親指ピアノ奏者率いるトリオ・バンドのアルバム・リリースをフォロウするライヴ。前回見たとき(2008年9月12日)もそうだったので、新作『Oi!Limba』は2年ぶりのものとなるのか。南青山・月見ル君想フ。よんどころない用事があって、20時半を回って会場入りしたのだが、ちょうど始まったところ。ニっ。

 バンド員に顔触れに変更があるのかないのかは?だが、リズム隊はシャープ。彼らはコーラスも付ける。ヴォーカルに効果が噛まされるときはあったが、今回サウンド音にダブ的な処理はなかったのでは? 前回、サカキは足に鳴りモノを付けてその音も出していたが、今回は歌と親指ピアノに専念。やっぱ、声は朗々。曲により持つ親指ピアノを代えつつ、巧みに言葉をのせた歌を響き渡らせる。親指ピアノたる反復音が基調になるため、曲は1コード/リフ(1曲、マーヴィン・ゲイの「インナー・シティ・ブルース」のベース・リフみたいなものもあり)が基調、ようは西洋ポップ音楽見地においては単調にならざるをえないのだが、それを楽器音の噛み合いや肉声の力などで、延々聞かせ切るのはすごい。まあ、考えようによっては、彼は本当に困難な壁を登っているのだが、それを飄々楽しんでいる風情があるのも魅力的。鹿児島弁を応用したラップ曲などもあり。なんか、MCはマギー司郎みたいだなと思わせるボケを持つ?

<今日の探し物>
 親指ピアノの存在をちゃんと知ったのは、E.W,&F.の表現を聞いてか。モーリス・ホワイトはそれ以前にサイド・マンとして関わっていたラムゼイ・ルイスのアルバムでもポロポロやっている(60年代中期ごろ)ので、相当前から親指ピアノに目を向けていたのだよなー。その目映い光を放つ、不思議な広がりを醸し出す楽器の存在を知ったときにはとても未知のものに触れた気がして心弾んだ。その後、現物を知ったら、こんなにプリミティヴな楽器なのかと驚いた。友人から小さな親指ピアノをもらった時は、ほんとうれしくてぽろろんぽろんと爪弾いていたっけ。でも、ぼくはそれで終わり(サカキはそれで終わらぬ、クリエイティヴな人であったのだろう)、楽器は棚の上に放置されることとなった。深夜、家に帰って暫くぶりに触ってみようかと思ったら、あるはずのところにない。あーあ。

ジューサ

2011年10月3日 音楽
 えええ、キューバ人広角型シンガー・ソングライターのジューサ(2005年11月4日)って、こんなにも味がいい人だっけ? 丸の内・コットンクラブ。

 だいぶ太ったというのはともかく、ギターを爪弾きながらちょい歌ったでけで、岩に染み入るような滋味や瑞々しさが鮮やかにさあっと広がる。もう、一発で息を飲み、ワワワとなっちゃったな。現在はアルゼンチンで音楽活動を続けているという彼女だが、ギター、ベース(一部、ウッド・ベースも弾く)、ドラムというバッキングの面々はキューバとアルゼンチン人が混在しているよう。みんな腕がたち鋭敏、全員で呼吸し合っている感じが出てもいて、いい伴奏者たちであったな。

 前はミシェル・ンデゲオチェロ風とかジョニ・ミッチェル風とか言える感じでもあったと記憶するが、この晩の凛として、ときに弾みや流動性もおおいに抱えるパフォーマンスはまさにジューサ流というしかないもの。で、抱える音楽語彙は広いし、クールな一方温もりも持つし、なんとも血の通った人間的な実演という思いも抱いちゃう! しかし、歌も訴求力あったし、ギターも上手いし、すごいミュージシャンだな。でもって、本来の楽器であったはずのベースを弾きながら歌う曲やカホーンを叩きながら歌い始める曲もあったりとか(1曲、英語の曲も歌った)、彼女のいろんな様を見せようとしていたところもいい。新作はライヴ盤だが、その5倍はいいな。今回の音源が商品化されたらいいのにとも、思った。

<今日のびっくり>
 え。わ。詳細は秘密。わるいことではないです。

 公演を3つハシゴ。地下鉄の乗り継ぎや駅と会場の距離等を鑑み会場移動はタクシーを使用、結果、なんとか可能でした。

 まず、丸の内・コットンクラブで、84年生まれの真性ジャズ・ピアニスト、ジェラルド・クレイトンのトリオを見る。ファースト・ショウで19時スタート。著名ベーシストのジョン・クレイトンを父に持つクレイトン(2009年9月3日、他)は肌がココア色で髪型がドレッド・ロックス。短髪眼鏡のベーシストのダグ・ワイスは白人中年、アフリカ系のドラマーのオベッド・キャルヴェアはやんちゃなブレイズ頭、トリオの見てくれは三者三様。それ、アルバムにおけるトリオとは違う顔触れだが、噛み合いはなかなかにいいもんがあった。

 オリジナル曲にしろ、スタンダードにしろ、1曲はかなり長め。自在の指の這わせ具合に触れつつ、アルバムで披露している以上に内に抱えるピアノ語彙が広いと痛感。どこかストライド・ピアノ奏法とのつながりを感じさせるものからブラッド・メルドー(2005年2月20日、他)以降の現代ピアノ流儀までを、自在に行ったり来たり。本当に参照する世界が広く、その語彙の交換は1曲のなかで思うままされるのだが、その流れがまるで潮の満ち引きのような感覚のもとなされるので、全然せわしなくもなくナチュラルで気持ちいい。リズム隊もそんな彼のピアノ演奏に沿って、いろんな入り方(だから、途中でピアノのソロ演奏になったりとかもする)や絡みを見せる。閃きや自分でありたいという身持ちがよく整理され、かつトリオというフォーマットで練られた、優秀な現代ジャズ・ピアノ表現。そんなにビートが効いたことをするわけではないが、<潮の満ち引き>と先に書いたような抑揚や流れがあるので、接していて気持ちよく身体が揺れて仕方がなかった。本編70分を聞いて、20時開演の次の会場に移動。

 赤坂・ブリッツでの公演は、90年代ちょい半ば以降前線で活躍してきている、米国西海岸白人業師のDJシャドウ(2003年3月25日、2006年8月13日)。“シャドウスフィア”と名付けられた、円形大オブジェを用いた設定のショウで昨年から評判を取っていたものの、2011 年度版のそれ。なるほど、中にDJ機材を組み組み込んだ球体をステージ中央に置いての、音と映像が一体化した、新奇で圧倒的に接する者の五感を刺激する出し物が繰り広げられた。最後には、映画のエンドロールのように、関わった人のクレジットが流される。それ、いろんな人の英知と苦労の結晶でもあるんだろう。

 球体とステージ背景に映し出される映像の噛み合い、息を飲ませる訴求力はなんと言っていいものやら。球体は前面が空く場合もあり、その際は音をオペレートするDJシャドウの姿を確認できる。たまに打楽器パッドを叩いたりもした彼がどんな機械扱いのもと音を送り出しているかはよく判らないが、基本の流れは決まっているのだろうけど、その場で音を臨機応変に作り出している(下敷き音はプリセットだが、上乗せ音はその場で出している場合も少なかったんではないか)感じがあるのがいいし、何より出て来るDJ音は刺激的にして味がある。やっぱ、腕と音楽ココロあり。でもって、そこにあっと驚く設定を持つバカみたいに高水準の映像が寄添うのだから、これは降参するっきゃない。もー、体験。ショウは21時半に終了、頭の20分は見れなかったが、僕は存分に楽しんだ。流石すぎる。なお、その映像のパッケージの凄さに関して、ぼくは見てないから判断がつかないが、マイケル・ジャクソンの「キャプテンEO」を凌駕しているという感想をもらす人もいました。

 そして、南青山・ブルノート東京にセカンド・ショウ開始10分後に飛び込む。結果、1時間ちょい見れた。出演者はタニア・マリア。<ブラジルの爆発感や天衣無縫さ>と<ジャズの流動性や飛翔感>を巧みに交錯させるシンガー/ピアニストだ。

 お、前回(2009年8月18日)より、なんか精気があり、グっと来るじゃないか。それについては、前回はトリオによるものだったが、今回はさらに打楽器奏者が加わっていたこともプラスに働いているんじゃないか。もう、ぐつぐつごんごん。その嬉しい唯我独尊ぐあいに触れ、それってジェイムズ・ブラウンのそれと重ねてもいいものではないのか、とも、酔っぱらったアタマでほんわか思う。いや、やはり逸材。顔や風体はしぼんだけど、朽ちていない。


<今日のニュース>
 アップル社のCEOだった人物がなくなった。けっこう、まわりが騒いでいる。マック・ユーザーじゃない人もそうなので、功績のある人なのだろう。ぼくは90年代中期からマックを何台も買い続けているが、あ、そーですかという感じ。PC、まるで詳しくないしね。アップルを使っている最大の理由はウィンドウズよりシンプル(そう)で、ウィルスに悩まされることがないからであるし。人間は必ず死ぬ、もの。図太いほうでもないと思うし、ぼくは人の死についてなるべく深く受けとめないようにしているということはあるのだが、別に思いはわかない。好奇心が下敷きとなるアップルが送り出した諸々で、我々の生活はおおきく変わった。ぼくはPCだけで、i-ポッドもi-フォンも使っていない。前者はイアー/ヘッド・フォンが大嫌いな事、後者は使いこなせるはずがないから、持とうとは思わない。携帯の充電を2〜3日に一度しかしない人間だと、すぐに電池切れになるだろうし。あ、後者に関しては、コンサート中も人と会っているときものべつまくなし画面をのぞく無礼で寂しいi-フォン・ユーザーをいろいろ見てケーベツしているからというのもあるか。もちろん、机の前のマックがなかったら、ぼくは仕事ができなくなる。が、どこかで、この便利さ、効率の良さに疑問を感じているのか? と、思うのも、止まったじじいのようで悲しい。

デジタリズム

2011年10月7日 音楽
 ドイツのハンブルグの2人組機械仕掛け音楽ユニット、渋谷・アックス。今年あたまのほうのイヴェント出演、フジ・ロック・フェスティヴァル出演に続く、今年3度目の来日となる。けっこう入っていて、客はかなり熱心に反応する。人気あるんだなー。フジのパフォーマンスを見た人の話によると、この日のほうがずっと良かったそう。

 ステージの向かって右手に機材が配置され、2人はそこで音を操る。そして、左側にはドラム・セットが置かれ、ドラマーがダンサブルなデジタル・ビートに生音を加える。そのドラミングはまこと芸がなくフツー、活きた音を我々は出したいんですという気持ちを出すためにいるんだなと思わせる。ライヴの視覚効果としては、アリです。

 反復基調のインストゥメンタルが主体ながら、ロック・バンド的で、3分の1の局面では1/2が出てきて、甲高い声で歌う。やっぱりそこだよな、彼らのポイントは。明解な快楽的ビート・ポップの機械経由の今様展開。その陽性の実演に触れていると、感想はそれにつきる。メンバーもう一人の髭面のあんちゃんは音にあわせて腕を振ったり、Vサインを臆面もなく掲げたりも。そういえば、ステレオタイプな見方をすれば、彼らはドイツ人なのに(ルックスはなんとなく、信号待ちしているときにちゃんとエンジンを切る様が似合う気も)理屈っぽくなく、気安く、即物的。それもまた、よき隣人のダンサブル・ポップとしての受け入れ易さを確実に高める。

 アンコールを含め85分ほどでショウは終了。すると、それまで反応していた観客はすぐにおとなしくなり、退出をはじめる。それ、少しぼくには奇異に感じるもの。それも、一つの今のワカモノ群像? でも、そのメリハリある享受の様も、つかの間の楽園、一時の祭祀、という印象をたかめるもんではありました。


<今日の、所感>
 夕方から浜松町で取材。大江戸線大門駅から行くと言う手もあったが、素直に山手線で行く。そしたら、線路に人が入ったとのことで、品川で電車が止まる。それは並走している京浜東北線も同様。少し早目に出ているし、それほど時間がかからず動くだろうと呑気に車内にすわっていたが、動く気配はない。うぬ、今さら駅を出てタクシーで向かおうとしてもおそらくタクシー乗り場はすごい列になっているはずだし……。判断が甘かったかと思ったら、京浜東北線のほうが動き始めて事なきを得る。が、本当にありゃあとなったのはこの後。なぜかこの日は魔が差したように、録音機を持たずに出てきてしまった。わー、ぼくの長いフリーランス歴において、そんなこと初めて。結局、録音機を持っている人がいてことなきをえたのだが、その顛末を受けて思ったことが一つ。レコーダー機能もあるし、スマート・フォンに代えようか? 昨日と書いていることが、全然違うやんけ。はあ〜。

 日本を代表するグルーヴ・ドラマーである沼澤尚(2010年1月12日、他)の交友関係を軸とする、米日の奏者が組んだファンク・バンド(2000年2月14日、2001年6月29日、2003年2月11日)、久しぶりの公演。基本の編成はアルト・サックスとトロンボーンの二管(ザ・クルセイダーズ;2005年3月8日、と同じですね)に、鍵盤、ギター、ベース、ドラムという編成。今回、トロンボーンとギターが変わっているが、それはまあ些細なこと。で、今回は沼澤がLA居住時に組んでいた13キャッツのメンバーで、13キャッツ解散後はずっとサンタナに入っているカール・ペラッゾ(打楽器)が入っている! 彼に対する拍手、大きかったナ。六本木・ビルボード東京、ファースト・ショウ。

 進行役/リーダーシップを取るのは、リード・ヴォーカルも取る、80年代中期にはプリンス(2002年11月19日)・バンドにいたサックス奏者のエディ・Mがこなす。彼、ぜんぜん老けないな。あ、でも、サウンドのまとめ役は日本人の1/2である森俊之((2009年1月16日、2010年5月23日、他)がやっていたのかな。米国西海岸勢で一番来日しているのはベースのレイモンド・マッキンレー(2007年12月5日、他)か?

 ジェイムズ・ブラウン(2002年11月19日)曲を中心に、ザ・クルセイダーズ、クール&ザ・ギャング、マーヴィン・ゲイ曲等、少しのひねりと多大な経験や勘を介して送り出す。そりゃ、問題ない。アンコールはペラッゾのボンゴのソロ演奏に続き、スライ・ストーン(2010年1月20日、他)の「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」〜エディ・ハリスの「フリーダム・ジャズ・ダンス」のメドレー。今回はペラッゾもいるわけだし、13キャッツの曲も1曲ぐらいやって欲しかったか。でも、コード数が多くて、他の曲からは浮く? 13キャッツのリーダー格だったメンバー3分の1のキャット・グレイは昨年ネッド・ドヒニー(2010年10月1日)の公演で来日していますね。そのキャット・グレイとカーラ・ペラッゾはペイズリー・パーク時代のシーラ・E(2011年1月19日、他)・バンドの一員だった。『ロマンス1600』(85年)の内側には王子様のような格好で化粧している写真が載っています。

<今日の祝宴>
 ライヴを見たあと、友達の結婚パーティ。仏リヨンのミシュラン3星レストランの代官山店(ヒラマツ運営)が会場、こういうのでもないと行かないよなあ。旦那さんが英国人で、まずお二人が、そして英日の親族がペアで組み合って、生バンド(小池龍平、小泉P克人、他。ヴァイオリン奏者やフルート奏者もいた)音に合わせて踊る。そして、その後はディスコな大ダンス大会になる時も。昨年スペイン女性と結婚した奴のパーティも新郎新婦で踊りを披露していたが、向こうはそれが習わしなんですよと、新郎が言っていたっけ。そういうものなのか。ともあれ、まず本人たちのもてなしのココロ、楽しんでもらおうという気持ちが、本当によく伝わる。今まで行ったなかで一番いい感じの結婚パーティかも。
 東京で知り合ったお二人は、そのまま東京在住。こういう時期だけに、ただでさえ国籍が違う者同士の結婚は手続きが煩雑なのに、よけい大変なところもなくはなかったろう。先に触れた奴は懐妊した嫁/その家族に押されて、東京を離れバルセロナに本拠地を置くことに決めた。
 仲良くしている人の趣味でも変わるのだが、昔はまあ(と言うと、語弊があるか)フレンチに行っていた。パーティの帰り際、近くにあるラ・ヴィーナスというレストランには、気にいって何度か行ったことがあるのを思い出す。コースがわりとお値打ち感があり、地下だけど開放感があった。だいぶ前に店名を変えて東銀座に引っ越しちゃったけど、今そこはループというライヴ・ハウスになっている……と、言っていた人がいたな。ぼくは、いまだ行く機会を持っていないが。

 フランスとつながりを持つ3人のアーティストが出る屋外の出し物。六本木ヒルズアリーナ。

 まず、89年生まれのアイスランド系カナダ人のキリエ・クリストマンソンがソロでパフォーマンス。基本は個の輝きあるガット・ギターの弾き語りだが、ときに手拍子をうまく用いて歌ったり、トランペットを吹いたりもする。カナダで自主リリースした2枚からの抜粋曲に新曲を加えた仏ノー・フォーマ発『星々の起源』はその普段の実演をうまくまとめたものというのがよく判る。

 続いては、テテ(2007年9月24日、他)。彼も生ギターの弾き語りによるパフォーマンス。一番印象に残ったのは、日本語のMCをときにはさんでいたこと。過去はしておらず、それは震災があり(そのため、一度来日予定がとんだ)、日本に対する思いが強くなったことと関係しているよう。彼は作ってきたTシャツも販売、その売り上げは寄付にまわすとのことだが、かなりの売り上げをしめしたそうだ。

 3番目の出演者は、アシャ(2008年9月10日、他)。ギター2、キーボード、ベース、ギター、ドラム、女性コーラスというバンドを従えてのもの。ギタリストが一人増えたために、アシャ(今回はドレッシィな格好をしていた)はほとんどギターを持たず、ヴォーカルに専念。というのはともかく、人のココロにするりと入り込んで覚醒する歌声とメロディを持つ人と改めて感じ入る。母国ナイジェリアのトラッドも本当に染みるナ。今回、彼女はポケット・トランペットを少し吹いたりもした。楽屋ではクリストマンソンとペットのお手合わせをする場面もあったようだ。終盤1曲とアンコールでは、テテも加わった。

 いい気分で渋谷下車。その後、バー・イッシーで、イタリア人アルト・サックス奏者と日本人キーボード奏者(2010年9月11日)のフリーフォームのデュオ演奏を聞く。まっとうな技量と美味しい発想が呼応し合う。

<今日のサッカー>
 子供の日、じゃねえ、体育の日か。とういうわけではないが、コンサート前に、サッカー天皇杯の試合を、駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場にて、軽い気持で見る。野外でスポーツ観戦するには一番いい気候ナリ〜。東京ヴェルディ(J2)とV・ファーレン長崎(JFL)の試合。旧ヴェルディ嫌いのぼくはもちろん長崎びいきで観戦。ながら、1-7。どひゃー。ちょいもり下がって(でも、得点シーンをたくさん見るのは楽しいナ)、六本木にむかった。

 ちょうどいい塩梅だなーと思える、爽やか秋の日。二つの映画試写会と、一つのコンサートをまわる。

 まずは、渋谷・映画美学校の試写室で、スパイク・ジョーンズの関与した2本の映画を見る。「アイム・ヒア」(32分、10年作品)と「みんなの知らないセンダック」(44分、09年作品)。彼絡みの短編が2本たまったのでカップリングし、“INVITATION from SPIKE JONZE”というタイトルで公開する(12月中旬よりユーロスペースほかで)ことになったよう。

 ビョーク(2008年2月22日、他)他のミュージック・ヴィデオ作りで名を成した米国人映画監督だが、前者は人間と共存するロボットを主人公におく、ほのぼの、ちょっとビターなラヴ・ストーリーもの。設定他もろもろとてもロマンチストで、技あり。プロだな。後者はジョーンズが実写版を撮った「かいじゅうたちのいるところ」の絵本原作者であるモーリス・センダック(1928年生まれ。ゲイだそう)との会話をまとめたドキュメンタリー。こちらは、ランス・バングスという人物との共同監督作だ。最初、センダックの話に沿った寓話風映像(ジョーンズ自身も役者で登場。それは、何気に多大な敬愛が伝わるか)が出てきたりして、映像作家としての創意工夫が出ているナとおもわせられたが、残念ながら、それだけ。こちらは何回にもわたって彼の自宅で録られたインタヴュー映像を素直に編集している。センダック好きなら興味深くてしょうがないかもしれないが、そうじゃない人にはどうか? けっこうありがちな偏屈話が並んでいる気もぼくはしたかも。偉人は凡人が想像可能範囲にある曲がったヒーローなのです、と、このフィルムは語っていると思った。

 次は新橋のTCC試写室で、09年カナダ映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を見る。残された写真や映像、様々な関係者(若き日の恋人や、中年時に3年間親しい付き合いを持った人妻やその2人の子供たちのインタヴュー映像がウリでもあるよう)の取材映像を巧みに構成したドキュメンタリー。そりゃ有名クラシック・ピアニストゆえ、その名前は知っているが、クラシック音楽/アートを気取るものをずっと忌み嫌ってきたぼくは彼の音楽をほぼ聞いたことがない。彼がカナダ人である(そして、カナダに住み続けた)のもこの映画で初めて知った。ながら、おおまかなグールド(1932〜1982年)のことは把握することができて、ありがたや。

 かなり変人で、神経症だった人。めんどくせーおやじ、とも、間違いなく言える。それゆえ、64年にライヴ活動をすることを辞めてしまい、その裏返しでレコーディングのもろもろには燃え、いろんな録音芸術の可能性を探っていたという事実にはとても興味ひかれる。また、神経質かつええカッコしいなようでいて、奔放に歌いながら無邪気にピアノを弾くのが大好きな人であったことにも。キース・ジャレット(2007年5月8日、他)のピアノを弾く際の下品なうなり声はそれに影響されている? な〜んて。動物園で滅茶苦茶な歌で動物とコミュニケートを計ろうとする映像は素敵。そんな彼ゆえ歌モノは好きだったようで、彼が人気ポピュラー女性歌手(名前失念)も大好きだったという話にはびっくり。へーえ。

 肝心のピアノ演奏に関しては、映画中でもいろいろ流れるが、オレにはよく判んねえというのが正直なところ。レコード(彼は、終生CBSコロムビアと契約した)を買いにいこうところには至らなかった。グールドというとバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の革新的演奏が何より知られるそうだが、そんなに他の「ゴルトベルク変奏曲」とは違うのだろうか。映画中で、ある人がグールドの演奏を例えて「時計を分解して、その部品をまんま用いて違うもの作り上げた」みたいな言い方をしていたが、本当にそんなに自分流に作り替えているのか? したとして、それがクラシック界では許されることなのか。いろんな疑問が広がった。この映画、10月下旬より順次公開される。

 そして、恵比寿に行って、リキッドルームで英国人新進現代ポッパー、ジェイムズ・ブレイクを見る。さすが、話題の新人、場内はもう満員。キーボードを弾きながら歌う本人に、効果音担当者とドラマーがつく。アルバムで聞ける以上に歌濃度が高く、その歌(だいぶエフェクターを介されるが)がイケる。あまりに美しく溶け合う現代流儀と普遍的な歌心。もう、最良の同時代ブルー・アイド・ソウル〜ゴスペル。もう、才ありすぎにして、それをさりげなく生の場で開く能力にもたているとも、すぐに了解させられた。その眩しい才気の広がりに触れ、これでレディオヘッド(2008年10月4日、他)はもういらないと確信した人もいたろう。たしか、最初の曲と最後の曲は電気キーボードの弾き語り。クローザーのちょっとした指使いに触れて、ブレイクはグレン・グールドのことが好きなのかともふと感じる。まあ、クラシック素養もある人なんだろうな。もー大絶賛、降参デス。←いっさい、クラブ・ミュージック文脈の言葉を用いず書いてみました。

<今日の居酒屋>
 コンサートの後は会場で会った知り合いと飲み屋に流れて、他愛ない話に花を咲かせるというのが常。そして、ぼくはそのどうってことない時間が好きなのだが、この晩は中年オトコ4人で居酒屋に。ライター3人と編集者1人、久しぶりの取り合わせだったが、かつてはこの4人で流れるというパターンが一番おおかった。ブレイクをみんな絶賛した後は、進歩のないどーでもいい話に終始する。

 取材した印象が良かったので、もう一度テテ(2011年10月10日、他)公演の前座で出てきた彼女を30分ばかし見る。静謐さとパッション姓豊かな部分を自在に行き来していると、再確認。後者の行き方を求めるさい、彼女のギターを弾く左手のストロークがまるでフラメンコのギター奏者のそれみたいだと気付く。それを指摘すると、本人も肯定した。89年生まれ、まだまだ開けられる扉は目茶あるんだろうな。ステージではピッタリしたパンツを着用したりする彼女だが、オフではミニ・スカートを履いていたりする。白い帽子をトレイドマークのように被っているが、同じのを複数もっているそう。彼女は“Too Hot to Touch”と観客に連呼させる曲があるのだが、終演後、彼女に触るふりをして“Too Hot,”とやると、ちょい受けた。

<一昨日の、キリエさん>
 取材をすると、アルバムを聞いて推測できる以上にアーティスティックな人物。その年齢以上に、しっかりしている。ニール・ヤングやジョニ・ミッチェルらを、カナダが生んでいるのはやはり意識するという。歌詞にはこだわりを持っていて、曲はすべて歌詞が最初にできるそうだ。ながら、音楽的にも得難い広がりや閃きを彼女が抱えているのは間違いない。ときに、ジャズ的因子を埋め込んだりもするが、ジャズのライヴが享受しやすい環境にあるので、とくにパリに住むようになってからはジャズに触れているとか。現在、彼女はソルボンヌ大学に通っていて、フランスの中世の女性シンガー・ソングライターの研究をしている。2年前にも彼女はその研究のため、南仏に住んだことがあった。彼女のアルバムには本人とともに2人のクリストマンソン姓の名前が出ているが、それは作家をしている父親と画家の継母の名前だそう。当初作った2作品は自宅スタジオで録られている。

 丁寧な歌い口のなかに細やかな情緒移入やジャズ愛を滲ませて好評のイスラエル系カナダ人ジャズ歌手(2010年4月9日、他)、コンボを率いての公演。そんなに大きな変化はないが、より寛いで歌うような感じもでてきているか。南青山・ブルーノート東京、ファースト・ショウ。

<今日のメガネ>
 コンタクトレンズをやめ、数年まえから眼鏡を常用するようになったが、なんと、眼鏡が真ん中からまっ二つに折れる。オレ杜撰なんで、壊したり紛失したときのために予備の眼鏡を持っていて別に困りはしなかったものの、ちょいヤな気分に。縁起とかあまり気にしない方ながら。少し、慎重に行動しよっかなと思う。だけど、すぐに忘れて、打ち合わせに臨み、ライヴ見て、飲みに流れて。いい気持ちで、午前様で帰宅して。やっぱ、何でもなく、悪いことは何もない、一日なり。

 カエターノ・ヴェローゾ(2005年5月23日)の息子さんである、しなやかクリエイター(2007年7月25日、他)の単独公演。青山・プラッサオンゼ。2008年8月に行われた同所でのソロ公演の実況盤『ソロ・イン・トーキョー』(ハピネス)がリリースされているが、そのときが、彼が生涯初めてやったソロによるパフォーマンスだったそうな。で、3年ぶりに、ファンに囲まれて、またソロで彼はパフォーマンスをした。

 まずは、パンデイロを手に、歌う。すうっと、ジューシーなゆらぎが広がる。いいな、パンデイロ。子供みたいな文章だが、なんか余分な鎧を研いでくれる実演は、ほんと素の滑らかな感想や思いを引き出してくれる。そして、それ以後はずっとガット・ギターの弾き語り、歌は裏声主体のそれで、ひたすら柔和。実は今回ブラジルからサウンド・エンジニアを連れてきたそうで、最小限の音が最良のバランスのもと、送り出されていたはず。自分の歌も他人の歌も、古い歌も、いい含みと情緒をもつものとして、ヴェローゾという個体から香り立つ。言葉にならないブラジルの素敵が舞う。うー、無理なく身体がゆれる。むー、手触りの良さに身体が融けて行く。とてもシャイ/控え目な感じでショウは進められ、また曲の長さはどれも短めなのに(ちゃんと曲説明はする。ときに、それは楽曲を大切にしているなという感想を引き出す)、それらはひたひたと雄弁。セカンド・ショウのほうはけっこう力強く歌い、ギターを弾いたときも。それから、2部の途中で、彼は<さいたさいた、チューリップの花が〜>という日本の童謡を歌い、拍手喝采をうけたりもした。なんでも、バイーア在住の彼はけっこうカタカナとか書けるんだってね。

 アンコールもまた、パンデイロを叩きながら、彼は歌う。なんともラヴリーな人であり、ラヴリーな晩。今回、彼は場所によってはゲストを迎えつつ、あと月内9公演をこなす。

<今日の、人名表記>
姓)ミンガス。モンク。ドルフィー。クラプトン
名)オーネット。カエターノ。スティーヴィ。アリサ。
 コレ、性か名か、どちらしか書かない場合の一般的な表記の例。基本的には、珍しい、特化しやすいほうのものを出す傾向にあるのだろう。で、ぼくの場合……どっちかを表記しようとする場合は、意識して、姓を出すようにしている。ファースト・ネームを出すとなあなあな感じがするので、基本ファミリー・ネームをぼくは出します。でも、ときにアンジェロ(・ムーア)のようにファースト・ネームで行くミュージシャンもいる。それは、エコヒイキしていると思われてもいい、自分にとって身近であってほしい存在の場合。多分。

 人種やジャンルを超えた中庸大衆ポップを精力的に送り出す重鎮プロデューサー、デイヴィッド・フォスターにどっぷり焦点を当てた大型公演。米国での同様のライヴ・アルバム/DVDが2種類出ているが、日本における公演も昨年に続いて2回目となるようだ。有楽町・東京国際フォーラム、ホールA。満員、客の年齢層はやはり高目かな。

 ピアノを弾き、司会進行役を務めるフォスターにプラスして、キーボード2人、ギター、ベース、ドラム。ドラマーは元ルーファスで、その後セッション・マンを務めるだけでなく、一時はけっこう売れっ子な制作者としても活動したジョン・ロビンソンだ。キーボードが2人もいるのは、弦音や管音もまかなっているから。大人の公演、ゆえに本当はそちらの音もちゃんと人を雇って出してほしかったが、予算的に無理なのだろうか。バンド音はプリセット音も併用する。

 そして、そこにフォスター絡みのシンガーが入れ替わり立ち代わり、出てきて歌う。また、フォスターと話で絡んだりする。その様はTVショウのごとし。そう思えるためか、フォスターの制作物に基本興味を持たないぼくではあり、この手のちゃらちゃらしたやりとりを好まないワタシではあるが、軽い気持ちで接することができた。それはその奥に米国芸能界のエンターテインメント流儀の積み重ねがちゃんと見えたためか。とともに、フォスターの態度にいやみがなかったためでもあったろう。なんにせよ、意外に肯定的に接する自分を自覚して少し驚いた。

 出てきたシンガーは、2000年生まれの女性お子ちゃま歌手のジャッキー・エヴァンコ、クラシック畑のラッセル・ワトソン、かつては単独で同ホールA公演を2日間やっているR&B歌手のアシャンティ(2003年10月25日)、大受けしてE.W.&F.(2003年10月12日)曲は無敵だなと思わせるフィリップ・ベイリー(2010年11月11日、他)、喉に負担がかかりそうな青筋立てた歌唱でお茶の間を制しているマイケル・ボルトン。最後には、とっくにホテルに戻ったろうエヴァンコを除いてみんな出てきて、マイケル・ジャクソン曲「アース・ソング」を代わる代わる歌う。それぞれ、歌がうまいなー。その事実についても素直に頭を垂れました。


<たまにちらり見る、アンディ・ウィリアムズ・ショー>
 原稿仕事に飽きたとき、気分転換で、ときにTVをつける。前にも書いたように、地デジ未対応ゆえ、モニターに映るのは光通信で送られるチャンネル群。そのなかの一つのチャンネル銀河(普段は大河ドラマとかNHKの番組放映も少なくないよう)では、60年代に米国では流れていたアンディ・ウィリアムズ・ショウをやっている時があって、わざわざ時間を合わせて見る事はしないが、TVをつけた際にやっていると、見てしまう。ウィリアムズについてはアメリカのMOR歌手てあること以外なんも知らないし、今のところ興味も持てないが、番組はやはり米国ショービズの襞をいろいろ伝えてくれるんだよなー。ぼくが子供の頃にTV放映していたクレイジー・キャッツの“シャボン玉ホリデー”はこれを参照した部分もあたんだろうなと思わせもし、その番組を大好きだった父のことをふと思い出したりもする。

 南青山・ブルーノート東京で、ジプシー・キングズを率いていたギタリストのチコの主導グループを見る。ジプシー・キングス以後、彼はチコ&ザ・シプシーズというギター/ヴォーカル担当者をずらり並べたグループを率いていたが、これはさらにヴァイオリン、アコーディオン、キーボード、ドラムなども加えたもの。例のフラメンコ・ベースの塩辛い陽性表現を披露する一方、ヴァイオリン奏者やアコーディオン奏者が前に出たミュゼット的な志向のものもあれば(チコたちは、フランスのパスポート所持者のよう)、なんとチック・コリアの「スペイン」まで演奏しちゃうという塩梅。満員の客は終盤総立ちなり。しかし、「バンボレオ」や「ジョビジョバ」らの起爆力はすごいな。

 その後、青山・プラッサオンゼで、タイロン橋本(歌、ギター)&ヤヒロトモヒロ(打楽器、2010年7月22日、他)のデュオを見る。ソウルフルな歌を柱とする、臨機応変な、視野の広い2人の会話表現と言えるかな。


<今日のマック>
 メインで使っていたPCが電源落ちたりして、どーにも安定してないので、新しいマック・ブック・プロを購入した。うわー、使いづらい。エーン。いろいろ改悪としか思えない。しかも、買ったらすぐに使えることを是にしているくせに、画像が表示されなかったり、ユーチューブも見れなかったりもする。何故に? 過去、そんなこたあ、なかった。仕事が一段落したら、コール・サーヴィスに電話しまくって、解決しなきゃあ。