聞かせたり、変テコなダンスを見せたり。ま、過去の繰り返しでもそれなりに絵になるし、人を引き付けるよナとニヤニヤ見ていたんだが、途中からそっかアと感じたことが一つ。それは、外見的にはすっかり落ち着いたようにも見える彼が、いまだ収まりの悪い自意識というか、朽ちぬフラストレーションのようなものを垣間見せていたこと。で、以下は勝手な曲解を経てのワタシの感想。
実は、チャンスは70年代中期にNYに出てきたとき、ハードボイルドな美意識とともに、純ジャズ・マンを目指したという。会場で聞いたのだが、彼はパンク・ファンク表現に手を染める前に、当時間違いなく世界一の先鋭ジャズ・サックス奏者であるデイヴィッド・マレイ(2003年8月9日、2004年6月6日)にサックスを習ったことがあったらしい! それは彼が本格派のフリー・ジャズの奏者を目指さんとしていたことの証にはならないにせよ、真摯にジャズと対峙しようとしていたのを示す。ながら、当時の時勢や本人の年齢やツっぱりもあったろうが、彼がZEレーベル経由でセンセーショナルに登場した際は、ジャズ文脈とは離れた、ひしゃげたビート・ポップの領域にて。で、紛い物/異物として振る舞ったら受けただけでなく、そうした方面でいまやカリスマ的な存在になってしまっている……。それ、アウトローなものや破壊的なものを愛でたり、どこか米国的なサムライ感覚を持つ彼の資質が花開いたものではあったろう。だが、一方では、穏健にジャズや文学を愛好する正統的(?)モダニストとしてのチャンスもずっといるわけで、彼としてはその間にある隔たりに決着をつけておらず、いまだ折り合いの悪さを感じている部分があるのではないか。そして、そうした事実に彼は生理的にイラだち、心のなかでのたうつ。それが、明解な道化的所作に繋がったりもする。しかしながら、それゆえ、彼のパフォーマンスは過去のパロディではなく、生きた人間的行為であり続けているのではないだろうか。
フリクションにせよ、チャンスにせよ、ともに時代を切り取るような感じでぶいぶい言わせていたのは30年も前のこと。客もそれなりの年長者が多くてもなんら不思議はないはずだが、意外に客層はそうではなかった。両者が登場したとき、まだ生まれていない人もそれなりにいたはずだ。それには、おおいにマル。
飯田橋・東京日仏学院/ラ・ブラスリー(お、ステージの位置が変わったのだな)での、短めのショーケース・ライヴ。主役は、モロッコ出身で、13歳以降はパリで育っている女性シンガー・ソングライター。ベルベル人の血を引きそのことにとても自負を抱いているという情報があったり、高校を出てルーブル美術館の監視員としての職を得たり&25歳を過ぎてちゃんとシンガー・ソングライターの道を目指したりという経歴など、興味を引く項目を持つ人。終わったあと少し言葉を交わしたら、とてもいい人そう。とともに、オトナというか、ちゃんと自分を持ってしなやかに生きているノリを感じさせられた。
生ギターを弾く優男がサポート(日本盤も出ている、パリでボサノヴァ・ユニットをやっているトム&ジョイスの人だそう)。マイナー・キー多用の襞を持つ曲はときにアシャ(2008年9月10日、他)やモリアーティ(2009年5月31日)のそれを少し想起させる場合も。今のパリの多国籍性の確かな欠片、な〜んてね。アルバムを聞くとアクセント/打楽器音が個性あり(←それは、どこかベルベルの血を想起させる?)と思わせるので。パーカッション奏者も同行させてほしかったかな。
この16日に、長老ジャズ・ピアニストのハンク・ジョーンズがNYで亡くなったという報道。死因は発表されていないようだが、91歳だし、天寿をまっとうしたと言っていいのだろう。今年の矍鑠さと粋さを持つ来日パフォーマンス(2010年2月22日)に触れておいて、本当に良かったという思いが頭のなかに渦巻く。
生ギターを弾く優男がサポート(日本盤も出ている、パリでボサノヴァ・ユニットをやっているトム&ジョイスの人だそう)。マイナー・キー多用の襞を持つ曲はときにアシャ(2008年9月10日、他)やモリアーティ(2009年5月31日)のそれを少し想起させる場合も。今のパリの多国籍性の確かな欠片、な〜んてね。アルバムを聞くとアクセント/打楽器音が個性あり(←それは、どこかベルベルの血を想起させる?)と思わせるので。パーカッション奏者も同行させてほしかったかな。
この16日に、長老ジャズ・ピアニストのハンク・ジョーンズがNYで亡くなったという報道。死因は発表されていないようだが、91歳だし、天寿をまっとうしたと言っていいのだろう。今年の矍鑠さと粋さを持つ来日パフォーマンス(2010年2月22日)に触れておいて、本当に良かったという思いが頭のなかに渦巻く。