ファット・ファンクション。リチャード・トンプソン
2012年4月13日 音楽 この晩もライヴ・ショウをはしごしたが、両会場で仕事関連の知り合いといつも以上にいろいろ会ったなあ。それぞれに、注目度が高かったということでしょうか。
1本目は丸の内・コットンクラブで、ファット・ファンクション。中西部ウィスコンシン州マディソンをベースにする管セクション付き9人組のバンド。公立大学としては米国トップ級に優秀とされるウィスコンシン州立大学マディソン校の出身者たちで組まれたバンドで、地方都市であくせくせずにバンドが維持されているというのは、その風通しの良い持ち味につながっているか。
タワー・オブ・パワー(2011年3月10日、他)やE.W.&F.(2006年1月19日)などを下敷きにする広角型のファンク・バンドで、新作ではよりメロディアスな部分も追求しているバンド(それを聞いて、ぼくは13キャッツの曲を思い出したりも)で、実演でも屈託なく、我々のファンクを開く。ヴォーカルはキーボード奏者とアルト・サックス奏者が取るのだが、本当にその2人が自在に絡む。ラップぽい歌い方はアルト奏者のほうが担当していた。キーボード奏者(今、彼のみワシントンD.C.在住)はジャズ・クレイズだったそうだが、途中で取ったファンキーなキーボードのソロ演奏パートはファンク鍵盤演奏としてかなり非の打ち所なし。その際は左手でベース・ラインも弾いたが、それもかなり強力だった。2、3曲目から客が立ちだすなどかなり熱烈な反応を受けていたが、当人たちも本当にうれしそうにパフォーマンス。セカンド・ショウでは、ドラマーはスネアを破ってしまったそうだ。
そして、2本目は六本木・ビルボードライブ東京で、英国的な襞を随所に抱えるシンガー・ソングライターであるリチャード・トンプソンによるソロ公演。昨年4月に予定されていたものが中止となり、約1年ぶりの仕切り直し公演となった。
ステージに出てきた彼はなかなか颯爽。前見たとき(2001年2月21日)と外見はほとんど変わらず、体形もキープ。それだけでいいナと思わせられる。節々に真摯さをにじませる悠々としたキャラもいい感じ、ね。で、変則チューニングやカポタストも用いての巧みな生ギター演奏に、朗々とした響く声を乗せる。その様に接しながら、彼の歌声や曲調になじめない人でも、トンプソンはちゃんと人前で実演をやる資格をたっぷり持っていると、納得しちゃうのではないか、なぞとも思う。もちろん、60年代後期のフェアポート・コンヴェンション時代の曲もやった。そうだ、アイランド・レコードは彼のようなトラッド流れのタレントも親身にサポートしたんだよな。次はぜひとも、バンドでやってきてほしい。
<今日の、水色>
若い知人が、パナーパナーと言っている。なんのことかと思ったら、パンナム(パン・アメリカン・アエウェイズ)とのことで、米国人の発音だとそうなるのか。同航空が全盛だった60年代上半期を舞台とする同名の米国TVドラマが今日本でも放映されていて、ガキんちょはそれを見て、豊かな合衆国をほのかな憧れとともに追体験しているらしい。音楽はハイソ感をだすためか、ジャズ曲が使われているようだが、口で説明されても誰だか分んねえや。ぼくはやはり見てないのだが、少し前に話題になった「マッドメン」も60年代の気取った広告業界を扱ったドラマでしょ? なにかと頭打ちの米国は王様だった時代への懐古気運がどんどん盛り上がっているのかなあ。
しかし、実際に稼働していたパンナムを知るのはけっこう年寄りか? まさに米国政府の帝国主義に乗っかる形で海外路線拡大による栄華を70年代中盤までは謳歌していたが、ゆえにテロの標的になりやすくもあり、長年の殿様経営もあって90年代あたまに潰れた。ホテルのインターコンチはもともとパンナム傘下にあった。
本来パンナムはカリブ/南米路線で成長した航空会社のようだが、中南米方面に強い米国の航空会社というとコンチネンタル航空が頭に浮かぶ。そっちに行く顧客を求めて、同社はラティーナ誌の表Ⅳ広告をずっと出し続けているから。が、すこし前にユネイテッド航空と合併になり、それは同様のデザインながらユナイテッド航空の広告に変わった。2年前ぐらいにノースウェスト航空もデルタ航空と一緒になっちゃったし、いまだ日本航空が残っているのは驚くべきことかもしれない。
ぼくが米国とかに行くようになった80年代中期といえば、経営難でユナイテッド航空に権利を譲渡してパンナムは日本に乗り入れしなくなったころだが、その水色のロゴにはなんか甘酸っぱい思いを得る。とっても、ハイカラな感じがあったしね。初めてNYに行ったとき、パークアヴェニューの上にふんぞり返るように立つパンナム・ビル(すでに身売りされていたが、ロゴは残されていた)を見て、ああ米国に来たんだなあと実感したりもした。やっぱ、往年の海外〜アメリカの象徴の一つ。当時、北米便はすでに直行で運行されていたはずだが、そのときの帰りの日航便は飛行機の機種が点検とかでかわって、給油が必要になりアラスカのアンカレッジ経由に変更されたっけ。今、アンカレッジの免税店(屋上には、熊が飼われていた?)を知る人も少なくなってきている?
1本目は丸の内・コットンクラブで、ファット・ファンクション。中西部ウィスコンシン州マディソンをベースにする管セクション付き9人組のバンド。公立大学としては米国トップ級に優秀とされるウィスコンシン州立大学マディソン校の出身者たちで組まれたバンドで、地方都市であくせくせずにバンドが維持されているというのは、その風通しの良い持ち味につながっているか。
タワー・オブ・パワー(2011年3月10日、他)やE.W.&F.(2006年1月19日)などを下敷きにする広角型のファンク・バンドで、新作ではよりメロディアスな部分も追求しているバンド(それを聞いて、ぼくは13キャッツの曲を思い出したりも)で、実演でも屈託なく、我々のファンクを開く。ヴォーカルはキーボード奏者とアルト・サックス奏者が取るのだが、本当にその2人が自在に絡む。ラップぽい歌い方はアルト奏者のほうが担当していた。キーボード奏者(今、彼のみワシントンD.C.在住)はジャズ・クレイズだったそうだが、途中で取ったファンキーなキーボードのソロ演奏パートはファンク鍵盤演奏としてかなり非の打ち所なし。その際は左手でベース・ラインも弾いたが、それもかなり強力だった。2、3曲目から客が立ちだすなどかなり熱烈な反応を受けていたが、当人たちも本当にうれしそうにパフォーマンス。セカンド・ショウでは、ドラマーはスネアを破ってしまったそうだ。
そして、2本目は六本木・ビルボードライブ東京で、英国的な襞を随所に抱えるシンガー・ソングライターであるリチャード・トンプソンによるソロ公演。昨年4月に予定されていたものが中止となり、約1年ぶりの仕切り直し公演となった。
ステージに出てきた彼はなかなか颯爽。前見たとき(2001年2月21日)と外見はほとんど変わらず、体形もキープ。それだけでいいナと思わせられる。節々に真摯さをにじませる悠々としたキャラもいい感じ、ね。で、変則チューニングやカポタストも用いての巧みな生ギター演奏に、朗々とした響く声を乗せる。その様に接しながら、彼の歌声や曲調になじめない人でも、トンプソンはちゃんと人前で実演をやる資格をたっぷり持っていると、納得しちゃうのではないか、なぞとも思う。もちろん、60年代後期のフェアポート・コンヴェンション時代の曲もやった。そうだ、アイランド・レコードは彼のようなトラッド流れのタレントも親身にサポートしたんだよな。次はぜひとも、バンドでやってきてほしい。
<今日の、水色>
若い知人が、パナーパナーと言っている。なんのことかと思ったら、パンナム(パン・アメリカン・アエウェイズ)とのことで、米国人の発音だとそうなるのか。同航空が全盛だった60年代上半期を舞台とする同名の米国TVドラマが今日本でも放映されていて、ガキんちょはそれを見て、豊かな合衆国をほのかな憧れとともに追体験しているらしい。音楽はハイソ感をだすためか、ジャズ曲が使われているようだが、口で説明されても誰だか分んねえや。ぼくはやはり見てないのだが、少し前に話題になった「マッドメン」も60年代の気取った広告業界を扱ったドラマでしょ? なにかと頭打ちの米国は王様だった時代への懐古気運がどんどん盛り上がっているのかなあ。
しかし、実際に稼働していたパンナムを知るのはけっこう年寄りか? まさに米国政府の帝国主義に乗っかる形で海外路線拡大による栄華を70年代中盤までは謳歌していたが、ゆえにテロの標的になりやすくもあり、長年の殿様経営もあって90年代あたまに潰れた。ホテルのインターコンチはもともとパンナム傘下にあった。
本来パンナムはカリブ/南米路線で成長した航空会社のようだが、中南米方面に強い米国の航空会社というとコンチネンタル航空が頭に浮かぶ。そっちに行く顧客を求めて、同社はラティーナ誌の表Ⅳ広告をずっと出し続けているから。が、すこし前にユネイテッド航空と合併になり、それは同様のデザインながらユナイテッド航空の広告に変わった。2年前ぐらいにノースウェスト航空もデルタ航空と一緒になっちゃったし、いまだ日本航空が残っているのは驚くべきことかもしれない。
ぼくが米国とかに行くようになった80年代中期といえば、経営難でユナイテッド航空に権利を譲渡してパンナムは日本に乗り入れしなくなったころだが、その水色のロゴにはなんか甘酸っぱい思いを得る。とっても、ハイカラな感じがあったしね。初めてNYに行ったとき、パークアヴェニューの上にふんぞり返るように立つパンナム・ビル(すでに身売りされていたが、ロゴは残されていた)を見て、ああ米国に来たんだなあと実感したりもした。やっぱ、往年の海外〜アメリカの象徴の一つ。当時、北米便はすでに直行で運行されていたはずだが、そのときの帰りの日航便は飛行機の機種が点検とかでかわって、給油が必要になりアラスカのアンカレッジ経由に変更されたっけ。今、アンカレッジの免税店(屋上には、熊が飼われていた?)を知る人も少なくなってきている?