恵比寿でセイリン・シューズというアナログをかけるバーをやっていた、波岡淑朗さんがお亡くなりになった。年長の彼と知り合ったのは、まだ編集者をやっていたころの1980年代中期か。基本マニアックなロック愛好家という印象とともに、彼に原稿を頼んだことがあったよなー。いや、ソウルものも何気に詳しかったはず。昔、南青山のレコ屋“パイドパイパーハウス”に務めており、同僚後輩だった五十嵐正と一緒に引き抜かれて、ダイエー資本で別の外盤屋(渋谷公園通りにあった)を立ち上げたこともあった。それ、まだレコードに大きな商品力があったことを示す話ですね。
 
 “セイリン・シューズ”とは、リトル・フィート(2000年12月8日、2012年5月22日、2019年8月31日)初期のフォーキー・サイケな人気曲の名前。年長でいかつい風貌を持っていたが、なんか人懐こいとろころもあったためか、いつの間にか波ちゃんと呼ぶようになった。前職流れで、日本人ミュージシャンとの付き合いもいろいろ持ってもいた。旧ブログのどこかで書いているはずだが、彼のお店に行ったら、鈴木慶一(2004年12月12日、2011年8月7日、2013年8月11日)と山下達郎がいたこともあった。ここのところはガンで闘病中、最後に会ったのは去年の秋(だったよな?)、渋谷のバーで。彼が山下達郎のライヴを見た後に、店に入ってきた。そのころ入院中だったが、外出許可を取って見に出たと言っていたっけ。それなりに、元気そうではあったんだが。お疲れ様でした。

▶︎近年の、波ちゃんの店やに波ちゃんに触れたもの
https://43142.diarynote.jp/201710201214346567/
https://43142.diarynote.jp/201710240957109863/
▶︎過去の、リトル・フィートとか
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-12.htm
http://43142.diarynote.jp/201205301327209613/
https://43142.diarynote.jp/201909011034527807/
▶︎過去の、鈴木慶一
http://43142.diarynote.jp/200412212058580000/
http://43142.diarynote.jp/201108101635051749/
http://43142.diarynote.jp/201308130851402454/

 洒脱ジャズ・ヴォーカル女性部門1位に輝きそうな、アーニー・ロスが90歳間近で、肺気腫/心疾患のためニューヨークでお亡くなりになった。ロンドン生まれで、4歳から米国に居住。ガキんちょの頃から才能を発揮し、13歳のときに映画でジュディ・ガーランドの妹役をしたりもし、彼女は女優としていろいろ映画にも出ている。

 アルバムは1950年代初頭から出し、また1957年から62年にかけては、デイヴ・ランバートとジョン・へンドリックスとのユニットで一世を風靡。そんな彼女は、器楽ソロのラインに歌詞をのせて歌うヴォーカーリーズの名人でもあった。彼女がリード奏者のワーデル・ブレイの演奏ラインに歌詞をのっけた「トゥイステッド」はジョニ・ミッチェルが『コート・アンド・スパーク』(アサイラム、1974年)で取り上げた。ロスの訃報に際し、ミッチェルのサイトは「ランバート・ヘンドリックス&ロスは私にとってのビートルズだった」という彼女のインタヴュー発言を紹介している。その奔放な歌い口と同様に男や薬にも自由だった人とも伝えられ、ロンドンにクラブを持ったりしたことがあった。

<今日の、戻らぬ距離>
 名古屋のブルーノート(東京とは別の経営による)や日比谷のビルボードカフェ&ダイニングの閉店が発表されている。両店ともぼくは行く機会がなかったが、残念だ。ライヴがある日常ははまだまだ遠い。日産スタジアムでの、横浜ダービーに行きたかったな。でも、この現況では横浜は遠い。でも……。