R.I.P.エリス・マルサリス(1934年11月14日〜2020年4月1日)、 アダム・シュレシンジャー(1967年10月31日〜同)、クリスティーナ(1959年1月2日〜同)
2020年4月1日 音楽ニューオーリンズのジャズ教育のゴッドファーザー的存在でもあった、滋味に富むピアニストであるエリスが新型肺炎で夭折した。ブランフォード、ウィントン、デルフィーヨ、ジェイソンの父親でもありますね。ぼくは息子はジャズ業界に関わっている4人かと思っていたが、他にエリス3世と五男のムボヤ・キンヤッタがいた。三男は詩や写真の道に進んだよう。ニューオーリンズに生まれ、ニューオーリンズに死す。父親のエリス・シニアはもともと社会活動の先駆的存在でビジネスの面でも成功した人であった。
▶︎過去の、エリス・マルサリス
https://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
▶︎彼の教え子たち
+ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
+ウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
https://43142.diarynote.jp/201905290952324516/
+ジェイソン・マルサリス
https://43142.diarynote.jp/200911041456131366/
+ドナルド・ハリソン
http://43142.diarynote.jp/201408260930269988/
http://43142.diarynote.jp/201508231007506736/
+テレンス・ブランチャード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 3日
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
https://43142.diarynote.jp/201903050842467108/ 映画音楽
+ハリー・コニックJr.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
+︎ニコラス・ペイトン
http://43142.diarynote.jp/201007261045442770/
ファウンテンズ・オブ・ウェインのベーシストであり、ティンテッド・ウィンドウズら複数のバンドにも関与していたアダム・シュレシンジャーがこのウィルス禍のおり、ニューヨークの病院でお亡くなりになった。秀でたソング・ライターでもあった彼は映画やTVなどにも音楽を提供しており、CBSも出資するCWテレヴィネットワークの4シーズン作られた(2015年秋に始まり、2019年春に終了した)ミュージカル・コメディ「Crazy Ex-Girlfriend」への音楽関与でエミー賞を受賞している。また、楽曲作りを担当した俳優/コメディアンのスティーヴン・コルバートのTV番組絡みの『A Colbert Christmas: The Greatest Gift of All!』(Comedy Central、2008年。エルヴィス・コルテロやウィリー・ネルソンラ、ジョン・レジェンドらも歌う)はグラミー賞の<ベスト・コメディ・アルバム>を受賞している。
▶︎過去の、アダム・シュレシンジャー
https://43142.diarynote.jp/201001201250553549/ ファヌンテインズ・オグ・ウェイン
https://43142.diarynote.jp/201001161303465627/ ティンテッド・ウィンドウズ
また、追ってZEレコードが送り出したシンガーのクリスティーナ(・モネ・ジルカ)の死の報も入ってきた。ディスコをニュー・ウェイヴ/NYスキゾ感覚を介して換骨奪胎したような表現はジョン・ケールからオーガスト・ダーネル、ドン・ワズまで制作に関与。のちに、カルト的な再評価も受けた。
▶︎過去の、エリス・マルサリス
https://43142.diarynote.jp/201209191209186663/
▶︎彼の教え子たち
+ブランフォード・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-10.htm
http://43142.diarynote.jp/201003101340038868/
http://43142.diarynote.jp/201010221631583852/
+ウィントン・マルサリス
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
https://43142.diarynote.jp/201905290952324516/
+ジェイソン・マルサリス
https://43142.diarynote.jp/200911041456131366/
+ドナルド・ハリソン
http://43142.diarynote.jp/201408260930269988/
http://43142.diarynote.jp/201508231007506736/
+テレンス・ブランチャード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-7.htm 3日
http://43142.diarynote.jp/?day=20050821
http://43142.diarynote.jp/200903271727246000/
http://43142.diarynote.jp/201308191407221107/
https://43142.diarynote.jp/201903050842467108/ 映画音楽
+ハリー・コニックJr.
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
+︎ニコラス・ペイトン
http://43142.diarynote.jp/201007261045442770/
ファウンテンズ・オブ・ウェインのベーシストであり、ティンテッド・ウィンドウズら複数のバンドにも関与していたアダム・シュレシンジャーがこのウィルス禍のおり、ニューヨークの病院でお亡くなりになった。秀でたソング・ライターでもあった彼は映画やTVなどにも音楽を提供しており、CBSも出資するCWテレヴィネットワークの4シーズン作られた(2015年秋に始まり、2019年春に終了した)ミュージカル・コメディ「Crazy Ex-Girlfriend」への音楽関与でエミー賞を受賞している。また、楽曲作りを担当した俳優/コメディアンのスティーヴン・コルバートのTV番組絡みの『A Colbert Christmas: The Greatest Gift of All!』(Comedy Central、2008年。エルヴィス・コルテロやウィリー・ネルソンラ、ジョン・レジェンドらも歌う)はグラミー賞の<ベスト・コメディ・アルバム>を受賞している。
▶︎過去の、アダム・シュレシンジャー
https://43142.diarynote.jp/201001201250553549/ ファヌンテインズ・オグ・ウェイン
https://43142.diarynote.jp/201001161303465627/ ティンテッド・ウィンドウズ
また、追ってZEレコードが送り出したシンガーのクリスティーナ(・モネ・ジルカ)の死の報も入ってきた。ディスコをニュー・ウェイヴ/NYスキゾ感覚を介して換骨奪胎したような表現はジョン・ケールからオーガスト・ダーネル、ドン・ワズまで制作に関与。のちに、カルト的な再評価も受けた。
R.I.P.ビル・ウィザース(1938年7月4日 〜2020年3月30日)
2020年4月3日 音楽 秀でたソングライターでもあった、ビル・ウィザースがLAでお亡くなりになったとの報が。死因は心臓疾患の合併症とのこと、あちらの記事にはCOVID-19の文字は見当たらない。ブルースやファンク好きだったぼくが、アフリカン・アメリカンの都市生活者の気概を宿したそのフォーキィ調表現(途中から、よりメロウになる)をちゃんと聞くようになったのは物書きになってからだった。が、それも肌触りがいいのに規格外であった彼の真価ゆえ? 彼の名前をちゃんと意識したのは、「リーン・オン・ミー」を取り上げたクラブ・ヌーヴォー曲がヒットしてから? 近年日本では、ピーター・バラカンのライヴ・マジックで1973年名作『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』(コロムビア)を披露する集団の実演があったり、カヴァー・アルバムを出したホセ・ジェイムズがその流れのショウを披露している。また、デビュー時からその影響を感じさせていたアンソニー・デイヴィッドも『Hello Like Before: The Songs of Bill Withers』(Shanachie、2018)を出したりと、近年またウィザース再評価が進んでいる感じもあった。当然のことながら、様々な人が追悼コメントを捧げている。意外なところでは、ECMからアルバムを出しているスザンヌ・アヴュール(2016年5月14日)も出しているのには少し驚いた。彼ならではのメロディと滋味は、世界中のいろんな人に届いていた……。
▶︎過去の、ビル・ウィザースの娘さん
https://43142.diarynote.jp/201310301217408539/ ブッカー・T・ジョーンズと来日したコリ・ウィザース
▶︎過去の、ウィザース絡みの、他者による来日公演
https://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
https://43142.diarynote.jp/201811021046075049/
▶︎過去の、スザンヌ・アビュール
https://43142.diarynote.jp/201605240830291122/
▶︎過去の、ビル・ウィザースの娘さん
https://43142.diarynote.jp/201310301217408539/ ブッカー・T・ジョーンズと来日したコリ・ウィザース
▶︎過去の、ウィザース絡みの、他者による来日公演
https://43142.diarynote.jp/201710240958114009/
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▶︎過去の、スザンヌ・アビュール
https://43142.diarynote.jp/201605240830291122/
尖ったものから柔和なやつまでいろんなことをやっていた、ニューヨーク生まれで同所を拠点としていたピアニスト/キーボーディストのオナージ・アラン・ガムスがお亡くなりになった。死因は発表されていない。
初期の大きな仕事は1970年代初頭、ピアニストに厳しいシンガーのベティ・カーターのグループ。大西順子(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日、2018年2月8日、2019年2月17日)もバークリーを出たあとNYに移ったさい、雇われてとってももまれたと言っていた。
その後、ウディ・ショウやセシル・マクビー(1999年11月10日、2018年11月2日)ら硬派からロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日2004年3月10日2008年7月10日、2014年7月19日、2016年2月12日、2017年10月8日)やノーマン・コナーズなどの柔軟なソウル取り込み派まで、様々なレコーディングに関与。チェンジやジョー(2012年11月1日、2015年1月20日)など、ソウル系のレコーディングにも彼は関与した。そんなガムスをぼくが認知したのは、1980年代に入って彼がロナルド・シャノン・ジャクソンのザ・デコーディング・ソサエティに入ったから。彼は、10年近くそこに在籍したのではないか。
そして、少し彼に注意を向けたら、『Onaje』という瑞々しいピアノ・ソロ作を欧州の優良穏健ジャズ・レーベルであるスティープル・チェイスからリリースしていてびっくり。1990年代初頭にはMCA傘下のゼブラから2枚のリーダー作を出しているが、そちらはフュージョン/スムース・ジャズ系の内容。打ち込み度数が高い2枚目の『Dear to Dream』にはザ・ファミリー・スタンドのV.ジェフリー・スミスが補助プロデューサーとして入り、ジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日、2012年9月9日。その訃報に触れているのは、2013年1月30日)もレコーディングに参加していた。
それ以降のアルバムはまた基本アコースティックなものになったはずだが、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日)のレコーディング/ライヴに参加したこともあって、逆に 渡辺がゲストとして入ったアルバムもあったはず。
オナージ・アラン・ガムスには、1990年前後に1度インタヴューしたことがあった。もちろんザ・デコーディング・ソサエティに参加していたからだが、穏健な好人物だった。誰かのサポートでブルーノート東京に出たときに会ったんだけど、主役は誰だかはとんと思い出せない。
スタンリー・クラーク(2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日、2015年9月30日、2020年1月5日)は、Have Glorious Travelと追悼。H.G.T.……。
▶過去の、大西順子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200709131138020000/
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/201102261254532443/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110806
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
https://43142.diarynote.jp/201902181354161728/
https://43142.diarynote.jp/201712201609098430/ カーター時代の大西の思い出を記した項
▶︎過去の、セシル・マクビー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
https://43142.diarynote.jp/201811031304537727/
▶過去の、ロイ・エアーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080710
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201602161249535545/
https://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
▶過去の、ジョー
http://43142.diarynote.jp/201211151031072337/
https://43142.diarynote.jp/201501210901575140/
▶︎過去の、ロナルド・シャノン・ジャクソン
https://43142.diarynote.jp/201310210730403296/ R.I.P.
▶︎過去の、ジェフ・リー・ジョンソン
http://43142.diarynote.jp/?day=20041028
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/ エスペランサ
http://43142.diarynote.jp/201301311053069360/ R.I.P.
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
http://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
http://43142.diarynote.jp/201805290906425481/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
http://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201812201004266842/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912161054076351/
▶︎過去の、スタンリー・クラーク
http://43142.diarynote.jp/?day=20080908
http://43142.diarynote.jp/201012051906481605/
http://43142.diarynote.jp/201212131141531884/
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
初期の大きな仕事は1970年代初頭、ピアニストに厳しいシンガーのベティ・カーターのグループ。大西順子(1999年10月9日、2007年9月7日、2010年9月30日、2010年12月22日、2011年2月25日、2011年8月6日、2015年9月6日、2018年2月8日、2019年2月17日)もバークリーを出たあとNYに移ったさい、雇われてとってももまれたと言っていた。
その後、ウディ・ショウやセシル・マクビー(1999年11月10日、2018年11月2日)ら硬派からロイ・エアーズ(2000年3月23日、2002年8月11日2004年3月10日2008年7月10日、2014年7月19日、2016年2月12日、2017年10月8日)やノーマン・コナーズなどの柔軟なソウル取り込み派まで、様々なレコーディングに関与。チェンジやジョー(2012年11月1日、2015年1月20日)など、ソウル系のレコーディングにも彼は関与した。そんなガムスをぼくが認知したのは、1980年代に入って彼がロナルド・シャノン・ジャクソンのザ・デコーディング・ソサエティに入ったから。彼は、10年近くそこに在籍したのではないか。
そして、少し彼に注意を向けたら、『Onaje』という瑞々しいピアノ・ソロ作を欧州の優良穏健ジャズ・レーベルであるスティープル・チェイスからリリースしていてびっくり。1990年代初頭にはMCA傘下のゼブラから2枚のリーダー作を出しているが、そちらはフュージョン/スムース・ジャズ系の内容。打ち込み度数が高い2枚目の『Dear to Dream』にはザ・ファミリー・スタンドのV.ジェフリー・スミスが補助プロデューサーとして入り、ジェフ・リー・ジョンソン(2004年10月28日、2012年9月9日。その訃報に触れているのは、2013年1月30日)もレコーディングに参加していた。
それ以降のアルバムはまた基本アコースティックなものになったはずだが、渡辺貞夫(2002年12月14日、2003年5月6日、2004年12月17日、2005年12月18日、2006年8月8日、2006年9月3日、2006年10月4日、2007年12月16日、2008年12月14日、2009年7月22日、2009年9月3日、2011年7月4日、2012年6月29日、2012年12月15日、2013年4月1日、2013年7月27日、2013年9月29日、2014年7月8日、2014年10月5日、2014年12月14日、2015年12月12日、2016年7月3日、2016年12月11日、2017年10月8日、2017年12月16日、2018年5月28日、2018年9月2日、2018年10月6日、2018年12月15日、2019年8月6日、2019年11月12日、2019年12月15日)のレコーディング/ライヴに参加したこともあって、逆に 渡辺がゲストとして入ったアルバムもあったはず。
オナージ・アラン・ガムスには、1990年前後に1度インタヴューしたことがあった。もちろんザ・デコーディング・ソサエティに参加していたからだが、穏健な好人物だった。誰かのサポートでブルーノート東京に出たときに会ったんだけど、主役は誰だかはとんと思い出せない。
スタンリー・クラーク(2008年9月8日、2010年12月3日、2012年12月5日、2015年9月30日、2020年1月5日)は、Have Glorious Travelと追悼。H.G.T.……。
▶過去の、大西順子
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/octber1999live.htm
http://43142.diarynote.jp/200709131138020000/
http://43142.diarynote.jp/201010030952428017/
http://43142.diarynote.jp/201012241100592422/
http://43142.diarynote.jp/201102261254532443/
http://43142.diarynote.jp/?day=20110806
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/201610311054183284/
https://43142.diarynote.jp/201802091845433242/
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https://43142.diarynote.jp/201712201609098430/ カーター時代の大西の思い出を記した項
▶︎過去の、セシル・マクビー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/movember1999live.htm
https://43142.diarynote.jp/201811031304537727/
▶過去の、ロイ・エアーズ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/framepagelive.htm
http://43142.diarynote.jp/200403101442170000/
http://43142.diarynote.jp/?day=20080710
http://43142.diarynote.jp/201407221705302936/
http://43142.diarynote.jp/201602161249535545/
https://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
▶過去の、ジョー
http://43142.diarynote.jp/201211151031072337/
https://43142.diarynote.jp/201501210901575140/
▶︎過去の、ロナルド・シャノン・ジャクソン
https://43142.diarynote.jp/201310210730403296/ R.I.P.
▶︎過去の、ジェフ・リー・ジョンソン
http://43142.diarynote.jp/?day=20041028
http://43142.diarynote.jp/201209191229057579/ エスペランサ
http://43142.diarynote.jp/201301311053069360/ R.I.P.
▶過去の、渡辺貞夫
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2002-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm 6日
http://43142.diarynote.jp/20041221210502000
http://43142.diarynote.jp/200512231955480000/
http://43142.diarynote.jp/200608091255180000/
http://43142.diarynote.jp/200609070211000000/
http://43142.diarynote.jp/200610080946310000/
http://43142.diarynote.jp/200712171350530000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/200907310048137248/
http://43142.diarynote.jp/200909120646397236/
http://43142.diarynote.jp/201107111008176019/
http://43142.diarynote.jp/201207031353196616/
http://43142.diarynote.jp/201212171647134119/
http://43142.diarynote.jp/201304031026406106/
http://43142.diarynote.jp/201307291053021427/
http://43142.diarynote.jp/201310050701201281/
http://43142.diarynote.jp/201407091243129270/
http://43142.diarynote.jp/201410061850124929/
http://43142.diarynote.jp/201412281017371613/
http://43142.diarynote.jp/201512151504068292/
http://43142.diarynote.jp/201607100827363436/
http://43142.diarynote.jp/201609201032322395/
http://43142.diarynote.jp/201610141747514263/
http://43142.diarynote.jp/201612171245154424/
http://43142.diarynote.jp/201710121700178187/
http://43142.diarynote.jp/201712181015052794/
http://43142.diarynote.jp/201805290906425481/
http://43142.diarynote.jp/201712061006171627/
http://43142.diarynote.jp/201806130948515941/
http://43142.diarynote.jp/201809071509481583/
https://43142.diarynote.jp/201810090958036278/
https://43142.diarynote.jp/201812201004266842/
https://43142.diarynote.jp/201908071557182844/
https://43142.diarynote.jp/201912161054076351/
▶︎過去の、スタンリー・クラーク
http://43142.diarynote.jp/?day=20080908
http://43142.diarynote.jp/201012051906481605/
http://43142.diarynote.jp/201212131141531884/
https://43142.diarynote.jp/201510021221454336/
https://43142.diarynote.jp/202001060957069830/
R.I.P.ハル・ウィルナー(1956年4月5日〜2020年4月6日)
2020年4月7日 音楽 在ニューヨークの唯一無二の音楽プロデューサー/キュレイターである、ハル・ウィルナーが新型肺炎の合併症で、誕生日の翌日に夭折した。
アトランティックでジャズやソウルのプロデュースをいろいろと行い、その後自己レーベルの32ジャズ他を持ちつつフリーで活動したジョエル・ドーンのアシスタント(1970年代末のこと)を経て業界入り。一時はタクシーの運転手などもして、生計を立てたこともあったという。ウィルナーと言えば、なんと言ってもジャズからロックまで鬼のように幅広い個性派/実力派ミュージシャンを把握し扱うことで知られたが、その人脈は人気TV番組「サタデー・ナイト・ライヴ」の音楽作りに関わることで得たという。
ニーノ・ロータ、セロニアス・モンク、クルト・ワイル、ディズニー音楽、チャールズ・ミンガスなどをテーマに起き、様々なミュージシャンが自由に創造性を発揮したトラック(そこで畑違いのミュージシャンが一緒にやったりするのも魅力的だった)を出し合うコンピレーション群には本当に痺れました。もちろん、マリアンヌ・フェイスフルやティム・ロビンス(2011年8月10日)他、個人のアルバム制作にも関わったし、個性的なコンサート/イヴェント企画もいろいろ作ったいう。
そんな彼には、1990年代前半に一度インタヴューしたことがあった。三宅純(2012年6月30日、2016年11月10日、2016年11月16日、2018年11月25日)の『星ノ玉ノ緒』(1993年)のリリースに際し、ソニーがそのプロデューサーを務めたウィルナーをプロモーションで呼んだとき。そのA&Rは同社洋楽のMさんだったかな? 午後、インタヴューの場に行くと、ウィルナーは目がトローンとしていてヘロヘロ。聞けば、ちょうど来日中だったU2(2006年12月4日)のボーノから会おうよと連絡があり、朝まで飲んじゃって二日酔いなのだという。ぼくは、二日酔いには寛大だ。
ハル・ウィルナーとキップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)のお二人こそは、ぼくにとって音楽制作の無限の作法と愉悦を伝える際たる存在だった。
▶︎過去の、ティム・ロビンス
https://43142.diarynote.jp/201108101642342395/
▶︎過去の、三宅純
http://43142.diarynote.jp/201207031354181031/
http://43142.diarynote.jp/201611111651363466/
https://43142.diarynote.jp/201611171021419374/
https://43142.diarynote.jp/201811261330313740/
▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
アトランティックでジャズやソウルのプロデュースをいろいろと行い、その後自己レーベルの32ジャズ他を持ちつつフリーで活動したジョエル・ドーンのアシスタント(1970年代末のこと)を経て業界入り。一時はタクシーの運転手などもして、生計を立てたこともあったという。ウィルナーと言えば、なんと言ってもジャズからロックまで鬼のように幅広い個性派/実力派ミュージシャンを把握し扱うことで知られたが、その人脈は人気TV番組「サタデー・ナイト・ライヴ」の音楽作りに関わることで得たという。
ニーノ・ロータ、セロニアス・モンク、クルト・ワイル、ディズニー音楽、チャールズ・ミンガスなどをテーマに起き、様々なミュージシャンが自由に創造性を発揮したトラック(そこで畑違いのミュージシャンが一緒にやったりするのも魅力的だった)を出し合うコンピレーション群には本当に痺れました。もちろん、マリアンヌ・フェイスフルやティム・ロビンス(2011年8月10日)他、個人のアルバム制作にも関わったし、個性的なコンサート/イヴェント企画もいろいろ作ったいう。
そんな彼には、1990年代前半に一度インタヴューしたことがあった。三宅純(2012年6月30日、2016年11月10日、2016年11月16日、2018年11月25日)の『星ノ玉ノ緒』(1993年)のリリースに際し、ソニーがそのプロデューサーを務めたウィルナーをプロモーションで呼んだとき。そのA&Rは同社洋楽のMさんだったかな? 午後、インタヴューの場に行くと、ウィルナーは目がトローンとしていてヘロヘロ。聞けば、ちょうど来日中だったU2(2006年12月4日)のボーノから会おうよと連絡があり、朝まで飲んじゃって二日酔いなのだという。ぼくは、二日酔いには寛大だ。
ハル・ウィルナーとキップ・ハンラハン(2000年1月12日、2001年5月15日、2011年12月8日)のお二人こそは、ぼくにとって音楽制作の無限の作法と愉悦を伝える際たる存在だった。
▶︎過去の、ティム・ロビンス
https://43142.diarynote.jp/201108101642342395/
▶︎過去の、三宅純
http://43142.diarynote.jp/201207031354181031/
http://43142.diarynote.jp/201611111651363466/
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▶過去の、U2
http://43142.diarynote.jp/200612070141170000/
▶過去の、キップ・ハンラハン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-5.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-1.htm
http://43142.diarynote.jp/201112171635194708/
R.I.P. リー・コニッツ(1927年10月13日〜2020年4月15日)
2020年4月15日 音楽 シカゴにユダヤ系移民の両親のもと生まれ、ニューヨークでCovid-19の診断後に死す。享年、92歳。最初はスウィング・ジャズを愛好しクラリネットをはじめ、最終的にはアルト・サックスに落ち着いた。コニッツと言えば、何はなくともレニー・トリスターノとの出会いを書き留めなくてはならず、彼流れのクール・ジャズ〜白人系飛躍の大きな体現者として様々な表現を送り出した。得難い、素晴らしく閃きと味のある名手、どうぞ安らかに……。あなたは、今後も多大な示唆を残す宿題をたくさん残しました。
▶︎過去の、リー・コニッツ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130907
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
▶︎過去の、リー・コニッツ
http://43142.diarynote.jp/?day=20130907
https://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
R.I.P. ジョゼッピ・ローガン(1935年5月22日〜2020年4月17日)、ヘンリー・グライムス(1935年11月3日〜同)、マシュー・セリグマン(1955年7月15日〜同)
2020年4月18日 音楽 1935年フィラデルフィア生まれのフリー・ジャズ界のアフリカ系名士2人が、ともに17日に亡くなった。ニューイングランド音楽院で学んでいるリード奏者のローガンとジュリアード音楽院に通ったダブル・ベース奏者であるグライムス、両者とも初リーダー作は1960年代中期にESPからリリースしている。二人の死因を報じているメディアはなく、ローガンは介護施設で息を引き取ったようだ。両者とも1970年前後に行方知れず〜ずっと引退状態となり、周りの助けでシーンに戻ってきたというキャリアを持っている。ローガンは晩年また不遇だった。1958年ニューポート・ジャズ祭の記録映画「真夏の夜のジャズ」においてセロニアス・モンク・トリオの一員として出ているグライムスは70歳近くからはヴァイオリンも弾くようになり、晩年は本を出し、記録映画も作られたよう。意外なところでは、マーク・リーボウ(2001年1月19日、2008年8月3日、2008年12月14日、2009年12月13日、2010年12月12日、2011年8月4日、2014年7月28日、2017年5月18日、2018年7月24日)と彼とチャド・テイラー(2005年7月2日)とのトリオ作『Live at the Village Vanguard』(PI、2014年)なんてのもありましたね。
また、英国ニュー・ウィエイヴ流れの名セッション・ベーシストのセリグマン(2012年2月18日)は、Covid-19に感染してロンドンの病院で逝去。トンプソン・ツインズ(これは、メンバーだったのかな?)からシニード・オコナーまで、参加作は山ほど。数年間は仙台に住んでいたハンサムでしなやかな御仁であり、ロンドンっ子である彼はフラムFCの応援者だった。
▶︎過去の、マーク・リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/
https://43142.diarynote.jp/201807260047172162/
▶︎過去の、チャド・テイラー
https://43142.diarynote.jp/200507031045250000/
▶︎過去の、マシュー・セリグマン
https://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
▶︎過去の、トム・ベイリー/トンプソン・ツインズ
https://43142.diarynote.jp/201412031621332692/
また、英国ニュー・ウィエイヴ流れの名セッション・ベーシストのセリグマン(2012年2月18日)は、Covid-19に感染してロンドンの病院で逝去。トンプソン・ツインズ(これは、メンバーだったのかな?)からシニード・オコナーまで、参加作は山ほど。数年間は仙台に住んでいたハンサムでしなやかな御仁であり、ロンドンっ子である彼はフラムFCの応援者だった。
▶︎過去の、マーク・リーボウ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-1.htm
http://43142.diarynote.jp/200808090220110000/
http://43142.diarynote.jp/200812281440093394/
http://43142.diarynote.jp/201001051622194305/
http://43142.diarynote.jp/201012131714372906/
http://43142.diarynote.jp/201108101630438805/
http://43142.diarynote.jp/201408051026553769/
http://43142.diarynote.jp/201705191100017980/
https://43142.diarynote.jp/201807260047172162/
▶︎過去の、チャド・テイラー
https://43142.diarynote.jp/200507031045250000/
▶︎過去の、マシュー・セリグマン
https://43142.diarynote.jp/201202200901013744/
▶︎過去の、トム・ベイリー/トンプソン・ツインズ
https://43142.diarynote.jp/201412031621332692/
R.I.P.イアン・ウィットコム(1935年5月22日〜2020年4月19日)
2020年4月21日 音楽 Covid-19とは無関係ではあるようだが、洒脱才人のイアン・ウィットコムがロサンゼルスで亡くなった。ぼくは彼のことを、レトロ(それはエンターテインという言葉と同義といいたくなるか)な要素をうまく介する、外し傾向にある柔和ポップの名手として認知していた。彼のアルバムの隣には、ダン・ヒックス(2009年5月27日、2010年6月18日)の作品群が置いてある。今だと、アンドリュー・バード(2010年2月3日)は少し近いところがある? なんの経歴も知らず純粋に音を楽しんだだけなので、一切経歴を考えたことはなかったが、訃報記事を見て、恥ずかしながら彼が英国人であるのを初めて知った。
パブリック・スクールに通っているので、おぼっちゃまくん。祖父は映画会社を経営していたという。確かに、写真を見ると上品な顔をしている。大学はトリニティ・カレッジであったので、アヌーナ(2007年12月15日、2009年12月12日、2011年12月7日、2011年12月10日、2014年12月4日、2014年12月6日、2017年2月16日)のマイケル・マクグリンの先輩になりますね。なるほどなあ、彼の表現にはブリティッシュ・ビートぽいかけらが残されているときもあったし、なによりあの俯瞰する感覚は英国人ゆえのことであったかもしれない。
そのトリニティ・カレッジ時代の1965年に「ユー・ターン・ミー・オン(ターン・オン・ソング)」という歌が全米8位を獲得し、同年にはザ・ビーチ・ボーイズと一緒にハリウッド・ボウル公演をしたことがあったという。彼の曲には、ザ・ビーチ・ボーイズ(2014年3月28日)みたいな曲もあるよな。その後、アイルランド/英国と米国を行き来するになり、1970年代に入ると米国に住むようになったのかな。
ミュージシャン(リーダー作は25枚を超え、映画音楽にもいろいろ関わった)、俳優、物書き(音楽書籍だけにとどまらず、小説や美術書も書いているよう。ライナーノーツでグラミー賞をとったこともある)、ラジオのしゃべり手など、いろんなことを飄々とやっていた御仁。10年近く前に脳卒中で倒れ、入院したことはニュースになったと記憶する。妻のレジーナと飼っていた犬はトビーと名付けられていた。
▶︎過去の、ダン・ヒックス
https://43142.diarynote.jp/200906051613277417/
https://43142.diarynote.jp/201006200650338483/
▶︎過去の、アンドリュー・バード
https://43142.diarynote.jp/201002051635443280/
▶過去の、アヌーナ
http://43142.diarynote.jp/200712161423560000/
http://43142.diarynote.jp/201001051620426983/ マクグリンのインタヴュー付き
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
http://43142.diarynote.jp/201412221527313725/
https://43142.diarynote.jp/201702211429132450/
▶︎過去の、マイク・ラヴ/ザ・ビーチ・ボーイズ
http://43142.diarynote.jp/201403291149242320/
パブリック・スクールに通っているので、おぼっちゃまくん。祖父は映画会社を経営していたという。確かに、写真を見ると上品な顔をしている。大学はトリニティ・カレッジであったので、アヌーナ(2007年12月15日、2009年12月12日、2011年12月7日、2011年12月10日、2014年12月4日、2014年12月6日、2017年2月16日)のマイケル・マクグリンの先輩になりますね。なるほどなあ、彼の表現にはブリティッシュ・ビートぽいかけらが残されているときもあったし、なによりあの俯瞰する感覚は英国人ゆえのことであったかもしれない。
そのトリニティ・カレッジ時代の1965年に「ユー・ターン・ミー・オン(ターン・オン・ソング)」という歌が全米8位を獲得し、同年にはザ・ビーチ・ボーイズと一緒にハリウッド・ボウル公演をしたことがあったという。彼の曲には、ザ・ビーチ・ボーイズ(2014年3月28日)みたいな曲もあるよな。その後、アイルランド/英国と米国を行き来するになり、1970年代に入ると米国に住むようになったのかな。
ミュージシャン(リーダー作は25枚を超え、映画音楽にもいろいろ関わった)、俳優、物書き(音楽書籍だけにとどまらず、小説や美術書も書いているよう。ライナーノーツでグラミー賞をとったこともある)、ラジオのしゃべり手など、いろんなことを飄々とやっていた御仁。10年近く前に脳卒中で倒れ、入院したことはニュースになったと記憶する。妻のレジーナと飼っていた犬はトビーと名付けられていた。
▶︎過去の、ダン・ヒックス
https://43142.diarynote.jp/200906051613277417/
https://43142.diarynote.jp/201006200650338483/
▶︎過去の、アンドリュー・バード
https://43142.diarynote.jp/201002051635443280/
▶過去の、アヌーナ
http://43142.diarynote.jp/200712161423560000/
http://43142.diarynote.jp/201001051620426983/ マクグリンのインタヴュー付き
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
http://43142.diarynote.jp/201412221527313725/
https://43142.diarynote.jp/201702211429132450/
▶︎過去の、マイク・ラヴ/ザ・ビーチ・ボーイズ
http://43142.diarynote.jp/201403291149242320/
R.I.P.ハミルトン・ボハノン(1942年3月7日〜2020年4月24日)
2020年4月26日 音楽 米国ブラック・ミュージックの側面にしっかりと功績を残す、ものすごーく才豊かなクリエイターであるハミルトン・ボハノンの訃報が届いた。生まれた土地であるジョージア州ニューナンには彼の名前を冠した通りがあり、彼は同地で亡くなっている。アトランタにあったクラーク・カレッジで音楽と教育を学び、卒業後は教職についたこともあった。78歳、死因を報じている記事は、ぼくの知る限りない。彼の親は、理髪店をやっていた。
ジミ・ヘンドリックス(同じ年で、ジョージア州時代に一緒にバンドをやったという海外の記載が複数ある。ヘンドリックスが空軍除隊後、一時南部に住んだときのことだろうか?)、リトル・スティーヴィー・ワンダー(1964年に彼は、13歳だったワンダーのバック・バンドにドラマーとして加入。その流れで、モータウンとの関係を強めデトロイトに引っ越し、いろんな同社のアーティストの実演をサポートするバンドを仕切った。2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)、マーヴィン・ゲイ(ドラマーに留まらぬ彼の才能を見抜き、彼の曲を複数取り上げている。『ワッツ・ゴーイン・オン』ではドラマーとしても参加)、カール・デイヴィス(彼はソロ・アーティストとして、シカゴ・ソウルの名士であるデイヴィスが仕切るダカールから、個性的なプロダクツを6作品出す。その後は、マーキュリーから彼は質の高いアルバム群を出した)など、彼の歩みに触れようとすると、ビッグ・ネームを書かなければいけない。
義理堅い敬虔なクリスチャンであったそうで、彼はモータウンがロサンジェルスに移った後も、デトロイトに留まることを選び、その人脈を活用する方向でリーダー活動を持った。それらをさして、ディスコ・ミュージックのオリジネイターという言い方もされる。だが、甘いマスクを持ちつつも過剰に浮つくところがない、インスト部にも多大な妙味を持たせた彼のプロダクツは結構ジャジーでもあり、北の高潔なアイザック・ヘイズなんて、その才をぼくは書き留めたくもなる。
実は、彼の表現をなにげに取り込んでいるのが、1970年代下半期のダンサブル路線を取った際のハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)。ボハノンの初ソロ『Stop And Go』(Dakar,1973 年)のギター参加者は、ワー・ワー・ワトソン(2005年8月21日、2018年10月27日)とレイ・パーカーJr.(2005年3月8日、2011年5月17日、2012年9月8日、2018年3月28日、2020年1月16日 )のコンビ(ハンコックはその二人を後に重用)。ヴォーカルの使い方(ボハノンは歌わない人だった)からベース・ラインまで、ハンコックの『マン・チャイルド』(Columbia,1975年)らはボハノン表現の要点とけっこう重なる。もしかすると、マーキュリー時代のボハノンの表現は逆にハンコックから刺激を受けて作った部分もあったかもしれない。
1990年代をまわり彼は地元でゆったりした生活を求めたが、ヒップホップ時代になってジェイ・Z(2010年8月7日)やスヌープ・ドッグ(2006年4月2日)他様々な人たちが彼の音をサンプリング使用した。そんな彼は息子と音楽制作を行いもし、自らの初期の歩みを中心とする本も出したようだ。その死に際し、彼の作品群を聞き返し、潮の満ち引きのような気持ちのいい持続性も抱えた彼のグルーヴ・ミュージックのすごさを、ぼくは今再確認している。
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、アイザック・ヘイズ
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶︎過去の、ワー・ワー・ワトソン
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
https://43142.diarynote.jp/?day=20181027 訃報
▶︎過去の、レイ・パーカーJr.
http://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/ ジョー・サンプル&ザ・クリオール・ジョー・バンド
https://43142.diarynote.jp/201803290839504415/
https://43142.diarynote.jp/202001181114377911/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903/
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
▶過去の、ジェイ・Z
http://43142.diarynote.jp/201008261617154352/
▶︎過去の、スヌープ・ドッグ
https://43142.diarynote.jp/200604050124430000/
https://43142.diarynote.jp/201707141126579276/ 彼がちょい出た映画
ジミ・ヘンドリックス(同じ年で、ジョージア州時代に一緒にバンドをやったという海外の記載が複数ある。ヘンドリックスが空軍除隊後、一時南部に住んだときのことだろうか?)、リトル・スティーヴィー・ワンダー(1964年に彼は、13歳だったワンダーのバック・バンドにドラマーとして加入。その流れで、モータウンとの関係を強めデトロイトに引っ越し、いろんな同社のアーティストの実演をサポートするバンドを仕切った。2005年11月3日、2010年8月8日、2012年3月5日)、マーヴィン・ゲイ(ドラマーに留まらぬ彼の才能を見抜き、彼の曲を複数取り上げている。『ワッツ・ゴーイン・オン』ではドラマーとしても参加)、カール・デイヴィス(彼はソロ・アーティストとして、シカゴ・ソウルの名士であるデイヴィスが仕切るダカールから、個性的なプロダクツを6作品出す。その後は、マーキュリーから彼は質の高いアルバム群を出した)など、彼の歩みに触れようとすると、ビッグ・ネームを書かなければいけない。
義理堅い敬虔なクリスチャンであったそうで、彼はモータウンがロサンジェルスに移った後も、デトロイトに留まることを選び、その人脈を活用する方向でリーダー活動を持った。それらをさして、ディスコ・ミュージックのオリジネイターという言い方もされる。だが、甘いマスクを持ちつつも過剰に浮つくところがない、インスト部にも多大な妙味を持たせた彼のプロダクツは結構ジャジーでもあり、北の高潔なアイザック・ヘイズなんて、その才をぼくは書き留めたくもなる。
実は、彼の表現をなにげに取り込んでいるのが、1970年代下半期のダンサブル路線を取った際のハービー・ハンコック(2000年3月14日、2001年12月27日、2003年8月23日、2005年8月21日、2012年3月3日、2014年9月7日、2015年9月6日、2016年9月3日、2018年9月1日)。ボハノンの初ソロ『Stop And Go』(Dakar,1973 年)のギター参加者は、ワー・ワー・ワトソン(2005年8月21日、2018年10月27日)とレイ・パーカーJr.(2005年3月8日、2011年5月17日、2012年9月8日、2018年3月28日、2020年1月16日 )のコンビ(ハンコックはその二人を後に重用)。ヴォーカルの使い方(ボハノンは歌わない人だった)からベース・ラインまで、ハンコックの『マン・チャイルド』(Columbia,1975年)らはボハノン表現の要点とけっこう重なる。もしかすると、マーキュリー時代のボハノンの表現は逆にハンコックから刺激を受けて作った部分もあったかもしれない。
1990年代をまわり彼は地元でゆったりした生活を求めたが、ヒップホップ時代になってジェイ・Z(2010年8月7日)やスヌープ・ドッグ(2006年4月2日)他様々な人たちが彼の音をサンプリング使用した。そんな彼は息子と音楽制作を行いもし、自らの初期の歩みを中心とする本も出したようだ。その死に際し、彼の作品群を聞き返し、潮の満ち引きのような気持ちのいい持続性も抱えた彼のグルーヴ・ミュージックのすごさを、ぼくは今再確認している。
▶過去の、スティーヴィー・ワンダー
http://43142.diarynote.jp/200511130015240000/
http://43142.diarynote.jp/201008261618276388/
http://43142.diarynote.jp/201203062006429595/
▶過去の、アイザック・ヘイズ
http://43142.diarynote.jp/200707232251010000/
▶︎過去の、ワー・ワー・ワトソン
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
https://43142.diarynote.jp/?day=20181027 訃報
▶︎過去の、レイ・パーカーJr.
http://43142.diarynote.jp/200503120546520000/
http://43142.diarynote.jp/201105181052427410/
http://43142.diarynote.jp/201209191209186663/ ジョー・サンプル&ザ・クリオール・ジョー・バンド
https://43142.diarynote.jp/201803290839504415/
https://43142.diarynote.jp/202001181114377911/
▶過去の、ハービー・ハンコック
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-3.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-12.htm
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-8.htm
http://43142.diarynote.jp/200508230545510000/
http://43142.diarynote.jp/201203062005542291/
http://43142.diarynote.jp/201409100930206205/
http://43142.diarynote.jp/201509220833541918/
http://43142.diarynote.jp/?day=20160903/
https://43142.diarynote.jp/201809051532324111/
▶過去の、ジェイ・Z
http://43142.diarynote.jp/201008261617154352/
▶︎過去の、スヌープ・ドッグ
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https://43142.diarynote.jp/201707141126579276/ 彼がちょい出た映画
R.I.P.トニー・アレン(1940〜2020年4月30日)
2020年4月30日 音楽 生まれた日が公表されていない、偉大なナイジェリアのラゴス生まれのドラマーであるトニー・アレン(2003年9月26日、2019年1月23日)が急死した。元気に知人と電話で話していたのだが、その2時間後に病院に運ばれ、亡くなってしまったのだという。死因は発表されていないが、新型肺炎が死因ではないそうだ。
1960年代半ばにフェラ・クティと出会い、1979年まで彼のバンドに在籍し膨大な作品群に関与。1980年代中期以降はパリに居住するアレンはフェラのバンド時代在籍時からリーダー・アルバムをリリースし、今まで20作ほど自己名義盤を出し、また鷹揚に様々な人とも絡んでいる。そんなアレンの今のところの直近作は、南アのトランペッター/シンガーのヒュー・マセケラ(2005年7月20日)との連名作『Rejoice』(World Circuit,2020年)。アレンが出すアフロ・ビートとマセケラ流儀のおおらかなアフロ・ポップ感覚が折り合う好盤で、鍵盤のジョー・アーモン・ジョーンズ(2019年6月2日)やテナー・サックス奏者のスティーヴ・ウィリアムソンら英国人の名も参加者に見られる。だが、マセケラは2018年1月23日にヨハネスブルグで亡くなっているので、旧セッションを商品化したものだろう。
以下は、2019年1月24日に、イントキシケイト誌の記事のためにブルーノート東京の楽屋で行なったインタヴューである。「すんだことには興味がないんじゃ」と言いつつ、興味ある質問には笑顔で答えてくれたっけ。もちろん、元気でした。数少ないアフリカの英語公用語国であるナイジェリア出身ゆえ、取材は英語にてなされた。とはいえ、フランス語(スペイン語はもっと)がhを発音しないように、彼もそうする傾向にありました。
——あなたはいろいろなアルバムを出しています。アフロ・ビートを作った名ドラマーと言われるのと、優れたリーダーといわれるのいではどちらがうれしいですか?
「フェラ・クティと一緒にやっていて、そう言われているから、皆んなは僕をアフロ・ビートのドラマーと認知している。だが、僕自身はアフロ・ビートのドラマーとは思っていない。僕はいろんなスタイルをできるドラマーなんだよ」
——それで、あなたは今ブルーノートからジャズ色の強いアルバムを出していますが、アート・ブレイキーはあなたのフェイヴァリット・ドラマーなんですか(その初作『A Tribute to Art Blakey and the Jazz Messengers』は、アート・ブレイキーのブルーノートのデビュー時に倣い、10インチの4曲入りアナログでリリースされた)?
「アート・ブレイキーは、最初からぼくのアイドルなんだ。20歳からプロのドラマーとして活動を始めたんだが、17歳から聞いている」
——では、アフロ・ビートのドイラミングにはジャズの技術や素養も生かされているわけですね。
「そのとおり。その前にアフロ・ビートというものはなかったからね。それで、ダンス・クラブで演奏を始めたんだけど、それだとラジオでかかる音楽のいかなるビートを叩けなきゃいけなかった。クイックステップ、タンゴ、ルンバ、ブーガルー……いろんなことをできなくてはならなかった。ハイライフやフジとか西アフリカの音楽だけじゃなくね」
——そうしたなか、ターニング・ポイントは?
「音楽的なことかい? キャリアのなかでのターニング・ポイントはない。なぜなら、ずっと音楽をやってきたからね。音楽をやりたいと思ってこの世界に入り、一生懸命やってきただけだ。そりゃいいことも悪いこともあったよ。でも、ずっとまっすぐに音楽をやり続けてきたということだね」
——ナイジェリアから、1984年にまず英国に行きました。でも、すぐにパリに移り、住み続けていますよね。パリは音楽をしやすい街ですか。
「そうだね。ナイジェリアは英国の植民地だったから、最初はUKに向かったけど、そこで仕事をするのは楽じゃなかった。労働許可証とか必要とされたしね。EPは1枚作ったけど、いろんなことがうまくいかず、ここからすぐに出たいと思った。フランスでは契約を取れて、ミュージシャンたちもプロフェッショナルであった。英国は昼間は普通に働いているミュージシャンが多かったけど、フランスはそうではなかった。英国でバンドを持つのは大変だった」
——ブルーノートからアルバムを出すというのは、とうぜん喜びであるんでしょうか。
「もちろんさ。最初にアート・ブレキーを知ったレコードもブルーノートのものだったし、ブルーノートからレコードを出すというのは17歳のころからの夢だった。だから、喜びはある。ブルーノートは僕のやりたいようにやらせてくれるしね。アート・ブレイキーを聞いてきた僕はどんなスタイルでブルーノートでやったらいいかはよく知っているわけだからね。。今、トニー・ウィリアムズのトリビュート作をドン・ワズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)から依頼されて作っているよ」
——新作『ザ・ソース』(ブルーノート、2017年)にはデイモン・アルバーン(2003年5月31日)もピアノで入っています。過去ににも彼とはいろいろ絡んでいますし、仲がいいですね。
「彼とは2000年から友達なんだ。アルバムで歌ってと頼んだことがあり、一緒に曲も作っている。そこから友達になり、いろんなプロジェクトをやるようになった」
——新作『 The Seed』(Decca,2018)はジェフ・ミルズ(2017年11月7日、2017年11月10日、2018年11月6日)との連名作ですが、彼とはどういう感じで一緒に?
「彼のマネージャーと僕のマンージャーが話し合って、決めたプロジェクトだ。彼はいろんな機材を使って音を作る人だけど、なんか一緒にやろうとなった。彼は機材を使い、僕はドラム・セットだけど、2、3日かけて、その二つのものをうまく組み合わせたアルバムだね」
——フィランドのクリエイターであるジミ・テナーとも複数の協調アルバムを出していますが、やっぱりいろんな人と好奇心旺盛にコラヴォレートしたいという思いは持っていますよね。
「話があったら、そのプロジェクトに参加する。そして、僕はそのプロジェクトに適切なものを提供する。好きなことなので、僕の性格としてフレキシブルにことにあたるよね。僕はチャレンジするのが好きなんだ。だから、自分がやらないスタイルの音楽であっても、依頼があれば僕は参加するようにしている」
——ところで、(けっこう、いい感じで衣服をまとめているので)お洒落は好きですか?
「ああ、僕はクールだろ。僕って、何かとバランスを取るのが好き。その一方、何かを強要すると言うのが好きではない。それが人生の極意だね」
▶︎過去の、トニー・アレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
https://43142.diarynote.jp/201901241310023413/
▶過去の、ヒュー・マセケラ
http://43142.diarynote.jp/200507220552110000/
▶︎過去の、ジョー・アーモン・ジョーンズ
https://43142.diarynote.jp/201906050930429178/
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズへのトリビュート公演
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、デイモン・アルバーン/ブラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
▶︎過去の、ジェフ・ミルズ
http://43142.diarynote.jp/201711080729053828/
https://43142.diarynote.jp/201711110810235717/
https://43142.diarynote.jp/201811071446015153/
1960年代半ばにフェラ・クティと出会い、1979年まで彼のバンドに在籍し膨大な作品群に関与。1980年代中期以降はパリに居住するアレンはフェラのバンド時代在籍時からリーダー・アルバムをリリースし、今まで20作ほど自己名義盤を出し、また鷹揚に様々な人とも絡んでいる。そんなアレンの今のところの直近作は、南アのトランペッター/シンガーのヒュー・マセケラ(2005年7月20日)との連名作『Rejoice』(World Circuit,2020年)。アレンが出すアフロ・ビートとマセケラ流儀のおおらかなアフロ・ポップ感覚が折り合う好盤で、鍵盤のジョー・アーモン・ジョーンズ(2019年6月2日)やテナー・サックス奏者のスティーヴ・ウィリアムソンら英国人の名も参加者に見られる。だが、マセケラは2018年1月23日にヨハネスブルグで亡くなっているので、旧セッションを商品化したものだろう。
以下は、2019年1月24日に、イントキシケイト誌の記事のためにブルーノート東京の楽屋で行なったインタヴューである。「すんだことには興味がないんじゃ」と言いつつ、興味ある質問には笑顔で答えてくれたっけ。もちろん、元気でした。数少ないアフリカの英語公用語国であるナイジェリア出身ゆえ、取材は英語にてなされた。とはいえ、フランス語(スペイン語はもっと)がhを発音しないように、彼もそうする傾向にありました。
——あなたはいろいろなアルバムを出しています。アフロ・ビートを作った名ドラマーと言われるのと、優れたリーダーといわれるのいではどちらがうれしいですか?
「フェラ・クティと一緒にやっていて、そう言われているから、皆んなは僕をアフロ・ビートのドラマーと認知している。だが、僕自身はアフロ・ビートのドラマーとは思っていない。僕はいろんなスタイルをできるドラマーなんだよ」
——それで、あなたは今ブルーノートからジャズ色の強いアルバムを出していますが、アート・ブレイキーはあなたのフェイヴァリット・ドラマーなんですか(その初作『A Tribute to Art Blakey and the Jazz Messengers』は、アート・ブレイキーのブルーノートのデビュー時に倣い、10インチの4曲入りアナログでリリースされた)?
「アート・ブレイキーは、最初からぼくのアイドルなんだ。20歳からプロのドラマーとして活動を始めたんだが、17歳から聞いている」
——では、アフロ・ビートのドイラミングにはジャズの技術や素養も生かされているわけですね。
「そのとおり。その前にアフロ・ビートというものはなかったからね。それで、ダンス・クラブで演奏を始めたんだけど、それだとラジオでかかる音楽のいかなるビートを叩けなきゃいけなかった。クイックステップ、タンゴ、ルンバ、ブーガルー……いろんなことをできなくてはならなかった。ハイライフやフジとか西アフリカの音楽だけじゃなくね」
——そうしたなか、ターニング・ポイントは?
「音楽的なことかい? キャリアのなかでのターニング・ポイントはない。なぜなら、ずっと音楽をやってきたからね。音楽をやりたいと思ってこの世界に入り、一生懸命やってきただけだ。そりゃいいことも悪いこともあったよ。でも、ずっとまっすぐに音楽をやり続けてきたということだね」
——ナイジェリアから、1984年にまず英国に行きました。でも、すぐにパリに移り、住み続けていますよね。パリは音楽をしやすい街ですか。
「そうだね。ナイジェリアは英国の植民地だったから、最初はUKに向かったけど、そこで仕事をするのは楽じゃなかった。労働許可証とか必要とされたしね。EPは1枚作ったけど、いろんなことがうまくいかず、ここからすぐに出たいと思った。フランスでは契約を取れて、ミュージシャンたちもプロフェッショナルであった。英国は昼間は普通に働いているミュージシャンが多かったけど、フランスはそうではなかった。英国でバンドを持つのは大変だった」
——ブルーノートからアルバムを出すというのは、とうぜん喜びであるんでしょうか。
「もちろんさ。最初にアート・ブレキーを知ったレコードもブルーノートのものだったし、ブルーノートからレコードを出すというのは17歳のころからの夢だった。だから、喜びはある。ブルーノートは僕のやりたいようにやらせてくれるしね。アート・ブレイキーを聞いてきた僕はどんなスタイルでブルーノートでやったらいいかはよく知っているわけだからね。。今、トニー・ウィリアムズのトリビュート作をドン・ワズ(2013年2月15日、2019年6月12日、2019年6月13日、2019年6月14日)から依頼されて作っているよ」
——新作『ザ・ソース』(ブルーノート、2017年)にはデイモン・アルバーン(2003年5月31日)もピアノで入っています。過去ににも彼とはいろいろ絡んでいますし、仲がいいですね。
「彼とは2000年から友達なんだ。アルバムで歌ってと頼んだことがあり、一緒に曲も作っている。そこから友達になり、いろんなプロジェクトをやるようになった」
——新作『 The Seed』(Decca,2018)はジェフ・ミルズ(2017年11月7日、2017年11月10日、2018年11月6日)との連名作ですが、彼とはどういう感じで一緒に?
「彼のマネージャーと僕のマンージャーが話し合って、決めたプロジェクトだ。彼はいろんな機材を使って音を作る人だけど、なんか一緒にやろうとなった。彼は機材を使い、僕はドラム・セットだけど、2、3日かけて、その二つのものをうまく組み合わせたアルバムだね」
——フィランドのクリエイターであるジミ・テナーとも複数の協調アルバムを出していますが、やっぱりいろんな人と好奇心旺盛にコラヴォレートしたいという思いは持っていますよね。
「話があったら、そのプロジェクトに参加する。そして、僕はそのプロジェクトに適切なものを提供する。好きなことなので、僕の性格としてフレキシブルにことにあたるよね。僕はチャレンジするのが好きなんだ。だから、自分がやらないスタイルの音楽であっても、依頼があれば僕は参加するようにしている」
——ところで、(けっこう、いい感じで衣服をまとめているので)お洒落は好きですか?
「ああ、僕はクールだろ。僕って、何かとバランスを取るのが好き。その一方、何かを強要すると言うのが好きではない。それが人生の極意だね」
▶︎過去の、トニー・アレン
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-9.htm
https://43142.diarynote.jp/201901241310023413/
▶過去の、ヒュー・マセケラ
http://43142.diarynote.jp/200507220552110000/
▶︎過去の、ジョー・アーモン・ジョーンズ
https://43142.diarynote.jp/201906050930429178/
▶︎過去の、ドン・ワズ
http://43142.diarynote.jp/201302181044151204/
https://43142.diarynote.jp/201906151230594715/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
https://43142.diarynote.jp/201906151238565701/
▶︎過去の、トニー・ウィリアムズへのトリビュート公演
https://43142.diarynote.jp/200812281442184528/
▶過去の、デイモン・アルバーン/ブラー
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2003-5.htm
▶︎過去の、ジェフ・ミルズ
http://43142.diarynote.jp/201711080729053828/
https://43142.diarynote.jp/201711110810235717/
https://43142.diarynote.jp/201811071446015153/