ラウル・ミドン

2007年9月1日
 FM番組絡みのショーケースのライヴで、渋谷・クラブクアトロ。前回の
ショーケース・ライヴ(2005年10月24日)と同様に生ギターの弾き語りに
よるもので、感想はほぼそのときと同様。円満にしてヒューマンな手触りを
与えるパフォーマーであるのは間違いない。あんまり深く考えなかったけど、
なるほど彼はアルゼンチン系アメリカ人なのか。そういう襞は前よりも出て
いるし、もっと出てほしいな。
 南青山・ブルーノート東京(ファースト・ショウ)。真摯ゆえに生理的に
ハードだったり、ファンク/R&B色過多だったりするここでの出し物にとき
に触れると、ふと感じることがある。そういう場合、アーティストの事はな
にも知らずに趣味の良いジャズをいい雰囲気のもと浸りましょうという心持
ちでやってきたお客さんはどう感じちゃうのかナと。その点、この晩の内容
はそういう人たちもニッコリ、安心して接することができたのではないか。

 ブルーノート・レコード育ちのモダニストという言い方もありかもしれな
いジャズ・ヴァイブラフォンの第一者のショウはピアノ、ベース、ドラムを率
いてのもの。ゆったり感と闊達な気分が矛盾なく繋がったような、瀟酒に舞
う感覚を持つ穏健な4ビート演奏を誠実に披露。後半2曲ばかしテンポが早
い曲をやって、そこには60年代の作品のように(考えてみれば、ちゃんと彼
を聞いているのはそのころだけだな)野心が見え隠れし、フフフとなれたり
も。ぼくにとってはちょっとおとなしめと感じるところもなくはなかったが
、ジャズとしての質や品格のようなものは十分にあった公演だと思う。で、
アタマに書いたことも思ったわけ。

RAD

2007年9月6日
 2006年12月7日の項で触れているようにミネアポリス在住のプリンスはベ
イエリアの音楽語彙フェチである。スライ・ストーンの影響は当然のこと、
彼のギター・ソロの最大の影響源はカルロス・サンタナだもんな。そして、
彼はシーラ・E、エリック・リーズ、エディ・Mらベイエリアのプレイヤー
をことあるごとに自分のバンドに入れてきた。

 RADはサンフランシコのベイエリア地区の、実力派女性シンガー/キー
ボーディスト。で、彼女も04年ごろのプリンスのツアーに雇われていたらし
い。が、それもこの闊達な指裁きに触れると納得ですね。しかも、彼女はき
っちりとベイエリア・ファンク(本人はイーストベイ・ファンクと言ってい
たか)の流儀をきっちりと会得し、それをジャズ的発展性を介して(歌は旋
律取りが非常に難しいだろうなあ、と思わせる)魅惑的に押し出しちゃうの
だから。その事実は何枚かのアルバムを聞いて合点していたが、生を聞くと
想像していた以上に達者でクリエイティヴな迸りがあって参った。

 そう感じずにはいられなかったのは、同地の実力者たち(それが、現在の
彼女のワーキング・バンドらしい)によるサポートの見事さもあったろう。
。とくにギタリスト(ベイエリアの主任セッション・マンであるレイ・オビ
エド。すげえ器用で、百戦錬磨であることを思わせる)とベーシスト(欧州
出身のマルク・ファン・ヴァーゲニンゲン。シーラ・Eファミリーと懇意に
している人のようだが、見事にタワー・オブ・パワーのロッコ・プレスティ
アを想起させるフレイジングを自分のものにしていた)は完璧。また、アル
ト・サックス奏者は件のエリック・リーズ。プリンスのペイズリー・パーク
・レーベルからアルバムを2枚出した彼のユニットであるマッドハウスの曲
もやったな。

 丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。この晩は翌朝にかけて最大
級の台風の関東上陸が報じられており、ときに風と雨がすごっかたりしたの
で、飲めなくてもびしょぬれになるよりはマシと車でコットンクラブのある
東京ビルディングに行く。かなりここには来ているが、お酒と対なので車で
来るのは初めて。普通だったら興がのって、さぞや飲んだろうなあ。

大西順子

2007年9月7日
 90年代に米国ブルーノート・レコードから5枚のアルバムを出すなどワー
ルド・ワイドな活動をしていたジャズ・ピアニストながら、00年に突然引退
してしまった女性(1999年10月9日)。近年また演奏しはじめたという話
は聞いていたが、アルバム等はリリースしてはいない。南青山・ブルーノー
ト東京。ぼくはファースト・ショウを見るが、ジャズ側の知り合いといろい
ろ会う。やはり、彼女の真価を認め、その復活を待つ人が少なくないのだろ
う。

 レジナルド・ヴィール(2004年9月7日)とハーリン・ライリー(2000年
3月9日)、彼女のザ・ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤と同じベー
シストとドラマーを呼んでのもの。かなり秀逸なリズム隊演奏に乗り、彼女
は気持ち良さそうに指を踊らす。いろんな表情を持つ演奏を明快に、するす
ると。大人になったという言い方も出来るだろうが、かつての業の深さのよ
うなものは出さなくなっているかな。そこらへん、ほんの少し残念に感じた
かも。さあ、これからどーなるか、、、。
 なんか想像していたよりも遙かに訴求力あるストレート・アヘッドなジャ
ズをやってくれて、ぼくは驚いた。切れと覇気がたっぷり。思わず、身を乗
りだしたな。南青山・ブルーノート東京、セカンド・ショウ。

 ウィントン・マルサリス(2000年3月9日)の後に続く俊英トランペッタ
ーとして世に出て注目を集めたハーグローヴ(2003年2月18日、2003年9月
21日)だが、ミレニアム以降は自身のファンク/R&B趣味を投影したソウ
ル・フュージョン路線を歩んできていた。(所属レコード会社の)ヴァーヴ
も純ジャズじゃないほうを望んでいると当人が言っていたことがあったけど
、昨年出た新作『ナッシング・シリアス』は久しぶりに正調ジャズ路線にあ
るものだ。

 アルトとリズム隊を従えて、マジなジャズを繰り広げる。バラード(スタ
ンダードの「アイム・グラッド・ゼアーズ・ユー」。この曲だけ、フリュー
ゲルホーンに持ち替える)以外はみんなバリバリと突き進む。だだし、新作
とは全然異なる面子を率いてのもので、そこからの曲も1曲しかやらなかっ
たし、ハーグローヴ自身、このクインテットはアルバムの先にあるものと位
置づけて意気込んでやっていたんじゃないのかな。別に新しいことは何もし
てないものの、まっとうなジャズ語彙が渦巻くこの晩のパフォーマンスはそ
う思わせちゃう輝きを持っていった。

 それから。ハーグローヴ(スーツを来ていたが、靴はスニーカー)は姿勢
よく、直立でトランペットを吹く。ちょっと背をそらせ気味にトランペット
を真っ直ぐにマイクに向けて。その様、本当にカッコいいし、彼の真っ直ぐ
な心持ちを伝えてくれるような気がして、ふふふとなれた。
 六本木・ビルボードライヴ東京、セカンド・ショウ。東京ミッドタウン
(初めて行く)内の商業施設棟にあって、まず最初の所感はテナント料高
そう。

 メイシオ(アルト)、フレッド(トロンボーン)、ピー・ウィー(テナー
)のJBズ時代の名ホーン隊同僚(メイシオとフレッドはP−ファンク=ホ
ーニー・ホーンズの同僚でもある。かつてメイシオにJBとジョージ・クリ
ントンの違いを聞いたところ、パーティがあるとしてちゃんと正装でいらっ
しゃいというのがJBだとしたら、ジョージのほうは普段着で騒ごうゼとい
う感じだ、とコメント)たちは90年前半に一緒にJ.B.ホーンズとして活動、
そのいっぽうメイシオはヴァーヴと契約したソロ路線(そこには、フレッド
とピー・ウィーも当初は助力)が受けて徐々にメイシオが単独での仕事(19
99年8月6〜8日、1999年10月28日、2001年4月17日、2005年9月6日)
が繁盛し、現在にいたるわけだ(彼はプリンスの来日公演にも同行:2002年
11月19日)。フレッドはJBズと名乗りジャボ・ストークス(2007年4
月18日)やクライド・スタブルフィールド(2007年4月18日)らを交えて来
日したこと(1999年10月25日)もあった。ピー・ウィーには90年代に渋谷
の東武ホテルでインタヴューした記憶があるが、彼はそのときなんで来てた
んだろう。彼はオマール・ソーサ(2006年10月28日、他)のバンド客演で
やってきたこと(2005年9月24日)もあった。
 
 バンドはいつものメイシオのバンド(あんなに、P-ファンク出身のロドニ
ー・カーティスって太っていたっけか)。同バンドのトロンボーン奏者(フ
レッドの後釜でP−ファンク入りしたグレッグ・ボイジャー)とトランペッ
ト奏者(JB表現にも係わったことがあるらしく、またジャコ・パストリア
スとも親交を持ったロン・トゥーリー)を抜いて、代わりにフレッドとピー
・ウィーが加わるという感じ。それから、ずっとメオシオ・バンドにいた
白人ウィル・ブールウェア(現在は日本主導で、ジャズ・ピアノのアルバム
を出したりも。なんかローランドをしょぼい音色で弾いていたけど、ハモン
ドB−3をちゃんとつかってほしかったな)がバンドに出戻っている。

 演目もJB財産を根っこに持ちつつ鷹揚に広がるメイシオ毎度のレパート
リーが中心。流儀も同様。実はフレッドは名ソングライターでもあり、JB
ズ時代にいくつもJBと曲を共作していることを、「ソウル・パワー」のリ
フを聞きながら思いだしたりも。また、ジャコ・パストリアスがカヴァーし
てより知られる曲になった「チキン」はピー・ウィがJBズ時代に書いた曲
で、彼を立てるかようにこの曲もやったが、それはジャコ・ヴァージョンに
寄った演奏だった。また、メイシオが旧作で取り上げているポール・マッカ
トニー曲「マイ・ラヴ」では3人でソロ回しをしたりもしたが、基本的には
二人は付け足しのホーン・セクションという感じで重なっていて少し残念に
思うところもあったな。とにかく、それはメイシオが「これは俺の名前で興
行している、俺のショウなんだ」と言わんばかりにずっと中央に君臨してい
たからよりそう感じたのかもしれない。それもまた、ショウビズの掟かな。

 終演後、誘われて楽屋に行ったのだが、今年会うのが3度目となるフレッ
ド(2007年2月2日、3日。2007年4月18日)はぼくを見るなり「おう、入
れ入れ」。さすが覚えているのかと思ったら、「キミはミューシジャンなの
?」。ありゃりゃ、「いえ、音楽ジャーナリストで……」。「そうか、そうだ
った。ニューオーリンズのティピティナズで会ったんだよなあ」。そして、
嬉しそうに繰り返し、横にいたバック・シンガーのマーサ・ハイにも「コイ
ツとはなんとティピティナズで出会ったんだよ」と紹介してくれる。JBファ
ミリー・ディーヴァの一人である金髪ブレイズのマーサさんはお歳はめして
いたがかなり綺麗な人だった。「ショウはどうだった? 楽しめた?」と話
かけてくる彼女はとっても気立てが良さそう。彼らに12日に亡くなってしま
ったボビー・バードの話を振ろうと思ったら、そのときなぜかバードの名前
が出てこなくて(ああ、歳はとりたくない)、まいっかとあっさり諦める。
テーブル(メイシオ曲の「オフ・ザ・フック」の楽譜が置いてあった。それ
、フレッドとピー・ウィーの確認用?) の向かいではコーラス/ラッパーの
コリー・パーカーが紅色スペシャル・メイドのi-ブックとにらめっこ。そし
て、メイシオは頼まれたサインを一生懸命やってたな。ピー・ウィーはジュ
ースを3本袋に詰めてたと思ったら、いなくなる。それぞれの楽屋、ショウ
は続く。

 岩本町・東京TUC。もうだいぶ前からあるジャズ専門ヴェニュー(HP
では、“陸の孤島にあるジャズの隠れ家”と記されている)という認識を持
つが、出演者がコンサバな人主体だったこともあり、ぼくはここに初めて来
る。東京ユニフォームという業務用衣料を作っている会社がそのビルの地下
に持つ施設。ライヴは不定期にやっているようで、普段は社員の和みサロン
かなんかに使われているのかなあ。               

 ECMと契約するギタリストにプラスし、リード、トランペット、ベース
、ドラムという布陣による。生ギターと電気ギターを弾き分けるヤングはカ
ーリン・クログ(2006年11月2日)とデュオ・アルバムを作っていて03年に
は一緒に来日したことがあるらしい。彼、人望はあるようで、今回のサイド
・マンはノルウェーの曲者/手練が集まっててかなり豪華。ドラマーはEC
M叩き上げのヨン・クリステンセン(レジェンダリーと言う事も出来るかも
しれないが、とっちゃん坊や的な風貌の人。飄々と叩いていた)だったり、
トランペッターのマティアス・アイク(トランペット)はヤガ・ヤシストや
モティーフのメンバーだったりとか。

 やった曲はどれもヤングのオリジナルなのかな。彼の爪弾くようなギター
演奏が下敷きになり、そこにサイドマンたちが広がりあるアンサブル音を加
え、随所でソロ(それほど延々と取らないが、それぞれに達者でした)が浮
かび上がるという感じの抑制された演奏を披露。ある種の美意識や見解が投
影されていると思わずにはいられない、室内楽的なもう一つのジャズ……。
だけど、生ならばもう少し燃え上がってほしいと思うところがぼくにはあっ
た。

 一応休憩が入ったが、両方合わせて1時間半ほどの演奏時間か。ハコの常
連客なのか、1部が終わるとなんじゃこれはという感じで席を立つ年配の方
が何人か。ジャズに限らぬが、同じ音楽ジャンルに属していても表現ヴァリ
エイションは様々ですね。
 六本木・ビルボードライヴ東京(セカンド)。なんか電車に乗るのがお
っくうで、飲めなくてもいいやと車で向かう。ここ(東京ミッドタウン)の
駐車場は面倒な様式をスカして取る六本木ヒルズと違い、開いている枠に車
を入れるという普通のもの。幅広の高級車がパークする比率も低くはないは
ずで、もう少し一台一台の枠を広めにとってもいいのではないかと感じる。
ちょい貧乏くさい。近年のハイテク駐車場は出庫ゲート以前に清算するとゲ
ートに差しかかったとき自動的にゲートが開くシステムのもの(どういう、
からくりになっているのかな。先日のRADを見に行ったさいのTOKIA ビル
も、そうだった)があるが、ここはそういう便利機能の導入はなし。あー、
ザ・リッツ・カールトン東京(日本語表記でちゃんと冠詞をつけているのは
珍しい。我々は唯一です、というのを強調しているのかな)に泊まってみた
ーい。
         
 定時に出てきたテカった禿げ頭のヴェテラン・フュージョン・ギタリスト
の姿を上から見下ろしつつ、カールトンのことをちゃんと見るのは初めてな
んだなーと確認。この晩だって、近年カサンドラ・ウィルソン(2004年9
月7、他)やマーカス・ミラー(2006年9月3日、他)のアルバムで秀でた
客演をしているケブ・モー(94年にエピック/オーケーから今の風を持つ
カントリー・ブルース・マンとしてデビューし、現在に至る)がゲストで出
る(どうやら、日本ツアーだけのスペシャル・アピアレンスのよう。今、モ
ーはソロでパーフォマンスをすることが多いようだ)から見にいったという
のは否定できない。

 ここのところ、ロベン・フォード(1999年8月28日、2004年4月21日、20
04年10月22日、2004年12月17日)との双頭のブルース傾向バンドで活動して
いた(この4月上旬に行った豪州バイロン・ベイのブルース・フェスにも彼
らは出演)カールトンはずっとブルース・モードが続いているらしく、自身
の新プロジェクトもブルースという単語を冠してのもの。で、なんと四管を
擁する(セクション音主体。ソロはテナー奏者だけがホンキーな感じでとっ
ていたが、なんとそれは長年フランク・ザッパ・バンドで吹いていたアル
バート・ウィングだったよう)総勢8人組にての編成で、キーボード奏者は
ハイラム・ブロック・バンド(2000年6月21日、他)でお馴染みのデイヴィ
ッド・デローンみたいだ。

 ブルース・バンドというわりにはブルース色の強い曲を連発するわけでは
なく、地に足をつけたがんちんこ気味のフュージョンをやる、と説明するの
が適切だろう。きっと、カールトンの演奏が光っていたザ・クルセイダーズ
の初期人気曲「プット・イット・ホエア・ユー・ウォント・イット」をここ
でやっても全然違和感はなかったはずだ。目鼻だちのしっかりしたサウンド
に乗るカールトンのソロは流麗にして非常に引っ掛かりがある。なるほど、
それは確かに魅力を見つけることができるもので、彼がスター・ギタリスト
になったのもよく分かる。どこかカールトンははしゃぎ気味(ルックスと異
なり、子供っぽい人という印象を持った)で、このバンドでライヴするのが
嬉しくてしょうがないという感じがあったかな。そういう様に触れるのは、
もちろん悪い気はしない。

 途中出てきたケブ・モーは長身痩身で遠目にはとってもカッコいい。オー
プン・チューニングでスライドを弾く1曲目はカールトンとドラマーと3人
で。おお、イケる。彼はそのままあと2曲やったが、そちらはバンドがつい
て(管はウィングのみが参加)のもので、レギュラー・チューニングによる
。ちょっと工夫にかけるブルース・コード進行曲が素材だったのは残念。で
も、声はとってもデカいし、思っていた以上に存在感のある人で余は満足じ
ゃ。

 アンコールは最初、カールトンがソロでギターを爪弾く。それ、ぼくには
ナッシング。というか、早くまたゲブ・モーが出てこんかい! と待ち構え
ていたもので。

ブリック。ニコール

2007年9月22日
 2000年3月9日(デューク・エリントン曲を題材とする、ウィントン・マ
ルサリスのリンカーン・ジャズ・オーケストラ公演)の項でぼくは以下の事
を記している。

 

 なんか、いまいち薄い印象を残す公演ではあったなあ。考えすぎというか、どこか生理的にストレートじゃないのだ。ここでそれを書き留める根性はないがとにかくエリントンの楽曲は無敵なんだから、もっと素直にやっても良かったのでは。その豊穣さを引き継ぐアンサンブルとかはさすが。でも、それを延々と繰り広げずに、すぐにソロ・パート(それもあまり長くはない)に持っていってしまい、その場合はリズムだけがバッキングするという感じにしちゃっているのも不満。それはリハ不足ゆえのもの? しかし、そういうお膳立てのアルバムも前に出しているしなあ。家に帰って、同楽団のエリントン曲集を聞いたら、もっと濃かったし、集団演奏の醍醐味はあったので、この日は不出来と言われても仕方がないだろう。

 とともに、あまりこういうことは書きたくないが、客層が良くなかったことも、“乗り切れなさ”に繋がっていた部分はあったんじゃないのか。オーチャード・ホールの出し物ファンが結構来ていたのかどーかは知らんが、あんましジャズのこと知らないんじゃないかという人が多そうな雰囲気あったもんなあ。なんかイヤな書き方になるけど。

 拍手の感じがそうなの。なんか、一応曲が終わると拍手はあるのだが熱意がない。MCにも反応はない。しらー。ようは、送り手側と受け手側のやり取りが全然ないわけ。それじゃ、やるほうも拍子抜けするわな。という感じで、改めてコンサートにおけるお客さんの重要性というのを痛感した。

 別にのべつまくなし声援を送れとは言わない。パフォーマーに媚びろとも言わない。いやならイヤという態度を出すのは当然ですね。だが、こちらから一歩歩み寄り、温かく迎える感じを相手に伝えるだけでも、送り手側は安心ができたり、気分良くなったりするのではないのか。そして、それは演奏にも跳ね返るはず。つまりは送り手のいい演奏を引き出すような、反応の仕方というのはあるのではないのかしら。そんなことを痛感させられた夜……。



 それにならうなら、この晩は客の反応が大いに実力以上の好演を引き出し
ていたのではないか。なかには、テーブルに彼らのレコードを並べて事ある
ごとにメンバーに見せたり、レコードを遺影のように飾っていた人もいた。
当然のことながら歓声等は好意的にして熱狂的で、そりゃ彼らだって意気に
感じ、熱くパフォーマンスを遂行しようとするよな。丸の内・コットンクラ
ブ(セカンド)。ああ、ステージと観客側が一体化するにはこのぐらいの大
きさがちょうどいいのかもな、とも感じた。

 ブリックは76年から82年の間はチャートの上でも好成績をおさめていた
アトランタのファンク・バンド。解散していたこともあったはずだが、オリ
ジナル時と同じ5人組(うち、3人がオリジナルなよう)での来日となる。ス
テージ上に登場した彼らの風体はラフ。ここに出る熟練ブラック・アクトは
着飾ることが多いので、少し見すぼらしいナと感じなくはなかった。

 まずおおと思わせたのは、ホーンと歌担当のジム・ブラウンがアルト・サ
ックスを肩にかけつつ、マイク・スタンドの回りにもトランペット、トロン
ボーン、ソプラノ・サックス、フルートを置いていたこと。ぼくの記憶が確
かならソプラノとトロンボーンは手にしなかったが、こんなに管楽器を並べ
る人をぼくは初めて見た。ふふ。一番手にすることが多かったトランペット
演奏はお粗末気味(一番、ムズカシイ事をやろうとしていたせいもあったは
ず。ファルセットで歌う事が多かった彼はサッチモの真似のもと、芸ある
編曲がなされた「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド』も歌った。それ、
良かった)、またバンド演奏も最初はちょい荒いかなと感じたのだけれど、
どんどん訴求力と熱量を持つものになってなっていって、それは冒頭に書い
たことが最たる理由ではないのかとぼくは感じたわけだ。ぼくもどんどん回
りにつられて発汗しちゃったという所があったかもしれない。で、結局、ア
ンコール時には立ち上がって喝采。十分に楽しみました。

 その前に、渋谷・CAMELOTでニコールという褐色のダンス系シンガ
ーを見る。ザ・プシーキャット・ドールズ(A&Mの売れっ子制作者ロン・
フェアー扱いのよう)というアイドル・グループのリード・シンガーをして
いた人だそうで、その初リーダー作はウイル・アイ・アム(2001年2月7日
、2004年2月11日、2007年8月8日)、NE−YO(2006年6月7日)、フ
ァレル・ウィリアムズ(2006年4月2日)、エイコン(2005年7月12日)、
カニエ・ウェスト(2007年3月31日)、スティング(2000年10月16日)ら
ビッグ・ネームが関与しているというスーパー政治物件。で、彼女はワール
ドワイドなプロモに出ているらしい。なるほど痩身で綺麗なニコール嬢はカ
ラオケに合わせて、口パクではなくそれなりに2曲歌う。うち、1曲は男性
ダンサー陣と絡みながらのもので、担ぎあげられる場面も。

     

テテ、クラムボン

2007年9月24日
 前回(2005年3月18日)と同じく、渋谷・クラブクアトロ。前座にクラム
ボン。初めて見たが、素敵なグループだあ。天衣無縫なノリを持つシンガー
/キーボーディストと味とスキルを併せ持つリズム隊がとても効果的に絡み
合う。楽曲の感覚もかなり好み。時間は短かったが、彼女たちに触れただけ
で、今日ライヴに来た甲斐があったと思ってしまったな。なんでも、テテが
前回来日中にクラムボンの曲を偶然耳にして、CDを全部買いそろえるほど
大ファンになってしまったのだそう。

 で、本編。かなり混んでいて、テテが固定客を多大に獲得しているのを実
感できる。今回も生ギター一本の弾き語りで勝負。話はとぶが、彼の場合、
生ギター音をプラグして(ギターを代えたるときも乱暴にさしてブチブチ音
を出す)もいるので、エレクトリック・ギターを使ってもいいんじゃないか
と思ったりも。元々いろんな英米ロックに触れて音楽をやりだすようになっ
た人と伝えきくゆえ、余計にぼくはそう感じる。彼が頑にアコースティック
・ギターを用い、バンドを用いずに弾き語りライヴに終始するのはどうして
なんだろうか。えてしてフォーク嫌いのぼくはそう思わずにはいられません。

 今回はケイという爆発した髪形をもつバッキング・シンガーを連れてきて
もいる。リードを取ることはないが、彼女はいろいろとでしゃばらずに絡み
、変化や広がりに貢献する。とはいえ、基本的なノリは前回とそれほど変わ
りはないか。今回のほうが訥々としたフォーキー曲をやるという印象をぼく
を得たのと、曲によっては少しブルージィなギターの弾き方をしていたのは
耳新しかった。なんでも、彼は現在ブルース・モードにあるらしい。
 
 なーんて書いても、公演の持ち味は全然書き留めることにはならないかも
。だって、とんでもなく真心と愛あふれた人懐いアフリカ系フランス人がそ
こにいて、そのなんとも嬉しいキャラクターが口惜しいほど伝わってくるこ
とこそが彼のショウのすべてであると思わせられるから。そういう面では前
回も今回もなんら変わりがないしね。彼はステージを下りたときのファン扱
いもとても丁寧らしい。

 アンコールではテテ勢とクラムボンがザ・ビートルズの「アクロス・ザ・
ユニヴァース」をほんわか一緒にやった。そして、また二人でやったが、最
後の曲は前回来日時と同じようにボブ・マーリーの「リデンプション・ソン
グ」。よほどボブ・マーリーが好きなのねと思ったら、前日のクアトロ公演
ではやらなかったそう。

 渋谷・O−イースト。なんと、このルーマニアのジプシー音楽集団(2000
年5月21日、2001年9月2日、2003年8月30日、2004年10月19日、2005年
11月7日)の来日は今回で6度目の来日となるのだとか。今回はくるりが主
催する京都の大野外フェス出演もあったりして、その縁でくるりが進行役(
2部構成で、2部のはじめにメンバーを一人ひとり呼び込む)をした。

 いい感じのヤレたじじいの多い集団ではあるが、最初の来日メンバーと比
べると死んじゃった人が複数いるらしい。だが、バンドは続く。新作では、
ジプシー音楽を素材とするバルトークのクラシック曲なんかも逆カヴァーし
ていたが、今回はそうしたクラシック曲もしたたかに取り上げる。おらおら
あ、これも俺たちと繋がったもの、文句あっかって感じい? 無条件に何か
を鼓舞するところ、そして自分の足元をふと見つめ直させるところがあるよ
なあ。今に始まったことではないが。

 そして、下北沢に行き、クラブ251 。すでに始まっていたが、ロック・イ
ンスト・トリオのUNKIE(2006年3月23日)を見る。インプロヴィゼイ
ション要素をできるだけ排して、構成/かみ合いの妙を求めるようにしてい
るようだが(事実、変化に富む曲の尺は短め。3倍ぐらいに伸ばそうとすれ
ば可能だったはずだが)、カチとしたなかで綾や刺や突起を描くのが醍醐味
といった感じかな。
         
 それにしても、カウンターの近くにいたせいかもしれないが、一時タバコ
の煙がきつかったア。ライヴ会場であれほど煙いと思ったのは久しぶり(と
いうか、禁煙の会場が増えているんだろうな)。ここのところ、煙草の煙に
一段と弱くなっているのを感じる。ぼくが他人といさかいを起こすとしたら
、きっと煙草の煙をめぐってだろう。傍若無人な歩き煙草をとがめたら、そ
の相手が危ない人でいきなりナイフでブスリと刺されちゃう……マジにそん
なことが起こりそうで怖い。煙草を吸うのは自由じゃないかと主張する人が
いるが、まったくもってそのとおり。ぼくがイヤなのは喫煙という習慣では
なく、他の人が発する煙草の煙や臭いをかがされること。だから、他の人に
煙が行かないプライヴェイトな場所ならば勝手に山ほど吸っとくれ。だが、
公の場所であるならば、喫煙者の出す煙は間違いなく近くにいる人にも触れ
るのだというのを自覚してほしい。オナラをぷーぷー垂れ流ししている人が
側にいて、望みもしないのにその臭いを嗅がされたら誰だってムカっと来る
でしょ。煙が駄目な人はオナラ以上にイヤかもしれないのだよ。と、自分の
飲酒癖は他の人に迷惑をかけていないか危惧しつつ、これを書いている。