初期ニューヨーク・ヒップホップ界のキーボード奏者/ラッパーであるデューク・ブーティーがうっ血性心不全で亡くなっていた。本名、エドワード・G・フレッチャー。彼はグランドマスター・フラッシュのヒップホップ金字塔曲「ザ・メッセージ」をメリー・メルと共作したことで何より語られるか。

 もともとはシュガーヒル・ギャング(2017年12月30日)のハウス・ミュージシャン。彼の『Bust Me Out』(Mercury,1984年)はそのダグ・ウィンブッシュ(2000年4月9日、2001年7月27日)とスキップ・マクドナルドの力量を最大限に借りたアルバムだった。ヴァーノン・リードが参加もしていた同作はリアル・タイムで日本盤もリリースされた。ウィブッシュは英国ON-Uのハウス・バンドを経て、リヴィング・カラーに入る。2001年のモス・デフのフジ・ロック公演は生バンド使用で、リヴィング・カラーのリズム隊が担っていた。

 その後、なんと彼は音楽をやめて資格を取り、1990年代に教鞭をとる道に進んだ。ニュージャージー州の高校や大学で教え、2007年にはジョージア州サバンナに移り、サバンナ州立大学で批判的思考とコミュニケーションの講師を務め、2019年に引退していたという。

▶︎過去の、シュガーヒルギャング
https://43142.diarynote.jp/201801011139253615/
▶︎過去の、ダグ・ウィンブッシュ
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-4.htm ポーラ・コール・バンド
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2001-7.htm 27日 フジ・ロックのモス・デフ
▶︎過去の、ヴァーノン・リード
http://www.myagent.ne.jp/~newswave/live-2000-8.htm 8/13
http://43142.diarynote.jp/?day=20081216
http://43142.diarynote.jp/201510290732352521/

 また、英国ハウス・ミュージック界に大きな功績を残すDJ/クリエイターのフィル・アッシャーが、50歳で亡くなった。それほどクラブ・ミュージックを聞いてきていないぼくでも、<西ロンドン>とか<ブロークン・ビーツ>という言葉とも重なりもし、彼の関与するプロダクツは耳に入ってきた。生粋のロンドンっ子で、父親にならってレコード屋で働き、いろいろと音楽見聞を広げ……。という、キャリアは甘酸っぱい。彼はレコード・コレクターでもあったという。(ちょい復活しつつあるが)レコードがまだ存在感を放ち、配信が活発でなかったからこその、輝かしいと言うことも可能な歩みを持つ人。だが、そういう時代を過ぎてもダンス・フロアの音楽は存在する。……クラブ営業ができないコロナ禍にあって、その傾向は変わってきているのだろうか。レストレス・ソウルというユニットやプロダクションも持ち、ラジオ番組のホストやクラブの運営もしていた。イカした折衷感のなかに息づく肉感性やいなたさが好きでした。“彷徨うソウル”よ、永遠なれ。

<今日の、発想>
 なんかオレのなかで、フィル・アッシャーの端正な彼の顔つきって、イスラエル人ジャズ・ピアニストのシャイ・マエストロ(2012年3月12日、2016年1月4日、2016年6月11日、2016年6月11日、2017年9月3日、2017年9月6日、2018年11月12日)とつながる。アッシャーって、ユダヤ系の苗字なんだっけ?
▶︎過去の、シャイ・マエストロ
http://43142.diarynote.jp/201203131840477844/
http://43142.diarynote.jp/201601050914043127/
http://43142.diarynote.jp/201606121230202174/
https://43142.diarynote.jp/201702021523283237/
http://43142.diarynote.jp/201709101639096076/
https://43142.diarynote.jp/201709110842026988/
https://43142.diarynote.jp/201811141355524842/