サカキマンゴー&リンバ・トレイン・サウンド・システム
2011年10月2日 音楽 親指ピアノ奏者率いるトリオ・バンドのアルバム・リリースをフォロウするライヴ。前回見たとき(2008年9月12日)もそうだったので、新作『Oi!Limba』は2年ぶりのものとなるのか。南青山・月見ル君想フ。よんどころない用事があって、20時半を回って会場入りしたのだが、ちょうど始まったところ。ニっ。
バンド員に顔触れに変更があるのかないのかは?だが、リズム隊はシャープ。彼らはコーラスも付ける。ヴォーカルに効果が噛まされるときはあったが、今回サウンド音にダブ的な処理はなかったのでは? 前回、サカキは足に鳴りモノを付けてその音も出していたが、今回は歌と親指ピアノに専念。やっぱ、声は朗々。曲により持つ親指ピアノを代えつつ、巧みに言葉をのせた歌を響き渡らせる。親指ピアノたる反復音が基調になるため、曲は1コード/リフ(1曲、マーヴィン・ゲイの「インナー・シティ・ブルース」のベース・リフみたいなものもあり)が基調、ようは西洋ポップ音楽見地においては単調にならざるをえないのだが、それを楽器音の噛み合いや肉声の力などで、延々聞かせ切るのはすごい。まあ、考えようによっては、彼は本当に困難な壁を登っているのだが、それを飄々楽しんでいる風情があるのも魅力的。鹿児島弁を応用したラップ曲などもあり。なんか、MCはマギー司郎みたいだなと思わせるボケを持つ?
<今日の探し物>
親指ピアノの存在をちゃんと知ったのは、E.W,&F.の表現を聞いてか。モーリス・ホワイトはそれ以前にサイド・マンとして関わっていたラムゼイ・ルイスのアルバムでもポロポロやっている(60年代中期ごろ)ので、相当前から親指ピアノに目を向けていたのだよなー。その目映い光を放つ、不思議な広がりを醸し出す楽器の存在を知ったときにはとても未知のものに触れた気がして心弾んだ。その後、現物を知ったら、こんなにプリミティヴな楽器なのかと驚いた。友人から小さな親指ピアノをもらった時は、ほんとうれしくてぽろろんぽろんと爪弾いていたっけ。でも、ぼくはそれで終わり(サカキはそれで終わらぬ、クリエイティヴな人であったのだろう)、楽器は棚の上に放置されることとなった。深夜、家に帰って暫くぶりに触ってみようかと思ったら、あるはずのところにない。あーあ。
バンド員に顔触れに変更があるのかないのかは?だが、リズム隊はシャープ。彼らはコーラスも付ける。ヴォーカルに効果が噛まされるときはあったが、今回サウンド音にダブ的な処理はなかったのでは? 前回、サカキは足に鳴りモノを付けてその音も出していたが、今回は歌と親指ピアノに専念。やっぱ、声は朗々。曲により持つ親指ピアノを代えつつ、巧みに言葉をのせた歌を響き渡らせる。親指ピアノたる反復音が基調になるため、曲は1コード/リフ(1曲、マーヴィン・ゲイの「インナー・シティ・ブルース」のベース・リフみたいなものもあり)が基調、ようは西洋ポップ音楽見地においては単調にならざるをえないのだが、それを楽器音の噛み合いや肉声の力などで、延々聞かせ切るのはすごい。まあ、考えようによっては、彼は本当に困難な壁を登っているのだが、それを飄々楽しんでいる風情があるのも魅力的。鹿児島弁を応用したラップ曲などもあり。なんか、MCはマギー司郎みたいだなと思わせるボケを持つ?
<今日の探し物>
親指ピアノの存在をちゃんと知ったのは、E.W,&F.の表現を聞いてか。モーリス・ホワイトはそれ以前にサイド・マンとして関わっていたラムゼイ・ルイスのアルバムでもポロポロやっている(60年代中期ごろ)ので、相当前から親指ピアノに目を向けていたのだよなー。その目映い光を放つ、不思議な広がりを醸し出す楽器の存在を知ったときにはとても未知のものに触れた気がして心弾んだ。その後、現物を知ったら、こんなにプリミティヴな楽器なのかと驚いた。友人から小さな親指ピアノをもらった時は、ほんとうれしくてぽろろんぽろんと爪弾いていたっけ。でも、ぼくはそれで終わり(サカキはそれで終わらぬ、クリエイティヴな人であったのだろう)、楽器は棚の上に放置されることとなった。深夜、家に帰って暫くぶりに触ってみようかと思ったら、あるはずのところにない。あーあ。