Covid-19とは無関係ではあるようだが、洒脱才人のイアン・ウィットコムがロサンゼルスで亡くなった。ぼくは彼のことを、レトロ(それはエンターテインという言葉と同義といいたくなるか)な要素をうまく介する、外し傾向にある柔和ポップの名手として認知していた。彼のアルバムの隣には、ダン・ヒックス(2009年5月27日、2010年6月18日)の作品群が置いてある。今だと、アンドリュー・バード(2010年2月3日)は少し近いところがある? なんの経歴も知らず純粋に音を楽しんだだけなので、一切経歴を考えたことはなかったが、訃報記事を見て、恥ずかしながら彼が英国人であるのを初めて知った。
 パブリック・スクールに通っているので、おぼっちゃまくん。祖父は映画会社を経営していたという。確かに、写真を見ると上品な顔をしている。大学はトリニティ・カレッジであったので、アヌーナ(2007年12月15日、2009年12月12日、2011年12月7日、2011年12月10日、2014年12月4日、2014年12月6日、2017年2月16日)のマイケル・マクグリンの先輩になりますね。なるほどなあ、彼の表現にはブリティッシュ・ビートぽいかけらが残されているときもあったし、なによりあの俯瞰する感覚は英国人ゆえのことであったかもしれない。
 そのトリニティ・カレッジ時代の1965年に「ユー・ターン・ミー・オン(ターン・オン・ソング)」という歌が全米8位を獲得し、同年にはザ・ビーチ・ボーイズと一緒にハリウッド・ボウル公演をしたことがあったという。彼の曲には、ザ・ビーチ・ボーイズ(2014年3月28日)みたいな曲もあるよな。その後、アイルランド/英国と米国を行き来するになり、1970年代に入ると米国に住むようになったのかな。
 ミュージシャン(リーダー作は25枚を超え、映画音楽にもいろいろ関わった)、俳優、物書き(音楽書籍だけにとどまらず、小説や美術書も書いているよう。ライナーノーツでグラミー賞をとったこともある)、ラジオのしゃべり手など、いろんなことを飄々とやっていた御仁。10年近く前に脳卒中で倒れ、入院したことはニュースになったと記憶する。妻のレジーナと飼っていた犬はトビーと名付けられていた。

▶︎過去の、ダン・ヒックス
https://43142.diarynote.jp/200906051613277417/
https://43142.diarynote.jp/201006200650338483/
▶︎過去の、アンドリュー・バード
https://43142.diarynote.jp/201002051635443280/
▶過去の、アヌーナ
http://43142.diarynote.jp/200712161423560000/
http://43142.diarynote.jp/201001051620426983/ マクグリンのインタヴュー付き
http://43142.diarynote.jp/201112171633334584/
http://43142.diarynote.jp/?day=20111210
http://43142.diarynote.jp/201412151250144917/
http://43142.diarynote.jp/201412221527313725/
https://43142.diarynote.jp/201702211429132450/
▶︎過去の、マイク・ラヴ/ザ・ビーチ・ボーイズ 
http://43142.diarynote.jp/201403291149242320/