京橋テアトル試写室で、世界的な知名度を持つイラン人のアスガー・ファルハディが脚本/監督した、2018年スペイン/フランス/イタリア映画を見る。

 15年前にスペインに行った際の着想を練り上げた、スペインの田舎(実際の場所はぼかされている)を舞台とする、全スペイン語の映画。キャストは準主役級のアルゼンチン人俳優をのぞいては、皆スペイン人のよう。ファルハディ監督はかつて、フランスを舞台にするフランス語映画を撮ったことがあるそうだが、手間とお金と力のあることを、彼はここでもやっている。

 落ち着いたオーセンティックな映画技法による映画を見ている、と上映に接しながら頷く。驚いたのは、すべては脚本と俳優の演技と撮影の妙に頼り、いわゆる映画音楽が使われないこと。それにも、なんか襟を正した映画という所感を高めさせられたか。結婚パーティの実演バンドの音楽とエンドロールで流れる女性ヴォーカル曲ぐらいしか、音楽は出てこない。と、思ったら、エンドロールには10曲ほどソング・リストが掲載されていたが……。

 130分越えの作品。飽きやすくなっているぼくは大丈夫かと思ったら、やっぱし長く感じた。だが、一つの事件を発端に露呈していく事実や人間関係を丁寧に綴り、じっくり登場人物の所作や心持ちの動きを描写せんとする指針を成就させるためには、それも致し方ないか。ただ単に、ストーリー展開にぼくが完全移入することができなかったということなのだ。

 その後は、南青山・ブルーノート東京に行き、ブルックリンの6人組を見る。ダン・ホワイト(テナー・サックス)をリーダーに、ジョン・ランプリー(トランペット。2曲でスーザフォン。彼のみ、アフリカ系)、クリス・オット(トロンボーン、ヒューマン・ビートボックス)、ジョシュ・ヒル(ギター)、アダム・デアセンティス(5弦のフレットレス)、ジョン・ハベル(ドラム)という編成。40代の人はいない感じで、おそらく彼らはぼくが初めて接する人たち。

 リズムは、わりとタイト目。ブラスの絡みを核に起き、広めの世界を押しだそうとする指針を持つ。腕はさすが、激戦地NYで活動しているだけに安定している。アンサンブルに凝り、ちゃんと披露するソロも確か。ただ、達者な裏返しでもあるが、菅音群の音色が綺麗すぎる。もう少し濁った感覚、はみ出した感覚があればといいのにとは思う。また、できる人たちだと思うのであえて書くが、曲作りをもっと頑張ってほしい。ブレッカー・ブラザースの「サム・スカンク・ファンク」のようなキラー・チューンをなんとかものにしてほしい。また、彼らなら、エっこんなことできちゃうのいというアンサンブルをさらに編み出さなくては。

 とちゅうリズム陣がさがり、フロントに立つ3人だけで演奏。その際は、ホワイトがテナー、ランプリーがスーザフォン、オットがトロンボーンを置きヒューマン・ビートボックスに専任するというカタチで5分ぐらい(?)パフォーマンス。で、やったのはいくつものスティーヴィ・ワンダー曲を自在にマッシュ・アップさせたもの。それ、いい変化を与えるものであったし、彼らのポテンシャルの高さを知らせるものだった。

 フロントの管楽器奏者たちは吹き音を楽器につけたピックアップで拾う。ゆえに動きは大きめで、それは娯楽性につながる。また、ホワイトのMCをはじめ、面々の所作にはここで演奏できてとって光栄デスという誠意があふれていて、当然それも聞き手にはアピールする。本編終了後、フロアでスタンディング・オヴェイションする人が見受けられたのも、その証となるだろう。

 ところで、出てまもないヴァリアス・アーティスツのアルバム『Radiohead In Jazz』(Wagram)にホワイトは自己セクステットで、2011年曲『リトル・バイ・ブルー』カヴァーを提出している。

<今日の、連絡>
 死ぬまでに、経験しておきたいこと。先日、そんな話になったことがあったんだが、ぼくが思わず口に出したのは、軽自動車の運転をすることと、カプセル・ホテルに泊まること。ぼくはともに、それらを経験したことがないんだよなあ。なんか、慎ましか、ちっちゃ。かつてマニアックな外国車を乗っていた知人が今ホンダの軽にあっさり乗っているので、それはじきに初体験可能だろう。実は朝、別な知り合いからメールがあって、昨日初めてカプセル・ホテルに泊まったんだけど、宇宙飛行士になった夢を見たとのこと。そうかー。←カプセル・ホテルにはそういう連想をいだく世代?