ウォッシュト・アウト
2012年1月24日 音楽 インキュバス(2004年3月3日)に行こうか、ウォッシュト・アウトにしようか、少し迷った末、まだ未見の新進の後者を選ぶ。恵比寿・リキッドルーム。EP2枚とアルバム1枚しか出していないので、本編で約1時間のパフォーマンス。
米国南部ジョージア州出身の青年、アーネスト・グリーンのソロ・プロジェクトである。どこか閉じた草食的感覚とエレクトロ装飾とクラブ音楽のビートなんかが重なった茫洋系表現をチルウェイヴと言ったりしていて、ウォッシュド・アウトはその中枢にいる存在とされてきた。基本、卓録淡々ダンス・ポップの担い手だが、実演においてはプリセットの音に合わせて、3人の鍵盤奏者とドラマーが音を出すカタチで進められる。キーボードの一人はリード・ヴォーカルをとり(彼がグリーンだろう)、もう一人は曲によってはエレクトリック・ベースを弾き、もう一人は女性だった。なんか、遠目には、皆いい人そう。大学のサークル乗りをそのまま引き継ぐと書きたくなる感じもあったか。
その総体は、叙情的なシンセ・ポップに四つ打ちビートが重なる、と書けるか。で、それらの諸要素は突出してはいないのだが、なんか手触り良く、キーボード音の設定/重なりなんかは吟味されている。けっこう冒頭の方の楽曲だと、英国ぽいというか、プログ(レッシヴ)・ロック的とも感じる。暗い寒々しい雲の下、なんの変哲もない日常を淡々と綴ったようなそれらには。だから、ちょっとでも、明るい、両手を聞き手に差し伸べるような曲をやると俄然開放感や誘いを表出、観客からは歓声があがる。確信犯?
しかし、先日のフリート・フォクシーズもそうだが、ウォッシュト・アウトも今シアトルのサブ・ポップ・レーベルに所属するアーティスト。同レーベルは、90年前後はグランジ・ロックの先鋒レーベルとして注目を浴びたこともあったわけで、うーむ、時代の移り変わりを感じずにはいられない。
ところで、アーネスト・グリーンは作曲家活動にも力を入れようとしているよう(ま、僕の曲を使いませんかと、自作トラックを出版社から業界に流していると思われる)で、なんとレイラ・ハサウェイ(2012年1月5日、他)の新作『ホエア・イット・オール・ビギンズ』で2曲に作曲家/制作者/演奏者として関わっている。最初は同名異人かとも思ったけど、そのトラックは覚醒感あるシンセ基調曲なので、おそらくウォッシュト・アウトのグリーンが仕切ったブツとしていいのではないだろうか。こういうクロスオーヴァーな人の結びつきも、かつてはなかったことかもしれない。
<今日の、ゴミ>
ライヴに向かうために駅のホームに降りたら、マクドナルドの紙袋とか、遺棄されゴミが、なぜかこの日は目につく。そのぐらい持って帰ればいいのにと思うとともに、ちゃんとゴミ箱を設置してほしいとも思う。昔は駅やホームにしっかり置いてあった。それが、オウムのサリン事件があって、危険物放置をさけるためという名目のもと、すべて撤去された。一段落ついたらまた設置されるかと思ったら、その後ずっとそのまま。それにより、鉄道会社はそれなりの経費の削減ができてにっこりなはずだが、ゴミ箱を置くのは最低限のサーヴィスであると思ってしまうぼくは尊大なのか。それから、街を歩いていても、ゴミ箱がなくて困ることがたまにある。コンビニが店外にゴミ箱を設置しているので往々にしてなんとかなるが(コンビニの人々へのサーヴィス度は凄いと思う)、どうして日本の大きな通り(細い通りに置いてとは言わない)にはあまりゴミ箱がないのか。それは海外の主要都市の様と比較すると本当に日本の様は奇異に感じる。なのに、日本の道には捨てられたゴミやタバコの吸い殻は少ない。それについては、本当に日本はいいなと思えます。
米国南部ジョージア州出身の青年、アーネスト・グリーンのソロ・プロジェクトである。どこか閉じた草食的感覚とエレクトロ装飾とクラブ音楽のビートなんかが重なった茫洋系表現をチルウェイヴと言ったりしていて、ウォッシュド・アウトはその中枢にいる存在とされてきた。基本、卓録淡々ダンス・ポップの担い手だが、実演においてはプリセットの音に合わせて、3人の鍵盤奏者とドラマーが音を出すカタチで進められる。キーボードの一人はリード・ヴォーカルをとり(彼がグリーンだろう)、もう一人は曲によってはエレクトリック・ベースを弾き、もう一人は女性だった。なんか、遠目には、皆いい人そう。大学のサークル乗りをそのまま引き継ぐと書きたくなる感じもあったか。
その総体は、叙情的なシンセ・ポップに四つ打ちビートが重なる、と書けるか。で、それらの諸要素は突出してはいないのだが、なんか手触り良く、キーボード音の設定/重なりなんかは吟味されている。けっこう冒頭の方の楽曲だと、英国ぽいというか、プログ(レッシヴ)・ロック的とも感じる。暗い寒々しい雲の下、なんの変哲もない日常を淡々と綴ったようなそれらには。だから、ちょっとでも、明るい、両手を聞き手に差し伸べるような曲をやると俄然開放感や誘いを表出、観客からは歓声があがる。確信犯?
しかし、先日のフリート・フォクシーズもそうだが、ウォッシュト・アウトも今シアトルのサブ・ポップ・レーベルに所属するアーティスト。同レーベルは、90年前後はグランジ・ロックの先鋒レーベルとして注目を浴びたこともあったわけで、うーむ、時代の移り変わりを感じずにはいられない。
ところで、アーネスト・グリーンは作曲家活動にも力を入れようとしているよう(ま、僕の曲を使いませんかと、自作トラックを出版社から業界に流していると思われる)で、なんとレイラ・ハサウェイ(2012年1月5日、他)の新作『ホエア・イット・オール・ビギンズ』で2曲に作曲家/制作者/演奏者として関わっている。最初は同名異人かとも思ったけど、そのトラックは覚醒感あるシンセ基調曲なので、おそらくウォッシュト・アウトのグリーンが仕切ったブツとしていいのではないだろうか。こういうクロスオーヴァーな人の結びつきも、かつてはなかったことかもしれない。
<今日の、ゴミ>
ライヴに向かうために駅のホームに降りたら、マクドナルドの紙袋とか、遺棄されゴミが、なぜかこの日は目につく。そのぐらい持って帰ればいいのにと思うとともに、ちゃんとゴミ箱を設置してほしいとも思う。昔は駅やホームにしっかり置いてあった。それが、オウムのサリン事件があって、危険物放置をさけるためという名目のもと、すべて撤去された。一段落ついたらまた設置されるかと思ったら、その後ずっとそのまま。それにより、鉄道会社はそれなりの経費の削減ができてにっこりなはずだが、ゴミ箱を置くのは最低限のサーヴィスであると思ってしまうぼくは尊大なのか。それから、街を歩いていても、ゴミ箱がなくて困ることがたまにある。コンビニが店外にゴミ箱を設置しているので往々にしてなんとかなるが(コンビニの人々へのサーヴィス度は凄いと思う)、どうして日本の大きな通り(細い通りに置いてとは言わない)にはあまりゴミ箱がないのか。それは海外の主要都市の様と比較すると本当に日本の様は奇異に感じる。なのに、日本の道には捨てられたゴミやタバコの吸い殻は少ない。それについては、本当に日本はいいなと思えます。