映画「クリーン」。ファラオ・サンダース。ソウライヴ。
2009年7月8日 音楽 東銀座のシネマート試写室で、フランス人監督オリヴィエ・アサイヤスの「クリーン」を見る。カナダ人ロック・スターの、やはりロッカー志望だった(?)我がままな妻(香港映画界出身のマギー・チャン)が夫のドラッグ死の後、どうまっとうに生きるかを問い直しつつ、夫の親に預けていた子供といかによりを戻そうとするかを描いたもの。で、事前の情報で母と子の関係、母の生き方の再生の物語という<お涙頂戴路線>が強調されていたが、確かにそれはそうなんだけど、相当なロック映画でびっくり。冒頭はカナダのライヴ・ハウスのシーンであり、エンディングの場所はサンフランシスコのレコーディング・スタジオだもの。アサイヤスはフランスの音楽フェスのキュレイターをまかされたり(それは、ソニック・ユースの派生プロジェクト他のギグが映し出された『NOISE』という映画になった)もし、ロック・ミュージック好きの監督として知られているみたいだけど。始まってすぐに、年配の人がこんなの見てられっかという感じで試写室を出ていったなー。あははは。
そのタイトルの「クリーン」だって、主人公の生き方が明らかになっていくことや純粋なことを示唆するとともに、ヤク中である主役(彼女がヘロインを打つシーンもあり)が“ドラッグから抜ける”という意味を重ねているみたいだし。という指摘の仕方は、非常に時代遅れな、ステレオタイプなものか。いまさら、“セックス、ドラッグ&ロックロール”の時代でもねーしな。でも、1955年生まれのアサイヤスは年相応にけっこう古いロック観を持っているのは確か。冒頭のほうで夫婦やマネイジャーの間で延々とやりとりされるレコード契約の話なんてまさにそう。メジャーは善でインディはしょぼい、なんて今思っている音楽業界中枢にいる人はそうはいないだろう。それとも、この40代の夫婦が化石のような業界観を持っていることを、それで示したかったのか。また、白人ロッカーと結婚した東洋系の主人公に対する周辺の悪評判のあり方を、かつてのヨーコ・オノ(2009年1月21日。近く、プラスティック・オノ・バンドの新作が出ます)の白人層からのやっかみ/悪口とダブらせて描いているのは間違いない。脚本もアサイヤスが書いている。
人生撒き直しを求める新天地の舞台は、かつて主人公が住んでいたことがあるという設定のパリ。チャンはちゃんとフランス語もしゃべっていてすげえ。資料には、フランス語の台詞は苦労したみたいな本人コメントものせられているが、実は彼女とアサイヤス監督は実生活で結婚していたのか。これを撮る前にとっくに別れていたようだが。この04年発表映画で彼女はカンヌ映画祭の主演女優賞を受けて、名声を高めたようだ。お、アサイヤスさん、見事なオトコとしての責任の取り方?
カナダ人バンドのメトリックやトリッキー(2001年7月27日。かつてインタヴューしたとき、英国ブリストルから米国ニュージャージーに住むようになり、一人娘の相手をするのが一番の愉しみ、なんて危ない見かけで言っていたな)など、実名で出てきてライヴのシーンをみせたり、少し演技したりも。効果音的などってことない音は、アンビエント音楽の巨匠で名プロデューサー(U2、デイヴィッド・バーン他)のブライアン・イーノが担当。アサイヤスにとってイーノに音楽を付けてもらうのは夢だったようだ。また、チャンも歌を歌っている。……なんか、少女マンガにありそうなストーリー(あくまで僕のずさんなイメージにおいて)なんて思わせるが、アサイヤスは女っぽい感性を持つ監督なのではとも、これを見て感じました。
そして、南青山・ブルーノート東京で、大御所サンダース(2006年8月23日、他。最初の来日はまだ生きていた時のジョン・コルトレーンのグループだったようだ)のカルテット(1ホーン)編成ギグを見る。1曲目はシンプルなバッキングで訥々と歌心あるブロウを聞かせ、2曲目は延々と開放系スピリチュアル・ジャズ調曲をやる。もーテナー・サックスのソロ延々、ピアノのソロを含めると30分を超えていたろう。3曲目は比較的普通なジャズ曲。そして、カリプソ調の4曲目はずうっとがなり続け、客とコール&レスポンスをする。どんどん若いファンの要求に答えるようになっている?
次は六本木・ビルボードライヴ東京で、初来日していこう本当に良く来日するソウライヴ(2008年7月22日、他)。不動の3人に加え、レタス(2003年11月17日)のライアン・ゾイディス(テナー、バリトン)と一時はソウライヴのメンバーだったこともありやはりレタスにも属するサム・キニンジャー(アルト)が付いてのもの。二人の管奏者は昨年のソウライヴ公演にも同行していたが、今回はより活躍する場を与えられていて、ほぼ全部の曲でセクション音を入れたり、ソロを取ったりしていたんではないか。そのぶん、ニール・エヴァンス(キーボード)の演奏が全体に占める比率は明らかに減っている。彼は当たらし目のハモンド・オルガンと左手で弾くベース音専用のキーボードと、クラヴィネットを並べる。クラヴィネットはあまり使わず(はったりかませたい音をだしたいとき、少しだけ右手で弾く)、また右手によるオルガンは上のほうの鍵盤しか使わず。MCもやるアラン・エヴァンス(ドラム)はかつては真横を向いてドラムを叩いていたが。今回はかなり客席側を向いて座っていた。エリック・クラズノウ(ギター)も前ほどはソロを取らなくなったような。アンサンブル中心に聞き手を引っ張る今のソウライヴ……そんな指摘が出来るかも。
そのタイトルの「クリーン」だって、主人公の生き方が明らかになっていくことや純粋なことを示唆するとともに、ヤク中である主役(彼女がヘロインを打つシーンもあり)が“ドラッグから抜ける”という意味を重ねているみたいだし。という指摘の仕方は、非常に時代遅れな、ステレオタイプなものか。いまさら、“セックス、ドラッグ&ロックロール”の時代でもねーしな。でも、1955年生まれのアサイヤスは年相応にけっこう古いロック観を持っているのは確か。冒頭のほうで夫婦やマネイジャーの間で延々とやりとりされるレコード契約の話なんてまさにそう。メジャーは善でインディはしょぼい、なんて今思っている音楽業界中枢にいる人はそうはいないだろう。それとも、この40代の夫婦が化石のような業界観を持っていることを、それで示したかったのか。また、白人ロッカーと結婚した東洋系の主人公に対する周辺の悪評判のあり方を、かつてのヨーコ・オノ(2009年1月21日。近く、プラスティック・オノ・バンドの新作が出ます)の白人層からのやっかみ/悪口とダブらせて描いているのは間違いない。脚本もアサイヤスが書いている。
人生撒き直しを求める新天地の舞台は、かつて主人公が住んでいたことがあるという設定のパリ。チャンはちゃんとフランス語もしゃべっていてすげえ。資料には、フランス語の台詞は苦労したみたいな本人コメントものせられているが、実は彼女とアサイヤス監督は実生活で結婚していたのか。これを撮る前にとっくに別れていたようだが。この04年発表映画で彼女はカンヌ映画祭の主演女優賞を受けて、名声を高めたようだ。お、アサイヤスさん、見事なオトコとしての責任の取り方?
カナダ人バンドのメトリックやトリッキー(2001年7月27日。かつてインタヴューしたとき、英国ブリストルから米国ニュージャージーに住むようになり、一人娘の相手をするのが一番の愉しみ、なんて危ない見かけで言っていたな)など、実名で出てきてライヴのシーンをみせたり、少し演技したりも。効果音的などってことない音は、アンビエント音楽の巨匠で名プロデューサー(U2、デイヴィッド・バーン他)のブライアン・イーノが担当。アサイヤスにとってイーノに音楽を付けてもらうのは夢だったようだ。また、チャンも歌を歌っている。……なんか、少女マンガにありそうなストーリー(あくまで僕のずさんなイメージにおいて)なんて思わせるが、アサイヤスは女っぽい感性を持つ監督なのではとも、これを見て感じました。
そして、南青山・ブルーノート東京で、大御所サンダース(2006年8月23日、他。最初の来日はまだ生きていた時のジョン・コルトレーンのグループだったようだ)のカルテット(1ホーン)編成ギグを見る。1曲目はシンプルなバッキングで訥々と歌心あるブロウを聞かせ、2曲目は延々と開放系スピリチュアル・ジャズ調曲をやる。もーテナー・サックスのソロ延々、ピアノのソロを含めると30分を超えていたろう。3曲目は比較的普通なジャズ曲。そして、カリプソ調の4曲目はずうっとがなり続け、客とコール&レスポンスをする。どんどん若いファンの要求に答えるようになっている?
次は六本木・ビルボードライヴ東京で、初来日していこう本当に良く来日するソウライヴ(2008年7月22日、他)。不動の3人に加え、レタス(2003年11月17日)のライアン・ゾイディス(テナー、バリトン)と一時はソウライヴのメンバーだったこともありやはりレタスにも属するサム・キニンジャー(アルト)が付いてのもの。二人の管奏者は昨年のソウライヴ公演にも同行していたが、今回はより活躍する場を与えられていて、ほぼ全部の曲でセクション音を入れたり、ソロを取ったりしていたんではないか。そのぶん、ニール・エヴァンス(キーボード)の演奏が全体に占める比率は明らかに減っている。彼は当たらし目のハモンド・オルガンと左手で弾くベース音専用のキーボードと、クラヴィネットを並べる。クラヴィネットはあまり使わず(はったりかませたい音をだしたいとき、少しだけ右手で弾く)、また右手によるオルガンは上のほうの鍵盤しか使わず。MCもやるアラン・エヴァンス(ドラム)はかつては真横を向いてドラムを叩いていたが。今回はかなり客席側を向いて座っていた。エリック・クラズノウ(ギター)も前ほどはソロを取らなくなったような。アンサンブル中心に聞き手を引っ張る今のソウライヴ……そんな指摘が出来るかも。
2009年6月16日の項で絶賛している在仏アメリカ人歌手のパフォーマンス。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ(といっても、日曜のセカンドは7時から)。今回は側近のラファエル・ルモニエ(ピアノ)に加え、ウッド・ベース奏者、ドラマー(なんと、まだとっても若い女性)、トランぺッターを従えてのもの。かつてのジャズ歌手はショービズの世界で与えられた役を演じるようにやっていたはずという所感のもと、それゆえ自身もジャズ路線においてはダイナ・ワシントンという役を演じるようにやっているそうで(だから、ドレッドだった髪型も現在はレトロ調にまとめている)、それはイヤミなく澄んだ姿勢としておおいに伝わってくるのではないか。で、その奥から、本人の陽性で情熱的でフランクな人間性が浮き上がってくる様がなんともいい感じなのだ。
実は前日夜に知り合いから電話があったものの出れなかったので遅くにメールをしたら、午前中に以下のような返信……。「昨日母とブルーノートに行こうかと迷ってて、アーティストがいいかどうか聞きたかっただけでした! 結局行って、すごい良かったです(ダイヤ二つマーク)」。まったくもって。全然その個体を知らなくても、ジャズを聞いてなくても、接した人をばっちり鼓舞し、魅了しゃう。それがチャイナ・モーゼスなり(もちろん、母親のディー・ディー・ブリッジウォーターも)。
実は前日夜に知り合いから電話があったものの出れなかったので遅くにメールをしたら、午前中に以下のような返信……。「昨日母とブルーノートに行こうかと迷ってて、アーティストがいいかどうか聞きたかっただけでした! 結局行って、すごい良かったです(ダイヤ二つマーク)」。まったくもって。全然その個体を知らなくても、ジャズを聞いてなくても、接した人をばっちり鼓舞し、魅了しゃう。それがチャイナ・モーゼスなり(もちろん、母親のディー・ディー・ブリッジウォーターも)。
スガダイロー・トリオ
2009年7月3日 音楽 朝5時半起きで、今日締め切りのCD解説原稿を3本仕上げる。昼一に一本打ち合わせを挟んでだから、再発モノとはいえ、かなりいいスピードで仕事したことになるな。この土日はいろいろ用事が入っていてあまり机に向かう時間が取れそうにないし、プロとしてちゃんと仕事をしたい(締め切りを守りたい)ぼくはちゃんと仕上げたかった。途中で、一瞬やる気が萎えかけるも、なんとか6時過ぎにすべて終わる。ふう。最近、原稿を書くのが遅くなっているような気がしたりもするので、少し自信をとりもどす。眉を吊り上げての仕事でついた澱を落とさんとするかのように、シャワーを浴びる。ふうふう。新宿・ピットインに向かう途中、地下鉄駅のホームで鏡に映った自分の顔をみたらやたら疲れきっていて、びっくり。うひゃあ。
会場入りすると、ある人から親しげに声をかけられる。が、ぜんぜん誰だか分からない。それは疲労とは別。腹をくくって、「ごめんなさい。ぼく、ぜんぜん誰だか分からないんです」と伝える。そしたら、かつてレコード会社の洋楽制作にいた人で、10年以上ぶりの邂逅。彼はぼくが覚えてないことに少なからずショックを覚えていたようだが、入院療養生活を経たりダイエットしたりしたそうで、見た目は別人。確かに、ぼくは人の顔や名前をすぐに忘れるけど、こりゃしょーがないよー。とはいえ、確かに近しい気持ちを持てた人であったわけで、とってもごめんなさい。
シャープなピアノの弾き手であるスガダイロー(2009年1月8日)の、ソロ2作目となる「坂本龍馬の拳銃」リリースをフォロウするライヴ。完全にトリオによるパフォーマンスで、アルバムでのリズム隊と同じ人たちを擁するもので、それは大きなポイント。オリジナル曲にせよスタンダードにせよ、そこでの表現はかなりリズム楽器とピアノ音の仕掛けの妙を重視したものであり、ライヴではその噛み合いがさらに鮮やかに大胆になっているところがあったから。彼のそういう志向はジョン・ルイス愛好から来るもののようだが……。あまりロック経験を持たずクラシック→ジャズという経路(だからか、仕掛けに凝っていてもプログ・ロック的手触りは嬉しいことに希薄)はザ・バッド・プラス(2008 年2月20日、他)のイーサン・アイヴァーソン(ピアノ)と同じであり、新作のなかでちょいザ・バッド・プラスを思わせるものもあったが、ライヴはぜんぜんそう感じず。なんでこう行くのという嬉しい戸惑いはスガのほうが与えるわけで、彼はきっちり自分ならではの冒険するジャズを作っていると痛感。いいぞいいぞ。がんがん、海外に呼ばれて不思議じゃないのになー。このフォーマットによる録音は2作分録ってあり、この秋には『坂本龍馬の革靴』という同ソースのアルバムが出る。
会場入りすると、ある人から親しげに声をかけられる。が、ぜんぜん誰だか分からない。それは疲労とは別。腹をくくって、「ごめんなさい。ぼく、ぜんぜん誰だか分からないんです」と伝える。そしたら、かつてレコード会社の洋楽制作にいた人で、10年以上ぶりの邂逅。彼はぼくが覚えてないことに少なからずショックを覚えていたようだが、入院療養生活を経たりダイエットしたりしたそうで、見た目は別人。確かに、ぼくは人の顔や名前をすぐに忘れるけど、こりゃしょーがないよー。とはいえ、確かに近しい気持ちを持てた人であったわけで、とってもごめんなさい。
シャープなピアノの弾き手であるスガダイロー(2009年1月8日)の、ソロ2作目となる「坂本龍馬の拳銃」リリースをフォロウするライヴ。完全にトリオによるパフォーマンスで、アルバムでのリズム隊と同じ人たちを擁するもので、それは大きなポイント。オリジナル曲にせよスタンダードにせよ、そこでの表現はかなりリズム楽器とピアノ音の仕掛けの妙を重視したものであり、ライヴではその噛み合いがさらに鮮やかに大胆になっているところがあったから。彼のそういう志向はジョン・ルイス愛好から来るもののようだが……。あまりロック経験を持たずクラシック→ジャズという経路(だからか、仕掛けに凝っていてもプログ・ロック的手触りは嬉しいことに希薄)はザ・バッド・プラス(2008 年2月20日、他)のイーサン・アイヴァーソン(ピアノ)と同じであり、新作のなかでちょいザ・バッド・プラスを思わせるものもあったが、ライヴはぜんぜんそう感じず。なんでこう行くのという嬉しい戸惑いはスガのほうが与えるわけで、彼はきっちり自分ならではの冒険するジャズを作っていると痛感。いいぞいいぞ。がんがん、海外に呼ばれて不思議じゃないのになー。このフォーマットによる録音は2作分録ってあり、この秋には『坂本龍馬の革靴』という同ソースのアルバムが出る。
エミ・マイヤー。ラファエル・サディーク
2009年6月30日 音楽 前日に続いて、渋谷・クラブクアトロ。シアトルで付き合いの長いジャズ奏者たちを起用して録音したデビュー作『キュリアス・クリーチャー』に倣い、ジャズの素養も持たなくはないだろう日本人ウッド・ベース奏者とドラマー(その顔ぶれで、今スタジオ入りしているという)を擁してのパフォーマンス。そして途中からはギター系楽器で高田蓮(2007年11月27日、他)も加わる。成熟と瑞々しさが見事に交錯、ええ娘やあ〜と見ちゃうよなー。ピアノに向かうスリムな後ろ姿も綺麗ネ。2部構成で、2部の途中までしか見れなかったのは残念。
そして、南青山・ブルーノート東京で、米国西海岸ベイエリア(オークランド)の博識くん、ラファエル・サディークのショウを見る(なんか彼、ロイ・ハーグローヴの最終日に飛び入りして、サム・クック曲を歌ったみたい)。90年前後にはトニ!・トニ!・トニ!の一員(そのころはラファエル・リギンズと言う名で活動)としてぶいぶい言わせ、その後R&Bからヒップホップまでを自在に横切る敏腕プロデューサーとして活躍(ビラル、モス・デフ、2パック、メアリー・J、アイズリーズ、ライオネル・リッチー他)。その傍ら、リーダー作も飄々と出して昨年の『ザ・ウェイ・アイ・シー・イット』(ソニー)はモータウンをはじめとするディスコ期前の大衆R&Bへのオマージュを掲げた内容を持ち、皆スーツでばっちりきめた今回の設定はその行き方を下敷きにしたものであるといえるか。
鍵盤、ギター、ベース、ドラムというバンドの前に、スキンヘッドに眼鏡のサディークと男女のバッキング歌手が位置し、その3人は声を合わせるだけでなく、きっちり踊りも決める。その様だけで、にっこりなれちゃう。それだけで、合格〜って喝采を叫んじゃった人もいたに違いない。サディークは声量がなくシンガーとしては意外なくらい存在感がなかったが、そのきらびやかなソウル・ショウを司る全体指揮者としてのクールな立ち位置がちゃんと見えるので不満は感じない。トニーズ時代はベースを弾いていたはずだけど、サディークは一部でギターを手にしたりもした。意外だったのは、楽曲がタンタンタンという比較的タメを持たないビート(ぼくは、それをツイストっぽいとも形容したくなる)を多くで採用していたこと。ぼくはこってりファットバックなビートのほうがうれしいが、それは意識してのものだろう。
アンコールにはジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」を。冒頭のギターのカッティングをはじめ一から十まで本当に非の打ち所がない曲だよなー。
そして、南青山・ブルーノート東京で、米国西海岸ベイエリア(オークランド)の博識くん、ラファエル・サディークのショウを見る(なんか彼、ロイ・ハーグローヴの最終日に飛び入りして、サム・クック曲を歌ったみたい)。90年前後にはトニ!・トニ!・トニ!の一員(そのころはラファエル・リギンズと言う名で活動)としてぶいぶい言わせ、その後R&Bからヒップホップまでを自在に横切る敏腕プロデューサーとして活躍(ビラル、モス・デフ、2パック、メアリー・J、アイズリーズ、ライオネル・リッチー他)。その傍ら、リーダー作も飄々と出して昨年の『ザ・ウェイ・アイ・シー・イット』(ソニー)はモータウンをはじめとするディスコ期前の大衆R&Bへのオマージュを掲げた内容を持ち、皆スーツでばっちりきめた今回の設定はその行き方を下敷きにしたものであるといえるか。
鍵盤、ギター、ベース、ドラムというバンドの前に、スキンヘッドに眼鏡のサディークと男女のバッキング歌手が位置し、その3人は声を合わせるだけでなく、きっちり踊りも決める。その様だけで、にっこりなれちゃう。それだけで、合格〜って喝采を叫んじゃった人もいたに違いない。サディークは声量がなくシンガーとしては意外なくらい存在感がなかったが、そのきらびやかなソウル・ショウを司る全体指揮者としてのクールな立ち位置がちゃんと見えるので不満は感じない。トニーズ時代はベースを弾いていたはずだけど、サディークは一部でギターを手にしたりもした。意外だったのは、楽曲がタンタンタンという比較的タメを持たないビート(ぼくは、それをツイストっぽいとも形容したくなる)を多くで採用していたこと。ぼくはこってりファットバックなビートのほうがうれしいが、それは意識してのものだろう。
アンコールにはジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」を。冒頭のギターのカッティングをはじめ一から十まで本当に非の打ち所がない曲だよなー。
あふりらんぼ、グッバイマイラヴ
2009年6月29日 音楽 3時頃、仕事に飽きて国会中継を少し見たら、気が触れているとしか思えない保守系議員のご都合主義なあまりに低劣な質問の様に少し触れ、気持ち悪くなる。それに反発するヤジ、そしてそれを受けて予定調和/満足げに答える首相にも吐き気をもよおす。昔からだろうが、あんなのどう考えてもおかしい。厭世的なキブンで渋谷・クラブクアトロに向かい(因果関係はないが、開演時間を30分早く間違える)、ギターとドラムのデュオ編成バンドを二つ見る。その小さな編成は原初的衝動のココロを相当に明解に出す事につながりますね。
まず、あふりらんぽ(2005年8月17日)。おお、この関西ベースの女性デュオ・ユニットを見るのは久しぶりだが、いい意味で破天荒さ/酔狂さ/ダダさは減じてない。まずは客席フロアでたっぷり変な声を出しながら徘徊したり寝転がったりすりするパフォーマンスしたあとにステージで演奏しだすが、やはり感心。基本は叩き込み型激情演奏と素っ頓狂な肉声表出のとりとめのない掛け合わせなのだが、吹っ切れていて、思いっきり彼女たちでしかないもの。演奏自体はうまくなっていると思わせるが、基本の捨て身の姿勢は変わっておらず、ケラケラ笑いながら頷く。そんな彼女たちに触れながら、海外通受けするオルタナ担い手はなぜ関西出身者のほうが多いんだろーかと少し考える。
そしてバンバート・ハンバート(2008年11月9日)の1/2である佐藤良成(ギター、歌)が友達ドラマー/シンガー(村井健也)と組んだグッバイマイラヴ。曲はいち、にー、さんと日本語のカウントではじまり、実にシンプルなドラム・セットからたたき出されるとってもざっくりした語気の強い簡素ドラム音に轟音ギター音がからまり、そこにをすっこーんと抜けた質感を持つヴォーカルが乗る。ぶっきらぼう、だけどなんか愛らしいところも。極端にロックな心持ちで届ける濡れた歌心……。外側に向く発散のヴェクトルと照れの含む内向きの情念、二つの異なるものを抱えながら、彼らなりの小宇宙をポッカリ出したいという思いなのかな。
まず、あふりらんぽ(2005年8月17日)。おお、この関西ベースの女性デュオ・ユニットを見るのは久しぶりだが、いい意味で破天荒さ/酔狂さ/ダダさは減じてない。まずは客席フロアでたっぷり変な声を出しながら徘徊したり寝転がったりすりするパフォーマンスしたあとにステージで演奏しだすが、やはり感心。基本は叩き込み型激情演奏と素っ頓狂な肉声表出のとりとめのない掛け合わせなのだが、吹っ切れていて、思いっきり彼女たちでしかないもの。演奏自体はうまくなっていると思わせるが、基本の捨て身の姿勢は変わっておらず、ケラケラ笑いながら頷く。そんな彼女たちに触れながら、海外通受けするオルタナ担い手はなぜ関西出身者のほうが多いんだろーかと少し考える。
そしてバンバート・ハンバート(2008年11月9日)の1/2である佐藤良成(ギター、歌)が友達ドラマー/シンガー(村井健也)と組んだグッバイマイラヴ。曲はいち、にー、さんと日本語のカウントではじまり、実にシンプルなドラム・セットからたたき出されるとってもざっくりした語気の強い簡素ドラム音に轟音ギター音がからまり、そこにをすっこーんと抜けた質感を持つヴォーカルが乗る。ぶっきらぼう、だけどなんか愛らしいところも。極端にロックな心持ちで届ける濡れた歌心……。外側に向く発散のヴェクトルと照れの含む内向きの情念、二つの異なるものを抱えながら、彼らなりの小宇宙をポッカリ出したいという思いなのかな。
オルケスタ・アウロラ
2009年6月26日 音楽 6人組の日本人タンゴ・グループのデビュー作リリースをフォロウする公演。第一ヴァイオリン奏者とピアニストが女性でリーダーシップを取り、もう一人のヴァイオリン奏者、二人のバンドネオン奏者、コントラバス奏者は男性だ。みな、正装っぽい格好。MCによれば、それぞれタンゴに見せられてアルゼンチン詣でをしているそうな。冒頭、ステージ背後に<日本人としてのタンゴを作って、聞く人を気持ちよくさせられたら>みたいな口上が映し出される。なるほど。さらに曲の冒頭には、作曲/編曲者の名前や曲の背景や狙いなどを伝える情報も出される。ウザく感じる人もいるかもしれないが、門外漢のぼくには有用。
ピアソラ他のアルゼンチン人曲をアダプトしたものとともに、何曲も女性陣のオリジナル曲もやった。ぼくはアルゼンチン・タンゴというとパッションや情念やダンディズムと裏返しのアヴァンギャルド感などをまずなんとなく思い浮かべたりもするが、もう少しまろやかだったり、メロディアスだったりする、本場を見上げた彼女たちなりのタンゴ表現が展開されていたような。なお、2曲ほどは男女ダンサーが出てきて、キメキメで踊る。やっぱり、タンゴもダンス・ミュージックなり。それ、ポピュラー・ミュージックの掟ですね。
2部制のコンサート。おいしい用事アリで、一部を見て会場を後にする。2部にはアルゼンチンからやってきた歌手(エル・チノ・ラデボデ)やギター奏者(ディエゴ・クイッコ)も出たようだ。リッチな設定ですね。赤坂・草月ホール。久しぶりにいったが、かなり舞台が開けて見えるホールなんだな。
ピアソラ他のアルゼンチン人曲をアダプトしたものとともに、何曲も女性陣のオリジナル曲もやった。ぼくはアルゼンチン・タンゴというとパッションや情念やダンディズムと裏返しのアヴァンギャルド感などをまずなんとなく思い浮かべたりもするが、もう少しまろやかだったり、メロディアスだったりする、本場を見上げた彼女たちなりのタンゴ表現が展開されていたような。なお、2曲ほどは男女ダンサーが出てきて、キメキメで踊る。やっぱり、タンゴもダンス・ミュージックなり。それ、ポピュラー・ミュージックの掟ですね。
2部制のコンサート。おいしい用事アリで、一部を見て会場を後にする。2部にはアルゼンチンからやってきた歌手(エル・チノ・ラデボデ)やギター奏者(ディエゴ・クイッコ)も出たようだ。リッチな設定ですね。赤坂・草月ホール。久しぶりにいったが、かなり舞台が開けて見えるホールなんだな。
テイラー・アイグスティ+ジュリアン・レイジ・デュオ。ロイ・ハーグローヴ・クインテット
2009年6月24日 音楽 コンコードとエマーシー、それぞれにメジャーと契約する24歳のピアニストと21歳のギタリスト(2005年8月21日)のデュオ公演。有楽町・コットンクラブ、ファースト・ショウ。お互いのリーダー作にも客演しあう両者はともにウェスト・コースト育ち、実はジャズ神童と言われる同士として知り合ってからすでに10年以上たつのだとか。ここのところはそれぞれの仕事が忙しくなってあまり一緒にやる機会も減じているが、かつてはよくデュオでライヴをしたという。確かに、仲が良さそうだよな。そんなわけだから、かつて知ったるお互いの特徴や癖というわけで、とても手慣れたデュオ演奏を聞かせる。そのぶんこなれすぎ、若いんだからもっと爆発しろやと言いたくなった部分もなくはなかったが。二人とも過剰にお茶目だったり、意地悪な性格じゃないんだろうな。
レイジのリーダー作はそうした分別あるとっつぁん坊や(?)な部分(でも、スポーツカー大好き。古いポルシェに乗っているという)がもっともいい方に働いた仕上がりを見せていて、クラシックやブルーグラスの知識も活きた、間があって瀟洒な、誰々風でもない(そこが、重要!)清新なジャズ表現をさらりと提出していて驚かされる。聞けば、そこらあたりの“我が道を行かん”という回路はウェイン・ショーター(2004年2月9日、他)耽溺から来ているらしい。なら、ショーターの女の趣味も見習えばと茶化して言うと(ショーターの最初の嫁さんは日本人で、2番目はブラジル人)、苦笑いしながら「彼女はアメリカ人なんだよねえ」と答える。ともあれ、レイジにしても、アイグスティにしても、今後もいろいろ来日するんじゃないだろうか。
その後、ブルーノート東京で、ロイ・ハーグローヴを見る。前回来日時はビッグ・バンドを率いるもの(2008年9月16日)だったが、今回は彼が現在メインに置いているクインテット編成によるもの。前回のクインテット公演(2007年9月10日)とはサックス奏者とドラマーが重なる。ところで、クインテットの新作『イアーフード』でピアノを弾いていたのは先日、日本に来ていたジェラルド・クレイトン(2009年6月7日)。そのクレイトンは渡辺貞夫(2008年12月14日、他)の初秋に出る純ジャズ新作に参加したり、自己トリオでツアーしたりと大忙し(だから、今回は不参加)。7月のモントリオール・ジャズ・フェスには自己トリオで出て、ハーグローヴは同祭にはR.H.ファクター(2003年9月21日)で出演するよう。なお、ジェラルドは9月の渡辺貞夫ブルーノート東京公演に参加する。……話はとんだが、ものすごく覇気と力がある演奏でおおいに頷く。なんか、ばりばりジャズ・マンであることを謳歌しているやんけ。客の入りもたっぷりで、それにも少し驚く。おお、ハーグローヴ、人気ばっちりなんだな。
レイジのリーダー作はそうした分別あるとっつぁん坊や(?)な部分(でも、スポーツカー大好き。古いポルシェに乗っているという)がもっともいい方に働いた仕上がりを見せていて、クラシックやブルーグラスの知識も活きた、間があって瀟洒な、誰々風でもない(そこが、重要!)清新なジャズ表現をさらりと提出していて驚かされる。聞けば、そこらあたりの“我が道を行かん”という回路はウェイン・ショーター(2004年2月9日、他)耽溺から来ているらしい。なら、ショーターの女の趣味も見習えばと茶化して言うと(ショーターの最初の嫁さんは日本人で、2番目はブラジル人)、苦笑いしながら「彼女はアメリカ人なんだよねえ」と答える。ともあれ、レイジにしても、アイグスティにしても、今後もいろいろ来日するんじゃないだろうか。
その後、ブルーノート東京で、ロイ・ハーグローヴを見る。前回来日時はビッグ・バンドを率いるもの(2008年9月16日)だったが、今回は彼が現在メインに置いているクインテット編成によるもの。前回のクインテット公演(2007年9月10日)とはサックス奏者とドラマーが重なる。ところで、クインテットの新作『イアーフード』でピアノを弾いていたのは先日、日本に来ていたジェラルド・クレイトン(2009年6月7日)。そのクレイトンは渡辺貞夫(2008年12月14日、他)の初秋に出る純ジャズ新作に参加したり、自己トリオでツアーしたりと大忙し(だから、今回は不参加)。7月のモントリオール・ジャズ・フェスには自己トリオで出て、ハーグローヴは同祭にはR.H.ファクター(2003年9月21日)で出演するよう。なお、ジェラルドは9月の渡辺貞夫ブルーノート東京公演に参加する。……話はとんだが、ものすごく覇気と力がある演奏でおおいに頷く。なんか、ばりばりジャズ・マンであることを謳歌しているやんけ。客の入りもたっぷりで、それにも少し驚く。おお、ハーグローヴ、人気ばっちりなんだな。
渋谷・クラブクアトロ。無事大学を卒業したエミ・マイヤー(2009年1月29日)がソロで30 分弱(だったかな)パフォーマンスした後に、在仏しなやか女性シンガー・ソングライターがバンドとともに登場。飄々、まさに音楽の妖精が舞っているようなパフォーマンスを開いていく。後見人的なダヴィッド・ドナシャン(打楽器。ドラム)は不動だが、他の顔ぶれは少し変わっていたのかな。結果、奏者間の楽器持ち替え比率は上がっていました。昨年の来日公演(2008年6月4日)は山ほどライヴを見ているぼくにとっても<08年のベスト10>に入るぐらいいい肌触りを得た実演だったが、秀でたうれしいモノに触れることができているという感興は今回も同様。ドナシャンは前回みたとき遠目にナイムとはだいぶ歳が離れているようにお見受けしたが、今回けっこう近い距離から見たら、そんなにはいってなさそう。で、ルックスはラッパー/俳優のアイス・Tを人なつこくした感じじゃん、なんて思った。ところで、ナイムが新型キューブのTVコマーシャルのほんわかした音楽を歌っているため今回の来日公演はニッサンが冠についているが、同車の海外の評判はどうなのか。旧型キューブのデザインが海外業界人受けがいいということもあり、新型は世界販売車に格上げになったわけだが。米国の音楽サイト(AMG)を引いたら、さっそくキューブの宣伝がどっかーんと出てきて、おもわず米国向けの宣伝サイトをじっくりチェックしちゃった。でも、なんであんな地味な車体色しか採用していないんだろう。
有楽町・コットンクラブ、ファースト・ショウ。フィンランドの自作派ブルー・アイド・ソウルの担い手(2007年12月10日)を見る。アフリカ系のパーカッショニストを含む4人の奏者を従え、トゥオモはヴェインテージ・キーボード(フェンダー・ローズやミニ・モーグ)を弾きながら、柔和な表現を紡いで行く。アレレと思ったのは、ギターを持って数曲うたったこと。前回の公演はキーボードしか弾かなかったよなー。その場合は、少しロック度が強まりますね。もう少し歌やキャラに存在感があればにゃー。やはり、それは感じたが、なんか実直に表現にあたる様には憎めない親しみやすさがありました。
世武裕子、mouse on the keys、エネミーズ
2009年6月19日 音楽 渋谷・オネストで、3者が出るライヴを見る。あらら、ここは禁煙ではないヴェニューであるのか。ここに来るときはいつもかなり混んでいて場内でタバコを吸う人を見かけなかったが、今日はそれなりにいた。喫煙者にとっては天国のような会場だろうが、とっても大げさに言えばぼくには地獄に近い。でも、お酒を飲まずに見ていろと言われれば、それはぼくにはありえない、もっともっと地獄となるわけで……。
まず、くるり(2009年6月10日)の個人レーベル“ノイズ・マッカトニー”からリーダー作を出し、実はくるりの新作でも的を得まくりの鍵盤サポートをしている世武裕子が出てきて、ソロでパフォーマンス。ずっとピアノ人生で、フランスの音楽学校に通っていたという20代前半の人物。クラシック造詣が根底にある刺や美の意識の発露なんて言いたくなるインストはあまりやらず(オーケストラ用に書いた曲です、なんて紹介してやった曲もあったな)、けっこうヴォーカル曲(それなりに太い声で歌う)を披露。それらを聞くと、ある程度はポップ・ミュージックにも触れてきているのが分かるか。ほんの少しケイト・ブッシュを思わせる不思議世界で遊ぶような曲もあったな。歌詞はフランス語や日本語にて。音楽に献身している人であることも自然に出て、いろいろと興味深い作り手であるのは間違いない。
続いて日本のインスト集団mouse on the keysが登場し、ピアノの立ったミニマル的フレイズと叩き込みドラミングの視点ある拮抗/調和があるインストを聞かせる。フランク・ザッパの『ホット・ラッツ』を思い出させるジャズ・ロック的側面が出るときも。映像担当者がメンバーにいるようで、背後に映す出される映像も効果的。また、トランペット奏者が入って色を付けた部分もあり、その際は一部クラブ・ジャズ的側面にかするときもあったような気もするが、そっちの方には行くまいという意思が彼らにはあるかも。
そして最後に、ダブリンの新進インスト・バンドのエネミー。おお、ここはステージ高があまりなく客席部前に位置しないかぎりステージに立つ人の姿を相当に視認しにくい会場だが、彼らはそれなりに身長もあるようですぐに認知できる。好感持てるルックスなことも。ギター2本、ベース1本、ドラムという編成(一部ツイン・ドラムになったときも)で、ギターが自在に絡み、響き合うロックを聞かせる。ドラムがちゃんとしていることもあり、叙情的に流れても芯が通っている、線が太いとも思わせられるか。これみよがしじゃない積み重ね、起承転結のなかから、自在に流れるストーリーやワビサビや情景を浮かび上がらせていく……とも、その表現は説明することができるか。ぼくの好みのストライクではないがあってしかるべきと思わせる、確かな像を結んでいるバンドだと思う。モグワイ(2006年11月11日、他)があれだけ支持を集めるんだから、これからどんどん支持者を増やすようになるんじゃないか。
まず、くるり(2009年6月10日)の個人レーベル“ノイズ・マッカトニー”からリーダー作を出し、実はくるりの新作でも的を得まくりの鍵盤サポートをしている世武裕子が出てきて、ソロでパフォーマンス。ずっとピアノ人生で、フランスの音楽学校に通っていたという20代前半の人物。クラシック造詣が根底にある刺や美の意識の発露なんて言いたくなるインストはあまりやらず(オーケストラ用に書いた曲です、なんて紹介してやった曲もあったな)、けっこうヴォーカル曲(それなりに太い声で歌う)を披露。それらを聞くと、ある程度はポップ・ミュージックにも触れてきているのが分かるか。ほんの少しケイト・ブッシュを思わせる不思議世界で遊ぶような曲もあったな。歌詞はフランス語や日本語にて。音楽に献身している人であることも自然に出て、いろいろと興味深い作り手であるのは間違いない。
続いて日本のインスト集団mouse on the keysが登場し、ピアノの立ったミニマル的フレイズと叩き込みドラミングの視点ある拮抗/調和があるインストを聞かせる。フランク・ザッパの『ホット・ラッツ』を思い出させるジャズ・ロック的側面が出るときも。映像担当者がメンバーにいるようで、背後に映す出される映像も効果的。また、トランペット奏者が入って色を付けた部分もあり、その際は一部クラブ・ジャズ的側面にかするときもあったような気もするが、そっちの方には行くまいという意思が彼らにはあるかも。
そして最後に、ダブリンの新進インスト・バンドのエネミー。おお、ここはステージ高があまりなく客席部前に位置しないかぎりステージに立つ人の姿を相当に視認しにくい会場だが、彼らはそれなりに身長もあるようですぐに認知できる。好感持てるルックスなことも。ギター2本、ベース1本、ドラムという編成(一部ツイン・ドラムになったときも)で、ギターが自在に絡み、響き合うロックを聞かせる。ドラムがちゃんとしていることもあり、叙情的に流れても芯が通っている、線が太いとも思わせられるか。これみよがしじゃない積み重ね、起承転結のなかから、自在に流れるストーリーやワビサビや情景を浮かび上がらせていく……とも、その表現は説明することができるか。ぼくの好みのストライクではないがあってしかるべきと思わせる、確かな像を結んでいるバンドだと思う。モグワイ(2006年11月11日、他)があれだけ支持を集めるんだから、これからどんどん支持者を増やすようになるんじゃないか。
イエロージャケッツ公演時(2009年3月23日)の客演の風情が好印象で、単独公演も見に行く。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。ランディ・ブレッカー(トランペット)、クリス・ミン・ドーキー(電気ベース、電気縦ベース)、デイヴ・ウェックル(ドラム)というフュージョン有名奏者を従えてのもの(みんな、いろいろリーダー作を出しているよな)で、手堅いフュージョン演奏を繰り広げる。
スターンはテレキャスター系のモデルを使用、フュージョン方面奏者としては珍しいよなと思いつつ、スティーヴ・カーンもかつてはよく使っていたっけか。実は、ワンパターンなところもなくはないが、カーンはコンテンポラリー・ジャズ/フュージョン系のギター奏者のなかでぼくが一番好きな人だ。近年、日本のインディ“55レコード”を通してプロダクツを出している彼だが、とんと来日の話は聞かない。かなしいのお。ランディ・ブレッカーはテナー・サックス奏者の弟のマイケル(2004年2月13日、他)と比較すると才は劣ると言わざるを得ないが、年の離れた女性を食しつつ笑顔でスーダラ生きている。人生いろいろ、何が幸せかは分からない。四半世紀前に“スティーヴ・ガッド(2004年1月27日)二世”的な捉えられ方で知名度を広げたウェックルの本編最後の曲のソロにおける叩き込みには少し発汗。彼はこれまで生きてきた時間の何%、スティックを握っているのか。ピアノ貴公士的な佇まいを残す兄のニルス・ラン・ドーキー(2007年4月16日)と違い、弟クリスはけっこうおっさんぽく、また気安そう。
スターンはときどきはしゃぐ素振りをみせたが、この前よりは控え目。客演であったあのときは、盛り上げなきゃという気遣いが逆にあったのかもしれない。いい人なんだろうな。彼はオレは音楽やるのが好きで好きでしょうがないんだァという純な気持ちをとっても外に出せる人ナリ。アンコールはなんとザ・ブレッカー・ブラザーズの「サム・スカンク・ファンク」を、高速でバリっと。客も湧くし、本人たちもやってて楽しそう。
スターンはテレキャスター系のモデルを使用、フュージョン方面奏者としては珍しいよなと思いつつ、スティーヴ・カーンもかつてはよく使っていたっけか。実は、ワンパターンなところもなくはないが、カーンはコンテンポラリー・ジャズ/フュージョン系のギター奏者のなかでぼくが一番好きな人だ。近年、日本のインディ“55レコード”を通してプロダクツを出している彼だが、とんと来日の話は聞かない。かなしいのお。ランディ・ブレッカーはテナー・サックス奏者の弟のマイケル(2004年2月13日、他)と比較すると才は劣ると言わざるを得ないが、年の離れた女性を食しつつ笑顔でスーダラ生きている。人生いろいろ、何が幸せかは分からない。四半世紀前に“スティーヴ・ガッド(2004年1月27日)二世”的な捉えられ方で知名度を広げたウェックルの本編最後の曲のソロにおける叩き込みには少し発汗。彼はこれまで生きてきた時間の何%、スティックを握っているのか。ピアノ貴公士的な佇まいを残す兄のニルス・ラン・ドーキー(2007年4月16日)と違い、弟クリスはけっこうおっさんぽく、また気安そう。
スターンはときどきはしゃぐ素振りをみせたが、この前よりは控え目。客演であったあのときは、盛り上げなきゃという気遣いが逆にあったのかもしれない。いい人なんだろうな。彼はオレは音楽やるのが好きで好きでしょうがないんだァという純な気持ちをとっても外に出せる人ナリ。アンコールはなんとザ・ブレッカー・ブラザーズの「サム・スカンク・ファンク」を、高速でバリっと。客も湧くし、本人たちもやってて楽しそう。
チャイナ・モーゼス、クオシモード
2009年6月16日 音楽 日本のジャズ・バンドのクオシモード(2管がトラで入っている)が颯爽と何曲か演奏したあとに、米国(1978年)生まれ/フランス育ちの黒人歌手のチャイナ・モーゼスが登場。彼女は今もっともエキサイティングなパフォーマンスを見せる名ジャズ歌手のディー・ディー・ブリッジウォーター(2003年5月1〜2日、2007年8月24日、2008年12月4日)の娘さん。ようは、過去ネオ・ソウル系のリーダー好作を3枚出ている跳ねっ返りシンガーですね。そんな彼女がジャズも歌うようになり(いまでも、ポップ路線も平行して追求)、フランスのブルーノートからダイナ・ワシントンへのトリビュート盤を今年リリース、そこではちゃんと苗字も名乗るようになった。ちなみに、モーゼスというのはブリッジウォーターの2番目の旦那さんだった故ギルバート・モーゼスのファミリー・ネーム。ギルバートはTV番組「ルーツ」他を作っている、映像監督ですね。
最初は、ピアニストのラファエル・ルモニエとのデュオでパフォーマンス。実はジャズ傾向の新作のオリジナルのリーダー表記は彼との連名。ルモニエはフランス人ながら2年間NYに居住していたことがあって、そのときジャッキ・バイアードに師事していたという! その二人はカミーユ(2008年10月13日)のショウに関わった際に出会って意気投合。その延長で、まずはダイナ・ワシントンを扱うショウが作られ、その好評を受けてアルバム化もされたのだった。蛇足だが、ルモニエは8歳だったときのモーゼスの歌を聞いたことがあるという。なんでも、ディー・ディーのショウを見に行ったたら、まだ幼い彼女も出てきて歌ったのだととか。そのとき、ルモニエは18歳……。
ともあれ、歌い始めたらびっくり。もう、そのフランクさや弾け具合がママ譲り。もう、それだけでグっと来ちゃう。とともに、うれしい人間性とスケール感を持つモーゼスの個体がばっちり伝わってきてホットになれちゃう。聞けば、まずはヒップホップ/ソウル/ロックの愛好者だが、子供のころから母のステージに触れ、よく家で母親の真似をしていたのだと言う。2曲目以降はピアニスト抜きのクオシモードが伴奏陣として加わる。とにかく、何を歌おうと、誰とやろうと、きっちり接する者の胸を打てるキャラ立ち逸材。彼女、7月上旬にはブルーノート東京、9月上旬には東京ジャズに出るため、また来日する。以上、代官山・ユニット、ブルーノート・レコードの設立70周年を祝うショーケース・ライヴの一コマ。
「ソウルを歌ったのは母と同じ年代に生まれてないからよね。彼女は50年代生まれで、私は78年生まれ。で、私が10代のころはMTVがはやっていて、ミュージック・ヴィデオが世にいっぱい出ていた時期。みんなヒップホップに憧れた時代で、だから、当時はMC(ラッパー)になりたかった。でも、私はそれが下手だった(笑い)。それで、歌を歌うようになったわけで、それは自然な流れよね。メアリー・J・ブライジがファーストを出しただときに、コレだっと思ったの。これこそが、私がまさしく目指していたことってね。でも、それを母に聞かせたら、キーが合ってない、これはわざと外して歌っているのと悪評たらたら(笑い)。でも、これはいいのと私は言い張っていた。でも、彼女もシンガーとして成長してキーも確かになって、母は今の彼女の歌を聞くといいねと言ってくれる」
「もちろん、今はフランス語のほうがしゃべれる。歌は両方で歌うわね。パスポートはアメリカのものを持っているわ。私はフランスが大好きで、フランスに帰属意識も感じるけど、アメリカに年に数回行き、飛行機から降りると、アメリカ人だなと実感しちゃうのよ。まだ、フランスの差別のほうがましとフランスに住むことを自ら選んだはずなのに。フランスの国民になるにはアメリカのパスポートを捨てなければならないわけで、なぜかそれはしたくない」
最初は、ピアニストのラファエル・ルモニエとのデュオでパフォーマンス。実はジャズ傾向の新作のオリジナルのリーダー表記は彼との連名。ルモニエはフランス人ながら2年間NYに居住していたことがあって、そのときジャッキ・バイアードに師事していたという! その二人はカミーユ(2008年10月13日)のショウに関わった際に出会って意気投合。その延長で、まずはダイナ・ワシントンを扱うショウが作られ、その好評を受けてアルバム化もされたのだった。蛇足だが、ルモニエは8歳だったときのモーゼスの歌を聞いたことがあるという。なんでも、ディー・ディーのショウを見に行ったたら、まだ幼い彼女も出てきて歌ったのだととか。そのとき、ルモニエは18歳……。
ともあれ、歌い始めたらびっくり。もう、そのフランクさや弾け具合がママ譲り。もう、それだけでグっと来ちゃう。とともに、うれしい人間性とスケール感を持つモーゼスの個体がばっちり伝わってきてホットになれちゃう。聞けば、まずはヒップホップ/ソウル/ロックの愛好者だが、子供のころから母のステージに触れ、よく家で母親の真似をしていたのだと言う。2曲目以降はピアニスト抜きのクオシモードが伴奏陣として加わる。とにかく、何を歌おうと、誰とやろうと、きっちり接する者の胸を打てるキャラ立ち逸材。彼女、7月上旬にはブルーノート東京、9月上旬には東京ジャズに出るため、また来日する。以上、代官山・ユニット、ブルーノート・レコードの設立70周年を祝うショーケース・ライヴの一コマ。
「ソウルを歌ったのは母と同じ年代に生まれてないからよね。彼女は50年代生まれで、私は78年生まれ。で、私が10代のころはMTVがはやっていて、ミュージック・ヴィデオが世にいっぱい出ていた時期。みんなヒップホップに憧れた時代で、だから、当時はMC(ラッパー)になりたかった。でも、私はそれが下手だった(笑い)。それで、歌を歌うようになったわけで、それは自然な流れよね。メアリー・J・ブライジがファーストを出しただときに、コレだっと思ったの。これこそが、私がまさしく目指していたことってね。でも、それを母に聞かせたら、キーが合ってない、これはわざと外して歌っているのと悪評たらたら(笑い)。でも、これはいいのと私は言い張っていた。でも、彼女もシンガーとして成長してキーも確かになって、母は今の彼女の歌を聞くといいねと言ってくれる」
「もちろん、今はフランス語のほうがしゃべれる。歌は両方で歌うわね。パスポートはアメリカのものを持っているわ。私はフランスが大好きで、フランスに帰属意識も感じるけど、アメリカに年に数回行き、飛行機から降りると、アメリカ人だなと実感しちゃうのよ。まだ、フランスの差別のほうがましとフランスに住むことを自ら選んだはずなのに。フランスの国民になるにはアメリカのパスポートを捨てなければならないわけで、なぜかそれはしたくない」
テリ・リン・キャリントン・グループ
2009年6月15日 音楽 南青山・ブルーノート東京で、ジャズ界きっての女性ドラマー(2004年9月7日、2005年8月21日、2008年12月1日、他)のリーダー・グループの実演を見る。ファースト・ショウ。昨年暮れに続く来日だが、前回が基本コンテンポラリー・ジャズ志向だったのに対し、今回はソウルっぽいフュージョン(世間では、スムース・ジャズという言い方もされるか)設定によるパフォーマンスを披露するが、やはり顔ぶれが豪華。もう30年強もポップ/フュージョン・レコーディングの前線で活躍している鍵盤のグレッグ・フィリンゲインズ(一時は、エリック・クラプトンのサポートでよく来日していましたね)、スムース・ジャズ界を代表するサックス奏者のエヴェレット・ハープ、かつてエレクトラからクワイエット・ストーム系ヴォーカル・アルバムを2枚出しているベーシストのクリス・ウォーカー(2003年3月13日。実は高校卒業後、最初に入ったプロのバンドがオーネット・コールマンのプライムタイム!)等々。さらに、無名の若いキーボーディスト(ローレンス・フィールズ)や風体やソロのとき浮いていた唯一の白人であるギタリストのランディ・ランヨン(でも、こういうなんか持ってそうな若手を飄々と雇うところにキャリントンの度量のデカさを感じる)。また、演奏部を重視しつつも多くの曲では実力派ロリ・ペリ(何作もアルバムを出すコーラス・グループのペリの一人だった人で、リーダー作も持つ)をフィーチャー。ザ・ビートルズの「レット・イット・ビー」や「ミッシェル」(こちらは、インストにて)のアダプテイションは秀逸。ぼくの耳には部分部分で緩いと感じる設定によるものではあったが、いろいろと実はあり。出演者みんなが仲が良さそうで、歓びを感じてたっぷり演奏/歌唱している様も良かった。
ソイル&ピンプ・セッションズ。TOYONO
2009年6月12日 音楽 いつのまにか、梅雨入りしちゃっている。とはいえ、今週はあまり傘をささなかったはずだけど。来週から始まる今年の英メルトダウン・フェスティヴァルのキュレイターがオーネット・コールマン(実質作業は息子のデナードがやっているのかな。2006年3月2日)で縁の人からそうじゃない人までいろいろ動員されている。もうすぐ、欧米はサマー・フェス・シーズン入りだな。
赤坂・ブリッツでソイル&ピンプ・セッションズ(2007年5月6日、他)。彼らも7月に入るとフェス出演込みの欧州ツアーが予定され、何カ国も回るようだ。前以上に素直に演奏部を聞かせようとする意思を感じた。二管の絡みもぐいのり。途中、J.A.M.と名乗るリズム隊だけの演奏パートもあり。ここのサックス奏者の元春とスガダイロー(2009年1月8日、他)はバークリー音楽大学で重なっているようだ(上原ひろみも)。
つづいて青山・プラッサオンゼ、TOYONO(2008年1月31日、他)をセカンド・ショウから見る。キーボード、ギター、電気ベース、ドラム、打楽器を従えてのものだが、よく意思の疎通が取れた絡みはとてもいい感じ。翌日が誕生日だという彼女、メンバーからはドロンジョ様と呼ばれていたナ。そのカヴァー中心の新作『トロピコ・ユニーク』を聞いて、こんなにスウィートな歌い方が出来るのかと驚いたのだが、この晩も奔放ながらもそれを受け付いた曲面も。どんどん若返っていってください。あと、セルフ・カヴァーだと言ってやった曲がものすごくいい曲でびっくり。
赤坂・ブリッツでソイル&ピンプ・セッションズ(2007年5月6日、他)。彼らも7月に入るとフェス出演込みの欧州ツアーが予定され、何カ国も回るようだ。前以上に素直に演奏部を聞かせようとする意思を感じた。二管の絡みもぐいのり。途中、J.A.M.と名乗るリズム隊だけの演奏パートもあり。ここのサックス奏者の元春とスガダイロー(2009年1月8日、他)はバークリー音楽大学で重なっているようだ(上原ひろみも)。
つづいて青山・プラッサオンゼ、TOYONO(2008年1月31日、他)をセカンド・ショウから見る。キーボード、ギター、電気ベース、ドラム、打楽器を従えてのものだが、よく意思の疎通が取れた絡みはとてもいい感じ。翌日が誕生日だという彼女、メンバーからはドロンジョ様と呼ばれていたナ。そのカヴァー中心の新作『トロピコ・ユニーク』を聞いて、こんなにスウィートな歌い方が出来るのかと驚いたのだが、この晩も奔放ながらもそれを受け付いた曲面も。どんどん若返っていってください。あと、セルフ・カヴァーだと言ってやった曲がものすごくいい曲でびっくり。
青海・ゼップ東京。新作『魂のゆくえ』収録曲をかなり柱に据えてのツアー中だが、実はこの日が新作の発売日とか。つまり、事前に新曲を聞かず、ライヴの場で初めてそれらに触れているファンも少なくないはず。ほう。それはそれで、新鮮にして多大な感興を得られるはずだが。
びっくりしたのは、岸田繁(ギター、歌)と佐藤征史(ベース)のメンバー二人にサポートのボボ(ドラム)、その3人で全編やったこと。NY録音(ながら、録音参加者は全員日本在住の日本人で、エンジニアだけがニューヨーカー)の新作はけっこうキーボード音(使われ方は極めて旧来のポップ/ロック文脈に依る。くるりのレーベルからソロ作を出している、世武裕子が弾いていた)が耳に残る仕上がりだったのに。でも、今回彼らを取材したこともありけっこう新作を聞き込んだぼくの耳にもストレートなギター・サウンド・ヴァージョンはいっさい違和感を覚えず。佐藤とともに、けっこうコーラスもしていたドラマーはいい叩き口を持つ人。後で、彼が在籍している54-71というバンドをチェック。ちょいドン・ヴァン・ヴリート(キャプテン・ビーフハート)を意識したようなヴォーカリストの味はぼくには過剰すぎるが、なるほどしゃきっとした気持ちのいいドラムの音がそこにも認められた。
てなわけで、原点に立つような、最小限のロック・バンド・サウンドで堂々勝負。機械/プリセット音の使用も一切なし。でも、いいメロディやコード使いとそれに合う言葉を伴う楽曲を適切なギター演奏とともに繰り出す様には、ロックはこれでいいのダと思わせられたかな。実際、岸田はいいギター弾き。単音弾きのギター・ソロをやったのは元気な新曲「ベベブ」だけ(ぼく、この曲の冒頭部を聞くと、ザ・バンドの「シェイプ・アイム・イン」を思い出す)で、あとは基本複音弾きで豊穣に勝負していて、それにはおおきく共感。先のライヴ盤の京大西部講堂サイドでぼくが大好きなザ・グルーヴァーズの藤井一彦をサポート・ギタリストに据えていたのも逆説的に納得した。とにかく、やっぱ確かなロック感覚を持っていると思う。ほとんどしないのでいいけど、MCだけはぼくにはNG。あれ、やっぱりロック度落ちます。
アンコールで、3人は突然演歌をぶちかます。「津軽海峡冬景色」の1コーラスをざっくり。もう、場内沸く。そしたら、その曲をヒットさせた石川さゆりが洋装で出てきて、一緒にお話コーナーを。ここ2年、くるりが9月に畑違いの人も呼んでやっている野外イヴェント“京都音楽博覧会”に、こんど石川が出るのだという。その後も、リクエストの声をもとに2曲演奏したりで、全部で2時間20分ぐらいのショウだった。
びっくりしたのは、岸田繁(ギター、歌)と佐藤征史(ベース)のメンバー二人にサポートのボボ(ドラム)、その3人で全編やったこと。NY録音(ながら、録音参加者は全員日本在住の日本人で、エンジニアだけがニューヨーカー)の新作はけっこうキーボード音(使われ方は極めて旧来のポップ/ロック文脈に依る。くるりのレーベルからソロ作を出している、世武裕子が弾いていた)が耳に残る仕上がりだったのに。でも、今回彼らを取材したこともありけっこう新作を聞き込んだぼくの耳にもストレートなギター・サウンド・ヴァージョンはいっさい違和感を覚えず。佐藤とともに、けっこうコーラスもしていたドラマーはいい叩き口を持つ人。後で、彼が在籍している54-71というバンドをチェック。ちょいドン・ヴァン・ヴリート(キャプテン・ビーフハート)を意識したようなヴォーカリストの味はぼくには過剰すぎるが、なるほどしゃきっとした気持ちのいいドラムの音がそこにも認められた。
てなわけで、原点に立つような、最小限のロック・バンド・サウンドで堂々勝負。機械/プリセット音の使用も一切なし。でも、いいメロディやコード使いとそれに合う言葉を伴う楽曲を適切なギター演奏とともに繰り出す様には、ロックはこれでいいのダと思わせられたかな。実際、岸田はいいギター弾き。単音弾きのギター・ソロをやったのは元気な新曲「ベベブ」だけ(ぼく、この曲の冒頭部を聞くと、ザ・バンドの「シェイプ・アイム・イン」を思い出す)で、あとは基本複音弾きで豊穣に勝負していて、それにはおおきく共感。先のライヴ盤の京大西部講堂サイドでぼくが大好きなザ・グルーヴァーズの藤井一彦をサポート・ギタリストに据えていたのも逆説的に納得した。とにかく、やっぱ確かなロック感覚を持っていると思う。ほとんどしないのでいいけど、MCだけはぼくにはNG。あれ、やっぱりロック度落ちます。
アンコールで、3人は突然演歌をぶちかます。「津軽海峡冬景色」の1コーラスをざっくり。もう、場内沸く。そしたら、その曲をヒットさせた石川さゆりが洋装で出てきて、一緒にお話コーナーを。ここ2年、くるりが9月に畑違いの人も呼んでやっている野外イヴェント“京都音楽博覧会”に、こんど石川が出るのだという。その後も、リクエストの声をもとに2曲演奏したりで、全部で2時間20分ぐらいのショウだった。
アトラス・サウンド、アクロン/ファミリー、ディアハンター
2009年6月8日 音楽 渋谷・O-ウェスト。もう、超満員。ココロあるロック愛好者がいいっぱいいるゾと思えて、なんか胸を撫で下ろす。
まず、ディア・ハンターのシンガー・ギタリスト、ブラッドフォード・コックスがソロ・パフォーマンスする。アトラス・サウンドと名乗りアルバムも出している彼だが、響くエレクトリック・ギター・サウンドに詠唱とも言いたくもなる、透明度の高い漂う声をのせる。好マッチなその一人パフォーマンスは一部シガー・ロスなんかも想起させるところもあったか。
続いては、NYブルックリンで結成された自由自在バンド(かつてはフリー・フォークなんても言われたけど、今はきっちりサウンド重視)のアクロン/ファミリーの出番だが、その前にスライ&ザ・ファミリー・ストーン(2008年8月31日、9月2日)の曲が延々と流される。その09年新作『セッテム・ワイルド、セッテム・フリー』のジャケット・カヴァーはスライの『暴動』を想起させるものがあったわけだが……。確かな歌心を柱に好奇心たっぷりにあちこちに行く様に、ぼくはヨ・ラ・テンゴ(2007年2月19日、他)を思いだしたりも。とにかく、広がりかたは鮮やかで、もろにロック・バンド編成でアフリカ音楽をやっているような曲もあれば、80年代初頭のトーキング・ヘッズのファンキー路線を思い出させる曲もアリ。彼らは人力音勝負だがサウンドのリフと肉声がおいしく拮抗する局面にはアニマル・コレクティヴ(2008年3月18日)がちらりと頭をかすめたり……。なるほど、『Meek Warrior』(Young God,04 年)では激腕フリー・ジャズ・ドラマーのハミッド・ドレイク(2004年6月9日)を迎えたことがあるのも納得ですね。実は混んでいてほとんど見えなかった(楽器持ち替えたりもしたのかな?)。でも、音だけでもあまりにうれしい感興を受けたし、今年のトップ級のロックのライヴ・ギグになると確信できました。
そして、ジョージア州アトランタで組まれた4人組のディアハンターが出てくる。誠実に、やはり歌心に満ちた音響ギター・ロックを披露。ツアーに誘われるなどトレント・レズナーに気に入られていることでも知られるが、シューゲイザーっぽい行き方のなかに心の嵐や心智が存在するか。ぼくはアクロン/ファミリーのほうが気に入ったけど、彼らも聞くにおおいに値するバンドだった。
まず、ディア・ハンターのシンガー・ギタリスト、ブラッドフォード・コックスがソロ・パフォーマンスする。アトラス・サウンドと名乗りアルバムも出している彼だが、響くエレクトリック・ギター・サウンドに詠唱とも言いたくもなる、透明度の高い漂う声をのせる。好マッチなその一人パフォーマンスは一部シガー・ロスなんかも想起させるところもあったか。
続いては、NYブルックリンで結成された自由自在バンド(かつてはフリー・フォークなんても言われたけど、今はきっちりサウンド重視)のアクロン/ファミリーの出番だが、その前にスライ&ザ・ファミリー・ストーン(2008年8月31日、9月2日)の曲が延々と流される。その09年新作『セッテム・ワイルド、セッテム・フリー』のジャケット・カヴァーはスライの『暴動』を想起させるものがあったわけだが……。確かな歌心を柱に好奇心たっぷりにあちこちに行く様に、ぼくはヨ・ラ・テンゴ(2007年2月19日、他)を思いだしたりも。とにかく、広がりかたは鮮やかで、もろにロック・バンド編成でアフリカ音楽をやっているような曲もあれば、80年代初頭のトーキング・ヘッズのファンキー路線を思い出させる曲もアリ。彼らは人力音勝負だがサウンドのリフと肉声がおいしく拮抗する局面にはアニマル・コレクティヴ(2008年3月18日)がちらりと頭をかすめたり……。なるほど、『Meek Warrior』(Young God,04 年)では激腕フリー・ジャズ・ドラマーのハミッド・ドレイク(2004年6月9日)を迎えたことがあるのも納得ですね。実は混んでいてほとんど見えなかった(楽器持ち替えたりもしたのかな?)。でも、音だけでもあまりにうれしい感興を受けたし、今年のトップ級のロックのライヴ・ギグになると確信できました。
そして、ジョージア州アトランタで組まれた4人組のディアハンターが出てくる。誠実に、やはり歌心に満ちた音響ギター・ロックを披露。ツアーに誘われるなどトレント・レズナーに気に入られていることでも知られるが、シューゲイザーっぽい行き方のなかに心の嵐や心智が存在するか。ぼくはアクロン/ファミリーのほうが気に入ったけど、彼らも聞くにおおいに値するバンドだった。
100ゴールド・フィンガーズ
2009年6月7日 音楽 公演表題が示すように、10人の名のあるジャズ・ピアニストが一堂に会する出し物、今回で11度目を数えるようだが、ぼくはこれまで行ったことがなかった。リピーターも少なくないのだろう、客の年齢層はそうとうに高い。リタイア世代、多数だったかな。会場は五反田・ゆうぽうとホール、10何年かぶりに行く。ステージにはグランド・ピアノ2台とウッド・ベースとドラムが置かれている。PAは用いているようだが、それらの音は結構小さめだ。
ジュニア・マンス、シダー・ウォルトン、ジェラルド・クレイトン、ドン・フリードマン、山中千尋、サイラス・チェスナット、ジョアン・ドナート(2008年8月22日)、ベニー・グリーン(2006年1月26日)、ケニー・バロン(2001年11月20日、2009年1月7日)、テッド・ローゼンタール(2005年7月10日)、という28年から84年生まれまでの10人のピアノ弾きが登場。ボブ・クランショウ(ブーストさせた縦ベースの音には幻滅。1999年7月15日参照)と何より晩年のビル・エヴァンスをサポートしたことで知られるジョー・ラ・バーベラ(当初、告知されていたグラディ・テイトが体調不良とかで急遽代わる)というリズム隊のサポートのもと、次から次へと出てきてトリオか、ピアノスト2〜3人+リズム隊か、ピアノ・ソロで演奏。レパートリーはスタンダード群が主。出演者は多くても弾くのは2曲まで、せわしない。10人という人数はいかにも多すぎ、10人とうたったほうがはったりが利いていいのかもしれないが、ちゃんとピアニストの個を大切に出させてあげようとするなら、ピアニストの数は6人までが適切ではないか。ただ、地方公演など複数あって、ピアニストの組み合わせ/設定や演奏曲は臨機応変に変わるらしい。
そんななか、異彩を放っていたのが、ブラジル人のジョアン・ドナート。彼はまずトリオで、自分が作った有名曲「カエルの歌」を歌を交えて、ユーモラスに演奏。もう、一気に会場の空気が和み、温かい空気が流れる。彼はもう1曲ドン・フリードマン(だったかな)と一緒に演奏したが、はっり言って純粋なピアノ技量は彼が一番下だったろうが、一番客にアピールしていたのも彼(皆、正装するなか、彼だけ少しラフな格好)だった。一番若く一番無名だったクレイトンはダイアナ・クラールのバッキングなんかで知られるジョン・クレイトンの息子で、ドレッド頭の混血長身イケ面くん。山中(オフマイクで少し話したが、ぜんぜん聞こえなかった)と一緒に弾くとともに、彼はソロで1曲端正な演奏を聞かせた。
最後には全員出てきて、エリントンの「A列車で行こう」を入れ替わり立ち代わり演奏。その際、弾かないピアニストたちは後ろにずらりとならんで手拍子をしながら、笑顔で見守る。主催者はその絵がほしくて(確かに、ヒネたぼくでも悪くないと思えた)、不毛に多くのピアニストを呼んいるのか。公演後、ホワイエには弾いた人の名前と曲名が書かれた紙が張り出されていて、それは親切。だが、本当に親切にしようとするなら、登場時にきっちり名前を紹介するべきだろう。前に座っていた人たち、あれ誰なのとか演奏者が変わるたびに話していました。
ジュニア・マンス、シダー・ウォルトン、ジェラルド・クレイトン、ドン・フリードマン、山中千尋、サイラス・チェスナット、ジョアン・ドナート(2008年8月22日)、ベニー・グリーン(2006年1月26日)、ケニー・バロン(2001年11月20日、2009年1月7日)、テッド・ローゼンタール(2005年7月10日)、という28年から84年生まれまでの10人のピアノ弾きが登場。ボブ・クランショウ(ブーストさせた縦ベースの音には幻滅。1999年7月15日参照)と何より晩年のビル・エヴァンスをサポートしたことで知られるジョー・ラ・バーベラ(当初、告知されていたグラディ・テイトが体調不良とかで急遽代わる)というリズム隊のサポートのもと、次から次へと出てきてトリオか、ピアノスト2〜3人+リズム隊か、ピアノ・ソロで演奏。レパートリーはスタンダード群が主。出演者は多くても弾くのは2曲まで、せわしない。10人という人数はいかにも多すぎ、10人とうたったほうがはったりが利いていいのかもしれないが、ちゃんとピアニストの個を大切に出させてあげようとするなら、ピアニストの数は6人までが適切ではないか。ただ、地方公演など複数あって、ピアニストの組み合わせ/設定や演奏曲は臨機応変に変わるらしい。
そんななか、異彩を放っていたのが、ブラジル人のジョアン・ドナート。彼はまずトリオで、自分が作った有名曲「カエルの歌」を歌を交えて、ユーモラスに演奏。もう、一気に会場の空気が和み、温かい空気が流れる。彼はもう1曲ドン・フリードマン(だったかな)と一緒に演奏したが、はっり言って純粋なピアノ技量は彼が一番下だったろうが、一番客にアピールしていたのも彼(皆、正装するなか、彼だけ少しラフな格好)だった。一番若く一番無名だったクレイトンはダイアナ・クラールのバッキングなんかで知られるジョン・クレイトンの息子で、ドレッド頭の混血長身イケ面くん。山中(オフマイクで少し話したが、ぜんぜん聞こえなかった)と一緒に弾くとともに、彼はソロで1曲端正な演奏を聞かせた。
最後には全員出てきて、エリントンの「A列車で行こう」を入れ替わり立ち代わり演奏。その際、弾かないピアニストたちは後ろにずらりとならんで手拍子をしながら、笑顔で見守る。主催者はその絵がほしくて(確かに、ヒネたぼくでも悪くないと思えた)、不毛に多くのピアニストを呼んいるのか。公演後、ホワイエには弾いた人の名前と曲名が書かれた紙が張り出されていて、それは親切。だが、本当に親切にしようとするなら、登場時にきっちり名前を紹介するべきだろう。前に座っていた人たち、あれ誰なのとか演奏者が変わるたびに話していました。
リリー・アレン。KIKI BAND
2009年6月5日 音楽 あれ、地味な格好してんじゃん。と、思ったら、顔にはインディアンのようにラインを入れていたりして。渋谷・O-イースト、けっこう混んでいました。ぼくが前見た(2007年1月12日)ときとは、バンドの顔ぶれを変えているかな。そして、前よりも普通っぽいバッキングだと感じたのは、このUKキャラ立ち女性歌手の2作目の仕上がりが普通ぽくなっちゃたことと関係アリか。それは全曲プロデュースし全曲共作もしている売れっ子グレッグ・カースティン(2007年4月25日)が他の仕事でもいろいろ蓄積を吐き出しすぎて、そのプロダクツが薄くなってきているからではないのか(というようなことを、知人と少し話す)。普通のポップ・フィールドで、ちょいおきゃんに振る舞うアレンの図。それでも浮き上がるポップスの華はあるわけで、すんなり見れました。
そして、南青山・月見ル君想フで、リード奏者の梅津和時(2009年2月8日、他)が中心となるロッキシュな(プログ・ロック的とも言える)インスト4人組、KIKIバンドをセカンド・ショウから見る。まず、音のデカさにびっくり、すげえナいい歳こいてこの音量で毎日やっているのは(彼らはずっとツアー中)。やっている事はぼくの想像を超えるものではなかったが、大志と正義と心意気あるものであるのは間違いない。唯一の米国人メンバー、エリオット・シャープ他とやっているドラマーのジョー・トランプは愛想の良い人だな。アンコールは忌野清志郎に捧げて、このツアー中にずっと最後に演奏しているという、梅津作の少しソウルっぽいスロウ。万感の思いをのせる。付き合いの長い彼はお葬式のとき、お棺を持ったんだってね(と、飲んだときに、お葬式を報じるニュース番組にあのスキンヘッドがちゃんと映っていたと言ってた人がいた)。………。
そして、南青山・月見ル君想フで、リード奏者の梅津和時(2009年2月8日、他)が中心となるロッキシュな(プログ・ロック的とも言える)インスト4人組、KIKIバンドをセカンド・ショウから見る。まず、音のデカさにびっくり、すげえナいい歳こいてこの音量で毎日やっているのは(彼らはずっとツアー中)。やっている事はぼくの想像を超えるものではなかったが、大志と正義と心意気あるものであるのは間違いない。唯一の米国人メンバー、エリオット・シャープ他とやっているドラマーのジョー・トランプは愛想の良い人だな。アンコールは忌野清志郎に捧げて、このツアー中にずっと最後に演奏しているという、梅津作の少しソウルっぽいスロウ。万感の思いをのせる。付き合いの長い彼はお葬式のとき、お棺を持ったんだってね(と、飲んだときに、お葬式を報じるニュース番組にあのスキンヘッドがちゃんと映っていたと言ってた人がいた)。………。
クーパ、ヘイ・マンディ、メトロ・ステーション
2009年6月4日 音楽 渋谷・クラブクアトロ、海外バンドが3つも出た公演。順に、英国エセックスで結成されたトリオ編成のがっしりしたポップ・パンク・バンド、20歳という痩身小柄な女性シンガーを中央に置く米フロリダ州出身の新進ポップ・ロック・バンド、ずっこけた風情を持つLAの変てこシンセ・ポップ・バンドと書けるか。音が一番しっかりしていたのはクーパ、途中でヘイ・マンディのメンバーが出てきて1曲ベースを弾く。ヘイ・マンディはほほえましい若年層向きアイドル歌謡ロックと言え、おやじがシノゴ言ってもしょうがないでしょう。頑張ってネ。ギターを持ちながら歌う長髪男性二人(うち、一人は有名ロッカーの息子とか)がフロントに立つメトロ・ステーションはいろんな意味で妙。歌謡曲/芸能界度数が高いともぼくは書きたくなり、オーディエンスから受けている様を見て今の聞き手がロックに求めているものが変わってきているのかとも思った。長年にわたるロック愛好から来る考え方で、ステレオタイプな見方をするのだけはやめよう、なるべく大多数側には付きたくない、なぞと常々思っているぼくはできるだけおもしろがって柔軟にロックに接しよう(基本、傍系モノが好きなのは、その表れでしょう)としているわけだが、そのちゃらさはぼくのそうした受容態度を超えるもの、楽しめなかった。
ソウル・サンバ派というか、ブラジルとアメリカの音楽語彙の間を自由に行き来するブラジルの黒人女性シンガーの公演は、渋谷・デュオ。ステージ上にはプレイヤーや二人の女性コーラスなど、11名がずらり。うち、音楽監督的なこともやっていたろう格好いいギタリストとリズム隊(うち、ベーシストのマルセロ・マリアーノは先日のオスカー・カストロ・ネヴィスのブルーノート公演〜2009年5月1日〜で来たばかりとか)は来日組で、他の人たちは在日ブラジル人のよう。なんか、我らの輝くシンガーを内外同胞がめいっぱい笑顔で盛り上げるという感じがあったかな。
そんなふうに感じてしまうのは、やっぱしリマ嬢のうれしい佇まいに導かれるところが大。本当に心から日本でショウを出来るのが、日本人の前で歌えるのがうれしくてしょうがないという純真を鮮やかに出していたから。それにつられて観衆も、熱い思いを返す。うれしい気持ちの交換がありました。でもって、やっぱり歌自体が良い。もう、接する者をノックする。ときに、想像していた以上に“米国フュージョン+女性ヴォーカル”みたいな行き方も聞かせたが、それでもまあOK。やっぱ、その根底にはブラジルという土地が培ってきた美味しい凸凹があったもの。
歌えることって素敵、って感じを本当に出せる人だな。浮き上がる、なんともポジティヴなキラキラした輝き。わあ。そして、それはブラジル音楽を普段聞かない人にも十二分に訴求する味であったと確信する。十年後にすごく天真爛漫に歌える女の子が出てきて、実は偶然パウラ・リマという歌手を聞いたのがきっかけで……なんて話を聞くのを、ぼくは夢想した。流れ流れた先で、彼女が38歳と聞いてびっくり。けっこう可愛らしいし、もっと若いと思っていた。いろんな意味で、物差しを超えているキャラ有りシンガーでした。
そんなふうに感じてしまうのは、やっぱしリマ嬢のうれしい佇まいに導かれるところが大。本当に心から日本でショウを出来るのが、日本人の前で歌えるのがうれしくてしょうがないという純真を鮮やかに出していたから。それにつられて観衆も、熱い思いを返す。うれしい気持ちの交換がありました。でもって、やっぱり歌自体が良い。もう、接する者をノックする。ときに、想像していた以上に“米国フュージョン+女性ヴォーカル”みたいな行き方も聞かせたが、それでもまあOK。やっぱ、その根底にはブラジルという土地が培ってきた美味しい凸凹があったもの。
歌えることって素敵、って感じを本当に出せる人だな。浮き上がる、なんともポジティヴなキラキラした輝き。わあ。そして、それはブラジル音楽を普段聞かない人にも十二分に訴求する味であったと確信する。十年後にすごく天真爛漫に歌える女の子が出てきて、実は偶然パウラ・リマという歌手を聞いたのがきっかけで……なんて話を聞くのを、ぼくは夢想した。流れ流れた先で、彼女が38歳と聞いてびっくり。けっこう可愛らしいし、もっと若いと思っていた。いろんな意味で、物差しを超えているキャラ有りシンガーでした。