ブリティッシュ・アンセムズ。ライアン・ショウ
2008年3月1日 3月かあ、はー。今日も暖かめ、飲むとそろそろ花見話が出るようになりますね。あと、ぼくは発症してない(と、思う)ので関係ないけど、花粉話も。今日も早起き。6時間ほど机に向かいキーをバシバシ打った後、新木場のスタジオ・コーストに。イキのいい英国勢を提供しようとする何度かやっている“ブリティッシュ・アンセム”というイヴェント、クイーンアドリーナから見る。
もう20年近く前にデイジー・チェインソーというバンドにいた女性シンガーがフロントに立つ女男二人づつのバンド(遠目には、英国の化粧系バンド?てな、感じに見える)だが、こりゃびっくり。もう太ももと背中が丸出しの薄手のミニのドレスを身にまとうシンガーの振る舞いにゃ目が点。危ないジャンキー風情のアクションを見せるだけでなく、白ワインだかシャンパンだかその手のボトルを手にしラッパ飲みし、果ては股間にはさんでそれを一物の如くこすってみたり。ぼかァ、思わずティナ・ターナーが大昔にやっていたマイクをあれにみたてた猥褻パフォーマンスのことを思い出しましたよ(露出度の高い格好も重なるナ)。おー、身体はってる。おばさん何してんのって感じでどん引きしちゃった人もいたようだが、なんか妙に澄んだ、得難い何かがそこには蔓延。旧世代の流儀かもしれないが、あってしかるべき、捨て身のロック芸能/エンターテインメント精神がそこに存在していたのは間違いない。もー笑えた。ぼくは、おおいに賞賛したいと思う。あ、音楽性のことは何も書いてませんね。ちょいゴス入った陰険気味なロックやってて、静か目な曲調の場合はほんのすこしビョークを想起させるところもありました。一応、各々のスキルは確か。
続いては、バンド名がほほえましいスカウティング・フォー・ガールズ。が、最初から最後まで見ていたのに、なんも覚えていないのはどうしたことか。バンドの編成さえも、忘れちゃってる。ただ、もの分かりのいい表現だったはず。拳を振り上げる前方のオーディエンスを見ながら、そこにあるメンタリティって、ボクたちのこと理解してくれそうと麻生某を支持しちゃうそれと重なるんじゃないかと唐突に思った。いやー、なんの根拠もないこと書いてんなー。第一、アソウのことだって、いかにも腹黒で性格悪そうなタカ派の人ぐらいのイメージしかないのに。その後はロッキン・エレクトロ・ユニットと言えそうな、ダズ・イット・オフェンド・ユー・ヤー?がバンド編成で登場。愛想ふりまく。まあ、楽しかった。そして、次のジョー・リーン&ザ・ジン・ジャン・ジョンは演奏が下手だった。なんか古くさいロカビリー調といいたくなる曲を早いテンポでぽんぽん出していくんだが、曲調もぼくにはつまらない。彼らよりはまだスカウティング〜のほうを好ましく思ったんじゃなかったか。その後にも出るバンドはあったが、その途中で退出。
そして、丸の内・コットンクラブに。出演者は、昨年出したデビュー作が今どきこんなはまったレトロ・ソウルを聞かせてくれるなんてと評判を呼んだライアン・ショウ。ただいま、27歳。初来日かと思えば、14カラット・ソウルやゴスペル・クワイアーの一員とかで来ていて、今回が4度目の来日となるという。歌えると、ちゃんとそれなりの仕事は回ってくるということか。
「アルバム数が1枚だとどのぐらいの時間やるのかな」、「カヴァーをやれば時間は持つよねー」、「あーそれ聞いてみたい」、などと開演前に知人と話していたら……。ステージ上にバンドとともに上がった彼は、おもむろにアカペラで「アイ・ワズ・ボーン〜」と、サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を歌い始める。うおおお。見事な、歌いっぷり。全部、有名曲のカヴァーでいいよーんと思っちゃいました。
で、その後も、ボビー・ウォマック、ザ・ビートルズ、ウィルソン・ピケットなどの曲を交えつつ、これこそがR&Bヴォーカル、正統にまっすぐに歌えることはどんに素敵なことであるのかを伝えるようなパフォーマンスを展開する。うれしかったのは、アルバムはほのかに古いソウル表現に対するパロディみたいな感覚があったのに対し、生の彼はもっと迸る感覚とともにストレートな今っぽさがあったこと。
興味深かったのはボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」のカヴァー。マーリー曲のなかで今一番とりあげられる事が多いだろうこの人気曲は彼のラスト・アルバムの一番最後に置かれていて、生ギターの弾き型りによる異色曲だった。ようはレゲエ・ビートを介さないフォーキー曲なのだが、細いドレッド調の髪型をしたショウはそんな曲をわざわざレゲエ・ビートに直して披露していた。それから、オーティス・レディングの十八番曲「トライ・ア・リトル・テンダーネス」(実はこの曲、ティン・パン・アレイ派生の30年代初出の古い曲。ジャズやMOR系のシンガーが多数カヴァーしている。で、それらとの差異でオーティスすげえとなっちゃう)も堂々とりあげる。生に触れて、彼はビッグ・Oのこと好きなんだあと実感できた事もとってもうれしかったな。
バンドはヌーノ・ベッテンコートを小柄にしたような白人ギタリストと、黒人のリズム・セクション。本来は鍵盤やホーン音を必要とするはずの伴奏をそんなに疑問を感じさせることなくまっとうした彼らは褒められていいと思う(そりゃ、もっと人数がいたほうがいいけど)。ときにハードなソロも披露したギター君はルックスがもろロッカーだったこともあり不評を呼んだようだが、きっちりブルージーな弾き方は抑えていたし、そんなに悪くないと思う。というか、ライアン・ショウにとって、もしかするとバンドに白人がいることはとても意味のあることではなかったか。というのも、ぼくが白黒混合の伴奏隊を見て想起せずにはいられなかったのはオーティス・レディングのバック・バンド/スタックスのハウス・バンドであるザ・MGズの有り様。オーティス・レディングはリベラルにスティーヴ・クロッパーら白人たちと協調して両手を大きく広げた怪物ソウル表現を作り上げていたわけで、ライアン・ショウが先達のそういう振る舞いに対するオマージュのようなものを抱いていても不思議ではないだろう。
もう20年近く前にデイジー・チェインソーというバンドにいた女性シンガーがフロントに立つ女男二人づつのバンド(遠目には、英国の化粧系バンド?てな、感じに見える)だが、こりゃびっくり。もう太ももと背中が丸出しの薄手のミニのドレスを身にまとうシンガーの振る舞いにゃ目が点。危ないジャンキー風情のアクションを見せるだけでなく、白ワインだかシャンパンだかその手のボトルを手にしラッパ飲みし、果ては股間にはさんでそれを一物の如くこすってみたり。ぼかァ、思わずティナ・ターナーが大昔にやっていたマイクをあれにみたてた猥褻パフォーマンスのことを思い出しましたよ(露出度の高い格好も重なるナ)。おー、身体はってる。おばさん何してんのって感じでどん引きしちゃった人もいたようだが、なんか妙に澄んだ、得難い何かがそこには蔓延。旧世代の流儀かもしれないが、あってしかるべき、捨て身のロック芸能/エンターテインメント精神がそこに存在していたのは間違いない。もー笑えた。ぼくは、おおいに賞賛したいと思う。あ、音楽性のことは何も書いてませんね。ちょいゴス入った陰険気味なロックやってて、静か目な曲調の場合はほんのすこしビョークを想起させるところもありました。一応、各々のスキルは確か。
続いては、バンド名がほほえましいスカウティング・フォー・ガールズ。が、最初から最後まで見ていたのに、なんも覚えていないのはどうしたことか。バンドの編成さえも、忘れちゃってる。ただ、もの分かりのいい表現だったはず。拳を振り上げる前方のオーディエンスを見ながら、そこにあるメンタリティって、ボクたちのこと理解してくれそうと麻生某を支持しちゃうそれと重なるんじゃないかと唐突に思った。いやー、なんの根拠もないこと書いてんなー。第一、アソウのことだって、いかにも腹黒で性格悪そうなタカ派の人ぐらいのイメージしかないのに。その後はロッキン・エレクトロ・ユニットと言えそうな、ダズ・イット・オフェンド・ユー・ヤー?がバンド編成で登場。愛想ふりまく。まあ、楽しかった。そして、次のジョー・リーン&ザ・ジン・ジャン・ジョンは演奏が下手だった。なんか古くさいロカビリー調といいたくなる曲を早いテンポでぽんぽん出していくんだが、曲調もぼくにはつまらない。彼らよりはまだスカウティング〜のほうを好ましく思ったんじゃなかったか。その後にも出るバンドはあったが、その途中で退出。
そして、丸の内・コットンクラブに。出演者は、昨年出したデビュー作が今どきこんなはまったレトロ・ソウルを聞かせてくれるなんてと評判を呼んだライアン・ショウ。ただいま、27歳。初来日かと思えば、14カラット・ソウルやゴスペル・クワイアーの一員とかで来ていて、今回が4度目の来日となるという。歌えると、ちゃんとそれなりの仕事は回ってくるということか。
「アルバム数が1枚だとどのぐらいの時間やるのかな」、「カヴァーをやれば時間は持つよねー」、「あーそれ聞いてみたい」、などと開演前に知人と話していたら……。ステージ上にバンドとともに上がった彼は、おもむろにアカペラで「アイ・ワズ・ボーン〜」と、サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を歌い始める。うおおお。見事な、歌いっぷり。全部、有名曲のカヴァーでいいよーんと思っちゃいました。
で、その後も、ボビー・ウォマック、ザ・ビートルズ、ウィルソン・ピケットなどの曲を交えつつ、これこそがR&Bヴォーカル、正統にまっすぐに歌えることはどんに素敵なことであるのかを伝えるようなパフォーマンスを展開する。うれしかったのは、アルバムはほのかに古いソウル表現に対するパロディみたいな感覚があったのに対し、生の彼はもっと迸る感覚とともにストレートな今っぽさがあったこと。
興味深かったのはボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」のカヴァー。マーリー曲のなかで今一番とりあげられる事が多いだろうこの人気曲は彼のラスト・アルバムの一番最後に置かれていて、生ギターの弾き型りによる異色曲だった。ようはレゲエ・ビートを介さないフォーキー曲なのだが、細いドレッド調の髪型をしたショウはそんな曲をわざわざレゲエ・ビートに直して披露していた。それから、オーティス・レディングの十八番曲「トライ・ア・リトル・テンダーネス」(実はこの曲、ティン・パン・アレイ派生の30年代初出の古い曲。ジャズやMOR系のシンガーが多数カヴァーしている。で、それらとの差異でオーティスすげえとなっちゃう)も堂々とりあげる。生に触れて、彼はビッグ・Oのこと好きなんだあと実感できた事もとってもうれしかったな。
バンドはヌーノ・ベッテンコートを小柄にしたような白人ギタリストと、黒人のリズム・セクション。本来は鍵盤やホーン音を必要とするはずの伴奏をそんなに疑問を感じさせることなくまっとうした彼らは褒められていいと思う(そりゃ、もっと人数がいたほうがいいけど)。ときにハードなソロも披露したギター君はルックスがもろロッカーだったこともあり不評を呼んだようだが、きっちりブルージーな弾き方は抑えていたし、そんなに悪くないと思う。というか、ライアン・ショウにとって、もしかするとバンドに白人がいることはとても意味のあることではなかったか。というのも、ぼくが白黒混合の伴奏隊を見て想起せずにはいられなかったのはオーティス・レディングのバック・バンド/スタックスのハウス・バンドであるザ・MGズの有り様。オーティス・レディングはリベラルにスティーヴ・クロッパーら白人たちと協調して両手を大きく広げた怪物ソウル表現を作り上げていたわけで、ライアン・ショウが先達のそういう振る舞いに対するオマージュのようなものを抱いていても不思議ではないだろう。
ロバータ・フラック(4日)
2008年3月5日 70年代初頭にダニー・ハサウェイとコラボレーションして一世を風靡、洗練された新しいアフリカン・アメリカンの姿を提示するとともに、その後は徐々にポピュラー・ヴォーカル方面にノリを移行させつつ、アーティスト・ヴァリューを保っている人。あるていど歳をとった人なら、ネスカフェの歌のおばさんというイメージもあるかな。彼女の代表曲「やさしく歌って」は、子供の頃ずうっとそのTV-CF曲に使われていたよな(その替え歌だったかもしれないし、もしかすると別な人が歌っていたかもしれない。はるか、記憶の彼方じゃ)。もちろん、何度も来日しているはずだが、ぼくは今回初めて彼女を見る。
さすがと思ったのは、同行サポート奏者(みんな黒人)の豪華な顔ぶれ。二人いるうちの一人の鍵盤奏者はEW&Fの音楽監督をずっと勤めていたモリス・プレジャーだし、ベースは近年シックのベーシストとして来日してもいる売れっ子セッション・マンのジェリー・バーンズ(2006年4月11日)、またギタリストはビヨンセらのプロデュースをしているシェロッド・バーンズだ。彼はジェリーの兄弟で、さらに90年代によくハイラム・ブロックのバンドで来日していたカトリース・バーンズ(キーボード、歌)を含めた構成でザ・バーンズ・ファミリーというアルバムを出したことがあった。また、以前にここで書いているが、その3人は沼澤尚(2008年1月30日、同1月31日、他)やジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日)やロイ・ハーグローヴ(2007年9月10日、他)らとともにバーンズ・プロジェクトというユニットの録音を近年している(いくつかの会社に数曲をプレゼンしたけど、どこも興味を示さず。ぼくはとてもいいと思うのだがなあ)。それから、サックス/フルートのアルチューロ・タッピンはかつてカリブ海の暢気なケニー・Gみたいな感じで売り出されたことがあった人だし、バック・ヴォーカルのトニー・テリーは昔エピックやキャピトルからリーダー作を出していた美声シンガーだ。
そこに、基本ピアノを弾きながら歌うフラックという布陣。で、曲名はわからなくても、あーこの曲知っている、うーいいメロディだなと思わずにはいられない楽曲が次々に送り出される。……いい演奏(フラックの意向でもあるのだろう、スポンテイニアスに鮮やかな発展を示すときも)に、いい曲。が、唯一あれれと思ってしまったのが、フラックの歌。うーむ、これをどう判断したらいいのか。非常に声質が良くなく、音程が不安定。あのニュートラルな質感の歌が入ると思っていると、それとは違うよれた声が出てくるのでとまどう。喉の衰えは当然あるのだろうが(今回、初めて聞くので判断がつかない。でも、もう70歳を超えているんだよな)、いつもより不調な部分があったと思いたいが。でないと、寂しい。まあ、テリーとジェリー・バーンズのバック・コーラスの良さは逆に引き立ちましたが。
最後の曲は「ラヴ・ミー・イン・ア・スペシャル・ウェイ」。ピアノを離れ中央前に立って少し歌い、伴奏陣が演奏するなか、円満な感じを振りまいていたフラックは退出。まばゆい広がりを見せる、これもものすごくいい曲。感激。が、後でよく考えたら、これデバージの曲じゃん。ぼくにとっての80年代モータウンはリック・ジェイムズと彼らが筆頭に立つかも、後に投獄されちゃうエルドラ・デバージのポップ・センス大好きでした。あ、そういえば中盤では非常にスキルに富み(騙し絵的、とも言いたくなる)、愛もこもったマーヴィン・ゲイ曲メドレーも披露。いいものはどれも胸を張るべき私たちの財産、なんかそんな感じも出ていたかしら。主役に不満を覚えつつ、もやもやした米国黒人音楽の総体を語る何かに触れたような気になったのは確か。六本木・ビルボードライヴ東京、ファースト・ショウ。
さすがと思ったのは、同行サポート奏者(みんな黒人)の豪華な顔ぶれ。二人いるうちの一人の鍵盤奏者はEW&Fの音楽監督をずっと勤めていたモリス・プレジャーだし、ベースは近年シックのベーシストとして来日してもいる売れっ子セッション・マンのジェリー・バーンズ(2006年4月11日)、またギタリストはビヨンセらのプロデュースをしているシェロッド・バーンズだ。彼はジェリーの兄弟で、さらに90年代によくハイラム・ブロックのバンドで来日していたカトリース・バーンズ(キーボード、歌)を含めた構成でザ・バーンズ・ファミリーというアルバムを出したことがあった。また、以前にここで書いているが、その3人は沼澤尚(2008年1月30日、同1月31日、他)やジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日)やロイ・ハーグローヴ(2007年9月10日、他)らとともにバーンズ・プロジェクトというユニットの録音を近年している(いくつかの会社に数曲をプレゼンしたけど、どこも興味を示さず。ぼくはとてもいいと思うのだがなあ)。それから、サックス/フルートのアルチューロ・タッピンはかつてカリブ海の暢気なケニー・Gみたいな感じで売り出されたことがあった人だし、バック・ヴォーカルのトニー・テリーは昔エピックやキャピトルからリーダー作を出していた美声シンガーだ。
そこに、基本ピアノを弾きながら歌うフラックという布陣。で、曲名はわからなくても、あーこの曲知っている、うーいいメロディだなと思わずにはいられない楽曲が次々に送り出される。……いい演奏(フラックの意向でもあるのだろう、スポンテイニアスに鮮やかな発展を示すときも)に、いい曲。が、唯一あれれと思ってしまったのが、フラックの歌。うーむ、これをどう判断したらいいのか。非常に声質が良くなく、音程が不安定。あのニュートラルな質感の歌が入ると思っていると、それとは違うよれた声が出てくるのでとまどう。喉の衰えは当然あるのだろうが(今回、初めて聞くので判断がつかない。でも、もう70歳を超えているんだよな)、いつもより不調な部分があったと思いたいが。でないと、寂しい。まあ、テリーとジェリー・バーンズのバック・コーラスの良さは逆に引き立ちましたが。
最後の曲は「ラヴ・ミー・イン・ア・スペシャル・ウェイ」。ピアノを離れ中央前に立って少し歌い、伴奏陣が演奏するなか、円満な感じを振りまいていたフラックは退出。まばゆい広がりを見せる、これもものすごくいい曲。感激。が、後でよく考えたら、これデバージの曲じゃん。ぼくにとっての80年代モータウンはリック・ジェイムズと彼らが筆頭に立つかも、後に投獄されちゃうエルドラ・デバージのポップ・センス大好きでした。あ、そういえば中盤では非常にスキルに富み(騙し絵的、とも言いたくなる)、愛もこもったマーヴィン・ゲイ曲メドレーも披露。いいものはどれも胸を張るべき私たちの財産、なんかそんな感じも出ていたかしら。主役に不満を覚えつつ、もやもやした米国黒人音楽の総体を語る何かに触れたような気になったのは確か。六本木・ビルボードライヴ東京、ファースト・ショウ。
ブロークン・ソーシャル・シーン、スターズ
2008年3月7日 渋谷・クラブクアトロ。同じレーベル(アート&クラフツ)に所属する、カナダ一番の大都市トロントをベースにするロック勢が二組出る公演。かなり混んでいて場内、タバコの煙がけむい。まず、スターズが出てきて、飄々とパフォーマンス。女性を含む、6人にて。ときにハモりも用いたりしての、ほんわかしつつサバけた大人のロックを提供。
そして、カナダの現代ロック界の質をプロパガンダしよう(?)とする、芸と視点あるミュージシャンの集合体であるブロークン・ソーシャル・シーン。その関与者は2007年1月19日のときも、来日していたりしてますね。最初は7人ぐらいステージにいたかな、うちギターを持った人が4人。そんなに必要ないけど。和気あいあいながら、創意工夫や心意気も持つ、なんとなく今っぽいロックを送り出す。いろんな曲調のブツを披露するが、そりゃ船頭が多ければいろんなものが出てくるだろう。途中、日本人が大半の管楽器隊が付いたり、ズボンズ(2000年12月18日、2001年12月2日、2004年5月7日、他)のドン・マツオ(2006年9月24日)がギターで入ったり。また,スターズの人が出てきたときもあったろう。それなりにめまぐるしいが、そういう臨機応変さや間口の緩さは、しなやかな大人の所作という内実の表出につながる。人の良さのようなものはアタマから終わりまで出ていて、いいなあカナダ。そう感じてしまう人が多かったのではないか。
カナダという国は英語とフランス語の両方を公用語と定めた国である。フランス語がメインとなるケベック州は別としても、何ゆえに余裕ぶっこいてそういう効率の悪いことをするんだろう。そう思ったことがぼくはあったが、この晩のカナダ勢の好演に触れて、なんとなく納得したりもしたかな。フランス語も使いましょうとしているのは、アイデンティティを持ってきっちり米国と線引きしたいとする表れではないか。英語だけだと、陸続きの同じ北米にある国ということで、アメリカのがさつで即物的なマテリアル・カルチャー(と、ここでは分かりやすくするために書いてしまう。いいところも、一杯あるだろうけど)に侵略/淘汰されてしまうという危惧への対処……。実際のところどうだか知らないが、アメリカのロック語彙をいろいろと受けつつもしなやかに自立する彼らの姿を見て、ぼくはそんな妄想を得た。
そして、カナダの現代ロック界の質をプロパガンダしよう(?)とする、芸と視点あるミュージシャンの集合体であるブロークン・ソーシャル・シーン。その関与者は2007年1月19日のときも、来日していたりしてますね。最初は7人ぐらいステージにいたかな、うちギターを持った人が4人。そんなに必要ないけど。和気あいあいながら、創意工夫や心意気も持つ、なんとなく今っぽいロックを送り出す。いろんな曲調のブツを披露するが、そりゃ船頭が多ければいろんなものが出てくるだろう。途中、日本人が大半の管楽器隊が付いたり、ズボンズ(2000年12月18日、2001年12月2日、2004年5月7日、他)のドン・マツオ(2006年9月24日)がギターで入ったり。また,スターズの人が出てきたときもあったろう。それなりにめまぐるしいが、そういう臨機応変さや間口の緩さは、しなやかな大人の所作という内実の表出につながる。人の良さのようなものはアタマから終わりまで出ていて、いいなあカナダ。そう感じてしまう人が多かったのではないか。
カナダという国は英語とフランス語の両方を公用語と定めた国である。フランス語がメインとなるケベック州は別としても、何ゆえに余裕ぶっこいてそういう効率の悪いことをするんだろう。そう思ったことがぼくはあったが、この晩のカナダ勢の好演に触れて、なんとなく納得したりもしたかな。フランス語も使いましょうとしているのは、アイデンティティを持ってきっちり米国と線引きしたいとする表れではないか。英語だけだと、陸続きの同じ北米にある国ということで、アメリカのがさつで即物的なマテリアル・カルチャー(と、ここでは分かりやすくするために書いてしまう。いいところも、一杯あるだろうけど)に侵略/淘汰されてしまうという危惧への対処……。実際のところどうだか知らないが、アメリカのロック語彙をいろいろと受けつつもしなやかに自立する彼らの姿を見て、ぼくはそんな妄想を得た。
カーリン・アリソン
2008年3月8日 米国中部生まれでいろいろ動いた末、現在はNYに住むジャズ・シンガー。そんな彼女が92年、初めて契約を交わしたレコード会社がコンコード。そのとき同社はカリフォルニア州コンコード市で中古車販売業を営んでいた創立者のカール・E・ジェファーソンがまだ仕切っており、73年設立の同社は和みのウェストコースト・ジャズとジャズ・ヴォーカルを主に送り出す、コンサヴァなジャズ専門レーベルだったわけだ。社名もコンコードではなく、コンコード・ジャズだった。が、時は経ち(ジェファーソンは95年になくなった)、スタックスを含むファンタジー音源を持つのは別としても、今やオゾマトリやレイ・チャールズ(亡くなったので、1枚だけだったが)やハイパー路線にあるセルジオ・メンデスを抱え(唐突に、シェルター・レコードやEC表現を支えたジェイミー・オールデイカーのタルサ愛爆発のどすこいロック盤を出したこともあった)、傍系レーベルの方ではポール・マッカートニーやジョニ・ミッチェルとも契約しちゃうイケイケ企業になっちゃうなんて、夢にも思わなかった。もしかして、現在のコンコードの大変身〜隆盛は音楽業界にまつわる数奇なストーリーのけっこう上位に位置するものじゃないか。なお、日本では同社の旧流儀を持ち上げる大きめの公演が毎年、ぼくから150万円ぐらいふんだくり(そのぐらい、ワープロやPCを何台も買っている。ここ10年はマックを使っているが)かなり悲しい思いをさせた富士通の冠とともに行われている。オレ、それに一度も行ったことがないが、それは親指シフトの恨みがあるからかもしれない。
ともあれ、体制が変わっても、彼女はずっとコンコードの契約アーティストとしてあり続け(この世知辛い状況のなか、幸せな人ですね。本人もそれは認めるところのようだけど)、今や同社を代表する、ハイ・プライオリティなジャズ歌手にまでなっているわけだ。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。
らしい白人の、アコースティック・ギター奏者(奏法はとても幅広い)とウッド・ベース奏者を従えてのパフォーマンス。ジョン・コルトレーンの『バラード』絡み楽曲をうたった盤、少女時代に愛好したシンガー・ソングライターの曲でかためたポップ曲集、ヴォーカリーズ(楽器によるテーマ/ソロに歌詞をつけて歌う事)を聞かせようとしたものなど、けっこうディレクションをしぼった(原稿を書きやすいとも言えるか)アルバムを出しているだけあって、いろんな側面を出していたはず……。
お膳立てとしては、ギターとベースをバックに歌う場合と、自分もピアノを弾いてトリオ音のもと歌う場合の二つ。前者の場合、いろんな曲調をやるのだが、けっこうブルージィな色調の曲が合う人であるのを初めて認知。また、新作はブラジル曲集だけに、ブラジルものも3曲披露する。その際、彼女はシェイカーをしゃかしゃか振る。どういうタイプの曲にせよ、スキャットするのは大好きなようで要所でいろいろ噛ましていたな。それから、ピアノを弾きながら歌うほう、ぼくはもう少しそちらの比率を上げていいと思った。主にしっとり目の曲をやるのだが、瑞々しい親しみやすさ、明快さ、艶っぽさが出てきて、素直にいいナと思えたもの。ビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」をやっても違和感ないと思えたし、ときにノラ・ジョーンズみたいな味も持つんだなと感じた局面もありました。関係ないけど、彼女の初来日は学生のとき、静岡にきたらしい。
ともあれ、体制が変わっても、彼女はずっとコンコードの契約アーティストとしてあり続け(この世知辛い状況のなか、幸せな人ですね。本人もそれは認めるところのようだけど)、今や同社を代表する、ハイ・プライオリティなジャズ歌手にまでなっているわけだ。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。
らしい白人の、アコースティック・ギター奏者(奏法はとても幅広い)とウッド・ベース奏者を従えてのパフォーマンス。ジョン・コルトレーンの『バラード』絡み楽曲をうたった盤、少女時代に愛好したシンガー・ソングライターの曲でかためたポップ曲集、ヴォーカリーズ(楽器によるテーマ/ソロに歌詞をつけて歌う事)を聞かせようとしたものなど、けっこうディレクションをしぼった(原稿を書きやすいとも言えるか)アルバムを出しているだけあって、いろんな側面を出していたはず……。
お膳立てとしては、ギターとベースをバックに歌う場合と、自分もピアノを弾いてトリオ音のもと歌う場合の二つ。前者の場合、いろんな曲調をやるのだが、けっこうブルージィな色調の曲が合う人であるのを初めて認知。また、新作はブラジル曲集だけに、ブラジルものも3曲披露する。その際、彼女はシェイカーをしゃかしゃか振る。どういうタイプの曲にせよ、スキャットするのは大好きなようで要所でいろいろ噛ましていたな。それから、ピアノを弾きながら歌うほう、ぼくはもう少しそちらの比率を上げていいと思った。主にしっとり目の曲をやるのだが、瑞々しい親しみやすさ、明快さ、艶っぽさが出てきて、素直にいいナと思えたもの。ビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」をやっても違和感ないと思えたし、ときにノラ・ジョーンズみたいな味も持つんだなと感じた局面もありました。関係ないけど、彼女の初来日は学生のとき、静岡にきたらしい。
映画『ファベーラの丘』。サラ・ガザレク
2008年3月13日 神宮前・キネアティックで、映画『ファベーラの丘』(2005年、アメリカ映画)の試写を見る。リオのファヴェーラ(ゲットーという、説明の仕方もあるのかな)のヴィガリオ・ジェラウという地区を舞台にするドキュメンタリー映画で、ドラッグ・ディーラーが仕切る同所に住む未来のない若者たちに音楽で希望を与えるために、やはりそこに住むアンデルソン・サーという人物を中心に93年以降活動を続けているアフロ・レゲエというコミュニティ団体の活動を追ったものだ。
頭のほうはブラジルのファヴェーラがいかにやばいところで(中東の紛争地区よりはるかに若者の死亡率が高いという事も説明される)、警察もくさっているかというのを残酷なアリ映像も交えていろいろと提示し、サーたちの活動の必然性と、だからこその艱難さを説明。アフロ・レゲエは子供たちにパーカッションやダンスを教えるなどの奉仕活動をするとともに、その中心人物たちは同名のバンドを組んで音楽活動をしていたりもする。その音楽性はレゲエとはなんら関係なく、ヒップホップやロックの要素の強いことをやっていて、そこにサンバの打楽器が加わるといった感じのもの。ぼくは今回、初めて彼らの事を知ったが、04年にはユニヴァーサル・ミュージックからアルバムを出したそう。
どきどきできたり、考えさせられるところは多々。描き方が一部クサいきらいがあり、効果音楽が一部完全にブラジル的属性から離れる(それ、ぼくの認識不足? そりゃ、ブラジルはなんでもありの国だが)あたりは多少しらける。が、いろんなリオの姿が垣間みれるだけでも(ファヴェーラの俯瞰映像もなかなか来るナ)、ブラジルに興味を持つ人なら見て損はないだろう。さすが、ファヴェーラを歩いてみたいとは思わないが(だが、ファヴェーラから見下ろすコパカパーナ方面の風景は実に綺麗。あんなの毎日見てたら、いい人になれそうと無責任に思った)、ブラジル行きたい熱を刺激されました。この4月5日から、恵比寿ガーデンホールにある東京都写真美術館1階ホールでこの映画は公開される。
アフロ・レゲエ団体が子供たちに打楽器を教えるところで登場したのは、名手マルコス・スザーノ(1999年8月11日、2001年12月19日、2002年7月21日、2005年2月15日、2005年10月30日、2006年8月11日、2006年8月24日、2006年12月28日、2007年8月11日、2007年8月23日,他)。スティング・バンドから地元の子供たち相手まで、いろんなところで活躍しているのだな。ふふふ。映画によれば、リオのパトカーはフォルクスワーゲンの車を使用のよう。そういやあ、昔ワーゲン・ビートルが西ドイツ本国では作らなくなった後も延々とブラジル工場では生産されていて、細々と日本にも入ってきていたことがあった。話は飛ぶが、だいぶ前になるけどメキシコシティーに行ったときタクシーは皆ビートルでうれしくなったことがあったな。ビートルは2ドア車ながらもちろん客は後部座席に乗るのだが、その乗降がしやすいように前の助手席の椅子をとっぱっらっていたっけ。そのビートルはやはりブラジル産だったのだろうか。それが、最後のワーゲン・ビートル乗車であり、リア・エンジン車/水平対抗エンジン体験だったな。
そして、丸の内・コットンクラブへ。その前に有楽町のビック・カメラで携帯を買い替える。1年半ぐらしか使っていないが雑に扱うために調子が悪く、通話に支障がでていたため。一番いいナと直感で思えた商品は品切れでかなしー。5万円強の出費。ところで、複雑な料金契約体系のもろもろはなんとかならんのか。わけわからん。絶対にあれはずぼらなユーザー無視、ぜんぜん優しくない。あんなのをしたり顔でプレゼンしたりするのを日々の業務にする奴がいて、それにOKを出す馬鹿面のお偉方がいるかと思うと、腹が立つ。あー、いろんな意味でNTT/ドコモとおさらばしたい(ある理由で、そのままだが)。でも、他の会社も同様なのかな。
米国西海岸の若手ジャズ・シンガーのサラ・ガザレク(2006年3月22日、2007年12月27日)、ファースト・ショウ。まだ20代ながらスーツをちゃんと着るピアノ・トリオと一緒に、初々しく歌うのは前回みたときと同様。だが、彼女のMCを聞いてびっくり。なんと、ベースとドラムは新しい人たちで6ヶ月前からこのメンバーでやっていること。おお。2006年の項で書いてあるように、ガザレクとリズム・セクションは大学のジャズ専攻時の同級生で、卒業後も一緒にプロとして高めあってきたまさに同志。一体、何があったのか。メンバー交代なんてずっとやっていく上では不可欠なものだろうけど、彼らはまさしく竹馬の友的なノリから、円満にしてブライトな私たちのジャズ表現を紡ぎだそうとしていたのだ。一体、それはどっち側からの申し出であったのか。そのときの、切り出されたほうの反応は……。いやあ、そのMCの後、ぼくはそんなことに思いは回り、少しドギマギしちゃいました。だけど、それがまた新しい発展に、前進につながることを望む。
頭のほうはブラジルのファヴェーラがいかにやばいところで(中東の紛争地区よりはるかに若者の死亡率が高いという事も説明される)、警察もくさっているかというのを残酷なアリ映像も交えていろいろと提示し、サーたちの活動の必然性と、だからこその艱難さを説明。アフロ・レゲエは子供たちにパーカッションやダンスを教えるなどの奉仕活動をするとともに、その中心人物たちは同名のバンドを組んで音楽活動をしていたりもする。その音楽性はレゲエとはなんら関係なく、ヒップホップやロックの要素の強いことをやっていて、そこにサンバの打楽器が加わるといった感じのもの。ぼくは今回、初めて彼らの事を知ったが、04年にはユニヴァーサル・ミュージックからアルバムを出したそう。
どきどきできたり、考えさせられるところは多々。描き方が一部クサいきらいがあり、効果音楽が一部完全にブラジル的属性から離れる(それ、ぼくの認識不足? そりゃ、ブラジルはなんでもありの国だが)あたりは多少しらける。が、いろんなリオの姿が垣間みれるだけでも(ファヴェーラの俯瞰映像もなかなか来るナ)、ブラジルに興味を持つ人なら見て損はないだろう。さすが、ファヴェーラを歩いてみたいとは思わないが(だが、ファヴェーラから見下ろすコパカパーナ方面の風景は実に綺麗。あんなの毎日見てたら、いい人になれそうと無責任に思った)、ブラジル行きたい熱を刺激されました。この4月5日から、恵比寿ガーデンホールにある東京都写真美術館1階ホールでこの映画は公開される。
アフロ・レゲエ団体が子供たちに打楽器を教えるところで登場したのは、名手マルコス・スザーノ(1999年8月11日、2001年12月19日、2002年7月21日、2005年2月15日、2005年10月30日、2006年8月11日、2006年8月24日、2006年12月28日、2007年8月11日、2007年8月23日,他)。スティング・バンドから地元の子供たち相手まで、いろんなところで活躍しているのだな。ふふふ。映画によれば、リオのパトカーはフォルクスワーゲンの車を使用のよう。そういやあ、昔ワーゲン・ビートルが西ドイツ本国では作らなくなった後も延々とブラジル工場では生産されていて、細々と日本にも入ってきていたことがあった。話は飛ぶが、だいぶ前になるけどメキシコシティーに行ったときタクシーは皆ビートルでうれしくなったことがあったな。ビートルは2ドア車ながらもちろん客は後部座席に乗るのだが、その乗降がしやすいように前の助手席の椅子をとっぱっらっていたっけ。そのビートルはやはりブラジル産だったのだろうか。それが、最後のワーゲン・ビートル乗車であり、リア・エンジン車/水平対抗エンジン体験だったな。
そして、丸の内・コットンクラブへ。その前に有楽町のビック・カメラで携帯を買い替える。1年半ぐらしか使っていないが雑に扱うために調子が悪く、通話に支障がでていたため。一番いいナと直感で思えた商品は品切れでかなしー。5万円強の出費。ところで、複雑な料金契約体系のもろもろはなんとかならんのか。わけわからん。絶対にあれはずぼらなユーザー無視、ぜんぜん優しくない。あんなのをしたり顔でプレゼンしたりするのを日々の業務にする奴がいて、それにOKを出す馬鹿面のお偉方がいるかと思うと、腹が立つ。あー、いろんな意味でNTT/ドコモとおさらばしたい(ある理由で、そのままだが)。でも、他の会社も同様なのかな。
米国西海岸の若手ジャズ・シンガーのサラ・ガザレク(2006年3月22日、2007年12月27日)、ファースト・ショウ。まだ20代ながらスーツをちゃんと着るピアノ・トリオと一緒に、初々しく歌うのは前回みたときと同様。だが、彼女のMCを聞いてびっくり。なんと、ベースとドラムは新しい人たちで6ヶ月前からこのメンバーでやっていること。おお。2006年の項で書いてあるように、ガザレクとリズム・セクションは大学のジャズ専攻時の同級生で、卒業後も一緒にプロとして高めあってきたまさに同志。一体、何があったのか。メンバー交代なんてずっとやっていく上では不可欠なものだろうけど、彼らはまさしく竹馬の友的なノリから、円満にしてブライトな私たちのジャズ表現を紡ぎだそうとしていたのだ。一体、それはどっち側からの申し出であったのか。そのときの、切り出されたほうの反応は……。いやあ、そのMCの後、ぼくはそんなことに思いは回り、少しドギマギしちゃいました。だけど、それがまた新しい発展に、前進につながることを望む。
オマール・ソーサ
2008年3月16日 自由な意志と風を持つ、キューバ出身(今はバルセロナに住むのかな。でも、移動が好きなので、また引っ越しちゃったかも?)のピアニスト(2001年8月24日、2002年7月22日、2004年8月2日、2005年9月24日、2006年10月28日)。声を出したりもする本人に加え、細長いひょうたん型の弦楽器も手にしたイスラム圏を想起させる歌い方をするシンガー、打楽器中心の人(彼も、ひょうたん型を手にする)、電気ベーシストという編成にて。みんな、肉声を出し、打楽器類を手にする。人は変わっているかもしれないが、基本編成自体は前回と同じだな。
自在にながれていき、いろんな要素や情緒が表れては消える。ジャズたる何かを軸に、キューバからアフリカまでの道のりをいろんな場所を介しながら描いていく、という言い方もアリだろうか。これまでで一番クラシカルというか、ニューエイジ・ミュージック調のピアノ演奏を断片的に入れたとも言えるか。それ、アンビエントと感じる人もいそう。でも、一方ではすぐにガラっぱちな無頼漢的表情を出したりするわけで、その対比が鮮やかにして息をのませる。でもって、彼はこれまでになく客を煽ったのではないか。前半部に、ソーサは椅子の上に立ったりもした。そのときは場内総立ちになりましたね。やっぱり、誰にも真似の出来ない、いや自分だけの混合流動音楽を実践している人と言うしかありません。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。
自在にながれていき、いろんな要素や情緒が表れては消える。ジャズたる何かを軸に、キューバからアフリカまでの道のりをいろんな場所を介しながら描いていく、という言い方もアリだろうか。これまでで一番クラシカルというか、ニューエイジ・ミュージック調のピアノ演奏を断片的に入れたとも言えるか。それ、アンビエントと感じる人もいそう。でも、一方ではすぐにガラっぱちな無頼漢的表情を出したりするわけで、その対比が鮮やかにして息をのませる。でもって、彼はこれまでになく客を煽ったのではないか。前半部に、ソーサは椅子の上に立ったりもした。そのときは場内総立ちになりましたね。やっぱり、誰にも真似の出来ない、いや自分だけの混合流動音楽を実践している人と言うしかありません。南青山・ブルーノート東京。セカンド・ショウ。
マリタイム、ジミー・イート・ザ・ワールド。ベン・シドラン&ジョージィ・フェイム
2008年3月17日 渋谷・アックス。まず、ミルウォーキー出身(そういやあ、ヴァイオレント・ファムズを生んだ場所だったよなー)のギター・バンド、マリタイムが出てくる。芸も閃きもないものの、まっすぐ感を持つ人たち。スキンヘッドの左利きヴォーカル氏は少しキャラあるかも。彼、ちゃんと声は出るが少し音痴、そしてギターを弾くのと連動してのものだろう身体の揺らし方がどんくさい。だが、悪びれず、無骨にパフォーマンスを続けていく様に触れていると、こいつら悪天候の野外会場でも、客が20人ぐいらいしかいない小さな会場でも、同様のパフォーマンスを熱意を持ってするんだろうなーと思えてきて、少し好感情を持ってしまった。彼の会場がシーンとしたなかのMCはなかなかにKYで、それもらしかった。
続いて、キャピトル〜インタースコープとメジャー畑を10年強も歩んでいるジミー・イート・ザ・ワールド。たぶん、今回初めて見ると思うんだが、想像していた以上に演奏などはしっかりしている。立派。それに触れると、マリタイムとの力の差は歴然としていると思わずにはいられず。そんなら彼らがやっているのは、厚めのギター・サウンド(リズムは平板)に愛想のいいメロディを載せるという、今のアメリカの典型的な歌謡ロック。もう客にはうけうけ、その図はほほえましいという感想も引き出す。そんな反応受けて、当人たちはやってて気持ちいいだろーなー。3曲目かでマリタイムのはげ頭さんが出てきて、バック・コーラスを取る。なるほど、本国で一緒にツアーやっているという話に納得。数曲、聞いて場を移動。
そして、丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)。米国黒人音楽にやられてウン十年の、米英のヴェテラン白人が自然体でつるむという出し物。見に来た人は元祖モッドでもある、ジョージー・フェイムのファンが多かったよう。
まず、ピアノとヴォーカルのシドラン(2006年4月9日、2007年1月15日)がアルト・サックス、ウッド・ベース、ドラムとともに2曲パフォーマンス。以後は、オルガンを弾きながら歌うフェイムが出てきて、彼の主役でショウが進められる。ちょい顔が赤めのフェイムはとにかくご機嫌そうで、意気軒昂。オルガンを離れ中央に出てきて歌ったり、ダンスをしちゃう場面も。途中、MCでヴァン・モリソンのことに触れたりも。そうだった、フェイムとモリソンは90年代中期に双頭作を出したことがあったんだっけな。昔(98年か)、ブルーノート東京でシドランとフェイムの同様公演を見たことがあったが、そのときよりもフェイムは個を出していたし、いい感じの度数は高かった。なんか、黒人音楽と白人の幸せな関係、広義のポップ・ミュージックの真理を照らすものが、この晩の実演にはあったはず。
続いて、キャピトル〜インタースコープとメジャー畑を10年強も歩んでいるジミー・イート・ザ・ワールド。たぶん、今回初めて見ると思うんだが、想像していた以上に演奏などはしっかりしている。立派。それに触れると、マリタイムとの力の差は歴然としていると思わずにはいられず。そんなら彼らがやっているのは、厚めのギター・サウンド(リズムは平板)に愛想のいいメロディを載せるという、今のアメリカの典型的な歌謡ロック。もう客にはうけうけ、その図はほほえましいという感想も引き出す。そんな反応受けて、当人たちはやってて気持ちいいだろーなー。3曲目かでマリタイムのはげ頭さんが出てきて、バック・コーラスを取る。なるほど、本国で一緒にツアーやっているという話に納得。数曲、聞いて場を移動。
そして、丸の内・コットンクラブ(セカンド・ショウ)。米国黒人音楽にやられてウン十年の、米英のヴェテラン白人が自然体でつるむという出し物。見に来た人は元祖モッドでもある、ジョージー・フェイムのファンが多かったよう。
まず、ピアノとヴォーカルのシドラン(2006年4月9日、2007年1月15日)がアルト・サックス、ウッド・ベース、ドラムとともに2曲パフォーマンス。以後は、オルガンを弾きながら歌うフェイムが出てきて、彼の主役でショウが進められる。ちょい顔が赤めのフェイムはとにかくご機嫌そうで、意気軒昂。オルガンを離れ中央に出てきて歌ったり、ダンスをしちゃう場面も。途中、MCでヴァン・モリソンのことに触れたりも。そうだった、フェイムとモリソンは90年代中期に双頭作を出したことがあったんだっけな。昔(98年か)、ブルーノート東京でシドランとフェイムの同様公演を見たことがあったが、そのときよりもフェイムは個を出していたし、いい感じの度数は高かった。なんか、黒人音楽と白人の幸せな関係、広義のポップ・ミュージックの真理を照らすものが、この晩の実演にはあったはず。
アニマル・コレクティヴ、クリア・ブレッケン
2008年3月18日 NYをベースとする、実験性あふれるロック・バンド。うわあ、びっくり。感動。たぶん、今年一番のロック公演になるんじゃないかな。
ステージに出てきたのは3人。あれ、彼らって4人組じゃなかったの? で、3人はそれぞれ機械を操る。あれれえ、彼らってもっとローファイ的なこともしていたはずだが。でも、音に触れ、すぐにそんな事どうでもよくなっちゃった。基本、機械仕掛けの電気的サウンドに、訴求力ある歌が乗る。うわ、それじゃ、実のある説明になんもなってないじゃん。とにかく、聞きながら、例えとなるバンド名を出すのが困難、オレはとってもオリジナルなライヴ音を聞いているという手応えを得っぱなし。一人はターンテーブルも扱い(たぶん。後ろで見てたから、よく確認できず)、もう一人はオペレイトと打楽器を担当し、もう一人は主に歌。彼はギターを持って歌うときもある。とにかく、音の重なりが独創的かつ実に有機的。どんどんサウンドは加速度を増し、潮の満ち引きのように様相をかえ、そこにちゃんとした歌心ある肉声が乗る。歌自体はそのまま、生ギターの弾き語りでやっても上質なものとして通用するだろうクォリティを持つ。……完璧。すごすぎ。“機械を経由する、人間が存在する現代ロック”ということでは、ビョーク(2008年2月22日)の行き方なんかとも重なるが、今なら間違いなく、彼らの方がフレッシュで魅力的。うーん、素晴らしすぎる! なんだかんだ2時間近くやったんではないかと思うが、ぼくは息を飲みながら接した。なにかと煮詰まり気味というか、レトロな音が持て果たされるロック界だが、まだまだ新しい行き方、出口はあるのだと痛感させてくれたパフォーマンス。力が湧きました。
恵比寿・リキッドルーム。最初にアニマル・コレクティフの一人と夫婦だという、アイスランドのバンドであるムームにいたことがあるというクリア・ブレッケン(と、読むのかな)のソロ・パフォーマンス。その二人は共作名義で昨年『Pullhair Rubeye』という迷宮作を出していますね。彼女は生ギター(に、エフェクトをかます)やキーボードを弾きながら、ぶりっ子ヴォイスで歌う。けっこう、機械音を噛ましもする。ときにはかなげで、コワレた感じもありの、不思議の国のアタシ……。別に悪いモノではないが、立って、後ろから見るものではないな。
ステージに出てきたのは3人。あれ、彼らって4人組じゃなかったの? で、3人はそれぞれ機械を操る。あれれえ、彼らってもっとローファイ的なこともしていたはずだが。でも、音に触れ、すぐにそんな事どうでもよくなっちゃった。基本、機械仕掛けの電気的サウンドに、訴求力ある歌が乗る。うわ、それじゃ、実のある説明になんもなってないじゃん。とにかく、聞きながら、例えとなるバンド名を出すのが困難、オレはとってもオリジナルなライヴ音を聞いているという手応えを得っぱなし。一人はターンテーブルも扱い(たぶん。後ろで見てたから、よく確認できず)、もう一人はオペレイトと打楽器を担当し、もう一人は主に歌。彼はギターを持って歌うときもある。とにかく、音の重なりが独創的かつ実に有機的。どんどんサウンドは加速度を増し、潮の満ち引きのように様相をかえ、そこにちゃんとした歌心ある肉声が乗る。歌自体はそのまま、生ギターの弾き語りでやっても上質なものとして通用するだろうクォリティを持つ。……完璧。すごすぎ。“機械を経由する、人間が存在する現代ロック”ということでは、ビョーク(2008年2月22日)の行き方なんかとも重なるが、今なら間違いなく、彼らの方がフレッシュで魅力的。うーん、素晴らしすぎる! なんだかんだ2時間近くやったんではないかと思うが、ぼくは息を飲みながら接した。なにかと煮詰まり気味というか、レトロな音が持て果たされるロック界だが、まだまだ新しい行き方、出口はあるのだと痛感させてくれたパフォーマンス。力が湧きました。
恵比寿・リキッドルーム。最初にアニマル・コレクティフの一人と夫婦だという、アイスランドのバンドであるムームにいたことがあるというクリア・ブレッケン(と、読むのかな)のソロ・パフォーマンス。その二人は共作名義で昨年『Pullhair Rubeye』という迷宮作を出していますね。彼女は生ギター(に、エフェクトをかます)やキーボードを弾きながら、ぶりっ子ヴォイスで歌う。けっこう、機械音を噛ましもする。ときにはかなげで、コワレた感じもありの、不思議の国のアタシ……。別に悪いモノではないが、立って、後ろから見るものではないな。
コン・ファンク・シャン。アル・マッケイ・オールスターズ(22日)
2008年3月21日 とっても、贅沢な晩。
まず、丸の内・コットンクラブでコン・ファンク・シャンを見る。ファースト・ショウ。店の前に行くと並んでいる人がいる。聞けば、セカンド・ショウを見る人がいい席を得るために待機しているそう。おお、そんなのに触れるのは初めて。まあ、前回公演(2007年1月10日)も素晴らしかったし、それも分からなくはない。休みの日だったためもあるのかな。で、何度触れても嬉しい、音楽自体の魅力と仕草やMCなどの様式の部分がなんとも効果的に重なった娯楽性たっぷりの大ソウル・ショウを堪能。嬉しく、燃える〜。途中、EW&Fの「サン・ゴッデス」の印象的なギター・リフも噛ます。なんか、はしごする必然性を感じる。。。
そして、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。一番いい時期のアース・ウィンド&ファイアーのギタリストだったアル・マッケイ(彼は70年代初頭から10年弱在籍した)が率いる大所帯グループ。喉自慢男性ヴォーカルが3人いて、ホーン隊もばっちりな腕達者なバンドががっつり絡みますという彼らが繰り出すのはまさに全盛期EW&Fの有名曲。秀でたファンク曲がちゃんとしたバンド音にて、次から次へと送り出される。もう、問題あるはずがないじゃないか。より肉感的な感じもあるし、ぶっちゃけ今のアースよりも楽しくも起爆力があるのは間違いない。もう浮かれ、イケイケでたのしんじゃったな。自分の名前を冠していても、ステージの後ろのほうで刻み芸に基本徹するマッケイを追っていたら、90年代初頭に彼のLAのお家にちらりと寄ったことがあったんじゃなかったかと思えてきた。そうだとしたら、当時はまだLA在住だった沼澤尚に連れてかれたはずだが。そういえば、マッケイは13キャッツの唯一の日本公演(90年代中期に、オンエア・イーストだっけか?)にも参加したと記憶する。
あー、最高のはしご。めちゃ、楽しい夜……。
まず、丸の内・コットンクラブでコン・ファンク・シャンを見る。ファースト・ショウ。店の前に行くと並んでいる人がいる。聞けば、セカンド・ショウを見る人がいい席を得るために待機しているそう。おお、そんなのに触れるのは初めて。まあ、前回公演(2007年1月10日)も素晴らしかったし、それも分からなくはない。休みの日だったためもあるのかな。で、何度触れても嬉しい、音楽自体の魅力と仕草やMCなどの様式の部分がなんとも効果的に重なった娯楽性たっぷりの大ソウル・ショウを堪能。嬉しく、燃える〜。途中、EW&Fの「サン・ゴッデス」の印象的なギター・リフも噛ます。なんか、はしごする必然性を感じる。。。
そして、南青山・ブルーノート東京(セカンド・ショウ)。一番いい時期のアース・ウィンド&ファイアーのギタリストだったアル・マッケイ(彼は70年代初頭から10年弱在籍した)が率いる大所帯グループ。喉自慢男性ヴォーカルが3人いて、ホーン隊もばっちりな腕達者なバンドががっつり絡みますという彼らが繰り出すのはまさに全盛期EW&Fの有名曲。秀でたファンク曲がちゃんとしたバンド音にて、次から次へと送り出される。もう、問題あるはずがないじゃないか。より肉感的な感じもあるし、ぶっちゃけ今のアースよりも楽しくも起爆力があるのは間違いない。もう浮かれ、イケイケでたのしんじゃったな。自分の名前を冠していても、ステージの後ろのほうで刻み芸に基本徹するマッケイを追っていたら、90年代初頭に彼のLAのお家にちらりと寄ったことがあったんじゃなかったかと思えてきた。そうだとしたら、当時はまだLA在住だった沼澤尚に連れてかれたはずだが。そういえば、マッケイは13キャッツの唯一の日本公演(90年代中期に、オンエア・イーストだっけか?)にも参加したと記憶する。
あー、最高のはしご。めちゃ、楽しい夜……。
ダイナソーJr.
2008年3月27日 桜の季節だ。が、寒い。前日にプチ花見をやったら、見事に鼻がぐずぐずになってしまった。J・マスシス(2001年2月13日)、ルー・バーロウ、マーフ、オリジナル・メンバーがそろってのライヴ。3年前のフジ・ロック(2006年7月30日)でもちょい見しているがまったく記憶がとんでいるな。80年代後期の米国ロック界を彩ったバンドだけあり、けっこう熱い反応を受けていました。さばけてて、ときに疾走もするギター・ロック。バーロウはいろんなベースの弾き方をしていてへ〜え。もう少しグルーヴがあればと思うが、グルーヴがあったらあんなに受けなかったんじゃねーのと知り合いが言う。
ヒトミ
2008年3月28日 馬鹿みたいに忙しい。が、桜はほぼ満開、花見はしなきゃいけないのでもー大変。年に一回の風物詩、そりゃ一年中ある仕事より花見を取らなきゃウソだ。この日も花見に誘われたけど、それ以前に花見シーズンが来ることを忘れてライヴ評を書くのを受けてしまってエーン。とても、悲しい。が、夕方雨模様、はははざまあみろと思いながら地下鉄で神田駅に向かう。なんて、ぼくは底意地が悪いんだろう。東京TUC。前回初めて行ったとき(2007年9月18日)は秋葉原駅からすぐに行けたのだが、この日はなぜかたどり着けず、あきらめてタクシーに乗って会場へ行く。なんか、とってもアウェーな気分になる。この会場はセルフで飲み物を買うんだけど、1杯800円は少し高いな。何度もカウンターへ行くのがかったるいので、前回来たときと同様にワインをボトル買いするが、それが相当に不味いわけで(原価が安価でももっとマシなのはいくらでもあるはず)、それがこの会場のぼくの印象を悪くしている。
本名、大羽ひとみ。LA在住、UCLAの大学院に学ぶ(専攻はクラシックの作曲のよう)ジャズ・テナー・サックス奏者だ。高校まではバークレーで生まれ育っているが、両親はヒッピーだったのかな。まっとうな日本人ピアノ・トリオを従え、ワン・ホーンにてパフォーマンス。見た目は普通の日本人女性で小柄。綺麗な指も細い。が、そんなお嬢さんがアルトではなくテナーをもって、ぶいっと吹き倒していく……その様は意外性に満ちているとともに、壮快だな。
2部構成で、2時間弱。技量も感性も確か、そしてジャズへの真摯な気持ちあふれる。スタンダード中心ながら、ときおり自作曲も交える。実は、そのオリジナルはウェイン・ショーター(2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月19日)とかを想起させる生理的に創意と刺を持つもの。発売元の意向もあるのだろうか、スタンダード主体のアルバムを出している彼女だが、その自作曲とスタンダードでは水と油(誇張が入っているけど)。なんとか、オリジナル主体で活動できるようにはならないものか。近く出る彼女の2作目のリーダー作のピアノ奏者とドラマーはこの前のサラ・ガザレク公演(2008年3月13日)で来日していた人たち。やっぱ、酔狂にジャズに邁進している若人は少ないようで、密なLA若手ジャズ・マンのサークルができているようだ。
ライヴが終わると、雨はやんでいる。花見はやっと佳境との連絡を得て、かけつける。うひゃは。
本名、大羽ひとみ。LA在住、UCLAの大学院に学ぶ(専攻はクラシックの作曲のよう)ジャズ・テナー・サックス奏者だ。高校まではバークレーで生まれ育っているが、両親はヒッピーだったのかな。まっとうな日本人ピアノ・トリオを従え、ワン・ホーンにてパフォーマンス。見た目は普通の日本人女性で小柄。綺麗な指も細い。が、そんなお嬢さんがアルトではなくテナーをもって、ぶいっと吹き倒していく……その様は意外性に満ちているとともに、壮快だな。
2部構成で、2時間弱。技量も感性も確か、そしてジャズへの真摯な気持ちあふれる。スタンダード中心ながら、ときおり自作曲も交える。実は、そのオリジナルはウェイン・ショーター(2001年8月3日、2002年8月25日、2004年2月19日)とかを想起させる生理的に創意と刺を持つもの。発売元の意向もあるのだろうか、スタンダード主体のアルバムを出している彼女だが、その自作曲とスタンダードでは水と油(誇張が入っているけど)。なんとか、オリジナル主体で活動できるようにはならないものか。近く出る彼女の2作目のリーダー作のピアノ奏者とドラマーはこの前のサラ・ガザレク公演(2008年3月13日)で来日していた人たち。やっぱ、酔狂にジャズに邁進している若人は少ないようで、密なLA若手ジャズ・マンのサークルができているようだ。
ライヴが終わると、雨はやんでいる。花見はやっと佳境との連絡を得て、かけつける。うひゃは。