映画少年じゃなかったので、彼の名前をちゃんと認知したのはだいぶ後になってからだが、マジ人並外れた作曲家であるのは間違いない。ブルガリやアルマーニやグッチやプラダといったファッション・ブランドやフェラーリやマセラッティやアルファロメオといった自動車メイカーのような誉を、音楽という分野においては一番与えてくれるイタリアの才人ではないだろうか。ちゃんとクラシック教育を受けた末に、メロディ性や詩情を持つ芳醇な音楽を作った御仁。おそらく、ぼくは彼が作った映画音楽の10分の1も知らないかもしれないが、深く頭を垂れるしかない。ローマ生まれで、ローマに死す。転倒による大腿骨の骨折が導く合併症で、91歳でお亡くなりになったという。

<今日の、追記>
 R.I.P.の原稿には、<今日の、〜>をつけないのねと知人から言われたので、今回からいつの回でも復活させることにする。まあ、考えるところがあって、そして、ライヴに行くようになったらちゃんと復活させようと思っていたのだが。モリコーネは熱い社会党支持者として知られるが、昨日の選挙の結果は分かっていてもあーあ。毎度のことながら、悲しくなる。って、こんなおり極右なのは置いておいても、私利私欲のみに走るだけで人として腹をくくることができない日本や東京の長は酷すぎる。
 ところで、モリコーネは2019年に日本の旭日小綬章を受賞をしているが、旭日双光賞(旭日小綬章より一つ下になるよう)を今年受賞したのは、南アフリカのジャズ・ピアニストのアブドゥーラ・イブラヒム(2011年8月7日)。実はそれもあり、イブラヒムには毎日新聞用にメール・インタヴューをした。新聞記事は答えの一部しか使えていないので、ここに全文を出しておく。(現在、イブラヒムが所属する英国ギアボックスの日本窓口を務めるロミさん、間に入ってくれてありがとう)

——旭日双光賞の受賞、おめでとうございます。長年のあなたのアフリカの大地に根ざした音楽活動が評価を受けたことを嬉しく思います。
「このような名誉ある賞を南アフリカの人間である私が授けられたこと、この場を借りて天皇陛下へ感謝の気持ちをお伝えしたいです。
 もう長い間日本のみなさん、そして日本の文化は私の音楽や表現を受け入れてくれました。そのおかげで日本と南アフリカの友好関係の強化に貢献することができました」
——ところで、あなたは親日家であり、日本の古武道の八神流躰術を熱心に学んでいることも知られます。そもそもいつ頃、どんな形で八神流躰術に出会ったのでしょうか?
「日本文化には無限でタイムレスな本質的知識が埋め込まれています。部外者である私はその輝かしい文化を最小限に観察して、畏敬の念と誠実さをもって取り入れているだけです。私がまだケープ・タウンの若い学生の頃、読書をきっかけに日本と南アフリカの文化に存在する共通点というものを学び、興味をそそられました。そこから当時私と若い研究者仲間たちとを結ぶ唯一の共通項であった空手に情熱を注ぐようになり、どんどんと謎めく日本にのめりこんでいきました。その後私の研究はケープ・タウンの奴隷制度や、南アフリカに渡った最初の日本人であるアンソニー(・ファン・ヤパン)についてへと拡大しました。2018年の在ケープタウン領事館開設100周年記念行事の際に私は、アンソニーの眠る墓を日本領事館員に伝えたことを記憶しています。
 1960年代というのは、我々多くの人間にとって弾圧的な南アフリカから亡命する時期だったんです。私はヨーロッパやアメリカへ渡りました。コンサートで滞在していたコペンハーゲンで武道家のトネガワ先生と出会い、私を弟子にすることを認めてくださいました。先生との関係はもう50年を超え、先生の教えである武術八神流躰術を今でも私は日々行なっています」
——あなたは日本の染物などにも詳しく、とても日本の文化を愛してくださっています。そうしたことは、あなたの生き方や音楽に影響しているのでしょうか?
「私が日本文化に最も共鳴する点はマナーを重んじていること。人間や自然に感謝と敬意を表すところです。伝統芸能の一つである能が、日本人の創造力を象徴する典型的な例です。その根底にある原理は、ジャズの芸術形式にも当てはまります。とりわけ能管の高周波のサウンドは、心音のように暗示する調性の中心音や律動的な鼓動に左右されずに、即時に物語を紐解くことに貢献します。それは二度と同じものを再現することができない即興音楽ジャズでも同じことです。抱くだけ無駄な願望、武道の持つ基本原理ですね。
 コスモロジー、原始地球、動物、そして銀河系やテクノロジーに対するヴィジョンは、日本とアフリカが共有しています」
——現在もケープ・タウン郊外の広大な土地に自然と共存する形で生活しているのですか。いま、Covid-19が世界的に感染していますが、ケープタウンの街の様子はどんな感じでしょうか?
「私の居住地は南アフリカとドイツ・アルプスにあります。普段はそこから世界中へコンサートに出向くのですが、今は公演が全て延期になってしまったので、山々や自然に囲まれたドイツの自宅でロックダウンを過ごしています。近々レコード会社Gearbox Recordsとともにオンラインでピアノのマスタークラス・シリーズを実施する予定です」
——あなたが取り組んでいる“Green Kalahari Project”のことを簡単に教えてください。
「アブドゥーラ・イブラヒム財団を通して、ジャズ・ミュージックというジャンルにおける私の貢献を保存したいと考えました。それを目的に、私は南アフリカのカラハリ砂漠に800ヘクタールの農場を手に入れ、施設を建設することにしました。美学、自然保護に対する総体的なアプローチを学ぶことが重要だと感じたからです。日本の象徴的な概念である「里山」と同じことです。様々な分野で共感して貢献してくれる方々を求めて、現在このプロジェクトの実現に向けて寄付金を募っています。世の中の若い世代の子達が、将来平和と期待に満ちた世界で生活できることを目指して。日本の若者や名人らが衛星中継、または実際に参加できる交流プログラムも思い描いています」
——アルバム『The Balance』は管楽器奏者たちも擁しての、滋味に満ちた仕上がりです。どんなアルバムにしたかったのでしょう? ロンドン録音ですよね。
「新しいものもあれば、再現したものもある、多数の作品から成る小宇宙です。今なおも探究し続けている、人生や人間関係において必要なバランスを確立することについての経験や物語の楽曲たちです。偉大なるマエストロ、デューク・エリントンの言葉を借りるのであれば、”音楽において最も重要なのは耳を傾けること”」。
——『The Balance』(Gearbox,2019年)はあなたの顔のアップをジャケット・カヴァーに用いています。そうした理由は?
「私がレーベルに提案したんです。このアルバムのジャケットにふさわしいのは、年老いた者の写真ではないかと」
——1960年代前半にヨーロッパに渡りデューク・エリントンと出会ったことをはじめ、あなたは1990年代に南アに戻るまで、様々な経験を重ねてきました、「Mannenberg」のように、南アの人々の拠り所となるような曲も書いています。そうしたキャリの中で、あなたの音楽観は変わってきていることもあれば、まったく変わっていないこともあると思います。それぞれを教えてください。今も好奇心旺盛に、様々なことをしているあなたには感服せざるをえません。そのモチヴェイションとなっているものはなんでしょう?
「音楽創作、芸術的試み、そして武道は全て同じ原理を持ち合わせています。生涯にわたる自己発見への探究、見返りを求めないで誰かとものを分け合うと言った精神です。何かを悟るたびにそれがモチベーションとなり、新たな扉を開ける鍵となります。私の今後の予定は、M7(ケープ・タウンのミュージシャンのために創設した音楽学校)やグリーン・カラハリ・プロジェクトを推進すること、そして新しい音楽を発表することで、悟りを得ることです」

▶︎過去の、アブドゥーラ・イブラヒム
https://43142.diarynote.jp/201108101635051749/